(書く予定)
わたしがインターネット文化について考えるとき、まずはじめに問題にしたいのは、中村哲氏(1946―2019)がどういう人生をおくってきたか、なぜつきつめなかったか、ということである。
中村哲氏には、火野葦平(玉井勝則)氏(1907―1959)という非常に興味深い人物と幼少期から青年期にかけて関係があった。そこから、中村哲氏の、とくに幼少期のイメージをつきつめるべきだった。わたし自身の反省もふくめて、批判したい。インターネット文化が独立性を生命線の一つとするならば(結局のところ、最初からろくに守る気がなかったといまにして思うが。)
(ここから書き始める予定)
梶村秀樹先生の著作の復刊が、進んでいない。このことについて分析するには、「反日学者」のあつかいからはじめるより、「復刊」をめぐる現状分析からはじめたほうがいい。これは「日本のレイシズム」を軽視しているからではなくて、「復刊」をめぐる状況分析があまりにおざなりにされているからである。レイシズムを分析した本はあるが、復刊を分析した文献は少ない。
いまCiNiiとamazonで調べたら、本当だった。