『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第32章から第35章(終章)まで(一回目の校正おわり)

20240326、トム・ソーヤーの冒険の一回目の校正すべて完了、1ページ約1分

32 「おきろ! みつかったぞ!」
 火曜日の午後も、やがてたそがれていった。セント-ピータースバークの村は深い悲しみにしずんでいた。まいごになった子どもはまだみつからないのである。ふたりのために、おおやけの祈祷会がなんどもひらかれ、また、かぞえられぬほど、おおぜいの人が、まごころをこめてお祈りをささげてくれた。が、ほら穴からは、なにひとつよいたよりはきかれなかった。捜索隊のたいていの人は、さがすのをあきらめ、もう子どもはみつかりっこないといって、めいめいのしごとにもどっていった。サッチャー夫人のからだぐあいはたいへんわるくなり、ほとんど一日じゅう夢うつつで送っていた。夫人がベッキーの名をよびたて、頭をもたげては、たっぷり一分間、じっと耳をすまし、それから、悲しそうなうめき声をあげ、しおれきって、ぐったりと頭をまくらにおろす――そのありさまは、気のどくで見ていられないと人びとは語った。ポリーおばさんはすっかりゆううつになり、そのしらがまじりの頭はほとんど、まっ白になってしまった。こうして、火曜日の夜、村は悲しいたよりないねむりにおちていった。
 とっぜん、ま夜中すぎに、村の鐘がけたたましくうちならされたと思ううち、通りはろくに服もつけない熱狂した人びとでいっぱいになった。みんなは口々にわめいた。
「外へでろ! 外へでろ! 子どもがみつかった! 子どもがみつかった!」
 ブリキなべをたたき、角笛をふきならす音が、いっそうさわぎを大きくした。人びとのむれは、しだいに大きくなって、川のほうへ流れていった。そして、ほろをはねた車にのり、口々にさけぶ村人にひかれてくるトムとベッキーに出会うと、車のまわりをとりまき、がいせんの行列にくわわって、ばんざい、ばんざい、と、はやしたてながら大通りをねり歩いた。 村じゅうのあかりがついた。だれひとり寝床にかえるものはなかった。村はじまって以来のお祭りさわぎだった。さいしょの三十分間、行列はサッチャー判事の家にくりこんだ。助かった子どもをだいてキスをし、サッチャー夫人の手をにぎりしめて、さて、なにかいおうとしても、ことばにならず――ただ涙の雨とふりそそぐばかりだった。
 ポリーおばさんは、よろこびの絶頂にあった。サッチャー夫人も、ほとんどそのくらいだった。このすばらしいしらせを持ってでたつかいが、ほら穴にいるサッチャー判事のところへとんでいったら、そのよろこびはまったく、もんくなしということになるだろう。ソファーに横になっているトムのまわりには、熱心なきき手が集まった。トムはその人たちに、うんとおまけをくっつけて、おどろくべき大冒険の話をしてきかせた。そして、さいごに、どんなふうにベッキーをのこして探検にでかけたかということについて、トムは、つぎのように話を結んだ。
 トムは、たこ糸のとどくかぎりの道を、一つ二つとつたっていった。三つめの道をいったとき、たこ糸がいっぱいのびたので、ひきかえそうとした。がそのとき、はるかかなたに一点、ぽつんと日の光のようなものをみつけた。糸を手さぐりでその光にむかって進んでいき、せまい穴から、むりやり頭と肩をおしだしてみたら、なんとミシシッピの大きな流れが、ゆったりと流れているではないか! もしあれが夜だったら、トムはとうてい、その光の点を見ることはできなかったし、その横道を発見することなんか、とてもとても、できなかったにちがいない! どうして、それからベッキーのところへもどったか、どんなにこの大発見をつたえたか。ところが、ベッキーは、そんなばかな話で苦しめないでちょうだい、もうつかれきって死ぬことはわかっているし、死にたいと思っているのだから、といったのだ。さあ、そこでどんなに苦心して、ベッキーをときふせたことだろう。光の点が見えるところまではっていって、自分の目でそれを見たときの、ベッキーのよろこびようったら、どんなだったろう。トムは、その小さい穴からむりにはいだした。それからベッキーの手をひっぱって、はいださせた。ふたりはそこにすわったまま、うれしさのあまり声をあげてなきだした。そこへ、ボートにのりくんだ人が通りかかったので、トムは大声でよびとめ、どうしてここにいるか、またどんなに腹ぺこでいるか、と事情を話した。ところがさいしょのうちは、このとてつもない話は、その人たちをちっとも信用させなかった。「なぜって」と、彼らはいった。
「おまえたちは、ほら穴の入り口から五マイルも川下にいるんだぜ。」
 ――が、ともかくボートにのせてくれた。うちまでつれていって、たべものをあてがってくれた。くらくなってから、二、三時間、休ませてくれ、それから送りとどけてくれたのだ――と、トムは話した。
 夜明けまえ、ほら穴にいたサッチャー判事と、彼といっしょにいた小人数の捜索隊の人が、あとにのこしていった、目じるしのひもをたよりにさがしだされ、この大ニュースをきかされた。
 ほら穴の中での、三日三晩の苦しいたたかいと飢えの重荷は、すぐには、ふりはらえるものではないことが、トムにもベッキーにもよくわかった。ふたりは、水曜日と木曜日をまるまるねかされていたが、かえってつかれがでて、よわったような気がした。トムは、木曜日には、ちょっと外へで、金曜日には、にぎやかな通りへでていった。そして土曜日は、ほとんどふだんとかわらなかった。一方、ベッキーは日曜日まで、へやの外へはでず、それからも、大病をわずらったあとのような顔つきをしていた。
 トムは、ハックの病気のことをきいたので、金曜日にはあいにいってみたが、寝室へは、入れてもらえなかった。土曜日にも日曜日にも入れてもらえなかった。そのあとは毎日通されはしたが、あの冒険のことや、興奮するような話をしてはいけないと、くぎをさされた。ダグラス未亡人は、トムがこのいいつけを守るように、そばについていた。トムは、家の人から、カーディフ丘の事件をきいた。また、あの〈ぼろをさげた男〉の水死体が、渡し船の船つき場近くで、ぐうぜんみつかったという話もきいた。たぶんにげだすとちゅうで、水におぼれたのであろう。 助かってから二週間ほどたった、ある日のこと、トムは、ハックをたずねに家をでた。もう、どんな興奮する話をきいてもさしつかえないほど、じょうぶになっているはずだ。ハックに、じゅうぶん興味《きょうみ》のある話のたねを自分はもっているぞと、トムは考えた。サッチャー判事の家はそのとちゅうだったので、ベッキーをみまいによってみた。判事と友だち連がいて、トムにしゃべらせようとした。そのひとりがトムをつかまえて、もう一ど、ほら穴へいってみる気はないかね、と皮肉まじりに、たずねた。トムは、いってもいいと答えた。判事がいった。
「なるほどね、まだほかにも、きみと同じようなことを考える人間がいるにちがいないよ、トム。そこで、そんなことのおこらないように、しまつしたよ。これからはもう、だれも、あそこでまいごになろうったって、なれはせんさ。」
「どうして?」
「二週間まえに、あのとびらにあつい鉄板をはらせ、三つも錠まえをおろして――そのかぎを、わたしがあずかっているからさ。」
 トムの顔は、たちまち、しきふのように青ざめた。
「どうした、トム! だれか、早く水を持ってきてくれ!」
 さっそく、水が持ってこられ、トムの顔にぶっかけられた。
「ああ、やっと正気にもどったな。どうしたんだ? トム。」
「ああ、判事さん、インジャン・ジョーが、あのほら穴にいるんだよ!」

33 インジャン・ジョーの運命
 いく分とたたないうちに、このニュースは八方にひろがった。十何そうものボートは、人をいっぱいつんで、マックドーガルのほら穴へといそいだ。蒸気船も、お客を満載して、すぐそのあとにつづいた。トム=ソーヤーは、サッチャー判事ののったボートの中にいた。
 ほら穴のとびらをあけると、そのうすくらやみの中に悲惨なけしきがくりひろげられた。インジャン・ジョーはとびらのすきまに顔をおしつけ、ながながと横たわって死んでいたのだ。その目は、さいごの瞬間まで、外の自由な世界の光明とよろこびにあこがれて、くいいるように、おしつけられていたものにちがいない。トムは心をうたれた。自分の経験からいって、この悪者がどんなに苦しんだか、よくわかったからである。そのあわれなありさまには、深く動かされずにはいられなかった。が、それとともに、助かった、これでほっとした、という、あふれるような安心感がおこった。自分が、この血に飢えた悪漢に不利な証言をしたあの日から、どんなに心に重く、おそろしい思いをしていたかが、よくわかった。
 インジャン・ジョーの大型ナイフがそばにころがっていたが、刃はまっぷたつにおれていた。とびらの下のがんじょうな横木が、ほねをおって、たんねんに、つついたり、けずったりされていたが、そのほねおりは、まったくむだだった。外がわには自然の岩石が、しきいになっていて、大型ナイフはなんの役にもたたぬばかりか、あべこべにナイフのほうがまいってしまったのだ。また、たとい石のじゃまものがなかったとしても、そのほねおりは、やはりむだだったろう。かりに横木がすっかり切りとられたにしても、インジャン・ジョーのからだは、とびらの下のすき間から、はいでられっこはないのだ。ジョーもそれを知っていたろう。知っていながらけずったのは、ただなにかをせずにはいられない――さびしさをまぎらさずにはいられない――苦しみぬいている肉体をまぎらすために腕をふるわずにはいられない――ためだったろう。いつも、その入り口には、見物人がおいていった、もえのこりのろうそくが六つや七つはあるものだが、いま、ここには一つもなかった。その囚人があさりつくして、たべてしまったものとみえる。また、彼は、こうもりをとることを思いついたらしい。それもたべて、つめだけがころがっていた。この不幸な人間は、餓死してしまったのである。すぐ近くに、天じょうの鍾乳石からしたたりおちた水が、長い年月のあいだにつくった、石のたけのこがあった。その石のだけのこの頭が、囚人の手でくだかれ、その上に石が一つのせてあった。時計の針のように規則正しく三分間に一滴ずつ、上からおちてくる貴重な水を、浅いへこみにうけようとしたのだ――二十四時間にやっと茶さじ一ぱいほどたまるその水を。その水のしたたりは、ピラミッドがはじめてたったころにもおちていた。トロイが落城したときにも、――ローマの基礎ができあがったときにも、――キリストがはりつけになったときにも、――ウィリアム一世がイギリス帝国をきずきあげたときにも、――コロンブスが航海したときにも、――アメリカ独立戦争がはじまり、それがニュースだったときにも、その水は、したたりおちていた。いまもそれはおちている。こうしたいっさいのことがらが、歴史の午後、伝説の日暮れの中にしずみこみ、やがて、忘却のまっくらな世界にのみつくされるまで、したたりおちつづけることだろう。あらゆるものごとに、目的があり、使命があるのだろうか? 五千年の長い月日を、こうしてしたたりおちていた水は、この虫けら同然の人間の必要をみたすためにおちていたのだろうか? いや、さらに、一万年ののちに、またほかの重大な目的をはたそうとしているのでもあろうか? そんなことは、どうでもよろしい。すでに、不幸な混血の男が、貴重な水を集めようとして、石をけずったあのときから、もう何年も何年もすぎさったというのに、いまでも、マックドーガルのほら穴のふしぎなさまを見にやってくる遊覧客は、そのあわれにもいたましい石と、したたりおちる水を、いちばん長いあいだ見物する。ほら穴のふしぎなながめのうちでも、〈インジャン・ジョーのコップ〉は、まず第一にかぞえられ、〈アラジンの宮殿〉も、これにはかなわない。
 さて、インジャン・ジョーのなきがらは、ほら穴の入り口近くにほうむられた。人びとは舟や車にのって、そばの村々から、七マイル四方の農場や部落から、ぞくぞくとやってきた。みんな子どもづれで、ありとあらゆるたべものを持ってやってきた。そして、この葬式は、首つりの刑を見るのと同じくらいおもしろかった、といったりした。
 この葬式は、しかし、あること――知事にインジャン・ジョーの免罪の請願運動――をそれ以上進めることをとめるようになった。請願書には、ごてごてと署名がならんだ。涙を流し、雄弁をふるう集会がいくつも、もよおされた。そして、おろかな婦人委員が任命され、喪服まできて、知事にすがってなきわめき、どうぞ、目をつぶって慈悲ぶかいおばかさんとなって、知事としての義務をふみにじっていただきたい、と請願することになっていた。インジャン・ジョーは、たしか村の人も五人もころしたはずなのだが、いったい、それがなんだというのだろう? たとい、彼が悪魔だったとしても、免罪の請願書に署名し、いつもこわれていて水のもれる、彼らの水道から、さんざん涙《なみだ》の水をこぼしてやる弱虫どもは、おおぜいいたことだろう。
 とむらいのすんだあくる朝、トムはだいじな相談をするために、ハックをさそって、人けのないところへつれこんだ。ハックはもう、あのウェールズ人やダグラス未亡人から、トムの冒険はすっかりきかされて、知っていた。
「ところが、あの人たちにも話せなかったことが一つあるんだよ」と、トムはいった。「これから話したいのは、そのことなんだ。」
 ハックは顔色をかえた。
「おれ、知ってるよ。二号室にでかけていったのに、みつかったのはウイスキーだけだって話だろ。おまえがいったって話してくれた者はひとりもないけど、ウイスキーの話がでたとき、てっきりおまえにちがいないと、おれにや、すぐぴんときたんだ。だけど、おまえの手にゃ、お金がはいらなかったんだろ。もし、はいりゃ、なんとかして、おれにわけてくれるだろうし、ほかのやつらにゃだまってても、おれにだけはあかしてくれるにちがいないもんな。しょっちゅう、おれにや、あのどろぼうの宝物は、おれたちの手にはいりっこねえような気がしてしようがねえんだ。」
「おい、おい、ハック、おれは、あの宿屋のおやじのつげ口なんぞしやしないぜ。おれがピクニックにでかけた土曜日に、あの宿屋に事件がおきなかったのは、おまえだって知ってるじゃないか。あの晩、おまえがはり番したのを、もうわすれちまったのかい?」
「ああ、そうだ! へっ、一年もまえみたいな気がしやがら。おれが、後家さんちまでインジャン・ジョーのあとをつけてったのは、あの晩だったっけ。」
「おまえがつけてった?」
「うん――だけど、だまってなきゃだめだぜ。おれにゃ、インジャン・ジョーのなかまがまだのこってるような気がして、しようがないんだ。おらあ、そいつらにいじめられたり、わなにかけられたりするなあ、いやだからな。あのとき、もしおれがいなきゃ、やつらはいまじぶん、テキサスにずらかって、のうのうとしてやがるだろうからな。」
 そこでハックは、トムにあの大冒険をすっかり話した。トムはそれまで、あの老ウェールズからしかきいていなかったのだ。
「そういうわけだ」と、ハックは、話を本すじにもどした。
「二号室のウイスキーをとってったやつが、あの金もさらっていったんじゃないのかい――どっちみち、ありゃ、おれたちの手にはいりっこないぜ、トム。」
「ハック、あの金貨は、はじめっから二号室にはなかったんだぜ!」
「なんだって!」ハックは、トムの顔をじろじろみつめた。
「トム、おまえ、金貨のありか、かぎつけだってのかい?」
「ハック、ありゃ、ほら穴の中にあるんだぜ!」
 ハックの目はかがやいた。
「もういっぺんいってみろ、やい、トム。」
「あの金貨は、ほら穴の中にあるんだよ!」
「トム――たのむから、いってくれ――いったい、そりゃ、じょうだんか、ほんきか、どっちだ?」
「ほんきだ、ハック――いままで、こんなにほんきになったことないくらい、ほんきだよ。おれといっしょにいって、だすのをてつだわないかい?」
「やるとも! 目じるしをつけてって、まいごにならないってとこなら、いくぞ。」
「なあ、ハック、やっかいなことはこれぽっちもせずに、やれるんだぜ。」
「そいつあ、すげえ! どうやって、そいつを――」
「まあ待てよ、ハック、そこへいくまで、おとなしくしろよ。もしみつからなかったら、たいこでもなんでも、おれの持ってるものは、みんなやるぜ。ほんとだよ。」
「ようし――いいぞ。いついく?」
「おまえさえよけりゃ、いますぐだって、いいぜ。だけど、おまえのからだ、だいじょうぶかい?」
「それ、ほら穴のうんと奥かい? おらあ、あとまだ三、四日は、いたみがとれそうもないんだ、トム、一マイルぐらいっきゃ歩けないんだ――ちょっと、まだむりみたいだな。」
「ほかの者なら五マイルは歩くさ、ハック。ところが、おれよりほかだれも知らないすごい近道があるんだ。ボートにのっけて、そこまでまっすぐつれてってやるよ。いきも帰りも、おれひとりでこいでやらあ。おまえは、ちっとも手をだすことはないんだぜ。」
「すぐいこうや、トム。」
「うん、いこう。パンと肉をすこし持ってな。それから、たばこのパイプと、ふくろが一つか二つ。それにたこ糸を、二まきか三まきさ。それから、最新流行のマッチとかいうやつを持っていこうや。このまえ、ほら穴にいたとき、あいつがありゃあなあと、なんど思ったかしれないぜ。」
 昼すこしすぎ、ふたりの少年は、主のいない一そうのボートをだんまりで借りて、すぐ出発した。ほら穴の谷から何マイルかくだったところで、トムがいった。
「あのほら穴からここまで、同じようながけが、ずっとつづいてるだけだと思うだろ――うちもなけりゃ、たきぎ小屋もない。ずっと同じ雑木山が見えるっきりでさ。けど、ずっと上のほうに、がけくずれのあとの白っぽいところが見えるだろ? うん、あれも、目じるしの一つなんだ。さあ、あがろうや。」
 ふたりは、上陸した。
「なあ、ハック、おれたちはいま、穴のすぐそばにいるんだぜ。つりざおでとどくぐらい、すぐそばなんだ。どうだい、みつかるかどうか、さがしてみろよ。」
 ハックは、そこらじゅうさがしたが、みつからなかった。トムはとくいげに、ぬるでの木のしげみに突進した。
「ここだよ! 見ろよ、ハック。アメリカ一のしゃれた穴だぜ。こいつあ、だまってなきゃだめだよ。おれは、これまでだって山賊になりたくってしようがなかったんだけど、それにゃどうしても、こういうものがないと、山賊になれないんだ。そいつをどこでみつけるかってことに、こまっちまってたんだ。それが、いまは手にはいったわけだ。そっと、だいじにしとこうぜ。ジョー=ハーパーとベン=ロジャーズだけには教えてやろうや――なぜって、もちろん、なかまがなくちゃかっこうがつかないじゃないか。トム=ソーヤー山賊団、どうだい、ちょいとしたものじゃないか、ええ、ハック?」
「うん、いいぞ、トム。そいで、おれたちは、どういうやつからぬすむんだい?」
「ああ、たいていのやつは、のがしゃしないよ。待ちぶせだな――たいてい、その手でやるんだ。」
「そいで、ころすのかい?」
「ううん、いつもころすってわけじゃない。身代金をだすまで、ほら穴のなかにとじこめとくんだよ。」
「みのしろきんたあ、なんだい?」
「お金さ。そいつらにありったけ集めさせてださすんだ。たいていは友だちからだが、一年とめといて、それでもまだ金がだせなかったら、ころしちまうのさ。ざっとそんなやりかたがふつうだな。ただ、女はころさないんだ。とじこめるけど、ころしはしないんだ。そういうのは、きれいで、お金持ちで、とてもこわがりんぼ、ときまってるんだ。そりゃ、時計やなんかはとるけど、こっちもちゃんとぼうしをぬいで、ていねいなことばを使うんだぜ。山賊くらい礼儀正しい者はないんだからな――どの本にだって、ちゃんと書いてあらあ。そうそう、女の人はだんだん、こっちがすきになっちゃうんだ。ほら穴につれてきて、一週間か二週間たつと、もうなかなくなって、そうなると、こんどはでていかないや。むりに追いだせば、ぐるっとまわって帰ってきちまうんだぜ。どの本にも、そう書いてあらあ。」
「へええ、すげえんだなあ、トム。海賊よりゃ、よさそうな気がするな。」
「うん、いいとこもあるさ。なにしろ、うちにゃ近いし、サーカスだのなんだの見られるもんな。」
 話をしているうちに、用意はととのった。トムが先頭に立ち、ふたりは穴の中にはいっていった。まっすぐにつづくトンネルのいきどまりまで、苦労して道を進んだ。そこで、よったたこ糸を、岩かどに結びつけてから、なお、さきへと進んだ。五、六歩で、あのいずみのところにでた。トムはさすがに、身ぶるいがとまらなかった。トムは、ろうそくのしんのもえのこりが、岩壁にもりあげた土の上にへばりついているのを、ハックに見せ、ベッキーとふたりで、さいごのほのおがようようときえていくのを、みつめていたときの話をきかせた。
 少年たちは、いいあわせたように小声になっていた。この場の静けさと、ものすごさに、心をおしつけられたからだ。やがて、ふたりは、トムのみつけたもう一つの道を進んで、あのがけにでた。ろうそくの光で見ると、ほんとはがけてなく、二、三十フィートほどのきゅうなねん土の坂道だということがわかった。トムはささやいた。
「さあ、いいものを見せてやるぜ、ハック。」トムは、ろうそくを高くあげた。「ずっとむこうのすみを見てみろ。わかるかい? そら、むこうのでっかい岩の上だよ――ろうそくの油煙で書いたものさ。」
「トム、十字架だ!」
「おまえのさがしてる、〈第二号〉はどこだい? 〈十字架の下〉たあ、なんだっけ、おい? あすこんとこで、インジャン・ジョーがろうそくをぬっとつきだしたのを、この目で見たんだぜ、ハック!」
 ハックは、このなぞのしるしを、じっと見ていたが、やがて、声をふるわせて、ささやいた。
「トム、ここからでようや!」
「なんだって! 宝物をうっちゃってかい?」
「うん――うっちゃってだ。インジャン・ジョーのゆうれいがうろついてるぜ、きっと。」
「いや、そんなことあるもんか、ハック、うろつくとすりゃ、死んだところだよ――ずっとむこうのほら穴の入り口だよ――ここから、五マイルもさきだぜ。」
「ううん、トム、そうじゃない。お金のそばをうろつくんだ。ゆうれいってもんは、きまって、そうするんだ。おまえだって知ってるじゃないか。」
 トムにも、ハックのいうことが正しいような気がしてきた。なんだか心配になってきた。が、とつぜん、うまい考えがひらめいた――。
「おい、おい、ハック。おれたちは、なんてばかなんだろう! インジャン・ジョーのゆうれいは、十字架のあるとこにはでてこないにきまってるじゃないか!」
 これは、よく急所をついたことばだった。まさしく、ききめがあった。
「トム、おれは気がつかなかったよ。だけど、まったくだな。十字架があるなんて、えんぎがよかったな。そんならここをおりてって、あの箱をさがしにかかるか。」
 トムは先頭に立って、ねん土のがけに、手軽な段々をきざみつけながら、おりていった。ハックもつづいておりた。その大岩のそばのちょっとしたほら穴からは、四本の小道がでていた。ふたりは、その道を三つまでさぐったが、なにもみつからなかった。しかし、岩の根もとにいちばん近い道には、小さなへこんだところがあり、そこに毛布をしいた寝床がみつかった。そのくぼみには、古ぼけたズボンつりがあったし、ベーコンの皮、かじりつくした鳥の骨が二つ三つあった。でも、金貨の箱はなかった。少年たちはしきりにさがしまわったが、むだだった。トムはいった。
「やつは、十字架の〈下〉っていったっけな。それで、ここは、十字架の下にいちばん近いわけだけど、ま下というわけじゃないや。だって、岩ががんばってやがるもんな。」
 ふたりはもう一ど、そこらじゅうをさがしまわったあげく、がっかりして、こしをおろした。ハックには、いいちえがうかばなかった。やがて、トムがいいだした。
「おい、見ろよ、ハック。この大岩のこっちがわのねん土の上にゃ、足あとや、ろうそくのたれたあとがあるけど、むこうがわにゃ、そんなものは一つもないぜ。こいつあ、なぜだろう? お金は、てっきり、この岩の下にあるんだぜ。おれ、土をほってみるよ。」
「わるい考えじゃねえぞ、トム!」
 ハックも、げんきになっていった。
 トムの〈ほんもの〉のバーロー・ナイフはすぐとりだされ、四インチとほらないうちに、すぐ板につきあたった。
「おい、ハック――この音がきこえるかい?」
 さあ、こんどはハックがほったり、かきだしたりしはじめた。何枚かの板切れが、すぐあらわれた。これをとりはらうと、自然のわれめが大岩の下にあって、ずっと下までつついている。トムはそこへからだを入れ、できるだけろうそくを持つ手をのばしてみた。が、「奥までは見えないぜ」といった。探検しようや、と、トムはいってのけた。そして、トムは身をかがめて、中へはいっていった。自然の通路は、だらだらとくだりになっていた。トムはそのまがりくねった道を進んだ。はじめは右に、それから左に。ハックもすぐあとにつづいた。小さいまがりかどをまわったとき、トムがさけんだ。
「おい、ハック、見ろやい!」
 まさしく、それは宝箱だった。箱は、こぢんまりした、ぐあいのよいへこみに、おさめてあった。すぐそばには、からの火薬箱、皮のケースにはいった銃が二ちょう、二、三足の古いしか皮のくつ、帯が一つ、そのほか、したたりおちる水で、じっとりぬれた、つまらないがらくたがすこしばかりあった。
「とうとう、手に入れたぞ!」
 ハックは、つやのきえた金貨に手をつっこんで、ザクザクやりながら、うなった。
「うわあ、おれたちは金持ちなんだな、トム!」
「おれはな、ハック、きっと、こいつが手にはいるとは思っていたんだ。なんだか、あんまりうまくいって、ほんとにできないくらいだが、とうとう、せしめたんだなあ、ほんとに! おい――ここらでぐずぐずしてはいられないよ。さあ、ひきずりだそうじゃないか。その箱、持ちあがるかな。」
 それは五十ポンドほどあった。えっちらおっちらやれば、持ちあげられないこともないが、うまく運ぶというわけにはいかなかった。
「おおかた、こんなこったろうと思ったよ。あのばけものやしきでも、やつらは重そうに運んでたからな。おれはちゃんと気がついたんだ。小さいふくろ、思いついたのは、うまかったな。」
 金貨は、いそいでふくろにつめられた。少年たちは、十字架の岩まで、それを運びあげた。
「銃なんかもとってこようか」と、ハックはいった。
「よそう、ハック――そいつはおいとこうや。おれたちが山賊をやるときの、いいかざりになるもんな。あそこにおいといて、そのそばで、おれたちは酒宴をやるんだぜ。このくらい酒宴にもってこいの場所はありゃしないよ。」
「酒宴《しゅえん》ってなんだい?」
「知らないや。でも、山賊はいつでも酒宴をやるんだぜ。だから、むろん、おれたちもやらなくちゃあな。さ、いこう、ハック。もうずいぶん長く、ここにいたぜ、そろそろくらくなるんじゃないかな。それに、腹もへっちゃった。早くボートにのって、食事をして、一服しようよ。」
 まもなく、ふたりは、あのぬるでのしげみからはいだし、注意ぶかくあたりを見まわして、じゃま者がいないかたしかめた。それからすぐ、ボートにのって、たべたり、飲んだりした。太陽が地平線にしずむころ、ボートをだして、こぎはじめた。たそがれのうすらあかりのただよう中を、トムとハックは楽しくしゃべりながら、岸にそってボートをすべらせた。上陸したのは、くらくなってからまもなくだった。
「どうだい、ハック、このお金は、後家さんちのたきぎ小屋のやねうらに、かくそうじゃないか。あしたの朝、おれがいくから、そこでかぞえてわけようや。それから、森の中をさがしまくって、たしかな場所をみつけようよ。ちょっと、おまえ、ここで番しててくれよ。おれ、ひとっ走りして、ベニー=テーラーの手車をちょいと借りてくるからな。一分もかかりゃしないよ。」
 トムは、すがたをけしたと思ったら、すぐ車をひいて帰ってきた。金貨のふくろを二つ積みこみ、上からほろをかぶせて、車をひいてでかけた。ウェールズ人の家のまえまできたとき、ふたりは立ちどまって、ひと休みした。そして、また動きだそうとしたとき、老ウェールズ人がでてきて、声をかけた。
「おい、だれだね?」
「ハックとトム=ソーヤーだよ。」
「ほう、こりゃいい! さあ、わしといっしょにいくんだ。みんなで、おまえたちをさんざん待っているのさ。さあ――いそげ、さきにいきなよ――車はわしがひいてやろう。ふん、思ったより重いんだな。中はれんがか?――それとも古金かな?」
「古金だよ」と、トムが答えた。
「そんなこったろうと思ったよ。ここらの子どもは、六、七セントのもうけで、鋳物工場へ古金を売るのに、どうしてあんなにほねをおって、時間をつぶすんだろうな。ちゃんとしたまともなしごとをすりゃ、二倍も金がとれるのにさ。だが、こいつがまあ、人間というものなんだろうな――さあ、いそげ、いそげ!」
 少年たちは、なんのために、そういそぐのか知りたいといった。
「心配無用さ。ダグラスさんの家へいけば、わかることさ。」
 ハックは、びくびくものでいった。――というのも、長いあいだ、ぬれぎぬばかりきせられつけていたからだ。
「ジョーンズさん。おれたちは、なんにもしやしないんだよ。」
 ウェールズ人はわらいだした。
「そうかね、わしは知らんよ。わしは、そういうことはなんにもわからん。おまえとダグラスさんは、なかよしじゃなかったのかい?」
「うん、そりゃ、奥さんは、いつもしんせつにしてくれるよ。」
「それなら、けっこうじゃないか。なんだって、おまえ、そうびくびくするんだい?」
 この問いの答えが、ハックののろい頭ではうまく用意できないうちに、ハックは、トムといっしょにダグラス夫人の客間におしこまれていた。ジョーンズさんは、車を入り口のそばにおいて、あとからついてきた。
 客間には、こうこうと、あかりがともり、村のおもだった人たちは、みんなそこにいた。サッチャー家の人たちもいたし、ハーパー家、ロジャーズ家の人たちもいた。ポリーおばさんも、シッドもメァリーも、牧師さんも、新聞の編集長もいた。そのほかおおぜい、みんな、とっときの晴れ着をきて、すましていた。未亡人は、こんなひどい顔つきかっこうの少年をむかえるのにしては、おどろくほど、心のこもった歓迎をした。なにしろ、このふたりときては、ねん土やろうそくの油煙で、よごれほうだいだった。ポリーおばさんは、はずかしさのあまり、顔をまっかにして、まゆをよせ、トムにむかって頭をふった。しかし、だれがこまったにしろ、いちばんつらかったのは、それは、ふたりの少年だった。ジョーンズさんがいった。
「トムは、家に帰ってませんでしてね、わしはもう、あきらめていました。ところが、家のまえで、ハックといっしょにいるところにぶっかりましてね。なにはともあれ、大いそぎでつれてきたというわけで。」
「ほんとに、いいぐあいで、なによりでしたわ」と、未亡人はいった。
「さ、あなたがたは、わたしといっしょにいらっしゃい。」
 未亡人は、ふたりを寝室へつれていった。
「さ、よく手足を洗ってから、きがえなさいよ。ここに新しい服が二着あります――シャツから、くつしたまで、なんでも、ちゃんとそろってますからね。これはハックのよ――いえ、いえ、お礼なんていりません、ハック――ジョーンズさんがこれを買って、わたしがこっちを買ったのよ。きっと、ふたりとも、ぴったり、からだにあうでしょう。じゃ、きるんですよ。わたしたちは待ってますからね――きれいに身じたくができたら、すぐおりてくるのよ。」
 未亡人はそういって、へやからでていった。

34 金貨ざくざく
 ハックがいった。
「トム、つながありさえすりゃ、ずらかれるんだがな。この窓は、たいして高かあないぜ。」
「ばかいうない。なんだって、ずらかりたいんだい。」
「うん、おらあ、ああいう人たちになれてないからね。やりきれないんだよ。下へいくの、やだよ、トム。」
「ちえっ! なんでもありゃしないよ。おれなんか、ちっとも気にならないや。おれが、めんどうみてやるよ。」
 シッドがあらわれた。
「トム、おばさんは、昼からずっと、きみを待ちつづけてたんだぜ。メァリーは、きみのよそゆきを用意するし、だれだってみんな、じりじりしちまったんだよ。なんだい、これ――服についてるの、ろうそくと、ねん土じゃないか。」
「シッディーさん、こっちのことは、ほっといてもらいましょうかね。それにしても、この大宴会は、いったいなんだい?」
「なあに、ここの奥さんの、いつものパーティーさ。きょうのは、ジョーンズさんとむすこが、こないだの晩、あぶないところを助けてくれたっていうんで、そのお礼の会だよ。それに――きみが知りたけりゃ、いいことを教えてやるんだがな。」
「えっ、なんだい?」
「今晩ね、あのジョーンズさんは、みんなをあっといわせるつもりなんだとさ。だけど、ぼくは、さっき、ポリーおばさんにないしょだって、話しているのを立ちぎきしちまったんだよ。なあに、いまとなっちゃ、ないしょでもなんでもありゃしないんだ。だれだって知ってるんだもん。――ダグラスおばさんだって知ってるんだよ、知らんふりをしてるだけの話なんだ。ジョーンズさんが、どうしても、ハックをここへつれてくるというんだ――ハックがいなくちゃ、そのすばらしいないしょ話というのが、うまくいかないんだよ!」
「ないしょ話って、なんだい? シッド。」
「ハックが、この家までどろぼうのあとをつけてきたことさ。ジョーンズさんは、みんなのどぎもをぬいておもしろがるつもりでいるんだろうが、ぼくは、きっと、まるっきり気のぬけた話になってしまうと思う。」
 シッドは、いかにもまんぞくそうに、声をころしてわらった。
「シッド、おまえだな、それをしゃべったのは?」
「だれだっていいじゃないか。つまり、だれかが話したんだ――それだけのことさ。」
「シッド、そんなひきょうなことをするやつは、この村にはたったひとりしかいないんだぞ――それがおまえだぞ。おまえなんか、ハックと同じようなめにあったとしたら、こそこそ丘をにげだして、どろぼうのことなんぞ、だれにもいわねえだろ。おまえは、ひきょうなことっきり、できやしないんだ。そのくせ、だれかがいいことをして、ほめられると、だまって見ていられないやつなんだ。やい――ここの奥さんのいいぐさじゃないが、お礼はいらないよ、だ。」
 トムはシッドの耳をひっぱたき、さんざんけりつけながら、出口までひっぱっていった。
「さあ、いって、いえるもんなら、おばさんにいいつけてみろ――そのかわり、あした、ひどいぞ!」
 まもなく、ダグラス夫人のお客さんたちは、夕食のテーブルについた。十二人ほどの子どもたちが、そのころの、そのへんの習慣にしたがって、同じへやの、小さいわきテーブルにつかされていた。ころをみはからって立ちあがったジョーンズさんは、短い演説をした。彼はまず、自分とむすこたちが、この日正客としてよばれた名誉を感謝したのち、しかし、ここに、もうひとり、きわめてけんそんな人があって――と、話しはじめた。
 これこれ、しかじか、と、せいいっぱいしばいじみた身ぶりで、あの冒険でのハックの役わりを、洗いざらいにぶちまけたが、それによっておこったおどろきは、たいてい、わざとらしく、当然あってもよかろうと思われるざわめきや、やんやのかっさいはおこらなかった。ただ、未亡人だけは、おおげさにおどろいてみせ、ハックに、ほめことばや感謝のことばをスつけざまにならべたてた。ハックは、お客さんたちぜんぶに見られ、ほめことばのまととなって、がまんできぬほどきゅうくつになり、新しい服のきゅうくつで、着ごこちのわるいことなんかわすれてしまったほどだった。
 未亡人は、ハックをこの家において、教育したいと思うといった。そして、お金のよゆうができたら、てきとうな商売をやらせたい、ともいった。
 トムは、待ってましたとばかり、口をだした。
「ハックは、そんなことしてもらわなくともいいんです。ハックは金持ちなんですよ。」
 このゆかいなじょうだんをきいて、ほんとは大わらいしたいのに、おあいそわらいでがまんしたのは、ここに集まったお客さんがいっしょうけんめい、ぎょうぎよくしようとしたからだ。でも、だれもなんにもいわないのも、すこしぎごちないものだった。トムが、そのぎごちない沈黙をやぶった。
「ハックは、お金をもうけたんですよ。みなさんは信じないでしょうけど、うんと、持ってるんです。ああ、わらわないでください――そうだ、見せたほうがいい――ちょっと待ってください。」
 トムは、おもてへとびだしていった。お客さんたちは、おどろいて、おたがいに顔を見あわせ――なにかききたそうに、ハックを見たが、ハックは口をつぐんで、ひとこともいわなかった。
「シッド、いったい、トムはどうしたんだろうね?」と、ポリーおばさんはいった。
「あの子は――あの子ときたひにゃ、まったく、わけがわからないよ。わたしゃ――」
 トムが重いふくろをしょって、よたよたしながら、はいってきたので、ポリーおばさんのこごとも、とちゅうできえた。トムは、テーブルの上に金貨をぶちまけていった。
「ほら――ぼく、さっき、なんていった? これ、半分はハック、半分はぼくのだよ!」
 これを見た人びとは、いっせいに息をのんだ。みんな、じっとみつめたきり、しばらくは、口をきくものもなかった。そのときがすぎ、みんなは口々に説明をもとめた。ええ、やりましょうと、トムは説明した。話は長かったが、しんしんたる興味にあふれていた。このあふれでる話のおもしろさを、とちゅうでさえぎる者は、ひとりもないといってよかった。話がおわると、ジョーンズさんはいった。
「わたしは、ちょっとばかし、みなさんをおどろかすつもりでやってきたのですが、こうなれば、とても問題にはなりません。この話にくらべたら、さっぱりだめですよ。かぶとをぬぎますよ、まったく。」
 さっそく、金貨のかんじょうがはじまった。総計一万二千ドルをちょっとこえていた。そこにいた人で、これより多い財産家は、二、三人いたけれど、こんな大金を一どに見たことのある者は、ひとりもいなかった。

35 紳士のハック,山賊のなかまにはいる
 トムとハックの思いがけないしあわせが、小さいセント-ピータースバークの村に、ひとそうどうもちあげたということは、読者のみなさんもよくおわかりのことと思う。あんなものすごい大金、しかもそれがみんな現金だとは、とうてい信じられないできごとといってよかった。よるとさわると、この話でもちきり、うらやましがり、ほめあげ、ついには、たくさんの人が、みょうにうわずって、頭がすこしおかしくなるというありさまであった。セント-ピータースバークや、近くの村々にある、あらゆる〈ばけものやしき〉は、一まい一まい、板をはぎとられ、土台をほりおこされ、宝物はうずまってないかと、すみずみまであさりつくされた――それも子どもでなく、みんなおとな――しかも、中には分別くさい、夢なんか信じない連中もまじってである。トムとハックがすがたをあらわすや、ごきげんをとったり、ほめそやしたり、じろじろ見る者が集まった。これまでは、自分たちのいうことを重くみられたことがなかったのに、いまはなにをいってもめずらしがられ、みんなにつたえられた。それに、することなすこと、なにかたいしたことでもしているようにみられた。トムたちは、平凡なことをいったり、したりできない人間になったように思われた。また、ふたりが過去にしたこと、いったことが、すっかりほじくりだされ、たいした才能のあったことが発見され、村の新聞には、その伝記のあらましが発表された。
 ダグラス未亡人は、ハックの金をあずかり、年六分の利子がつくようにした。トムの金も、ポリーおばさんからのたのみで、サッチャー判事にまかされた。ふたりの少年は、こうしておどろくべき収入のある身分になった。つまり、一年じゅう、日曜日をのぞいて一ドルずつ、日曜日は半ドル、というこづかいをもらえた。それは、牧師さんの収入と同じだった――いや、牧師さんがもらうはずの収入といったほうがいい――じっさいには、それだけのお金は集まらなかったからである。一週に一ドル二十五セントあれば、子どもを学校へやり、食費をはらい、下宿させることもへいきでできた――だけではない、服もきせられ、お湯にもはいれた、質素なときのことだった。
 サッチャー判事は、トムに大きなのぞみをかけはじめた。平凡な少年だったら、とうてい、あのほら穴から娘のベッキーをすくいだすことはできなかったろうといった。ベッキーが、だれにもないしょとことわって、学校でトムが身がわりになって、むちをうけた話をしたとき、判事は目をみはって感動した。ベッキーが、むちをさけるためについた、トムの大うそをゆるしてやってもらいたいとたのむと、判事は、それこそ、けだかく寛大で、りっぱなうそだ、と口をきわめてほめそやした――そのうそこそは、ジョージ=ワシントンがさくらを切ったおのについて正直《しょうじき》にいいきって、世の中にたたえられている真実と肩をならべて、歴史の街道を堂々と胸をはって行進するねうちのあるうそだ! と断言した。判事がへやの中を歩きながら、こういって、足をどんとふみならしたときほど、おとうさんが大きくりっぱに見えたことはない、とベッキーは思った。ベッキーは、いっさんにとんでいって、トムにその話をした。
 サッチャー判事は、トムが、大法律家、または偉大な軍人になる日が、いつかくるだろうと考えた。トムが、そのどちらかで偉大な人間になるために、陸軍士官学校に入学し、さらに、アメリカ第一の法律学校で勉強するよう、心がけていくつもりだといった。
 ハック=フィンは、その財産と、ダグラス未亡人の保護のもとにあるという身分のために、社交界にむかえられた――いや、むかえられたのではない。ひきずりこまれ、おしこまれたのだ――ハックは、がまんできぬほど苦しんだ。ダグラス家の召使は、ハックを洗ったり、みがいたり、くしを入れたり、ブラシをかけたりした。夜になると、しみもよごれもてんでなくて、とっつきようもないしきふのベッドにおしこんだ。しみやよごれこそ、ハックの胸をおしつけ、なつかしく思うおなじみだのに。ハックは、ナイフとフォークで、食事をしなければならなかった。ナプキンやカップやお皿を使わなければならなかった。本も読まなくてはいけないし、教会へいかねばならなかった。また、きちんと礼儀正しく話さねばならぬので、ことばは口の中でしおれてしまう。どこをむいても、文明のさくと、手かせ、足かせが、ハックをとじこめ、ハックの手足をしぼりつけた。
 ハックは勇敢にも、三週間ほどこの苦しみにたえたが、ある日、ふいにすがたをくらました。未亡人はひどく心配して、四十八時間というものは、くまなくほうぼうをさがさせた。村じゅうも、大さわぎになった。人びとは、いたるところをもれなくさがし、川に網をうって、死体さがしまでやった。トム=ソーヤーは賢明にも、三日めの朝、いまは使っていない屠殺場のうらのあきだるを、一つ一つのぞいて、ついに逃亡者をみつけだした。ハックは、そこを寝場所にしていたのだ。どこかでしっけいしてきた残飯の朝めしが、ちょうどすんだので、ごろりところかって、一服つけているところだった。顔も洗わず、髪の毛にくしも入れず、自由で幸福だった日を思わせる、あのとっときのおんぼろ服にくるまっていた。トムは、そのハックをたるからひきだし、ハックの家出がもとで、大さわぎになっている事情を話し、家に帰るよう説きつけた。みるみる、ハックの顔から、のどかなまんぞくの色がきえ、ゆううつな顔つきにかわった。ハックはいった。
「それをいうなよ、トム。おれは、食ってみたんだ。でもうまくいかない。いかねえんだよ、トム。おれにゃ、性にあわねえんだよ。なれてねえからな。後家さんはよくしてくれるし、しんせつだ。でも、ああいうやりかたは、とてもがまんできないんだ。な、毎朝、同じ時間におこされる。顔を洗わされる。それから、やたらに、ものすごく、くしでひっこすられる。やれ、たきぎ小屋でねちゃいけないの、やれ、きちんときろといっちや、あのいまいましい服で、おれの首をしめつけらあ。まったく、わざと空気を通さないみたいに、息がつまるぜ、トム。なにしろ、あんまりりっぱすぎるせいかしらないけど、おらあ、すわることも、ねることも、ころがることもできやしないんだ。穴倉の戸のとこで、すべってもいけないんだとよ――そうさ、おらあもう、何年もおしこめられたみたいな気がすらあ。そこへもってきて、教会にいかなきゃいけませんよとくるだろう、あせだくだくだあ。    おらあ、あのぼうずの説教てなあ、だいきらいだよ! それ、はえをつかまえちゃいけないの、かぎたばこをかじっちゃいけないの、といいやがら。日曜日は、一日じゅうくつをはかなければいけません、か。後家さんは、ものを食うのもベル、寝床へはいるのもベル、おきるのもベル――なんでもかんでも、ああ規則ずくめじゃ、とてもおそろしくて、やりきれないよ。」
「うん、でも、だれだって、そんなふうにやってるんだぜ、ハック。」
「そりゃ、べつに、どうってことはないさ、トム。おれはほかのだれでもないもんな。おれはやりきれないんだよ。ああしばられちゃ、とても、たまらないや。おまけに、食いものだって、ちっとも心配せずにわけなく手にはいるだろ  おらあ、あんな食いかたじゃ、ちっとも食った気がしないんだよ。つりにいくにも、おゆるしをもらう。およぎにいくにも、おゆるしだ――なにをやるんだって、おゆるしをもらわなくちゃならねえ。それに、いいことばをおっかいなさいだなんて、きゅうくつでやりきれるかい――おらあ毎日、やねうらへはいあがって、思いきりすきなことしゃべって、口をさっぱりさせたんだ。さもなきゃ、おらあ、とっくに死んでるぜ、トム。後家さんは、おれにたばこをのませないんだぜ、でかい声をださせないんだぜ、ひとさまのまえじゃあ、あくびをしちゃいけないの、のびをするなの、かいちゃいけないのっていうんだぜ!」
 それから、ひどくいらいらし、いやでたまらぬという調子で、
「ちきしょう、いまいましい、あの人はしょっちゅうお祈りをするんだぜ! おら、あんな女、見たことねえ。これがおんでずにいられるかい、トム――ええ、どうだい。それに、もうじき学校がはじまるだろう。すると、そこへいかなきゃいけないってんだよ――ヘっ、こいつあたまらねえや。おい、トム、金持ちになるってのも、さわぎたてるほどのことじゃねえぜ。苦しくって、苦しくって、ひやあせのかきどおしだよ。死んだほうがましなぐらいのもんだ。なあ、このおんぼろのほうが、おれにゃあっているんだ。このたるが、ちょうどいいんだ。こいつとわかれるのは、なんてったって、いやだ。なあ、トム、こんな苦しいめにあうのも、金を持ったおかげなんだろ。さ、いいから、おれのわけまえを、おまえのといっしょにとっといてくれ。ときどき、十セント玉をくれさえすりゃ、いいや――それも、ちょくちょくでなくっていいんだぜ。おら、よっぽど手にはいりにくいもんでねえと、ありがたくもねえんだからな。――だから、おまえ、いって、後家さんに、おれのこと、そういってたのんでくれや。」
「なんだい、ハック、おれにはそんなことできないの、知ってるじゃないか。それに、わるいぜ。いつかは、おまえだって、やってりゃ、すきになるよ。」
「すきになる! そうか、――熱いストーブの上に長いことすわってれば、ストーブがすきになるってのか。だめだよ、トム、おれは金持ちになりたかあないんだ。くぞ、いまいましい、息のつまる家になんか住みたくもない。おれのすきなのは森だよ、川だよ、たるだよ。こういうのから、はなれたくないんだ。ええ、ばかばかしい。おれたちには、銃もあるし、ほら穴だってあらあ。山賊になるのにもってこいの道具が、ちゃんとそろったてえのに、つまらねえことがおっぱじまって、だいなしになっちまったんだ!」
 トムは、そこへつけたした――。
「おい、ハック、おれは金持ちになっても、山賊をあきらめやしないぜ。」
「へえ、ほんとかい、おまえ、それ、ほんきのほんきでいっているのかい? トム。」
「ほんきもほんき、ほんとのほんきさ。でもあれだぜ、ハック。おまえがちゃんとしたりっぱな人間でないと、山賊団に入れてやるわけにはいかないぜ。」
 ハックのせっかくのよろこびも、すぐしなびた。
「入れてくれないんだって? おまえは、海賊のほうには入れてくれたじゃないか?」
「ううん、あれはちがうんだよ。山賊は海賊よりも、もちっと高尚な人間がなるんだよ――だいたい、そういうことになってるんだ。どこの国だって、おっそろしくりっぱな貴族になっておさまってら――公爵とかなんとかいうやつにさ。」
「ねえ、トム、おまえは、いつでも、おれにしんせつにしてくれたじゃないか。おれを、のけ者にする気はないんだろ、トム、そんなことする気かい? なあ、トム、のけ者にするのかよ?」
「ハック、おまえを、のけ者にする気なんかないよ、そんなこと思っちゃいないよ――だけど、世間じゃ、なんていうだろ? こうだぜ、おい、『ふうん! トム=ソーヤー山賊団か! 中には、だいぶん身分の低いのもいるようだな!』ってね。それ、おまえのことをいってるんだぜ、ハック。そいつは、おまえだって、気に入るまい? おれだって、いやだ。」
 ハックは、しばらく、だまっていた。心の中で、たたかっていたのだ。ついに、ハックはいった。
「うん、ひと月ばかり、後家さんちへ帰ってみよう。がまんできるかどうか、いっしょうけんめい、やってみよう。おまえの山賊団に入れてもらえるようになれるかどうか、やってみるよ、トム。」
「ようし、ハック、すげえぞ! さあ、いこう。おれは奥さんに、もうちっと、やんわりやってくれるようにたのんでやるよ、ハック。」
「ほんとか、トム――ほんとにやってくれるのかい? ありがてえ。もしも、後家さんが、ちっとでもゆるめてくれたらな、そっとたばこをすえるし、そっとあくたれもいえるし、人ごみにもかけつけられるしな、そいでがまんできるか、やってみらあ。おまえ、いつ、なかまを集めて、山賊になるんだい?」
「ああ、すぐさ、今夜、みんなを集めて、結団式をやっていいな。」
「なにをやるんだって?」
「結団式だよ。」
「なんだい、そりゃ?」
「おたがいに助けあうちかいをする式のことさ。たとい、身はこまぎれにされようとも、団のひみつは、ぜったいもらさぬとちかうんだ。それから、だれかなかまをきずつけるやつがあったら、そんなやつは、そいつの家族もろともぶったぎるって、ちかうんだぜ。」
「そいつは、おもしろい――まったく、すごくおもしろいぞ。」
「そうさ、おもしろいぞ。そして、そのちかいは、ま夜中にやらなきゃいけないんだぜ。できるだけさびしい、すごいとこをさがしてさ  ばけものやしきなら、もってこいだったのに、みんながめちゃめちゃにしちまったから、もうだめだ。」
「そうか、うん、とにかく、ま夜中はいいぞ、トム。」
「うん、そうさ。いいぞ。おまえも棺おけの上にのっかって、ちかいをたてるんだ。それから、血で名まえを書くんだぜ。」
「そいつあ、すげえ。ああ、海賊よか、百万倍もすげえや。おらあ、骨になるまで、後家さんちにへばりついててやるぞ、トム、もし、おれがりっぱな山賊になって、みんなの評判になったら、後家さんだって、おれをひろいあげたってこと、じまんするぜ、なあ。」
    むすびのことば
 この物語は、こうしておわる。これは厳密な意味での、ある〈少年〉の物語なので、ここでおわりにしなければならない。話をこれ以上進めると、〈おとな〉の物語に足をふみこむことになる。おとなのことを書く小説の作家は、どこでおしまいにすればよいのかを、よく知っている――結婚でおわりにすればよいのである。が、少年の物語を書くときには、いちばんきりのよいところで、筆をおかなければならない。
 この本の中で活躍した人たちは、たいていまだ生きている。ばかりでなく、みんな、りっぱに、幸福に暮らしている。いつかまた、この若い人たちをとりあげて、どんなふうな男や女に成長したかを、物語に書いてみるのも、まんざらでなく思う日がくるかもしれない。だから、いまは、彼らの現在の生活をあきらかにしないほうが、まずまず、かしこいやりかたのように思われる。
〈おわり〉


 やくちゅう《訳注》
 《訳注》 かっこ内の数字は本文ページ*長老派(百二)キリスト教新教の一派で、当 時この地方に勢力があった。*ダユエル=ウェブスター(五四)アメリカ史上 有名な雄弁家、政治家二七八二~一八五二年)。*陪審員(七一)専門の裁判官でない人で、事件 の判定に意見をだす人。法律でえらばれる。*トロイ(一(七)紀元前十二世紀ごろ、小アジ アの西にあった小国で、スパルタの王妃ヘレ ネをめぐって、ギリシア諸国とたたかい、や ぶれた。*ウィリアム一世(一(七)元ノルマンディ公。 一〇六六年イングランドを征服し、ノルマン 王朝をひらいた(一〇二七~八七年)。*コロンブス(一(七)イタリアの航海家(?~一 五〇四年)。一四九二年、大西洋を横断して、ア メリカ大陸を発見した。*アメリカ独立戦争(一(七) 一七七五年、イギ リス頷アメリカが本国からの独立戦争をおこ し、一七八三年に独立して新政府をつくった。
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 解説
吉田 甲子太郎
『トムトソーヤーの冒険』(The Adventures of Tom Sawyer)の作者マー 作者について ク=トウェイン(Mark Twain)(本名サミュエル=クランクホーントクレメンス)は、一八三五年、アメリカ中部のミズーリ州の、フロリダという村で生まれました。 父のジョン=クレメンスは、いっぷうかわった人で、法律家でありながら商売をやったりして、土地の人からは「判事クレメンス」といわれて尊敬されていました。トウェインが四歳のとき、一家はメキシコ湾にそそぐミシシッピ川のほとりの、ハンニバルというところにうつりすみましたが、ここが『トムHソーヤーの冒険』の舞台になったのです。
 トウェインが十二歳になったとき、父のクレメンスがなくなりました。のこされた一家(母と五人の子ども)は生活にこまり、トウェインも印刷屋の小僧になったりして、家計を助けました。また、いちばん上の兄のオライオンが新聞を発行しはじめると、そのてっだいをして、兄の知らないうちに、おむしろい記事を書いたりしました。
 トウェインの母は、開拓者精神にもえた、しっかりした人だったので、なんとかして子どもたちがりっぱな人間になってくれることをのぞんでいました。そこでトウェインは、この母の願いをみたそうとして、十八歳のとき家を出て、ニューヨークへ出ました。そして印刷工となって働いていたのですが、どうも自分の天職とも思えず、フィラデルフィアに行ったりして、それからあちこちとうつり、放浪生活をつづけました。 二十歳のとき、当時流行の南米移住の熱にうかされて、ブラジルへ行こうとして船を待っているうちに、ふとしたことから、ミシシッピ川の水先案内になりました。マークトトウェインというペンーネームは、水先案内が川の深さをはかるとき、「二尋のところへしるしをつけろ!・」とさしずする号令のことばを、そのまま使っているのです。わが国の二葉亭四迷(明治時代の小説家。一八六四~一九〇九年)が、「くたばってしめえ!」とどなられたのを、そのままペンーネームにしたといわれるのと同じように、おもしろいペンーネームです。
 アメリカの南北戦争奴隷制度の問題からおこった、アメリカ南部と北部のあいだの内乱。一八六一土(五年)のあと、トウェインは新聞通信員をしたり、鉱夫になったりしましたが、三十一歳のとき、『とびがえるの話』をニューヨークの「サタデイープレス」という新聞に寄稿して大評判となり、一躍有名になりました。
 その後『赤毛布外遊記』二八六九年)、『トムトソーヤーの冒険』二八七六年)、『王子とこじき』(一八八一年)、『ハックルベリー=フィンの冒険』(一八八四年)などの傑作をつぎつぎに発表して、アメリカの代表的作家となりました。その間、各地を講演旅行をして歩いたり、また、出版事業や活字組み立て機を作る仕事で失敗した損失をつぐなうために、世界の国ぐにを講演旅行してまわりました。
 そしてこのゆかいな作家マーク=トウェインは、七十三歳の高齢で、コネチカット州のストームフィールドの自宅でなくなりました。一九一〇年四月二十一日の夕がたでした。
作品について
 『トム=ソーヤーの冒険』が出版されたのは、一八七六年のことで、この作品はアメリカ全土に、笑いのさざ波をわきおこしました。なお本文庫版(上・下)は、その『トム=ソーヤーの冒険』の全訳です。
 イギリスの有名な作家サマセット=モーム(一八七四~一九六五年)もいっておりますが、トウェインの文学は、それこそアメリカ特有のかおりをもっています。それまでヨーロッパの影響を受けていたアメリカ文学が、トウェインによって、はじめて、アメリカ独特の文学をうちたてたといえるでしょう。
 アメリカの人びとがふだん用いていることばの中から、文章を作りあげているということと同時に、やんちゃで、ユーモア好きで、冒険好きで、しかも純潔な正義感の強いトム=ソーヤーや、ハックルベリー=フィン(『ハックルベリー=フィンの冒険』の主人公)のような、アメリカ人を代表する性格を作りだしたことは、トウェインのてがらです。こんな痛快な少年たちは、アメリカ以外、どこにもいないでしょう。『トム=ソーヤーの冒険』を読んでいると、いろいろ現実にはありそうもないことがでてきます。つぎつぎと、息もっかせず、おもしろおかしい事件が、めまぐるしく展開します。それに、トムたちやポリーおばさんは、いったい、毎日の生活の糧をどうして得ているのだろう? という疑問がおこるでしょう。しかし、だからといって、これがすべてうそであるということはできません。むしろ、この作品の中にトウェインが描いている人間の気持ちは、おそろしいまでに真実なのです。
 トウェインの時代は、文学の歴史のうえからいっても、生活や人間のすがたをありのままに描くという、リアリズム(現実主義)の手法は、まだあらわれてはいませんでした。ですからこの作品も、いまのべたように現実にはありそうもないことが、ロマンチックな手法で書かれているのです。けれども、作者トウェインは、自分が人間に対していだいている、豊かな、おおらかな愛情で、よく人間の心の真実を見ぬき、そして、それを正しく表現することに成功しているのです。だからこそ、この作品が現実ばなれをしているにもかかわらず、読者の心を強くとらえるのです。
〈解説・おわり〉