『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

239連隊 その05 略あり

1921年栃木県下都賀郡に生まれる
1942年東部第36部隊に入隊
 第239連隊第2大隊砲小隊に転じ、北支山西省
1943年ニューギニア・ウエワク上陸
1944年アイタペ作戦当時、兵長
1945年終戦 当時、陸軍伍長
1946年神奈川浦賀にて復員
 家業の農業に従事

[1] ニューギニア戦線へ 03:55
ウエワクってとこに上陸したんですが、上陸すっときは、敵の飛行機も来なかったから、うまく上陸できて。で、すぐに今度は荷揚げ。一緒に積んでった食糧とかいろんな材料とかね、ああいう物を降ろすのに。で、大きい船から直接揚げらんねえから、それに荷物なんかも、まぁ大体膝あたりまで水ん中入って。そんで、1つずつ荷物担いで、そんで陸揚げ作業をやったんですけども。そんで、その日に終わんないで、次の日やるわけやったんやけど、船のほうはそんなに長くいらんないって、荷物まだ積んであったのを全部降ろしきれないで船は出ちゃったんすよ。だから荷物それだけで降ろすのが少なくなっちゃったわけですね。んで、降ろした荷物をヤシで包んで、シートかけて。それを分かんないようにカモフラージュ、木の板とかでカモフラージュしておいたんですが。

わたしらの部隊は歩兵でも、機関銃中隊の大隊砲小隊。だから、写真にあるような、砲の方なんで、小銃はあんまり持たないからね、あれなんですが。拳銃と帯剣だけ腰にかけて。

飛行場造りたって道具がないから。みんな持って行ったスコップだとか、ノコギリだって小っちゃいノコギリしかないからね。そんで、みんな手作業でやって。どうにか7月、8月ころ完成して、飛行場が完成して、味方の飛行機が入ってきたんすよね。

こんで安心だってわけで。そんで、今度はそのブーツから飛び出してまぁ、爆撃なんか行ったりなんかやっていたんですが。

そのころ今度、部隊は前進ってことになって、

ハンサを越えて、その先のマダン(239連隊を含む41師団の駐屯地)か、マダンってところまで前進して行ったんですが。あそこは約200キロくらいありますか。800キロかそこら。そこ行軍でね、

Q.船は一切使わないで。

途中まで船で行ったんですが、船は危ないんで、それからまた、陸を歩いて。
そんで昼間あんま歩くと敵に見つかるから、夜行軍して夜通し歩いたりしてね。昼間はジャングルん中潜ってったりして。そんで、マダン行って、マダンに1か月くらいいたんですか。


[2] 兵士を襲うマラリア 02:13
海岸からちょっと奥へ入るとジャングルだから。ジャングルだから蚊が、ニューギニア蚊がすごいんでね。そんで蚊にくわれて。そんでその蚊が普通の蚊じゃなくマラリアの蚊なんですよね。

マラリア菌持ってる蚊で。そんで、マラリアにかかって。早い人は20日くらいたってもあれやったかな、マラリアにかかちゃったかね、「あれ、なんだか体が変だな」ってわけで。で、軍医さんに聞くとマラリアって。

初めは熱が出て、マラリアにかかるとね。初めは寒気がするのか、寒気がしてガタガタガタガタ。1時間はたつと今度は、温まってくるというか、熱がでてカッカカッカ。40度くらいの熱がでて、それが2時間から3時間くらい続くんですよね。

そんで、夕方になって熱はスッと下がって。で、平常になるんですが、

それが3日くらい続くんですよ。今日、熱、マラリアがおこると明日また同じ時間に、大体3日に続くくらいだから、3日ぐらいは。そんときはまぁ、仕事になんないわけで。

だから、ほんとに病気になって、内地では助かるなあと思う人が、そういう薬もない、手当ての方もアレで亡くなったのが、結構多いんですよ。ニューギニアは戦病死がね。まあ、戦死って書いてあるのは、ほとんどまあ、戦争をやって弾に当たって死んだとか、そういうのが戦死になってっけども、戦病死ってのは、結構ウエワクとかブーツで亡くなったのは戦病死。多い、これね。


[3] アイタペを目指し行軍 07:43
そんでアイタペ行く途中、やっぱり毎日のように砲撃や爆弾はあるしさ。海岸線歩くと、艦砲射撃。船から日本軍がいるのが分かって、で、艦砲射撃くったり。だから昼間はあんま歩けなかったすよね。夜行軍して。

やっぱり、移動中っていうか、戦闘をやってるときなんだけども、移動していて、そういうときに爆撃があるわけだよ。爆撃だって編隊で来るんだから。大体、3機ずつこう並んだのが。そう、3機ずつ三つばかり来っと、9機の飛行機が一斉にこう来るわけだよ。で、その後ろからまた、敵がどんどん来る。多いときは300機くらい来っから。ぐんぐんぐーん、話がもう聞こえないほど。大編隊で。ダンダカバカンバカンバカ爆弾落っことすでね。

いったんマダンの方へ行って。今度はアイタペの方へ、今度は「移動しろ」って言われた、そのころだったな。だからアイタペ作戦前だったよ、その大編隊で来たのは。

だから、貨物廠なんて一気に爆弾でやられて、糧秣きれいにね、吹っ飛んじゃったり。
ほんで、兵器の方が、向こうと比べっと雲泥の差だからね。戦争じゃねえ、戦闘じゃ勝ちっこないわけだよね。

食糧は2年分ぐらいあるって予想で、向こうへ揚げたんですよ。ジャングルの中積んだりヤシの下に積んだり。そうしたところが、爆撃されちゃって。

そんだから、米でもなんでも麻袋もカマスなんて白米で持ってったやつ、みんな爆撃でやられちゃって。そうすっと夕方になって雨降っから、雨ざらしになって。だから米が雨ざらしになったらカブレちゃって食べらんなくなって。そんでだから食糧はなくなっちゃうね。

そんで内地からの輸送は途切れちゃって。全然、もう状況悪くなっちゃったから、糧秣でもね、輸送できなくなっちゃって。だから、しばらく米なしで。半年以上も米粒1つも食べずに、島民のイモだとか。

それとあの、ヤシ、サンゴヤシってのがあるんですけど。その中にでんぷんがあるんですよ、ヤシのでんぷん。それをヤシの木を倒して、中のサクサクしたところをザクザクザクザクやって、水で漉(こ)してでんぷん取って。そのでんぷんをパンだとか、いろいろうどんなんかりしたり、代用食で食べたですけども、そこに、一時は食べられっけども、移動中はそれがないから、

だから、移動中は畑行って、島民にイモもらって。それを飯ごうで炊いて食べたり。だから食べ物はないから、もう栄養失調になって。マラリアで熱は出る、だから力はなくなる。そんで、病気で亡くなったのはずいぶん多かったすよ。マダンからウエワクへ行ったりする途中、ハンサ湿地帯があるんですけども、セピック川の。そこを越えんのが、グチャグチャぬかって。相当の距離あんですよ、1キロの余も。そこ越えんのがなかなか骨折れてあれだったすけども。そこまで来たらば、河さ足突っ込んで、で、顔つけて水飲みながらそのまま死んじゃったりね。ザーッと並んで死んでたすよ。その水を「あそこにいい水がある」からってんで行くわけですよ、その河のとこへ。「これはうまい水だな」と飲んで。その川にそって進んで行くと、ドザエモンになっちゃって(死体が並んでいる)。「ありゃ、この水飲んだんか」なんて、つば吐いたってもう間に合わないけども。そういう状況のとこも随分あったけど。

それから、アイタペ行く途中、夕方海岸線を7,8人、わたしらの大隊砲小隊だけだから、小勢だから分散して行軍するから、7,8人でこう海岸線を歩って行ったんすよ。

そしたら敵の飛行機が低空してきて。高いとこ飛んでれば、ブーっと音聞こえんだけども、低空しってから、近くまで来るのを音が聞こえないんですよね。そんで低空して来て、あっと思っているうちに爆弾落とされて。そんで、破片だけども足あたってね。ま、たいして大きい破片じゃなかったけれども、靴の上から当たって歩けなくなっちゃって。で、近くの野戦病院担いでいってもらって、そこで弾を、破片を抜いてもらって、そしてそれから今度は本隊に追及するわけなんだけども、本隊はなかなかやっぱり、砲を引っ張ってたから、思うように小銃隊みたく普通に歩けないから。そんで、本隊とはだいぶ遅れちゃって、そんで本隊に追及したときには、普通の歩兵部隊の方も、小銃隊もだいぶやられて、戦死者がですね。で、それまずいってんで、だからまぁ後退することになったんですけども。

(略)