『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「アンナ・カレーニナ」1-16~1-20(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一六[#「一六」は中見出し]

 ヴロンスキイはかつて家庭生活というものを知らなかった。母親は若いとき光まばゆいばかりの社交婦人で、結婚してからも、ことに寡婦《やもめ》になってから、かずかずのローマンスをつくっては、社交界に浮名《うきな》を流していた。彼はほとんど父の記憶がなく、幼年学校で成人したのである。
 まだごく若い時に、はなやかな青年士官として学校を出ると、彼はさっそくペテルブルグの富裕な軍人におきまりの軌道へはまりこんでしまった。彼はときどきペテルブルグの社交界へ出入りしてはいたけれども、色事はすべて社交界以外に限られていた。
 ぜいたくでがさつなペテルブルグ生活のあとで、彼ははじめて社交界の無垢《むく》な美しい令嬢に接近して、その愛を享《う》ける喜びを味わった。キチイに対する自分の態度に何か悪いところがあろうなどとは、まるで彼の頭に浮んでこなかった。舞踏会でも彼は主として彼女と踊った。彼女の家へもせっせと出入りした。ふつう社交界で語られること、つまりいろんなつまらないことを彼女と二人で話しあった。しかし、つまらないこととはいっても、女にとってはなみなみならぬものと思われるような特殊な意義を、彼はわれともなしに自分の話に加味したのである。何もべつだん、みんなの前でいえないようなことをいったわけではないが、彼は女がしだいに自分の意志に左右されてくるのを感じ、そう感じるといよいよ愉快になり、女に対する彼の感情はやさしくなっていった。彼としては、キチイに対する自分のやりかたは一定の名称を有していて、これこそすなわち、結婚の意志なくして若い令嬢をまどわすふるまいであり、これは、彼のごときはなばなしい位置にある青年にとっては、ありふれたものであるとはいえ、よからぬ行為の一つに相違ないということを、自分では意識していなかったのである。彼は自分がはじめてこの満足感を発見したような気がして、その発見を享楽していたのである。
 もしこの晩キチイの両親が話しあったことを聞くことができたら、もし自分の立場を家族という観点に移して、万一自分が拒絶したらキチイが不幸に陥るということを知ったなら、彼は心底から一驚を喫《きっ》して、しょせんそれを信じることができなかったに相違ない。自分に、というよりも、主として彼女にこれほど大きなこころよい満足を与えるものが、悪いことでありうるなどとは、彼として信じられない話であった。ましてや自分が結婚しなければならないというにいたっては、なおさら信じられないことであった。
 結婚ということは彼にとって、しょせんありうることとは思われなかった。彼は家庭生活を好まなかったばかりでなく、一般に彼の住んでいる独身者の世界から見ると、家族、特に良人というものには、何か縁もゆかりもない、氷炭相容《ひょうたんあいい》れぬ、そして何よりもこっけいなところがあるように思われた。しかし、ヴロンスキイは両親の話したことを夢にも知らなかったとはいうものの、この晩シチェルバーツキイ家を出た時、自分とキチイの間に存在していた精神的なつながりが、この晩特に強く固定したのを感じ、なんとかしなければなるまいと思った。しかし、何をしなければならぬか、何をすることができるか、彼にはとんと考えつけないのであった。
『なに、あれだけでもすてきなのだ』シチェルバーツキイ家を辞した時、いつものように清浄で新鮮なこころよい感じと(それは、彼が一晩じゅうタバコをすわなかったことにも原因していた)、同時に、自分を慕《した》う乙女《おとめ》の恋心に対する感激という新しい感じをいだきながら、彼はこう考えるのであった。『僕のほうからも、彼女のほうからも何一ついわなかったけれども、あの眼と声の調子だけの無言の会話で、おたがいによく気持がわかった。彼女はいつにもましてはっきりと、わたしは愛していますといったのだ。あれだけでもすてきだ。それに、なんというかわいらしいものごしだろう、気どりけがなくて、それにだいいち、あの信じきったような態度! おれ自身までが、今までよりも善良で、純潔になったような気持だ。自分にも心というものがある、自分にもいいところがたくさんあるような気がする。あのかわいいほれぼれしたような目つき! あの「それにとても……」といった調子』
『さて、それでどうなのだ? なあに、どうでもありゃしない。おれもいい気持だし、彼女もいい気持なんだもの』そこで彼は、今晩の締めくくりをなんとつけようかと思案しはじめた。
 彼は心の中で、これから行く先をひとわたりあたってみた。『クラブにするか? ベジク([#割り注]かるた[#割り注終わり])を一番やって、イグナートフとシャンパン酒を飲むか? いや、よした。花屋敷《シャトウ・デ・フルール》か? あすこなら、オブロンスキイに会えるだろう、クプレット([#割り注]小唄[#割り注終わり])、カンカン踊りか? いや、あきあきした。おれがシチェルバーツキイ家の人たちを好きなのは、あすこへいくとおれ自身までがよくなるからさ。家へ帰ろう』彼はホテル・ジュソーの自分の部屋へまっすぐに帰って、夜食を持ってくるように命じ、さてそのあとで着替えをし、枕に頭をつけるやいなや、ぐっすりと寝入ってしまった。

[#5字下げ]一七[#「一七」は中見出し]

 翌日の午前十一時、ヴロンスキイはペテルブルグ線の停車場へ、母を出迎えに行った。正面大階段の上で、まず最初に出会った人は、同じ汽車でくる妹を待つオブロンスキイであった。
「よう! 御前《ごぜん》!」とオブロンスキイは叫んだ。「君はだれを迎えに?」
「僕はおふくろの出迎えさ」オブロンスキイに会った人がだれでもするように、ヴロンスキイはにこにこ笑いながら答えて、握手をすると、いっしょに階段を昇っていった。「今日ペテルブルグから出てくるはずなのでね」
「ときに、僕は昨夜二時まで君を待っていたんだぜ。シチェルバーツキイ家からどこへ行ったんだね?」
「家へ帰ったよ」とヴロンスキイは答えた。「じつのところ、僕は昨夜シチェルバーツキイ家を出たとき、あまりいい気持だったので、どこへも行きたくなくなったのさ」
「駿馬はその烙印によって知られ、恋せる若人はその眼によりて見分けらる、か」とオブロンスキイは、前にレーヴィンにいったと同じことを、朗誦《ろうしょう》口調でいった。
 ヴロンスキイは、あながちそれを否定しないよ、といったようすでにっこり笑ったが、すぐに話題を変えた。
「ところで、君はだれを迎えにきたの?」
「僕かい? 僕は妙齢の佳人をさ」とオブロンスキイはいった。
「Honni soit qui mal y pense!(そを悪《あ》しと想う者に禍あれ)妹のアンナだよ」
「ああ、それじゃカレーニン夫人だね!」とヴロンスキイはいった。
「君はきっとあれを知ってるだろうね?」
「知ってるように思う! それとも、違うかな……ほんとうのところ、覚えていない」カレーニン夫人という名前で、なにかとり澄ました退屈なものをばくぜんと連想しながら、ヴロンスキイはとりとめのない返事をした。
「しかし、僕の妹婿、あの有名なアレクセイ・アレクサンドロヴィッチはきっと知ってるだろう。世界中に知られているからね」
「つまり、世間の評判だけでなら知っている、それに風采《ふうさい》も。聡明で、学識があって、ほとんど崇高なくらいな人物だってことは承知してるよ。しかし、君もわかってくれるだろうが、それは僕の…… not my line(僕には畠ちがいだ)」とヴロンスキイはいった。
「そう、あれは実にたいした人物だよ。いささか保守主義だが、しかしりっぱな人物さ」オブロンスキイはいった。「りっぱな人物さ」
「そりゃ彼のためにけっこうなこった」とヴロンスキイは微笑を浮べていった。「やあ、おまえも来ていたのか」戸口に立っている背の高い母の老僕に向って、彼は声をかけた。「こっちへ入れよ」
 最近ヴロンスキイは、一般にすべての人がオブロンスキイにいだいている好感以外、心中ひそかに彼をキチイと結びつけて考えているために、なおこの人にひきつけられるような気がするのであった。
「ときに、どうだね、日曜日には乙女[#「乙女」に傍点]のために晩餐会をやろうじゃないか?」と彼は微笑を浮べて相手の腕をとりながらいった。
「ぜひとも。僕が有志を募ろう。あっ、そう、君は昨夜、僕の親友のレーヴィンと近づきになったろう?」とオブロンスキイはたずねた。
「もちろん。でも、なんだか早く帰ってしまったよ」
「あれは実に愛すべき男だ」とオブロンスキイはつづけた。「そう思わんかね?」
「わからないね」とヴロンスキイは答えた。「いったいどうしてモスクワの人はだれでも一様に、といっても、いま話してるご当人は別だがね」と彼はふざけた調子でつけたした。「何かしらとげとげしいところがあるんだろう? なんだか始終ぷりぷりして、むきになるんだからね、まるで何かしら相手に思い知らせてやるぞ、とでもいうようにさ」
「そういうところがあるよ、たしかにあるよ」とオブロンスキイは愉快そうに笑いながらいった。
「どうだ、もうすぐかね?」とヴロンスキイは駅員に問いかけた。
「汽車はもう前の駅を出ました」駅員は答えた。
 列車の接近は、停車場の準備行動や、荷運び人夫の走りまわるようすや、憲兵や駅員たちの出現や、出迎え人の集ってくることで、だんだんはっきりと感じられるようになった。半外套に柔らかいフェルトの長靴をはいて、彎曲部のレールを渡っている人夫たちの姿が、凍った水蒸気を透して見えた。ずっとむこうのレールでは機関車の汽笛が聞こえ、何か重いものを動かす気配がした。
「いや」とオブロンスキイはいった。彼はレーヴィンのキチイに対していだいている気持を、ヴロンスキイに話したくてたまらなかったのである。「違う! 君は僕のレーヴィンに不当な評価を下している。とても神経質な人間で、ときとして不快に感じられることもある、それはたしかだけれど、そのかわりどうかすると、つくづく好漢だと思うよ。じつに潔白な、正直なたちで、美しい心の持ち主なんだよ。しかしね、昨日は特別な原因があったのさ」きのう自分の親友にたいして感じた心底からの同情を忘れはてて、今はその気持をただヴロンスキイにたいしてのみ感じながら、オブロンスキイは意味ありげな微笑を浮べて、言葉をつづけた。「そうなんだ、一つの原因があってね、あの男はかくべつ幸福になるか、それとも特にふしあわせになるか、どちらかだったのさ。」
 ヴロンスキイは立ちどまって、真正面からこうたずねた。
「といって、なにかね、あの男は昨日君の 〔belle soe&ur〕(義妹)に申しこみでもしたのかい?」
「おそらくそうだろう」とオブロンスキイは答えた。「昨日は何かそういった様子が見えていたよ。そうだ、もしあの男が早く帰ってしまって、そのうえきげんが悪かったとすれば、たしかにそうなんだ……ずっと前から首ったけだったんだね、僕はあの男がしんからかわいそうだよ」
「へえ、そうなのかい!………しかし、僕にいわせれば、君の妹さんはもっといい配偶を望む資格があると思うよ」とヴロンスキイはいい、ぐっと胸を張って、また歩きにかかった。「もっとも、僕はあの人を知らないが」と彼はつけたした。「まあ、なんにしてもつらい立場さね! それがために、大多数のものはクララとかなんとかいう女を相手にしたほうがいい、という気になるんだよ。このほうなら、ふられるのは金がたりないのを証明するばかりだが、この場合は人間としての資格がはかりにかけられるんだからね。だが、やっと汽車が入ったよ」
 なるほど、はるかかなたに早くも汽笛が響いた。しばらくすると、プラットフォームがぴりぴり震えて、寒気のために蒸気を下へ下へと吐き出し、中部車輪の槓杆《こうかん》をゆっくりと規則ただしくかがめたりのばしたりしながら、機関車がすべりこんで来た。襟巻に顔を包んで、体じゅう霜だらけになった機関手が、しきりにおじぎをしている。炭水車のあとから、きゃんきゃん鳴きたてる犬を入れた手荷物車が、だんだん速力をゆるめ、しかもいよいよはげしくプラットフォームをゆるがしながら入って来た。そして最後に、客車が停車前の細かい震動をしながら近づいた。
 小意気な車掌が、呼子をぴゅっと鳴らして飛びおりをした。と、そのあとから、せっかちな乗客が一人ずつおりはじめた。体をぐいと伸ばして、いかめしくあたりを見まわしている近衛将校、サックを手に持って、おもしろそうににたにたしている小商人、大きな袋を肩に背負った百姓。
 ヴロンスキイはオブロンスキイと並んで立ったまま、客車客車や、出てくる人たちを見まわしながら、すっかり母親のことを忘れていた。今キチイについて聞いたことは、彼を喜ばせ、興奮させた。彼の胸はわれしらず大きく張り、その眼はぎらぎら輝いていた。彼はわれこそ勝利者であると感じた。
「ヴロンスカヤ伯爵夫人はこの箱にいらっしゃいます」と小意気な車掌がヴロンスキイに近づいて、こういった。
 車掌の言葉は彼を呼びさまし、母親のこと、目前に迫った対面のことを思い出させた。彼は内心母親を尊敬していなかった。そして、なぜか知らないが、愛してもいないのであった。もっとも、彼の住んでいるサークルの考え方からいっても、自分の受けた教育からいっても、最上級の服従と尊敬よりほか、母にたいする態度を想像することもできなかったので、心の中で母を尊敬する念が少なければ少ないだけ、うわべはますます従順で、うやうやしい態度になるのであった。

[#5字下げ]一八[#「一八」は中見出し]

 ヴロンスキイは車掌のうしろから車の中へ入っていったが、車室の入口のところで、中から出てくる貴婦人に道をゆずった。
 社交人には慣れっこになった勘で、この貴婦人の外貌を見るやいなや、ヴロンスキイは最上級の社会に属するひとだと判定した。彼は失礼といって、車室へ入ったが、もう一度この貴婦人をふり返って見たいという、やみがたき要求を感じた――それも、彼女が非常に美人だったからでもなければ、その姿ぜんたいに現われている繊細な感じと、つつましい優美さのためでもなく、彼女がそばを通りすぎたとき、その愛くるしい表情の中に、一種特別な優しい、愛想のいいところがあったからである。彼がふり返ったとき、彼女も同じように首をこちらヘ向けた。濃い睫毛《まつげ》のために黒く見える輝かしい灰色の眼は、さも親しげな注意をこめて、彼の顔を見つめた。それはさながら、彼がだれであるかを認めたかのようであった。が、すぐさま、だれかをさがすように、通りすぎていく群衆のほうへ転じた。このつかのまの凝視の中に、ヴロンスキイは彼女の顔に躍っているつつましやかな、生きいきした表情に気がついた。それは彼女の輝かしい眼と、こころもちゆがんでいる紅い唇を、あるかなきかの微笑となって飛びめぐるのであった。ありあまる何ものかが彼女の全存在に溢れて、それがわれともなしに眸《ひとみ》の輝きや、ほほえみとなって現われるかのようであった。彼女はしいて眼の輝きを消したが、それは彼女の意思に反して、あるかなきかの微笑となって光っていた。
 ヴロンスキイは車室へ入った。母親は黒い眼に黒い髪をした、かさかさの老婦人であったが、眼を細めてじっと息子を見ながら、薄い唇に軽い微笑を浮べた。ソファから身を起し、小間使にハンド・バッグを渡すと、彼女は息子に小さなかさかさした手をさしだし、その手に接吻するわが子の首を持ち上げて、額にキスをした。
「電報はつきましたか? 変りはないね? まあ、よかった」
「道中ごきげんよろしゅうございましたか?」と母のそばに坐って、息子はこう問いかけたが、戸の外から聞える女の声に思わず耳を傾けた。それは出口で会った貴婦人の声に相違ない、と気がついたのである。
「わたしそれでもあなたのご意見には不賛成ですわ」という貴婦人の声が聞えた。
「それは、奥さん、ペテルブルグ式の見方ですよ」
「ペテルブルグ式じゃありません、ただ女としての見方ですわ」と彼女は答えた。
「では、お手に接吻させて下さい」
「さよなら、イヴァン・ペトローヴィッチ。ああ、ちょっと見て下さいな、その辺に兄がおりませんか。いたら、こちらへくるようにおっしゃって」と貴婦人は戸のすぐそばでいい、また車室へ入ってきた。
「いかがでした。お兄さまお見つかりになりまして?」とヴロンスカヤ伯爵夫人は、こう貴婦人に話しかけた。
 ヴロンスキイは、これはカレーニン夫人だったと思い出した。
「お兄さまはここへみえています」と彼は立ちあがりながらいった。「失礼しました、ついお見それしまして。ほんのわずかな間のご交際でしたので」とヴロンスキイは会釈しながらつづけた。「きっと私をお覚えではありますまい」
「いいえ、どういたしまして!」と彼女はいった。「わたしもあなたに気がついたはずなんてございますのに。なぜって、わたしはお母様と道々あなたのことばかりお噂していたんでございますの」外へほとばしり出ようとしていた、例の生きいきした気持に、とうとう出口を与えて、微笑にあらわしながら、彼女はそういった。「ところで、兄はやっぱりまいりませんわ」
「アリョーシャ、おまえよんできておあげなさい」と老伯爵夫人は息子に命じた。
 ヴロンスキイはプラットフォームヘ出て、
「オブロンスキイ! ここだよ!」と叫んだ。
 けれども、カレーニナは兄がくるのが待ちきれず、その姿を見つけると、断乎とした軽い足どりで車を出た。兄がそばへよるが早いか、ヴロンスキイがびっくりするほど思い切った、しかも優美な身ぶりで、兄の頸《くび》を左手で抱き、すばやく自分のほうへ引きよせて、しっかりと接吻した。ヴロンスキイは目もはなさず彼女を見つめ、自分でもなんのためとも知らず、微笑するのであった。が、母親が待っていることを思い出して、また車の中へ入った。
「ねえ、かわいいひとじゃないかえ、そう思わない?」と伯爵夫人はカレーニナのことをいった。「ご主人があのひとを、わたしといっしょの室へお乗せになったんだけれど、わたしほんとうにうれしかった。途中ずっとあのひととおしゃべりしどおしでね。ときにおまえは、人の噂によると…… vous filez le parfait amour. Tant mieux, mon cher, tant mieux.(おまえはすっかり好きな人ができたんだってね。けっこうだよ、おまえ、けっこうだよ)」
「お母さん、何をほのめかしていらっしゃるのか、僕にはわかりません」と息子は冷たい調子で答えた。「どうです、お母さん、行きましょうか?」
 カレーニナは、伯爵夫人に別れのあいさつをするために、また車室へ入ってきた。
「さあ、奥さま、あなたはご子息にお会いになりましたし、わたくしは兄に会いました」と彼女は楽しげにいった。「それに、わたくしもお話がすっかり種切れになりましたから、もうこの上お話しすることもなさそうでございますわ」
「いいえ、違いますよ」と伯爵夫人は彼女の手をとって応じた。「わたしはあなたとなら、世界を一周したって、退屈なんかしませんよ。あなたは、お話をしても黙っていても気持のいい、そういうかわいい女のかたの一人でいらっしゃる。ところで、坊っちゃんのことはどうぞお考えにならないで。いつも離れないでいるわけにはまいりませんものねえ」
 カレーニナはひどく体をまっすぐにし、身動きもせずに立っていたが、その眼は笑っていた。
「アンナ・アルカージエヴナには」と伯爵夫人は息子に説明した。「坊っちゃんがおありになるんだよ、たしか八つだと思ったがね。一度もお離れになったことがないものだから、おいてらしたのを始終苦にしていらっしゃるんだよ」
「ええ、わたしは始終、奥さまとそのお話ばかりしていましたの。わたしは自分の子のことを、奥さまはまたご自分のお子さまのことばかりね」とカレーニナはいったが、またもやほほえみがその顔を照らした。それは彼に関連した優しい微笑であった。
「さぞかしご退屈なことでしょうね」相手が投げかけた媚態《コケトリイ》の毬《まり》を、すぐさま宙で受け止めながら、彼はこういった。けれども、彼女はどうやら、こういった調子の会話をつづけたくないらしく、老伯爵夫人のほうへふりむいた。
「まことにありがとうこざいました。わたくし、きのう一日をどうしてすごしたか、覚えがないほどでございました。では、奥さま、失礼いたします」
「さよなら、アンナ・アルカージエヴナ」と伯爵夫人は答えた。「どうかその美しいお顔に接吻させて下さいましな。わたしは年寄りですから、ざっくばらんに申し上げますが、あなたというかたが好きになりましたよ」
 この文句はずいぶん紋切型ではあったけれども、カレーニナは見うけたところ、心底からそれをほんとうにして、喜んだらしかった。彼女は顔を赤らめ、軽く身をかがめて、自分の顔を伯爵夫人の唇にさしだした。それから、また身を伸ばして、例の唇と眼の間にいざよう微笑を見せながら、ヴロンスキイに手をさし伸べた。こちらはさし出された小さな手を握ったが、彼女がエネルギッシュな握手をして、強く大胆に彼の手をふったのを、何か特殊なことのようにうれしく思った。彼女は、かなり肥えた体をふしぎなほど軽々と運ぶ早い足どりで、車から出ていった。
「ほんとにかわいい」と老母はいった。
 息子もそれと同じことを考えた。彼は、カレーニナの優美な姿が隠れつくすまで、そのあとを目送していた。ほほえみはその顔から消えなかった。窓越しに見ていると、彼女は兄に近づき、自分の手を兄の手にのせて、なにやら生きいきとした調子で話しはじめた。明らかに、それは彼ヴロンスキイになんの関係もないことらしかったが、彼はそれがいまいましいことに思われた。
「ときに、どうです、お母さん、体はすっかりいいのですか?」と彼は母のほうへ向きなおりながら、こうくりかえした。
「なにもかもけっこう、申し分なしだよ。アレクサンドルはとてもかわいかったし、それにマリイもたいそうきれいになってね。あの子は、なかなかうまみのある娘だよ」
 こうして、またしても彼女は自分にとって何よりも興味のあること――そのためにわざわざペテルブルグまで出向いた孫の洗礼のこと、長男に向けられた皇帝の特別な恩寵《おんちょう》などを話しだした。
「ああ、やっとラヴレンチイが出ました」とヴロンスキイは窓外を見ながらいった。「さあ、行きましょう、もしおよろしかったら」
 夫人と同伴できた老侍僕頭が、車室へ入ってきて、すっかり用意ができましたと報告した。で、伯爵夫人は出かけるために身を持ち上げた。
「行きましょう。もう人も少なくなりましたから」とヴロンスキイはいった。
 小間使はサックと狆《ちん》を持ち、侍僕頭と荷担《にかつ》ぎ人夫がほかの荷物を持った。ヴロンスキイは母の手をとった。けれども、彼らがもう車から出ようとしたとき、突然、いくたりかの人がおびえたような顔をして、そばを駆けぬけた。風変りな色の制帽をかぶった駅員も、同じように駆けて行った。何か変事が起ったのは明らかである。汽車から出た連中も、あとへ駆け戻った。
「何?……何?……どこで?……飛びこんだ! 轢《ひ》かれた!」という声が、そばを通る人々の間から聞えた。
 腕を組みあっていたオブロンスキイも妹のアンナも、やはりおびえたような顔つきをしてひっ返し、群衆をよけながら、車の出口に足を止めた。
 婦人たちは車の中へ入った。ヴロンスキイはオブロンスキイといっしょに、不祥事の詳細をききに群集のあとからついて行った。
 線路番人が、酔っぱらっていたのか、それとも極寒のためにあまり外套を深くかぶり過ぎていたのか、逆行する列車に気がつかないで、轢き殺されたのであった。
 ヴロンスキイとオブロンスキイが帰ってくる前に、婦人たちは侍僕頭からその詳細を知った。
 オブロンスキイもヴロンスキイも二人ながら、目もあてられない死骸を見たのである。オブロンスキイは見るからに苦しそうなようすであった。彼は顔をしかめて、今にも泣き出しそうにしていた。
「ああ、なんて恐ろしいことだ! ああ、アンナ、もしあれをおまえが見たら! ああ、なんて恐ろしい!」と彼はいいつづけるのであった。
 ヴロンスキイは黙っていた。その美しい顔はまじめな表情をしていたが、きわめて平静であった。
「ああ、伯爵夫人、もしあなたがごらんになったら」とオブロンスキイはいった。「細君がそこにいましてね……それは見る目も恐ろしい……亭主の死骸に身を投げて……何でも人の話では、その男が一人で大ぜいの家族を養っていたそうですよ。じつに恐ろしい」
「その女のために、何かしてやることはできないものでしょうか?」とアンナ・アルカージエヴナは、興奮したように小声でささやいた。
 ヴロンスキイはそれを一目ちらりと見て、いきなり車を出て行った。
「お母さん、すぐ帰ってきますから」戸口のところでふり返りながら、彼はこうつけたした。
 しばらくして彼が帰ってきたとき、オブロンスキイはもう伯爵夫人を相手に、新しい歌姫の話をしていた。夫人は息子を待ちかねて、じれったそうに戸口をふり返りふり返りしていた。
「さあ、今度こそ出かけましょう」とヴロンスキイは入りながらいった。
 彼らは打ち揃って外へ出た。ヴロンスキイは母とともに先頭に立ち、あとからはカレーニナが兄といっしょについて行った。停車場の出口で、あとを追ってきた駅長がヴロンスキイに近づいた。
「あなたですか、助役に二百ルーブリお渡しになったのは? ごめんどうですが、だれにおやりになるのか、はっきりおっしゃっていただきたいのですが」
「あの後家になった女ですよ」とヴロンスキイは肩をすくめながらいった。「何をきいておられるのか、わけがわかりませんよ」
「君めぐんでやったのかい?」とオブロンスキイはうしろから叫び、妹の手を握りしめながらつけたした。「じつにいい、じつにいい! ねえ、そうだろう、気持のいい男じゃないか? では、さよなら、伯爵夫人」
 こういって、彼はアンナとともに、妹の小間使をさがしながら立ち止った。
 二人が外へ出たとき、ヴロンスキイの馬車はもう行ってしまっていた。入ってくる人たちは、いまだにあの変事の話をしあっていた。
「どうも恐ろしい死にざまだなあ」と、ある紳士が通りすがりにいった。「まっ二つになったそうだよ」
「僕の考えはその反対だね、あっという間もない、一番らくな死に方だ」といま一人がいった。
「どうして適当な処置を講じないのだろう?」とさらに一人がいった。
 カレーニナは馬車に乗った。兄は、その唇がふるえ、かろうじて涙をおさえているのを見て、びっくりした。
「おまえどうしたんだい、アンナ?」馬車が幾百間か離れたとき、彼はこうたずねた。
「わるい兆《しらせ》ですわ」と彼女は答えた。
「何をつまらない」とオブロンスキイはいった。「おまえが来てくれた、これがいちばんかんじんなことだよ。僕がどれくらいおまえを頼りにしているか、想像もつかないだろうよ」
「兄さんは前からヴロンスキイさんをごぞんじ?」と彼女はきいた。
「ああ、ところでね、僕らはあの男がキチイと結婚するものと、楽しみにしているんだよ」
「そう?」とアンナは静かな声でいった。「さあ! いよいよ兄さんの話をしましょう」何かよけいな邪魔物を肉体的に追い払おうとするかのごとく首をふって、彼女はこうつけ加えた。「あなたの問題を話そうじゃありませんか。わたし兄さんの手紙を見たものだから、それで飛んで来たんですのよ」
「ああ、今ではおまえが唯一の望みなんだよ」と兄はいった。
「まあ、すっかりわけを聞かしてちょうだい」
 で、オブロンスキイは話しはじめた。
 家の前までくると、彼は妹を馬車からおろし、ほっとため息をついて妹の手を握り、役所へ馬車を走らせた。

[#5字下げ]一九[#「一九」は中見出し]

 アンナが部屋へ入ったとき、ドリイは小さいほうの客間に坐って、今ではもう父親に似てきた、頭の白っぽい、まるまるした男の子を相手に、フランス語の読み方のレッスンを聞いてやっていた。男の子は本を読みながらも、とれかかっている上着のボタンを手でひねくりまわしては、一生懸命にもぎちぎろうとしていた。母親は幾度もその手をのけさせたが、子供のふっくらした手はすぐボタンにかかるのであった。とうとう母親はボタンをひきちぎって、ポケットへ入れてしまった。
「手をじっとしてらっしゃい、グリーシャ」と彼女はいって、久しい前からの仕事になっている毛糸の掛蒲団をとりあげた。これはいつもつらいことがあったときにすることになっていたので、今も神経的に指を動かして、目を数えながら編みはじめた。彼女はきのう良人に向って、妹が来ようと来まいと、自分の知ったことではありませんと、召使を通していわせたにもかかわらず、なにかと彼女が到着したときの用意をして、わくわくしながら義妹を待ち受けているのであった。
 ドリイは自分の悲しみに打ちひしがれて、それにすっかり心をのまれていたとはいうものの、義妹のアンナがペテルブルグでも一流の政治家の夫人で、首府の grande dame(貴婦人)であることは、ちゃんと覚えていた。そういうわけで、彼女は良人にいったことを実行しなかった、つまり、義妹がくることを忘れなかったのである。
『それにまた、アンナはなんにも悪いことなんかないんだもの』とドリイは考えた。『わたしあのひとのことといったら、それこそいいことよりほかには何も知らないし、わたしに対する仕打ちだって、いつも親切で優しいんだもの』もっとも、ペテルブルグでカレーニンの家へ泊まったときの印象を記憶している限りでは、彼らの家そのものは彼女の気に入らなかった。
 彼らの家庭生活のありかたは全体として、なにかしっくりつぼにはまっていないような感じであった。
『それにしても、あのひとに会わないなんて理由はないわ。ただあのひとが、わたしを慰めようなんて気を起してくれなければいいが!』とドリイは考えた。『慰めだの、忠告だの、キリスト教徒としての赦罪だとか、そういうものはみんな百度も千度も考えてみたけれど、どれもこれもなんの役にも立ちゃしない』
 この数日間、ドリイはただ子供たちとばかり暮してきた。彼女は自分の悲しみを口に出すのはいやだったが、こういう悲しみを心にいだきながら、ほかのつまらない話をするのは、彼女としてできないことであった。いずれにせよ、アンナにはなにもかも話してしまうだろうと、自分でも前から承知していた。で、ときによると、なにもかも話してしまうのだと思うとうれしい気持がしたが、またどうかすると、自分の屈辱をあの男の妹に話して、できあいの忠告や慰藉《いしゃ》の言葉を聞かなければならぬのだと考えると、毒々しい気持になりもするのであった。
 よくあることだが、彼女は一分ごとに時計を見ながら、義妹の到着を待ちかねていたくせに、ちょうど客のきた一瞬をうっかりしていて、ベルの鳴る音を聞かなかったのである。
 もう戸口のところで衣《きぬ》ずれの音や、軽い足音を耳にして、彼女はうしろをふりかえった。と、そのやつれた顔にはわれともなしに、喜びならぬ驚きの色が現われた。彼女は立ちあがって、義妹を抱擁した。
「あら、もう着いたの?」
「ドリイ、やっとお目にかかれて、こんなうれしいことはありませんわ」
「わたしもうれしいことよ」アンナが事情を知っているかどうか、その顔の表情で察しようとつとめながら、ドリイは弱々しい微笑を浮べてこういった。『きっと知ってるんだわ』アンナの顔に同情の色を認めて、彼女はそう考えた。「さあ、行きましょう、あんたのお部屋へ案内するから」できるだけやっかいな話を先へ延ばそうと思って、彼女は言葉をつづけた。
「これグリーシャですの? まあ、なんて大きくなったことでしょう」とアンナはいい、男の子を接吻すると、ドリイから眼をはなさずにたたずんだまま、顔を赤らめた。「ねえ、どこへもいかないことにしましょうよ」
 彼女はショールをはずし、帽子を脱いだ。そのひょうしに、いたるところ渦を巻いている黒い髪のひと束に帽子がひっかかったので、頭をふりふり髪をはなした。
「まあ、あんたはいかにも幸福で健康そうで、光り輝いてるようだわ!」とドリイはほとんど羨望《せんぼう》の調子でいった。
「わたし?………そうね」とアンナは答えた。「あらまあ、ターニャ! うちのセリョージャとおない年だったわね」部屋へ駆けこんできた女の子を見て、彼女はこうつけたした。彼女はターニャを抱き上げて、接吻した。「かわいい子ね、なんてかわいいんでしょう! どうかみんな見せて下さいよ」
 彼女は子供たちの名前をことごとく呼びあげた。しかも名前ばかりでなく、すべての子供の年、月、性質、病気までも覚えていたのである。ドリイもそれには感心せずにいられなかった。
「じゃ、子供部屋へ行きましょう」と彼女はいった。「ヴァーシャは今ねんねしてるから、起すのかわいそうですもの」
 子供たちを見てから、彼女たちはもう二人きりで、コーヒーを前にして客間に坐った。アンナは盆に手をかけたが、またむこうへおしやった。
「ドリイ」と彼女は口を切った。「わたし兄さんから話を聞きましたわ」
 ドリイは冷やかにアンナを見やった。いま彼女は、わざとらしい同情の文句を期待していたのである。けれども、アンナは何一つそんなことをいわなかった。
「ドリイ、優しいドリイ!」と彼女はいった。「わたしはあんたにたいして兄の弁護もしたくなければ、またあんたを慰めようとも思いません。それはできないことですもの。でもね、ドリイ、わたしただあんたがかわいそうなの、しんからかわいそうでたまらないの!」
 輝かしい眼を縁とっている濃い睫毛の下から、ふいに涙が流れ出た。彼女は嫂《あによめ》のそばへ坐りなおして、精力の溢れているような小さい手で、ドリイの手をぎゅっと握った。ドリイは身をかわしはしなかったけれども、その顔はそっけない表情を変えなかった。彼女はいった。
「わたしを慰めるなんてできないことよ。あんなことがあった以上、なにもかもおしまいですわ。なにもかもだめになってしまったんだわ!」
 そういうかいわないかに、彼女の顔の表情はふいに和らいだ。アンナはドリイのやせたかさかさの手をとって接吻し、そしていった。
「でもね、ドリイ、どうしたらいいんでしょう、いったいどうしたらいいんでしょう? この恐ろしい立場に立って、どういうふうにするのがいちばんいいのでしょうね? それを考えなくちゃならないわ」
「なにもかもおしまいになったんだわ、それだけのことよ」とドリイはいった。「なによりもつらいのは、ね、あんたも察して下さるでしょうが、あの人を棄ててしまうことができないんですのよ。子供ってものがあるから、わたしは縛りつけられてるようなものよ。かといって、あの人といっしょに暮すことはできません。わたしあの人を見るのが苦痛ですもの」
「ドリイ、わたし兄さんから話を聞いたけど、今あんたの話が聞きたいの、なにもかもすっかりいってちょうだいな」
 ドリイは物問いたげな眼で彼女をながめた。
 偽りならぬ同情と愛が、アンナの顔にあらわれていた。
「じゃ、いうわ」ふいに彼女はきりだした。「でも、わたしそもそもの初めからお話しするわ。あたしの結婚がどんなものだったかは、あんたも知ってらっしゃるわね。わたしはお母さまの教育のおかげで、ただ無垢《むく》というばかりでなく、ばかだったんですわ。わたしなんにも知らなかった。なんでも人の話では、良人は妻に自分の過去の生活を話すもんですってね、わたしもそれを知ってるけれど、スチーヴァは……」といいかけて、訂正した。「スチェパン・アルカージッチは、なんにもわたしに話してくれませんでした。あんたはほんとうにできないでしょうが、わたしは今が今まで、あの人の知っている女は自分一人だけだと、思いこんでいたんですからねえ。こうしてわたしは八年間くらしてきました。察してもちょうだい、わたしは不実なしうちなんか疑ってみたこともないばかりか、そんなことなどありえないとまで思っていました。それが、まあどうでしょう。そういう頭でいるところへもってきて、寝耳に水で恐ろしいこと、けがらわしいことを一度に聞かされたんでしょう……ほんとうに察してちょうだい、自分の幸福を心底から信じ切っているところへ、突然……」とドリイは慟哭《どうこく》をおさえながら、言葉をつづけた。「手紙を見つけたでしょう……あの人が自分の情婦に、うちの家庭教師にあてた手紙、いいえ、それはあんまり恐ろしいことです!」彼女はそそくさとハンカチをとりだして、顔をおおった。「わたしも一時の浮気ならまだわかりますわ」しばらくだまってから、彼女はまたつづけた。「でも、計画的に狡猾《こうかつ》なだましかたをするなんて……しかも、相手はだれでしょう?………あんな女といっしょになりながら、引き続きわたしの良人でもあるなんて……ああ、恐ろしい! あんたにはとてもわからないでしょう……」
「いいえ、違います、わたしわかってよ! わかってよ、ドリイ、わかってよ」とアンナは彼女の手を握りしめながらいった。
「ところで、あの人はわたしの立場の恐ろしさをわかってくれると思って?」とドリイはつづけた。「これっから先もわかっちゃいないの! あの人は幸福で、満足してるんだわ」
「そりゃ違うわ!」アンナは早口にさえぎった。「兄さんは今みじめよ、後悔にうちのめされて……」
「あの人に後悔なんてできるかしら?」義妹の顔を注意ぶかく見つめながら、ドリイはさえぎった。
「できますとも、わたしあの人をよく知っていますもの。兄さんたら、かわいそうで見ていられなかったわ。ねえ、あんたもわたしもあの人をよく知ってるじゃありませんか。兄さんはいい人だけれど、誇りの強いところがあるでしょう、それが今はすっかり卑下《ひげ》してしまって。それに、何よりわたしが動かされたのは……(このときアンナは、ドリイの心を動かしうる最良の武器を考えついたのである)。兄さんは二つのことで苦しんでいますのよ。一つは、子供に対しても面目《めんぼく》ないということと、また一つは、あんたというひとを愛していながら……ええ、ええ、この世の何よりも愛していながら」何かいい返そうとするドリイを急いでさえぎった。「あんたにつらい目をさせたことなの、あんたに重い傷手《いたで》を負わせたことなの。『いや、いや、あれは決して赦してくれやしない』って、のべつそういってますわ」
 ドリイは義妹の言葉を聞きながら、物思わしげにその顔から眼をそらしていた。
「ええ、わたしわかるわ、あの人の立場は恐ろしいでしょう。悪いことをしたものは、罪のないものより苦しいっていいますからね」と彼女は口をきった。「もしあの人が、こういう不幸もみんな自分が罪を犯したからだ、とそう感じてるとすればねえ。でも、どうしてわたしに赦すことができると思って? あの女のあとで、どうしてもう一度あの人の妻になることができると思って? もうこうなったら、あの人といっしょに暮すのは苦痛だわ。というのも、つまり、自分の過去の愛情を愛してるからなの、あの人にたいする愛情を……」
 すると、慟哭《どうこく》の声がその言葉を中絶した。
 しかし、まるでわざとのように、彼女は気が折れるたびに、またしても腹のたつことをいいださずにいられなかった。
「だって、あの女は若いでしょう、器量がいいでしょう」と彼女はつづけた。「あんたわかって、アンナ、わたしの若さも器量もすっかりとられてしまったんですの……しかも、だれのためかといえば、あの人とあの人の子供のためなんですもの。わたしはあの人にお勤めをして、そのお勤めで、自分のもってるものを、すっかり費いはたしてしまったんだわ。だから、あの人は若い下等な女のほうをうれしがってるにきまっています。あの人はきっとあの女と二人で、わたしの噂をしたに相違ない、それともわざと黙っていたかしら、そのほうがもっと性《たち》が悪いんだけど……あんたわかる、この気持が?」
 ふたたび彼女の眼は憎悪に燃えたった。
「そんなことがあったあとで、あの人はわたしに向って、なんとかかとかいうでしょうが……ねえ、それがわたしに信じられて? 決して、決して。いいえ、もうなにもかもおしまいだわ、わたしのために慰めとなっていたもの、骨折りや苦しみの報酬となっていたものが、すっかりおしまいになったんだわ……あんたほんとうにするかどうか知らないけれど、今もわたしはグリーシャの勉強を見てやってたのよ。これまではそれが楽しみだったのに、今では苦しみになってしまったの。なんのために骨折ってるんだろう、なんのためにあくせく働いてるんだろう? なぜ子供なんかできたんだろう? とそう思ってね。何より恐ろしいのは、突然わたしの魂がひっくりかえしになって、やさしい愛情のかわりに憎しみが湧いてきたことなの。ええ、ただ憎しみばかりよ。わたしはいっそあの人を殺して……」
「ねえ、ドリイ、あんたの気持わかるわ、でもどうか自分で自分を苦しめないでちょうだい。あんたはてひどい侮辱を受けて、興奮してらっしゃるから、いろんなことにたいして見方が狂ってくるのよ」
 ドリイは静まった。二人は二分ばかり黙っていた。
「どうしたらいいの、アンナ、考えてちょうだい、助けてちょうだい。わたし思案を重ねたけれど、何一つ考えつけないんですもの」
 アンナも何一つ考えつくことはできなかったが、その心臓は嫂《あによめ》の一語一語、その顔の表情の一つ一つにじきじき反応していた。
「わたし一つだけいいたいことがあるわ」とアンナはいいだした。「わたしは妹ですから、あの人の性格をよく知っていますの、なにもかも忘れてしまって(彼女は額の前で手を動かしてみせた)、すっかり夢中になってしまうけれど、そのかわり心底から後悔する、あの人の癖を知っていますの。兄さんは今、どうしてあんなことができたかと、自分でもふしぎに思っているくらいですわ」
「いいえ、あの人はわかってるんです、わかってしているんです!」とドリイはさえぎった。「でも、あんたはわたしのことを忘れてるのよ……いったいわたしのほうが楽だとでもいうの?」
「まあ、待ってちょうだい。わたし兄から話を聞いたとき、正直な話、あんたの立場の恐ろしさが十分にわからなかったんですの。わたしは兄を見ただけで、家庭がめちゃめちゃになったということしかわかりませんでしたわ。わたし兄がかわいそうでしたわ。ところが、あんたと話をしてみたら、わたしも女ですから、見方が違ってきました。あんたの苦しみようを見て、どんなにお気の毒になってきたか、口ではいえないほどですわ! でもねえ、ドリイ、あんたの苦しみはすっかりわかったけれど、たった一つだけわからないことがあるの。わたしわからないというのは……あんたの心の中にまだどれだけ兄さんにたいする愛情があるか、それがわからないの。あんたにはそれがわかってるでしょう、――赦すことができる程度にその愛情があるかどうか。もしあったら、赦してあげてちょうだい!」
「いいえ」とドリイはいいかけたが、アンナはそれをさえぎって、もう一度嫂の手を接吻した。
「わたしはあんたより世間を知ってますわ」と彼女はいった。「スチーヴァみたいな人も知っていれば、ああいう人がこの問題をどう見ているかってことも知っています。あんたそういいましたね、兄があの女とあんたの噂をしただろう、って。そんなことありませんわ、ああいう人は不実なことはしても、自分の家庭とか妻とかいうのは、あくまで神聖なものとしています。どういうものか、ああした女はどこまでも軽蔑されているから、家庭ってもののじゃまにならないのよ。ああいう人たちは家庭と道楽の間に、なにかしら越えることのできない境目をつけてるんですの。わたしそのほうのことはわからないけれど、それはそのとおりですわ」
「だって、あの人はあの女に接吻して……」
「ドリイ、お願いだから待ってちょうだい。わたしはあんたに恋していた時分のスチーヴァを見て知っているわ。わたしあの時分のことを覚えているけれど、兄さんはよくわたしのとこへ来て、あんたのことを話しながら泣いたものよ。あんたは兄にとってこの上もない誇りだったわ、美そのものだったわ、兄はあんたといっしょに暮していればいるほど、あんたは兄にとって尊いものになっていったんです、わたしわかってるわ。だって、わたしたち以前よく兄のことを笑ったものよ。兄はひと口ごとに、『ドリイは驚くべき女だ』ってつけたすんですもの。あんたは兄にとっていつも神聖なものだったわ、今だって現にそのとおりで、今度のことなんかも魂の迷いじゃなくって……」
「でも、その迷いがくりかえされるようだったら?」
「そんなことがあろうはずはありません、わたしの知っている限りでは……」
「そう、でも、あんたなら赦せる?」
「わからないわ、なんともいえないわ……いえ、赦せます」とアンナはちょっと考えてからいった。それから、頭の中で状況をはっきりつかまえて、それを心の秤《はかり》にかけてつけ加えた。「いいえ、赦せます、赦せます、赦せます。ええ、わたしだったら赦すわ。そりゃ前々どおりではいられないでしょうが、でも赦しますわ。しかもそんなことなんかなかったように、まるっきりなかったように、赦してしまいますわ……」
「そりゃ、もちろんだわ」とドリイは早口にさえぎった。それは再三こころに思ったことを口にしたようなあんばいであった。「でなかったら、赦したことになりゃしないもの。赦すくらいなら、きれいさっぱりと赦さなくちゃ。じゃ、行きましょう、あんたのお部屋へ案内してあげますから」と彼女は席を立ちながらいった。そして、途中アンナを抱きしめて、「あんたはいい人ね、あんたが来てくれて、わたしどんなにうれしいかわからないわ。おかげで楽になった、ずっと楽になった」

[#5字下げ]二〇[#「二〇」は中見出し]

 アンナはその日いちんち家で、つまりオブロンスキイ家ですごし、だれにも面会しなかった。というのは、もう知人のだれかれが早くも彼女の到着を聞きつけて、その日に訪問したからである。アンナは午前中ずっとドリイと子供たちを相手におくった。ただ兄に簡単な手紙を役所へ持たせて、ぜひ家で食事をするようにといってやった。『帰ってらっしゃい、神さまはお慈悲ぶこうございます』と彼女は書いた。
 オブロンスキイは自宅で晩の食事をした。食卓の会話にはみんなが加わって、ドリイも良人と言葉をまじえ、『あんた』という呼び方をした。それは前になかったことである。夫婦の態度には依然としてよそよそしさが残っていたが、もう別れ話などはおくびにも出なかった。オブロンスキイは話しあいのうえ、仲直りをする可能性があると見てとった。
 食事がすむと、すぐキチイがやってきた。彼女はアンナ・アルカージエヴナを知ってはいたが、ほんの一面識にすぎないので、みんながしきりにほめそやすこのペテルブルグの貴婦人が、自分をどんなふうに迎えてくれるかと、今も多少びくびくものである。しかし、彼女はアンナの気に入った――それは彼女にもすぐわかった。アンナは明らかにキチイの美貌と若々しさに、見とれているふうであった。で、キチイは正気づく暇もないうちに、早くも自分が彼女の影響に支配されているばかりでなく、彼女にほれこんでさえいるのを感じた。それは若い処女が、よく年上の既婚の婦人を慕う、そういったふうなのである。アンナは社交界の貴婦人とか、八つになる男の子の母親とかいうふうには見えなかった。かの、キチイをはっとさせると同時に、強くその心をひきつけるまじめな、ときとしては沈みがちな眼の表情さえなかったら、身のこなしのしなやかなところからいっても、みずみずしさからいっても、微笑やまなざしに溢れ出るいつも生きいきした顔の表情からいっても、むしろ二十《はたち》くらいの娘に近いくらいであった。アンナがさっぱりした気性で、何一つ肚《はら》に隠していることがないのは、キチイもよくわかっていたけれど、それにもかかわらず、彼女の中には何かしら一段高い世界、キチイなどには及びもつかぬ複雑で詩的な興味にみちた、別の世界があるように思われた。
 食後ドリイが自分の居間へひっこんだとき、アンナは立ちあがって、葉巻をふかしている兄のそばへよった。
「スチーヴァ」と快活に眼くばせして、兄に十字を切り、戸のほうを目でさしながら、彼女はこういった。
「いらっしゃい、神さまが力をかして下さるから」
 彼は妹の言葉の意味を察して、葉巻を棄てると、戸の向こう側へ姿を隠した。
 オブロンスキイが出て行くと、彼女は子供たちにとりまかれながらもと坐っていた長椅子へひっ返した。ママがこの叔母さんを好いているのを見てとったからか、それとも自分で叔母のもっている特別な魅力を感じたのか、小さい子供にはよくあることだが、上の二人と、それにつづいて下の弟や妹までが、もう食事の前から新しい叔母にまつわりついて、そばを離れようとしなかった。そして、彼らの間には何かしら一種の遊戯みたいなものができてしまった。それはできるだけ叔母さんの近くに坐って、その体にさわり、小さな手を握って接吻し、その指輪をおもちゃにするか、でなければ、せめてその着物の襞《ひだ》にでもふれようというのであった。
「さあ、さあ、さっき坐ったとおりに坐るんですよ」とアンナは、自分の席におちつきながらいった。
 すると、またもやグリーシャは彼女の腕の下へ頭をつっこんで、その着物にもたれかかり、誇らしさと幸福の情に満面を輝かした。
「で、今度は舞踏会はいつですの?」と彼女はキチイに問いかけた。
「来週ですの、りっぱな舞踏会ですわ。いつも楽しい舞踏会の一つですのよ」
「まあ、いつも楽しい舞踏会なんてありますの?」とアンナは優しい冷笑の調子でたずねた。
「妙なことですけど、ありますの。ポブリーチェフ家のはいつでも楽しゅうございますし、ニキーチン家のもそうですわ。ところが、メジュコフ家のはいつも退屈なんですの。あなたお気づきになりませんでした?」
「いいえ、あなた。わたしにとってはもう楽しい舞踏会なんてありませんもの」とアンナはいった。すると、キチイはその眼の中に、自分には啓示されてないかの特殊な世界を認めた。「わたしにとっては、まあいくらか骨の折れない、多少退屈でない舞踏会があるばかりですの……」
「あなたが舞踏会で退屈なさるなんて、どういうことでしょう?」
「どうしてわたしは舞踏会で退屈するはずがないんでしょう?」とアンナはたずねた。
 アンナはどういう返事を聞かされるか、ちゃんと承知していた。キチイもそれに気がついたのである。
「だって、あなたはいつでも一番お美しくていらっしゃるんですもの」
 アンナは赤くなる癖があった。彼女は顔を赤らめて答えた。
「第一に、そんなことは決してありませんし、第二に、よしんばそうにしましても、そんなことがわたしにとって何になるでしょう?」
「あなた今度の舞踏会へお出になりまして?」とキチイはたずねた。
「どうも出ないわけにはまいりませんでしょうね。さあ、これをあげましょう」彼女の細いまっ白な指の先で、今にも抜けそうになっている指輪をひっぱっていたターニャにむかって、彼女はそういった。
「あなたがお出になりましたら、あたしほんとうにうれしゅうございますわ。あたし、舞踏会へお出になったお姿が拝見したくてたまりませんのよ」
「もし出かけるようなことになりましたら、それがあなたをお喜ばせすることになると思って、それをせめてもの慰めにいたしましょう……グリーシャ、後生だから、そういじくらないで。そうでなくっても、すっかりばさばさになってるんだから」グリーシャがおもちゃにしたために、こぼれたおくれ毛をなおしながら、彼女はこういった。
「あたしね、あなたが藤色のお召物をつけて、舞踏会へお出になったところが想像されますのよ」
「どうして必ず藤色でなくちゃなりませんの?」とアンナはほほえみながらいった。「さあ、子供たち、あっちイいらっしゃい、いらっしゃい。叔母さまのいうことが聞えて? ミス・グールがお茶をって呼んでますよ」と彼女は子供をもぎ離し、食堂のほうへ追いやりながらいった。
「なぜあなたがわたしを舞踏会へお呼びになるか、わたしちゃんと存じていますよ。あなたはその舞踏会に大きな期待をかけていらっしゃるので、みんなに居合わせてもらいたいのでしょう、みんなに参加してもらいたいのでしょう」
「どうして、それがおわかりになりまして? ええ、そうなんですの」
「ああ! あなたのお年ごろは全くようございますわね」とアンナは言葉をつづけた。「わたしもあの空色をした霧のような気分を覚えていますわ、知っていますわ、ちょうどあのスイスの山にかかった霧みたいな。その霧は、今にも少女時代を終ろうとするその幸福な時代には、なにもかもすっぽり包んでくれるんですのよ。その大きな、幸福で楽しい世界を出ると、道がだんだんだんだん狭くなっていきますけれど、その狭い道へ入っていくのが楽しくもあれば、息のつまるような気持もする……もっとも、その道は明るくて美しいように思えるんですけど。だれだって一度はこれを通っていくんですわね?」
 キチイは無言のままほほえんでいた。『でも、このかたがどんなふうにその道を通っていらしったんだろう?このかたのローマンスをすっかり知りたくてたまらないわ』彼女の良人であるアレクセイ・アレクサンドロヴィッチの散文的な風貌を思い起しながら、キチイは肚《はら》の中でこんなことを考えた。
「わたしもいくらか知っていますのよ、スチーヴァが話してくれましたから。おめでとうございます、わたしもあのひと気に入りましたわ」とアンナはつづけた。「わたし停車場でヴロンスキイさんにお目にかかりましたの」
「あら、あのかた停車場へいらっしゃいましたの?」とキチイは顔を赤らめてきいた。「いったいスチーヴァがどんなことを申しあげましたかしら?」
「スチーヴァがなにもかもしゃべってしまいましたわ。わたしもたいへんうれしく存じます……わたし昨日、ヴロンスキイさんのお母さまと汽車がいっしょでございましてね」と彼女はつづけた。「お母さまはのべつあの人のことばかり話していらっしゃいましたわ。――どうやらご秘蔵っ子らしゅうございますね。母親がどんなに子供に甘いものかってことは、わたしも承知しておりますけれど、しかし……」
「お母さまはあなたにどんなことをお話しになりまして?」
「それはいろいろなことを! あの人がお母さまの秘蔵っ子だってことは、わたしにもわかってますけれど、でもあの人はりっぱなナイトですわ、ちゃんと見えています……まあ、たとえば、お母さまはこんなお話をなさいましたっけ。あの人が全財産を兄さんにあげてしまおうとなすったり、まだ子供の時分にも何か非凡なことをなすったり――一人の女を水から救い上げなすったんですって。ひと口に申しますと、英雄ですわね」とアンナは微笑しながらいったが、その瞬間、彼が停車場で与えたあの二百ルーブリのことを思い出した。
 しかし、彼女はこの二百ルーブリのことは話さなかった。なぜかこのことを、思い出すといやな気持になるのであった。そこには何か自分に関係のある、しかもあってはならないことが隠れている、そういうような気がしたのである。
「お母さんはぜひ来てほしいと、くれぐれもお頼みになりましてね」とアンナはつづけた。「わたしもあのかたにお目にかかるのは楽しみですから、明日お訪ねしたいと思っておりますの。でも、いいあんばいに、スチーヴァがいつまでもドリイの居間にいますこと」とアンナは話題を変えて、立ちあがりながらこうつけ加えた。そのようすがキチイには、何か不満なように感じられた。
「いや、僕が先だ! いえ、あたいが先よ」お茶をすまして、アンナ叔母さんの方へ駆け出してきながら、子供らは口々に叫んだ。
「みんないっしょ!」とアンナはいい、笑いながら子供の方へ走っていって抱きつくと、有頂天になってばたばたしたり、きゃっきゃっ騒ぐ子供たちを、ひとかたまりにしておし倒した。