『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

これまでのわたしの”インターネット上”での活動の、とりあえずのまとめ その2 電子化作業(工事中)

梶村秀樹著作集』電子化の反応、ほとんどなし。4年間ぐらいの間で、コメント1件。それで、梶村先生に関係のある3団体にメールしたら丁寧な返事がきた。
心ある人は、梶村秀樹先生が世に認められないことに、非常に苦しんでいるはずである。それはわたしも痛いほどわかる。本当に、目がくらむぐらいものすごく高いところでたたかっていた人だったから。それでも、インターネット上でほとんど反応なし。ぶつかってきてくれない。別の事に取り組んでくれ、ともいわない。すじのとおらない極右もこない。
(工事中)

ドストエフスキー作品、トルストイ作品、電子化、ほとんど反応なし。短編はデータ上1件もアクセスなし。
あれだけ有名な作家なのだから、少しは得をしただろう、と思われるだろう。正直、ほとんどない。協力者は2人いる。しかし、広く読まれそうな作品が、なかなか読まれない。ドストエフスキー短編はデータ上アクセス数ゼロ。『白夜』など、超有名作もアクセス数ゼロ。四大長編は少しは読んでもらえる。
正直、こっちもある程度我慢している。梶村秀樹先生ならばともかく、ドストエフスキートルストイの作品にアクセスすることを妨げるものは、なにもないはずだ。

インターネット文化、というのが、心ある人ほど軽蔑する理由が私はわかる。正直、わたしも本気では擁護したくない。むずかしい言い方になるが、インターネットというものに本気でぶつかっていかないからだ。本気でぶつかれば、たとえ失敗したとしても、本当に損はしない。物事の重みを直視していない。わかってもらえるかどうかわからないが、わたしはこういう言い方をせざるをえない。


わたしは、私自身は死んだ後で世に認められてもいいという姿勢でずっとやってきた。梶村先生のほうを先に世に認めさせてほしい、とずっとおもってきた。残念だ。
(工事中)