『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第26章から第31章まで(一回目の校正おわり)

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20枚、■12-■18、6分、
枚、■03-■10、7分、
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■57-■21、24分、P107-P130
■25―■47、22分、P130-P151
いきおいがついてきた
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■45-■58、13分、P151-163
スキャン、12枚、■11―■18、7分
OCR、12枚、■19-■25、6分
入力、■28―■32、4分、120-121
■32―■44、12分、P164-P173
■47-■01、14分、P174-P189
■45-■01、16分、P190-P205
■06-■29、23分、P206-222+6ページ分

26 宝はほんもののどろぼうの手に
 あくる日の昼近く、少年たちは、例の枯れ木の立っているところへいった。道具をとりにいったのである。トムは、早く、ばけものやしきにいきたくてたまらなかった。ハックのほうもいくらか、そんな気持ちだったが、とつぜん、いいだした。
「おい、おい、トム、きょうは何曜日だが、知ってるか?」
 トムは、頭の中で、いそいで一週間の日をかぞえてみて、すぐはっとして、目をあげた。おどろきの色が、その目にあふれていた――
「そうだ! ちっとも気がつかなかったよ、ハック!」
「うん、おれも、そうだったんだ。いま、ふいに、きょうは金曜日だってこと、思いついたんだ。」
「ちえっ、用心するにこしたことないよ、ハック。金曜日になんか、こんなしごとにとびついたら、ひどいめにあうかもしれないな。」
「かもしれないな、って! あうっていったほうがいいぜ! 運のいい日だってあるよ。だけど、金曜日はそうじゃねえ。」
「そんなこと、どんなばかだって知ってるよ。それをみつけたの、おまえがはじめてじゃあるまい? ハック。」
「おれが、はじめてだなんて、いいやしないさ、いったかい? それに、金曜日ってことだけじゃないんだぜ。おれは、ゆうべの夢見がわるかったんだ――ねずみの夢だ。」
「そいつあ、いけねえ! たしかに、わるいことがおこるまえのしらせだ。けんかしてたかい、ねずみども?」
「ううん。」
「そうか、そんなら、まあ、よかった。ねずみがけんかしなけりゃ、ただ、ちょっとわるいことがあるっていうしらせだけなんだからな。おれたちは、うんと用心して、なにもかも見のがさないようにしようぜ。きょうは、しごとやめて遊ぼう。おまえ、ロビン=フッド知ってるか、ハック?」
「知らねえ、ロビン=フッドって、だれだい。」
「うん、ロビン=フッドてえのはね、イギリスじゅうで、いちばんえらいやつなんだ――いちばんりっぱなやつなんだ。どろぼうだったんだ。」
「わあっ、おれもなりたかった。だれのものをぬすんだんだい?」
「郡長《ぐんちょう》だの、僧正《そうじょう》だの、金持ちだの、王さまだの、そういう人からばかり、ぬすんだんだ。だけど、貧乏人《びんぼうにん》は、ちっともいじめないんだ。貧乏人《びんぼうにん》は、かわいかってさ、いつでも、きちんと山わけしたんだ。」
「ふうん、そりゃ、快男児だ。」
「そうさ、ロビン=フットは、世界じゅうでいちばんりっぱな男だったんだ。いまどき、あんなのは、どこにもいやしないぜ、ほんとだよ。ロビン=フッドは、片手をうしろにしばってだって、イギリスじゅうのどんな人間をあいてにしたって、やっつけちまったんだ。それから、いちいの弓をとっては、だ、一マイルもあるところから、十セント玉を射ぬくんだ。」
「なんだい、そのいちいの弓ってのは?」
「知らねえよ。もちろん、弓の種類さ。それから、もし、十セント玉のはじっこなんかにあたったりすると、へなへなと、すわりこんで、なくんだとさ――ないて、くやしがって、おこるんだとさ。どうだい、おれたちも、ロビン=フットごっこしようじゃないか――とてもおもしろいぜ。おせえてやるからさ。」
「うん、やろう。」
 そこで、ふたりは、午後ずっと、ロビン=フットごっこをして遊んだ。そして、ときどき、はるかむこうのばけものやしきのほうに、もえるような目をむけて、あしたの冒険のことや、そのみこみについて、話しあった――太陽が、西にかたむくころ、彼らは長くなった木々のおとす影をふんで、うちへむかい、まもなく、カーディフの丘の森の中にすがたをけした。
 土曜日の昼ちょっとすぎたころ、少年たちは、また、例の枯れ木のところにいた。ふたりは、木かげでたばこをくゆらし、ひとしゃべりしてから、さいごにほった穴を、もうすこしほることにした。とはいっても、たいしてのぞみをかけたわけではないが、世の中には、もうすこしというところまでほりながらあきらめてしまい、そのあとで、だれかほかの人がやってきて、シャベルでちょっとひとすくいすると、宝物があらわれるというようなことが、ちょいちょいあると、トムが話したからである。しかし、このときは成功しなかった。そこで、少年たちは、めいめい道具を肩にすると、でかけることにした。彼らは、どんな小さなこともおろそかにしなかった。宝さがしをやる者が、やらねばならぬしごとを、すべておきてどおりやったのだ、とまんぞくしながら――。
 ばけものやしきについた。あたりは、焼けつくような日をあびて、じいっと、しずまりかえっているのだが、なんとなく、ぞっとするような、きみのわるい空気がただよっていた。さびしくあれはてたその場所は、なにかこう胸をしめつけるようで、ふたりはおそろしくてたまらず、しばらくのあいだは、それをおしきって、はいる気持ちがおきないほどだった。それでも、入り口までしのんでいき、こわごわと、中をのぞいてみた。彼らの目にはいったものは、ただ、おいしげる草だった。床はぬけ、しっくいははげおちたへやだった。むかし使った暖炉、なにもない窓、ぼろぼろにくさりかけた階段だった。あたりいちめんに、すすぼけて、主のないくもの巣かぶらさがっているのが見えた。ふたりは、やがて、そうっと、はいりこんだ。胸はどきどきとはずみ、声をころしてささやき、また、ごくわずかなもの音でもききもらすまいと、耳をそばだてながら、からだは、なにかあったら、すぐにげだそうとしていたのである。 しかし、しばらくすると、なれてきたせいか、おそろしさもだいぶんうすらぎ、いくらかおちついて、興味にみちた目で、そのあたりをしらべはじめた。その大胆さには、われながら感心もしたし、ふしぎにも思ったりしながら――。それから、二階も見たくなった。二階へあがるのは、われとわがにげ道をふさぐようなものだったが、ふたりは、おたがいに大胆になりはじめていたので、そうしないわけにいかなかった――そこで、道具をすみにほうりだすと、二階へあがりはじめた。二階も、同じようにひどくあれはてていた。すみのほうに、なにか、思いがけないものでもありそうな戸だながあったが、それには、うらぎられた――その中には、なにもはいっていなかったのである。そのころになると、ふたりは、もう勇気がでてきて、だいぶん、ようすもわかってきた。そして、下におりて、しごとをはじめよう、としたとき――。
「しいっ!」と、トムがいった。
「なんだい?」といささやいたハックの顔は、おびえて、まっさおになった。
「しいっ!……おい!……あれ、きこえるだろ?」
「うん!……おお!……にげよう!」
「じっとしてろよ! 動くな! まっすぐ入り口のほうへやってくるぞ。」
 ふたりは、床に腹ばいになって、床板のふし穴から下をのぞき、おそろしさにおののきながら、じっとしていた。
「とまったぜ……そうじゃない――くるんだ……! ほら、きたぞ。口をきいちゃだめだ、ハック。ああ、こんなとこへこなきゃあよかったなあ!」
 ふたりの男がはいってきた。少年たちは、ふたりとも、「ああ、あいつは、近ごろ一、二回、村へやってきたことのある、おしでつんぼのスペイン人のじいさんだな――つれのやつはまだ、一ども見たことがないな」と、心の中でつぶやいた。
〈つれのやつ〉は、ぼろをさげ、髪ぼうぼうの男で、ふゆかいきわまる顔つきをしていた。スペイン人は、肩かけのようなものをかけ、白いひげをもしゃもしゃはやし、つばの広いぼうしからは、長いしらががたれさがり、みどりの色めがねをかけていた。ふたりがはいってきたとき、〈つれのやつ〉は低い声で話していた。ふたりは、壁を背にし、入り口のほうに顔をむけてすわった。そのあいだ、ずうっと、語り手は、しゃべりつづけていた。そのうちに、だんだん、警戒をといたようすが見えはじめ、ことばも、はっきり、ききとれるようになってきた。
「だめだ。おれも、それは、よく考えてみたんだが、どうもおもしろくねえ。あぶねえよ。」
「あぶねえだと!」と、おしでつんぼのスペイン人がうなった――少年たちは、まったくおどろいた。
「こしぬけめ!」
 その声に少年たちは、口がかわき、ふるえあがった。インジャン・ジョーの声だった! しばらく沈黙がつづいてから、ジョーがいった。
「あっちのしごとより、あぶねえしごとがあるものかよ――しかも、なんのこともおこらなかったじゃねえか。」
「あれとこれとはちがわあな。ずっと川上のほうで、しかも、まわりに家があるわけじゃねえんだ。ともかく、おれたちがしくじらねえかぎりは、おれたちのやったことは、だれにも気がつかれっこはねえんだ。」
「ふん、だが、まっ昼間、おれたちがここへやってくるくれえ、あぶねえこともねえんだぜ――おれたちのすがたをみつけてみろ、だれだってあやしむぜ。」
「おれだって、そいつあ、知ってらあ。しかし、あいつをしくじってからは、こんな手ごろなうまいとこは、ほかにゃねえぜ。おれは、この小屋をすててえな。じつは、きのうやりたかったんだが、あのいまいましいがきどもが、丘の上で遊んでて、あすこからはまる見えだから、ここでじたばたするのは、おもしろくねえから、やめたんだ。」
〈あのいまいましいがきども〉は、こういわれると、またもやおそろしさにふるえあがった。きのう、金曜日だと気がついて、一日待つことにしたのは、なんとしあわせだったろう。少年たちは、心の中で、一年待ってもよかった、と考えた。
 男たちは、なにかたべものをとりだして弁当をつかった。長いあいだ、だまって考えこんでいたインジャン・ジョーが口をきった。
「おい――おまえは、川むこうの、おまえの古巣へ帰ってろ。おれがたよりをやるまでは、あすこで、じっとしてるんだ。おれは、おりを見て、もう一ど、この村へおみこしをすえて、ようすを見ることにすらあ。ちょっとようすをさぐって、いいと見きわめがついたら、あのあぶねえしごとをやろうじゃねえか。それがすんだら、テキサスへずらかるんだ! いっしょにいこうじゃねえか!」
 それでよし、ということになった。まもなく男たちは、あくびをしはしめた。
「おらあ、ねむくてたまらなくなってきやがった! こんどの見はりは、おめえだぜ。」
 ジョーは、こういって、草の中にごろんとまるくなると、すぐに、いびきをかきはしめた。なかまが一、二どゆすぶると、彼はしずかになった。そのうち、見はりもこくりこくりしはしめた。首が、だんだんさかっていく。ついにふたりとも、いびきをかきはじめた。 上にかくれていた少年たちは、ああ助かったと、長いため息をついた。トムがささやいた。
「さあ、こんどは、こっちの番だぜ――いこう!」
「おらあ、だめだよ――あいつらが目をさませば、おれ、ころされる」と、ハックがべそをかく。
 トムはせきたて――ハックは、しりごみした。とうとう、トムはゆっくりとしずかに立ちあがると、ひとりで歩きだした。が、ひと足ふみだしたとたん、こわれかかった床板が、すごい音をたててなったので、毛がさかだつほどびっくりして、へなへなとすわりこんでしまった。そして、トムは二どと、この冒険をやる気がなくなったのである。少年たちは、おそろしい時がすぎていくのを、じっと、こらえているよりしかたがなかった。時がなくなり、永遠も暮れかかるのではないかとさえ思われた。が、ありがたいことに、ついに、太陽がしずみかけているのに気がついた。
 そのころ、やっと、片方のいびきがやんだ。インジャン・ジョーはすわりなおし、あたりを見まわし――きみのわるいうすわらいをうかべて、なかまを見た。ちょうどあいては、ひざがしらに頭をのせていた――けとばしておこした。
「おい! おめえ、見はりじゃねえか、見はりじゃねえのかよ! だが、まあ、いいや――異状もなかったらしいからな。」
「やあ! おれは、ねむってたか?」
「ああ、まあ、そんなことだ。そろそろ、おでましのお時間がきたらしいぜ、おい。さて、おれたちのちっとばかりのえもの、どうしたもんかな?」
「おれにはわかんねえが――いつものとおり、ここにおいといたら、どうだい。南へすっとぶまで、持ってでたってしようがあるめえ。銀貨で、六百と五十てえと、ちょいとばかり、運ぶのもてえへんだぜ。」
「うん――よかろう――だが、もう一ど、ここへくるなあ、たいしたこっちゃあるめえな。」
「ああ――そりゃそうだが、いつもどおり、夜くることにしようぜ――そのほうがいいぜ。」
「うん。だがなあ、ひとつ考えてみなくちゃなるめえ、あのしごとのつごうつけるにゃ、ちょいと、ひまがかかるかもしれねえからな。ことによると、故障もおきかねねえもんでもねえ。それに、ここは、あんまり、いい場所じゃねえや。ちゃんとしたとこへうずめたほうがよかあねえか――うんと深くうずめるんだぜ。」
「そいつあ、うめえ考えだ。」と、なかまはいって、へやの奥のほうへはいっていくと、ひざをついて、暖炉のうしろの石を一つ持ちあげると、中から、ふくろを一つ、とりだした。気持ちのいい、ちゃりん、ちゃりんという音がひびく。彼は、その中から、二、三十ドルを自分のわけまえとしてとり、インジャン・ジョーにも同じくらいの金をわたすと、ふくろをジョーのほうにおしつけた。ジョーは、すみのほうで、ひざをついて、大型ナイフで、穴をほっていた。
 少年たちは、すぐに、おそろしさも、みじめな気持ちも、すっかりわすれた。むさぼるように、下の男たちのやっていることをみつめていた。しめた――このすばらしさときたら、どんな想像よりもまさっていた! 六百ドルといえば、六人の子どもを金持ちにすることのできる大金じゃないか! これはまったく、幸運な宝さがしだ――どこをほろうかなんていう、あのあてもない、やっかいなしごとじゃないからな――少年たちは、片ひじで、たえずつつきっこをした――この動作は、おたがいに、わかりすぎるほど、わかることだった――
「おい、どんなもんだい、うまいとこにきあわせたもんじゃないか!」――という意味だったからだ。
 ジョーの大型ナイフが、なにかにつきあたった。
「おい!」
「なんだい、そりゃあ?」と、なかまがきいた。
「くさりかけた板――そんなもんじゃねえ、箱のようだぞ、おい――手をつっこんで、なにがあるか見ようじゃねえか。あ、いいや、もう、穴があいた。」
 ジョーは手をつっこんで、なにかつかみだした――。
「おい、金だぜ!」
 ふたりの男たちは、ひとにぎりの金をしらべた。金貨だ! 二階の少年たちは、下の男たちにおとらず、わくわくしてよろこんだ。
 ジョーのなかまがいった。
「こいつあ、早いとこ、かたづけようぜ。暖炉のむこうがわのすみの草ん中に、古ぼけてさびついたつるはしがあったっけ――ちょっとまえに見たんだ。」
 彼は、とんでいって、少年たちのつるはしとシャベルを持ってきた。インジャン・ジョーは、つるはしをとると、おかしいぞというように、すみからすみまでしらべ、首をふって、なにかひとりごとをつぶやいた。それから、それを使ってほりはじめた。箱は、すぐあらわれた。あまり大きくはなかったが、鉄のわくがはまっていて、もとは、がんじょうな箱だったらしい。それが、長い年月のあいだに、すこし、くさっていた。男たちは、しばらくのあいだ、うれしさのあまり、だまりこくって、その宝物をじっと見つめていた。
「こりゃ、おめえ、何千ドルってしろものだぜ」と、インジャン・ジョーがいった。
ミューレルの一味が、ここらをひと夏、うろついてたとは話にきいていたが。」
「そいつあ、おれも、知っている。これは、ひょっとすると、それかもしれねえぜ。」
「こうなりゃ、おまえ、あっちのしごとは、うっちゃったっていいんじゃねえか。」
 ジョーは、これをきいて、まゆをよせた。
「おめえ、おれを知らねえんだ。すくなくとも、あのことについちゃ、まるっきり知らねえんだ。こいつあ、ぜったいにぬすみだけじゃねえんだぜ――しかえしなんだ!」
 このとき、ジョーの目に、凶悪な光がひらめいた。
「そのときは、おめえに手をかしてもらいたいんだ。それがおわったら――それから、テキサスさ。おめえのナンスと、がきの待ってるうちへ帰んな。それで、おれのたよりがとどくまで、したくをして待ってろよ。」
「そうか――おまえがそういうなら、そうしよう。だが、ときに、こいつは、どうする?――また、うめとくか?」
「ああ。」(二階では、ぞくぞくするほどのよろこび)「いけねえ! とんでもねえこった、だめだ!」(二階ではひどくがっかり)「あぶなくわすれるところだっけ。あのつるっぱしにゃ、新しい土がついてたぜ!」(少年たちは、おそろしさに、たちまち、ちぢみあがった)「つるっぱしやシャベルが、また、なんだって、こんなところにあるんだ? なんだって、新しい土なんかついてんだ? だれが持ってきやがったんだろう――そいつらは、どこへいきやがったんだ? おめえ、だれかくる音、きいたか?――だれか見たか? へっ! ここへうずめて、だれかがきて、やつらに土をほじくらせて、こっちは、それですましていいのか? あぶねえ――あぶねえ。おれの巣へ運ぶとしよう。」
「なるほど、そうだ! そいつは気がつかなかった。おまえの巣ってえの、一号かい?」
「いや――二号だ――十字架の下よ。ほかんとこはいけねえ――あまり人目につきすぎらあ。」
「よしと。そろそろくらくなった、でかけるとしようか。」
 インジャン・ジョーは立ちあがって、窓から、窓へ、用心ぶかく、外をのぞいてまわっていたが、こんなことをいいだした。
「いったい、だれがこんな道具、ここへ持ってきやがったんだろう? 上にでも、そいつら、いやがるんだろうか?」
 少年たちは、おそろしさに息がとまった。インジャン・ジョーは、ナイフに手をやって、ちょっと立ちどまった。どうしたものか、まだ決心がつかないようすだったが、やがて階段のほうへよってきた。少年たちは、すぐ戸だなのことを思いついたが、足がいうことをきかなかった。足をかけるたびに、階段はきいきい音をたてた――絶体絶命! どたん場に追いつめられて、考えられぬほどの強い力がわいた――ふたりは、どうにかこうにか戸だなの中にとびこもうとした、そのとたん――くさった材木のおれる音がして、インジャン・ジョーは、こわれた階段の木片の散乱したその中へおちていた。ジョーは、口からでほうだいわめきながら、おきあがった。なかまの声がきこえた。
「そんなことして、どうしようってんだ? だれがやったっていいじゃねえか。やつらがいるとしたとこで、上にのぼってるんなら、いさせてやるさ――かまうもんか。やつらがとびおりてきて、ごたごたしたいんなら、やらせたらいいさ。とめようったって、そうはいくめえ? もう十五分もすりゃ、うすぐらくならあ――おれたちのあとをつけようってんなら、つけさせてやるさ。おらあ、かまわねえ。だれだか知らねえが、こんなもの持ちこんだやつら、おれたちを見て、きっと、ゆうれいか悪魔か知らねえが、かってに、おれたちをそんなものと、思いこんだにちげえねえや。やつら、きっと、いまごろはまだ、つっ走ってるとこだぜ。」
 ジョーは、しばらくぶつくさいっていたが、なかまのいうことをきいて、すこしでも日のあるうちに、にげだすしたくをするほうがいいということになった。それから、ふたりは、ばけものやしきからこっそりでて、たそがれせまる夕やみの中を、だいじな箱をかかえて、川のほうへ歩いていった。 トムとハックは、立ちあがった。すっかり、つかれていたが、それでも、ほっとすくわれた思いで、柱のさけめから、遠くさっていく男たちの、うしろすがたをながめていた。あとをつける? いや、とんでもないことだ。少年たちは、首の骨をくじかずに、地面におりられたことだけでまんぞくし、丘をこえて、村へでる道をたどっていった。とちゅう、ふたりは、あまりしゃべらなかった。自分たちのやったことに、むしょうに腹がたったのだ――つるはしとシャベルを持ちこんだ、運のわるさに腹がだったのだ。あれさえなかったなら、インジャン・ジョーは、すこしもうたがいをおこさなかっただろう。銀貨の上に金貨をかさねて、〈しかえし〉とやらがおわるまで、かくしておいたにちがいないのだ。そして、ふいに、金がなくなったのに気がついて、運のなさをなげくところだったのだ。考えてみると、あんな道具を、あすこへ持ちこむなんて、なんと、運のわるい、まったく運のわるいことだったことか! ふたりは、あのスペイン人を見はりすることにきめた。その〈しかえし〉のしごとをするために、村にきておりをうかがうというから、きっとくるだろう。そのとき、そこがどこであろうと、その〈二号〉へつけていく決心をした。そのとき、とつぜん、おそろしい考えが、トムの頭にひらめいた。
「しかえしだって? そりゃ、きっと、おれたちのことじゃないのか? ハック!」
「ああ、そんなこというなよ!」と答えたハックは、息もたえだえだった。
 ふたりは、このことについて、いろいろと話しあった。村についたころには、つぎのように意見が一致した――ジョーのねらっているあいては、ことによると、ほかの人かもしれない、もし、かりにトムだとしても、トムひとりきりで、すくなくとも、そのなかまをさすのではあるまい。証言したのは、トムひとりだけだったのだから――。
 自分ひとりだけが、危険にさらされるということは、どう考えてみても、トムには、あまりうれしいことではなかった! だれかなかまがいっしょなら、うんと気が楽になるのだがと、トムは思った。
27 〈第二号〉をさがす
 昼間の冒険は、夜になって、トムを夢の中でおおいに苦しめた。四ども、あのたいした宝物に手をかけたが、四どとも、指の中になにものこっていなかった。ねむりからさめ、意識がはっきりしてくると、あの運のわるかったざんこくな現実が、ひしひしと感じられてきた。こうして、夜明けがたに、ベッドの中に横になったまま、あの大冒険の、こまごまとしたいきさつを思いだそうとすると、なんだか、みょうに、はるかかなたへ遠のいていってしまうような気がしはじめた――なんだか、どこかべつの世界のできごとか、でなければ、ずっとむかしのことのように感じられた。あの大冒険というのも、きっと、夢にちがいない、という考えが、いっしゅん、ひらめいた。こういうひらめきがわいたのには、それそうとうの深いわけがあった――つまり、トムの見た金貨があまり多すぎて、現実ばなれがしていたからである。これまで、いちどきに見たたくさんの金高ときたら、たかだか五十ドルぐらいにすぎず、それ以上、見たことはなかったのだった。それに、トムは、トムぐらいの年かっこうや境遇の少年たちと同じように、〈何百〉だの〈何千〉だのとは、口ではいっても、ただ、ことばのあやにすぎず、じっさいに、そんなばくだいなお金が、この世にあるとは思ってもみなかった。百ドルというような大金が、だれかの手に、じっさいに、にぎられているなんてことは、いまがいままで、考えたことさえなかったのである。うずもれている宝物について、いままでトムが考えていたことを分析してみると、それは、ひとつかみのほんものの十セント銀貨と、なにかもやもやとした、つかみどころのない、すばらしいドルの山とからできていたといえる。
 しかし、あの大冒険のいきさつを、あれこれ考えてみると、だんだん、そのいちいちのことがらが、はっきりと形をとって感じられてきた。やっぱり、あのことは、夢ではなかったのだろうという気持ちが、強くなっていった。このもやもやとした気持ちは、なんとか早くきれいさっぱり、ふきはらわなければならなかった。そこで、いそいで朝の食事をすまして、ハックにあおうと、そそくさと、うちをとびだした。
 ハックは、平底舟の舟べりにこしをかけて、ぼんやりと、水をけっていた。気がめいって、どうにもならないといったような顔つきだった。トムは、なんとかして、ハックをあの問題のほうへひきずっていこうとした。もし、ハックがあのことについて関心をしめさないとしたら、あの冒険もただの夢にすぎなかったということがわかるわけだ。
「おはよう、ハック!」
「おはよう、トム!」
 しばらくのあいだ、ふたりは、だまっていた。
「トム、もし、おれたちが、あのいまいましい道具を枯れ木のとこへおいてきさえすりゃ、金が、手にはいったんだぜ。なあ、ああ、ひでえめにあったなあ!」
「じゃ、夢じゃなかったんだな、してみると、夢じゃなかったんだ! どうかすると、おれは、夢のほうがよかったと思うことがあるんだぜ。夢でないとすりゃ、えらいことになったな、ハック!」
「夢じゃないとは、なんだい?」
「ほら、きのうのことさ。おれは、ほんとのような気がしないんだ。」
「夢だって! あのとき、はしご段がこわれなかったら、おまえも、おもしろい夢がたんと見られたろうさ! おれはまた、ひと晩じゅう、夢の見つづけさ――あの、目にきれをあてたスペイン人のちきしょうが、そのたんびにでてきやがるんだ――くたばっちめえ、あんなやつ!」
「だめだよ、くたばっちゃだめなんだ。つかまえるんだ、あいつ! 金のあとを追っかけろ!」
「おれたちにゃ、あいつら、きっとつかまえられねえぜ、トム。だれでも、あんな山のような金にでくわすのは、一どしきゃないんだぜ――それで、どっかへかくれちまうんだ。だけど、おれ、あいつにあったら、ふるえあがっちまうだろうな。」
「そりゃ、おれだってそうさ。だけど、おれ、もう一ど、あいつにあいたいな――それで、あとをつけてって――〈二号〉をつきとめたいんだ。」
「〈二号〉――うん、そうだったな。そいつをおれも、うんと考えてみたんだ。けどね、なんのことだか、わかんねえ。おめえ、どう思う?」
「おれだって、わからないよ。むずかしすぎらあ。あっ、ハック! ひょっとすると、家の番号かもしれないぜ!」
「そうだ!………いや、ちがう、トム。ちがうよ。そうだとしても、こんなちっぽけな村のじゃないよ。ここの村の家にゃ、番号なんて、ついてないもん。」
「うん、それもそうだなあ。ちょっと考えさしてくれよ。そうだ――ヘやの番号だ――宿屋《やどや》のさ、な!」
「ああ、大あたり! 村にゃ、二けんしか宿屋はないし、と。すぐわかるぜ。」
「おまえ、ここで待ってろよ、ハック。おれ、すぐ帰ってくるから。」
 トムは、すぐさまとびだしていった。人のいる場所へ、ハックといっしょにでかけるのは、あまりすきじゃなかったからだ。トムがしらべてくるのに半時間ほどかかった。彼のしらべによると、いちばん上等の宿屋の二号室は、ずっとまえから、若い弁護士さんがかりていて、いまでもそのまま、ずっととまっているということだった。すこし品のおちた宿屋では、二号室は、あやしいふしがあった。宿屋の若だんなのいうには、そのへやは、いつもかぎがかけっぱなしで、人がでたりはいったりするのは、夜だけらしく、どうして、そういうことなのか、特別なわけは、かいもくわからない、いくぶんへんだとは思うが、それほど気にもかけていなかった。あのへやには、きっとばけものでもでるのだと考えて、あまりせんさくもせずに、かたづけている、ゆうべは、たしか、あかりがついていた――とのことだった。
「というわけさ、ハック。おれたちのさがしてる二号ってのは、そこだと思うぜ。」
「おれも、そう思うよ、トム。それで、これからどうする?」
「ちょっと、考えさしてくれ。」
 トムは、長いあいだ考えこんでいたが、やがて、こんなことをいいだした。
「こうなんだ。二号室の裏口は、あの宿屋と、がたがたのれんが倉庫のあいだの細い道とむかいあってるんだ。おまえは、できるだけ、戸のかぎをかき集めてこいよ。おれも、おばさんとこのをみんな持ってくるから。それで、やみ夜を待って、くらくなったら、すぐいって、戸をあけてみるんだ。それから、おまえは、インジャン・ジョーを見はるんだ。あいつは、また村へしのびこんで、しかえしにつごうのいいしおをねらうっていっていたじゃないか。もし、あいつをみつけたら、すぐあとをつけるんだ。あいつが、あの二号室へいかなけりゃ、あすこじゃないんだからな。」
「うわあ、おれひとりで、あとをつけるなんて、いやだよ!」
「だって、夜だぜ。あいつにゃ、おまえがわかりゃしないよ――それに、わかったって、べつに、なんとも思やしないさ。」
「そうだな、うんとくらかったら、つけてもいいけど。知らねえよ――知らねえけど、まあ、やってみよう。」
「くらけりゃ、おれなら、きっとつけるぜ、ハック。きっと、やつのこった、しかえしのおりがつかめず、まっすぐ、あの金貨のところへやってくるかもしれないよ。」
「そうだな、トム。きっとそうだな。よし、おれ、つけてやろう。ああ、きっとつけるとも!」
「やっと、おめえらしく、しゃべるじゃないか! だめだぜ、びくびくしてちゃ。おれは、おじけづきゃしないぜ、ハック。」

28 インジャン・ジョーの巣《す》で
 その晩、トムとハックは、冒険のしたくにとりかかった。九時すぎまで、ひとりは、遠くのろじから見はりをし、ひとりは、入り口のあたりを見はりながら、宿屋の近くをうろついていた。しかし、だれひとり、ろじをはいったり、でたりする者もなかった。あのスペイン人に、似ている者が、宿屋をではいりするけはいもなかった。その夜は、天気もよくなりそうだった。そこで、もしも、かなりくらくなるようだったら、ハックがトムの家までいって、ねこのなきまねをするから、そしたらトムもうちをしのびでて、かぎをためすことにしよう――と、話をつけて、トムはうちへ帰った。けれども、いつまでたっても、まっくらになりそうにもなかったので、ハックは見はりをやめて、十二時ごろ、うちへ帰って、さとうのあきだるの中でねた。
 火曜日も、同じく運がなかった。水曜日もだめだった。が、木曜日の夜は、運がむいてきそうな気がした。トムはころあいを見はからって、おばさんの古ぼけたブリキのカンテラと、大きなタオルを持って、うちをぬけだした。タオルは、カンテラにかぶせて、あかりがもれないようにするためだった。まず、そのカンテラを、ハックのさとうだるの中にかくすと、いよいよ、見はりをはじめた。十一時には、宿屋もしまり、あかり(そのあたりでの、ただ一つのあかりだった)もきえた。スペイン人などは、影も形もなかった。ろじをではいりする者は、だれひとりなかった。なにもかも、さいさきがよかった。空はうるしのようにまっくらで、ときおり、わずかに、遠いかみなりの音がきこえるほかは、しいんと、しずまりかえっていた。
 トムは、カンテラをとりあげ、大だるの中であかりをともし、タオルで、ぐるぐるまきにした。そして、ふたりの冒険少年は、あの宿屋をさして、くらやみの中をそろそろ進んでいった。ハックが、見はりに立ち、トムだけが、手さぐりで、ろじにはいっていった。こうして、じっと待っている間の心配は、ハックの胸に、小山のように重くのしかかってきた。ハックは、カンテラの光が見えてくれさえすればいいのに、と思いはしめた――カンテラの光が見えれば見えるで、おそろしさにかわりはないが、ともかく、トムが生きているということだけはわかるのだ。トムがいってから、何時間もたったような気がした。気絶してたおれているかもしれぬ、死んでいるかもしれぬ。いや、こわさと興奮とで、心臓がはれつしてしまったのかもしれぬ。こうした不安にせめられて、ハックは一歩、ろじの奥へはいっていった。あらゆるおそろしいできごとをひしひしと感じ、さいごの破局がとつぜんおこったら、息の根もとまるだろうと、ちらと考えた。息の根がとまるのは、ぞうさもないことだ。このとき、ハックの息は、ごくわずかしかつけないふうだったし、胸の鼓動は、いまにも心臓がはれつしそうだったからである。とつぜん、ぱっと光がさし、トムが、風のように、ハックのそばをかすめてさっていった。
「走れ!」と、トムがいった。
「走れ、全速力!」
 この命令は、くりかえす必要はない。一どでたくさんだった。ハックは、二どめの声がでないうちに、時速三、四十マイルほどの速さで走りだしていた。少年たちは、村はずれの、あき家の屠殺場の小屋につくまで、一どもとまらずつっ走った。そこへとびこむが早いか、とつぜん、あらしがきて、雨がざざあっと、ふってきた。ようやく、息がつけるようになると、すぐ、トムはいった。
「おっかなかったぜ、ハック! おれ、できるだけそっと、かぎをまわしてみたんだ。二つだけ、やってみたんだ。だけど、そいつときたら、またでっかい音をたてやがるんだ。おれ、おっかないのなんのって、息がとまるかと思った。かぎは、二つとも、きかないんだ。おれ、自分でもなにがなんだかわからずに、とってをまわしてたんだ。戸が、すうっとあきやがった! かぎがかかってなかったんだ! おれは、とびこんでって、タオルをふるいおとした――すると、ああ、おそろしや!」
「なんだって――なにを見たんだって? トム。」
「おれは、もうすこしで、インジャン・ジョーの手にのっかるところだったんだ!」
「まさか!」
「ほんとさ、そうなんだ! あいつ、床の上で大の字にねてやがったんだ。あの、いつもの眼帯をしてさ、両手をひろげて。」
「へえ! で、どうした? やつ、おきたか?」
「ううん。びくっとも動かなかった。よっぱらってたんだろうな。おれ、すぐ、タオルをひっつかんで、とびだしたんだ!」
「おれだったら、タオルなんてわすれちゃうだろうな!」
「だけど、おれ、わすれないぜ。あれ、なくしたら、おばさんにひどいめにあうもんな。」
「おい、トム、おめえ、あの箱見たかい?」
「だって、ハック。おれ、そこらをゆっくり見るどこじゃなかったんだ。箱も見なかったし、十字架も見なかったよ。インジャン・ジョーがねてるわきに、酒びんと、すずのコップがころがってるのがわかったほか、なんにも、わからなかった。そう、そう、へやの中にゃ、酒だる二つと、びんがたくさんあったっけ。ばけもののでるへやってのが、これで、わかりゃしないかい?」
「どうして?」
「ああ、そいつぁね、ウイスキーのおばけがでるんだよ! 禁酒宿屋には、きまって、どこでも、ばけものがでるへやがあるんだぜ、ハック。」
「そうか、そうらしいな。だれが、そんなこと考えだしたんだろう? だけど、おい、トム、インジャン・ジョーがよっぱらってるんなら、あの箱とるの、いまがいちばんいいときじゃないのかい?」
「まったくだ! おまえ、やってみろよ!」
 ハックは、ふるえた。
「うわあ、だめだよ――おれには、できねえよ。」
「おれだって、ハック。インジャン・ジョーのそばにたった一びんじゃ、まだたりないよ。せめて三本ありゃなあ、ほんとによっぱらってるなら、おらあ、するけどなあ。」
 長いあいだ、考えこんでから、トムがいった。
「おい、ハック、インジャン・ジョーがあすこにいなくなるまで、やめにしよう。あんまり、おっかなすぎるもん。もし、おれたちが、毎晩見はってたら、いつかは、あいつがでかけるのがわかるって寸法さ。そしたら、あっというまに、あの箱、さらっちまえよ。」
「うん、そいつあ、いいや。おれ、夜っぴて、見はるぜ。毎晩やるぜ。おまえが、ほかのところをひきうけてくれたらな。」
「ようし、ひきうけた。おまえは、フーバー通りを、ちょいとひとまわりして、『ごろごろ、にゃあ』をやりゃいいんだ――もし、まだおれがねむってたら、窓に石をぶっけろよ。そしたら、おれ、おきるから。」
「わかった。いいともさ!」
「あらしもあがったらしいな、ハック、おれ、うちへ帰るよ。もう二、三時間もすれば、夜が明けらあ。おまえ、帰って、ずっと、はり番してるかい?」
「ああ、やるとも、トム、やるよ。毎晩、一年だって、あの宿屋のまわりを、うろついてみせらあ! 昼間ねむって、夜じゅう、番してらあ。」
「うん、よし。じゃ、おまえ、どこでねてる?」
「ベン=ロジャーズんちのまぐさ小屋だ。あいつが、貸してくれたんだ。それから、おやじさんのやとい人の黒んぼのアンクル・ジェークも、いいっていったんだ。アンクル・ジェークにたのまれると、いつでも、おれ、水運びしてやるんだ。そのかわり、こっちがねだると、あまってれば、いつでも、たべものをわけてくれるよ。あいつは、とてもいいやつだぜ、トム。あいつも、おれがすきなんだよ、きっと。おれが、あいつより、りっぱな人間みたいなふうをしたことがねえからさ。ときどき、すわりこんで、いっしょに食うんだ。だけど、おまえ、だれにもだまってろよ。めちゃめちゃに腹がへってるときは、ぎょうぎなんか、かまっちゃいられねえもんな。」
「じゃ、なんだ、もし、昼間、用がなけりゃ、ねかしといてやるよ。じゃまなんかしにいかないよ。そのかわり、夜、なにかかわったことがあったら、とんできて、『ごろごろ、にゃあ』をやるんだぜ。」

29 ハック,ダグラス夫人をすくう
 金曜日の朝、トムの耳にはいった、さいしょのニュースは、うれしいものだった――サッチャー判事一家が、まえの晩、町へ帰ってきたのであった。インジャン・ジョーも宝物も、しばらく重要ではなくなって、かわりにベッキーが、トムの関心のまとになった。さっそく、ベッキーにあい、ふたりは、学校友だちといっしょに、〈探偵ごっこ〉や〈陣とり〉をして、さんざん楽しいときをすごした。その日は、特別みちたりた気持ちで、暮れていった。ベッキーは、おかあさんにせびって、ずっとまえに約束して、まだのびのびになっているピクニックを、あすにしてくれとたのみ、やっと、おかあさんがゆるしてくれたのである。ベッキーのよろこびは、なんともいいようがなかった。トムも、負けずによろこんだ。招待状は日暮れまえにとどけられ、村じゅうの子どもたちは、その準備と、あすの楽しみとでわきたった。トムも興奮して、ずいぶんおそくまでねつかれなかった。それで、ハックの「ごろごろ、にゃあ」がきこえてくればよいと、しきりに待ちのぞんだ――そうすれば、あくる日、ベッキーやみんなを、宝物でおどろかせてやれるのにと、楽しみにしていた――が、そのあてがはずれた。その晩はとうとう、なんのあいずもなかった。
 やがて、朝になった。そして、十時か十一時ごろには、はしゃぎまわっている子どもたちが、サッチャー判事のうちのまえにむらかって、出発の準備は、すべてととのった。こうしたピクニックには、子どもたちの楽しみをそがないよう、おとなたちはくわわらない習慣だった。十八歳ぐらいの娘さん、それに二十三、四の若者たちの監督で、子どもたちは、じゅうぶん安全だと、おとなたちは考えていた。古い蒸気船を一そうやとってあったので、陽気な一団は、めいめい弁当のはいったバスケットをさげて、大通りをよろこびいさんで歩いていった。シッドは病気だったので、この楽しみにはくわわれなかった。メァリーは、うちにのこって、シッドの看病をすることになった。サッチャー判事の夫人は、わかれしなに、ベッキーにいった。
「きっと、帰りはおそくなるでしょうね。船つき場のそばのお友だちのところで、ひと晩とめていただいたほうがいいでしょうね。」
「じゃ、あたし、スージー=ハーパーのところで、とめていただくわ、おかあさん。」
「ええ、そうなさい。よく気をつけて、おとなしくするんですよ、いいですか。」
 やがて、みんなとびはねながら歩いているとき、トムがベッキーにいった。
「ねえ――ぼくたち、こうしようよ。ジョー=ハーパーんちなんかへいかずに、丘をかけのぼって、ダグラスの奥《おく》さんとこで、とめてもらおうよ。アイスクリームをごちそうしてくれるよ! 毎日つくるんだってさ、――うんと、さ。そして、ぼくたちがいったら、とてもよろこぶよ、きっと!」
「まあ、おもしろそうね!」
 それから、ベッキー、ちょっと考えて、こんなことをいった。
「まあ、ママはなんていうかしら?」
「ママなんかに、わかるもんか。」
 ベッキーは、しきりに、そのことを考えてみて、
「それはいけないことだと思うわ――でも――」と、にえきらない。
「なんだい! ママは知りゃしないし、だから、なにもわるいことないじゃないか? ママは、きみがぶじなら、それでいいんだと思うよ。もし、ママがダグラスおばさんのことを考えつけば、きっと、きみにいきなさいっていったぜ。そうさ、それにきまってらあ!」
 ダグラス未亡人《みぼうじん》のすばらしいもてなしは、ほんとに心をひいた。それがトムのすすめといっしょになって、やがて勝ちをしめた。そこで、その晩の計画は、だれにももらさないということになった。と、今晩あたり、ハックが、例のあいずをするかもしれないという考えが、トムの胸にうかんだ。そう考えると、計画の楽しみが、だいぶん、なくなってきたが、ダグラス未亡人のうちでの楽しみはあきらめられなかった。どうしてあきらめる必要があろうか、と、トムはりくつをつけた――まえの晩だってあいずがなかったもの、どうして、今晩、あいずがありそうだなんてことがあるものか? たしかに、ごちそうになれる楽しみのほうが、あてにならない宝物よりもだいじだった。トムはいかにも少年らしく、気のむくほうになびこうと心にきめて、もうこの日は、金貨の箱のことは考えまいとした。
 村から三マイルほど川下の、木のしばった入り江で船をとめ、しっかりとつないだ。子どもたちが、かたまって岸へあがったと思うまもなく、遠くの森や、高い岩のがけの上から、さけび声や、わらい声が、遠く近くこだました。みんながいろいろなことをして、暑くなり、くたびれはてて、やがて、放浪者たちは、すっかりおなかをへらした。ぶらぶらと、集合地までひきかえし、ごちそうをむしゃむしゃとたべはじめた。ごちそうがすむと、枝をはったかしの木かげでしゃべったり、ねころんだりして、楽しくさざめいた。やがて、だれかが大声をあげた。
「ほら穴にいきたい者は、集まれ!」
 みんな集まった。ろうそくのたばがとりだされて、すぐ丘をのぼるげんきのよい足音がおこった。ほら穴の入り口は、丘の中腹にあって――Aの字の形をした穴だった。がっしりしたかしの木の戸は、かんぬきがついていなかった。奥《おく》のほうは小さいへやのような形になっていて、氷の倉のようにつめたかった。大自然の作ったがっしりした石灰岩の壁は、つめたいつゆをふくんでいた。このくらやみの中に立って、日にかがやくみどりの谷間を見おろすことは、ロマンチックで、神秘なながめだった。しかし、そうした印象におどろく気分は、すぐにどこかへきえてなくなり、また、みなは、はしゃぎだした。ろうそくをともすと、そこヘ一どに、どっとおそいかかる。やられまいとろうそくを守る者は、けんめいにたたかい、勇敢にふせぐ――が、ろうそくはすぐたたきおとされて、火はきえてしまう。わあわあと、うれしそうなわらい声がひびいて、また新しいとりあいがはじまる。が、あらゆることには、おわりがある。やがて行列をつくって、一同は、きゅうなくだり坂の本道を奥深く進んでいった。何列もずっとつづいているろうそくのあかりは、きりたった岩の壁が頭上六十フィートのところで、にぶいてりかえしを見せていた。この本道は、幅八フィートか十フィートしかなかった。二、三歩の間隔をおいて、左右に、やはりきりたった壁の、すこし細い道がわかれていた――マックドーガルのほら穴は、くねくねした小道がいたるところでいりまじり、いりまじって、ふくろ小路になったりしている、長い迷路だったのである。いく日もいく夜も、その岩のわれめのいりくんだ道を、歩きまわっても、そのほら穴のつきるところにはいきつくことができないといわれていた。そして、どんどんおりていっても、同じことだというのである――迷路につぐ迷路で、どこまでいっても、おわりがないのだ。ほら穴を〈知っている〉者は、だれひとりいなかった。それは、とうてい、できないことなのである。若い者たちは、ほら穴の一部は知っていたが、知っているところをこえて、がむしゃらにはいりこんでみようとはしないのが、ふつうだった。トム=ソーヤーも、ほかの人が知っているくらいは、このほら穴を知っていた。 一行は、本道を四分の三マイルほど進み、それから、五、六人組やふたり組にわかれて、くらい小道にはいりこみ、陰気なろうかをとぶように走りぬけたり、小道の出あうまがりかどで、おどかしあったりした。〈知っている〉ところよりさきにいかなくても、三十分くらいは、ほかの人たちにみつからずにかくれていることができた。
 やがて、三人五人とかたまって、ほら穴の入り口へもどってきた。息をきらし、大はしゃぎにはしゃいで、頭から足のさきまで、ろうそくのろうをくっつけ、土まみれになり、この日の成功に心からよろこんで――そして、時のたつのもわすれ、日が暮れかかるのも知らないでいたのに気がついて、おどろいた。鐘はもう三十分も、がらんがらんと、みなをよびつづけていたのだ。しかし、この日の冒険が、このようにおわるとは、ロマンチックで、だから、みんなまんぞくだった。蒸気船が、このさわがしい荷物をつんで中流を走りだしたとき、時間のことをくよくよ考えている者は、船長さんだけだった。
 この蒸気船のあかりが、またたきながら、船つき場を通りすぎたころ、ハックは、もう見はり役についていた。ハックの耳には、船の中のさわがしいもの音は、なにもきこえなかった。それも道理、子どもたちは、死にそうにつかれて、しずまりかえっていた。あの船は、なんだろう、なぜ、また船つき場にとまらないのだろうと、ハックはふしぎに思った――が、すぐ、そんなことを考えるのはやめて、自分の任務に熱中した。空はくもりはじめ、夜のやみは、だんだん深くなっていった。十時になった。車の音もたえ、あちこちのあかりはきえはじめ、外をぶらつく人たちの影もなくなった。村じゅうが寝入った。そして、ただひとり、小さい番人は、静けさと、ゆうれいとともにのこされた。十一時になった。宿屋のあかりはきえた。どこもみな、まっくらやみだった。ハックは、ずいぶん長いあいだ、待ちあぐねたような気がした。が、なにもおこりそうなけはいはない。信念が、ぐらつきはじめてきた。見はりをする必要かおるだろうか? ほんとにその必要かおるだろうか? なぜ、あきらめて、ねに帰らないのだ?
 とつぜん、もの音がした。ハックは、たちまち、からだじゅうを耳にした。ろじに面したとびらが、しずかにしまった。ハックは、れんが倉庫のかどまでとびのいた。つぎの瞬間、ふたりの男が、ハックとすれちがいに、ろじをてていった。ひとりは、なにかをこわきにかかえているようだった。あの箱にちがいない! あの宝物をどこかへ運ぶのだ。トムをよびにいっていたら、どうなるだろう? とんでもない――そんなことをしていたら、男たちは、あの箱を持ってどこかへいってしまい、もうみつからなくなるだろう。いや、どうしてもあとにくっついて、ついていこう。こんなにくらくては、みつかることはあるまい。そう思いながら、ハックも、その場をはなれ、そっと、男たちのあとから、はだしの足で、ねこのように、みつからないくらいの間をおいて、そっとつけていった。
 男たちは、川ぞいの通りを、三丁ばかりいって、そこから、十字路を右にまがった。そして、カーディフの丘に通じる坂道をまっすぐ進み、山へのぼっていった。それから丘のとちゅうにあるウェールズ人の老人一家のそばをすぎ、どんどんのぼっていく。しめた、と、ハックは思った。あのむかしの石切り場へうずめるんだな。しかし、男たちは石切り場などにはとまらず、なおもぐんぐんのぼっていく。それから、高いぬるで[#「ぬるで」に傍点]の木のしげみにかこまれた小道にとびこんで、たちまち、すがたをかくしてしまった。ハックは、もう、こうなれば、こちらが見られる心配はないと思ったので、彼らとのあいだをちぢめた。しばらくのあいだ、早足で歩いた、が、いきすぎは禁物、と、速度をゆるめた。それから、ちょっと歩き、ぴたりと立ちどまって、耳をすました。なんのもの音もきこえない。自分の心臓の音だけが、きこえるような気がした。と、丘をこえたむこうから、ふくろうのなき声がきこえてきた――きみのわるい声だ! 足音は、まったくきこえない。しまった! ハックは、足につばさでもはえたように、すっとぼうと思ったとたん、せきばらいがきこえた。四フィートもはなれていない! ハックの心臓は、おどりあがって、のどまでとびだすところだった。が、ぐっとのみこんだ。それから、一どに、一ダースもの熱病にとりつかれたように、ぶるぶるふるえた。立っているのもやっとだった。もうじき、たおれるにちがいないと考えた。ハックは自分のいる場所がどこか、はっきり知っていた。ダグラス未亡人の地所にはいるふみ段から、五歩とはへだたっていなかった。よし、そこらにうめるがいい、ここなら、みつけるのもぞうさもないことだった。
 そのとき、人声がした――低くおさえたような声――インジャン・ジョーの声だった。
「ちきしょうめ、また、客がいるんだな――あかりがついている、こんなにおそく。」
「おれには、なんにも見えねえぜ。」
 その声は、あの知らない男――ばけものやしきで見た、知らない男の声だった。ハックの胸につめたいふるえが走った――とすると、これが、あのしかえしかもしれぬ! にげたほうがいい。だが、つぎの瞬間、ハックは、ダグラスの奥さんが、いろいろ自分にしんせつにしてくれたことを思いだした。この男たちは、きっと、奥さんをころそうとしているのかもしれないぞ。なんとかして、奥さんにしらせてやりたいと思った、が、とてもできそうになかった――やつらが、とびかかってきて、つかまえられてしまうだろう。こんなようなことや、もっとたくさんのことが、ハックの頭をかすめたのは、あの知らない男のことばと、インジャン・ジョーがそれに答えていった、つぎのことばとの、ごくわずかのあいだでしかなかった。
「やぶがじゃましてるからよ。どうだ――こっちへきてみな――どうだい、見えるだろう?」
「うん、なるほど、客があるらしいな。あきらめたほうがよかあないか。」
「あきらめるんだと! そいじゃ、これきりで、ずらかろうってのか! いま、あきらめたら、二どといいおりはあるめえ。まえにもいったが、おれは、あの女のものがはしいんじゃねえんだ――おまえにくれてやらあ。だが、あいつの亭主が、おれをひどいめにあわせやがった――なんども、ひどいめにあわせやがった――治安判事をやってやがって、浮浪罪だとかいって、おれを牢屋にぶちこみやがったんだ。そればかりじゃねえや。そんなことよか、百万倍もひでえことをしやがったんだ!――馬のむちをくらわせやがったんだぜ!――牢屋のまえで、黒んぼみてえに馬のむちをくらわせやがったんだぜ――村のやつらの見ているまえでよ! 馬のむち!――やい、おめえにわかるけえ? やつは、さんざ、おれをひでえめにあわせておいて、くたばったんだ。だが、おれは、あのかかあから、おかえしをとってやるんだ。」
「ああ、あの女をころすなよ! そいつあ、やめてくれ!」
「ころす? だれがころすなんていった? やつが生きていりゃ、ころすかもしれねえが、かかあはころさねえ。女にしかえしをするのに、ころすやつがあるもんか――ばかな! つらをめちゃめちゃにしてやるんだ!」
「ああ、そいつあ、おめえ――」
「だまってろい! そのほうが、てめえの身のためだぜ。おれは、あのかかあを寝台にくくりつけてくれる。血をふきすぎて、くたばったって、それは、おれのせいかよ? やつがないたって、おれは声ひとつたてねえぜ。おい、おめえ、このおれのしごとをてつだうんだぜ――おめえがここにいるなあ、そのためなんだ――おれひとりじゃ、できねえからな。てめえが、万一、ひるみやがったら、まっさきにてめえをころすぞ。やい、わかったな? てめえをころせば、あいつもころすだろうぜ――そうすりゃ、だれがやっつけたか、そいつを知るもんはねえわけだ。」
「ああ、やっつけなきゃならねえもんなら、やっつけよう。早いほうがいいぜ――おらあ、ふるえてきやがった。」
「いま、やるか? あすこに客がきてるのにか? おい、気をつけろ――おらあ、てめえをちっとばかり、うたがいはじめたぜ。まあ、待とう――あかりがきえるまで、待とう――いそぐことはねえや。」
 そのまま、沈黙がつづきそうなのは、ハックにもわかった――これは、どんな血なまぐさい話をきかされるよりも、もっとおそろしいことだった。ハックは息をころし、気をくばりながら、じりじりと、うしろへさがりはじめた。あぶなっかしく片足で立ち、右へひょろひょろ、左へひょろひょろ、もうちょっとのところで、ひっくりかえりそうになるのを、やっと平均をとると、足を注意ぶかく、しっかりとふみおろした。同じように苦心をかさね、同じようにあぶない思いをしながら、また、一歩、また一歩と――小枝《こえだ》が一つ、足の下で、ぽきっとおれた。息がとまった。じっと耳をすましたが、もの音はきこえない――しいんと、しずまりかえっていた。そのありがたさといったら、なんともいいようがなかった。そこで、ぬるで[#「ぬるで」に傍点]の木のしげみが、壁《かべ》のようにならんでいるあいだで、むきをかえた――船がむきをかえるときのように、用心ぶかくむきをかえた――それから、すばやく、だが、用心して歩きだ     した。石切《いしき》り場《ば》までくると、もう、これでだいじょうぶと思って、とくいのいだてん[#「いだてん」に傍点]走りにうつって、とぶように走った。全速力でかけおりて、ウェールズ人の家についた。戸をどんどんたたくと、まもなく、主人の老人と、がっしりしたふたりのむすこの顔が、窓からのぞいた。
「なんだって、そんなところでさわいでいるんだ? だれだ、たたくのは? 用事はなんだ。」
「入れとくれよ!――早く! みんないっちまうよ。」
「おまえは、だれだ?」
ハックルベリー=フィンだ――さ、早く入れてくれ!」
ハックルベリー=フィンだと? なるほど! あんまり、どこでも戸をあけてやるという名まえじゃないようだな、どうやら! だが、おい、入れてやれよ。なにごとがおこったのか、きいてみようじゃないか。」
「おねがいだから、おれの話すこと、だれにもいわないでおくれよ」ハックが、うちの中にはいって、まずこういった。「でないと、ころされちまうもん――だけど、あの後家さんは、おれにしんせつにしてくれたことがあるもんだから、いうんだけど――ほんとに、おれが話したなんていわないって約束してくれたら、おじさんたちに話すよ。」
「なんと、こりゃ、なにか大事件をまきこんで話したいというんだな。さもなきゃ、こんなようすはすまいて!」と、老人はさけんだ。「心配するなよ、ここにいる者は、だれもそんなこと、しゃべりゃしないぞ。」
 それから三分すると、老人とふたりのむすこは、しっかりと武装して、丘の上にのぼっていた。そして、手に手に武器《ぶき》をかまえながら、つまさき立ちで、ぬるで[#「ぬるで」に傍点]のやぶの中の小道にはいるところだった。ハックは、それよりさきへはついていかなかった。大きなまるい自然石のうしろにかくれて、じっと耳をすましていた。待ちどおしい気がかりな沈黙がっづいた。と、まったくだしぬけに、鉄砲の音と、さけび声がおこった。
 ハックは、それ以上、くわしいなりゆきをきくために、待ってなどいなかった。ぱっととびあがると、いっさんに、足のつづくかぎり、丘をかけおりた。

30 ほら穴にのこされたトムとベッキー
 日曜日の朝、しらじら明けかかったころ、ハックは手さぐりで丘をのぼり、あの老ウェールズ人の家の戸をしずかにたたいた。中の人たちはねむっていたが、ゆうべのはらはらする事件のおかげで、ちょっとさわれば、すぐ爆発するようなしかけになっているようなねむりだった。窓から声がした。
「だれだ!」
 ハックは、おびえたような低い声で、それに答えた。
「おねがいだから、入れておくれよ! ハック=フィンだよ。」
「その名をきけば、夜であろうと、昼であろうと、この戸はあけざあなるまいて!――大歓迎だよ!」
 これは浮浪児ハックの耳には、ききなれないことばだった。これまできかされたことばの中で、これほど、うれしいものはなかった。ハックは、自分に、こういうことばをかけられたのは、まだきいたことがなかった。入り口のかけ金は、すぐにはずされ、ハックは、中にはいった。老人と、ふたりの背の高いむすこは、ハックにいすをすすめておいて、すばやくきがえにかかった。
「さて、おまえ、うまくおなかがへっているとよいがなあ。朝めしは、日ののぼりしだい、すぐ用意できるからな。しかも熱くて、ふうふういうやつをやるとしよう――なにも心配するな! うちじゃ、みんな、おまえがゆうべ、ここへもどってきて、とまればいいと思っていたんだ。」
「おらあ、おっかなくてたまらなかったんだよ。だから、にげだしたんだ。ピストルがなったとき、かけだして三マイルも、ずっととまらなかったよ。おれがここにきたのは、あのことをききたかったからだよ、ね。日がのぼるまえにやってきたのは、あいつらにでっくわしたくなかったからなんだ。やつら、もう死んでるかもしんねえけど、あいたくねえから。」
「よし、よし、おまえはひと晩じゅう、ひどいめにあったようだな――まあ、めしでもくったら、この寝床でねむればよい。うん、やつらは死ななかったよ――それを考えると、残念でしかたがない。おまえの話で、くせ者のひそんでいるところは、すぐわかった。そこで、そうっと、やつらの十五フィート手まえまで、しのんでいったんだ――あの道は、地下室のようにまっくらだった――そのとき、きゅうに、くしゃみがでそうになったんだ。なんて運がわるいんだろ! わしは、むりにこらえようとしたんだが、だめだった――どうにもがまんができず、とうとう、はくしょんとやってしまった! わしは、ピストルをあげて、先頭にいたんだが、くしゃみがでて、くせ者どもが、ごそごそやぶの中へもぐりこもうとしたとき、わしは『うて!』と、せがれたちにどなって、そのがさがさとするあたりめがけて、一発ぶっぱなした。せがれたちもうった。やつらは、目にもとまらぬ速さでにげだした。わしらも、すぐ森の中を追っかけまわした。わしらのたまは、はずれたらしい。にげながら、やつらも、一発ずつぶっぱなしたが、ひゅうんと耳もとをかすめただけで、わしたちは、けがもなかった。くせ者の足音がきこえなくなったので、追跡はあきらめ、かけおりていって、巡査をたたきおこした。巡査は、すぐ村の衆をかき集めて、川岸の警備についた。夜が明けるのを待って、署長とその一隊が、山狩りをすることになっている。うちのむすこたちもやがてくわわって、ひとはたらきするところさ。ところで、あの悪漢どもの人相やなんかがわかるといいんだが――そうすれば、どのくらい役にたつかわからんものな。しかし、おまえ、あのくらやみじゃ、やつらのかっこうなど、よくわからなかったろうな?」
「うううん、わかってるよ。おれは村であって、あとをつけてきたんだよ。」
「そいつあ、うまい! ようすを話してくれ――どんなかっこうだったか、話してくれ。」
「ひとりは、おしでつんぼのスペイン人だよ。一、二ど、村にやってきたことがある、もひとりは、いじわるな顔のぼろをきた――」
「それだけ、ききゃいい。おれたちも、知っている! いつか、ダグラスやしきの裏の森であったら、こそこそにげだしたわ。さあ、おまえたち、いって、警察署長に教えてこい――朝めしは、あすの朝でいい!」
 ウェールズ人のむすこたちは、すぐさま、とびだした。むすこたちが、へやをでるとき、ハックはとびあがって、さけんだ。
「ああ、おねがいだから、おれがあいつらのすることしゃべったなんて、だれにもいわないでおくれよ! お、お、おねがいだよ!」
「よし、おまえがそういうんなら、しゃべらんよ。だがハック、おまえも、自分のやったことをみとめてもらってもいいんだぜ。」
「お、お、おねがいだ! おねがいだから、いわないどくれよ!」
 若いむすこたちがでていってしまうと、老ウェールズ人がいった。
「せがれたちは、しゃべらんよ――わしも、しゃべらん。だが、どうして、また、ひとに知られたくないんだ?」
 ハックは、その悪人のひとりについて、まえからよく知っているので、自分が、その男の利益にならぬことをすこしでも知っているということを、それ以上知ってるように思われたくない――それを知ったら、きっところされちまうんだ――というほか、くわしい説明をしなかった。
 老人はあらためて、ひみつを守る約束をしたあとで、いった。
「どうして、やつらのあとをつける気になったのだ? あやしく思ったのか?」
 ハックは、じゅうぶん用心ぶかいへんじを考えだすまで、しばらくだまっていた。
「なあ、おじさん。おれは、いい星の下には生まれなかったよ――みんなもそういうし、おらあ、そうかもしれねえ――それで、考えると、ねむられなくなっちまうことがよくあるんだよ。そんなときにゃ、なんとかして、そんな考えをなくしてしまおうと思ってるんだ。ゆうべもそうだったんだ。ねむれねえもんだから、夜中近くまで、通りをぶらぶらいったりきたりしたんだよ。ちょうど、あの禁酒宿屋のそばの、こわれかかったれんがの倉庫のとこまできたとき、壁によっかかって、考えごとをしようとしたんだ。そのときさ、あいつが、なんだかへんなものをかかえて、おれのそばを風のように通っていったんでさ。これは、てっきり、やつらがぬすみをしたんだと思ったんだ。ひとりはたばこをふかしてたんで、もひとりが火を貸してくれっていったよ。そこで、やつらは、おれのすぐまえにとまって、葉巻の火で、でかいほうのやつが、あのスペイン人だってことがわかったんだ。白いほおひげと、眼帯でわかったんだ。もひとりのやつは、ぼろをきた悪党で――」
「たばこのあかりで、ぼろが見えたのか?」
 この質問は、ちょっと、ハックをまごつかせた。
「うん、おれ、知らないけどさ――なんだか見えたような気がしたんだよ。」
「それで、やつらは歩きだして、それから、おまえは――」
「あとをつけたのさ。そうなんだよ。こそこそいくから――見とどけてやろうとしたんだ。おれは、後家さんちの裏口までくっついてって、くらやみの中で立ってきいていると、ぼろのやつが、後家さんをころすなってたのむと、スペイン人が、後家さんの顔をだいなしにしてやるんだって毒づいたのさ、ゆうべ、おじさんとむすこさんに話したみてえに――」
「なんだと! 口のきけないやつが、そういったんだって!」
 ハックは、また、大しくじりをやった。注意に注意をかさねて、あのスペイン人がだれだか、すこしも暗示もあたえまいとしたのに、そのいっさいの努力をうらぎって、舌のやつが、ことをもつれさせようとしているのだ。この、自分でまねいたおとし穴からはいだそうとして、なんどもつとめてはみたが、老人の目にぴたりと見すえられて、へまばかりいった。まもなく、老人がいいだした。
「わしをこわがることはないよ。どんなことがあっても、髪の毛一本、さわらせはせんよ。いや――おまえを守ってやろうというんだ――守ってやるつもりだ。あのスペイン人はおしでもなければ、つんぼでもない。な、おまえは、うっかり、口をすべらしちまった、というわけだな。いまとなっちゃ、しかたがない。おまえは、あいつのことでかくしておきたい、というわけだな。さ、わしを信じなよ――わしを信じて、それをいってみな――わしは、おまえをうらぎりはしないぜ。」
 ハックは、老人の正直な目を、いっしゅん、みつめたが、耳の中にささやきかけた。
「あいつあ、スペイン人じゃないんだ――インジャン・ジョーなんだ!」
 老人は、いすからころげおちんばかりにおどろいた。そして、すぐいった。
「それで、わかった。おまえから話をきいたときは、わしは、こりゃ、つくりごとだと思ったんだ。白人は、そういうしかえしはしないからだよ。だが、インジャン・ジョー! これなら、話がちがうわい。」
 朝食をとりながら、話ははずんだ。老人が、ゆうべねるまえに、むすこたちとカンテラをさげて、もう一ど、あの裏口まででかけていって、血のあとはないかと、近くをさがしにいった話をした。――血のあとはみつがらなかったが、ただ大きな――。
「なに?」
 もし、このことばが、電光だったとしても、ハックの青ざめたくちびるから、こんなにとっさに、とびだしてはこなかったろう! 目をかっとひらき、息をのみ――へんじを待っていた。老人のほうも――ハックをにらみかえした――三秒――五秒――十秒――やがて、答えた。
「どろぼう道具のたばさ。おお、いったい、おまえ、どうしたんだ?」
 ハックは、うしろへもたれかかり、しずかにあえいだ。なんともいえず、ありがたかった。老人は好奇心にかられて、じっとハックをみつめていたが――やがて、いいだした。
「そうだ、どろぼうの七つ道具だ。それをきいて、おまえ、ずいぶん安心したようだな。なぜ、そんなふうに考えたのかな? わしらがなにをみつけたと思っていたんだね?」
 ハックは、たじたじした――もの問いたそうな目は、ハックを、じっと見すえた――もっともらしいへんじを、なんとか、ひねりだそうとした――が、すこしもうかんでこなかった――もの問いたそうな目は、きりのように、深く深くもみこんでくる――どうもこうもない、でまかせに――意味のないへんじを――力なく――口にだしてしまった。
「日曜学校の本かと思って――」
 あわれなハックは、ひどく苦しい気持ちだったので、笑顔をうかべるどころではなかったが、老人は、頭から足のさきまで、からだをもんで、うれしそうに、大わらいした。これだけ大わらいすると、医者の勘定書がうんとへることになるから、ポケットに金がたまるようなもんだ、といった。やっと、わらいおさめた。
「かわいそうに、顔色もわるいし、やつれているよ――すこし、ぐあいがわるいんだろう――むりもないわ、すこしばかりおどろいたんだからな。なに、じき、よくなるよ。よくねむって休めば、すぐよくなるよ。」
 ハックは、あんなにおかしな興奮をしめすなんて、なんとばかだったろう、と考えると、いらいらした。未亡人のやしきの裏口で話をきいたとき、すぐ、男たちが宿屋から持ってきたのは宝物でない、と気づいていたのに。彼は、それが宝物でないと、ただ考えただけなので――宝物でないと知っていたわけではない。――だから、あの荷物のことをいいだされると、たちまちおちついてなどいられなくなった。だが、この小さいできごとは、うれしいものだった。まず、なによりも、それがあの荷物でないことが、はっきりわかったからである。そこでやっと安心し、たいへん気持ちがよかった。まったく、いろいろのことが、うまいぐあいになってきたようだった。宝物は、いまもまだ二号室にあるにちがいない。やつらはつかまって、その日に、牢屋にぶちこまれるだろう。トムとふたりで、その夜、金貨を持ちだすのに、なんの心配も、おそろしいじゃまもないだろう。
 ちょうど朝食がおわったとき、戸をたたく音がした。ハックは、とびあがって、かくれ場所をさがした。ちょっとでも、ゆうべの事件にかかりあいたくなかったからである。ウェールズ人は、何人かの紳士淑女をへやの中へまねき入れた。その中には、ダグラス未亡人もまじっていた。見ると、ダグラスやしきの裏口見物に、丘をのぼってくる連中がつづいていた。すでに、うわさはひろまったとみえる。
 ウェールズ人は、この客たちに、ゆうべの事件を話さないわけにはいかなかった。いのちを助けられたことを、未亡人は、心から感謝の気持ちをあらわした。
「まあ、まあ、それは、おっしゃるな。わしらよりも、あなたが感謝しなければならない人が、ひとりおります。だが、その人の名まえは、わしの口からは、いえないことになっています。その人がいなかったら、わしらは、あすこへいけなかったのですからな。」
 このことばは、もちろん、おおいに好奇心をさそったので、本すじの事件を小さくみせたほどだった――が、老人は、客たちの頭に、かってにしみこむままにさせておき、それを通じて、村じゅうにどんなうわさが、ひろまろうとかまわない、と思った。ひみつは、あくまでもひみつとして、うちあけるのはかんべんしてもらった。その点のほか、みんなききとると、未亡人はいった。
「わたしは寝床にはいってから、本を読んでおりました。それから、ぐっすりねむって、まるで外のさわぎは知らなかったのです。なぜ、おこしてくださいませんでしたの?」
「役にたたんと思ったからです。やつらが、ひきかえしてくるおそれは、まず、なかったですからな――七つ道具をとりあげられたからですよ。それがわかっているのに、あなたをおこして、死ぬほどおそろしい思いをさせてみても、しかたがないでしょう? じつは、うちの黒んぼを三人、おたくの見はりに朝までやっておいたんですよ。あれらは、ちょうど、ひきあげてきましたわい。」
 また、べつの客がきた。くりかえしくりかえし、それを話すのに、二時間以上もかかった。
 学校の休みのあいだは、日曜学校もなかったが、みんな朝早くから、教会へ集まってきた。あの大事件が、しきりに話題にのぼった。うわさによると、あのふたりの悪漢は、まだみつからないとのことだった。説教がおわり、サッチャー判事夫人が人びとといっしょに通路を歩いているとき、ハーパー夫人と肩をならべたので、声をかけた。
「うちのベッキーは、きょう一日ねむっているつもりなんでしょうか? きっとつかれきっていますのね。」
「おたくの、ベッキー?」
「ええ」と、びっくりした顔をみせて、
「ゆうべは、おたくにとめていただいたのではありませんの?」
「まあ、いらっしゃいませんよ。」
 サッチャー夫人は、まっさおになって、そばのこしかけに、すわりこんでしまった。そのとき、友だちとげんきに話しながら、ポリーおばさんが通りかかった。ポリーおばさんはいった。
「おはよう、サッチャーさん。おはよう、ハーパーさん。うちの子は、また雲がくれしたらしいんですよ。トムは、ゆうべ、おたくにとめていただいたのかしら、――どちらかのおたくに。それで、わたしがこわくて、教会にこられないんじゃないかしら。このしまつは、つけてやらなくちゃ。」
 サッチャー夫人は、よわよわしく首をふって、顔の色はまえよりも青ざめた。
「トムは、うちへもとまりにきませんでしたわ」と、答えたハーパー夫人も、不安そうな顔になった。ポリーおばさんの顔にも、心配の色がうかんだ。
「ジョー=ハーパー、あんた、けさ、うちのトムとあわなかった?」
「いいえ。」
「トムとさいごにあったのは、いつなの?」
 ジョーは思いだそうとしてみたが、はっきりいえなかった。みんなは教会堂から流れだしてきて、足をとめた。ささやきがつたわっていった。だれの顔も、不安な表情でくもっていた。子どもたちは、気がかりな質問をうけた。日曜学校の先生たちもおんなじだった。トムとベッキーが、帰りの蒸気船に乗っていたかどうか気がつかなかったと、みんなが口をそろえていった。なにしろ、くらかったし、人数をしらべようなどという考えは、だれの胸にもうかばなかったのだ。とうとう、ある若者が、自分のおそれていたことを、ぶちまけるようにさけんだ。まだ、あのほら穴にいるんだ! サッチャー夫人は気絶した。ポリーおばさんは、ああ、とさけび声をあげて、両手をしっかりにぎりしめた。
 このおどろくべきできごとは、口から口へ、むれからむれへ、町から町へ――つたわっていった。五分ののちには、はげしく警鐘が鳴り、村じゅうが動きはしめた! カーディフの丘の事件は、たちまち影をうすくし、どろぼうたちのことはわすれられ、馬にはくらがおかれ、ボートは、人で鈴なりになり、蒸気船は、かりだされた。おどろいてから三十分とたたなかった。ほら穴へ、ほら穴へと、大通りに、川に、二百人もの男たちがいそいだ。
 長い午後のあいだ、村じゅうはからっぽになり、しずまりかえっていた。ポリーおばさんとサッチャー夫人のところへは、つぎつぎに婦人客がたずねていってなぐさめた。みんないっしょになきだした。これは、千百のことばよりもよかったのだ。長いたいくつな夜のあいだ、村はしらせを待ち暮らした、が、ついに夜明けになっても、「もっとろうそくを送れ――たべものを送れ」といってくるばかりだった。サッチャー夫人は、気もくるわんばかりだった。ポリーおばさんも、また同様だった。ほら穴からは、サッチャー判事がのぞみをもって、勇気をうしなうなと、たよりをよこしたが、ほんとうのよろこびをつたえることばはいってこなかった。
 その朝、老ウェールズ人は、ろうそくのしたたりでよごれ、どろまみれになり、つかれきって、うちに帰ってきた。見ると、ハックは、まだ自分にあてがわれた寝台にねて、あまりの高熱からうわごとを口ばしっていた。村じゅうの医者は、ほら穴につめているので、ダグラス未亡人が病人の看護にきていた。未亡人がいうには、全力をあげて病人の看護にあたってみよう、この子がよい子かわるい子か、どちらでもないか、それは知らないが、神のものである。神のものであるかぎり、なおざりにしてよいものは一つもないはずだ、という意味のことをいった。老人は、ハックにもなかなかいいところがあるといった。すると、
「そのいいところを、信頼してもいいのではありますまいか。それこそ、神のしるしですものね。神さまは、それをあの子からとりさるようなことは、なさりますまいよ。ええ、そんなこと、ございませんとも。神のみ手からきたものは、だれでも、どこかに、そのしるしをつけておりますものね」と、未亡人は答えた。
 朝のうち、人びとはつかれて、ぞくぞく、村にひきあげてきたが、よりすぐった強い男たちはのこって、ほら穴の捜索をつづけた。いろいろ集まったしらせによると、ほら穴をずっと奥まで、まだ、だれもいったことのない奥のほうまで、くまなく、さがしているということだった。あらゆるすみずみ、われめまでも、さがしているということだった。迷路の奥深く、どこにいても、あちこちに、ろうそくの光は、ちらちらと見え、さけび声や、ピストルの音が、陰気なほら穴一帯に、こだましているのがきこえた、ということだった。ふつうの遊覧客がいくところから、はるかはなれた奥のほうの岩壁に、ろうそくのすすで、〈ベッキーとトム〉と、らくがきしてあるのがみつかった。すぐそばに、ろうそくの油でよごれたリボンが、おちていた。サッチャー夫人は、そのリボンを見ると、その上にかがみこんでないた。これこそ愛児の形見だ、こんなとうとい形見はほかにない、きっと、おそろしい死のくるまえに、生きているからだにつけていたさいごの品物だろうから、といった。ある人は、こんなこともいった。ほら穴のずっと奥で、ちらちらと、あかりが見えるようだったので、思わず、ばんざいをさけび、何人かの男たちが、隊を組んで、その中へなだれこんでいった。そんなことが、なんどもあったが――その結果は、いつも、きまって、にがい失望をあじわうだけだった。子どもたちは、いなかった。それは、捜索隊の持っているあかりの反射にすぎなかった。
 三日三晩というもの、のろのろと、時間がたっていった。村じゅう、失望にみたされていった。だれもかれも、おちつかなかった。そのころ、禁酒宿の主人が、ウイスキーの類をうちの中にかくしておいたことが、ぐうぜんみつけだされた。これはおどろくべき事実だったが、村人たちの心をほとんどさわがせないでおわってしまった。ある日、正気にもどったとき、ハックは、こわごわ、話を宿屋のほうにもっていって、さいごに――いちばんわるいばあいを、ぼんやりとおそれながら――自分が病気になってから、禁酒宿屋でなにかみつかったのだろうかと、たずねた。
「ええ、そう」と、未亡人はいった。
 ハックはぎょっとして、寝床から半身をもちあげた。目の色がかわった。
「なにが! なにがみつかった?」
「お酒ですよ!――宿屋は、商売をとめられてしまいました。さあ、おやすみなさい――なんて、びっくりさせる子だろう!」
「一つだけ――おねがい、たった一つだけ、教えておくれよ! それをみつけたのは、トム=ソーヤーかい?」
 未亡人は、わっとなきだした。
「さ、だまって、いい子だから、だまるのよ! まえにもいっておいたでしょう。あんたは、話をしてはいけないって。あんたは、もう、そりゃ、そりゃ、ひどいひどい病気なんですよ!」
 なるほど、ウイスキーのほか、なにもみつからなかったのだな。金貨だったら、村じゅう大さわぎになるはずだ。さわがないところをみると、宝物は、永久に、どこかへいってしまったのだ――永久にきえてしまったんだ! それにしても、未亡人がなきだしたのは、どういうわけだろう? なくなんて、おかしいことだ。 と、こんなことを、ハックは、ぼんやり、心の中で考えた。よわっていたので、からだにこたえたのだろう。ハックはねむりこんでしまった。
 未亡人は、心の中でつぶやいた。
「ああ――ねむった、かわいそうに。トム=ソーヤーがみつけたんだって! だれかが、トムをみつけてくれればいいのに! ああ、もう、いまはもう、みんな、希望もほとんどなく、さがすげんきもなくなってしまったのではないかしら。」

31 くらやみの中で
 さて、トムとベッキーのピクニックに話をもどそう。ふたりは、おおぜいのなかまといっしょに、くらい小道をいきおいこんで進んでいき、ほら穴の中のなじみの名所――〈応接の間〉とか〈大教堂〉とか〈アラジンの宮殿〉などというおおげさな名のついている名所――を、つぎつぎとのぞいていった。そのうち、かくれんぼがはじまり、トムもベッキーもむちゅうになって、遊びのなかま入りをした。さんざん走りまわって、あきるほどやった。で、こんどはろうそくを高くかかけて、まがりくねった小道をぶらぶら歩きながら(ろうそくの油煙で書いた)名まえや日づけ、住所や格言などが、くもの巣のように入りみだれて、らくがきしてあるのを読んでいった。べちゃくちゃしゃべりながら、さきへさきへと進んだふたりは、いつか壁のらくがきもなくなっているところへきたことにも、ほとんど、気がつかなかった。ふたりは、頭の上にたなのようにたれさがっている岩の下に、ろうそくの油煙で名まえを書いた。やがて、ちょろちょろと小さい流れのある場所にでた。段のついた岩床の上をきらきら流れる水は、石灰岩の破片を長い年月のあいだ、すこしずつすこしずつ運んでいるうちに、かがやく不滅の石で、レースかざりのついた小ナイアガラを作りあげていた。トムは、べッキーをよろこばせたくて、小さいからだをちぢめ、石灰岩の滝のうしろにはいって、ろうそくの光で、てらしてみせた。そのときトムは、この小さい滝がカーテンのような役めをし、そのうしろに、けわしい天然の階段のおり口がかくされているのに、気がついた。すると、たちまち、発見者になってやるぞという野心のとりこになった。トムのさそいに、ベッキーもすぐ賛成した。これからの道しるべに、ろうそくの油煙で目じるしをつけて、さっそく探検に出発した。まだ、だれも知らぬひみつの奥深くたずねて、あっちこっちと道をたどり、また、べつの目じるしをつけては、あとで上の世界の人間たちに話す新発見の種をみつけようと、もっとさきのわき道を進んでいった。すこし広いところにでた。その天じょうからは、太さも、長さも、おとなの足ほどある鍾乳石がきらきら光って、たくさんぶらさがっていた。ふたりは、そのありさまに、おどろいたり感心したりしながら、歩きまわったあげく、たくさんある道の一つをえらんで、そこをでた。その道をいくと、まもなく、なんともいえないほど美しい、いずみのほとりにでた。いずみの底は、ちかちか光る水晶の霜紋《そうもん》もようでしきつめられていた。ほら穴のまん中にわく、このいずみのまわりの壁は、あやしい形をした石の柱が、あるいは上からさがり、あるいは下からだけのこのようにぬけでて、おもしろい形を作っていた。いく千年ものあいだ、たえまなくしたたりつづけた水が作りあげた、ふしぎな見ものだった。天じょうには、何千というこうもりのむれが、たばになってぶらさがっていた。ろうそくの光におどろいたこうもりの大群は、きいきいと、なき声をたててまいおり、ものすごいいきおいで、ろうそくめがけておそいかかった。トムは、こうもりの習性を知っていたし、そのおそろしさも知っていた。で、あわてて、ベッキーの手をつかむと、いきなり、目についた小道にとびこんだ。が、それもまにあわなかった。ベッキーがそこをにげだすまえに、おそいかかったこうもりの羽ばたきで、ベッキーのあかりはけされてしまった。こうもりは、なおも遠くまで、子どもたちを追っかけてきた。でも、追っかけられたふたりは、みつかった新しい通路ごとにどんどんとびこんで、やっと、どうやら危険をまぬかれた。それからまもなく、トムは地下の湖を発見した。その湖は、ぼんやりとかすかにのびひろがり、そのさきは影にすいこまれて見えなくなるまで、ずっとつづいていた。トムは、ぜひとも、そのまわりを探検したいと考えたが、まずそのまえに、こしをおちつけて、しばらく休もうと思いついた。で、そうやってみると、あたりのしいんとした深い静けさが、はじめて、子どもたちの心を、しっとりとつめたい手でつかんだ。ベッキーがいいだした。
「まあ、ちっとも気がつかなかったけれど、お友だちの声をきかなくなってから、ずいぶんになるんじゃない?」
「そういえば、ベッキー、ぼくたちは、みんなのいるところより、ずっと下にきちまったんだよ――北だか、南だか、東だか、どっちのほうだか知らないけど、ずっと遠くへきちまったらしいや。ここから、みんなの声はきこえやしないよ。」
 ベッキーは、心配になってきた。
「ねえ、トム、あたしたち、もうどのくらい、ここにいたかしら。帰ったほうがいいわね?」
「そうだね、いいかもしれないね。きっと、そのほうがいいよ。」
「道、わかる? わたし、どこもかしこも、みんなこんがらがっちゃったわ。」
「みつかると思うけど――あの、こうもりのやつがいるからなあ。もし、ふたりとも、ろうそくをけされちまったら、たいへんだぜ。あすこを通らないように、べつの道をみつけようよ。」
「そうね。でも、まいごにならなければいいけどなあ。そうなったら、とてもこわいんですもん!」
 ベッキーは、ほんとに、そうなりそうなおそろしいときを考えて、ふるえあがった。
 新しい横穴の口があらわれるたびに、もしや、見おぼえのあるしるしがありはしまいかと、ながめながら、長いあいだ、おしだまったまま進んでいった――でも、どの道も、なじみのないものばかりだった。トムが、しらべてみるたびに、ベッキーは、顔をのぞきこんで、希望のしるしを読みとろうとし、トムはまた、げんきそうにさけぶのだった。
「あっ、これでいいんだ。まえに通った道じゃないけど、すぐもとの道へでられるぞ!」
 とはいうものの、失敗をかさねるごとに、だんだん、のぞみはうすれてきた。こうなると、もうまったくでまかせに、横道さえあれば、どこへでもとびこんでいくようになった。どうしてもでたいと思う道にたどりつこうと、必死の努力がはじまったのだ。トムはまだ、口さきでは「これでいいんだ」といっていたが、心はなまりのように重くしずみ、ことばには、はりがなくなり、まるで「ああ、もうだめだ!」といっているようにひびいた。ベッキーはあまりのおそろしさに、ぴたりとトムによりそっていたが、どんなにこらえようとしても、やはり涙がでてきてしまうのであった。とうとう、ベッキーはいった。
「ねえ、トム、こうもりなんか、かまやしないわ、あの道へもどりましょうよ! わるいほうへ、わるいほうへ、いってしまうような気がするわ。」
 トムは立ちどまった。
「だまって!」
 深い深い静けさ――ふたりのはく息さえ、大きく耳につくほどの静けさ。トムはさけんだ。その声は、こだましながら、がらんどうの道をつたわっていき、遠くのほうで、あざわらうように、ぶきみなさざめきをのこし、やがて、かすかにきえさった。
「もう、やめてよ、トム。こわくってしようがないわ」と、ベッキーがいった。
「こわいよ。でも、やってみたほうがいいんだぜ、ベッキー、みんながききつけるかもしれないもの。」
 そして、トムはまた、さけんだ。
 この「かもしれない」は、あのぶきみな声より、もっと、ぞっとするほどおそろしかった。これでは、のぞみが、しだいにきえはてていることを白状しているのと、同じではないか。ふたりはじっと立ったまま、耳をすませた。けれども、なんの答えもなかった。トムは、くるりとうしろをむくと、足早にいまきた道を歩きだしたが、その自信のなさそうなトムのようすが、まもなく、ベッキーに、もう一つのおそろしい事実をさとらせた――トムは、あの場所にもどる道さえ、みつけられないのだ!
「まあ、トム、あんた、目じるしつけておかなかったのね!」
ベッキー、ぼくは、ばかだったよ! まったくばかだった! あともどりするかもしれないなんて、考えもしなかったんだ! そうだよ――道がわからないんだ。すっかりこんがらがっちまったんだ。」
「トム、トム、まいごになったのね! あたしたち、まいごになったのね! このおそろしいところから、どうしてもでられないのね! ああ、どうして、わたしたち、みんなとべつべつになったのかしら!」
 ベッキーは、へたへたとすわりこんで、ひきつけたようになきだした。そのなき声があまりすごいので、トムは、ベッキーが死ぬのではないか、気がくるうのではないかと思ったほどだった。トムはそばにすわって、ベッキーをだいた。ベッキーはトムの胸に顔をうずめ、しがみついて、おそろしさと、いってもかいのない後悔をしゃべりたてたが、すると、それがまた、遠くであざけりわらうような声になって、こだましてくるのだった。トムは、どうか希望をもってくれるようにたのんだ。ベッキーは、とうていだめだと答えた。トムは、ベッキーをこんなみじめなはめに追いこんだことで、自分をせめ、ののしりだした。これは、いくらかききめがあった。ベッキーは、トムさえ、二どとあのようなおそろしいことばをいわなければ、もう一ど、のぞみをもつようにつとめてみようと、立ちあがって、どこだろうとつれていってくれるところへ、勇気をだしてついてゆく、といった。おちどがあったのは、あたしだって同じだからと、彼女はいった。
 そこで、ふたりは歩きだした――あてもなく――ただでまかせに――ふたりにできることは、歩くこと、ただ歩きつづけることだけだった。しばらくのあいだ、希望がよみがえってきたようにみえた――べつに、どうというわけがあったからではなく、年をとって、かさなる失敗で、はねかえす力をうしなったものならとにかく、希望というものは、またよみがえる性質をもっているものだからである。
 やがてトムは、ベッキーのろうそくをとりあげて、ふきけしてしまった。この節約には、大きな意味があった! ことばで説明する必要はなかった。ベッキーには、すぐそのわけがわかって、ふたたび絶望にとらわれた。トムのポケットに、手をつけないろうそくが一本、もえのこりのが三つか四つあるのを、ベッキーは知っていた――それなのに、倹約しなければならないとは……。
 そのうち、つかれがはっきりあらわれだした。子どもたちは、そんなことは気にしないことにした。たいせつな時間がたっていくのに、ただぼんやりすわって休むなんてことを考えるのは、おそろしいことだった。ある方向へ、ともかく、どちらかの方向へ歩いていくことこそ、すくなくとも前進であり、よい結果をうるかもしれないのだ。が、すわりこむのは、死をまねくことだし、追いかけてくる死との距離をちぢめるというものだ。
 とうとう、ベッキーの弱い足では、もうそれ以上、歩けないときがきた。ベッキーはすわりこんでしまった。トムはそばにこしをおろして、家のこと、友だちのこと、気持ちのよいベッドのこと、そしてとりわけ、明るいあかりのことを話しあった。ベッキーはないた。トムは、なにかなぐさめになるようなことをいおうとしたが、どれもこれも、使いふるしたぼろぎれのようなことばかりで、かえって、あてこすりのようにきこえた。ベッキーは、しんからつかれきって、うつらうつらと、ねむってしまったほどである。トムはありかたかった。そばで見ていると、ベッキーのまゆをしかめた顔も、楽しい夢のためか、だんだんほぐれて、いつもの顔にかえっていったからである。そのうちに、ほほえみのかげがさし、笑顔になった。安らかなその顔からは、やわらぎの光のようなものがさし、それがトムの心にもしみわたって、トムはすぎさった日の楽しい夢のような思いにふけった。そうして、トムが深いもの思いにふけっているとき、ベッキーは、さわやかなわらい声をたてて目をさました――が、その声はたちまちくちびるにこおりつき、もれてでたのは、うめき声だった。「まあ、どうしてねむれたのかしら! もう、目なんかさめなければよかったのに! ううん、ちがうわ、トム! そんな顔して見ないでよ! ね、もういわないから!」
「きみがねむったんで、うれしかったよ、ベッキー。くたびれがなおったろ。さ、道をさがしにでかけようじゃないか。」
「ええ、いきましょう。でもねえ、トム。わたし、夢で、そりゃ、きれいなお国にいたのよ。これから、そこへいくような気がするわ。」
「そうじゃないよ、そうじゃないったら。げんきだせよ、ベッキー。さ、さがしにいこう。」
 ふたりは立ちあがると、手をとりあって、のぞみもなくさまよいだした。ふたりは、ほら穴にはいってからどのくらい時間がたったか、かんじょうしてみようとしたが、ただ、いく日か、いく週間かたったような気がするだけだった。しかし、持っていったろうそくが、まだなくならないのだから、そんなはずのないことだけはたしかだ。それからずっとあとからになってから――どのくらいだったのか、ふたりともいえないが――トムは、水のしたたる音にきき耳をたてながら、いこうじゃないか、なにしろ、いずみをみつけださなくちゃいけないから、しずかに歩こうといいだした。それからまもなく、いずみはみつかった。トムは、また休み時間がきたといった。ふたりとも、つかれきっていたが――ベッキーは、もうすこし歩いてみましょうよといった。が、おどろいたことには、トムが賛成しなかった。ベッキーは、なんのことやらわけがわからなかった。ふたりはこしをおろした。トムがまえの岩のくぼみに、上をくっつけて、ろうそくを立てた。ふたりとも考えこんで、しばらくのあいだ、おしだまったままだった。やがて、沈黙をやぶったのはベッキーだった。
「トム、おなか、すいたわ!」
 トムはポケットから、なにかをとりだした。
「これ、なんだかおぼえてる?」
 ベッキーは、ほほえみのかげをうかべた。
「あたしたちの結婚式のお菓子じゃないの、トム。」
「そうさ――こいつがたるぐらいでっかいといいんだけどな。だって、たべるものったら、これきりしかないんだもの。」
「あたし、それ、ピクニックのおべんとうの中からとっといたのよ、トム。おとなが結婚式のお菓子《かし》をとっておくように――でも、これも、とうとう――」
 とうとう、なにになってしまったかは、ベッキーはいわなかった。トムがお菓子を半分にわり、自分のわけまえをちびちびかじっているまに、ベッキーはがつがつたべてしまった。ごちそうのあとに飮むつめたい水は、たっぷりあった。やがて、ベッキーが、また歩きだしてみようといいだしたが、トムはだまっていた。が、しばらくしてから、こんなことをいいだした。
ベッキー、ぼくのいうこと、がまんしてきいていられるかい?」
 ベッキーは顔色をかえたが、たぶん、できるだろう、と答えた。
「よし、そんならいうけどね、べッキー。ぼくたちは、この、飲み水のあるところにいなけりゃいけないんだよ。このちっぽけなろうそくが、さいごのろうそくなんだぜ!」
 ベッキーは涙を流して、おいおいとないた。トムは力のかぎりなぐさめたが、ほとんど、なんのききめもなかった。ベッキーはいった。
「トム!」
「なにさ? ベッキー。」
「みんなが、あたしたち、まいごになったのがわかったら、さがすでしょうね!」
「そうだ! さがすね、きっと、さがすよ!」
「ねえ、トム、いまごろは、さがしてるかしら。」
「うん、さがしてるかもしれないね、だといいんだが。」
「あたしたちがいないこと、いつ気がつくかしら?」
「船に帰ってからだろうね。」
「でも、それだったら、もうくらくなっているわ? トム――あたしたちがいないのに気がつくかしら?」
「わかんないなあ。でも、どっちみち、きみんちのママはみんなが帰るとすぐ、きみがいないのに気がつくさ。」
 ベッキーの顔色がさっとかわったので、トムは、自分のへまに気がついた。ベッキーはその晩、うちに帰らないことになっていたではないか! ふたりはだまりこんで、もの思いにふけった。ベッキーがとつぜん、悲しそうになきだした。すぐ、トムは、自分がいま考えていたことをベッキーも思いあたったのだ、とさとった――ベッキーがハーパー家にとまらなかったということを、サッチャー夫人が知るのは、日曜の朝もなかばすぎになるだろう、ということだ。
 子どもたちは、わずかなろうそくののこりを、じっとみつめていた。ろうそくはゆっくりと、なさけようしゃなくとけていった。ついに半インチばかりのしんが、心細く立っているだけになった。弱いほのおがすっとのび、ちぢみ、うすい油煙の柱がまっすぐのぼっていき、しんの頂上で、いっとき、立ちまよった、と、思うまに――ああ、ついに、おそろしいまっくらの世界がやってきた――ベッキーが、トムの腕の中でないている自分に、ようやく気がつきだしたのは、それからどのくらいたってからだったろう――ふたりとも、それをいうことはできなかった。ふたりの知っていることといったら、気をうしなったように、ぼうっとねむったようなありさまから目ざめて、あらためて、自分たちのみじめさに気がちつくまでには、長い長い時間がたったような気がしたまでのことだった。もう日曜日になったにちがいないと――いや、月曜日かもしれないなと、トムはいった。ベッキーに口をきかせようとしたが、ベッキーは悲しみにおしひしがれ、絶望のとりこになっていた。ふたりがいなくなったのは、とっくにわかっていて、きっと、さがしているよと、トムはいった。大きな声でどなってみようか、だれかきてくれるかもしれない。トムは、さけんでみた。が、まっくらなやみの中にいて、遠くにきこえるこだまは、あまりにおそろしすぎたので、二どとやる気はなくなった。
 時はいたずらに流れていった。がまんできない空腹が、この小さいとらわれ人を苦しめた。トムがたべのこしておいたお菓子を半分にわって、ふたりはたべたが、たべないまえより、いっそう腹がへったような気がした。なさけないひとかけのたべもののおかけで、ますます食欲をそそられただけだった。
 やがて、トムがいいだした。
「しい! あれ、きこえるかい?」
 ふたりは息をのんで、耳をすました。かすかに、かすかに、はるか遠くから、人のさけぶような音がひびいてくるようだった。とっさに、トムはさけびかえした。そして、ベッキーの手をひき、音をたよりに、やみの中を歩きはしめた。トムはまた、耳をすました。また、かすかなひびきがつたわってくる。しかも、たしかにまえより近づいた感じだ。
「捜索隊だぜ!」と、トムはいった。
「やってきたんだ、ベッキー――ああ、助かった!」
 とらわれ人たちのよろこびは、なんといっていいかわからぬほど、大きかった。しかし、足の運びはおそかった。あちこちに落とし穴がいくらもあって、用心しなければならなかった。すぐ、穴にぶつかった。いやでも、とまらないわけにはいかない。その穴は三フィートの深さかもしれないし、ひょっとしたら百フィートもあるかもしれない――こんなのに出あったら、とてもこえていけるわけがない。トムは腹ばいになって、できるだけ手をのばしてみた。底なしだ。どうしても、ここでとまって、捜索隊がくるのを待つよりほかはない。ふたりは、じっときき耳をたてた。あの遠くのさけび声は、たしかに、だんだん遠くなっていくようだ! しかも、まもなく、そのかすかな音もまったくきえてしまった。ああ、そのときの心細いみじめさといったら! トムは、のどがからからになるまで、ほえたてた。が、なんの役にもたたなかった。ベッキーには、いかにものぞみがありげに話してもみたが、長いあいだ、胸をふるわせて待っても、もうあの音は、二どと帰ってこなかった。 ふたりはまた手さぐりで、いずみのところまで帰ってきた。ものうい時が、ぐずぐずとすぎていった。ふたりはまたねむった。そして、飢えになやみ、悲しみにうちのめされて、目をさました。この日は火曜日にちがいないと、トムはけんとうをつけた。
 このとき、トムの頭に、ある思いつきが、うかんだ。すぐ手近なところに横道がいくつかあったはずだ。こうなにもしないで、ぐずぐず、やりきれない時間をもてあましているより、そのどれかの道の探検にかかったほうがましではないか。で、ポケットからたこ糸をとりだして、岩のでっぱりに結びつけ、ベッキーといっしょに出発した。トムはさきに立ち、手さぐりで進んでは、糸をほどいていった。二十歩ほどで、がけになっているところにでた。トムはひざまずいて、下のほうに手をのばした。それからカーブしている穴のまわりを、手のとどくかぎりさぐってみた。そして、右のほうへ、もうひと息手をのばそうとした、ちょうどそのとき、二十ヤードとはなれないさきの岩かけから、ろうそくを持った手が、にゅうとあらわれた! トムが、うれしさのあまり、わっと大声をあげたとたん、ひとりの男のすがたがあらわれたが、なんとそれは、インジャン・ジョーだ! たちまち、からだじゅうの力がいっぺんにぬけ、トムは動けなくなってしまった。が、つぎの瞬間、いそいですがたをけして、〈スペイン人〉がにげていくのをみたとき、トムはまったく心の底からほっとした。ジョーがトムの声をききわけて、法廷で証言したしかえしにやってきて、つかみころさないのをふしぎに思ったが、こだまがトムの声をかえてしまったのだろう。たしかにそれにちがいないと、トムは考えた。でも、死ぬほどのおどろきで、からだじゅうの筋肉という筋肉の力がぬけてしまった。トムは、もしあのいずみまで帰れるほどの力があるなら、もうあそこで、じっとしていよう、二どとインジャン・ジョーに出会うような危険はおかすまいと、ひとり考えた。そして自分が見たことは、ベッキーには注意ぶかくかくして、〈えんぎのいいように〉どなったまでなのだ、と説明しておいた。
 しかし、飢えと不幸の連続は、しまいにはおそれの気持ちにうちかつものだ。またいずみのそばで、あきあきするほど長い時間をすごし、もう一ど長いねむりからさめると、気持ちがかわってきた。目をさました子どもたちは、はげしい飢えに苦しめられた。きょうは水曜日かと、トムは考えた。いや、木曜日かな、いや金曜日かもしれない、ひょっとしたら土曜日かもしれないとさえ思った。人びとは、捜索をうちきってしまったのかもしれない。もう一つべつの道を探検してみようと、トムはいった。インジャン・ジョーだろうがなんだろうが、どんなおそろしいことにも、すすんでぶつかっていく気になった。しかし、ベッキーの弱りかたはひどかった。すっかりげんきをなくしてしまい、立ちあがる気力は、ぜんぜんなかった。ベッキーは、ここで待っているわ、もう長いことはないのだから、ここで死んでいくわ、といいだした。――トムは、たこ糸を持って、すきなだけ探検にでかけるのもいいけど――おねがいだから、ちょいちょい帰ってきて、その話をしてちょうだい、といった。そして、おそろしい時がせまったら、そばにいて手をにぎり、死の苦痛がおわるまで、そのままいてくれるよう、トムは約束させられた。
 トムは、胸のふさがる思いで、ベッキーにキスをした。そして、捜索隊の人をみつけだすか、ほら穴からのがれる自信があるようなようすをしてみせた。それから、たこ糸を持ち、飢えになやみ、目のまえにせまったさいごの運命に心をくらくしながら、四つんばいになって、一つの道へ、手さぐりにはいっていった。