『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや 医師衛生兵関連その08 略あり 東部ニューギニアブナ守備隊

[NHKスペシャル]
玉砕 隠された真実 放送日 2010年8月12日

2010年6月20日

1921年
岐阜県高鷲村(現・郡上市)に生まれる
1941年
12月召集 歩兵第229連隊の衛生兵に
1942年
11月ニューギニア・ブナへ
1945年
ラバウル終戦を迎える
1947年
戦後は、郷里で民宿経営


[1]
チャプター1
笑顔で送り出した母
再生中
05:46
僕は兵隊に行くときでも、僕のお袋よ、お袋なんて泣かへんよ、笑っとったよ、「えがったな、ノブおまえ」、僕、信幸いうもんんで「ノブ、ノブ」って、「ノブなんじゃ、兵隊に行ってな、行って手柄を立ててな、もし何やったら、今度、会うんときは、靖国神社で会うんやな」て、そんでニコニコニコニコしてよ、いいって喜んで(万歳)こうやってるやんな、それは、今、考えられんで、今、自衛隊がな、飛行機でちょっと、アフガニスタンに行くなんて1か月間行くって言うな、家族がみんな泣きまわってな、やってる、これはやっぱり、今の・・・と離れたってよ。僕は、ちょっと理解はしてもらえんと思うんや、君として教育やっとるで、本当に、君たちも話しとしては、受け取れるけど、現実に、それを理解して、そして、納得は、恐らく、できんと思うし、それは、僕は、当然やと思うけども、そうゆう、まあ、時代の人間やもんでよ、その辺は理解して聞いてもらいたい、はい。

Q:ブナに行かれて、それが、初めての戦闘だったわけですか。

初めてです。ええ。戦争、戦闘っちゅうものは、僕は初めてやった。僕の年代の者は、みんなそうやったんや。それで、今の衛生兵っていうのは、そういったらなんですけど、病院の衛生兵と、隊付きの衛生士で、本当に、戦闘についていく衛生兵と、それから、病院におるとか、ああいう、診療所とか、衛生兵にも2つあるんですけども、要するに、隊付き衛生っちゅうのは、特別に、半年間また教育を、衛生教育っちゅうものを受けて、それから、行って、初めての戦闘だったんです。

Q:想像してた戦争と、その現地に行ってみての戦争って言うのは、どうでしたか、同じだったんですか、違ったんですか。

いや、結局よ、戦争ってのは、そうやなあ、これも、君に説明するって言って、どうしたらいいな。あのな、戦争というもの、まあ、人殺し何じゃけども、やっぱり、第一線に出ると、伏せとるっちゅうことは、どうしても、前へいかんな、前へ。っちゅうことは、何だな、「前へ行っても死ぬ、後ろへ下がっても死ぬ」ということになるわけや。っちゅうことは、兵隊は、戦闘で前へ行って、後ろへ勝手に下がると、要するに、「戦線離脱」っちゅうことで、その場で撃ち殺されるんよ、だいたい。
で、前へ行きゃあ、敵がおるだろ、敵に撃たれる、ほんで、とにかく、前へ行くにしても、後ろに下がるにしても、相手をよ、とにかく殺さな、自分は生きられんのよ。おお。
兵隊っちゅうのは、まあ、なんじゃ、情けないって、今、思えば。されど、当時はよう、そんなことは、何とも思わんのんよ。っちゅうことは、そないして、軍隊に入ったときに、「おい、お前みたいな、1銭5厘でいくらでも寄ってくる」と。要するに、馬は800円やと、馬のほうが大事やで、それで、その馬を大事にするとかね。そんなやっぱり、世界なんや。とても、君にとっては考えられんけど、おれは、戦闘は、そうやなあ、どんなふうやって言うけど、戦争っちゅうことの説明をするったって、説明はつかんと思うなあ、まあ、あんまり、説明はできんな。

出来事の背景証言者プロフィール



[2]
チャプター2
連合軍の猛攻
05:50
上からはようダーッと、毎日、あの、30機も40機も来て、太陽が見えんくらい飛行機が来て、爆弾バンバンバンバン落といて、あとは、焼夷弾をダーッと、ジャングルなんか、いっぺんに何だわ、燃えてまって、ザーッとなってまうんだな。

やっぱり、そのとき、僕はね、命を拾ったっちゅうことも、確か、イタズっちゅう、軍曹が、それは、あのシナで戦争を経験しとる人なんや。で、僕、衛生やけども、「おい山下、山下」ってかわいがってくれて、で、あの迫撃砲がポーンと向こうから、こう音がすると、「おい、山下、前に行け」って、前から弾が来るのに、おれが前へ行くとなると、やられまうじゃんね、まあ、そういう考え方もある。やっぱり、戦闘経験があるもんで、そのパーンちゅう音で、シュシュシュシュと飛んでくるんやけど、それが、だいたいどのへんに、弾が行くっちゅうことが、やっぱり知っとるわけやな。
そんで、やっぱり、弾を撃ってくる、バーンって撃ったら、次からトントントントントンとこういう撃ち方するんですよ。で、こっちから撃ったときは、こういうふうに弾が来るし、それが横に撃ったときは、こうやって、必ず、そういう撃ち方するもんで、そういうことで、「おお、今、前へ行くんや、今度は後ろや」って言って、そうやって、いろいろ、助けてもらったし、それでいつも、「シナでは弾の下をくぐるっちゅうと、土饅頭(どまんじゅう)がひとつありゃあ、くぐれたけど、まあ、ここでは弾の下はくぐれんわい」と言うことを、その班長言ったですけど、っちゅうことは、もう飛行機がもう、そうやな、50、100機くらい来るけえなあ、バーッと来たら、下から太陽がもう見えんくらいワーッと来て、そして、機銃掃射をバーッてやって、爆弾を落といて、今度は、冷たいものが、確か、軽油かなんかまいてくるんだと思うんですよ。そして、ちょっと経つと、また来て、焼夷弾を落とすと、バーッと、もう燃えるわな。
いっぺんに、ジャングルなんかおったって、明るうなる。向こうの戦車、バンバンバンバンやってくるだろう。こっちは戦車も何もないし、ほとんど、それでもう戦車につぶされてまう。

それで、僕らも、階級下の兵隊やけ、わからんけども、しかし、兵隊で残った、ああいう大隊長も中隊長もみんな、全部死んでまっとるでなあ。まるっきり、一人になっとるで、まあ、軍隊なんちゅう、撤退するときは、軍隊なんちゅう組織はないで。もう、みんな、烏合の衆っちゅうか、そういうものの集まりや。てんでに、自分たちになって、そして、結局、やっぱりよう、何じゃな、暴力っちゅうものは、最終的に、やっぱり、拳銃は、僕は持った、拳銃とか手りゅう弾とか、それを持っとる人は、一番偉い人よ。で、そこへみんな寄ってくるで、やっぱり。

まあ、僕ら兵隊で言うと、「将校商売、下士道楽、兵隊ばかりが国のため」まあ、言うし、それから「軍隊は運隊」って、まあ、そういうことも言っとるで。ほいで、やっぱり、バタバタやられたってよう、別にやられて、かわいいって言いますか、そんなことも、「ああ、あれは死んだ、なんじゃなあ、国のために死んだなあ、いいわい、立派に死んで」いうような感覚で、なんか、いとおしむとか、なんとかって、そんな、戦争やっとると、そんな感じもない。
それでやっぱり、「今日は死ななんだ、運がいいな」と、それだけやなあ。それで、一緒にいるろう、今日、こうやって飯、まあこれなら、ここで、3人が飯食って、そしたら、その次になって、散開して、こうしとるろう、「うーん」って言って、何かと思ったら、弾プチッと、パーンと当たって、死。「ああ、死んだんかあ」なんて言って、うるさい、足やなんかで、踏んだりなんかしてよう、横へやって、自分が行くとか。

出来事の背景


[3]
チャプター3
増える餓死者
06:04
援軍が送れんのやで、初めはよ、輸送船やろ、その次は駆逐艦、しまいには潜水艦や、最後、潜水艦で戦友で負傷したものなんか潜水艦で下がった、もう潜水艦しか、入れなんだやろ、それで、食料分全部送るし、食料を、その辺のところわからんのやけど、やっぱり、海軍と陸軍の連結っていうのが、そうゆうことも、僕は、何か問題あるんじゃないかと思う。潜水艦で海軍がやっぱり食料なんか輸送するんやけど、しまいには、ドラム缶に入れて、ドラム缶をバーっと、海に上げておいてそれで行くと、そうゆうのやったけども、海軍は、やっぱり、自分の潜水艦なもので、上げもせずに、そのまんまいく、何もあったと思うんですよ、上陸するときなんかでも、やっぱり、駆逐艦できて、駆逐艦乗るんやけども、そのときでも、あれ半分くらい上陸できんとか、海軍が5分かなら5分間で上陸すると、敵の飛行機が来ると、もう、おろさずにそのまんまバーっと下がってまうんでよ、一部うちの部隊でも、本当は上陸せんならん何が、そのまんま引き返したものも確かあるんですよ、わからんけども、こなんだものあるにゃ。それは、やっぱり、当然あれやけども、まさか作戦あったって、飛行機で輸送したとか何とか言うけど、向こう敵も、ちゃんとわかってるもんで、そいつ輸送に来たやつを、やってまうもんでね、やっぱり食料なんてほとんど送ってこない、弾薬もちろんやけど食料なんて全然補給してもらえない。

そうやね、やっぱり、ほとんど、半分は餓死です。餓死、食べ物なし。で、僕らもしまいには、小さいヤドカリな、ああなのつまんできて食べたりしてたけど、とにかく、「青いものは何でも食え」ということで、とにかく、食糧っていうものが、一番、苦労して、生きてきたわけやけど、その点は四国のスタンレー山脈を越えた南海支隊よ、あそこの兵隊に取材してもらうと、一番わかると思う。そんで、僕らは、南海支隊の救援という一応はあったんやけど、救援どこじゃない、今度、こっちが南海支隊とおんなじ、いかれたもんで、これは南海支隊のなに(元兵士)を、四国で探してもらって、聞いてもらえば一番いいと思う。

帰ってきた(南海支隊の)兵隊なんかよ、人間みたいな顔しとらんぞ、目が「ギラー」ああ、恐ろしいで。あれはやっぱり、聞いたらよ、16日分の食料をしょったって聞いたな。あれはやっぱり、ポートモレスビーへ、海軍と陸軍でモレスビーへ直接あの、なんやった珊瑚海の海戦ちゅうもんで、やられたもんで、あの輸送しとったけど、戻ったもんで、また、こっちに戻ったいうたな。あんなとこいって、なんのあれがあって大本営は、どうゆうので、ニューギニアのあんな細いとこ行った作戦、おかしいな、無茶苦茶あれ、誰がやったかしらん。

Q:当時戦場で戦っていて、これはブナの戦闘と言うのは自分たちで勝てると思っていらっしゃったんですか。

それは勝てると思わな、戦争やらんで。それは、みんなが勝てると思うやで。そんなあのよ、始めからどうも条件ありとか、そんなもの、百戦百勝でよ、軍隊っていうものは絶対勝てるとこれが、今までのその例やったんやな、大東亜戦でも、初めてもそうやろ。

出来事の背景


[4]
チャプター4
火に囲まれた守備隊本部
07:02
やっぱり、12月20日ごろ、大戦闘の時代、「もう、これはアカン」と思いました。あの座談会でも言ったけど、あの当時、9中隊のほとんどもあれだし、10中隊、11中隊12中隊、ほとんど生きてるものおらんで、今、大隊本部のあの安田大佐(陸戦隊長)なんかの海軍のあそこが、基地になっていたけど、山本大佐(ブナ守備隊長)、あそこはもうやられてとるでな。ダーッともう戦車が来て、まあ、みんな全然あかんと、モリ君とでみんなはや、あれちょっと手前に撤退しとるで、12月のあの晩に、それはこっから、どうやな、200メートルくらいのとこが、こっちで見えたで、火がバーッてなって、そしたら海軍のあれがきて、大隊長以下みんな、安田大佐も何も自決して、それで一部は、「敵前何する」って、話ししとったでね、そうゆう話しも、したよったもので、自決したって、まあ、だいたい、はや20日ごろにはよう、だいたい負けるということはわかっとった。負ける、まあやられる、死なならんて。全滅ということ。せやけど、大本営から命令がでとることは知らんだけど。

Q:大隊本部が燃えていたときは、どうゆう状況だったんですか。

こっちから見とったら、わからんな、ただ、火がバーッと、こう上がっとるだけでそれで、ワーワー音がするで、そこへ敵が、晩やったけど戦車が入ってたと思う。

(略)