あえて、ロスジェネとか「昭和」とか、誤解をする余地のある単語を使う。わたしにとってはかなり違和感がある。
本当に、ロスジェネ世代は、「昭和」を生きた人たちに真剣に反発していたのだろうか。そして、「昭和」を生きた人たちは、そこで本気でむきあったのだろうか。ごく少数をのぞいて、おたがいをなぐりながら、なれあっているだけではなかったのではないか。また、そもそも客観的には、というのを、両者とも、言葉だけだとなんの違和感もなく感じているのではないか。
大阪万博をみつめて、わたしはまず直観するのは、奇妙にきこえるだろうが、そのことだ。
3分、しかし、ずっと前からかんがえていたことだ。