以下作業メモ
大胆な視点の変更が必要な謎は、人類の共有財産だと私は確信している。
私が芥川龍之介の小説と随筆を読み始めたのがいまから約25年前の2000年代。まだ「日本文学」というものがいちおう権威をもっていた時期だった。しかし私はそんなこととは関係なく、ともかくも読み進めたくなるものを探して、青空文庫に収録されていることが確定している10人の作家の作品を読み始めた。その時に発見したのが芥川龍之介の15点以上の作品だ。その中には「舞踏会」「蜃気楼」も入っていた。考えてみればこの2つを同じ作家が書いたのは意外だとチラと思ったかもしれない。ただし意外なことに、日本文学の本流とされている「地獄変」「河童」「歯車」は読むのに苦労した。もちろん、それはそのときの私の活字作品に対する生来および経験不足からくる読解力の少なさが原因なのだが、なにかそこに注意するべきものを感じた。
さて、芥川龍之介と言えば、この20年ぐらいの間では関東大震災の時の朝鮮人虐殺への批判であらためて有名になった。一方で、芥川龍之介と日本の歴史を書くときにデンとして居座る2つの謎、についてはあまり進展があった気がしない。1つはもちろん1927年〈昭和2年〉7月24日の自殺の理由。もう1つは、芥川が生前何度も言っていた「話のない話」とはいったいどんな作品の事か、ということだ。ともかくも、あらためて、考えてみよう。「話のない話」という目標を設定して、芥川はいったいどんな作品を目指していたのだろうか。
ここ1年ほどの間に、それについての視点変更を可能にするヒントを見つけた。
「芥川龍之介の身辺雑記でもあるような随筆の多くは、最後必ず幻想の世界へと旅立ってしまう─そんな不思議な予感を読者に与える。芥川龍之介という人は、自分の書く文章がそういう文章にならなければ承知出来ない作家なのだろう。自然にそうなってしまうのが芥川龍之介の文章で、芥川龍之介にとって、『文章』というものは、明らかにそういうものなのだ。それがわからない人は、芥川龍之介の読者にはなれない。
だから私は、芥川龍之介という人はとんでもない不遇の内に死んでしまった作家なのだろうと思う。当時の文学的─あるいは文壇的な風潮は、今までに述べたような芥川龍之介の読み方を歓迎などしてはいないからだ。芥川龍之介は、自分の思うような文章を書き、あるいは書こうとして、そしてあっさりそれを拒絶されて、煩悶の内に死んでしまった作家なのである。私としてはそのように断ずるしかない。
晩年になって、彼は『文藝的な、餘りに文藝的な』を書き、その中で、“『話』らしい話のない小説”というものを提唱した。私が今までに述べて来た彼の『随筆=小説』とは、この“『話』らしい話のない小説”のことである筈なのだが、しかし彼の提唱したことは、ほとんど理解されないままに終わってしまった。彼は、耽美主義でもなく主知主義でもなく人道主義でもなく自然主義でもなくプロレタリア文学でもなく、主義という野暮を嫌った『文章の人』であろうと、私は思う。」橋本治「殺された作家の肖像」
(『秋夜小論集』)
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「主義という野暮を嫌った『文章の人』であろうと、私は思う。」
ここになにか注意すべきことがあると思った。これはどういう意味か。時間をかけて改めて調べてみた。
橋本治とは何だったのか? 高橋源一郎×安藤礼二 特別対談 – WirelessWire & Schrödinger's
安藤 そうなんですよ。三島の巻の解説を発展させたものが『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』になったのですが、私が一番おもしろいと思ったのは、実は芥川龍之介の巻でした。そこで橋本さんは「芥川は可哀想だ」と書いています。芥川こそ、まさに新しい口語文体をつくりたかったんだと。芥川はエッセイや小説というジャンルを超えて、大変なイマジネーションと言葉の力だけで、ただただ新しい「文」だけを書こうとしていた。だけど、当時の文学の制度のようなものに押しつぶされてしまった。つまり、芥川はエッセイを書いても小説を書いても、他の誰もが真似のできないあの文章があるからこそ芥川であり、しかもそれを文語体でも書けるのに、新しい口語体として提出しようとしてものすごく苦しんでいた。その苦しみの軌跡こそが芥川の文学なんだと橋本さんは書いている。それを読んだ時、橋本さん、自分のことを言っているのでは、と感じたんです。その上で、橋本さんは新たな口語体を創り、それを語る時に自分とは異なった者にならなければならなかった。その機微は、今度こそまさに三島の巻の解説に見事に表現されています。私も『桃尻娘』がすごく好きだったんですけれど、その物語をはじめるにあたって橋本さんは、まず最初に主人公の榊原玲奈という女子高生に成り代わって語らなければならなかった。「日本幻想文学集成」の三島由紀夫の巻で橋本さんが選ぶのが、女方を演じる六世歌右衛門をモデルにして三島が書いた「女方」です。橋本さん曰く、三島由紀夫は空っぽで、川端康成はもっと空っぽだったんだけど、ふたりの大きな違いは仮面を付けて語れるかどうかだったと(私はそう読みました)。そして三島のつけた仮面の最たるものが「女方」、男性なのに女性を演じることなんだと書いている。芥川も三島も文学の制度からはみ出している、三島は仮面をかぶってはじめて「私」を語ることができた。芥川と三島を介して、橋本さん、自分のことを語っていますよね。
高橋 まさに自分のことですよね。
安藤 『桃尻娘』の玲奈ちゃんは、よく読むと触媒になっているんです。橋本さんが、おそらくはいちばん関心を持っていたのは、木川田源一くんと磯村薫くんという後に同性愛の関係になる男の子たち、あのふたりの物語を描きたかったんじゃないでしょうか。しかも、(略)
そして、以下にとても長く引用する古谷利裕氏の整理を読んでみてほしい。これぐらい長い整理しないといけないぐらいややこしい問題があつかわれているのだが、ある種の注意力を働かせてきた人には、ある程度見えてきたのではないか。問題点はたぶんこうなのだと思われる。
「この世界全体」に対する「いまここの私」の位置づけの徹底を、文章でずうっと続けていると、文章の中にふっと「最後必ず幻想の世界へと旅立ってしまう─そんな不思議な予感を読者に与える」部分が出てくる。「話のない話」として目指すべき文章とはそういうものなのだ。
(※これは実は、梶村秀樹先生の記述姿勢と共通するものがある。資質が必要らしく、多少なりとも似ているやりかたをしている人は中村哲氏と網野善彦氏と阿部謹也氏と鹿野政直氏と家近良樹氏ぐらい。ここに晩年の高木仁三郎氏とカール・セーガン氏をいれていいかもしれない)
視点変更の結果にわかには信じがたいものが姿を現したが、こうなってくると芥川の残した発言のすべてがつながってくるように私は思えた。しかし、非常に残念なことに、私の力量ではとても立証しきれないので、いま私がするのは、証拠集めだけにする。
改めて読み直すと、芥川は「歯車」のどこでも「小説」を無意味だと書いていない。そんなふうに見える部分があるだけで、断定はしていない。考えてみればおかしな話だ。そして私もふくめた読者がそれに気がつかないのもおかしな点だ。
芥川龍之介はともかくも約10年書いているという重大な事実。実は師匠にあたるのは夏目漱石だけでなく、森鴎外も文章上の師匠にあたる。
そして、平易に見える芥川の文章は(前期後期が分かれているがいちおうおいておいて)決して日本文学の主流なんかではない! 実際、文壇では自殺前後の約20年間、評価が低かった。
そして2000年代以降も、小説の歴史の再評価というか再整理のなかでも、芥川大好きも芥川徹底敬遠もなかなか見つからない、という奇妙な状況がすべての読者の間で続いている。太宰治と三島由紀夫はどうしても位置づけを必要とするが、芥川龍之介は位置づけが必要なさそうで、決してそうではない。考えて正確な正確な師弟関係を記述しにくい変なことをし続けていた作家だ、そこがわかった。
それと同じように、橋本治の平易なようであまり例のない文章で書かれた「巡礼」「橋」「リア家の人びと」「草薙の剣」は、あまり評価が低い。とくに奇妙に見える「草薙の剣」は、本格的推薦が現在1点「はじめての橋本治論」収録の「私たちの百年の戦記」しか販売されていない。
芥川は自殺の直前まで、「小説はだれにとっても無意味だ」などとどこにも書いていない。そもそも書くのをやめようともしていない。
このことに気がついて、私は30秒ほど頭が真っ白になった。
これは誰かが指摘しているのかもしれないが、ほとんど注意されていない。
まだ続きを書く予定。
それにしても主流の中の主流の作家に対してまだ書くことがあるというのにすぐ私は驚いた。
ところで橋本治は「芥川に捧ぐ」のなかで橋本治は「青春」について、こんなふうに書いていた。
もし一九六九年がどういう年だったかを問題にされるなら、それはこういう年だったと言われるだろう――それまで“未熟”という意味に使われていた「青春」という言葉が、「片輪」という意味に使われ始めた年だと。
1969年以後、「片輪」という言葉で外側から規定されるようになった性質を、「ビョーキ」と言い換えて自称したのが新人類世代の特徴である。『ふしぎと』で高太郎のガールフレンド長月理梨子が後頭部の髪を刈り上げ、黒ずくめのファッションをしているのも、自分は「ビョーキ=片輪」である、ということの表現だし、高太郎自身も自分が抱え込んでいる「暗さ」に自覚的であることで、しっかりと片輪である。
1969年も1983年も同じくらい遠い昔になった2000年代に入って、批評家の古谷利裕は『ふしぎと』について次のように書いている。
この小説には八三年当時の風俗や流行、事件などが積極的に導入されているのだが、それによって小説はいかにも古びて感じられてしまう。(略)
このことは、一見『ふしぎと』の欠点であるかのようにみえるのだが、恐らくそうではない。ここにあるのは超歴史的(普遍的)な視点の拒否であって、[引用者注・この「事件」の犯人である]鬼頭のおじさんやそれをとりまく人々の歴史を振り返って考えている「現在(八三年)」も、決して歴史の外にあるわけではないことを示し、だからそれを読んでいる「現在(ゼロ年代)」(略)もまた、歴史の内部にあるしかない(すぐに古びたものとなる)ことを読者に意識させる。
(「歴史と固有性、そして記憶」)
橋本治は芥川龍之介をどう見たか|chisato_mrt
〔小説批評〕歴史と固有性、そして記憶/橋本治『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』をめぐって|furuyatoshihiro
ミステリからの脱線――橋本治『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』について|円堂都司昭
小説家・橋本治の、よくわかる美文講座。歴史上の作家に学ぶ、美しく綴るための掟 | ブルータス| BRUTUS.jp
普遍としての私、固有名としての私
『秘本世界生玉子』に収録されている「芥川に捧ぐ」という文章で橋本治は、小説における「私」とは、作品と読者とを結ぶ窓口として機能するのだから、「私」の存在は必ずしもしっかりと描かれている必要はなく、無色透明な存在であってもよくて、だからこの「私」は簡単に「普遍」を代行するものと成り得る、と書いている。つまり小説において「私」とは、誰でもないことによって誰でもあり得るような存在の「ある男」である、と。このような「私」の機能は、たんに一人称的な記述における私だけでなく、そもそも三人称的な語りを可能にする語り手の存在こそが、そこを視点として全てが眺められる、無色透明なもの=普遍としての「私」の代表だと言える。しかし、映画やマンガのような視覚的なメディアにおいては、窓口としての「私」は必要がなく(「私」が語り手とは成り得ず)、主役でも脇役でも物でも全て、観客から直接「見えて」しまうという 点で同等であるとする。小説においては抽象的な「ある男=語り手」だった人物も、映画や漫画では 常に特定の「顔」をもった特定の人物として現れるしかないのであって、そこでは「私」を普遍へと曖昧にすり替えることは出来ない、と。例えば、小説において窓口としての「私」は、その容姿を (自嘲することはあっても)読者からあげつらわれることはない位置にいることが可能なのだが、映画においては、それはいつも特定の俳優によって演じられるしかないので、それが出来ない。
映画では私を曖昧なまま普遍へとスライドさせる装置が成り立たない。私は常に、特定の顔、特定の身体をもった誰かであり、それは私以外の誰かと「見られる」という意味で同等な存在であると同時に、他の誰かと取り替えることの出来ない「この私(特定の誰か)」でしかあり得ない。映画では誰でもが一人の登場人物であるしかなく、誰も「語り手=普遍」という位置に立てない(説話構造として「ある人物の回想」という形式で「私=語り手」という構造を採ることは可能だが、それでも全てのショットを主観ショットにするという極端な技法を採用しない限り、回想の主体である当人もそれ以外の人物と同じように画面に映っているので、ショットの次元においては全ての人物が等しく「登場人物の一人」でしかない)。
簡単に言えば、小説(言葉)において、世界が「私」によって見られ、記述されるしかない時、その「私」によるフレーミングによって現れた世界が、私以外の人物にとっても意味のあるもの、ある程度の客観性をもったものとしてあるためには、それを「語る者」である「私」が無色透明な装置となり、誰にでもすんなり共有される(普遍としての)「私」となる必要がある、ということであろう。 勿論、その人物が個性的であることは出来る。しかしその時の「私」は普通との距離において測られた「特殊性(特徴)」をもつことしか出来ない(橋本はこの、普遍を基準としてそこから測られる距離を 「片輪」という言い方で表現する。私は、私であることによってではなく、普遍からの偏差―片輪である度合によってのみ「特徴づけ」られる)。
しかしこの時すでに「私」と呼ばれる人物は私としての固有性を失っており、読者と作品とを結ぶ一つの窓口という機能になっている。小説という「見えない」メディアが力をもっていた時代には、私というフレームが個であるよりも先に普遍であるということが、つまり「ある男」(ここで「私」とは「男」であって、「女」はさらに「男」からの距離によって測られることで「女」であることになる)が年齢、性格、社会的地位、容姿をもっているにも関わらず、それが不問に付されて、普遍として扱われ得る時代であった、とする。つまり、普遍的な「私」によって眺められた世界こそ が、小説(文学)として書かれるべき価値をもつとされていた、ということだ。
しかし現代的な「見える」メディアにおいて、「見える」ということはつまり、具体的な「それ」が見えてしまうということであって、見えているのはいつも「具体的な誰かや何か」で、つまり「個物(個人)」である。そこでは《今現在、そのような顔を持っている彼・彼女がそうであることが真実なのか ? そうであることに、どんな意味を作者が与えているのか ? 》(「芥川に捧ぐ」)ということが問題になる、と。つまり「私」は、普遍的な「ある男」であることが出来なくて、常にたんなる「誰か」として存在する。
このような問題の立て方は、次に要約する柄谷行人と極めて近いとも言える。
柄谷行人 『探求Ⅱ』の第一部「固有名をめぐって」は、「この私」のかけがえのなさについて書かれている。「この私」は、きわめてありふれているにも関わらず、他のものとは取り替えがきかない。この時重要なのは「私」ではなく「この」の方である、と。「私」からはじめられる思考は、「私」(という特性)にあてはまることが、万人(一般性)にもあてはまるということを暗黙の前提としてしまう。つまりそれは、暗黙の前提が通用する共同体内部の思考である。そうではなく、「この私」「この犬」「この物」と言うときの「この」にこそ、かけがえのなさがある。「この」とはつまり「他ならぬこの」ということであり、「他であり得たにも関わらず、現にこうである」ということだ。「この私」のかけがえのなさは、私のユニークさにあるのではなく、他の何かであり得たかもしれないのに、実際にはこのようにしてある、というところにこそある(偶然性と一回性) 。そしてそれは、 固有名においてのみ示される。
柄谷はこれを、文の構造のなかにみる。例えば夏目漱石という人を、『吾輩は猫である』を書いた人という確定された記述に翻訳することは出来ない。「『吾輩は猫である』を書いた人は、小説を書いた」という文は、たんに必然性しか示していないが、「夏目漱石は小説を書いた」という文には、偶然性が含まれている(漱石が小説を書かなかったこともあり得る、にもかかわらず書いた)。漱石が小説を書かなかったかもしれないという「可能世界」は、たんに空想の世界ではなく、現実世界は、常に可能世界を孕んでいる。 つまり、現にこうである、というのは、他であり得たかもしれないにも関わらず、こうである、とい うことであって、可能世界(他でありえたかもしれない)を想定した上でそれを排除することで、現実世界 (こうである)のかけがえのなさが生まれる(現実世界は可能世界を排除することによって、それを孕む)。
固有名が、可能世界でも現実世界でも成り立つということは、固有名が、あり得べき複数の可能性と、 にも関わらず(たまたま)こうであった、ということを同時に示しているということであろう。このような固有名によってはじめて、構造に還元されない、一回性、偶然性を孕んだ「歴史」(かけがえのなさ)が出現する。「なぜ私はここにいて、あそこにいないのか」という問いが示しているのは、 現実的なものの偶然性であり、偶然の絶対性であろう。つまり歴史とは、『「関係の偶然性」の絶体性』を記述することだと言える。
「この私」のかけがえのなさが、「私」にではなく「この」の方にあると言うとき、そこには、「この私」があくまで、限定された、ありふれた存在でしかないことが言われてもいる。だからこれは、私(特殊--片輪)にあてはまることは万人(一般)にあてはまるはずだ、という思考、つまり、私にあてはまることがあてはまらないものはエイリアンであり、人間ではないから排除されるべきだ、という共同体的な思考が批判されているだけでない。「私」を無限定に、ひたすら拡張してゆき、ほとんど「世界」と重なり合うほどに肥大化させなければ気がすまないといった思考への批判でもあり得る(革命の喧噪のなかで自己が無限に拡張されてゆく幻想に囚われる者や、宗教的な恍惚によって自己と世界とを合致させるという幻想に囚われる者、あるいは、一つの体系によって世界を記述し尽くそうという欲望を持つ者など)。この地点でこそ、他でもあり得たかもしれない(可能世界)にもかかわらず、現にこうである(現実世界)という「この」の限定性が必要とされる。
だが、橋本のここでの興味は柄谷のような形式的なところにあるのではないだろう。小説家である橋本にとって問題は、既に普遍性において語ることの出来なくなった「私」に、ではどのように語らせればよいのか、ということだったはずだ。ここで視覚的なメディアが例に挙げられているのは、小説において作品と読者とを繋ぐ媒介=窓口である「私」が、映画やマンガでは、他の人物と同等に 「見られる」ものの一人であるというようなあり方が、小説家である橋本を刺激しているからだと思われる。
同じく橋本による少女漫画論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』において、『巨人の星』の星飛雄馬は、平気でサルマタをはいてガニマタで歩いていられたのに、『すすめパイレーツ』の富士一平にはそれは恥ずかしくて出来ないことになっているのは何故かについての記述があった。つまりここで 星飛雄馬は(視覚的なメディアであるのに)人に「見られる」ことを意識せずただ世界を見ていればよい普遍的な「ある男」(の一例)だったのだが、富士一平は、自分が世界を見る者であると同時に「見られるもの」の一つでしかないことを意識してしまっているから「恥ずかしい」のだ、と。つまり視 覚的なメディアにおいても、固有の身体というものがはじめから意識されていたわけではないのだ。
橋本にとって、窓口としての「私」が、普遍的な装置としてだけでなく、同時に固有の身体を持った具体的な「私」であるためには、世界を「見る」と同時に、世界のなかの無数の誰かによって「見ら れる」ものであり、しかも無数にある「見られるもの」のうちの一つでしかないということが重要だったのだ。そしてこのことが『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』の、あのあまりに も同時代ノリでありすぎる、冗長な記述と深く関わっているように思う。
以下、多少共通する視点がある。
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ひょっとして、岡本かの子の「鶴は五月に」「母子叙情」「老妓抄」はこの問題に対する反応の結果だったのかもしれない。そうでないかもしれない。
40分