『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「【推しの子】」第百四十三話への未整理なメモ 親子こそ、親こそ、自分の本当のことを認めないといけない。それができないなら、子どもが親の本当を認めないといけない……

[第百四十三話]【推しの子】 - 赤坂アカ×横槍メンゴ | 少年ジャンプ+
「そうだよ?」「私 せんせーの全肯定オタクなので」

どうやら、この作品の基本に重大な見落としがある、というわたしの予感は当たっているらしい。
親子こそ、親こそ、自分の本当のことを認めないといけない。それができないなら、子どもが親の本当を認めないといけない……その時にもちだされる「推し」という概念はあいまいすぎて、危険だと思える。

【推しの子】のここまでの流れを簡単に説明すると、ルビー(元、さりな)は、転生前に重い病気になって「親に病院に放置された」。このことを、ルビーはまだ本気で認めていないように見える。そのさみしさを、アクア(元、吾郎)にぶつけている。さみしさを誰かにぶつけること自体は、そこまで問題ではない。問題はそれこそ、さみしさの原因を本気で認めていないことによる。少なくとも、この第143話の場面で。もしこの一連の流れが読者に強さを感じさせないならば、それが原因だ。
そして、問題が多重化しているのは、アクアとルビーの親のアイと、「相手の男」の関係の問題だ。これまでの流れで見るかぎり、アイは「相手の男」と共通する特徴、2人だけならば本音を話せる関係が作れることには気がついている。しかし、なんといえばいいか、その関係を「一生」やりとおせるかの覚悟は決まっていない。そしてやりとおせないならそれはなぜかということも、見極めていない。もし決まっても見極めてもいないならば、よくいってもたれあい、悪く言えば、一方がもう一方を利用している関係だ。それは、どこまでいっても不健全な関係だ。
もたれあっている関係(アイと「相手の男」)の演技を、もたれあっているかもしれない関係の2人(アクアとルビー)が本気の愛情表現を示したのちに演じている。これは、どっちか(どっちも?)を死なせてしまう可能性のある、不健全な関係である

以下の作品は、まだ途中であるが、

それでも、親を愛する子供たち - 原作:押川剛 構成:鈴木マサカズ 作画:うえのともや / 第5話【ケース1】にんじん⑤ | くらげバンチ

「里香さん(作中の子ども)は全部見ています」
「御堂さん(作中の子どもの親、刑務所にいる)……」「あなたは何をやったんですか」

同じ時代で、「どんなことをしてでも売れろ」とかいう同じ圧力を感じる読者たちが読んでいる作品、その登場人物たちが放つ言葉に、なにか致命的な食い違いがある。私にはひしひしとそう感じられる。ここでしくじると大変なことになる
わたしがこの「【推しの子】」の作品を読み続けている理由の一つは、ほかの読者とかなりちがっていて、ホントウのことを認めるということ、その力を見極めるため、というものがある。
その違和感は、第三巻収録のリアリティーショーあたりからあった。黒川あかねのプロファイリングの場面、あれは未熟な人のやることだと、早い段階で気がついていた。あの場面、「アイドルをやっている星野アイ」を黒川あかねを「認める大変さ」がえがかれていない。認めるのが大変でないなんて、そんなこと、ありうるのか? まして、たかが20歳にもなっていない人間が。

いや、思い返せば第一話から重大な欠落を感じていた。気がついてしまえばある意味単純。「星野アイは、アイドルをやりながら、子どもの人生も守って生きられるのか?」という疑問が作中で放たれることがなかったことだ。まだ全部を確認していないが、「星野アイは施設育ち」という情報が、大事なところで欠落している。星野アイが子育てに困難を抱えた人生を歩んでいること、そして「自分の人生の本当を認めるのが難しい状態にあること」は推測できるはずなのに……



これは未整理なメモだが、ここで判断をしくじったら自分の人生もしくじってしまう可能性がある。だから、いそいで書きとめた。
約30分。


追記。
もっとズバッとした言い方ができる。
「星野アイは、アイドルをやりながら、子どもの人生も守って生きられるのか?」

「星野アイは、アイドルをやりながら、子どもを捨てないでいることができるか? 「相手の男」がアイと子どもを捨てたことを、子どもに伝えられるか?

前後の二つは、完全につながっているはずなのに、アイも、社長夫婦も、作中で、特に後者の問題とむきあっていない。出産直後ならばともかく、出産事件からアイ殺害事件直後まで3年以上たっているのである。どうしてそこを考えないのか、非常に疑問だ。子どもは受験や演技力以前に、自分がどういう立場におかれているか認めないといけない。そして、それは親も、自分がどういう立場に置かれているか認めないといけないという事と完全につながっている。これは解釈違いなんかではない。わたしもまだこの命題の重大性を理解していないんじゃないかと思うぐらいだ。

そして、「なんでそんなクソヤローの「相手の男」といっときでもくっついたのか?」、ここも問題だ。


追記2
修正するところ

アイ殺害事件直後

アイ殺害事件直前直後