『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

これまでのわたしの”インターネット上”での活動の、とりあえずのまとめ その1 「通俗の王様 『ドラえもん』」への関心

Colaboの件で、署名をしてきた。

この件で、これまでのわたしの”インターネット上”での活動の、とりあえずのまとめをしておいたほうが、わたし(と協力者)の精神衛生にも、「公益」の意識の形成にもかなり有益と判断し、かきはじめる。インターネット文化への、確実な洞察(もちろんそれだけでないが)が必要になると痛感した。

なぜ、わたしが”インターネット上”での活動、ということをいうのかといえば、わたしが具体的に活動できる文化圏だからである。ここで読者に確認してもらいたいのが、このわたしが”インターネット上”での関心といったときに、ぱっと見るとかなり狭い部分、しかしよく考えてみるとかなり広い部分に限定して活動している、少なくともわたしはそう考えて活動している、ということである。
わたしが”インターネット上”のどういう部分で活動しているか、はっきりいえば、「必要な執筆物とはなにか」つまり「必要な知識とはなにか」という問題である。理由はほとんど伏せるが、わたしはこういう部分に限定して活動してきた。

さて、すぐ書き終わるところから。

てんとう虫版『ドラえもん』収録作品の初出データ一覧(圧縮版、1巻~45巻) - 『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『アンナ・カレーニナ』(米川正夫・訳)の完全電子化をすすめるブログ

わたしは、『ドラえもん』の歴史と、その歴史への認識をほんの少し追跡したことがある。なぜか。藤子・F・不二雄氏が、「通俗の王様」という称号に非常にふさわしく、F氏の作品が、そこそこの金をだせば受容できる、実質的に共有財に近い性格をもった作品だからである。わたしは、実質的な共有財、というものの性格に興味があった。はっきりとあった。
そこで、4種類以上のインターネット上で入手できる情報を調べた結果、あることが90パーセント以上の確実さで確定できることがあることがわかった。1974年~1975年のてんとう虫コミックス版『ドラえもん』の大ヒットについて、まとまった分析はほぼない、ということである。
まず、てんとう虫コミックスが発売された時の広告は、現時点で、1枚しかない(『ドラえもん 0巻』巻末収録)。
非常に熱心でいろいろなテーマをとりあげている雑誌、「NeoUtopia」にも、そのような記事はない。

藤子不二雄ファンサークル ネオ・ユートピア 公式ブログ
藤子不二雄ファンサークル ネオ・ユートピア 公式ブログ: バックナンバー通販案内(2023/3/19更新)

藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん』全巻を図書館で確認したが、てんとう虫コミックスの広告はなかった。

そもそも、てんとう虫コミックスの広告をさがしている人を見つけることができなかった。

もう一つ、こちらのほうが重要なのだが、てんとう虫コミックス版『ドラえもん』が、たとえば3カ月で何冊売れたのか、そういうデータがほぼ、ない。
関連書籍を10冊以上あたったが、なかった。
考えてみてほしい。何冊売れたのかまったく考えない漫画家というのが存在するだろうか。きわめて重要な知識のはずだ。それがあたかも、重要な知識でないかのようにみなされている! このことを確認したとき、わたしはなにか非常に奇妙な問題がある事を確信し、非常に驚いた。
F先生は、性描写など、時代の限界をかかえたひとだったと思う。しかし、すべてをひっくるめて考慮して、人々にかなりの幸運をあたえたと思う。また、あたえようとしたと思う。その人が、人生で非常に力をこめて行動し、幸運をつかんだ瞬間、そこを見たいという人がこんなにすくないのは、非常におかしい。これでは、あなたもわたしも、幸運をつかめない。
ドラえもん』の最終回についての分析はたしかに多いのだが、なにかはっきりしない部分があるのは、そこだと思う。
F先生は、1974年か1975年、幸運をつかんだことを確信しただろう。そのあと、このことをほとんどわすれていただろう。F先生の幸運をつかんだときの証言がないのは、それが理由だろう。
しかし、それにほかの人がもたれかっていい理由はない。
せめて、「そこに問題がある」といってほしい。それなら、ほんとうに誰でもいえる。

わたしがなぜこんなに書き続けているのか、わからない人のほうが多いだろう。それをいうことはある意味で、簡単である。「物事の重み」というのを考えてほしい、ということである。1974年~1975年のてんとう虫コミックス版『ドラえもん』のヒットの歴史的影響は非常に大きい。たくさんの漫画家に、チャンスをあたえた、このことは確かである。そして、それに対して「そこに問題がある」というのをさまたげるものは、本当になにもない。「物事の重み」というのは、そういうものだと思う。いろいろあるけど、そういうことを言えるという事はわたしにとってある意味で、「一寸の虫にも五分の魂」だと思う。

わたしの親戚に、生きている間、三回死ぬかもしれない出来事にあった人がいた。そのうち一回は、戦時中、たしかその人の乗っていた一隻だけ無事に渡れて、あとは全部沈んだのだという。しかし、生涯大けがをせずに、死ぬときは安らかに死んだという。近い人には、なにか存在感のある人として知られていたようである。その人の子どもも、三回、死ぬかもしれない出来事にあった、そのたびに、耳鳴りや頭痛がして、とっさに反応して大けがをせずにすんだ、といっていた。その人は、誰も信じていないけれどわたしは父から「運」をうけとった、とときどきいっていた。わたしも、その「運」を、多少うけとっている、と思っている。だから、わたしは「運」は生死にかかわると思っている。だから、重要なのである。
だから、F先生の「幸運」にすこしでも迫りたい、ということは、非常に重要な事だとわたしは考えている。