『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

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べつに疲労などは感じなかった。 ちょうどわたしが行ったとき、ズヴェーレフは(やはり年は十九歳前後だった)自分の寄食している叔母の家の裏庭に出ていた。彼は食事をすましたばかりなので、庭で竹馬に乗って遊んでいたのだ。彼はさっそくわたしに向かって、クラフトはもう昨日ここへ着いて、やはり同じペテルブルグ区にある以前の住居に落ちついた。そして、彼自身もある重大事件を報告するために、少しも早くわたしに会いたがっている由を告げた。 「またどこかへ行くんだそうだよ」とズヴェーレフがいった。 今の場合クラフトに会うのは、わたしにとって非常な重大事だったので、わたしはすぐさま彼の住居へ案内するように、ズヴェーレフに頼んだ。それはここからほんの一足で、どこかの横町だとのことだった。しかし、ズヴェーレフがいうには、一時間ばかり前にクラフトに会ったが、彼はデルガチョフのとこへ出かけたとのことである。 「だから、デルガチョフのとこへ行こうよ。きみはなんだっていつもぐずぐずするんだい。臆病風でも吹かすのかね?」 実際クラフトは、デルガチョフのところに尻を据えてるかもしれない。としたら、わたしはいったいどこで彼を待つたらいいのだろ`つ?・ デルガチョフのところへ行くのは、臆病風を吹かすわけではないが、どうも気がすすまない。ズヴェーレフはもう三度ばかり、わたしを引っぱって行こうとしたが、いつもこの『臆病風を吹かすのかね』をいいながら、に
やりとあてつけがましい、いやな笑い方をするのであった。わたしは決して臆病風など吹かすのではない、それは前もって宣言しておく。もしわたしが何か恐れているとすれば、原因はまるで別なところにあるので、警察やなんかではもちろんない。しかし、今度は行くことにきめた。デルガチョフの住居も、ほんの一足のところだった。みちみちわたしはズヴェーレフに向かって、やはりアメリカ逃亡の計画をいだいているのかとたずねた。 「いや、もう少し待つかもしれない」彼は軽く笑いながら答えた。 わたしはあまり彼が好きではなかった、いや、むしろきらいだった。彼は恐ろしく白っぽい髪をして、まるまるした顔は度はずれに白かった、-みっともないほど、子供じみるほど白かった。背はわたしより高いくらいだったけれども、見たところ、十七そこそこにしかとれなかった。この男とはまるで話がなかった。 「いったいあすこで何をやってるんだろう? いつでも人がわいわい集まってるのかい?」根本的に事態を明らかにするために、わたしはこうきいてみた。 「いったいきみはなんだって、そんな臆病風を吹かすんだい?・」と彼はまた笑いだした。「ええ、うるさい、黙っていたまえ」とわたしはとうとう腹を立てた。「なに、決してわいわい集まってやしないんだよ。ただ知合いの者が来るだけで、みんな仲間ばかりだから、安心したま
え」 「仲間だろうがなかろうが、そんなことをぽく知るもんかい!・ いったいぼくもあの連中の仲間だというのかね? どうしてぽくのことをそんなふうに信じうるんだろう?」 「ぼくがきみを連れて来た、ただそれだけでたくさんじゃないか。みんなもきみのうわさは聞いて知ってるんだからね、クラフトだってやはりきみを紹介することができるじゃないか」 「ねえ、キヽみ、あすこにヴァージンがいるだろうか?」 「知らないよ」 「もしも来たらね、はいるといきなりぽくを突っついて、どれがヴ″Iシンか教えてくれたまえ。いいかい、はいるといきなりだぜ」 ヴァージンについては、わたしもかなり聞き込んだことがあるので、だいぶ前から興味を感じていたのだ。 デルガチョフは、ある女商人の木造の家の裏庭に立っている小さな離れに住まっていたが、そのかわり、離れをぜんぶ借り切っているのだった。みんなでふ綺麗な部屋が三つあって、四つの窓にはすっかりカーテンがおろしてあった。彼は技師としてペテルブルグで仕事をしていた。が、わたしのちらと耳にしたところでは、彼は地方に有利な職務をえたのでヽ近々そのほうへ出発するとのことであった。 わたしたち二人が小さな控え室へはいるやいなや、次の間から大勢の人声が聞こえた。何やら夢中になって論じてるらしい。だれやらrQuae medicamcnta non sanant「fcrrum
sanat「 quae fcrrum non sanat「 ignis sanat ! J(もし薬をもって癒すをえざれば、鉄をもって癒すべし、鉄いやすをえざれば火をもっ・竿べy・)(睦U訌勁ご訃崕岼)といった。 わたしは実際のところいくらか不安を感じていた。もちろん、わたしは人中(どんな人であろうとも)へ出ることに馴れていなかった。中学校では、友達ときみぼくで呼び合っていたけれど、だれ一人としてほんとうの親友ができなかった。わたしは自分の小さな世界を造り上げて、その中に閉じこもってしまったのだ。しかし、わたしが周章を感じたのは、これがためではない。とにかく、わたしはどんなことがあろうとも、決して人と議論をしまい、だれひとりわたしについてなんらの結論を下すことができないように、ごく必要なことしか囗に出すまい、と誓った。が、何よりかんじんなのは、議論しないことだ。 狭すぎると思われるくらいな部屋の中には、七人(女をよせると十人)の人が集まっていた。デルガチョフは今年二十五だったが、もう結婚していた。そのうえ、細君には妹ともう一人親戚があって、この二人もやはりデルガチョフのところで暮らしていた。部屋の飾りつけはいい加減なものだったが、椅子テーブルの数はかなり豊富で、しかもなかなかさっぱりしていた。壁には石版の肖像画がかかっていたが、恐ろしい安物だった。片隅には袈裟のない聖像が安置してあり、その前には燈明がついていた。デルガチョフはわたしのそばへ歩み寄って、握手をすると、席に着くようにいった。「さあ、おすわんなさい、ここにいるのはみんな仲間の連中



です」 「どうぞ」非常に質素ななりをした、かなり愛くるしい若い女が、すぐにこういい添えた。そして、ちょっとわたしに会釈して、そわそわ部屋を出て行った。 これは彼の妻であった。察するところ、彼女も同じように議論をしていたが。今ちょっと子供に乳を飲ませに行ったものらしい。部屋の中には、まだ二人の婦人が残っていた。一人はだいぶ背の低い二十歳恰好の女で、黒い着物をきていたが、やはり醜いほうではなかった。いま一人は三十前後の、こつこつした、目つきのぎょろっとした女だった。二人ともじっとすわって、一心に耳をすましていたが、会話には口を出さなかった。 男のほうはどうかというと、みんな立つたままで、すわっているのはわたしのほかに、クラフトとヴァージンの二人きりだった。エフィームははいるやいなや、この人をわたしに指さしてくれた。わたしはクラフトのほうも生まれてはじめて見るのだった。わたしは席を立って、初対面の挨拶に彼のそばへ寄った。グラフトの顔は一生わすれることができない。べつに取り立てていうほどの美しさではないけれど、何かしら極度に柔和な優しいところがあった。もっとも、そうはいうもののヽ犯すべからざる品位は、彼のからだ全体に現われていた。年は二十六、かなりやせぎすで、背は中背より少し高く、髪は亜麻色をして、顔はまじめではあるが、もの柔かな表情をおびていた。全体に、なんともいえぬ落ちついた、静かなあるものが感じられた。
 けれど、もしかりに人が、そんならお前は顔を取り換えるかときいたら、わたしはいやだというに違いない。わたしの顔はすこぶる下品かもしれないが、それでも、あれほど気持ちよく感じられる彼の顔と交換しようとはさらさら思わない。彼の顔には、自分のものとするのが望ましくない何ものかがあった。それは何かこう秘密な、自分自身さえ知らないような矜持、精神的意味における極度の平静、―とでもいったようなものだった。しかしそのときは、ここに書いた文字どおりの判断はできなかったらしい。今から考えてみると、わたしがこういうふうに解釈したのは、あの事件のもちあがった後のことらしく思われる。 「きみ、ちょうどいいところへやって来ましたね」とクラフトはいった。「ぼくはきみに関係した手紙を一通もってるんですよ。ここでしばらく話してから、あとでぽくんところへ デルガチョフは中背で、肩幅の広い、しっかりしたプリュネットで、大きなあご鬚を生やしていた。その目の中には鋭い洞察力が表われていたし、ぜんたいに控え目な、なにかたえず油断のない性質がうかがわれた。どちらかといえば、黙うているほうが多かったが、明らかに一座の会話を左右しているらしかった。ヴ″Iシンについては、非常に頭のいい人といううわさを、かねがね聞いていたにもかかわらず、その容貌はあまりわたしを驚かさなかった。髪は白っぽい色をして、大きな目は薄い灰色をおび、顔の表情は開けっ放しだったが、それと同時に、なんとなく過度に堅固なところがその
中にあった。一見して、無口な性質と察せられたが、目つきはまったく利口らしかった。デルガチョフの目より聡明そうで深みがあるI部屋中のだれよりも利口そうだ。もっとも、わたしは万事誇張しすぎるかもしれない。そのほかの連ヽ中では、今わずか二人だけしか思い出せない。一人は背が高くて、顔の浅黒い、黒い頬髯を蓄えた、二十七ばかりの男だったが、学校教員か何からしく、むやみによくしゃべった。それからいま一人は、わたしとおない年くらいの青年で、口シヤ風の外套を着ていた。すべてを胸の中に畳み込んでいる‐ような、口数の少ない男で、黙って謹聴しているほうの仲間だった。後で聞いてみたら、農民出身だとのことである。 「いや、これはそんなふうにいっちゃだめだ」察するところ、さきほどの論争のつづきらしく、黒い頬髯を蓄えた学校教師はこう切り出した。彼はだれよりいちばん興奮していた。「数学的証明については、ぽくなにもいわないけれど、しかしぼくが数学的証明なんかなくっても、信じようと思っている理想は……」 「チホミーロフ君、待ちたまえ」とデルガチョフが大きな声でさえぎった。「いま来た人たちには、なんのことかわかん‘ないよ。これはね、きみ」とつぜん彼はわたし一人に向かって、こういった(正直なところ、もし彼がわたしを新参者として試験しようとか、あるいはわたしに何かいわせようとか、そういう考えをもっていたとすれば、彼のとった態度は、まさに巧妙なものといわなければならない。わたしはすぐそれに気づき、ひそかに心構えをした)。「ほかじゃありま
せん。ここにいるクラフト君ですね、この大は毅然たる性格と堅固な信念によって、われわれの仲間によく知られた大なんですが、今度きわめて平々凡々たる事実のためにきわめて非凡なる結論に到着して、みんなを驚倒させたのです。つまり、この人の結論によると、ロシヤ国民は第二流の国民だというのです……」 「第三流だよ」とだれかが叫んだ。 「……第二流の国民であって、単により高尚な民族のために材料となるのだ、人類の運命に独立の役まわりを演ずることはできない、もうちゃんとそう定められているのだ、とこういうんです。クラフト君はこの結論の結果(それは、ことによったら、正しい説かもしれませんが)、今後あらゆるロシヤ人の行動は、この思想のために麻痺してしまい、いわば、すべての人の手は力なくさがってしまうに相違ない、という確信に到着したわけなのです。それで……」 コアルガチョフ君、ちょっと失敬、これはそんなふうにいっちゃだめだよ」とまたもやチホミーロフが、我慢しきれないで口を入れた(デルガチョフはすぐに譲った)。「なにしろクラフト君は、まじめな研究をしたのだからね。生理学の基礎に立って結論を帰納し、その結論を数学的に正確なものと認めてるんだし、それに自分の想念のために、二年くらいつぶしたことだろうから(ぼくだったら〃――(先験的)に、平然としてそれを承認したんだがなあ)、-それらの事情に免じて、つまりクラフトの骨折りとまじめな態度に免じて、この問題はフェノメン(一「皿」として取り扱わんけりゃならん。



 概して、これらすべてのことから、一つの問題が生ずるのだ が、それをクラフトは理解できないのだ。したがって、われ われはまず第一にこの点を、つまり、クラフトの無理解とい うことを、研究せんけりゃならん。なぜならば、これはフェ ノメンなんだからね。ぜんたいこのフェノメンは単一無二の 偶然事として、解剖台にのぼすべきであろうか、それともま たさらにノーマルな現象として、くり返されるような性質を 有しているか、それをまっさきに解決せんけりゃならんの だ。これは、われわれ共同の事業から見ても、興味ある問題 だよ。ロシヤのことについては、ぼくもクラフトの説を信じ るよ。いや、さらに一歩すすんで、むしろ悦んでるとさえ斷 言しよう。もしこの思想が万人に体得されたら、みんなかえ って自由になって、愛国的な偏見から解放される者も多いわ けだからね」 「ぼく、何も愛国心のためにいったんじゃないよ」とグラフ トはなんとなく無理な感じのする調子で答えた。  こうした論議は、彼にとって不愉快そうに見えた。 「愛国心かどうかという問題なぞは、しばらくおいてもかまちないよ」今まで恐ろしく黙り込んでいたヴァージンが、こ う囗を切った。 「しかし、どういうわけでクラフトの結論が、一般人類の福 祉に対する努力を弱めるんだろう、ぼくには合点がいかない ね」と学校教師が叫んだ(大きな声でわめくのはこの男一人 きりで、あとの者はみんな小声に話していた)。「かりにロシ ヤが第二流の地位におとされたとしても、われわれはロシヤ
一国のために働かんならんというわけはないからね。それに、クラフトがもうロシヤを信じなくなったとすれば、どうして彼を愛国者と呼ぶことができるんだ?」「それに、ドイツ人(銘訌隘詐)じゃないか」またしてもこういう声が聞こえた。「ぽくはロシヤ人だよ」とクラフトがいった。「それは直接、事件に関係のない問題だよ」とデルガチョフが、横槍を入れた者にやり返した。「諸君は、自分のせせこましい思想の世界から出なくちゃだめだ」チホミーロフは、だれのいうことも聴こうとしなかった。 「もしロシヤが、より高級な民族の材料にすぎんとすれば、そういう材料になったらいいじゃないか。それだって、なか・なか体裁の悪くない役まわりだよ。行動の範囲を拡めるという意味からいったら、そうした思想に安住できんことはないじゃないか? 人類はいま甦生の前夜に臨んでるんだ、もう始まってるくらいなんだ。われわれの眼前に厳然と控えている目的が見えないのは、ただ目くらばかりだよ。もしきみがロシヤに対する信仰を失ったら、もうロシヤなんかうっちゃってしまいたまえ。そして、未来のために、まさに来たらんとしている未知の民族のために働きたまえ。その民族は種族の差別なしに、全人類から成り立つものなんだ。またそれでなくても、ロシヤはいつか死滅してしまうんじゃないか。どんなに豊かな天賦を有する国民でも、たいてい千五百年か、多くも二干年の命を支えるにすぎんのだよ。実際、二千年だろ
うと二百年だろうと、五十歩百歩じゃないか。ローマ帝国だって、生きた形では千五百年と支えられなくって、やっぱり一種の材料と化してしまったからね。ローマ人はもうとっくの昔にいなくなったが、しかし彼らは一つの思想を残していった。そして、それが未来の一分子として人類の運命に入り込んだのだ。だれにもせよ一人の人間に向かって、お前は何もすることがないなんて、どうしていうことができる? ぼくは、いつか何もすることがなくなってしまうような、そんな状態を想像することもできんくらいだ! 人類のために働きたまえ、それ以外のことは心配しなくっていいんだよ。もし注意して周囲を見つめたら、この人生が足りんくらい仕事はうんと出て来るさ」 「自然と真理の法則にしたがって生きなきゃならないわ」とデルガチョフ夫人が戸の陰からいった。戸はほんの心もち開かれて、その隙間から子供を抱いたまま(もっとも、乳を隠していた)、じっと立って、一生懸命に耳を傾けている彼女の姿が見すかされた。 クラフトは、微かにほほ笑みながら聴いていたが、とうとういくぶん悩ましげな様子で囗を開いた。ただし、その調子には強烈な真摯の響きがこもっていた。 「ぽくにはどうしても合点がいかないのだ、-自分の理知も心情もぜんぜん屈服してしまうほど、強い思想の支配を受けていながら、その思想以外の何ものかによって生活をつづけうるということが、どうしても合点いかないんだよ」「しかし、きみの結論は間違っている。きみの思想は誤謬に
すぎない。したがってきみは、単にロシヤが第二流国の運命を背負っているというだけの理由で、有益な共同事業からみずからを除外する権利は、絶対にこれっからさきも持っていない、-こういうことを、論理的、数学的に証明するものがあったら? もし狭い宿命の視界のかわりに、無限が展開されていることが証明されたら? 狭い愛国思想のかわりに……」 「ええっ!・」とクラフトはしずかに手を振った。「ぼくはいまきみにそういったじゃないか、これは愛国心の問題じゃないって」 「ここには明らかに誤解があるんだよ」とつぜんヴァーシyが囗をはさんだ。「間違いの原因はほかではない。つまり、クラフトのは単なる論理的結論ではなくて、なんていうか、その、感情に化してしまった結論なんだ。人間の性情はみん’な一様なものでないからね。中には論理的な結論が強い強い感情となって、その人の全存在をわしづかみにしてしまう。こうした感情は追い出すことも、鍛え直すこともきわめて困難になる、そういう種類の大がままあるものだよ。こういう人間を治療するには、この感情を変えてしまわなければならないが、そうするにはどうしてもそれと同じくらい強烈な、’ほかの感情をかわりに与えなければだめだ」 「それは間違いだ!」と議論家の教師は吽んだ。「論理的結論は、それ自身偏見を分解させてしまう。合理的な信念もやはり同じ心持ちを生むものだ。思想は感情の中から生まれるものだが、今は逆に人間の中に落ちついてしまうと、さらに



また新しい感情を形づくるんだからね!」 「人間にもずいぶんいろいろ変わったのがあるからね。ある人は容易に感情を変更するけれど、またある人はそうするのに非常な困難を感じるものだよ」もう議論をつづけたくないらしい調子で、ヴ″-シンはこう答えた。わたしは彼のこの思想にすっかり感心してしまった。 「それはまったくきみのいったとおりですよ!」ふいにわたしは氷を割ってI気にしゃべりだしながら、彼に向かってこういった。「まったくある感情を変えようと思ったら、そのかわりに別な感情を与えなくちゃだめですよ。四年ぽかりまえ、モスクワである一人の将軍が……いや、実はぽくも親しくその人を知ってたわけじゃないが……あるいは彼自身かくべつ尊敬に価する人でもなければ、事実そのものも合理的でないかもしれませんが、しかし……とにかくこの将軍が子供を一人なくしたのです、-いや、実際は一人じゃなくって、女の子が二人あったのを、引きつづいて猩紅熱でなくしたのです……ところが、どうでしょう、その人はすっかり落胆してしまって、始終くよくよしてばかりいるのです。あまりふさぎようがひどいので、訪問してその顔を見るのも気がひけるくらいでしたが、-とどのつまり、半年ばかりたって死んでしまいました。将軍がこのために死んだということは、もう間違いのない事実です! してみると、いったい何をもって彼を蘇生さすことができたか? それに対する答えはほかでもない。同等な力を持った感情です! 墓の中からその二人の女の子を袒り出して、彼の于に返してやる、これ
がすべてです。でなければ、何かこれに類したことです。しかし彼は死んでしまいました。ところで、ある人は彼に立派な理論をならべ立てたかもしれません。人生ははかないものだとか生者必滅だとか、または年鑑の中から統計表を引き出して、猩紅熱で死ぬ子供が何人あるとか、そんなお説教をしたかもしれませんが、しかし……その人は退職になっていたのです……」 わたしは息を切らし、あたりを見まわしながら、言葉を休めた。 「これはまるで見当ちがいだ」とだれかがいった。 「きみの引いて来た事実は、今の場合と性質を異にしていますが、しかしそれにしても、類似はあります。そして、事態を説明する足しになりますよ」とヴ″Iシンはわたしにいった。
 ここでわたしは読者に対して、なぜわたしが『思想の感情』に関するヴ″Iシンの議論に、ああも感心したかというわけを、自白しなければならぬ。また同時に、わたしの感じた烈しい羞恥をも自白しなければならない。わたしは、ズヴェーレフの想像したような原因ではないけれども、実際デルガチョフのところへ行くのを恐れたのだ。まだモスクワにいる時分から、彼らを恐れていたので、それで臆病風を吹かせたのだ。彼らは(しかし彼らの中の甲にしろ乙にしろ、そんなことはどうでもいいのだ)、彼らは弁証家だから、ことに
よったら、わたしの『理想』を粉微塵に打ち砕くかもしれない、そう思ったからである。わたしは自分の理想は決してだれにもわたしゃしない、だれにも口外することではない、とかたく決心していたが、しかし彼らは(といっても、やはり彼らにかぎったことはないので、そういったふうの人たちの全体をさすのだ)彼らは、わたしが自分からそんなことをおくびにも口外しないでも、わたしの理想に幻滅を感じさせるようなことをいいだすかもしれない。それに『わたしの理想』の中には、自分一人で解決のつかない疑問がだいぶある。けれど、わたしは自分以外の人間にそれを解決してもらいたくないのだ。この二年間、わたしが本を読まなくなったのも、つまり、わたしの『理想』にとって不利な個所に行きあたり、そのために恐ろしい震撼を受けはしまいか、という恐れがあったからである。 ところが、いまとつぜんヴァージンが一時にわたしの懸案を解決して、しかも最高の意味においてわたしを安心させてくれたのである。実際、わたしは何を恐れていたのだろう1彼らがそもそも何をなしえたろう、-たとえ彼らに弁証法があるとしても! もしかしたら、ヴァージンのいわゆる『思想の感情』ということを理解したのは、あの一座の中でわたしI人きりかもしれない! そうだ、まったく美しい思想は、否定したばかりでは不十分だ、それにかわるべき同様に美しいものを与えなければだめだ。でなかったら、彼らが何をいったにしろ、わたしはどんなことがあっても、自分の感情と別れたくないから、心の中で無理にも彼らの否定を否
定してしまうに相違ない。ところで、彼らは何をかわりに与えうるのか? こういうわけだから、わたしはもっと男らしくすべき義務があったのだ。ヴァージンの言葉で夢中になったわたしは、急にある羞恥を感じた。そして、自分がとるにも足らぬ子供のような気がした。 このとき、一つの恥ずべき心持ちが湧き出したのだ。なにも自分の利口さ加減をひけらかそうといういまわしい心持ちが、わたしに氷を割らして、囗をきかしたわけではないけれど、『首っ玉に齧りつきたい』という希望もたしかにあったのだ。この首っ玉に齧りつきたい、みんなにいい子だと思われて抱きしめてもらいたい、といったような心持ちを(匸冐にしてつくせば、下司根性だ)、わたしは恥ずべき性情の中で最も卑しいものと考えていた。しかも、ずいぶん前から、内部にそれがありそうに思われてならなかったのだ。それはまだわたしがあの長い年月辛抱して、片隅の生活(もっとも、それを後悔してるわけではないが)をしている時分からのこ’とだ。わたしは、人中にあっては、人づき合いのわるい顔をしてふるまわなければならぬということを承知していた。わたしはいつもこんないまわしいことがあった後で、いや、なんといっても思想だけは自分のほうについている、依然として秘密のままだ、だれにも渡しゃしなかったと考えて、わずかに慰められていたのである。時としては、もしだれかに自分の思想を明らかにしたら、心中忽然として無に帰してしまい、その辺の有象無象と同じようになり、ことによったら。思想さえ棄てるようなはめになるかもしれない、こんな想像



をして胸をおどらすこともあった。そういうわけでわたしはそれを一生懸命、大切に秘蔵して、饒舌をつつしむようにしていた。 ところが、今デルガチョフのところで、ほとんど初陣早々から、自制することができなかったのだ。むろん、何もうち明けはしなかったが、ゆるすべからざる饒舌を弄したのである。いまわしいことをしてしまったのだ。実にいやな記憶だ!・ いや実際、わたしは人中で暮らすことができない。今でもわたしはそう思っている。これはむこう四十年間くらい真理なのだ。わたしの理想はI隅っこだ。
      5 グ″Iシンがわたしを讃めるやいなや、わたしは急にしゃべりたくてたまらなくなった。 「ぽくにいわせれば、どんな人でも、信念から出たものなら、自分の感情を持つ権利があります……そして。だれ一人それを非難することができないのです」とヴ″Iシンに向かっていった。わたしは勢い込んでいったけれど、まるでわたしではなくほかの人間がいったようで、口の中では借りものみたいな舌が重々しく動くのであった。 「ヘーえ?」と一人の声がすぐに引き取って、さも皮肉らしく言葉尻を引いた。それは例のデルガチョフをさえぎり、クラフトをドイツ人だといったのと同じ声で、わたしはこれをぜんぜん取るに足らぬ雑輩と思ったので、わざと学校教師のほうへ振り向いた。まるでこの男が半畳を入れた当人かなん
ぞのように。 「ぼくの信念はほかでありません、何人をもあえて批判せずということなんです」わたしはもう自分でも、しゃにむに坂をすべり落ちるということを知りながら、体をぶるぶるふるわせてこういった。 「なんだってそう秘密にするんだね?」またもや雑輩の声が響いた。 「だれでも自分の思想というものを持っています」わたしは執拗にチホミーロフを見つめたが、こちらはかえって黙り込んだまま、にこにこわたしを眺めているのであった。 「きみでも?」と雑輩が叫んだ。 「話せば長たらしくなるけれど……ぼくの思想は部分的にいうと、どうかおれにかまわないでくれ、ということになるん’です。ぼくにたとえニルーブリの金でもあるあいだは、だれの指図も受けないで(ご心配はいりません、ぽくは駁論のあることを知っています)、何もせずにいたいのです。たとえ‘今クラフト氏に説かれた、偉大なる未来の人類のためでも、ぼくは働きたくない。個人的自由、つまり、ぼく自身の自由が何より第一番で、その後はまるで知ろうとも思いません」 わたしが腹を立ててしまったのが、間違いのもとなのだ。 「じゃ、きみは、食い足りた牝牛の幸福を、宣伝されるんですね?」 「それでもかまいません、牝牛に腹を立てる者はないんですからね。ぼくはだれに対してもなんの義務もない。ぼくは盗まれたり、なぐられたり、殺されたりしないために、租税と
して社会に金を払うけれど、それ以上だれ一人として、何ものをもぽくから要求する権利がないのです。ぼくも個人としては、あるいは別の思想をいだいていて、人類のために奉仕する気になるかもしれません。事実、奉仕するかもしれません。もしかしたら、その辺の宣伝者流より、十倍も余計に奉仕するかもしれませんさ。ただだれ一人として、ぼくにそんなことを要求する権利がないのです。クラフト氏のように、強制されるのがいやなんです。たとえ指一本上げないとしても、それは絶対にぼくの自由です。そこいらじゅうを駆けずりまわって、人類愛のためにみんなの首っ玉にぶらさがって感激の涙に燃えるなんかは、ただ流行にすぎませんよ。なぜぽくは必ず自分の隣人とか、またはきみがたのいわゆる未来の人類とかを、愛しなければならないのでしょう。そんなものなんか、ぼくも一生見ることもできなければ、向こうだってぽくのことを知るはずもないじゃありませんか。そしてまた、地球が氷のような石となって、空気も何もないスペースの中を、同じ氷のような石の数限りない群とともに回転するとき(実際これ以上に無意味なことは、想像もできないくらいです!・)そのとき人類はなんの跡かたも追憶もなく、朽ち果ててしまうのじゃありませんか(時間なんてものはここではなんの意味もありはしません)。これが君がたの教義なんです! ねえ、いったいなんだってそんなことに感謝しなきゃならないんでしょう。まして万物の存続は、ほんの一瞬の間にすぎないんですからね」 「おうや、おやI」と例の声が叫んだ。わたしはまるでいっ
さいの絆を切り捨てたような気持ちで、これらの言葉を神経的に毒々しく吐き出したのである。わたしは自分でも、深い穴の中に飛び込んでるなと感じたが、それでもはたからの弁駁を恐れて、やたら無性に急いだ。わたしの言葉はまるで箍で粉でもおろすように、連絡も何もなくめちゃめちゃで。論理の順序を無視して、十の思想をおどり越し、第十一番目の思想に移ったりした。それは自分でもようくわかっていたけれど、なんでもかでも彼らを説伏し、ひとり残らず征服してしまおうとあせったのだ。実際それはわたしにとって、非常に重大なことなのだ! わたしは三年間その準備に過ごしたのである。しかし、妙なことに、みんなとつぜんだまりこんでしまった。まったくひとことも囗をきかないで、ただわたし’のいうことを聴いているだけだった。わたしは依然として、教師に向かってしゃべりつづけた。 「そうなんです。これは、ある非常に賢い人がいったことなんですが、『人はなぜ必ず高潔であらねばならぬか?』という問題に対する答えほど、むずかしいものはないのです。ところで、世間には三種類の異なった卑劣漢があります。第一は無邪気な卑劣漢で、自分の卑劣な行ないはこの上もない高潔な人格の現われだと、確信してる連中なのです。第二は羞恥を感ずる卑劣漢、つまり、自分で自分の卑劣な行ないを羞じている連中なんですが、それでもやはり、その卑劣を最後まで意識して押し通すのです。それから最後は単に卑劣漢、つまり混りっけなしの卑劣漢です。話がわき道へはいるようですが、ぼくの友達にランベルトという男がありました。ま



だ十六ばかりの時分に、ぼくをつかまえてこんなことをいうのです。おれが金持ちになったら、貧乏人の子供がかつえて死んでいるようなときに、たくさんの犬をパンや肉で飼ったり、貧乏大が焚くものがなくて困っているときに、薪屋の薪をすっかり買い占めて、それを原っぱへ積み上げ、人のいない原っぱをさんざん暖めて、貧乏大に燃えさし一本くれてやらない、それが何よりいちばんの楽しみだというんです。これがその男の心境なんです1・ ねえ、もしこの混りけなしの悪党が、『いったいなんのために大は必ず高潔でなくっちゃならないんだ?』ときいたら、ぼくはそもそもなんと答えたらいいのでしょう? ことに、諸君がこんなふうに改造した現代においては、なおさらこの感が深いですよ。なぜって、これより悪い時世は、かつてなかったんですからね。諸君、現代の社会では、一切のことがまるっきり曖昧になってしまいました。諸君は神も否定した、功業も否定した。それだのに、盲目な、鈍い、無神経な間接的影響などというものが、どうしてわれわれを自己の利益に反して行動させる強制力を持ってるもんですか? こういえば、諸君は『人類に対する合理的な態度も、やはりわたしの利益だ』と答えるかもしれない。けれど、もしぽくがこうした合理的行動を、共同宿舎やファ yジエ 空想的社会主義フーリエの考えた理 f L9/ kj111   1フヽヽヽ  (t社会の単位である一種の共産団体 )を すへてリ合理的なものと見たら、どうするんです? ぽくはこの世にただのI回しか生をうけないんですから、そんな規則も、命令も、いっさい用はありません、未来なども、ぽくの知ったことじゃありません! 自分の利益は自分一人で判断させて
もらいたいのです、そのほうがはるかに気持ちいいですよ。もし諸君の法典に書いてあるとおり、愛も、来世も、自分の功業に対する感謝も。何一つ与えられないとしたら、千年後に諸君の大切な人類がどうなろうと、ぽくのかまったことじゃありませんよ。いや、事実そのとおりだとすれば、ぽくは思いきってぶらぶらして、自分一人のために のみ圧活します。ほかのものなんか、みんな死んじまったって、かまやしませんさI」 「けっこうなお望みだI」 「もっとも、ぼくだって、いつでもお仲間になって差し支えないよ」 「そのほうが結局いいや!」(これはみんな例の声なのである) ほかの者はみんな沈黙をつづけながら、互いに顔を見合わせたり、わたしを見つめたりしていた。けれど、次第に部屋の隅々から、くすくすという笑い声が起こってきた。その声はまだ低かったけれど、みんな面と向かってわたしを冷笑しているのだ。ただヴ″Iシンとクラフトだけは笑わなかった。黒いあご鬚を生やした男も、やっぱりにたにたしながら、じっとわたしの顔を見つめて聴いていた。 「諸君」わたしは全身をわなわなふるわしていた。「ぼくはどんなことがあっても、自分の理想をうち明けはしません。いや、むしろ反対に、ぽくは諸君の見地に立っておたずねしましょう、-どうかぽくの見地だと思わないでください。なぜって、ぽくはもしかしたら、諸君をみんな集めて東にした
より、千倍も万倍も余計に、人類を愛してるかもしれないんですからね! さあ、一つ答えてください。いま諸君はぜひとも答えなきゃならんのです、義務があります。だって、いま笑ったんだから。ねえ、いったい諸君はぼくを自分の後からついて来させるために、何をもって誘惑しようというんです? いったい諸君の道を歩いたほうがいいってことを、なんで証明しようというんです? 諸君の共同宿舎におけるぽくの個性の抗議を、どう始末するつもりなんですか? ぼくはずっと以前から君がたに会いたいと思ってたんですよ!君がたの理想の社会には、宿舎、共同宿舎があるんでしょう、stricte n6ccssaire(第一必需品)とか、無神論とか、子供ぬきの共通の妻とか、そんなことが諸君の究極の目的なんでしょう。ぼくちゃんと知ってますよ。こんなもののために、つまり、諸君のいわゆる合理性が保証してくれる凡庸な利益の小部分のために、一塊のパンと一本の薪のために、諸君はぼくの個性をぜんぶ引き換えに取ってしまうのです!・ まあ、考えてもごらんなさい。諸君の理想の社会で、がりに人がぼくの細君を連れて逃げるとしたら、諸君はぼくがその相手の脳味噌を叩きつぶさないように、いかなる方法を用いてぼくの個性をおし鎮めるつもりですか? 諸君は『なに、その時分には君だって少しは利口になるよ』というかもしれませんが、しかし細君はそんな賢い亭主のことをなんというでしょう、Iもし少しでも自己を尊敬する気があったらですよ。実際それは不自然じゃありませんか、ちっとは恥をお知りなさい!」
 「で、きみは女のことについて専門の知識があるんですか?」 一種の意地悪い悦びをおびた雑輩の声が響いた。 その刹那、わたしはこの男に飛びかかって、拳固でなぐりつけてやろうかという気が起こった。それはあまり背の高くない、毛の赤みをおびた、そばかすのある男だった、-いや、こんなやつの顔なんか、どうだってかまうもんか1 「ご安心なさい、ぼくはまだ一度も女を知らないのです」初めJ彼のほうへ向きながら、わたしは断ち切るようにいった。 「それは貴重なる報告です。が、婦人もいられることですから、もっと婉曲ないいまわしができそうなもんでしたね!」 しかも間もなく、一座はざわざわと動きだした。一同は帽・子をさがして、帰り支度を始めたのだ。もちろん、わたしのせいじゃなく、ただ時刻が来たからにすぎない。しかし、わたしに対するこうした黙殺的態度は、すっかりわたしの心を羞恥で押しひしいでしまった。わたしも同じようにおどりあ‘がった。 {失礼ですが、きみの名前を聞かしてもらえませんか。しじ}ゆうI生懸命にぼくを見つめていられたようですから」とつぜん学校教師が、下司な薄笑いを浮かべながら、わたしのほうへ歩み寄った。 「ドルゴルーキイ」 「ドルゴルーキイ公爵ですか?」 「いや、ただドルゴルーキイです、もと農奴だったマカールードルゴルーキイの息子で、実は以前自分たちの地主だ?



たヴェルシーロフ氏の私生児です。しかし、心配しないでください。ぼくがこんなことをいったのは、何も今ここでみんなに飛びかかってもらって、同情のあまり仔牛のように泣い七ほしいからじゃありませんよ!」 と、田心い切って無遠慮な高笑いが、一時にくずれるように起こったので、戸の向こうで寝ていた赤ん坊が、目をさまして泣きだしたほどである。わたしは憤怒のあまりに体をふるわせていた。一同はデルガチEフの于を握りながら、わたしには一顧の注意をも払わず出て行った。 「出かけましょう」とクラフトがわたしをつつ突いた。 わたしはデルガチョフに近寄り、一生懸命にその手を握りしめて、同じく力まかせに二三ど振った。 「失礼しました、タドリューモフ(例の赤毛の男である)がしきりにあなたを侮辱して、お気の毒でした」とデルガチEフはわたしにいった。 わたしはクラフトにつづいて出かけた。わたしはもはや少しも恥ずかしくなかった。
 もちろん、今のわたしと当時のわたしとの間には、ほとんど雲泥の相違がある。 依然として『少しも恥ずることなしに』、まるで第二流どころの人物かなんぞのように、平気でクラフトのそばを離れると、わたしは階段のところでヴ″Iシンに追いつき、まるで何事もなかったようにけろりとして、きわめて自然な様子
で問いかけた。 「きみはたぶんぽくの父をごぞんじでしょうね。つまり、ぼくのいうのは、ヴェルシーロフのことなんです」 「ぽくはべつに近づきというわけじゃありませんが」とヴ″Iシンはさっそく答えた(その調子には、心づかいのこまやかな大が恥をかいたばかりのものに対してとるような、わざとらしく婉曲な慇懃さが少しもなかった)。「しかし、多少は知っています。会ったこともあるし、話を聞いたこともあります」  ° 「話を聞かれたとすれば、もちろん、知っていられるに相違ありません、なぜってきみですもの、きみのことですもの!いったいきみはあの人のことをなんと考えます? どうか性急な質問を許してください。ぼくぜひ知りたいんですから。きみはどうお考えです。ぼくはほかの大でなく、きみの意見が必要なんですよ」 「きみはぼくにずいぶん多くを求めますね。ぼくの見ているヴェルシーロフ氏は、自分で自分に大きな要求をする大です。そして実際それを履行するかもしれないが、しかしその結果を他人に弁明するようなことは決してないです」 「それは正確です、恐ろしく正確な評語です。あれは非常に傲岸な人間です。‐・ しかし、潔白な人間でしょうか? あの大のカトリ″ク改宗のうわさをどうお考えです? もっとも、きみはまだごぞんじないかもしれませんね、ぼくわすれていました……」 もしわたしがあれほど興奮していなかったら、ただうわさ
を聞いていたばかりで、まだ一度も話をしたことのない人間に、こんな質問をやたらに浴びせかけるようなことは、もちろんしなかったろう。ただ不思議なのは、ヴ″-シンがわたしの気ちがいめいた態度に気づかないらしいことだった。 「ぽくも何かちょっとそういううわさを聞きましたが、それ。がどのへんまで正確かってことは、わかりませんね」彼は依然、落ちつきはらって、なだらかに答えた。 「まるでうそです! あれは誹謗です。いったいきみは父が神を信じうるなどとお考えですか?」 「あの人はいまきみのいわれたとおり、非常に傲岸な人物です。ところが、傲岸な人物は多く神を信じますよ。ことに幾分か人間を軽蔑してる人には、それがいっそう著しいです。強者というものは、多く一種の自然な要求を持っているようです。というのは人間にしても、物にしても、とにかく、自分の跪拝しうるような何ものかを発見したいのです。強者は時とすると、自分の力を耐えしのぶのがきわめて困難なことがあるものですからね」 「まあ、待ってください、それは恐ろしいほどほんとうに違いありません!」とわたしはまたこう叫んだ。「しかしぼくはただ・::」 「原因はきわめて明らかです。彼らは人間に跪拝しないために神を選ぶのです、1もちろん、自分の心中にどんな現象が生じてるか、自分でも知らないんですがね。神の前に跪ずくのは、それほど屈辱じゃありません。彼らは、熱烈な信者になります。しかし、正確にいえば、熱烈に信じようと欲す
るんだが、彼らはこの希望を信仰そのものととりちがえるのです。そういう人たちの中には、最後に失望してしまうのがとくに多い。ヴェルシーロフ氏に関しては、非常に真摯な性格を有している人だと思いますよ。それに、ぜんたいとして、あの人はぽくに興味を感じさせました」 「ヴァージン君!・」とわたしは叫んだ。「きみはぼくを喜ばしてくれます! ぽくはきみの頭脳に驚くというよりも、むしろきみが、-きみのように純潔な…:ぽくなぞとくらべて、ずっとずっと高いところに立ってる人が、まるで何ごともなかったように、ぽくといっしょにならんで歩いて、そんなに淡泊な、丁寧な調子で話ができるってことに、すっかり驚いちまいました!」 ヴ″Iシンは微笑した。 「きみはどうもぼくを讃めすぎますよ。ところで、まるで何もなかったようにといわれましたが、なに、さっきのことなぞはきみがあまり抽象的な話を好まれるというだけのことですよ。きみはおそらく、あれまでずいぶん長いこと沈黙していたんでしょう?」 「ぼくは三年間沈黙してました。三年間あれをいう準備をしてたんです……ぼくはもちろん、きみがたにばかと見られるはずはなかったのです。なぜって、きみがた自身がずぬけて賢いんですからね。もっとも、ぽくより以上にばかげた真似をするのは不可能だが……しかし、ぽくは卑劣漢に見られてしまったのです!」 「皀に劣漢に?」



 「ええ、もちろんです!・ ねえ、きみはぽくがヴェルシーロブの私生児だなんていったのを……もとの農奴だなんて自慢らしく吹聴したのを、心の中で内々軽蔑しているでしょ 「きみはあんまり自分で自分を苦しめすぎますよ。もし惡いことをいったと思ったら、もう二度といわないようにすれば、それでいいじゃありませんか。きみはまだ前途に五十年という歳月が控えてるんですよ」 「そりゃ、ぼくもよく知っています。ぽくは他人に対してうんと口数を少なくしなきゃならないんです。すべての堕落の中で最も下劣なのは、他人の首っ玉にぶらさがるってことです。ぼくは今もみんなにこのことをいったばかりだのに、もう現にきみの首っ玉にぶら下ってる!・ しかし、違うところはあるでしょう、ね、あるでしょう? もしきみがその相違を理解したら、理解する素質があったら、ぼくはこの瞬問を祝福します」 ヴ″Iシンはまたしても微笑した。 「もし気が向いたら、ぼくのとこへいらっしゃい」と彼はい うた。「ぽくはいま仕事があって忙しいけれど、きみと話するのは愉快です」 「ぽくはさっききみの顔を見て、必要以上に堅固で口数の少ない人という結論を下したんですよ」 「それは非常に肯綮にあたったかもしれませんね。ぼくはきみの妹さんのリザヴェーターマカーロヴナを知っています。去年ルカ(齠辟彩享会いました……ああ、クラフトが立
ちどまりましたよ。きみを待ってるんでしょう。あの男の家はそこを曲がるんです」 わたしはかたくヴ″Iシンの手を握りしめて、クラフトのそばへ走って行った。彼はわたしとヴ″Iシンが話している間じゅう、前のほうを歩いていたのである。わたしたちは無言のまま彼の家まで歩きつづけた。わたしはまだ彼と言葉を交わしたくなかったし、また、できもしなかった。クラフトの性格中もっとも著しい点は、こまやかな心づかいであった。   第4章 謎
      7X クラフトは以前どこかで勤めていたが、同時に故アンドロニコフ氏の手伝いをして、若干の報酬をもらっていた。氏は自分の公務以外に、たえず私の事件を取り扱っていたので、クラフトもそのほうの仕事をしていたのである。わたしにとっては、彼がアンドロニコフ氏に接近していたために、わたしの心にかかる事件についても、いろいろ知っているらしいという点だけでも、非常に重大に思われたのである。ところが、その上にクラフトは、マリヤーイヴ″Iノヴナから(これは中学時代にわたしが永年下宿さしてもらっていた二コライーセミ’Iヌイチの夫人で、アンドロニコフ氏の実の姪にあたるのみならず、氏に養育されて、その寵愛を受けた婦人である)、わたしに手渡しするようにといって、氏から
何やら預かっている由を聞いた。かようなわけで、わたしはまるひと月、彼を待ちかねていたのだ。 彼は二間きりの小さな家で、ぜんぜん孤独の生活をしていた。それに、今はよそから帰って来たばかりなので、女中もおかないでいた。鞄は開けてこそあったけれども、まだ片づけてなかった。そして、いろんなものがいくつかの椅子の上にごろごろして、長いすの前のテーブルには手提鞄や、旅行用の手箱やピストルなどがならべてあった。部屋へ入ったとき、クラフトはひどく考え込んでいる様子で、わたしのことなぞはまるで忘れたようなあんばいだった。途中、わたしが少しも話しかけなかったのに、気がつかなかったかもしれない。彼はすぐ何やらさがしにかかったが、歩きながらひょいと鏡の中をのぞくと、そのまま立ちどまり、まる一分間ばかり、じっと自分の顔を見つめだした。わたしはこの特異な事実に気がついたけれど(後でわたしは何もかもすっかり思い出した)、しかしわたしはそのとき沈みがちで、心がはなはだしく混濁していたので、思想をひとところに集中することができなかった。瞬間、わたしはほとんどそのままぷいと出て行って、こんな事件など永久にうっちゃってしまおうか、とさえ思った。 そもそもこの事件の本体はなんだろう? 要するに、自分で自分に押しつけた、要らざる心配にすぎないのではあろまいか? 自分の目の前には、非常な精力を要する志望が控えている時にあたって、単なる感傷的な心持ちのために、なんの価値もない些事に、多量の精力を消耗しているのではある
まいか、こう考えて、わたしはしばしば絶望に陥ったものである。わたしがまじめな仕事に能力を持っていないことは、さきほどデルガチョフの家で起こった出来事で明らかに証明されたではないか!・ 「クラフト君、きみはまたあの連中のところへ出かけますか?・」わたしはだしぬけにこうきいた。彼はわたしのいったことがよくわからなかった様子で、しずかにわたしのほうを振り向いた。わたしは椅子に腰をおろした。 「あの連中をゆるしてやってくださいI」と唐突にクラフトがいった。 わたしはむろん、これを嘲笑と解した。が、よく彼の様子を見ているうちに、その顔の上に実に妙な、むしろ驚くべき率直の色を発見したので、どうして彼があんなまじめな調子で、彼らを『ゆるしてくれ』と頼んだのか、不思議に思われるくらいであった。彼はわたしのそばへ椅子を据えて、その上に腰をおろした。 「そりゃぼくも自分で知っています、-ぽくはありとあらゆる自尊心の塊りにすぎないかもしれません」とわたしは切り出した。「しかし、ゆるしを乞おうとは思いません」 「それに、ゆるしを乞うべき人がありませんよ」と彼は低い声でまじめにいった。彼はしじゅう低い声で、ゆっくりと話した。 「ぽくは、自分で自分に罪があるのはかまいません………むしろ自分に対して罪があるのを好みますよ……クラフト君、きみの前でこんな法螺を吹くのを許してください。ねえ、きみ



もやはりあのサークルの人なんですか? ぼくはこのことをききたかったのです」 「あの仲間はほかの連中より、ばかでもなければ利口でもありません。彼らはみんなと同じように、気ちがいなんです」 「いったい世間の人はみんな気ちがいでしょうか?」わたしは思わず好奇の色を浮かべ、彼のほうへ振り向いた。 「今の世の中で少しましな人間は、みんな気ちがいですよ。恐ろしく幅をきかしているのは、凡庸と無能の連中です……もっとも、こんなこといってもしようがないが」 こういいながら、彼はまるであてもなく、宙を見つめるようなふうつきをした。そして、何かいいかけては、すぐにぷつりと言葉を切る。なんとなく意気銷沈したような声の響きが、ことに耳立って聞こえた。 「じゃ、ヴ″Iシンもほかの連中といっしょでしょうか?ヴァージンには頭があります、グ″Iシンには精神的な理想があります!・」とわたしは晞んだ。 「精神的理想なんてものは、今まるでありません。とつぜん 一つもないようになってしまったのです。しかも、今までか ってそんなものはなかったように、けろりとしているんです からね」 「以前にもなかったんですって?」 「もうこんな話はやめましょう」いかにも疲れたらしい様子で彼はいった。 わたしは彼の愁わしげなまじめな調子に動かされた。そして自分のエゴイズムを恥じながら、彼の調子に引き込まれて
いった。 「今の時代は、」二三分間、沈黙をつづけた後、依然としてどこか空を見つめつつ、彼は自分のほうからいいだした。「今の時代は中庸と無感覚の時代です。無知に対する情熱、怠惰、事務に対する無能力。すべて出来合いものに対する要求、こういうものの支配している時代です。だれ一人として考え込むものはありません。自分で自身の思想を絞り出す人はまれです」 彼はまた言葉をきって、ちょっと黙りこんだ。わたしは聞き入っていた。 「いま人々は森を濫伐して、ロシヤを裸にしています。畑を疲憊させて荒野に化し、葦の生え茂るように準備してるんです。もしだれか希望をいだいた人間が現われて、木でも植えてごらんなさい、みんな笑ってしまいますよ。『いったいお前はその木が大きくなるまで生きられるかい?』といった調子です。また一方に首を欲する人たちは、千年後にどうなるだろう、てなことを心配してる。人心を囚めるような理想が、まったくなくなっちまったんですからね。みんなまるで宿屋にでも泊まってるようなつもりで、明日にもロシヤから飛び出せるように準備しています。みんないい加減なところで切り上げる目算でその日その日を送ってる……」 「ちょっと待ってください、クラフト君。きみはいま『千年後にどうなるだろうか、てなことを心配してる』といいましたね。ところが、君の絶望……口・。ンヤの運命に関するきみの絶望は……やはりそれと、-それと同じような心配じゃな
いでしょうか?」「あれは……あれは今日もっとも緊急な問題ですI」と彼はいらだたしげにいい、だしぬけに席を立った。 「ああ、そうそう! 忘れていたI」けげんな顔つきでわたしを眺めながら、まるでがらりと変わった声でふいに彼はいった。 「ぽくは用事があってきみを呼びながら、まるで……どヽつか勘弁してください」 彼はとつぜん、夢でもさめたようなふうで、ほとんどあわてないばかりであった。そして、テーブルの上にのせてあった折鞄の中から、一通の手紙を取り出してわたしに渡した。 「これをきみにおわたしします。これはある意味において重要な証書なのです」と彼はきわめて事務的な態度で、注意ぶかくいいだした。わたしはそれからかなりしばらくたってからも、田心い出すたびに感心するのであった。彼にとってああいう切迫した時にあんな心からの注意をもって他人の事件に対し、あんなに落ちついて、しっかりした語調で、それを話して聞かすことができるとは、なんという人間だ! 「これはストルペエフ氏の手紙です。この人の死後その遺言のために、ヴェルシーロフ氏とソコーリスキイ公爵家のあいだに係争事件が起こったわけなんです。この事件は今に裁判で解決されて、きっとヴェルシーロフ氏に有利な判決が下るに相違ない。あの大には法律が味方についていますからね。ところが、二年ばかり前に書いたこの手紙、私信の中には、ヴェルシーロフ氏よりも、むしろ公爵家の利益になるような
遺言の意志、いや、希望が述べてあるのです。少なくとも、ソコーリスキイ公爵家が遺言状の価値を否定する論点は、この手紙によって非常な力をうることになるのです。ヴェルシーロフ氏の敵手はこの証書のためには、多くの代償を払うのもいとわないことでしょう、もっとも、この手紙には蘊とした法律的な意味はないけどね。ヴェルシーロフ氏の家事を管理していたアンドロニコフ氏は、この手紙を自分の手もとに保管していたのですが、死ぬ少し前にこれをぽくにわたして、『大切にしまってくれ』と頼まれたのです、-おそらく死期の近いことを予感して、自分の書類が気にかかりだしたのでしょう。しかし、今アンドロニコフ氏の意図を、どうこうと臆測するのはいやですから、ぽくはただこれだけのことを告白しましょう。氏の没後、ぽくはこの手紙をどうしたらいいか決しかねて、少々困っていたのです。ことに、この事件が近いうちに裁判で決定されるんだから、なおさらです。ところがマリヤーイヴ″Iノヴナが、ぼくをこの窮境から救い出してくれました。あのひとはアンドロニコフ氏の存命中、非常に信任を受けていたらしいのです。で、このひとが三週間前、ぼくんとこへ手紙をよこして、この証書はきみにおわたしするがいい、そうするのがアンドロニコフ氏の意志に最もかなっているらしい(ほんとうにあのひとはそう書いてるのです)、とこう断乎たる調子で勧められたんです。こういったわけですから、さあ、この手紙を受け取ってください。やっとのことでこれを手放せるのが、ぼくじつにうれしいですよ」
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 「でもねえ」こういう思いがけない報告に度胆を抜かれて、わたしは囗を切った。「いったいぼく、この手紙をどうしたらいいのでしょう? いったいどんな態度をとったらいいの 「それはもうきみの心まかせですよ」 「それがだめなんです。ぼくはまったく自由を奪われた人間なんだから、察してください!・ ヴェルシーロフはあの遺産をとてもあてにしていたんです……きみ、知ってるでしょうが、あの人はこの遺産という助けがなかったら、自滅してしまうよりほかありません、-ところが、藪から棒にこんな証書が出て来るなんて!・」 「これはただここだけ、この部屋の中だけに存在してるんです」 「ほんとうにそうかしら?」とわたしは注意ぶかく彼を見つめた。 「もしきみがこの場合、自分でもどうしていいかわからないくらいなら、ぼくにどんな助言ができるというものです?」 「しかし、ソコーリスキイ公爵にわたしてしまうことも、やはりぽくにはできない。そうすると、ぼくはヴェルシーロフの希望をすっかりたたきこわしてしまうばかりか、おまけに、あの人に対して裏切者となってしまうのです……ところが一方、この手紙をヴェルシーロフにわたしたら、ぼくは無辜の人を赤貧に陥れることになるし、ヴェルシーロフをも非常な窮境に導くことになるのです。なぜって、遺産の相続を思いきるか、それとも泥棒になるか、二つに一つですからね」
 「きみはあまり事態を誇大しすぎますよ」 「じゃ、たった一つだけ教えてください。いったいこの手紙は決定的な性質を持ってるんでしょうか?」 「いや、持っていません。もとより、ぽくはそうえらい法律家ではないから、はっきりしたことはいえませんが、むろん、相手方の弁護士はこの手紙の利用法を知っていて、できるかぎりの利益をひき出すことでしょう。しかし、アンドロニコフ氏の確乎たる意見によると、この手紙はたとえ法廷へ提出されても、大して法律的な意義は持ちえないとのことだから、結局ヴェルシーロフ氏のほうが勝訴になるでしょう。いってみれば、この手紙はむしろ良心の問題なんですね……」 「さあ、そこが何よりの急所なんですよ」とわたしはさえぎった。「つまり、それだからこそ、ヴェルシーロフが窮境に陥るんです」 「しかし、あの大はこの書面をいんめつしてしまうこともできますよ。そうすれば、いっさいの危険からのがれることができるわけです」 「クラフト君、きみはあの人のことをそんなふうに想像する、特別な理由を持ってるんですか? それをぼくは知りたい。つまり、そのためにぽくはきみんとこへ来たんですよ!」 「だれでもあの人の位置に立ったら、そういうふうにするだろうとぼくは思うけれど」 「きみ自身もそうしますか?」 「ぽくは遺産をもらわないから、自分のことはどうか知りませんよ」
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 「じゃ、よろしい」手紙をポケ″トヘしまいながら、わたしはこういった。「この話は今これで打ち切りとしときましょう。ところでねえ、クラフト君、マリヤーイヴァーノヴナはまったくのところ、ぼくにいろんなことをうち明けてくれましたが、あのひとがぽくにこういったのです、―一年半ばかり前エムス[E]いいの)で、ヴェルシーロフとアフマーコフー家の間に起こった事件について、赤裸々な真相を伝えることができるのは、きみひとり、-ほんとうにきみひとりしきゃないんですって。ぼくはきみのやって来るのを、さながらいっさいを照らす太陽かなんぞのように、待ち焦れていたんです。クラフト君、きみにはぽくの立場がわからないんです。どうか後生だから、ありのままの真実を聞かせてください。ぼくは何よりも第一に、あの人がどんな人間か知りたい。今、-今はいつよりもそいつが必要なんですから」 「どうしてマリヤ夫人が自分できみに話さなかったのか、ぼく不思議でたまらない。あのひとはなくなったアンドロニコフ氏から、なんでも聞くことができたのだから、このことだってむろん聞いたに相違ないです。ひょっとしたら、ぽくより以上に知ってるかもしれませんよ」 「アンドロニコフ氏自身も、この事件にはかいもく見当が立たなかった。それはマリヤ夫人がいったことたんです。この事件の謎を解きえたのは、まだI人もないらしいですよ。実際、悪魔でもこの中へはいったら、足をくじきそうなほど、入り組んでるんですからね! あのとき君自身エムスにいられたことを、ぼくちゃんと知っていますよ……」
「ぼくも始めからしまいまで、自分の目で見たわけじゃないんだけど、まあ、知ってるだけのとこは、悦んでお話しますよ。ただきみを満足させることができるかどうか、わからないけれど」
      2 わたしは彼の物語を逐語的にしるさず、概略だけにとどめておく。 一年半以前。ヴェルシーロフはソコーリスキイ老公を通じてアフマーコフ家の親友となってから(当時この一家は外国、すなわちエムスに滞在していた)、家族の人々になみなみならぬ印象を与えた。その第一は主人のアフマーコフ将軍だった。これはまださして老人というほどでもないが、三年の結婚生活の間に妻のカチェリーナーニコラエヴナ气いい)の多額の持参金を、きれいにカルタではたいてしまったうえ、放恣な生活のために病をえた。彼はようやく生死の境を脱して、外国で静養していたのである。エムスに滞在していたのは、先妻の腹にできた娘のためだった。それは十七ばかりになる病身の少女で、胸の病気で苦しんでいたが、水際立った美人で、しかも同時に、思いきってとっぴな性質だったとのことである。彼女にはべつに持参金というものはなかったが、ご多分にもれず、老公のわけ前をあてにしていたのだ。人の話によると、カチェリーナは彼女のためによき義母だったそうである。が、どういうわけか、娘は一等よくヴェルシーロフになついた。彼は当時クラフトの言葉によると、『何かしら



非常に熱烈なるもの』を主張して、新しき生活を宣伝し、『高い意味の宗教的気分に浸っていた』のである、-これはアンドロニコフ氏の吐いた奇妙な冷笑的評言であって、その後、わたしの耳へも伝わってきたのだ。 しかし、ここに不思議なことには、間もなくみんなが急に彼をきらいだした。将軍などは彼を恐れるまでにいたった。ヴェルシーロフが病身な夫の耳に、『カチェリーナ夫人は、ソコーリスキイ若公爵(この人は当時エムスを去って、バリに滞在していた)に気がある』などと吹き込んだといううわさは、クラフトもあえて否定しなかった。その吹き込み方もあからさまではなく、『彼二説の方法』で遠まわしに、婉曲にほのめかしたのだ。なにしろ、「そういうことにかけたら、彼はなかなかの名人」だから、とクラフトはいった。概して、クラフトはヴェルシーロフを、実際なにかしら高遠な独創で充たされた人間というよりも、むしろ生まれつき腹黒な悪党と思っているらしい。いや、無理にもそう思いたがっているのだ。ヴェルシーロフは最初、カチェリーナ夫人に対して非常な勢力をもっていたが、だんだん問が遠ざかっていき、ついにはまるで絶交同様の姿になってしまった。これはわたしもクラフトに会う前から承知していた。いったいどういういきさつでそうなったのか、それはクラフトから聴くことができなかった。が、とにかく、初め非常に親しくしていた二人のあいだに、急に恐ろしい憎悪が湧き出したことは、だれもが肯定しているのだ。それにつづいて、もう一つの奇怪な事実がもちあがった’ほかでもない、カチェリーナ夫人の病身な
綰娘が、ヴェルシーロフに恋したらしいのである。彼の有している何ものかにショックを受けたのか、それとも彼の言茱に魅せられたのか、その点わたしにはちっともわからない。ただヴェルシーロフが一時ほとんど毎日のように、この娘のそばにつききっていたことは、みんなに知れわたっている。とどのつまり、娘はとつぜん父に向かって、ヴェルシーロフと結婚したいといいだした。これはほんとうにあったことなのである。それはグラフ下も、アンドロニコフ氏も、マリヤ夫人も、一様に肯定しているのみならず、タチヤーナ叔母も一度、わたしを前において口をすべらしたことがある。 ヴェルシーロフ自身も、この娘との結婚を望んでいたばかりか、熱心にそれを主張していた。それもやはり人々の確言するところである。つまり、この二人のぜんぜん性質を異にした人間、-老人と子供とは、双方合意の上で結婚を申し出たのである。しかし、父親はこうした娘の意志を聞いて、仰天してしまった。彼は初めカチェリーナを夢中になって鴛していたが、だんだん愛かさめていくにしたがって、今度は娘を神様のように大切にしはじめた。ことに病気の発作があって以来、それがさらに烈しくなったのだ。けれど、この結婚に対する最も激烈な反対者は、カチェリーナ夫人だった。さまざまな人知れぬ不快な衝突、争論、涙、-簡単にいえば、ありとあらゆる醜悪な場面が、家庭内で演じられたのである。そのうちに父親は、ヴェルシーロフの『魔法にかかって』(これはクラフトの言葉である)、恋に眼のくらんだ娘の執念に根負けしてきたが、カチェリーナ夫人はあくまで屈せ
ぬ憎悪の念をも‘つて、この結婚に反対しつづけた。このへんから事情がすっかり紛糾してきた、だれ一人それを正確に解くものがなくなったのだ。次にわたしは、断片的な事実を基にしたクラフトの想像をかかげるが、それも同様単なる臆測にすぎない。 なんでもヴェルシーロフは若い娘に向かって、彼一流の方法で婉曲にしかもきっぱりと、カチェリーナ夫人が同意しないのは、彼女自身が彼に懸想していて、すでにとうから嫉妬をもって彼を苦しめ、うるさく彼の後をつけまわし、さまざまな謀計をめぐらしているのみか、早くも彼に自分の恋をうち明けてしまったので、今ではほかの女に見換えられた恨みで、彼を焼き殺しもしかねない勢いである、とI要するにそういったようなことをうまく吹き込んだらしい。何よりも陋劣なのは、彼が『不貞な妻』の夫たる将軍にまで、このことを匂わしたらしい点である。彼はそのとき将軍に向かって、ソコーリスキイの若公爵などは、彼女にとって単なる慰みにすぎなかった、といったとのことだ。もちろん、家庭内はさながら地獄同然の有様になってしまった。また一説によると、カチェリーナ夫人は非常に自分の継娘をかわいがっていたので、今そういう濡衣を着せられて、娘に対して面目ないと、まるで狂気のようになっていたとのことである。病身な夫に対する関係などは、改めていうまでもない。 ところが、どうだろう、これとならんでもう一つヴ″リエーションがある。しかし、悲しいかな、クラフトもそれを信じているし、また、-わたし自身もそれを信じていたのだ
(それはわたしも、前から聞いて知っていた)。人々の確言するところによれば(アンドロニコフ氏などは、当のカチェリーナ夫人から聞いたとのことだ)、それとはぜんぜん反対で、かえってヴェルシーロフのほうがその以前、つまり、娘がそうしたこころを起こさない前に、カチェリーナ夫人にいいよったところ、夫人はもともと彼の親友であって、一時彼の言葉に感激したことさえあったけれど、だんだんに信用を失って、反対を唱えたりするようになっていたので、彼の恋を烈しい憎悪をもって迎えたうえ、毒々しい言葉で彼を嘲笑したのである。そして将軍が二度目の発作のため、近く死ぬに相違ないから、ぜひ自分の妻になってくれとじかに申し込んだのを理由にして、夫人は正式に自分のそばから彼を遠ざけてしまった。こういうわけだから、カチェリーナ夫人は、その後ヴェルシーロフが公然と令嬢に求婚したのを見たとき、彼に対していっそうの憎しみを感じるのが当然だ、というのである。 マリヤーイヴァーノヴナはモスクワで、こういう話をすっかりわたしに伝えてくれたが、そのときもこの二つのヴ″リエーションを両方とも信じていた。つまり、何もかもみんないっしょくたに信じていたのだ。彼女は実際、こういうことがみんな同時に起こったかもしれない、それはまあ1a hainedans Pamour(愛の中の憎しみ)といったようなもので、双方の恋の矜持を傷つけられたために起こったのだろう等々と、つまり、てっとり早くいうと、まじめな常識を持った人間の注意に価しないロマンティックな微妙な恋のもつれで、おま



けに、下劣な分子をも含んでいるのだと、自分でも断言した。しかし、マリヤ夫人は美しい性質の所有者だったが、自分でもやはり子供のときから、小説で頭が一杯つまってしまって、昼も夜も本ばかり読んでいるような大だった。要するに、結局ヴェルシーロフの陋劣な虚偽、奸計が暴露されたことになるのだ。そこには明らかに何かしら不吉な、いまわしいあるものがあった。ことに、事件がまさしく悲劇的な結末を告げたので、ひとしおこの感が深いわけである。というのは、恋に燃え立った哀れな娘は、黄燐マ″チの毒を使って、自殺したという話である。もっとも、わたしは今日にいたるまで、この最後のうわさの真否をつまびらかにしない。少なくとも、近親の人々は、一生懸命にそれを揉み消そうと努力した。娘はわずか二週間わずらって死んでしまった。かような次第で、マッチは疑問のままで終わったけれど、クラフトはかたくそれを信じきっていた。 それからほどなく、父将軍もこの世を去った。人の話では、悲嘆のあまり二度目の発作を起こしたのだというが、しかし三か月もたった後の出来事である。ところが、葬送後まもなく、ソコーリスキイの若公爵がパリからエムスヘ帰って来て、公衆を前にひかえた公園内で、ヴェルシーロフをなぐったのである。しかも、こちらはそれに対して、決闘をもって答えようとしないのみか、その翌日すぐさま平然と散歩場へ姿を現わした。このときすべての知人が彼に背を向けたのだ。ペテルブルグでも同様だった。ヴェルシーロフは、ある人々との交際をつづけてはいたものの、ぜんぜん別なサーク
ルであった。上流の知人の仲間では、詳しい事情を知ってる大はほとんどなく、ただ若い令嬢の死んだことと、ヴェルシーロフのなぐられたことくらい、知っているにすぎなかったけれど、みんな一様に彼を非難するのであった。比較的詳細を知っているのは、二人か三人きりだった。だれよりもいちばんよく事情に通じていたのは、亡くなったアンドロニコフである。彼はずっと前からアフマーコフ家と事務上の関係を結んでいたし、カチェリーナ夫人とはある機会のために、別して親しくしていたのである。しかし、彼はこれらの秘密を自分の家族にも知らせないようにし、ただクラフトとマリヤ夫人とに幾分かうち明けたにすぎない。それさえも、必要上やむをえずしたことなのである。 「ところが、今もっとも重要なのは、ある一つの手紙なんです」とクラフトは最後にいった。「その手紙を、カチェリーナ夫人が非常に恐れているんです」 このことについても、彼は次のように話してくれた。 カチェリーナ夫人は、父公爵が外国で病気の療養をしている時分、不用意にもアンドロニコフ氏に宛てて(夫人は万事につけて彼を信用しきっていたので)、極秘のうちに、途方もない冒険的な手紙を送ったのだ。人の話では、当時恢復期に向かった老公は実際、金を湯水のように撒き散らす傾向を現わしはじめたという。彼は外国で、まるで用のない高価な品や、絵や、花瓶などを買い込んだり、何かわけのわからないことに莫大な金を出したり、いろいろ向こうの公共事業に寄付をしたりなどはじめた。一度なぞは内密であるロシヤ大、
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社交界の放蕩者から、さんざん荒されて面倒な訴訟問題になっている領地を、多額な金で買い受けるばかりになっていた。おまけに、実際に結婚さえ空想するようになったとかいうのである。こういったようなわけたので、病中ずっと父のそばにつききっていたカチェリーナ夫人は、法律家であり、かつ『古くからの親友』であるアンドロニコフ氏に手紙を送って『法律上父に禁治産とか、または無能力者とかの宣告をすることができるだろうか。もしできるとすれば、だれひとり自分を非難することができないように、また父の感情をも傷つけないように、めんどうな問題を起こさないようにするにはどんな方法をとったら最も好都合か、等々』といったような質問を提出したのである。アンドロニコフ氏は即座にその不心得を諭し、夫人に思いきらせたという話だが、その後、老公がすっかり全快したので、もう二度とそんな計画を持ち出すのは不可能となった。が、手紙はアンドロニコフ氏の手もとに残ったのだ。ところが、彼の死後、カチ÷リーナ夫人は卒然とこの手紙のことを思い出した。もしこの手紙が故人の書類の間に発見されて、老公の手にはいるようなことがあったら、彼は疑いもなく永久に娘を追い退け、相続権を剥奪してしまうばかりでなく、存命中にもIコペイカだってやらなくなるに相違ない。現在うみの娘が自分の能力を信じないで、自分を狂人扱いにしようとした、-そう考えただけで、この子羊のような老人も、野獣と化してしまうに相違ない。ところで、カチェリーナ夫人は寡婦になってから、賭博家の夫のお陰でまったくの無一物になったので、今ではただ父親
ひとりをあてにしていた。彼女は前と同じぐらい豊富な持参金を、今度も父親からもらえるものと信じきっていたのだ。 クラフトはこの手紙の行くえについて、あまり知るところがなかった。しかし、アンドロニコフ氏は『決して必要書類を破るようなことをしなかった』それに、彼は多角な頭脳の所有者ではあったけれど、同時に『多角な良心』を持った人だった、とクラフトはいった(あれほどアンドロニコフ氏を敬愛していたクラフトの、こういうなみはずれた独立不羈の見解は、わたしを一驚させたのである)。しかし、クラフトの俳言するところによれば、この危険な手紙は、ヴェルシーロフがアンドロニコフ氏の未亡人や娘たちと親しくしている関係上、彼の手にはいっているらしい。とまれ遺族の人たちが、故人の遺していったいっさいの書類を、遺言によってすぐヴェルシーロフにわたしたことはたしかにわかっていた。また同じクラフトの話によるとカチェリーナ夫人は、手紙がヴェルシーロフにわたったことを知っているので、彼がこの手紙を持って老公のところへ行きはしないかと、それを恐れきっているのであった。夫人は外国から帰ると、さっそくペテルブルグで手紙をさがしもし、アンドロニコフの遺族のところへ行ってもみた。そして今でも引きつづいてさがしているのだ。なぜなら、ことによったら、手紙はヴェルシーロフが持っていないかもしれぬという、一縷の希望があったからである。夫人がこんどモスクワへ行ったのもただただこの目的のためにほかならぬのだ、彼女はマリヤ・イヴ″Iノヴナに、その保管にかかるアンドロニコフの書類をさがしてくれ



と、一生懸命に哀願したのである。アフマーコヴ″夫人がマリヤという人の存在や、故アンドロニコフに対する彼女の関係などを嗅ぎつけたのは、ほんのついこのあいだ、外国からペテルブルグヘ帰って来た後のことである。 「きみどう思います、あのひとはマリヤさんのとこで見つけたでしょうか?」わたしは自分で考えるところがあったくせに、わざとこうきいてみた。 「もしマリヤさんが、きみにさえ何もうち明けなかったとすれば、あるいはあのひとのとこには何もないのかもしれませんね」 「じゃきみは、ヴェルシーロフのとこにその手紙があると思いますか?」 「多分そうでしょう。が、なんともいえませんね。どんなことでもありうる道理だから」さも疲れたらしい様子で、彼はこうつぶやいた。 わたしは根錮り葉捐りするのをやめてしまった。またそんなことをして何になろう? わたしにとって最もかんじんな点は明瞭になったのだ。ばかばかしい事件の縺れはあるにせよ、とにかくわたしの恐れていることはことごとく裏書きされたわけである。 「何もかもまるで夢だ、うわごとだ」わたしは深い憂愁に沈みながらそういって、帽子を取り上げた。 「きみはあの人をずいぶん大切に思っているらしいですね?」とクラフトはきいた。その瞬間、わたしは彼の顔に深い同情をありありと読みとったのである。
 「ぼくは初めっからそう直覚していましたよ」とわたしはい った。「きみから十分きき出すことはやはりむずかしいだろ う、と。今はたった一人、アフマーコヴァ夫人に希望がかか っているだけです。ぼくはあの郊をあてにしてるんですよ。 もしかしたら、あの女のところへ行くかもしれませんが、ま たことによったら行かないかもしれない」 クラフトはややけげんそうな顔つきでわたしを見つめた。 「さようなら、クラフト君! いったいなんのために、自分をいれてくれない人たちにつきまとう必要があるんでしぷう? いっそ何もかも、掀りすててしまったほうがいいじゃありませんか、え?」 「さて、それからどこへ行くんです?」なんとなく無愛想な調子でじっと足もとを見つめながら、彼はこうたずねた。 「自分へ、自分へ帰るんです!・ いっさいのものを振りすてて、自分自身の中へ去るのです!」 「アメリカへ?」 「アメリカヘー 自分自身、ただただ自分自身にのみおもむくんです! これがぼくの『理想』なんですよ。クラフト君I」とわたしは歓喜に充ちた調子でいった。 彼は興味ありげにわたしを見まもった。 「きみにはその場所があるんですね、『自分自身』という場所が?」 「ありますよ。じゃ、さようなら、クラフト君。ありがとう、いろいろごめんどうをかけてすまなかったですねI・ しかし、ぼくがもしきみの位置に立って、そんなロシヤを頭の
中に持っていたら、ぼくはありとあらゆる人間を呪ってやりますよ。どこへなと好きなところへ行って、悪だくみをめぐらすなり、お互いに咬み合うなり、勝手にするがいい、―おれの知ったことじゃないぞ、といってやりまさあ」 「もっと話しておいでなさい」もう出口までわたしを送って来たとき、彼はだしぬけにこういった。 わたしは少々めんくらったが、また引っ返し、腰をおろした。クラフトは向かい合わせにすわった。わたしたちは妙な微笑を交わした、-わたしはこれらすべてのことを、今なお目の前に見るような思いがする、わたしは彼を見ているうちに、なんだか不思議な気がしたのを覚えている。 「ぼくはね、クラフト君、きみがそんなふうに丁寧なのが気に入りましたよ」とわたしはだしぬけにいった。 「へえ?」 「ぼくがこんなことをいったのは、自分で丁寧な人間になれないからですよ。そのくせ、そうなりたいとは思ってるんだけど……しかし、まあ、人に侮辱されるのもいいかもしれません。少なくとも、他人を愛するという不幸からのがれますからね」 「きみは一日のうちでどういう時刻がいちばんすきです?」明らかにわたしのいうことは聞いていないらしく、彼はたずねた。 「時刻? わかりませんね。ぼく、日没はきらいです」 「そうですか?」と彼は何かとくべつ興味あることのようにいったが、すぐまた考え込んでしまった。
 「きみはまたどこかへ行くんですか?」 「ええ……行きます」 「すぐ?」 「ええ、すぐ」 「いったいヴィリノまで行くのにピストルがいりますか?」わたしは少しも底意なしにこうきいた。実際、そんなことは考えてもいなかったのだ。ただ話題に窮しているところへ、ふとピストルが目にはいったので、そうきいてみたまでのことである。 彼はふり返って、じっとピストルを見つめた。 「いや、あれはただちょっと習慣で……」‘「もしぼくがピストルを持ってたら、どこかへ隠して諚をかけておきますね。いや、まったく恐ろしい魅力を持ってる!・ぼくは自殺病の流行なんて信じないけれど、こいつが目の前に幅をきかしてると、まったく誘惑を感じる瞬間があります 「そんな話をしないでください」といって、彼は急に椅子から立ちあがった。 「ぽく、自分のことをいってるんじゃありません」わたしも同じく立ちあがりながら、いい添えた。「ぼくは決してこんなものを使やしません。ぼくは命が三つあっても、まだ足りないくらいです」 「できるだけお生きなさい」こういう言葉がひとりでに、彼の囗からちぎれて出たように思われた。 彼は放心したようにほほ笑んだ。そして、不思議にも、ま
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るで自分のほうからわたしを送り出そうとするように、ずかずかと控え室のほうへ歩きだした。むろん、自分でも何をしてるか知らないのだ。 「ぽくはきみにあらゆる成功を祈ります。クラフト君」もう階段のところへ出てから、わたしはいった。 「あるいはそうなるかもしれません」と彼はしっかりした語調で答えた。 「じゃ、また会いましょう?」 「それもあるいは……」 わたしは今でも彼の最後の視線を覚えている。 ああ、これがその人なのだ。幾年かのあいだ、わたしが憧憬の思いに胸をおどらしつづけたその人なのだ?・ ああ、わたしはクラフトからうんと多くのものを期待していたのだが! ああ、あれがいったいなんの珍しい報告であるかI クラフトのもとを辞し去ると、わたしは急に何か食べたくなってきた。もう夕べが迫っているのに、まだ食事をしていなかったのだ。わたしはすぐそこの、―‐ペテルブルグ区の大通りにある一軒の小さな料理屋へはいった。しかしおおよそ二十コペイカつかおう、多くても二十五コペイカ以上はつかわないつもりだった。それ以上は、当時のわたしとして許すべからざる贅沢だったのだ。わたしはスープを誂えた。今でも覚えているが、それをすすりおわると、窓際にすわって外を眺めはじめた。部屋の中は人がうようよして、バタの焼
けるような匂いや、安料理屋らしいナプキンの匂いや、煙草の匂いなどが膵をついた。なんとなくいやでたまらなかった。頭の上には一羽の偕が声もなく、何やら考え込むように陰気らしく、こつこつと籠の底を嘴でつっ突いている。隣りの玉突き部屋のほうでは、大勢がやがや騒いでいたけれど、わたしはじっとすわったまま、一生懸命に考え込んだ。落日は(わたしが落日を好まないといったとき、どうしてクラフトはあんなに驚いたのだろう?)一種の新しい、まるで場所がらに不似合いな、思いがけない感触を、わたしの心に呼び起こした。 わたしの脳裏には母のしずかな瞳、もうまる一か月、臆病らしくわたしの顔色を窺っている母の優しい目つきがちらちらした。このころ、わたしは家でやたらに無作法なことをいったり、したりした。それも主として、母に向けるのだ、ほんとうはヴェルシーロフに悪たれてやりたいのだが、それだけの勇気がないものだから、わたしの下劣な癖として、母を苦しめた。時とすると、もうぺしゃんこに脅しつけてしまうことさえあった。よく母はヴェルシーロフがはいって来るとき、なんともいえない訴えるような目つきでわたしを見つめることがあった。わたしが何か乱暴なことをいいだしはしないかと、心配だからであった……それから、世にも不思議な話だが、わたしは今この料理屋で初めて気がついたことがある。ほかでもない、ヴェルシーロフはわたしに向かって知能というが、母はあなたと呼ぶのであった。これにはわたしも前から驚いて、母にとって不利な解釈をしていたが、今はな
ぜか一種特別な感想が浮かんだのである。奇怪な想念が、後から後から頭の中へ流れ込んだ。わたしは日がとっぷりと暮れてしまうまで、じっと一つところにすわりつくしていた。妹のことも考えた…… それはわたしにとって、のるかそるかという時だった。どんなことがあろうとも、決行しなければならぬ! いったい、わたしは決断力に欠けた人問だろうか? すべての者と絶縁するということが、いったいどれだけむずかしいのだ?ことに、彼ら自身からしてわたしを望まないのではないか!しかし、母と妹とはどうしよう? いや、いや、わたしはどうあっても、1いかなる場合にも、あのふたりを見棄てはしない。 もっとも、この人物がわたしの生活中に出現したことは、―ほんの一瞬間ではあるが、わたしのごく幼少のころに姿を現わしたということは、わたしの自己意識のはじまる運命的な衝動となったのだ。それは実際である。もし彼があのとき、わたしの目の前に現われなかったら、たとえわたしの性格はあらかじめ運命に決定されて、どうにも回避することができないにもせよ、わたしの頭脳、わたしの考え方、わたしの運命は、きっと違っていたに相違ないのだ。 ところが、実際、この人間はたんにわたしの空想にすぎないのだ。あれはわたしが自分であんなふうに作り上げたので、事実に現われたのは、わたしの空想よりか数等おとった人物だった。わたしは一個の純な人物のところへやって来たので、こんな人間を求めていたのではない。わたしはそもそ
もどういうわけでまだ子供の時分、あの短い一瞬間に、永久わすれることのできないほど、あの人間に惚れ込んでしまったのだろう? この『永久』などということは、きれいに消滅してしまわなければならない。わたしはこのさきでもし余白があったら、この最初の対面を描こうと思っている。それはまったくばかげきったアネクドートで、なんの意味もないようなものだが、わたしにとっては一大ピラミッドにも比すべき出来事だった。わたしは、子供用の寝台の上で小さな夜具にくるまってうとうとしながら、泣いたり空想したりしている時分から、このピラミッドを築き始めた。しかし、いったい何を空想したのだろう、わたしは自分ながらわからない。自分がみんなに見放されたということか? みんなが自分をいじめるということか? とはいえ、わたしがいじめられたのはほんのわずかぽかりで、トウシャールの塾にいた二年間でしかない。彼はその時そこへわたしを押し込んだまま、永久に去ってしまったのである。その後、わたしはだれにもいじめられはしなかった。いな、それどころか、かえって自分のほうから傲然と、仲間のものを見おろしていたくらいである。それに、わたしはひとりでめそめそしている身なしご根性が、義理にも我慢できないのだ’・ 身なしごだとか、社会から見棄てられた者とか、すべてそういったようなやくざ者には、わたしはこれっからさきの同情も持ちあわせていないが、そんな連中がだしぬけに、得意然と公衆の面前に立ちあがって、ものあわれげな、そのくせいやにもっともらしい調子で、『あなた方はわたし



をこんな目にあ七せたのです!』てなことをうなりだす、まあこれくらいいまいましい役まわりはまたとありゃしない。わたしはこんな身なしご連中を打ちのめしてやりたい。こんないまいましい月並み連中は、泣きわめいたりするより、いっそ黙ってたほうが十倍も立派だ、世間のひとに訴えたりするのは、おとなげないということを、一人として佰るものがないのだ。もしそのおとなげない真似をしたら、そんな『愛の落とし子』にはそうした待遇でもすぎてるのだ。これがわたしの意見である!。 しかし、滑稽なのは、わたしが以前『毛布の下』で空想したということではなくて、わたしが自分のおもな目的を忘れて、彼のために、この頭の中ででっちあげた人物のために、わざわざここまでやって来たことである。わたしは彼を助けて、彼に対する誹謗をもみつぶし、彼の敵を粉砕するつもりでやって来たのだ。 クラフトの話した書面、あの女がアンドロニコフにおくった手紙、彼女の運命を粉砕し彼女を赤貧に陥れるかもしれぬ手紙、彼女があれほど恐れている手紙、ヴェルシーロフの手にあるものと疑われている手紙、jその手紙はヴェルシーロフの手もとにあるのではなく、わたしの脇のポケットの中に縫い込んであるのだ!・ わたしが自分でそれを縫いつけたのだ。世界じゅうでこのことを知ってるものは、まだI人もいないのだ。この書面を『保管』していたロマンティ″クなマリヤ夫人が、これをほかならぬわたしにわたすのを必要と認めたことにいたっては、もはや夫人の考えと意志に関する
ことだから、わたしが説明する義務はない。ことによったら、またいつかついでに話すかもしれない。とにかく、こうして思いがけなく好個の武器を授けられたわたしは、ペテルブルグへ乗り込みたい誘惑を禁ずることができなかった。もちろん、わたしは彼の賞讃や感謝など期待せず、みえをきったり、熱中したりすることもなく、内証で彼を助けようと思っていたのだ。それにわたしは決して、決して彼を非難しようとは思わない、わたしにはそれだけの価値がない! わたしが彼に惚れ込んで、彼を何かまるで夢のような理想に祭り上げたからって、それは彼の罪ではないのだ。それに、もしかしたら、わたしはまるで彼を愛していなかったかもしれない。彼の独創的な頭脳も、彼の興味ある性格も、何かえたいの知れない彼の陰謀も冒険も、彼のそばに母がついているということも、1すべてこのうえわたしを引き止める力を持っていないらしい。わたしの空想的な偶像は毀れてしまって、もはやわたしは永久に彼を愛することができない、ただそれだけの話だ。それでは、いったい何がわたしを引き止めたのだ? なんのためにわたしはぐずぐずしてるのだ? これが疑問である。結局、ばかなのはほかでもない、ただわたし一人だけということになる。 しかし、他人から潔白を要求すると同時に、わたしは自分でも潔白であるべく努めねばならぬ。ここに一つ白状しなければならぬことがある、ほかでもない、ポケ″卜の中に縫い込んである手紙は、すぐさまヴェルシーロフの救助に駆けつけようという欲望を、わたしの心に呼びさましたのではな
い。これは今でこそすでに明々白々なことだけれど、あの当時もわたしは「もしや」という予感に顔を赤くしたものだ。わたしの目の前には一人の女性がちらついていた。それは近いうちに庶と賦と相対すべき、誇りの高い上流の貴婦人なのだ。このひとは、わたしが自分の運命の君主であるとは夢にも悟らず、わたしを二十日鼠のように軽蔑し冷笑することだろう。こうした想像が、まだモスクワにいる時分からわたしを酔わせた。ここへやって来る汽車の中では、ことにそれがぴどかった。そのことはもうさきに自白しておいた。 そうだ、わたしはこのひとを憎んでいた。しかし、今では自分の犠牲として愛している。それはどちらもほんとうである。すべてが現実であるけれど、これはもはやあまりに子供じみているので、自分のような若造からでさえ期待していなかったほどである。わたしは今その当時の心持ちを書いているのだ。つまり、安料理屋の儔の下にすわりながら、今晩にもすぐ、是が非でもいっさいを断とうと決したとき、わたしの頭に浮かんできたことをすっかり書きならべているのだ。ふとさきほどあのひとと出会ったことを考えると、わたしは急に顔が真っ赤になった、なんという恥さらしな対面であったか! 恥っさらしなばかばかしい印象、―それに、第一、いまいましいのは、実際的な事物に対するわたしの無能を完全に暴露したことだ! 今日の対面は、わたしがばかげきった誘惑に対してすらいささかの抵抗力も持っていない、ということを証明したにすぎないのだ、こうわたしはその時考えた。ところで、わたしはたったいま自分からクラフトに向か
つて、自分には『自分のいるべき場所』がある、自分のなすべき仕事がある、たとえ自分に命が三つあっても、それでもまだ足りないくらいだといった、しかも傲然としていい放ったのではないか。 わたしが自分の理想を棄てて、ヴェルシーロフの事件にかかりあったのは、まだしもなんとか恕すべき言葉がないではないが、しかし、まるで脅かされた兎のように、あちこち飛びまわって下らないことにいちいちかかりあっているのは、もちろん、わたしがばかだからだ。それっきりだ、いったいわたしはなんのためにデルガチョフのところなぞへのこのこと出かけて、あんなばかなことを出しゃばってしゃべる気になったのだろう? 自分が何ひとつ気のきいた、辻褄の合ったことがいえないのは、もうとっくから自認しているではないか。わたしは黙ってるのがいちばんとくなのだ。そのうえヴァージンなんかという手合いが、『お前にはまだ五十年の歳月がある。何もくよくよすることはない』などと説教して聞かせる。彼の意見は立派なものだ、それにはわたしも異存がない。まったく彼の透徹な頭脳を証明するものだ。最も単純でありながら、しかも最も美しいものは、賢愚すべての策を試みつくした後で、最後に了解されるのが常である。この一つの理由だけでも立派なものだ。しかし、わたしはこのことをヴァージンに聞かない前から、自分でちゃんと承知していた。この思想はもう三年あまり前から直覚していた。いや、そればかりか、むしろこの中に、『わたしの理想』の幾部分かが含まれているのだ。こういったようなことを、わた



しはそのとき安料理屋で考えたのである。 歩きまわったのと考えすぎたのとで、すっかり疲れきって、夕方七時すぎにセミョーノフ連隊へ帰り着いたとき、わたしはなんだかいやあな気持ちに襲われていた。もう日はとっぷり暮れて、天気模様も変わってしまった。空気は乾ききっていたが、ペテルブルグ独特の、いやな、毒々しい、刺すような風が起こって、わたしの背中へぴゅうぴゅう吹きつけながら、あたり一面に砂埃を巻き上げるのだった。自分の住家をさして労働や勤めからいそぎ足に帰って来る下層民の、気むずかしげな顔がいくつとなくつづく。だれも彼も憂鬱な心配を顔に浮かべている。この群衆のなかに、いっさいを結合するような普遍的な思想は、一つとしてないのかしらんIクラフトがいったのはほんとうだ。まったくだれもがてんでんばらばらだ。 わたしは一人の小さな男の子に出会った。どうしてこんな時刻に、たったひとり往来に立ってるのかと怪しまれるほど、小さな子だった。見たところ迷子らしい。一人の女房がひょっと立ちどまってきいていたが、なんにもわからなかったとみえて、両手を拡げると、子供をたったひとり暗闇の中に取り残したまま、ずんずん先へ行ってしまった。わたしはそばへ寄ろうとしたが、どうしたのか子供は急におびえて、どんどん向こうへ駆けだした。わが家へ近づいているうちに、わたしは決してヴァージンのところへ行くまいと決心した。階段を昇っていると弌ヴェルシーロフが留守で母と妹だけならいいが、という望みが強く動いてきた。それは彼の
帰って来るまでに、母と妹に何か優しい言葉をかけるためだった。わたしはあのかわいい妹にまるひと月の間、ほとんど何一つ話らしい話をしなかったのだ。案の定、彼はちょうどうちにいなかった……
 ここでちょっとことわっておく。この『新しい人物』を(つまりヴェルシーロフのことをいうのだ)をわたしの『手記』の舞台へのぼすにあたって、彼の履歴をちょっと紹介しようと思う、もっとも、べつにとりとめたことは一つもないのだが、読者にとってわかりいいためそうするにすぎない。それに、このさきどこへこの履歴を挿入していいか、わからないからでもある。 彼は大学に在籍していたが、後に近衛の騎兵隊へはいった。それからファナリオートヴアと結婚し、軍職を辞した。外遊から帰って後、モスクワで社交界の愉楽に浸りながら暮らしたが、妻の死後、田舎へ出かけて、ここでわたしの母とのエピソードが生じたわけである。それから長い間、どこか南のほうで暮らしていたが、タリミヤ戦争のとき、ふたたび軍務にしたがうことになった。けれど、クリミヤまで行く余裕がなかったので、一度も実戦に参加しなかった。戦争の終局後またもや職を辞して、外遊の途に上った。しかも、今度はわたしの母までいっしょについて行ったが、しかしケーニヒスベルクでうっちゃってしまった。哀れな母は、ときどきさも恐ろしそうに頭を振りながら、まる半年のあいだふさな
娘を相手に一人ぽっちで、言語不通の場所に、まるで森の中へでも捨てられたように、淋しく暮らしていた当時の模様を、よく話して聞かせた(それに、しまいには所持の金さえなくなったのだ)。そのときもタチヤーナ叔母が母を迎えに行って、ロシヤヘ連れて帰った後、どこかニジニーノヴゴロド県あたりに落ちつかせたそうである。その後ヴェルシーロフは、当時はじめてできたばかりの農事調停官となって、立派に職務を履行したとの話だが、しかしそれもすぐほうり出してしまい、ペテルブルグでいろんな民事訴訟事件の世話を始めた。アンドロニコフ氏は深く彼の才能に敬服して、心から彼を尊重していたが、ただ彼の性格がどうしても理解できないといっていた。やがてヴェルシーロフはこの仕事をも棄てて、また外国旅行に出かけた。しかも、今度は長期の旅行でヽ二三年も向こうで滞在した。これにつづいて、ソコーリスキイ老公との親密な関係が始まったのである。この間に彼の財産は二三ど極端に急変した。時には洗うがごとき赤貧に陥ったかと思うと、時にはまた急に財産家になって羽をのした。 ところで、わたしの手記もここまで進行してきたから、いま思いきって『わたしの理想』を物語ることにしよう。これを言葉で書きあらわすのは、その発生以来はじめてである。わたしがこれを読者に、いわば、明かすのは、物語の進行を閉明せんがためでもあるのだ。それに事の誘因となり、動機となったものを説明せずして、単に行為のみを叙述するということは、読者に難解なばかりでなく、作者たるわたし自身
さえまごつきそうなほどむずかしいことである。しかも、わたしの無能なために、こうした『沈黙の方法』によって、以前自分で冷笑した小説家的技巧に陥ったのだ。さまざまないまわしい出来事に充ちたわたしのペテルブルグ小説の戸口をくぐるにあたって、わたしはこの序説がぜひとも必要だと思う。しかし、『小説家的技巧』に誘惑されて、今まで沈黙を守ったのではなく、事実の本質、つまり、事の困難さがわたしにそうさせたのである。もはやいっさいの過去が終わりを告げた今日でさえ、わたしはこの『理想』を物語るについて、うち越えがたい困難を感じるくらいである。のみならず、わたしは当然この『理想』を当時のままの形式で、1つまり、その当時わたしの脳裡に組み上げられていたとおりの形式で、I今のわたしでなく、その当時のわたしが考えていたとおりの形式で、叙述しなければならぬ。これがまた新しい困難である。ある種の事物を伝えることはほとんど不可能である。まったくのところ、最も簡単な最も明瞭な思想が、かえって理解しがたいものである。もしコロンブスアメリカ発見の以前に、自分の思想を人に話したら、必ずや長いあいだ理解されなかったに相違ない。いや、実際、理解されなかったのだ。こういったからとて、わたしは何も自分をコロンブスにくらべようとは思わない。もしだれかそんなことを論結するものがあったら、ご当人が恥ずかしい目をするだけだ、それっきりなのだ。



第5章『わたしの理想』
      7 わたしの理想は、-ほかでもない、ロスチャイルドになることである。読者諸君、どうか落ちついてまじめに聴いていただきたい。 くり返していう。わたしの理想は、-ほかでもない、ロスチャイルドになることである。ロスチャイルドのような金持ちになることである。たんに金持ちになるばかりではない、要するにロスチャイルドのようになるのだ。なんのために、何がゆえに、いかなる目的をもって? こういう疑問に対しては後で答えよう。わたしは冒頭にただこれだけのことをいっておく、わたしの目的の達成は数学的に保証されている、と。 事実はきわめて単純である。すべての秘密はただ二語にしてつくされる、曰く持久、曰く不撓。 「ちゃんと聞いてるよ」人々はわたしにこういうだろう。「何も新しいことじゃない。ドイツの父親はだれでも自分の子供らに向かって、この二つの言葉をくり返しているが、しかし、ロスチャイルドは(といっても、このあいだ物故したパリのジェームスーロスチャイルドのことだ。わたしはこの人のことをいってるのだ)、常にただ一人しかいなかった。ところが、ファーテルは何百万といるではないか」 これに対してわたしはこう答えよう。
「きみがたはもう聞いたと主張されるが、実際のところ、きみがたはなんにも聞きゃしないのだ。もっとも、たった一つの点において、きみがたの言葉は正しい。ほかでもない、わたしは『きわめて単純』なことだといったが、しかしきわめて困難なことであるとつけ足すのを忘れた。たとえば、世界じゅうの宗教や道徳は、『苦行を愛して悪行を避けよ』という一点に帰納される。一見、これより単純なことがほかにあろうかと思われるが、しかしまあ、一つなんでも善行らしいことをして、ほんの一つでも自分の悪行を避けるようにやってみるがいい、できますかね、え? この問題もそれと同じわけなのだ」 つまりこの理屈で、何千万人のファーテルが何千万年のあいだ、いっさいの秘密を含むこの驚くべき二つの言葉をくり返したにもかかわらず、ロスチャイルドは永久にI大きりなのだ。つまり、そうだともいえるし、またそうでないともいえる。ファーテルがくり返しているのは、ぜんぜん違った思想なのだ。 もちろん彼らとても、持久と不撓ということは聞いたに相違ない。しかし、わたしの目的を達するために必要なのは、ファーテル式の持久でもなければ、ファーテル式の不撓でもないのだ。 すでに人間がファーテルであるということ一つだけで(わたしはドイツ人のことばかりいっているのではない)、家族があって世間並みの暮らしをし、世間並みの費用を支出し、世間並みの義務を負担しているという一事だけで、もうその
人間はロスチャイルドになるわけにいかない。ただ中どころの人間になれるだけである。ところが、ロスチャイルドになったら、いや、単になろうと望んだだけで(ただし、それはファーテル式でなく、真剣に望むのだ)、もうその瞬間から、社会の水準をおどり越えるのだ。わたしにはそれがはっきりわかっている。 二三年前ある新聞で読んだことだが、ヴォルガ河を航行している汽船の上で、一人の乞食が死んだ。それはその界隈でいつもぼろを着て、袖乞いをしていたが、死後そのぼろ着物の中に三予ルーブリからの紙幣が縫い込んであるのを、発見したとのことである。それから、またつい二三日前、同じく乞食の記事を新聞で読んだ。これは少しお上品な方で、料理屋なぞ歩きまわって、手を差し伸べている組だったが、こいつをふん縛って見ると、五千ルーブリの現金を身に着けていた。これからして、二つの結論が出てくるわけだ。第一に、たとえいくコペイカというような小さな額でも、根気よくつんでいったら、後には大きな結果が生じるものである(時日の長いことなどは、頭から問題にならぬ)。第二に、金儲けの方法はいかに単純なものでもヽ即畭加ぐそれをつづけていったら、成功は数学的に保証されるのだ。 ところが、世の中には人から尊敬を受ける身分で、賢い控え目な性質でありながら、どんなにもがいても、五千ルーブリはおろか、三千ルーブリの金も、持てないような人がたくさんある。そのくせ、彼らはそういう金がほしくてならないめだ。いったいこれはどうしたわけか? 答えはしごく明瞭
である。彼はI生懸命にほしがっているとはいい条、そのほしがりようが足りないのだ。つまり、ほかに金儲けの方法がなかったら、乞食になってでも金を残そう、乞食になったらもうその日から、自分のためにも、家庭のためにも余計な買物でもらった金をつかわない、というくらいの根気がないのだ。ところで、こういう貯蓄の方法をとるとしても、つまり乞食になって金を残そうと決心しても、何千という金を貯えるためには、パンと塩だけで生活し、それ以外のものを用いてはならない。少なくとも、わたしはそう考えている。前に挙げた二人の乞食も、きっとこんなふうにしたに相違ない。つまり、ほんのパンばかり食べて、ほとんど青天井の下で寝起きしないばかりだったのだ。もちろん彼らはロスチャイルドになろう、などという野心をもっていなかったろう。彼らは純然たるアルパゴン(肘計欸ぷ)や、プリューシキン(野町乱茹翳黯)の仲間にすぎない。しかし、ぜんぜん別な形式の金儲けの希望を意識の中に有し、ロスチャイルドたらんとする目的をいだいている者には、この二人の乞食以上の欲望と意力がなくてはならない。フ″Iテルは決してかかる力を現わさない。この世には種々様々な力がある。意志と欲望の力は別して種類が多い。水を沸騰させるだけの熱度もあれば、鉄を赤熱させるだけの熱度もある。 これは一個の修道院である、禁欲生活の難行苦行である。ただここにあるのは理想でなくて感情である。いったいなんのためになるのだ? それがはたして道徳的なことであるか? そういう大金を身につけながら、一生涯ぽろを着て、



黒パンばかり食べているなんて、あまりに醜態ではなかろうか? これらの問題は後まわしとして、今はただこの目的貫徹が可能かいなか、その点を研究することにしよう。 わたしが『自分の理想』を考えだしたとき(この理想こそ赤熱の部に属するものだ)、自分が修道院の禁欲生活に適しているかどうか、試験しはじめた。この目的でわたしはまる一か月、ただパンと水ばかりで暮らした。黒パンは毎日二斤半より以上はいらなかった。この計画を貫徹するために、わたしは賢明なる二コライーセミョーヌイチと、わたしのためを思ってくれるマリヤ夫人を、欺かなければならなかった。わたしはぜひとも食事を自分の部屋へ運んでもらわねばならぬといいはって、夫人を悲しませ、精緻な観察力をもった二コライ氏にけげんの念をいだかせたものである。わたしは自分の部屋で、その食事をあっさり投げ棄てたのだ。スープは窓の外の氷羂の中か、それともいま一つ別な場所(雅)へ流してしまうし、牛肉は窓から犬に投げてやるか、または紙に包んでポケ″トヘひそませ、それから外へ持って出て、捨ててしまう、すべてそういったあんばいである。パンは食事のとき、二斤半よりずっと少なかったから、内証で自分の金を出して、買い足さなければならなかった。 わたしはこの一か月を無事に辛抱しおおせた。まあ、ちょっと胃をそこなったくらいのものだろう。しかし、次の月から、わたしはパンにスープを増して、朝晩には茶を一杯ずつ飲んだ。そして、まったくのところ、わたしはこうしてまる一年の間、この上ない健康と満足のうちに過ごしたのである。
そして、精神的にはたえず秘密な歓喜と陶酔に浸っていた。食べ物など少しも惜しがらなかったばかりか、もうまるで有頂天になっていた。一年がおわったとき、わたしはいかなる精進にも堪えうる確信をえて、みなと同じような食物をとり、みなといっしょに食堂にすわることにした。この試験ひとつに満足できず、わたしはさらに第二の試験をやってみた。当時、わたしは二コライ氏に支払う食費以外に、小遣銭として毎月五ルーブリずつ給与されていたが、そのうち半分だけしか使わないことに決心した。これはなかなか困難な試煉ではあったけれども、二年余りたったのち、ペテルブルグへやって来たときは、ほかにもらった金以外に七十ルーブリというものがわたしのポケットにあった。それはただただこの貯蓄によって得たものである。この二つの試験の結果は、わたしにとって偉大なものだった。わたしは自分の目的を達するだけの意欲を有しうる、ということを的確に突き止めたのである。くり返していうが、これがつまり『わたしの理想』であって、これからさきはみんなつまらないことなのだ。
       2 とはいえ、つまらないことでも、一応検討してみる必要がある。 わたしは自分でやった二つの試験をのべた。ところで、ペテルブルグへ来てから、もう前に書いたように、第三の試験をした、-例の競売である。そして、一挙にして七ルーブリ九十五コペイカの儲けを握った。もちろん、あれはほんと
うの試験ではない、ただの遊戯である、慰みである。ちょっと未来の中から一瞬間を盗み出して、どんなふうに行動するかを、ためしてみたにすぎないのだ。ぜんたいとして、ほんとうに事業に着手するのはまったく自由になるまで延期しようと、そもそもの初めから、まだモスクワにいる時分からきめてあった。何はともあれ、まず中学校だけは卒業しなけれぼならぬ、ということはよく得心がいっていたのだ(大学のほうは、もはや前にもいったとおり犠牲にしてしまった)。もっとも、わたしが憤怒を秘めてペテルブルグへやって来たのは、まぎれもない事実である。中学校を終えて、はじめて自由の身になるやいなや、わたしは急に、ヴェルシーロフの事件が当分のあいだ、事業の着手を妨げるに相違ない、と直覚した。しかし、憤怒をいだいていたとはいいながら、やはり自分の目的については、ぜんぜん冷静の態度を持して出発したのである。 まったくのところ、わたしは実地を知らない。しかし、三年のあいだ熟考に熟考を重ねたので、もはやなんの疑念もいだくことができない。わたしは幾千度となく、どういう具合に着手したものかと想像してみた。わたしはとつぜん天から降ったみたいに、ロシヤの両首都のうち、どちらかへ現われることに決めた(わたしは事業開始のために両首都を選んだ。そして、ある理由によってペテルブルグのほうに優先を与えたのだ)。ところで、わたしは今度いよいよこの首都へ降って来た。しかも、まったく自由の身でだれにも干渉されることなく、体は健全で、おまけに事業開始に必要な運転資
本として、百ルーブリという秘密な金をポケットに隠している。百ルーブリの金がなくては事業が始められない。そうでなかったら、成功させるためのごくごく初期の活動さえ、長く延期しなければならぬことになる。 この百ルーブリのほか、すでに前にものべたとおり、勇気と、持久と、不撓の努力と、絶対の孤独と、秘密がある。孤独が何より第一なのだ。わたしはごく最近まで、他人との交際や会合を恐ろしくきらっていたものである。ぜんたいに、自分の『理想』に着手するのは、ぜひI人きりでなければならぬ、ときめていた。これはSRI″(必要条件)である。他人はわたしにとって苦痛なのだ。人とつき合ったら、心が落ちつかなくなるに相違ない。ところで、不安というやつは目的貫徹の妨げになる。それに、概して今日までの経験によると、他人に対する態度いかんということを空想しているあいだは、いつでもさも利口らしく思われるが、ちょっとでも実際問題にふれると、必ず思いきってばかばかしい結果を見るのだ。わたしはしんから情けないので、このことを自白する。わたしはいつでもせきこんで言葉尻を抑えられる。だから、なるべく交友を少なくしようと決心したのだ。しかも、それによってかちうるところは、独立心である、冷静な精神である、目的の貫徹である。 恐ろしいペテルブルグの物価にもかかわらず、わたしは一日の食料に十五コペイカ以上はつかうまいとかたく決心し、この決心を貫徹できると信じていた。この食料に関する問題には、長いこと周到な考慮を費したのである。わたしはこう



いうふうにきめた、-ときどきは二日問ほんとうにパンと塩ばかり食べ、三日目になって初めて、この二日間に倹約した金をまとめてつかおう。というのは、こうしたほうが永久に十五コペイカというミニマムで単調な精進をするよりも、健康によさそうに思われたからである。それから、生活のためにはどこかの片隅が必要だ。それはまったく文字どおりの片隅で、ただ夜ねるためと、あまり天気の悪い日に雨風をしのぐだけにすぎない。ぜんたいの生活は街上で送ることに決心した。必要に応じては、貧民宿泊所に泊まるのも辞せぬ覚悟だ。ここへ行けば、夜の宿りのほか、一片のパンと一杯の茶にありつける。しかし、自分の借りた部屋の片隅や宿泊所で盗まれないように、金を隠すくらいのことなら、わたしは立派にしてみせる。それどころか、のぞき見もさせやしない、それはきっと請け合っておく! 「おれが金を盗まれるって? とんでもない、おれは自分がだれか人の金を盗みゃしないか、と心配してるんだよ」こういう愉快な言葉を、わたしはあるとき往来で、一人の野師の口から聞いたことがある。もちろん、わたしは、この言葉の半面たる用心ぶかさと狡猾さをおのれに適川するだけで、人のものを盗んだりしようという気はさらさらない。のみならず、まだモスクワにいる時分から、-ことによったら、『理想』の生まれ出た第一日からかもしれない、-質屋や高利貸にも決してなるまい、と誓ったのである。そんな仕事にはユダヤ大がいる。ロシヤ人の中でも、知恵も意気地もないような手合いがいる。抵当だの利息だのというのは、凡庸の
仕事だ。 ところで、着物はどうかというと、わたしは二着の服を持っていることにきめた。一着はふだん着で、一着は取っと参である。いったんこしらえたら、うんと長く着るつもりだ。わたしは二年半のあいだ、とくに服の着方を研究して、その秘伝さえ発見した。服がいつまでも新しく、着いたみがしないようにするには、できるだけたびたび、一日に五度でも、六度でもブラシでこすらなければならぬ。わたしは明らかに断言しておくが、羅紗は決してブラシを恐れない、ただ炭と塵を恐れるだけである。埃は小さくても顕微鏡で見たら、やはり変わりのない石だが、ブラシはどんなにかたくてもやは’り毛だ。それと同様、わたしは靴をはく方法も修行した。秘訣はほかでもない、気をつけて靴底ぜんたいを、一時に土へつけるようにして、できるだけ足を横にくじかせないように努めるのだ。この練習は二週間でできる。それからさきはもう無意識に自然とできていく。この方法でやると、靴が平均したところ、普通の三分の一がた長くもつ。それは二年間の経験だ。 さて、これからいよいよほんとうの活動そのものがはじまるのだ。 わたしは、こういう考えでかかった。自分は百ルーブリの金を持っている。ところで、ペテルブルグには数多くの競売や、投売や、それから古物市場のごたごた商人などがあるし、また一方、需要者も大勢いることだから、いくらかでも品物を買ったら、それを少しでも高くほかの者に売り払わな
いというのはうそだ。あのアルバムで、わたしは七ルーブリ九十五コペイカという儲けを獲た。しかし、それに費した資金は、わずかにニルーブリ五コペイカである。この莫大な利潤は、なんらの危険なしにえられたのだ。わたしは買い手の目つきで、相手が決して小便しないことを見てとった。もちろん、あれはほんの偶然にすぎない、それはわたしにもよくわかっている。しかし、つまりこういう偶然をわたしは求めているのだ。そのためにこそ、わたしは街上の生活を決心したのだ。よしんばこうした偶然がきわめて稀であるとしても、それでもやはり同じことだ。わたしのおもなる憲法は、第一に決して冒険しないことと、第二には自分の食費に使うミニマムよりいくらか余計に稼いで、一日たりとも貯蓄を怠らぬことである。 人はいうだろう、-そんなことはみんな空想だ。お前は街上生活を知らないから、もう第一歩から人にだまされてしまう、と。しかし、わたしには意志がある、意地がある。それに街上の学問だって、ほかのすべての学問と同様に、根気と、注意力と、才能との前に屈服しないはずがない。中学校でも七年級までわたしは優等の組だった。数学はことに得意だった。いったい街上学なるものは、是が非でも失敗を証言しなければならぬほど、それほど偶像視して、祭り上げる値打ちのあるものだろうか! こんなことをいうのは、まだI度もなんの試みもしたことがなければ、なんの生活も始めたことのない、いつも据膳ばかり食べてすましている連中のいい草だ。
 『前車のくつがえるは後車の戒め』というかもしれない。いや、わたしは決してくつがえりはしない。わたしには意地がある。注意して学んだら、やれない道理はない。じっさい、間断なき根気と、間断なき観察と、間断なき熟慮と打算と、限りなき活動と奔走をもってして、なおかつ毎日二十コペイカだけは余分の儲けをする方法を体得するにいたらない、などということが想像できるだろうか? 何よりも第一に、わたしはマクシマムを狙わないで、いつも冷静を保つことに決心した。しかし干ルーブリか二千ルーブリ儲けたら、それからさきはもちろんわたしも、仲買や大道の取次ぎ屋の境地を脱するのだ。むろん、わたしは取引市場だの、株式だの、銀’行業務だの、そういったものについて、あまりに知るところが少ないのは、自分でも承知している。が、そのかわりこの取引市場でも銀行業務でも、他にひけをとらないくらい、そのうち研究しつくすつもりだ。この方面の学問だって、研究の順番がまわってさえくれば、きわめて簡単なものに相違ない。それは自分の五本の指同然わかりきった話だ。いったいそんなことに対して知恵がいるものか? 決してソロモンの叡知も何もあったものではない。ただ意気地さえあればいい。熟練も、手腕も、知識も、おのずからやって来る。ただ『欲する』ことをやめなければいいのだ。 何よりも冒険をしないのがかんじんだ。ところで、これは意地があって初めてできることだ。ついこのあいだわたしが来てから、ペテルブルグである鉄道株の募集があった。応募に成功した人たちは、非常な儲けをした。しばらくのあい

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だ、株は天井知らずに奔騰していった。ところで、応募のできなかった人か、それとも欲ばった連中かが、わたしの于に株券があるのを見、何割かのプレミアムをつけて売ってくれ、と申し込んだと仮定する。ところで、どうだろう、わたしは必ず即座に売り放したに相違ない。すると人は、も少し待っていたら、十倍も余計に儲けができたろうに、といってわたしを笑うに違いない。なるほど、そのとおりだ。しかし、わたしのプレミアムはもうふところに入っている、という点においてより正確だが、諸君の分はまだ空を飛んでいるではないか。そんなやり囗では大儲けができない、というかもしれない。しかし、失礼ながら、そこに諸君の誤算があるのだ、ココレフだの、ボリャコフだの、グボーニン(匹一に卵けJべ四皿靼Uだのというような連中の誤りがあるのだ。わたしは諸君に真理を伝授しよう。不断の根気づよい金儲けと、そして貯蓄(このほうが大切なのだ)とは、たとえ倍あろうと三倍あろうと、一時的の利潤より強力なのであるI フランス革命のちょっとまえ、パリにロウなる男が現われて理論の上では素晴らしい主張をもったある事業を画策した(もっとも、それは後にあえなく没落しだけれど)。すると、パリ全市が湧くように興奮して、ロウの株式は、おしあいへしあいの騒ぎまで演じながら、先を争って買い取られたものだ。募集の開始されたまには、パリ全市から集った金が、さながら袋の口でも開けたように流れ込んだ。はては家も狭くなってきて、群集は往来にまで密集した。そこにはブルジョア、貴族、その子ら、伯爵夫人、侯爵夫人、巷の女、1あ
らゆる職業、階級、年齢の人間が、まるで狂犬にでも咬まれたように、ものすごい半気ちがいの肉団となって、官位も、門閥の偏見も、誇りも、名誉も、世間体も、何もかも泥の中に踏みにじられてしまった。人々は(女でさえも)いく枚かの株券を手に入れるためには、いっさいを犠牲にして惜しまなかった。ついに応募は街上へ移ってしまったが、書くべき場所がなかった。そのとき、人々は一人の背むしに向かって、その背中の瘤を机に見立て、その上で申込みを書きたいから、しばらく背中を貸してくれと頼んだ。背むしは承諾した、-しかも、その貸料は目玉の飛び出るほど高価なものだった! しばらくして(それはまったくほんのわずかな間だった)みんなすっからかんに破産してしまった。すべては槿花一朝の夢と化し、妙案も何も煙のごとく消えてしまった。こうして、株はてんで一文の値打ちもなくなったのである。ところで、金儲けをしたのはだれだろう? ぽかでもない、例の背むしI人きりなのだ。というのは、株券を買わないで、現なまのルイ金貨をつかんだからにすぎない。つまり、わたしはこの背むしなのだ! 物も食わないで、一コペイカニコペイカの金から、七十ニルーブリ積み上げるだけの気力が、わたしにはあった。だから、すべての人を引っつかむ熱病の旋風のただ中でも、じっと押しこたえて、どんな大金よりも確実な金のほうをえらぶだけの気力も、同じくあるに相違ない。わたしは些細なことにだけこまかいので、大きな仕事にかけては太っ腹なのだ。わたしは『理想』の発生以後でも、下らない忍耐の必要な場合に、気力の不足したことはしばし
ばある。しかし、大忍耐に対しては、常に十分気力を持ちあわしているつもりだ。朝、わたしが勤めに出る前に、母が冷めたコーヒーを持って来たときなど、わたしはよく腹を立てて母に悪態をついたものだ。ところが、それでもわたしはまる一か月の間、ただパンと水ばかりで暮らした男なのだ。 手短かにいうと、金を儲けないのは、金儲けの方法を習得しないのは、不自然である。また間断なき規則ただしい貯蓄と間断なき省察と、冷静な思索と、抑制と、節倹と、そしてたえず生長していく精力とがあったら、くり返していうが、百万長者にならないほうが不自然なのである。あの乞食があれだけの金を儲けたのは、狂信的性質と根気づよい努力でなくてなんてあるか? いったいわたしは乞食にも劣るものだろうか?『それにまた、なんの結果にも達しられなくたってかまわない、おれの目鼻が不正確だっても平気だ、すっかり失敗して破滅するなら、破滅するがいい、どちらにしても同じこと、おれは依然として自分の道を進むまでだ、ただそうしたいから進むのだ』わたしはまだモスクワにいる時分から、自分で自分にそういった。 人はこれに対していうだろう、1それには何も『理想』なんてものはありゃしない、第一に、まるっきり何一つ新しいところもないじゃないか、と。これに対するわたしの最後の答えはこうだ。この中には無限に多くの思想が含まれている、無限に多くの新しいものが蔵されている。 おお、わたしは人々の抗議が、いかに瑣末なものであるかを予感していた。そして、自分の『理想』をのべることによ
つて、いかにわたし自身が瑣末な人間になるか、ということも直党していた。まあ、ほんとうにわたしは何をいったのだろう? 思うことの百分の一も、いい表わすことができなかったではないか。わたしは自分の説明が浅薄で、粗野で、表面的で、おまけにわたしの年よりも生若いものになりおおせたような気がする。
      3 さあ、今度はもう『なんのために』『どういうわけで』『それは道徳的なことかどうか?』云々、云々、というような問いに対する答えが残っているだけだ。わたしはこれらの問いに答えることを約束したのだ。 わたしはいま、一言にして読者を失望させるのが淋しい。が、淋しいとともに愉快である。ここでわたしは立派に断言するが、わたしの『理想』の目的の中には、ぜんぜんなんの『復僧』感もないのだ。バイロンめいた呪詛も、孤児の哀訴も、私生児の涙も、まるで何一つないのである。手短かにいうと、もしこの手記がロマンティックな婦人の目にふれるようなことがあったら、その婦人はたちまち悲観して、しょげかえるに相違ない。わたしの『理想』の目的は挙げて孤独にあるのだ。「しかし、孤独だけなら、ロスチャイルドになるなんて威儺らなくても、楽に達せられるではないか。いったいなんのためにロスチャイルドなんか引合いに出すのだ?」 ほかではない、わたしは孤独のほかにまだ力が必要だから



だ。 ここでわたしは一つの前置きをしよう。読者はわたしの告白の露骨なのに慄然として、単純な調子で自問するかもしれない。『どうしてまあ、作者は赤い顔もせずにいられたのだろう?』と、これに対して、わたしはこう答える。わたしがこれを書くのは読者のためではない。わたしが読者を持つようになるのは、まあ十年ばかりもたって、今さら赤い顔をする必要のないくらいいっさいが遠い過去のことに羂し、万事明瞭に証明せられたときだろう。かような次第だから、わたしがときどきこの手記の中で読者に呼びかけるのは、あれはただほんの技巧なので、わたしの読者は仮想的存在にすぎないのだ。 いやいや、わたしの『理想』の胚子となったのは、決してトゥシャールの塾であれほど愚弄された私生児という身分でもなければ、子供のときのわびしい月日でも、復讐の観念でも、ないしはプロテストの権利でもない。いっさいの原因は、たんにわたしの気質にあるのだ。十二くらいの年から、いや、ほとんど正しい意識の発生と同時に、わたしは人間がきらいになったような気がする。きらいというよりも、むしろ人間が重苦しく感じられだしたのだ。ときおり純な気持ちになった瞬間など、親しい人たちにさえ、思ってることをすっかり話してしまえない自分が、われながらわびしくてたまらなくなることがあった。いや、話せないのではない、話そうと思えばできるのだが、気が向かないのだ、なぜか控えてしまうのだ。わたしは疑ぐり深くて、気むずかしく、そして
交際ぎらいな人間なのだ。さらにそのうえ、もうだいぶん前から、ほとんど幼年時代から、わたしは大を責めすぎる性質があるのに気づいていた。実際、わたしは過度に他人を非難する傾向を有している。しかし他人を非難する後から、すぐにつづいてまた一つ別な想念、1わたしにとってこの上なく苫しい想念が、湧き起こるのが常であった。ほかでもな・い、『悪いのは彼らでなく、おれ自身ではなかろうか?』という疑念なのだ。ああ、どのくらいわたしはいたずらに自分で自分を責めたことか? こんな疑念に苦しめられまいがために、自然、わたしは孤独を求めたのだ。そのうえ、どんなに骨折ってみても(事実、わたしは骨折ったのだ)、他人との交際に何一つ啓発されたことがない。少なくとも、わたしと同年配の者や学校友達などは、みんなどれもこれも、思瘁的にわたしよりずっと低い水準線に立っているのだ。一人として例外があったのを覚えない。 そうだ、わたしは陰気くさい男だ。わたしはいつでも隅っこへ引っ込んでばかりいる。わたしはしじゅう社会から出て’しまいたいと思うくらいだ。わたしとても、あるいは人のために善根をするかもしれない。けれどたいていの場合、彼らに善根をなすべき理由を見いだしえないのだ。それに、大問てものは、そう心配してやる値打ちのあるほど美しいものでもない。いったいどういうわけで彼らは、率直な態度で直接わたしに近寄って来ないのか? そして、またなぜ必ずわたしのほうからさきに、彼らのそばへべたべたくっついていかねばならないのか?

 こういうふうにわたしは自問自答していた。元来、わたしは恩義に感じる人間である。このことはすでに数限りないばかげた行為で証明した。わたしは人から胸襟を開いて来られると、すぐさま同じものをもって報いたうえ、さっそくその男が好きになるような人間なのだ。実際、わたしはそのとおりにした。ところが、人はみなすぐにわたしをだまして、冷笑を浮かべながら、どこか隅っこのほうへ引っ込んでしまう。だれよりもいちばん開け放しだったのは、子供の時分よくわたしをぶったランベルトである。しかし、あれはたんに開けっ放しな悪魔で、強盗にすぎない。それに、彼の開けっ放しは、愚かな性質から出たものだ。これはペテルブルグへ着いた当時のわたしの思想である。 あのときデルガチョフのとこを辞し去ると(いったいなんのために、あんなところへ行く気になったのだろう?)わたしはヴァーシンのそばへ近づいた。そして、感激の発作に駆られるままに、囗をきわめて彼を貪め立てた。ところが、どうだ? さっそくその晩、彼を愛する熱が、ずっと弱くなったのを感じたではないか。それはどういうわけか? ほかでもない、彼を賞めたたえることによって、自分を卑下することになったからである。しかし、実際のところ、事実は正反対であるべきはずなのだ。おのれをそこなってまで他人の正義を認めるほど、公平にしてかつ寛大な人間は、その人格の上からいって、ほとんどすべての人に優れているはずではないか。しかるに、どうか、-わたしはこの道理を百も承知していながら、それでもヴ″Iシンがあまり好きでなくなっ
た。いや、むしろいやになったといっていいくらいである。わたしはわざと読者に親しい例をとったのだ。クラフトのことを思い出してさえも、わたしはにがずっぱいような心持ちを感じた。それは彼が自分からわたしを玄関へ押し出すようにしたからだ。わたしはずっとこういう心持ちをいだきつづけたが、翌日になって、クラフトのことがいっさい釈明されたので、もはや腹を立てるわけにいかなくなった。中学でもごく下級のころから、わたしはだれかほかのものが学問とか、気のきいた頓知とか、あるいは腕力とかで、わたしに立ち優るものがあると、わたしはさ。そくその子供を相手にしたり、話をしたりすることをやめてしまうのだった。べつにその子供を憎むとか、失敗を願うとかいうわけではない。ただ背中を向けるのだった。そういうわたしの性質なのだ。 そうだ、わたしは生涯、力を渇望していたのだ、力と孤独を望んでいたのだ。もし人がわたしの頭蓋骨の下をのぞいて見たら、みな面と向かって大笑いに笑いだすに相違ないと思われるような年ごろから、早くもわたしはそんなことを空想していたのである。こういうわけで、わたしは秘密を愛しはじめたのである。そうだ、わたしは一生懸命に空想して、人と話などしている暇がなかったのだ。それがために人はわた。しのことを人づきの悪い男という結論を下したばかりか、わたしの放心癖のために、もっと悪い結論を下した。しかし、薔薇色をしたわたしの双頬は、まったく正反対なことを証明したのだ。 夜ふけてあたりを歩きまわる人もなく、ことりという物音
9Q



もなくなった時分、たったひとり床の中に横たわって、毛布にくるまりながら、人生の改造をはじめるときほど、幸福なことはなかった。こうした烈しい空想癖は、ついにわたしを『理想』の発見にまでつれていった。それと同時に、すべてのわたしの空想は愚より転じて賢になった。小説の空想的形式を脱して、現実の合理的形式にはいったのである。 いっさいは唯一の目的にとけこんだ。もっとも、以前の空想も、数え切れぬほどたくさんあるにはあったが、しかし、箸にも棒にもかがらぬくらいばかげたものではなかった。中には、わたしの秘蔵していたものもある……が、そんなものを今さらここへ出すわけにはいくまい。 力!・ おそらく多数の人は、わたしのような『やくざ者』が力を狙っていると知ったら、さぞかしおかしがるに相違ない。しかし、わたしはもっと彼らの度胆を抜いてやる。わたしの空想時代のごく初期のころから、つまり、まだほんの子供の時分から、わたしは生活がどんなに変転しても、常に自分が社会の第一位を占めている光景よりほか、どうしても想像してみることができなかった。もう一つ奇怪な告白をつけ足しておく。あるいは、この心持ちが今日までつづいているかもしれない。ついでにことわっておくが、わたしは決してだれにもゆるしなどを乞おうとは思わない。 金、-これこそまるで一顧の価値もないような人間をも、第一位に導いてくれる唯一の路である。これがわたしの『理想』なのだ、その力なのだ。わたしもあるいはそれほど無価値な人間でないかもしれないが、たとえば、わたしの容
貌である。わたしは鏡を見て自分は外貌でだいぶん損をしている、自分の顔は平凡だ、ということを知っている。けれIど、もしわたしがロスチャイルドほどの金持ちだったら、だれがわたしの顔を云々するものがあろう。幾干の婦人も、ちょっとわたしが口笛を吹きさえすれば、その美貌をひっさげて、わたしのとこへ飛んで来る道理ではないか。それどころか、しまいには婦人たちも、心底からわたしを美男子だと思うようになるに相違ない。またわたしはことによったら、賢い男かもしれない。が、もしわたしの額が七ピャージ(J乃い鄒い混麗)あるとしたなら、世間には必ずハピャージの額。を持った男が、即座に現われて来るに違いない、―すると、もうわたしはだめになってしまう。ところが、もしわたしがロスチャイルドだったら、たとえハピャージの額を持った男でも、わたしのそばでは一文の価値もないわけではないか? それにわたしがそばにいたら、人がそんな男にものなどいわせはしない! またわたしのそばにタレイランかピロンがいたら、わたしはもう光芒を失ってしまうわけだが、わたしがロスチャイルドになるが早いか、ピロン何するものぞ、タレイランでさえなんの価値もないかもしれない。金はもちろん専制的な魔力である。しかし、それと同時に、またこの上ない平等の権化でもある。そこに金の恐ろしい力のすべてが含まれているのだ。金はあらゆる不平等を平等にする。これはみなわたしがまだモスクワにいる時分からきめたことだ。 もちろん、人はこの思想の中に、才能に恵まれた人物に対する凡庸の暴慢と、強圧と、勝利しか見ないだろう。わたし
も、この思想が傲岸なものであることに異存はない(それだからこそ甘い魅力を持っているのだ)。けれど、かまいはしない、それでいいのだ。しかし、読者諸君は、わたしがあの当時力を渇望したのは、是が非でも他人を蹂躙するためだ、復讐のためだと思ってるだろうか? そこなのだ。凡庸は必ずそのとおりをやるに違いない。いや、それどころか、さもえらそうにお高くとまっている幾干の賢人才子でさえも、もしとつぜんロスチャイルドの富を頭から浴びせかけられたら、とたんに我慢できなくなり、思いきり下劣な凡庸連と同じように行動し、だれよりもいちばんひどく他人を踏みにじるに相違ない。ところがわたしの理想はそんなものではない、わたしは金など恐れない。わたしは竟に踏みにじられもしなければ、他人を踏みにじるように強制されもしない。 わたしには金は必要でない、といって語弊があれば、わたしに必要なのは、竟でもなければ、力でもない。わたしの必要とするものは、力のみによって獲得されるもので、力なしにはどうしても徑られないものだ。ほかでもない、孤独な落ちついた力の意識である! これこそ世界じゅうの人が一生懸命にもがいて、考えだそうとしている自由の最も完全なる定義である! 自由! わたしはとうとうこの偉大な言葉を筆にした……そうだ、孤独の力の意識、-なんと美しく魅力に富んでいることか! わたしには力がある、それでもわたしは平然としている、それはちょうどジュピターが雷を掌中に握っていながら、しかも案外しずかなのと同じようである。ジュピターが鳴りはためくのを、そうたびたび聞くこと
があるだろうか? ばか者には、寝ているように思われるくらいだ。ところで、もしジュピターの位置にそのへんの文学者か、それとも田舎のばか女房でも置いてみるがいい、それこそどれくらい雷がごろごろ鳴りだすかわかりゃあしない! もしわたしに力があったら(と、当時わたしは考えていた)、その力はぜんぜんわたしに不用なものだ。まったくのところ、わたしはどこへ行っても、みずからすすんで一番の末席を占めるに相違ない。もしわたしがロスチャイルドだったら、わたしは古ぼけた外套にこうもり傘を持って、てくてく歩きまわるつもりだ。往来で突き飛ばされたり、馬車に轢かれないように、泥の中をぴょいぴょいと飛んで歩かねばならないとしても、それがわたしにとってどうしたというのだ。なに、これはわしだ、ロスチャイルド自身だという意識が、かえってその瞬間にわたしを浮き立たせてくれるだろう。自分の家にはどこにもないような食事がある。世界一の’料理人がいるということを、わたしは承知している。それを知っているだけでたくさんなのだ。わたしは一斤のパンと(ムを食っただけで、自分の意識に満腹することができるのだ。わたしは今でもやはりそう思っている。 わたしはものほしそうに貴族ぶるまい。貴族らしさは向こうのほうから自然にやって来る。わたしは女の後など追いまわすまい。女のほうで自分から、女の捧げうるすべてのものを捧げながら、水のように流れ寄るに相違ないのだ。『陋劣な女』は金のために来るだろう。賢い女は、いっさいに対して恬然として隠者のように暮らしている、不思議な、傲岸な



人物に対する好奇心にひかれて来るだろう。わたしはその両方とも優しくもてなして、もしかしたら、金もやるかもしれない。けれど、彼らからは決して何も取りはしない。好奇心は情熱を生むのだから、わたしもあるいは彼らに情熱を感じさせるかもしれない。しかし、彼らは何ものをもえずして去るのだ。わたしは誓っていうが、実際おくりものを持って帰るだけにすぎない。すると、わたしはひとしお興味ある人物となるわけだ。
われはただかく思う心のみに1足ろうなり……[]に川匹廿づ『。』
 ただ不思議なことは、わたしはまだ十七の年から、こうした想像の絵巻(とはいえ正確なものだった)に夢中になっていたものである。 わたしはだれにもあれ、人を踏みにじったり、苦しめたりするのはいやだ。けれど、もしわたしがだれか自分の敞を破滅させようと望んだら、だれひとりそれを妨げるものがないばかりか、みんな手伝ってくれるに相違ない。わたしはそれを承知している。それでわたしは満足だ。わたしはだれにも復讐しようとは思わない。わたしがいつも不思議に思うのは、どうしてジェームスーロスチャイルドが男爵になることを承知したかである。いったいなんのためだろう、なぜだろう? そんなことをしなくっても、彼は全世界のだれより上に立つ入間ではないか!
 『もしおれが駅逓で替え馬を待っているあいだに、傲慢な将軍がおれを侮辱したとしても、おれは少しもかまやしない。いったんおれが何者であるかを知ったら、その将軍はすぐさま駆け出して、自分から馬をつけたうえに、おれの質素な旅行馬車へおれを助け乗せるに相違ない! いつか新聞で読んだことがあるが、ある外国の伯爵だかが、ツインの鉄道で、大勢ひとの見ている前でその地方の銀行家の足に上靴をはかせてやったところ、こちらは平凡至極にも、黙ってはかせたとのことである。またどこかの恐ろしいような美人(まったく恐ろしいのだ、そういう美人がよくあるものだ)-華々しい名門の貴族の令嬢などが、汽船の上かどこかで、偶然おれに出会うとする。令嬢はじろじろ横目を使いながら、つんとすましかえって、この本か新聞を手にしたくすんで見っともない男が、どうして自分のような貴族とならんで、生意気千万にも一等席などにすわり込んでいるのだろうと、軽蔑の念をいだきながら、あきれかえるに違いない。けれど、もしこの令娘がおれの名前を知ったら、どうだろう! もちろん、彼女は知るに相違ない、-知るやいなや、自分のほうからおれのそばへすわり直して、すなおな、臆病な、優しい表情で、おれの視線を求めながら、おれのほほ笑みを見つけて、有頂天になるのだ……』 わたしはいっそう明瞭に思想を表現するために、わざとこうした少年時代の空想の絵巻を挿入するのだ。しかしこの絵巻は、色のあせた瑣末なものかもしれない。ただ現実のみがいっさいを証明してくれる。
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 人はこういうかもしれない、-そんな暮らし方をするのはばかな話だ、なぜホテルを持ってはいけないのか? なぜ万人に開放された立派な家を持ってはいけないのか? さまざまな会合を催したり、社会に対して勢力をもったり、結婚したりするのが、どうしていけないのか? しかし、そうしたらロスチャイルドはどうなるのだ? それこそ、そのへんの有象無象と変わりがなくなるではないか。『理想』の美しきも、その内的な力も、すっかりふいになってしまうではないか。わたしはまだ子供の時分に、プーシキンの『吝嗇の騎士』のモノローグを暗誦したものだが、あれ以上思想において優れたものは、プーシキンもその後かつて創り出したことがない1・ 今のわたしもやはりあれと同じ思想なのだ。 「しかし、きみの理想はあまり下等だ」と人は軽蔑の調子でいうだろう。「金、富! ところが、社会の福祉、人道的貢献となると、まるで別な仕事だ!・」 しかし、わたしがどんなふうに自分の富を費消するかは、おそらくだれひとり知るものがあるまい。幾百万という金が、穢れた有害なジュウの手から、鋭い目で人生を見つめている、意志堅固な、醒めた隠遁者の手へ移るということが、どうして背徳なのか、なぜ下等なのか? ぜんたいから見て、こうした未来の空想や予言はみな、今のところまだ小説かなんぞのようなもので、こんなことを書き立てるのは無駄かもしれない。やはりわたしの頭の中に秘蔵しておくほうがよかったらしい。それに、これらの文字を読むものは、だれ一人ないかもしれぬ、それもよく承知している。しかし、も
しだれか読む者があるとすれば、その人はわたしがロスチャイルド的な富を持ちこたえることができないかもしれぬ、と考えるだろう。が、それはわたしが富に圧倒されたがためではなく、まるで正反対な意味合いなのだ。わたしはもう一度や二度でなく自分の空想裡で、わたしの未来におけるある一瞬問をつかんだ、―それはわたしの意識があまりに飽満して、力があまり軽少に感じられるときなのである。そのとき、わたしはいっさいの富を他人に与えてしまおう(それは何も倦怠のためでもなければ、あてのない憂愁のためでもなく、ただ無限により多くのものを望むからだ)。わたしは社会にその富の分配を一任して、ふたたび凡庸の中へまぎれ込むのだ! ことによったら、わたしは汽船の上で死んだ例の乞食のようになってしまうかもしれない。ただ違うのは、わたしのぽろの中に何も縫い込んでないだけである。かつて自分の手に数百万の金があったのを、弊履のごとく汚泥のなかに捨ててしまったという意識が、曠野の中でもわたしの心を培ってくれるだろう。わたしは今でもそう考えている。そうだ、わたしの『理想』は城砦である。わたしはいつどんな場合にでもIたとえ乞食になって汽船の上で死んでも、その中で人を避けることができるのだ。これがわたしの詩編なのだ!・ どうかこのことを承知してもらいたい。わたしには是が非でも自分の悪徳的意志がぜんぶ必要なのだ。しかし、たんにそれを放つ力があるということを、自分自身に証明するためにのみ必要なのである。 疑いもなく、人々はこれを単なる詩的空想として、たとえ



数百万の金がわたしの手にはいるとしても、決してそれを手放すことではない、サラートフの乞食などになることではない、といって抗弁するだろう。あるいはほんとうに手放さないかもしれない。わたしはただ自分の考えている理想を描いたにすぎないのだ。が、これだけのことはまじめにつけ足しておく。もしロスチャイルドと同じ額に達するだけ貯蓄に成功したら、実際とどのつまり、その富を社会に投げつけるかもしれない(しかし、ロスチャイルドと同じ額に達するまでは、ちょっと実行が困難である)。じっさい半分の金も出さないつもりだ。そうでなかったら、卑屈な振舞いになってしまうだろう。つまり、わたしがいっそう貧しい人間になるきりだ。ところで、もしわたしがすっかり、本当にすっかり、最後のIコペイカまで出しつくしたら、乞食になっても、そのときわたしは忽然として、ロスチャイルドより二倍も富裕になるのだ! これが人にわからなかったら、それはわたしの罪ではない。これ以上説明するのはごめんだ。 『それは婆羅門托鉢僧の教えだ、凡庸と無力の詩趣だ!』と人々はきめてしまうだろう。『無能と中庸の凱歌だ』 そうだ。これにはいくぶん無能と凡庸の凱歌といった趣きはある。それはわたしも是認する。けれど、無力ということがはたしていえるだろうか? わたしは次のような光景を想像するのがばかにうれしかった。ほかでもない、その無能で凡庸な一人の男が、世間の面前に立って、顔に微笑を浮かべながら、『あなた方はガリレオです、コペルニクスです、カルル大帝です。ナポレオンです。あなた方はプーシキンです、
シェークスピアです、あなた方は大元帥です、式部官です。ところが、わたしは無能な一私生児にすぎません。が、それでもやはり、あなた方より優れています、なぜって、あなた方が自分でそれに屈服したからです』とこういっている場景である。わたしはこの妄想を極度にまで押しすすめて、ついには教育さえ軽蔑するにいたった。わたしは、この人間が見苦しいほど無教育だったら、さらに魅惑的だろうと思った。この誇張にすぎた妄想が、当時、中学校の七年級におけるわたしの成績に影響したほどである。つまり、教育のないほうがかえって理想の美を増すというフ″ナチズムのために、わたしは勉強するのをやめてしまったのだ。今ではこの点だけ信念を変えた。教育があっても邪魔にはならない。 諸君よ、いったい思想の独立ということは、こんな些細な程度のものでも、それほど諸君にとって厄介なものだろうか? ああ、たとえ誤ったものであろうとも、美の理想をもてるものは幸福なるかな! わたしも自分の理想を信じているのだ。ただぽくの叙述の仕方が下手で、間違っていて、いかにも幼稚をきわめている。もう十年もたったら、もちろんもっとうまくいくはずだが、今はただ記憶のためにちょっと書き残しておくのだ。 わたしはようやく『理想』の説明をおわった。もし書き方が下等で、上っ滑りがしていたら、それはわたしが悪いので、『理想』の罪ではない。もう前にことわっておいたとお
り。単純な思想ほど理解が困難である。おまけに、この『理想』を以前のままの形式で書き表わしたから、ひとしお困難が増したのだ、ということをつけ加えておこう。思想にはまたこういう逆理がある、1下劣で手軽な思想は、なみなみならず迅速に理解される、そして必ずや群衆によって、全町内の人によって理解されるばかりか、おまけに偉大な天才的なものとして祭り上げられる、―が、それはその出現の日一日きりだ。安物はもちが悪い。迅速な理解は、たんに理解されるものの下等さを証明するにすぎない。ビスマルクの理想は、たちまちにして破天荒なものとなり、当のビスマルクは天才に祭りあげられた。しかし、つまりこの速いという点が怪しいのである。わたしはビスマルクを十年の後に待っている。そのときに彼の理想から、そして当の宰相先生自身から、はたして何ものが残るかが見ものだろう。この思いきってかけ離れた、本筋に少しも関係のない感想を挿入したのは、もちろん比較のためではなくて、やはり記憶のためである(これはごくごくさとりの悪い読者のための説明だ)。 ところで、今度いよいよ『理想』の説明を片づけてしまって、物語の妨げとならないために、二つの逸話を話して、それでうち切りとしよう。 それはペテルブルグヘたつ二か月まえ、夏七月のことだった。当時もうすっかり自由になったわたしは、マリヤ夫人の依頼で郊外のトロイツキイ町へ出かけた。それは詳しく話すにはあまりに面白がらぬ用件で、そこに住まっている老嬢を訪問するためだった。わたしはその日すぐ帰途についたが、
汽車の中で一人の醜い若者に気がついた。身なりはそう惡くないが、ただ薄汚くなっていて、同じ汚れたような感じのする浅黒い顔のブリュネットで、おまけにあばたがあった。この男の変わった点は、大駅小駅、停車場ごとに必ずおりていって、ウォートカを飲むことだった。しまいにはその男のまわりに、一つの陽気なサークルができた。もっとも、みんな思いきってやくざな連中ばかりだった。とりわけ一人の商人(これもやはり少々きこしめしていた)が、のべつ飲み通しにしていながらも本性を失わない若者の腕前に感嘆していた。それから、もう一人おそろしくばかげた若者がいて、これもすこぶる愉快らしいふうだった。これはドイツ風の服装をした、むやみにおしゃべりの、たまらなくいやな臭いを立てる男で、後から聞いたところによると、どこかの下男だそうである。若者はこの下男とすっかり仲好しになって、汽車のとまるたびに彼をさし招き、引き立てるのであった。 『さあ、またウォートカをやる時刻だ』 こういって、相擁しながら出て行くのだ。酒飲みの若者は、ほとんどひとことも囗をきかないで、だんだんとまわりにふえてくる仲間の話ばかり聞いていた。そして、囗一杯に唾でも溜めたような声で、ひっきりなしにひひひひと笑いながら、ときどきまるで思いがけなく『チュル、リュル、リュウー』といったような声を発して、恐ろしく滑稽な手つきで、指を舁へもっていくのだった。これが例の商人や下男をはじめ、一同のものを浮き立たせた。彼らはばかげて大きな声で、無遠慮にげらげら笑うのであった。時とすると、人が