REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 対談:橋本 治 × 浅田 彰「日本美術史を読み直す」
浅田 でも、金刀比羅宮の高橋由一の作品の中には、左官が壁土かなんかを捏ねている脇の壁に相合傘の落書きなんかが描いてあるところまで写し取った絵がある。貧乏もあそこまでいけばすごい。他方、貧乏じゃないとどうなるかといえば、岡本太郎になるんじゃないですか。人気漫画家だった岡本一平が、息子を連れ、妻の岡本かの子とその愛人たちまで引き連れてヨーロッパへ行く。で、太郎は、抽象のグループ(アブストラクシオン・クレアシオン)から、シュルレアリスムを経て、シュルレアリスム異端のバタイユのグループまで、あるいは、コジェーヴのヘーゲル哲学講義から、出来たばかりの人類学博物館での民族学講義まで、あらゆるものを横断していく。一九三〇年代のパリの前衛の最先端をなで斬りにしたわけで、世界的に見てもあれほど短期間にあれほど横断的に動いた人はほとんどいないでしょう。そして、そこで身に着けた民族学の視線で日本の縄文を再発見することになる(実はその前に雪の科学者として有名な中谷宇吉郎の弟の中谷治宇二郎がフランスで縄文研究をしていたのを発見したようだけれど)。お坊っちゃまのパリ遊学としては世界最高のレヴェルですよ。だけど、戦後「夜の会」で一緒だった花田清輝も言う通り、君は話は面白いのになんで作品はダメなんだ、と。
橋本 近代篇に岡本太郎を入れようかって、はじめは編集者と話していたんですよ。だけど、「今すごく人気があるんですよ」って言われて、「え、じゃ止めよう」となった。つまり、岡本太郎はああいうものを認めない前提にたてば面白い存在なんですが、認められてるという前提にたつと、いいじゃん別にってことになる……。
浅田 当時のヨーロッパでも芸術や思想の最先端をあれだけなで斬りにした人は少ないんだけれど、それが作品に結実したかというと……。
橋本 なで斬りに出来ちゃうということは、通り過ぎられるということでしょ。自分にひっかかるものが何もないというのは、凄いっちゃ凄いんですけどね。
浅田 岡本太郎より前の世代の藤田嗣治だと、岡本太郎より貧乏だったということもあり、キュビスム以降の「秩序回帰」の流れの中で日本的なものをいかにうまく生かした具象画を売り出すかということを、ものすごく職人的に研究すると同時に、自らトリックスターとなって広告したわけでしょう。
念のためにいっておくが、浅田彰氏はあまり意味がない。橋本治氏は、これだけでは不十分だが、かなり重要な事をいっている。
ほんとうは、ひょっとしてもうなにも作る必要がないのかもしれない。そこまでいかないとみえてこないものがある。
少なくとも、ただ家にかざってある絵というだけではおさまらないものを作らないとまずい。これははっきりしている。
もう一人の批判側は、北澤憲昭氏。『反覆する岡本太郎: あるいは「絵画のテロル」』
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『眼の神殿 ――「美術」受容史ノート』の観点からすれば、岡本太郎バンザイだけではだめなのだ。
そして、肯定する立場から、横尾忠則氏。そして、沈黙した花田清輝氏。
それと、これも。
『[新版]岡本太郎と横尾忠則』|感想・レビュー - 読書メーター