『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

(メモ)結局元気と信用は金でしか買えない、という人間を舐めた考えがすけてみえるのだが

いつまでも あるかわからぬ 長寿の国 - シロクマの屑籠

金で元気と信用が買えるのは事実だ。しかし、金でしか元気と信用が買えない、というのは絶対にまちがっている。
そこで人間を舐めて考えるから、全部の思考がすべて病んだ、というかいびつなものになるのだ。
資本主義下では不可能だ、とかなんとか返答するのが簡単に予想できるが、わたし個人はとてもついていけない。



付記
わたしは、いわゆるロスジェネ論客を信用していない。赤木氏あたり、これから再検証しようと考えているが……。丸山眞男氏と正面対決をさけてダシにしただけだったことは、赤木氏とそのとりまき(というか、赤木氏をおもちゃにして結局もてあそんでいた連中)の罪といっていい。わたしは、「赤木という人は元気がねえな」とすぐ判断した。だいたい、10年以上たって自分の「元気(モチベーション)」が大きくないことに気がつかないって、どうなってんだ。嶋理人氏あたりもも、いそがしいのだろうが……。もういい。


彼が彼として生きる(『小説の自由』10) - 保坂和志official web site

一度決定的に歪められた人格、感情、思考を克服したり修復したりするあり方について、どういう風に表現するのが適当なのか、私にはわからないからここまでしか書けないが、社会的にみてどうこうなのではなくて、ペリー・スミス個人として、人格を持って生きる機会を与えられた存在として、本当の自分を生きる時間を与えられるべきだということだ。

「えーっ、保坂さん!
保坂さんは前々回に『私の中には他者の言葉しかない』とかって、言ってたじゃないですかあ。
それがいきなり『本当の自分』ですかあ。
それって、矛盾してますよ。」

こういうことを言う人とは口をききたくない。というか、こういう議論に巻き込まれるときっと私は議論という枠の中では言い負かされてしまうだろう。私に言えることはただ、「おまえだってそれぐらいのことは本当はわかってんだよ。相手を言い負かしていい気になってて、おまえの人生に何があるんだよ。人生を見ろよ。人生を!」
ということぐらいだ。
宗教を信じられていた時代だったら簡単だった。しかし宗教への敬意は私自身が使っている言葉によって踏みにじられている。私たちが使っている言葉は全体として宗教への敬意が失なわれたモードに乗っているのだから、私が一言しゃべるたびに宗教から遠ざかるだろう。
論理的に体系立てて言うことはできないけれど、人間には崇高さを目指す本性がある。そこはもう直観を信じるしかない。

(略)

犯罪者はさしあたり自分に都合のいい他者の言葉だけを選ぶ。だから限定された他者の言葉しか彼の中にはない。つまり他者の言葉の群れが彼の中で構築されていないということで、「本当の自分」というのは他者の言葉が構築された状態を指すのかもしれない。——が、「他者の言葉」というたった一つの考えにとらわれて、こんなことをうだうだ書き並べるより、やっぱり「人間には崇高さを目指す本性がある」という直観で言い切った方が、ずっと広がりがある。