『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第18章から第25章まで(一回目の校正おわり)

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スキャン、■31-■59、50枚、28分
OCR50枚、■25-■39、
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入力、■08-■27、19分、P007-P023、
■32-■49、17分、P024―P050
■06-■25、19分、P051-P067
■34-■56、22分、P068―P087、
■05-■23、18分、P088-P105

18 夢のふしぎ
 なかまの海賊といっしょに村に帰り、自分たちの葬式に立ちあう計画――これが、トムのだいじなひみつだった。彼らは、土曜日の夕暮れ、丸太にのって、ミシシッピ川を横ぎり、村から五、六マイル川下の岸についた。そして、村はずれの森の中にはいりこんで、夜明けまで、そこでねむった。それから、裏道や小道づたいに歩いて村の教会堂にしのびこみ、こわれかけたいすが、ごたごたおいてある回廊で、また、ねむりなおしたのだ。
 月曜日の朝の食卓で、ポリーおばさんもメァリーも、たいへんトムにやさしかった。なにかと、気をくばってくれた。なにしろ、話は山ほどあった。話のとちゅう、ポリーおばさんがいった。
「あのね、トム、おまえたちがさんざ楽しんでいて、こっちに、一週間も青くなって心配させるなんて、あんまりほめたいたずらじゃないね。そのあいだ、わたしをこんなに苦しめるなんて、そんなつめたい心の子かと思うと、なさけないね。丸太にのってお葬式にこられるんなら、せめておまえが死んでない――ただ、うちをでただけだと、そっと、ここへきて、なんとかして、わたしに知らせられそうなものじゃないか。」
「そうよ」と、メァリーもいった。
「できたはずよ、トム。あんた、考えつきさえすれば、きっとそうしたろうと思うわ、ね。」
「そうかい、トム?」と、ポリーおばさんは、そうしてくれたらよかったといいたそうに、顔をかがやかせた。
「もし、おまえが考えつけば、ほんとにそうしたかい?」
「おれ――うん、わかんないや。そんなことしたら、ぶちこわしになっちまうもの。」
「トム、わたしは、おまえが愛してくれるのを、こんなにのぞんでいるんだよ。」
 ポリーおばさんは、悲しみをこめてこういいだしたので、トムはこまってしまった。
「かりに、おまえがなんにもしなくても、考えてくれたことだけでもいいのにねえ。」
「ねえ、おばさん、トム、わるいんじゃないのよ」と、メァリーが弁護した。
「むてっぽうなのよ――いつもトムは、むちゃばかりして、ものを考えてなんかみないんですもの。」
「なお、なさけないじゃないか。シッドなら、きっと考えてくれたよ。そして、帰ってくるよ。トム、おまえだって、いつかはきっと、むかしを思いだしてみるようになるんだよ、だけど、そのときはもう手おくれなんだよ。むずかしいことじゃないんだから、もうちょっと、おばさんのことを考えてあげればよかったのにと、後悔するだろうよ。」
「だけど、ぼくだって、おばさんのこと考えてるよ。」
「そんなそぶりでもみせてくれたら、よかったろうにね。」
「考えればよかったなあ」と、トムは、いくらか後悔したような様子でいった。
「でも、おばさんの夢は見たよ。それだって、やっぱり、いいことなんだろう?」
「たいしたことじゃないね――ねこだって、もっとましなことをするよ――だけど、まあ、なんにもないより、いいかもしれないね。それで、どんな夢を見たの?」
「あのね、水曜日の晩、おばさんが寝台のわきにすわってるとこ、夢に見たの。シッドが、たきぎ入れのそばにこしかけて、となりにメァリーがいたよ。」
「ああ、いつものとおりね。いつも、わたしたちは、そうしているものね。まあ、夢で、いろいろ心配してくれて、わたしもうれしいよ。」
「それから、ジョー=ハーパーのおかあさんも、いっしょにいたと思うな。」
「あら、あの人は、ほんとに、ここにいたんだよ! それから、もっと、ほかのこと見たのかい?」
「ああ、たくさん見たよ。でも、よくおぼえてないよ。」
「でも、思いだしてごらん――ねえ。」
「それから、風が、――風がどうかしたんじゃなかったかなあ――ええと、風がふいて――」
「思いだしてごらん! 風がふいて、どうしたのさ?」
 トムは、ひたいに手をあてて、しばらく考えこんだ。
「わかった! やっとわかった! ろうそくの火がゆれたんだ!」
「まあ! さ、それから? トム――いってごらん!」
「それから、おばさんが、こんなこといったような気がするんだ。『きっとまた、ドアが――』」
「それから? トム!」
「ちょっと考えさしてよ――あ、そうだ――『きっとまた、ドアがあいてるんだよ』って、おばさんがいったよ。」
「いいましたよ! たしかに、いいましたよ! ねえ、メァリー、いったねえ! さ、それから!」
「それから――あんまりはっきりしてないが、シッドに、なにかやらしたんじゃなかったかなあ――ええと――」
「えっ? なんだって? わたしがシッドになにかやらせたんだって? トム。わたしがなにをやらせたの?」
「おばさんがね――おばさんが――ああ、シッドにドアをしめさせたんだ。」
「まあ、どうしよう! こんなふしぎなことってきいたことがないよ! 夢なんかなにも意味はないなんて、これからは、だれにもいわせないよ。セレニー=ハーパーには、さっそくしらせてあげなくちゃ。またあの人が、迷信だなんて、ばかなことをいって、この話をごまかすところを見たいもんさ。さあ、それから、どうしたの、トム!」
「ああ、やっと、すっかり、わかってきた。それから、おばさんは、ぼくのことを、あの子は不良じゃない、ただいたずらで、むてっぽうだっていったんだよ。だから、分別もないんだって――ええと、なんだっけな――子馬じゃなかったかな、子馬かなんかと同じなんだって。」
「そうそう! まあ! さ、それから、トム!」
「それから、おばさんはなきだしたんだ。」
「そうだよ。わたしはないたよ。もっとも、そのとき、はじめてないたんじゃないけれど。それから――」
「それから、ハーパーのおばさんがなきだしたんだよ。ジョーも、ぼくみたいなんだって。クリームをなめたと思ってぶったけど、あんなことしなければよかったといって、なくんだ。あれは、おばさんが自分ですてたのをわすれて――」
「トム! おまえには、精霊がのりうつったんだよ! おまえは予言者だよ――おまえのいったことは、予言だよ! まあ、なんてことだろう、それから、どうしたの、トム!」
「それから、シッドが――シッドがいったんだ――」
「ぼく、なんにもいわなかったと思うがな」と、シッドがいった。
「いいえ、いったわよ」と、メァリーが口をだした。
「さ、みんなはだまって! トムに話させるんだよ! シッドが、なんていったんだって、トム?」
「シッドがいったんだ――と思うんだ――ぼくがしあわせになっているといいんだがなあってさ。でも、ぼくが、生きているうちに、もうすこしいい子だったらって――」
「ほうら、きいたかね! シッドがいったとおりじゃないか!」
「それから、おばさんが、おだまりって、シッドをしかったんだ。」
「まったく、そのとおりだよ。あのときは天使《てんし》がいなすったにちがいない。どこかに、天使がいなすったんだねえ。」
「それから、ハーパーのおばさんは、ジョーにかんしゃく玉でおどかされた話をしたし、おばさんは、ピーターと鎮痛剤の話をして――」
「まったく、そのとおり!」
「それから、ぼくらのために、川さらえをやってる話や、日曜日のお葬式の話をうんとして、それから、おばさんとジョーのおかあさんとが、だきあってないてから、あのおばさんは帰っちまったんだ。」
「そのとおりさ! まったく、あのときのことを、そのまま、おさらいをしてるみたいに、そっくりだよ。トム、おまえが見ていたって、これほどには話せやしないよ! さ、それからなにがあったの? 話しておくれ、トム!」
「それから、おばさんは、ぼくのためにお祈りしてくれたような気がするよ――あのときのおばさんのすがたや、おばさんのいったこと、はっきり見えるようだよ。それからおばさんは、寝床にはいったんだ。ぼくは、あんまり気のどくになったもんだから、いちじくの木の皮に、『ぼくたちは死んでません――ただ、海賊ごっこをしてるだけです』って書いて、テーブルの上のろうそくのそばにおいたんだよ。そして、おばさんの寝顔を見ると、とてもいい人みたいな気がして、ぼく、そっとかがんで、くちびるにキスしたと思うんだよ。」
「ええ、トム、おまえ、キスしたの! それだけで、おまえのやったことは、みんなゆるしてあげます!」
 おばさんは、おしつぶしそうにトムをだきしめた。トムは、自分がとても罪がふかいような気がした。
「ずいぶん思いやりがあるんだなあ、でも、――夢だもんねえ。」
 シッドが、やっときこえるくらいの声で、ひとりごとをいった。
「おだまり! シッド。ひとは、夢の中でもおきているときと同じことをするものなんだよ。さあ、トム、この大きなミラムりんごは、おまえが帰ってきたらと思って、とっておいてあげたんだよ、――そら、もう学校へいっておいで。わたしは、神さまに、われら一同の父なる神に、おまえをかえしてくださったことを感謝いたします。神さまは、神を信じ、みことばを守る者たちに、しんぼう強く、みめぐみをたれてくださるのです。そりゃ、わたしは、そんな、みめぐみをいただくだけのねうちのない者にはちがいないけれど、もしねうちのある人だけが、神の祝福をうけ、苦しいときにすくっていただけるものだとしたら、この世でわらうことのできる人だって、いくらもなかろうし、いよいよ、おむかえがきたときにも、神さまのおそばで休ませていただけるような人は、あんまり、あるまいと思うよ。さ、いってらっしゃい、シッドも、メァリーも、トムも――さあ、でかけるんですよ――わたしも長いこと、ひまっぶしをしたからね。」
 子どもたちは、学校へでかけた。老婦人はトムのすばらしい夢で、ハーパー夫人の現実主義をもみつぶしてやるために、彼女をたずねることにした。シッドは、りこうな子だったから、うちをでるまえに、自分の考えを口にはださなかった。彼の考えというのはこうだった。
「どうもあやしい――あんな長い夢で、すこしもまちがってないなんて!」
 さて、いまや、トムは、なんというすばらしい英雄になっていたことだろう! 彼は、とんだり、はねたりなんかしては歩かなかった。自分が世間の人の注目を集めていることを、ちゃんとこころえている海賊らしく、堂々と、いばって歩いた。ほんとうに、すべての人の目がトムにそそがれていたのだ。トムは、ずっと歩いていきながら、ひとの顔つきや、いうことには、知らぬふりをしていたが、じつは、たまらなく、そのことが知りたかったのだ。ちびさんたちは、トムといっしょのところを人に見られたり、トムのそばにいさせてもらえたりするのがうれしくて、ぞろぞろ、あとからついてきた。トムはちょうど、行列の先頭に立って歩く鼓手が、村にくりこんでくるときの、サーカスのさきばらいのぞうみたいだった。同じ年ごろの少年たちは、トムがよそへいってきたことなどは、まるで知らないようなふりをしていたが、やはり、子どもたちはうらやましさに胸をふくらませていた。あの日に焼けた浅黒い膚《はだ》の色、あのかがやかしい名声がえられるというのなら、おそらく、彼らは、なにものをもおしまなかったことであろう。そして、トムは、たとい、サーカスを一つくれるといわれたって、そのどちらも、ひとにゆずる気はなかった。
 学校では、子どもたちは、トムやジョーをたいへんだいじにし、どの目にもふたりを崇拝する気持ちがあらわれていたので、このふたりの英雄は、いくらもたたないうちに、鼻もちのならないほど慢心してしまった。ふたりは、待ちかねているきき手に、その冒険を話しはじめた――が、ふたりの話はいつもはじまりだった。ふたりの持っている想像力が、あとからあとから材料を提供するので、話は、けっしておわりまではいかなかったのだ。そして、さいごにパイプをとりだし、すずしい顔をして、たばこをくゆらしながら歩いてみせたときなどは、ふたりのとくいは絶頂に達したといってもよかったのだ。
 トムは、こんどこそ、ベッキーサッチャーのことは、わすれることができる、と考えていた。名誉だけでじゅうぶんだと思った。名誉のために生きよう。いまや、彼が有名になったので、ベッキーは、あるいは〈なかなおり〉をしたいと思っているかもしれない。うん、そんなら、そう思わせておけばいいのだ――だが、おれだって、だれかさんのように無関心でいられるということを知るがいいんだ。そのうちに、べッキーがやってきた。トムは、気がつかないふりをした。そしてむこうのほうへいって、ほかの男の子や女の子といっしょになって話しはしめた。まもなくベッキーが顔をほてらし、目をくるくるさせながら、そこらを陽気にかけまわっているのが、トムの目にうつった。友だちを追いかけ、つかまえたりすると、きゃっきゃっとわらって金切り声をあげる。トムは、彼女が、きまって、トムのいる近くで、友だちをつかまえること、また、そういうときにはいつも、トムのほうに、意味ありげな視線を投げかけるということに、気がついていた。これは、彼の心の中にあるいやしい虚栄心を、ひどくまんぞくさせた。だから、トムは心をひかれるどころか、ますます〈きどって〉しまい、いっそう、おまえなんぞ知らないよという態度をとるようになってしまった。まもなく、ベッキーは、からさわぎをやめ、ときどきため息をついて、ものほしそうに、トムのほうを見ながら、あたりをふらつきまわった。それから、トムがいまだれよりも、とくにエイミー=ローレンスに話しかけていることに気がついた。すると、べッキーは、きゅうに胸がしめつけられ、かっとなり、おちつけなくなってきた。彼女は、どこかへいってしまいたいと思うのだが、足がいうことをきかず、反対に、みんなの集まっているほうへひきよせられてしまうのだ。べッキーは、トムのひじにふれそうなほど近くにいる女の子に、げんきをだして話しかけた。
「そうそう、メァリー=オースティン! あなた、わるい子ね、どうして、このまえ、日曜学校へこなかったの?」
「あたしいったわよ――見なかったの?」
「うそでしょう! ほんと? どこにすわってたの?」
「ピータース先生の組だわ。いつだってあすこよ。あたし、あなたを見たわ。」
「ほんと? おかしいわね。あたし見なかったんだもん。ピクニックのこと、教えてあげようと思ったのよ。」
「まあ、すてき。だれがしてくださるの?」
「おかあさんが、みなさんをおよびしていいっておっしゃるの。」
「まあ、いいわねえ。あたしもよんでくださるといいんだけど。」
「およびするわ。そのピクニック、あたしのためにしてくれるんですもの。あたしがいっしょにいきたいと思うお友だちだったら、だれだっていいのよ。あなたも、さそうつもりだったのよ。」
「あら、すてき。いついくの?」
「もうじきよ。お休みになるころでしょう。」
「まあ、なんてすばらしいんでしょ! あなた、女の子も男の子も、みんなよぶの?」
「ええ、あたしのお友だちや――お友だちになりたい人はみんな。」
といいながら、ベッキーは、そっとぬすみ見るように、トムに視線を走らせたが、トムは、エイミー=ローレンスをあいてに、あのおそろしい島のあらしの話をしているところだった。彼は、自分の立っているところから、一メートルとはなれていない、いちじくの大木が、かみなりに〈こっぱみじん〉にひきさかれるありさまをきかせていた。
「わたしもいっていい?」と、グレィシー=ミラーがきいた。
「ええ、いいわ。」
「わたしは?」と、サリー=ロジャーズがきいた。
「ええ、いいわ。」
「わたしも?」といったのは、スージー=ハーパーだった。
「それから、ジョーは?」
「ええ、いいわ。」
 ぞくぞくと志願者がでてきた。そこにいる子どもたちはみんな、よんでくれといって、うれしそうにぱちぱち手をたたいたが、トムとエイミーだけはべつだった。トムは、しらん顔をして、エイミーとふたりで、話しながらむこうへいってしまった。ベッキーのくちびるはふるえ、涙があふれた。彼女は、むりに、はしゃいで、悲しいようすをかくし、さかんに、おしゃべりをつづけたが、ピクニックもおもしろくなくなり、なにもかもいやになった。そして、できるだけ早く、みんなからにげだし、ひとにかくれて、女の人のいう〈よよとばかり〉にないた。が、それから始業の鐘がなるまで、きずついた自尊心をひめて、じっとげんきなくすわりこんでいた。さて、鐘がなると、ベッキーは立ちあがり、うらみにみちた目を見はり、おさげをさっとふって、このしかえしは、きっとしてやるからといった。
 休み時間のあいだ、ひきつづき、トムは大とくいでエイミーとなかよくした。そして、ベッキーをさがしだして、これをみせつけてやろうと思って、あちらこちらと、うろつきまわった。しかしベッキーをさがしだすと、いままでのトムのげんきはたちまち、どこかへいってしまった。あろうことか、ベッキーは校舎のうしろの小さいベンチに、アルフレッド=テンプルとなかよくこしかけて、いっしょに絵本を見ていたのだった一本の上に二つの頭をすりよせて、すっかりむちゅうになっているので、ほかのことは、なんにも気がつかないといったようすだった。やきもちが、まっかにもえて、もうトムの血管をかけめぐった。ベッキーが、せっかく、なかなおりの機会をつくったのに、それをうけつけなかった自分が、われながらいやになってきた。ひそかに、自分をばかよばわりし、あらゆるひどい名でよんでみた。いらいらしてなきたくなった。エイミーは、トムとならんで、うれしそうにおしゃべりをつづけた。エイミーの心は、楽しくうたっているのに、トムの舌は、はたらく力をうしなっていた。エイミーが、なにをしゃべっているのか、トムには、きこえなかった。だから、エイミーが、答えを待ってひと息いれるたびに、とんちんかんなへんじを、つかえつかえするのがやっとだった。トムは、なんどもなんども、校舎のうしろへでていったが、そのたびに、あのにくらしい光景が、彼の目に焼きついた。それなのに、トムは、そこへいってみずにはいられなかった。そして、見るたびに、はらわたがにえくりかえるようだった。ベッキーサッチャーは、トムがこの世に生きていることなど、考えてもいないようだったからだ。しかし、ベッキーはちゃんと見ていた。そして、このたたかいには、自分が勝ちかけているのだということがわかった。自分が苦しんだように、トムも苦しんでいるのを見るのは、ゆかいだった。
 トムは、エイミーのうれしそうなおしゃべりには、もうがまんができなくなった。やらなければならないことがあるとか、かたづけなければならないことがあるとかいってみたり、時間がなくなりそうだといってみたりした。しかし、むだだった――エイミーはへいきでしゃべりつづけた。トムは、「ええ、ちきしょうめ、いったい、いつになったら、やっかいばらいができるんだろう?」と思った。とうとうトムは、そのしごとをしなければならないことをあいてにわからせた――エイミーは、むじゃきに、学校がひけたら、「そこいらにいるわよ」といった。トムは、そういうエイミーをにくみながら、いそいでむこうへいった。
「ひともあろうに」と、トムは、歯ぎしりしながら考えた。
「村のやつらならまだしも、セント-ルイスのおしゃれやろうじゃないか。あいつは、りっぱな貴族みたいななりをしてると思ってやがるんだ! へっ、いいさ、はじめてここへきた日になぐってやったのは、きみでしたねえ。またなぐってやろう! また、とっつかまえてやるから、待ってるがいいや! そうしたら、おれは――」
 そして、トムは空中にかいた少年にとびかかり――げんこでなぐったり、けっとばしたり、目玉をえぐりとったりした。
「さあ、どうだ、やるか? まいりやがったろう、どうだ? どうだ、思い知ったろう!」
 彼は、そうやって、すっかりまんぞくがいくまで、たたきのめしてやった。
 トムは昼の休みに、うちへとんで帰った。トムの良心は、エイミーのひとりよがりのよろこびにもがまんできなかったが、もう一つのやきもちも、それ以上がまんできなかった。べッキーは、またアルフレッドといっしょに絵本を見はしめたが、何分たっても、トムはやってこなかった。ベッキーの大勝利にも雲がかかりはじめた。さっぱり、おもしろくなくなってきた。気がめいり、ぼんやりし、とうとうゆううつになった。二ども三ども、足音に耳をすましたが、それも、ぬかよろこびで、トムはこなかった。べッキーはそのうち、まったくみじめな気持ちになって、こんなおしばいをしなければよかったと思うようになった。べッキーの気持ちがだんだんはなれていくのを見てとった、あわれなアルフレッドは、どうしてよいやらわからずに、
「ああ、おもしろいものがあるぜ、見てごらんよ!」とさけびつづけたが、ベッキーは、とうとうかんしゃくをおこして、
「まあ、うるさくしないでよ! おもしろくもなんともないわ、そんなの!」
といい、わっとなきだした。そして、立ちあがって、歩きだした。
 アルフレッドはならんで歩きながら、なぐさめようとしたが、ベッキーはいった。
「あっちへいってちょうだい。かまわないで! あんたなんて、きらい!」
 少年は立ちどまって、自分はなにをしたんだろう、と考えた――昼の休みを、ずっと絵を見てすごそうといったのは、ベッキーだったからだ。ベッキーは、なきながらいってしまった。そこで、アルフレッドは、人けのない教室へはいって考えこんだ。くやしくもあれば、腹もたった。アルフレッドは、すぐ真相をさぐりあてることができた――ベッキーは、トム=ソーヤーにたいして、かたきうちをするために、自分を利用していたにすぎないのだ。こう考えついたとき、トムがにくらしくてたまらなかった。自分はあまり危険をおかさずに、トムのやつを苦しめてやりたい、と考えた。トムの書き取り帳が、すぐ目のまえにほうりだしてあった。しめた、とよろこんで、午後にならうはずのページをひろげ、そこヘインキをこぼした。
 ちょうどそのとき、ベッキーは窓のうしろを通りかかって、それを見てしまったが、みつからないように、そっと、その場をはなれた。うちへ帰るとちゅう、トムをみつけて話してやろう、と思った。トムは、きっと感謝するだろう、そして、ふたりのあいだにある誤解もこれを機会にとけるだろう、と思った。しかし、また、うちにつくまえに気がかわった。ピ
クニックの話をしたときのトムの態度を思いだすと、また、かっとして、はずかしめをうけた気持ちにおそわれた。書き取り帳をだいなしにしてしまったことで、トムは、またむちのばつをくうがいい、自分はもう、永久に、トムをにくんでやろう、と決心した。

19 愛情のねうち
 トムは、しおれきってうちへついたが、すぐにおばさんのことばをきくと、彼の悲しみは、ここでもなぐさめてもらえないのだということがわかった。
「トム、わたしは、おまえのなま皮をひんむいてやりたいくらいだよ!」
「ぼくが、なにをしたっていうの? おばさん。」
「ああ、あれだけのことをすりゃあ、たくさんだよ。さっきわたしは、感心して、あの夢のばからしい話を信じこませようと、セレニー=ハーパーのところへでかけていったんだよ、ところが、まあ、なんてこったろう、あの人はジョーからきいて、おまえがあの晩、ここへやってきて、わたしたちの話をすっかりきいていったことを、ちゃんと知ってるじゃないかね。トム、こんなことをする子は、いまにどうなるとお思いだい? わたしにわざわざセレニー=ハーパーのところまでいかせて、はじをかかせておきながら、しゃあしゃあしてるなんて、ほんとになさけないじゃないか。」
 こうなると、事情はかわってきた。けさのトムはさっそうとして、たいそう気のきいたいたずらをしたと思っていたが、こんどは、ただ卑劣で、いやしくみえるばかりだった。首をたれ、しばらくのあいだ、なにをいったらいいか、なんのことばも、うかんでこなかった。しばらくしていった。
「おばさん、ぼく、あんなこと、しなければよかったと思うんだ――でも、考えなかったんだもん。」
「まあ、いつだって、おまえは考えたことなんかありゃしない。自分のことしか考えたことなんかありゃしないよ。あの晩、ジャクスン島からここへくるとちゅうだって、わたしたちがこまってるのをわらってやろう、あとで、夢だなんてうそをついて、わたしをわらい者にしてやろうぐらいのことを考えていたんだろ。それでも、わたしたちのことをあわれんで、悲しい思いをさせまいと考えることはできないのさ。」
「おばさん、いまになってみると、わるいことだってことわかるよ。でも、あのときは、わるいことをしようと思ったんじゃないんだよ。ほんとだよ。あの晩、おばさんたちのことわらってやろうと思ってきたんじゃないんだ。」
「それじゃ、なにしにきたんだね?」
「ぼくたち、おぼれ死んだんじゃないから心配しないようにって、おばさんにいいにきたんだよ。」
「トム、トム、おまえにそんなりっぱな心がけがあるとわかれば、わたしは、この世でいちばんしあわせな人間になれるんだがねえ。でも、そんなこと、ありっこないさ――わたしには、よくわかってるんだよ、トム。」
「ほんとだよ、おばさん、ほんとだったら――もし、そんなこと考えなかったっていうなら、死んだっていいよ。」
「トムや、うそをつくんじゃないよ――うそをつくもんじゃありませんよ。罪をかさねるだけですよ。」
「うそじゃないよ、おばさん、ほんとだよ。おばさんを悲しませまいと思ったんだよ――それだから、きたんじゃないか。」
「それが信じられたら、どんなことをしてもいいよ――ねえ、トム、それがほんとなら、山ほど罪ほろぼしができるというもんだよ。おまえがかってにうちをとびだして、わるいことばかりしても、わたしは、うれしいくらいのもんだよ。だけど、どうもおかしいねえ。――そんなら、なぜ、わたしにそのことをいわなかったの、トム?」
「うん、そりゃね、おばさんがおとむらいのことを話したでしょ。そのとき、ぼくは、きゅうに教会にこっそりかくれようと思いついたんだよ。それで、すっかりむちゅうになっちゃって、やめられなくなったんだよ。だから、いちじくの皮を、またポケットにしまいこんで、だまってたんだよ。」
「いちじくの皮ってなに?」
「ぼくたちが、海賊ごっこをやりにいってること書いてある皮さ。こんなことなら、おばさんにキスしたとき、おばさんが目をさましてくれりゃよかったんだがなあ――ほんとだよ、ほんとに、ぼく、そう思うよ。」
 おばさんのむつかしい顔がやわらいだ。そして、目が、きゅうにやさしくなった。
「わたしに、キスしたんだって? トム。」
「ああ、したんだよ。」
「たしかに、したんだね、トム?」
「そうなんだよ、おばさん、したよ――ほんとにたしかだよ。」
「なぜ、キスしたの? トム。」
「ぼくが、おばさんを愛してるからさ。おばさんがなきながらねているのを見たら、ぼく、とてもすまなくなっちまったんだ。」
 このことばには、真実らしいひびきがあった。老婦人は、声のふるえるのもかくすことができないで、こういった。
「さ、もう一ど、キスしておくれ、トム――そして、さあ、学校へいっといで。これからは、もうこんなことをするんじゃないよ。」
 トムがでていくとすぐ、おばさんは戸だなへ走りよって、トムが海賊ごっこにきてた、ぼろの上着をとりだした。それから、それを持つたままつっ立って、ひとりごとをいった。
「そうねえ、やめにしよう。かわいそうに、あの子は、おおかた、うそをついたんだろう――でも、あのうそは、うれしい、うれしいうそだねえ、なんとなくなぐさめられますよ。神さまはおゆるしくださることでしょう――いいえ、きっとおゆるしくださるにちがいない。トムは気持ちがやさしいから、あんなことがいえるんだもの。なにも、うそだってかまやしない。見ないでおくことにしよう。」
 おばさんは、上着をかたづけて、ちょっとのあいだ考えながら立っていた。二どまで、その上着をとりあげようとして、二どともやめた。それから、もう一ど、思いきって手をのばした。そのとき、彼女は、こんなふうな心がまえをしていたのであった。――「あれは、いいうそなのだ――ほんとうにいいうそなのだ――だからわたしは悲しまないことにしよう。」
 そこで、彼女は、ポケットをさぐった。すぐにおばさんは、いちじくの皮の手紙をなきながら読んで、こういった。
「ああ、いまこそ、あの子をゆるしてあげられる、たとい百万の罪をおかしたって、ゆるしてあげられる。」

20 身がわりに立つ
 ポリーおばさんが、トムにキスをしてくれたときのようすには、なにか、トムのしずんだ気分を、すっかりふきはらって、またげんきな幸福な少年にしてくれるようなものがあった。学校へひきかえすとちゅうで、牧場小路の入り口で、運よくベッキーサッチャーに出会った。トムはいつも、そのときの気分しだいで、でかたがちがうのだが、このときは、なんのためらいもなく、とんでいった。
ベッキー、ぼくのきょうのやりかた、とてもひきょうだったね、ごめんよ。もうこれからは、あんなこと、けっして、しないからね――きげんをなおしておくれよ、ね。」
 少女は立ちどまった。そして、さげすむような目つきで、トムの顔を見かえした。
「トム=ソーヤーさん、どうぞ、わたくしにはかまわないでちょうだい。もうあたし、あなたなんかと、二どと口をききませんわ。」
 頭をつんとうしろにそらして、いってしまった。トムはひどく面くらったので、気をとりなおして、「かってにしろ、すましや!」といおうとしたときには、もうあとのまつりだった。そこで、なにもいわずにしまったが、むやみに腹がたった。ふぬけのように、学校の運動場へはいっていきながら、あいつが男の子だったらいいのに、もし男の子だったら、めちゃくちゃにひっぱたいてやれるんだがなあ、と思った。まもなく、ベッキーをみつけたので、すれちがいざま、こっぴどいあくたいをついてやった。べッキーも負けずにいいかえした。ふたりはいかりを顔にあらわし、ふたりのあいだは、まったく戦闘状態にはいった。はらわたも煮えくりかえるような思いのべッキーは、学校の〈はじまる〉のが待ちきれないほどだった。早く、書き取り帳をよごした罪で、トムがむちでぶたれるのが見たくて、じりじりしていた。さっきまでは、アルフレッド=テンプルのことを、トムにしらせてやろうという気持ちがすこしはのこっていたのだが、トムのあくたいをきいてからというもの、そんな気持ちはすっかりふきとんでしまった。あわれな少女よ、あなたは、いまにも自分の身に災難がぶりかかってくるのを、すこしも知らないのだ。
 先生のドビンスさんは、まるで自分の野心がみたされないうちに、中年になってしまった人だった。医者になるのが、長年ののぞみであったが、貧乏にわざわいされて、村の学校の先生以上の地位にはのぼれない運命だった。先生は毎日、なにやらむずかしそうな本を、つくえからとりだして、どのグループも音読をしていないすきをねらって、いっしんに読みふけっていた。本は、いつもかぎのかかるひきだしにしまってあった。学校じゅうの子どもたちで、あの本をひと目見られたら、どうなったっていいと思わぬ者はひとりもなかったほどだったが、その機会は、これまでには、まだ一どもなかった。あれは、なんの本であろうかということについては、男の子も女の子も、それぞれ意見をもっていたが、どれひとつとして同じような意見はなかった。しかも、事実をつきとめる方法は、まったくないといってもよかった。さて、ベッキーが、入り口に近いところにある先生のつくえのそばを通りかかると、かぎ穴にかぎがささったままになっているのに、気がついた! これは、またとないチャンスだ。彼女は、すばやくあたりを見まわした。自分のほかには、だれもいない。つぎの瞬間、本はもう、ベッキーの手につかまれていた。とびらには、某教授の解剖学――と、しるされてあったが、ベッキーには、なんのことやらわからなかった。そこで、ページをめくりはじめた。と、すぐに色ずりのきれいな銅版の口絵があらわれた――まるはだかの人体図だ。そのとき、本の上に影がさした、と思うまもなく、つかつかと、トム=ソーヤーが戸口からはいってきて、その絵をのぞこうとした。ベッキーが、あわてて本をとじようとすると、運わるく、その口絵《くちえ》が、まん中あたりから、半分にさけてしまった。ベッキーは、本をひきだしに投げこみ、かぎをかけると、はずかしいのとおそろしいのとで、わっとなきだした。
「トム=ソーヤー。あなた、とてもいやな子ねえ。こっそり、そばへよってきて、ひとの見ているものをのぞくなんて!」
「きみがなにを見ているか、そんなこと、こっちの知ったこっちゃないや。」
「はずかしくないの、トム=ソーヤー。あなた、あたしのことをいいつけるつもりなんでしょう。ああ、あたし、どうしよう、どうしよう! むちでぶたれるわ。あたし、学校でぶたれたことなんか、一ぺんもないのに。」
 ベッキーは、小さい足をとんとふみならして、いった。
「したいんなら、たんといじわるするといいわ! あたしだって、いまにどんなことがはじまるか、知ってることがあるんだから、待ってて、あんたも、自分で見るといいわ! ええ、にくらしい、にくらしい、にくらしい!」――そして、彼女は、また、わあわあなきながら、教室をとびだしていった。
 このすさまじい攻撃に面くらったトムは、じっと立ちすくんでいたが、やがて、こんなことを考えていた。
「なんてみょうちきりんな、ばかな子だろう。学校でぶたれたことがないんだってさ! ちえっ。ぶたれるのがなんだい! まったく、女の子ってあれだからなあ――おこりっぽくって、いくじなしなんだ。へっ、あのおばかさんのやったことなんか、ドビンスのやつにいいつけたりしてたまるもんか、そんなけちなことしなくったって、ほかに、かたきうちのしかたはあるんだ。だけど、どういうことになるのかな? ドビンスのやつ、だれが本をやぶったかって、きくだろう。だあれもへんじをしない。そしたら、あいつのいつものくせで――じゅんじゅんに、ひとりずつきいていくだろう。そして、だれもなにもいわなくったって、ちゃんといたずらをした女の子なんかわかっちまうさ。女の子の顔には、ちゃあんと、書いてあるもんな。いつだって、そうなんだ。あいつらは骨なしだもの。ベッキーは、ぶたれるだろう。ふん、べッキー=サッチャーも、どんづまりに追いこまれるわけだな――のがれっこないもの」トムは、ちょっと考えこんでから、こうつけくわえた。
「ま、いいさ。ベッキーだって、おれがいたいめにあうのを見るのが、すきらしいからな――自分でも、そんなめにあってみるのもいいさ!」
 トムは、運動場で、さわぎまわっているなかまにはいった。まもなく先生もやってきて、授業がはじまった。トムは、勉強にあまり身がはいらなかった。女の子のほうの席に、ちらと目をやるたびに、ベッキーの顔つきが、なんだか心配になった。いろいろ、これまでのいきさつを考えあわせてみても、ベッキーをかわいそうに思う気持ちにはなれなかったが、トムが、自分の気持ちをもてあましていることは事実だったのだ。といって、うれしくてたまらないなんていう気持ちにはなれなかった。そのうち、書き取り帳のいたずらがみつかった。それからしばらくは、トムも、自分のことで頭がいっぱいになり、ほかのことなどを考えているひまがなかった。ベッキーは、一時は自分の災難もわすれて、この、ことのなりゆきに大きな興味をもった。トムが、自分の本に自分でインキをこぼしなどいたしませんと、がんばっても、災難をのがれられないだろう、とベッキーは思った。ところが、ベッキーのこの考えは正しかった。しませんといえばいうほど、トムの立場は、ますますわるくなっていくようだった。ベッキーは、これで、自分もうれしくなるだろうと考えた。むりにも、うれしいのだと信じようとした。けれどもベッキーには、そのへんのところが、どうもはっきりしなかった。そうこうしているうち、形勢は、だんだんわるいほうにむかっていった。そんなときなど、思いきって立ちあがり、アルフレッド=テンプルのことをいいつけてやろうかと思ったが、まあまあと胸をおさえて、じっとしていた――それは、心の奥で、こういっていたからだ。
「きっとトムは、あの本をやぶいたことをいいつけるにちがいない。ひとこともいうのはよそう、助けてやるのはよそう。」
 トムは、むちでぶたれてから、自分の席へもどってきたが、すこしもしょげてなどいなかった。トムは、わあわあさわぎまわっている拍子に、知らないで、インキつぼを書き取り帳の上にひっくりかえしたのかもしれない、と思ったからである――つまり、形式上、ともかくそんなことはしませんといいはったのにすぎなかったのだ。いつだって、そうなのだし、主義としても、がんばらなければならなかったというわけだ。
 まる一時間もたったころ、先生は玉座で、こくりこくり舟をこぎはじめた。教室じゅうの生徒たちがぶつぶついう声で、ねむけがおしよせてきたのである。やがて、ドビンス先生は、のびをし、あくびをしたかと思うと、つぎにつくえの錠をあけ、本をとろうとしてさぐった。が、しばらくは、とろうか、とるまいかと、まだ決心がっきかねるようすだった。たいていの子どもたちは、興味もなさそうにながめていたが、なかでふたりは、先生のようすを熱心に見守っていた。ドビンス先生は、ぼんやりと本をいじっていたが、やがてとりだすと、さあ読もうというかまえになった! トムは、ちらとベッキーのほうに目をやった。ベッキー銃口をつきつけられ、追いつめられ、進退きわまったうさぎの顔つきそっくりだった。ああ、そのときトムは、ベッキーとけんかをしていることをわすれた。さあ、いまのうち――なんとかしなくてはならない! それも、いっしゅんのまにしなければ! が、あまりとっさのことで、トムには、うまい考えがわかなかった。――よし!――いいことがある! さっとかけだしていって、ちょろっと先生から本をしっけいし、戸口からとびだして、きえていってしまったらどうだろう。が、ほんのいっしゅん、決心がにぶったすきに、チャンスはさってしまった――先生が本をあけてしまったのだ。ああ、さっきのチャンスが、もう一ど、もどってきたらなあ! 時すでにおそし。ベッキーは、もう助けられないと、つぶやいた。つぎの瞬間、先生の目は、教室じゅうを、じっとにらみつけていた。その視線に射すくめられて、みんな目をふせた。まったく無実の者までも、そのおそろしさにふるえあがらせるものがあった。十をかぞえるくらいのあいだ、しいんとしずまりかえった。先生は、ますますいかりをかきたてられているようすだったが、ついに口をきった。
「この本をやぶいたのは、だれだ?」
 もの音ひとつしない。針のおちる音さえ、ききとれたかもしれない。沈黙はつづく。先生は、犯人をみつけようとして、ひとりひとりの顔をのぞきこんだ。
「ベンジャミン=ロジャーズ、きみか?」
 ちがいます、という答え。また沈黙。
「ジョセフ=ハーパー、きみか?」
 また、しません。トムの不安は、この重苦しいしらべが進行するにつれ、ますます大きくなっていった。先生は、少年たちの列をまじまじとながめ――しばらく考えてから、こんどは、女の子のほうにむきをかえた。
「エイミー=ローレンス、あなたか?」
 頭をふる。
「グレィシー=ミラー?」
 同じく、いいえをする。
「スーザン=ハーパー、あなたがしたのかね?」
 同じく、いいえというへんじ。つぎは、ベッキーサッチャーだ。トムは、頭のさきから足のさきまで、興奮と絶望にかりたてられて、ふるえていた。
レベッカサッチャー。」(トムは、ベッキーの顔をちらっと見た――おそろしさに、まっさおだった。)
「あなたがやぶったのか?――いや、こちらを見なさい。(ベッキーは、ごめんなさいというように両手をさしあげた。)――この本をやぶいたのは、あなたか?」
 トムの頭に、ある考えがいなずまのようにひらめいた。彼は、さっと立ちあがって、
「ぼくがしたんです!」とさけんだ。
 教室じゅうの者は、とても信じられないほどの、このばかばかしいおこないに面くらって、目をまるくした。トムは、気をおちつけるために、しばらく立っていたが、やがてばつをうけるために歩いていった。そのとき、トムは、キベッーの目にうかんだおどろきと感謝と、尊敬にみちたかがやきを見て、百のむちをうけたって、じゅうぶんつぐないをしてくれるように思った。自分の英雄的なおこないに勇気づけられて、これまで、ドビンスさんがやったどんなばつにもくらべられないほどのざんこくなおしおきにも、さけび声一つたてず、りっぱにうけたのである。放課後二時間のこっておれ、というそのうえのざんこくな命令も、同じくへいきでうけた――釈放されるとき、だれが門の外で、たいくつな時間をいやがらずに、待っていてくれるか、トムは、知っていたからである。
 トムはその晩、寝床の中で、アルフレッド=テンプルにたいするしかえしの計画をたてた。さっき、ベッキーは、はじと後悔とにさいなまれながら、すべてをトムにうちあけたからだ。そのときベッキーは、自分がうらぎりをしたこともかくさずに、トムに話したのであった。けれども、しかえしの計画は、すぐ、楽しいもの思いにかわっていった。そして、ねむってしまったが、ベッキーのさいごにいったことばが、夢の中でも耳をさらなかった。
「トム、なんとあなたは、あんなけだかいおこないができるんでしょう!」

21 天じょうからねこ
 夏の休暇《きゅうか》が近づいた。いつも厳格な先生は、ますます厳格になり、びしびしやるようになった。〈成績発表会〉の日に、りっぱな成績を村の人たちに見せびらかしたかったからである。せめ道具のむちも、木べらも、使われないでいることはめったになかった――とくに、小さい生徒たちがやられた。むちや木べらをうけないのは上級の青年たちと、十八、九の娘さんたちだけだった。ドビンス先生のむちときたら、すごくいたいのだ。先生の頭は、しじゅう、かつらをかぶって、てかてかのはげをかくしているけれど、まだ中年に達したばかりで、筋肉はりゅうりゅうとして、すこしもおとろえていなかったからである。成績発表会の日が近づくにつれて、先生の暴君ぶりは、ますます表面にあらわれてきた。ほんのちょっとしたまちがいさえもばっして、それも自分の楽しみで、ばつをくわえているようにも思われた。だから、年の小さい子どもたちは、昼は、おそれと苦しみですごし、夜はしかえしを計画してすごすのだった。先生に、いたずらをしかけることでは、あらゆる機会をのがさなかった。けれども、先生のほうが、いつでも、たいていうわてだった。こちらのしかえしが成功するようなことがあると、それにつづく刑罰が、また、いかにもすごいので、少年たちは、さらに旗色をわるくして、戦線から退却するのがきまりだった。そこで、とうとう、子どもたちはみんなで共謀して、かがやかしい勝利まちがいなし、という計画を考えだした。看板屋のむすこをだきこんで、その計略をうちあけ、そして助力をもとめた。この子のほうでも、この計画をよろこぶわけがあった。というわけは、学校の先生が、その子の家に下宿をしていたので、むすこはひどいめにあい、先生をきらう理由はじゅうぶんあったのである。ちょうどおりもおり、先生の奥さんは、もうちょっとたつと、いなかにでかけることになっていた。そのため、この計画は、なんのさしさわりもなく、つごうよくおこなわれるはずだった。先生は、いつも、なにか行事のあるごとに、きまってお酒を飲むくせがある。そこで、看板屋のむすこは、成績発表会の日の夕がたもきっと、そうだろうから、いすの上で、とろとろといい気持ちになっているところを、自分が「うまくやってのける」といった。それから時間いっぱいにおこして、いそいで、学校へでかけさせるというのである。
 いよいよ、待ちかねていた問題の日がきた。夜八時、校舎にはあかあかとあかりがつき、花輪をかざり、木の葉や花をあんだかざりものをめぐらしていた。先生は、黒板をうしろに、一段高く作られた教壇の上の、大きな玉座についていた。そうとういいごきげんのようにみえた。先生の両がわには三列のベンチが、また、先生のまえには六列のベンチがならび、そこに、村の有力者や、子どもたちの保護者がたくさんつめかけていた。先生の左がわの、村の人たちのうしろには、広い壇が、臨時にもうけられ、その上には、この成績の発表をする生徒たちがならんでいた。年のいかない少年たちの列は、この式典のために、きれいにみがきあげられ、ばかにきゅうくつそうに、きちんと服をきせられたりしている。それから、まのぬけた大きい青年たちの列。それに女の子や若い淑女たちが、雪とみまがうよそおいをこらした列。みんな、美しいリネンやモスリンのうすものをまとい、あらわな腕や、おばあさんゆずりの指輪をはめ、あちこちをピンクや青のリボンでかざり、髪にさした草花を気にしていた……。のこりの場所のぜんぶは、今夜成績の発表をしない生徒たちで、うずめられていた。
 発表がはじまった。たいへん小さい少年が立ちあがって、おずおずと暗唱した。
「わたくしのごときおさなき者が、こうして、壇にのぼって演説しようとは、みなさまもお思いにならなかったことでしょう」などと――ほねをおって、しかも正確に、また機械人形のように、それも、すこしこわれていたら、たぶん、こんなだろうと思わせるように、ぎこちなく手をふってやった。ずいぶんおびえてはいたけれども、どうやら、ぶじにすませて、わざとらしいおじぎをして、自分の席にもどったときは、かなりの拍手がわいた。
 はずかしそうな顔をした小さい女の子が、
「メァリーは、かわいいひつじの子を持っていました」などと、まわらぬ舌でたどたどしくのべ、だれにも、かわいいと思わせるように、ちょっとひざをまげて会釈し、拍手のごほうびをもらうと、顔をまっかにほてらせながら、いそいそと席へもどった。
 トム=ソーヤーは、自信たっぷり、つかっかとまえへ進みでると、あの不朽不滅の〈われに自由をあたえよ、しからずんば死をあたえよ〉の演説をやりはじめたが、中ほどで、つかえてしまった。トムは、おそろしい場おくれに、とりつかれたのだ。足はわなわなとふるえ、のどかつまりそうになった。たしかに、教室じゅうの人びとの同情をひいたが――また、しんとしずまりかえらせもしたのである。この静けさは、同情よりわるかった。先生は、顔をしかめた。災難は、まさに頂上に達した。トムは、しばらく苦しみもがいたすえ、まったく、ぶちのめされて、ひきさがった。よわよわしい拍手がぱらぱらなったが、すぐやんでしまった。
〈火をふくデッキに立つ少年〉がっづき、また、〈アッシリヤ人の来襲〉や、そのほか演説口調の珠玉編があった。つぎに朗読があり、書き取りの競争があった。ごく少数のラテン語のクラスが、みごとに暗唱をやってのけた。さていよいよ、その夜のよびもの――若い娘さんたちの自作作文の朗読の時間がきた。ひとりひとり、順番に壇のはずれに進みでて、まず、せきばらいをし、原稿(それは、みんな美しいリボンでとじてあった)をささげるように持つと、表現や句点に、ことさら注意しながら、朗読していった。題材は、この人たちの母親が、むかしの卒業式でやったのと似たようなものだったし、おばあさんのとも似ていたし、はるか、十字軍のむかしにさかのぼって、母系の祖先がやってきたものとも、きっと似ているだろうと思われる。〈友情〉というのがあった。〈すぎし日の思い出〉というのがあった。〈歴史にあらわれたる宗教〉、〈夢の国〉、〈文化の価値〉、〈政府の諸形態、その比較と対照〉、〈ゆううつ〉、〈孝行〉、〈あこがれ〉などであった。
 これらの文章に共通した特徴は、あまいメランコリックな感情でみたされているということである。〈美文〉をいかにもぜいたくに、むやみやたらに使用していることである。とくに、耳ざわりのよいことばや句などがあきるほど使われていることである。また文章そのものをめだたせ、きずつけている特徴は、どれもこれも、すべて文章のおわりには、きまって、できそこないのしっぽのような、しつっこい、がまんのならないお説教をちらちらと、ふってみせることである。どんな題材をとりあげても、苦心して、けっきょく道徳心、宗教心を持っている人たちに、なにか教訓をひきださせるようにもっていくのだ。これらのうわべだけのふまじめなお説教調の流行は、そのころは、まだ、すっかり学校から追放されていなかったし、今日でもじゅうぶんだとはいえない状態である。いや、これはおそらく、この世界のつづくかぎり、追放されることはないであろう。わが国のあらゆる学校で、若い娘さんが、お説教をつけないで、文章のしめくくりをつけるなんていうものはないのである。しかも、学校じゅうでもっともふまじめな、もっとも宗教心のうすい娘さんのお説教が、いつでも、いちばん長く、いちばんはげしい信仰調をもっているのである。だが、もう、そのことは、これくらいでいいだろう。ともかく、生徒さんには、まじめな真実などお気にめさないのである。
 さて、話を〈成績発表会〉にもどすことにしよう。さいしょの作文朗読は〈されば、これ、人生なるか?〉という題だった。読者は、たぶん、この作文からぬき書きするのを、しばらくごしんぼうくださることと思う。


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 人の世の興なき日々を送りつつ、青春の心は、いかに歓喜にみち、うたげの楽しみを夢見て待ちこがるるや! 夢は、あいつぎて、ばら色におうよろこびをえがくにせわし。空想の世界のうちに、流行のとりことなりて、うたげの席に〈花の中の花〉となれるおのれを見るなり。雪のごとき裳《も》につつまれしやさしきすがたは、楽しき舞いのあやなす中を、おどりくるう。このはなやかなる人びとの席に、人にすぐれてかがやくは、彼女のひとみ、人にすぐれて軽きは、その足どり。
 かかる美しき空想のうちに、時は足早にすぎ去り、彼女が、さばかりかがやかしき夢とともに、待ちのぞみし至福の世界に入るときは来たりぬ。その魅せられし幻想にうかぶすべてのものの、いかに仙女の物語めきしことぞ。すべての新しき情景は、すぎ去りしときにいやまして美しく――されど、しばしのちに、彼女はさとりぬ。この美しき外見におおわれしは、まことは、むなしきものなることを。かつては彼女の心をとらえしかずかずのあまきことばも、いまはきくにたえざるいまわしきひびきとなり、舞踏室もまた魅力をうしないぬ。かくて、身も心もいたくそこなわれ、あえぎて、地上の歓楽は、ついに、たましいのあこがれをみたすことあたわずとの確信をいだきて、これらのものに、おもてをそむけて立ち去りぬ。
[#ここで字下げ終わり]

 それからまだまだつづいた。朗読が進むにつれ、聴衆のあいだからは、しじゅうまんぞくげなつぶやきがおこり、「まあ、うまいわねえ!」とか、「たいした文章だ!」とか、「ほんとうだわ!」というようなささやきがもれた。そして、この朗読がへんに人を苦しめるお説教でおわったときは、さかんに拍手かっさいがおこった。
 つぎに、すらりとした、ゆううつな顔つきの娘が、立ちあがった。薬と消化不良からくるらしい〈趣味にとんだ〉青白い顔。その顔が一編の〈詩〉を読んだ。その二節ばかりをお目にかけよう。

[#4字下げ]アラバマにわかれをつげる
[#8字下げ]ミズーリおとめの歌


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さらば、アラバマ、いとしの汝《なれ》よ!
されどもいまは、しばし、汝とわかれん!
悲しき思い、胸にあふれ、
思い出はわが胸にむらがりてあり。
いくそたびさすらいしは、汝が花咲ける森。
タラブーサの岸に遊び、またふみ読みて、
タラシーのさかまける流れにきけり。
あかつきの光もとめし、クーサーのほとり。
[#ここで字下げ終わり]


[#ここから2字下げ]
されどなお、われは恥じず、この嘆き、
われは恥じず、この涙。
わがわかるるは、心かよえる友にして、
わがため息をきくは、見知らぬ人にあらざれば、
この里に住みし日のあたたかく楽しき思い、
汝が谷よ、さらば――汝《な》が塔《とう》もかすみゆくなり、おお、なつかしのアラバマよ、汝とつめたくわかれなば、わが目、わが胸、わが頭は、いとつめたくぞなりぬらん!
[#ここで字下げ終わり]


 おわりの行の〈頭〉というところをフランス語でやってのけたから、わかる人はごく少なかったが、この詩もおおいにみんなをまんぞくさせた。
 つぎにあらわれたのは、色の浅黒い、目の黒い、おまけに髪も黒い若い婦人だったが、ちょっとだまって、場内をしいんとさせてから、悲劇的な表情をうかべて、おちつきはらったおごそかな調子で読みはじめた。

[#3字下げ]幻想[#「幻想」は太字]


[#ここから1字下げ]
 暗いあらしをはらむ夜であった。天上の玉座には星ひとつまたたいていなかった。遠いかみなりは陰にこもってとどろき、たえずきく者の耳をふるわせている。やがて、おそるべき電光が天の密雲のへやべやをつらぬいて、いかりのほむらを見せはじめた。あたかもこの脅威にたいして力をふるおうとした、かの有名なフランクリンをあざわらうかのように! あまつさえ、さわがしい風どもが、その神秘のねぐらから、きそいたち、ふきつのってきた。あたかもこのあれはてた情景に、力をそえるもののように。
 かかるとき、かくもくらくさびしきとき、人のなさけをもとめつつ、わが心は吐息した。しかし、もとめえたのは――
[#ここから3字下げ]
   わがよき友にして、なぐさめて、はた助言者にして、みちびくもの――
   なやめるときのわがよろこび、よろこびにつぐわが至福――
   わがかたわらにいで来たりぬ。
[#ここから1字下げ]
 彼女は、空想のエデンの園の、明るい小道をロマンチックで若々しい人たちにえがかれた美の女王のごとくにあゆんだ。神からたまわったすぐれた美しさのほかにかざりをつけぬ美の女王。そのあゆみはいやがうえにも軽く、かすかなもの音さえもたてない。しかもそのたおやかな接触からくる甘美なせんりつがなかったなら、他のさほどにもない美女のごとくに、もとめられもせずすりぬけていってしまうことであろう。目にもつかず――彼女が、外界のさわがしいあらしをさししめして、そこにあらわれた二つのものをしずかに見よと、われに命ずるときに、彼女のかんばせには、〈冬〉のころもにさがるつららの光にも似たかすかな悲しさがやどった。

 この悪夢のような作文は、原稿紙にして十ページほどもつづき、長老派でない人びとの希望を、さんざんにうちくだくようなお説教でおわったが、これが一等賞をとった。つまり、この晩第一の作品とみなされたのである。村長はその作者に賞品をおくるにあたり、あたたかい激励の演説をしたが、これほど人の心をうつ文章は、いまだかつて耳にしたことがない、大学者ダニエル=ウェブスターの筆《ふで》にたったものだとしても、ほこりをもって世にしめしうるであろう、とのべた。
 たくさんの文章が朗読されたが、そのうち〈美しき〉ということばが、むやみに使われていること、人間の経験を〈人生のページ〉ということばであらわしたものが、例によって、たいへんに多かったということを、一言しておかなければならない。
 さて、よいがまわって、すっかりいい気持ちになりかけていた先生は、いままでこしかけていたいすをずらせ、聴衆にせなかをむけて、黒板にアメリカの地図をえがきはしめた。地理の模範教授がはじまったのである。だが悲しいことには手がふるえるので、ひどくまがった地図ができあがった。教室じゅうにおしころしたくすくすわらいがうずをまいた。先生はそのわけがわかったので、自分をはげまして、なおそうとした。線をけして、かきなおしにかかった。が、まえよりももっとゆがんでいくばかりだった。くすくすわらいの声は、いっそう大きくなった。先生は全力をつくして、しごとにうちこんだ。なにくそ、あのわらい声などに負けるものかと決心をかためたようにみえた。自分のせなかに、みんなの目がくぎづけにされているような感じがした。こんどはうまくいったと思うのに、わらい声がやまない。それどころか、ますますひろがっていくように思われた。
 それも、そのはずである。
 教室の上は、やねべやになっていて、ちょうど、先生の頭の上に天窓が切ってあった。その天窓から、胴中を細引きでくくられたねこかぶらさがっておりてきた。頭からあごにかけてぼろきれをまきつけてあるのは、なき声をださせないためだろう。上をむいておりてくるときは、のびあがって細引きにつめをかけた。下をむいておりてくるときには、空中をひっかいた。くすくすわらいは、しだいしだいに高まった――ねこは、いっしんにしごとにうちこんでいる先生の頭から、六インチとはなれていない――さがる、さがる、もうすこし。とたんに、ねこは必死のいきおいで先生のかつらをつかみ、だきしめ、あっというまに、その戦利品をつかんだまま、やねべやにせりあがった! なんと、先生のはげ頭のてっぺんに、あかりがさんぜんとてりかがやいたことだろう――その頭は、看板屋のむすこが金色にぬっておいたのだ! 集会は、これでめちゃめちゃになった。少年たちはしかえしをとげたのだ。
 夏の休暇がやってきた。
↑原作者注――本章に引用した、いわゆる〈作文〉なるものは、『散文と詩――西部の一婦人著』と題した本から、字句の訂正をせずに、そのまま、とったものである。これらは、もうまったく正確に女学生ふうの文章なので、たんなる模造品よりは、興味ぶかくできていると思うからである。

22 ハック=フィンも改宗
 トムは、はでな〈記章〉が気に入って、禁酒少年団の新しい会員になった。そして、その会にはいっているかぎり、たばこをすったり、かんだり、神をけがすことばもけっして使わないということを約束した。ところが、同時に、ある新しい発見をした――というのは、つまり、あることをしないと約束すると、たちまち、もうでかけていって、いましがた約束したことをやぶりたくなるものであるということであった。トムは、すぐに酒を飲み、らんぼうなことばをはいてみたくなって、むずむずするほどだった。しまいには、その気持ちはつのる一方で、ただ、赤い帯かざりをつけて人中へでてみたいばっかりに、やっと退会をがまんしているというしまつだった。七月四日の独立記念日が近づいた。が、トムは、その日まで待つことは、あきらめてしまった――その会のおきてに四十八時間と服さないうちに、それは、あきらめてしまった――トムがのぞみをかけたのは、治安判事のフレーザー老人だった。老判事は、いまにも死にそうだったが、彼は、高い名誉職についているのだから、死ねば、きっと盛大な村葬になることには、まちがいなかった。三日間というもの、トムは、判事さんの容体をよく気をつけて、むさぼるように、そのうわさを知りたがった。そして、ときどき、そののぞみはうまく達せられそうになった――このぶんならばと、記章の赤い帯かざりをとりだして、鏡のまえでつけてみたくらいだった。だが、判事さんの病気はトムの考えたようにはいかず、一進一退だった――とうとう、持ちなおしたというしらせがあり――つづいて回復するだろうとつたわってきた。トムはむしゃくしゃした。なにかひどくきずっけられたような気持ちさえした。そこで、すぐに退会とどけをだすと――その晩、判事さんはまたぶりかえし、ついに死んでしまった。それで、あんなやつはもう二どと信用するもんかと、トムは決心した。
 お葬式は、盛大にとりおこなわれた。会員たちは、やめたばかりのトムが、うらやましさのあまり、死にたくなるような、堂々たるスタイルで行進した。けれどもトムは、また、自由な少年にたちかえったのだ――それは、また、いいことでもあった。彼は、酒も飲めるし、あくたいをつくこともできたからである――ところが、おどろいたことには、もう、そんなことは、さっぱり、やりたくなかったのである。やってもいいといわれると、すぐやりたくもなく、やってもおもしろくないような気がしてくるのだ。
 まもなく、あんなにまで待ちこがれていた夏の休暇が、いくらか、自分の手にあまりそうな感じがしはじめてきたのは、ふしぎなことだった。
 トムは、日記をつけてみようと思いついた――が、さいしょの三日というもの、なにも事件というものがおこらなかったので、やめてしまった。
 まず、さいしょに黒人楽団の一隊が村にやってきて、大評判になった。そこで、トムとジョー=ハーパーは、ふたりで楽団を組織して、二日間というもの、まったく、幸福にひたりきった。
 独立祭さえ、ある意味では失敗だった。しのつく大雨で行列はなかったのだ。そして、世界最大の偉人で、(と、トムが考えていた)ほんもののアメリカ合衆国上院議員のベントン氏は、まったくがっかりさせられるような人物であることがわかってしまったのだ。――ベントン氏は身長が二十五フィートもなかったし、二十五フィート近くにも達していなかったからだった。
 サーカスがきた。それがいってしまってから、少年たちは、ぼろのじゅうたんで作られたテントの中で、三日間、サーカスごっこをした――入場料、男の子はピン三本、女の子は二本――だが、やがて、この遊びもやめてしまった。
 骨相見《こつそうみ》がきたし、催眠術師もやってきた――そして、いってしまったあとは、村は、まえよりもさびしく、つまらなくなってしまった。
 少年や少女たちの集まりも、いくらかはあったが、それが楽しかっただけ、その機会も少なかっただけ、ますます、なにもないたいくつな毎日がやりきれなく思われた。
 ベッキーサッチャーは休みのあいだ、コンスタンチノープルの家に、両親といっしょに帰っていってしまった――だから、トムの生活の楽しい面は、どこをさがしてもなかった。
 あの殺人事件《さつじんじけん》の、おそろしいひみつをもっているという苦しみは、もう慢性になっていた。それは、これから永久につづく、あの癌のような苦しさにも、似ているものだった。
 そのうち、はしかがはやった。
 トムも、とりつかれて、二週間というものねたきりで、世間のできごとなどまったく知らずにすごしたのだった。はしかはひじょうに重く、トムは、なにもかも、おもしろくなかった。やっと歩けるようになったので、力ない足どりで、にぎやかな通りへでてみたが、すべてのもの、すべての人に、なにか、ゆううつな変化があらわれていた。村には〈信仰復興運動〉がおこり、あらゆる人がみな〈宗教に生きて〉いた。おとなはおろか、男の子も女の子もそうなのだ。トムは歩きまわって、げんきのいい罪人の顔をしたやつはいないものかとたずねたが、どこでも、がっかりさせられることばかりだった。ジョー=ハーパーにあえば、聖書を研究しているとかで、トムは、この、やりきれない気のめいるような光景に、悲しく顔をそむけた。ベン=ロジャーズをたずねてみると、彼もまた宗教に関するパンフレットのはいったかごをぶらさげて、貧民街を訪問していた。ジム=ホリスをみつけたら、なおったばかりのはしかのことを、天からのありかたい警告として、おうけしなければいけないよと、トムは注意された。道で出会うどの友だちも、トムの心にゆううつな重さを、すこしずつくわえくわえしてゆくばかりだった。ようやくハックルベリー=フィンにあい、ああ、これでやっとすくわれると思ったとたん、聖書の句をあびせかけられたので、トムの心は、やぶれさった。そして、よろよろとうちに帰ると、寝床の中にもぐりこみ、村じゅうで自分ひとりだけが、永久に、永久に、すくわれないのではないか、と考えた。
 その晩は、おそろしいあらしがくるいまわった。しのつく雨、耳をつんざくかみなり、はためく音、目もくらむいなずま。トムは、ふとんをひっかぶり、おそろしいさいごの審判を待ちうけた。この雷鳴は、きっとこの自分のために、天がくだしたもうたのだと信じきって、すこしもうたがわなかった。天にいます神さまは、もうこらえられなくなったので、そのため、こういうことになったのだと、トムは考えた。たかが虫けら一ぴきころすのに砲兵中隊をくりだしたなら、いくらトムだって、弾薬のむだが多すぎると思っただろう。しかし、自分みたいな虫けら一ぴきたおすのに、しのつく、こんなごうせいなあらしをかりてまでやっても、それほどふつりあいとは考えなかったらしい。
 そのうち、あらしはおとろえ、その目的を達しないで、すっかり、おわってしまった。トムは、すぐさま、神に感謝して、これからは、心を入れかえなければならないと思った。そのあとで、もうすこし、待ってみてよかろう――あるいは、これきりで、あらしはおこらないかもしれない。――
 あくる日は、またお医者さんたちがやってきた。トムはぶりかえしたのだ。それから三週間のあいだ、じっとねていたが、まったく一年ほどの長い年月のように思われた。ようやく、表にでられるようになったが、こんなにも、ひとりぼっちで、なかまもなく、見すてられている自分の身のうえを思うと、こうして、いのちが助かったことも、あまり、感謝する気持ちにもなれなかった。たいぎそうに、やみあがりのからだをひきずって、通りをぶらぶら歩いていくと、ジム=ホリスが裁判ごっこをやっているところにぶつかった。殺人罪で裁判にかけられていた被告は、ねこで、そのそばには被害者の小鳥がおいてあった。また、ジョー=ハーパーとハック=フィンが、ぬすんできたメロンをたべながら、横町を歩いているのにも出会った。かわいそうな子どもたち! きみたちは――トムだって同じことだが――またぶりかえしたのである。

23 マフ=ポッター助かる
 とうとう、ねむけをもよおすような空気がかきみだされるときがきた――しかも、はげしくかきみだされた。殺人事件の裁判がはじまったのだ。裁判は、たちまち、村じゅうの話題をさらった。トムは、どこへいっても、この話からのがれることができなかった。あの殺人事件の話がでるたびに、トムはぶるぶるふるえあがった。苦しい良心のかしゃくと恐怖の連続から、こうしたうわさ話を、自分への〈さぐり〉だと、ほとんど思いこんでしまっていた。自分が、あの事件について、なにか知っているらしいことが、どうしてみんなにわかるのか、それは、トムにはけんとうがつかなかったけれど、それでもいい気持ちで、このうわさ話にとりまかれていることはできなかったのである。いつでも、このうわさがはじまると、ひや水をあびせられたように、からだじゅうがぞくぞくしてくるのだ。トムは、ハックに話があるといって、さびしい場所へつれだした。ほんのちょっとのあいだでも、自分の胸の中をぶちまけたら、いくらかでも心が軽くなるだろう。同じ苦しみをせおっている者と、この重荷をわけあえば、いくらか、ほっとするだろう、と考えた。また、そのうえに、ハックの口がかたいかどうかをためしてみたい気持ちもあった。
「ハック、おまえ、だれかに、あのことをしゃべったかい?」
「なんのことだい?」
「知ってるじゃないか。」
「ああ――きまってらあ、話すもんか。」
「ひとことも?」
「ひとことだって話すもんか――ちかって、いわないよ。なんだって、また、そんなこときくんだ?」
「だって、こわくなったんだ。」
「なあ、トム=ソーヤー、あれがわかったら、おれたち二日と生きちゃいられないぜ。そうだろ。」
 トムは、これをきくと、いくらか気がおちついた。そこで、しばらくだまっていたが、
「ハック、だれかが、おまえに白状させようたって、だめだな、そうだな?」
「おれに白状させるって?なんでえ、もしおれが、あのあいのこの悪魔に、川へぶちこまれてころされたくなったら、しゃべるだろうよ。そうでなけりゃ、しゃべるものか。」
「うん、そうだ。おれたちがだまってさえいれば、おれたちは、だいじょうぶなんだ。だけど、ともかく、もう一ペんちかおうじゃないか。そのほうが、たしかだからな。」
「よしきた。」
 そこで、ふたりはまた、いともおごそかにちかいをたてた。
「なあ、ハック、このうわさ話のすごいこと、どうだい? おれは、うんとこさ、きいちゃったぜ。」
「うわさ話? うん、いつ、どこへいっても、マフ=ポッター、マフ=ポッター、マフ=ポッターでもちきりさ。それをきくたびに、おれは、ひやあせが流れるよ。だから、どっかへ、かくれたくなるんだ。」
「おれのまわりだって、あのうわさでもちきりさ。きっとマフは、もうのがれられないんじゃないかな。たまには、あいつがかわいそうに思わないかい?」
「しょっちゅうだよ――しょっちゅうって、いってもいいさ。あいつはつまらんやつだけど、でも、だれにもわるいことなんかしなかったものな。ただ、ちょっくら、かっぱらいをやって、飲みしろをかせぐだけなんだ。――それから、そのへんをうろつくだけさ。ちえっ、おれたちは――説教師やなんかだって、そうだけど――みんなそうしてるんだぜ。でも、あいつぁいいやつだった。――いつかなんて、ふたりに一ぴきずつなかったから、さかなを半分わけてくれたことがあらあ。それに、おれがしけてるときなんざあ、なんど、めんどうをみてくれたか、わかりゃしねえや。」
「うん、そうだ。おれだって、たこの糸目、なおしてもらったことあるよ、ハック。それから、つり糸につり針をつけてくれたことだってあらあ。あすこから、だしてやれたらなあ。」
「いやあ! だせっこないよ、トム。それに、そんなことしたってだめなんだ。また、とっつかまっちまわあ。」
「そうだ――またつかまるな。でも、おれは――あんなこと――しもしないのに、あいつのことを悪魔みたいに村の人が悪口いうのをきくの、おれはいやなんだ。」
「おれだってさ、トム。ああ、みんなで、マフぐらい血にうえた悪党づらをしている者は、国じゅうにいねえのなんて、いってたのをきいたことがあるぜ。いままでしばり首にならなかったのがふしぎなくらいだとさ。」
「うん、そうなんだ。しょっちゅう、そんなことばかりいいやがるんだ。もし、ゆるされてでてきたら、おれたちの手で、やっつけちまえ、なんていってたぜ。」
「いうだけじゃない、やるぜ、きっと。」
 ふたりの少年は、長いあいだ話しあったが、おたがいにすこしもはればれとしなかった。夕やみがせまってきたころ、ふたりは、あのぽつねんと立っている牢屋のあたりをうろついていた。たぶん、その心の中には、なにかがとつぜんおこって、彼らの苦しみをなくしてくれればいいというような、はかないのぞみが、あったのかもしれない。だが、なにごともおこらなかった。この不幸な囚人に興味をもってくれるような天使や妖精はいなかったらしい。
 少年たちは、まえにもなんどかやったようなことをした――鉄格子に近づいて、ポッターに、たばことマッチをさし入れたのである。ポッターは、一階に入れられていて、看守はいなかった。
 このおくりものをもらって、ポッターが感謝するのを見ると、ふたりはいつも、良心がとがめるのだったが――このときは、まえにもまして、いっそう心がいたむ思いがした。ことに、ポッターに、つぎのようにいわれたときは、自分たちがひきょう者で、うらぎり者であることを、心の奥深くまで感じたのである。
「おまえたちは、ほんとによくしてくれるよ、なあ――村じゅうのだれよりも、よくしてくれるよ、なあ、このしんせつばかりは、わすれねえよ、わすれるもんか。おれはいつも、ひとりごとをいうんだぜ。『村の子どもたちのたこを、よくなおしてやったっけ。いいつり場も教えてやったっけ。みんなに、できるだけしんせつにしてやったのに、マフのおやじがおちめになったときにゃ、だれひとり、おやじのことを思いだしてくれるもんはねえんだ。ただ、トムだけはちがわあ、ハックだけはちがわあ――ふたりだけが、このおやじのことをわすれねえんだ』とな、『だから、おれのほうでも、わすれやしねえよ』とな。なあ、おまえたち、おれは、おそろしいことをやらかしたんだ――あのときは、よっぱらって正気をなくしちまってたんだ――おれがおぼえてるなあ、たった、それだけよ――だからさ、いま、しばり首にあおうとしてるんだ、それが、あたりまえさ。いいんだ、いちばんいいことなんだろうなあ――うそなんか、いってやしねえ。まあ、いいさ。この話は、もうやめにしよう。おまえたちに気持ちわるい思いをさせたくねえからな。おまえたちは、いつもこのおれにしんせつにしてくれたんだ。ただおまえたちにいっておきたいのは、おまえたちも、酒は飲むなってことだよ――そうすりゃ、こんなとこへこなくったって、すむんだからな。もうちいっと、西のほうによってみな――そうだ――そうそう。ひとがひでえめにあってるときに、しんせつにしてくれる者の顔を見るくれえ、なぐさめになるものはねえ。おまえたちのほかにや、ここへきてくれる者もねえんだからなあ。りっぱなしんせつな顔だ――うん、ほんとに、しんせつそうな顔だ。かわりばんこに肩ぐるまをしてな、おれに、その顔にさわらしてくれ。そうだ、そうだ。さあ、握手をするとしよう――その鉄棒のあいだから手をつっこんでくれ。おれのは、でかすぎて、はいらないんだ、おお、ちっちゃい弱そうな手だ――だが、これが、マフ=ポッターのおやじに力をつけてくれた手なんだな。できたら、もっと助けてくれたろうになあ。」
 トムは、みじめな気持ちで、うちへ帰った。その夜の夢はおそろしいできごとの連続だった。つぎの日もそのつぎの日も、トムは裁判所のまわりをうろついて、しゃにむにひき入れられそうな気がしたが、じっとこらえて、ふみとどまった。ハックもまた同じことだった。ふたりは、つとめて、おたがいにあわないようにした。ふたりは、ときどき、その場からはなれてほかのところへいくのだが、すぐまた、くらいひきつけられるような力に魅せられて、ふたたびそこへ帰ってくるのだった。トムは、裁判所からでてくるのらくら者たちのことばにきき耳をたてたが、どれもこれも、心のいたむニュースばかりだった――わなは、しだいになさけようしゃもなく、あわれなポッターをしめつけていくのだった。二日めのおわりごろには、村につたわってきたうわさによると、インジャン・ジョーの証拠はゆるぎのないはっきりしたもので、陪審員たちの判決がどうなるかについては、まったく疑問の余地もないほどだった。
 トムは、その晩、おそくまでうちをあけ、窓からしのびこんで、寝床に帰ってきた。ひどく興奮していた。そして何時間もねむれなかった。
 そのあくる朝、村の人たちは、ぞくぞくと裁判所へ集まった。きょうこそは、重大な日だったのである。ひしめきあった傍聴人は、男女がほとんど同じぐらいだった。長いあいだ待たされてから、陪審員たちが一列になって法廷にはいってくると、それぞれの席についた。すぐそのあと、色は青ざめ、やつれはて、おどおどと明るいのぞみもないようすのポッターが、つれてこられて、好奇心にみちたすべての人の目が見守ることのできる席にすわらされた。インジャン・ジョーも、ポッターと同じように人目をひいた。あいかわらず、ずうずうしい顔をしている。しばらくの間かあって、判事があらわれた。警察署長が開廷を宣した。弁護士たちのあいだには、いつものように、ささやきがかわされ、書類をそろえる音がきこえた。こういうこまかい手つづきで、開廷の時間がおくれていくうちに、人びとの心には、これからおこるできごとを待ちうける、胸がどきどきするような、また、ひきこまれていくような気持ちが生まれてきた。
 それから、証人がよびだされた。その男は、あの殺人事件が発見された日の夜明けまえ、マフ=ポッターが、小川でからだを洗って、すぐ、こそこそ、すがたをくらましたのを見た、と証言した。さらに、つっこんだ質問があってから、原告がわの弁護士がいった。
「さあ、質問がありましたら、どうぞ。」
 被告は、ちらと目をあげたが、すぐまた目をふせた。そのとき、自分の弁護士がいったからである。
「証人にたずねる質問はありません。」
 つぎにでた証人は、死体のそばでナイフを発見したことを証言した。原告がわの弁護士がいった。
「質問がありましたら、どうぞ。」
「証人にたずねる質問はありません」と、ポッターの弁護士は答えた。
 三番めの証人は、このナイフをポッターが持っていたのを、なんども見たことがある、と証言した。
「質問がありましたら、どうぞ。」
 ポッターの弁護士は、この証人にも質問することはないといった。傍聴人の顔つきがしだいにくもりはじめた。いったい、この弁護士は、すこしも努力せずに、依頼人の生命をほうりだすつもりなのだろうか? 何人かの証人が、殺人の現場につれてこられたときの、ポッターのあやしげなふるまいについて、証言した。この人たちも、反対質問もされずに、証人台をさってもよろしい、といわれた。
 あの晩、墓場でおこったポッターにとって不利な情況についてのくわしいことは、そこにきている人たちがみんなおぼえているものであった。そして、そのことが、信頼できる証人たちによって、証言されたのだけれども、ポッターの弁護士は、それについて、なんの反対質問もしなかった。法廷内の人びとの不満とわりきれない気持ちは、ささやきになってもれはじめたので、裁判長は、それを制した。原告がわの弁護士が発言した。
「市民諸君が宣誓によってのべられた、はっきりした陳述は、被告席にいるかの不幸な被告が、おそるべき罪をおかしたことを、疑問の余地なく立証されております。ここで休廷したいと思います。」
 あわれなポッターの口から、うめき声がもれた。法廷内のいたましい沈黙につつまれて、ポッターは、両手で顔をおおい、しずかにからだを前後にゆすった。おおぜいの男たちも、感動し、たくさんの婦人たちの同情は、涙となってあふれだした。このとき被告がわの弁護士が立って、いった。
「裁判長閣下。本件の開始せられるにあたって、われわれは、被告人が飲酒による盲目的な――責任をおいがたきほどの、めいてい状態にありましたるとき、このおそるべき行為をなした、ということを申しあげようといたしました。しかし、われわれはその主張をいたさないつもりです。」(それから書記にいった。)「トマス=ソーヤーをよんでいただきたい。」
 法廷内の人たちは、みな、これはどうしたことだ、というようなおどろきの色をうかべた。当のポッターさえ、あっけにとられた。人びとの目は、トムが立ちあがって証人台にのぼるまで、好奇心をもってそそがれた。少年の顔は、ひきつっていた。それほど、おびえていたのである。宣誓を命じられた。
「トマス=ソーヤー、きみは、六月十七日の夜半、どこにいましたか?」
 トムは、インジャン・ジョーの鉄のような顔をちらと見あげると、舌がもつれて口がきけなくなった。傍聴人は、息をのんで耳をすました。が、いっこう、ことばは、でてこなかった。しかし、しばらくすると、トムはすこし勇気をとりもどして、いくらか法廷の中のすこしの人にきこえるくらいの声をだすことができた。
「墓場にいました!」
「もうすこし大きな声で。こわがることはありません。きみは――」
「墓場にいました!」
 さげすむようなうすらわらいが、インジャン・ジョーの顔に、ちらっとうかんだ。
「きみは、ホス=ウィリアムズの墓の近くにいたのですか?」
「はい、そうです。」
「それで?――もうすこし大きな声で、いってください。どのくらい近いところに、いたのですか?」
「ぼくとあなたくらいしか、はなれていませんでした。」
「かくれていたのですか? それとも?」
「かくれていました。」
「どこに?」
「あの墓のはずれのにれの木のかげに、かくれていました。」
 インジャン・ジョーは、わずかに、びくっとしたようである。
「だれかといっしょにいましたか?」
「はい、そうです。ぼくは、あすこに――」
「待った――ちょっと待ってください。きみのなかまの名は、いわないでよろしい。てきとうなときに、出廷させることにしましょう。そのとき、きみは、なにか持っていきましたか?」
 トムは、ためらって、こまったような顔つきをした。
「さあ、いいたまえ――はずかしがることはありません。真実は、つねに尊重さるべきです。きみは、そこになにを持っていったのですか?」
「あの、ね――ええ――あの、死んだねこです。」
 くすくすわらいがおこったが、すぐにとめられた。
「われわれは、そのねこの骨を証拠に提出するつもりであります。さて、さあ、きみ、そのときのことを、すっかり話してくれたまえ――きみの話しいいように話せば、よろしい――なにもかも、かくさずにね、すこしもこわがる必要はありませんよ。」
 トムは話しはじめた――はじめのうちは、ためらいがちだったが、その問題に熱中してくると、ことばは、ひとりでに、だんだんなめらかに流れでてきた。しばらくのあいだは、しんとしずまりかえって、きこえるのは、ただトムの声ばかりだった。だれの目も、じっと、トムにそそがれていた。人びとは口をあけ、息をころし、トムのことばにききいっていた。時のたつのもわすれて、あのおそろしい話に心をうばわれて、むちゅうになった。息づまる緊張の最高潮に達したとき、トムはいった。
「――そして、お医者さんが、板をとりあげて、うちおろし、マフ=ポッターはたおれました。そのとき、インジャン・ジョーはナイフをにぎってとびかかり、そして――」
 がちゃん! あっという速さで、あのあいのこは、窓にとびあがり、とめようとする人びとをすりぬけて――きえてしまった!

24 すばらしい昼,おそろしい夜
 トムは、ふたたび、かがやかしい英雄になった――おとなたちからは、ちやほやされ、子どもたちからは、うらやましがられた。彼の名は、不滅の活字にさえなった。村の新聞が書きたてたのである。すえは、大統領になるかもしれないと思いこむ者さえ、何人かでてきた。しかし、これには、もし絞首刑にならなければ、というただし書きがついているのだったが――。
 いつものとおり、気まぐれで道理にあわぬ世間の人たちは、マフ=ポッターをあたたかくうけ入れて、まえにひどいめにあわせたと同じくらいの気の入れようで、おやじをあまやかした。しかし、こうしたふるまいは、世間の美点なのだから、これを、あれこれとがめだてするのは、よくないことである。
 トムは毎日毎日、すてきにいい心持ちであったが、夜はまた、恐怖の連続だった。インジャン・ジョーが殺意をみなぎらせたおそろしい目つきで、毎夜の夢にあらわれた。そこでトムは、どんなにおもしろいことがあっても、あたりがくらくなってからは、外にでる気にならなかった。あわれなハックも、トムと同じように、みじめな、おそろしい気持ちにとりつかれていた。あの大裁判《だいさいばん》の前夜、トムが弁護士のところへでかけていって、あらいざらい、しゃべってしまったからである。インジャン・ジョーがにげだしたために、法廷で証言する難儀からはすくわれたけれども、ハックは、自分もかかりあいのあることが、きっと敵がわにもれているにちがいないと、ひどくおそれていたのだ。このあわれな少年は、弁護士に、かならずひみつは守ってやると、かたく約束してもらったけれど、それがいったい、なんになろう? トムが良心にせめさいなまれて、夜、ひそかに弁護士のうちをたずね、あれほどきびしい、おそろしいちかいをたてたその日から、もう、あの晩のことをしゃべってしまってからは、ハックが人間というものにたいしていだいていた信頼の気持ちは、すっかりうしなわれてしまった、といってもよかったほどだ。
 毎日、マフ=ポッターの感謝をきくごとに、トムは、自分がしゃべっていいことをしたとよろこんだ。けれども、毎晩のように、だまっていればよかったのにと、くちびるをかんだ。
 インジャン・ジョーはつかまらないのではあるまいかという心配をしていたトムは、また一方では、つかまったらどうしようと、こわかった。あいつがころされて、しかもその死体を、しかと、この目で見とどけるまでは、けっして自由な気持ちにはなれないだろう、とトムは、かたく信じていた。
 賞金がかけられた。そのへん一帯は、くまなくさがされたが、インジャン・ジョーのゆくえは、さっぱりわからなかった。あの博識無類、しかも、なんとなくおそろしさを感じさせる怪物といってもよい探偵のひとりが、セントルイスからやってきて、そのへんをかぎまわり、首をふり、りこうそうな顔をして、この商売に従事する者が、いつも手にいれる、あの、おどろくべき成功をおさめた。つまりこの男は、〈手がかり〉をみつけたのだ。だが、だれも、この〈手がかり〉を、殺人のかどで、しぼり首にするわけにはいかない。そこで、探偵は、やるだけのことをすますと、さっさとひきあげていってしまった。
 トムは、また、まえと同じような不安な状態にとりのこされた。
 日はのろのろとすぎていった。そして、その一日一日が、ごくわずかずつではあるが、恐怖の重荷を軽くしていったのである。

25 宝さがし
 健全な男の子なら、だれでも一どは、どこかへいって、うずめられた宝をほりだしたいという、はげしい欲望がおこるときがあるものである。この欲望が、ある日のこと、とつぜんトムをおそった。トムは、ジョー=ハーパーをさがしにでかけていったが、みつがらなかった。ついでベン=ロジャーズをさがしたが、つりにいっているということだった。そのとき、〈凶状持ち〉のハック=フィンにぱったりとあった。ハックなら、うんというだろう。それで、人けのない場所へひっぱっていって、ひそひそと、その話をうちあけた。ハックは、すぐ賛成した。ハックはいつでも、おもしろくてもとでのかからないことだったら、どんなしごとでも、よろこんで賛成するにきまっていた。〈金〉はないが、こうした〈時〉は、ありあまるほど持ちあわせていた。
「どこをほるんだい?」と、ハックはきいてみた。
「うん、まあ、どこでもいいんだ。」
「へええ、宝物って、そこらじゅうに、うずまってるのかい?」
「ううん、そうじゃないよ。そりゃ、特別なところにかくしてあるのさ――島の中だとか、枯れた木の枝のさきが夜中になると影をおとす、そのま下の地面の中にある、くさりかけた箱とかにね――だけど、たいていは、ばけものやしきの床下だな。」
「だれがかくすんだ?」
「だれって、そりゃあ、どろぼうさ、きまっているじゃないか――おまえ、だれだと思ってたんだい? 日曜学校の校長さんかい?」
「おらあ、知らねえよ。おれだったらかくさないがなあ、おれなら、使っちまって、たんといいめをみらあ。」
「おれだってさ。だけど、どろぼうは、そんなふうになんかしないんだ。やつらは、いつだって、かくしたまんま、そうっとしとくんだ。」
「やつらは、それっきり、もう、こないのかい?」
「うん、こようと思っても、目じるしをわすれたり、死んだりするのがおきまりなんだ。まあ、そういったものさ。長いあいだ、ほったらかしにしとくんだから、宝物がさびてくるんだよ。すると、そのうち、だれかが黄いろくなった古い紙をみつけるのさ。それには、どうすれば目じるしがみつかるかが、書いてあるんだよ――そのなぞをとくだけでも、一週間もかかるんだぜ。たいてい、暗号だの、象形文字を使って書いてあるからさ。」
「しょう――なんだって?」
「しょうけい文字さ――絵だのなんだののことさ。なんのこったか、わからないように書いてあるのさ。」
「じゃ、トム、おまえは、そういう書きつけ、持ってるんだね?」
「ううん。」
「へええ、それじゃ、どうやって、その目じるしをみつけるんだい?」
「目じるしなんていらないんだ。やつらがうずめるとこは、いつも、ばけものやしきの下だの、島の中だの、枝が一本つきでている枯れ木の下だのに、きまってるんだ。そうそう、おれたちも、ジャクスン島で、ちょいとやってみたじゃないか。また、あすこもやってみようや。それから、スティル-ハウス川の上には、ばけものやしきがあるな。枯れ枝のある木だって、いくらでもあらあ。――うんとあるぜ。」
「そういう、枯れ枝の下には、どこにでもうずまっているのかい?」
「なにをいってるんだい! そうとはかぎらないさ!」
「それじゃ、おまえ、どうやって、うずまっている宝をみつけるんだい?」
「みんな、あたってみるのさ!」
「へええ、トム。そんなことしてたら、夏じゅうかかっちまうじゃないか。」
「うん、だが、それがどうしたというんだい? しんちゅうのつぼの中に、さびついているけど、すばらしい金貨が百ドルはいっているとこを考えてみろよ、くさった箱の中にゃ、ダイヤモンドがざくざくだぜ、どんなもんだい?」
 ハックの目がかがやいた。
「すげえなあ。こたえられねえなあ。おれにゃ、百ドルだけくれよ。ダイヤモンドはいらねえから。」
「ようし。だけど、いっとくけどね。おれは、ダイヤモンドだってすてやしないぜ。一つ二十ドルぐらいするもんだもんな――そりゃ、そんなのはたんとはないけど。たいていは六十セントか一ドルはするんだぜ。」
「まさか! ほんとかい?」
「ほんとだとも――だれにきいたって、そういうぜ。ハック、おまえ、まだダイヤモンド見たことないのかい?」
「ああ、ないような気がするな。」
「王さまなんか、うんとこさ持ってるんだぜ。」
「だって、トム。おらあ、王さまなんて、ひとりも知らねえもん。」
「知らないだろうさ。でも、ヨーロッパヘいってみろよ、王さまなんて、そこらじゅう、とんではねてらあ。」
「王さまは、とんではねるのかい?」
「とぶかって?――ばかだなあ、おまえ! そうじゃないよ!」
「ふうん、おまえ、王さまがなにするっていったんだい?」
「ちえっ! おれは、王さまが見られるっていっただけさ――むろん、はねてやしないよ――なんだって、はねる必要があるんだい?――おれがいうのはな、そこらじゅう、うようよしているっていったまでさ。あの、せむしのリチャードみたいにさ。」
「リチャード? それから、なんていうんだい、名字は?」
「名字なんてありゃしないよ。王さまは、よび名しかもってないんだよ。」
「ほんとかい?」
「そうさ。」
「ふうん、王さまがそのほうがいいんなら、そいでもいいさ、トム。でも、おれは王さまにゃ、なりたくないな。黒んぼみたいに、名まえが一つしかないんじゃ、やあだよ。そりゃそうと、おい――はじめ、どこをほるんだい?」
「そうだなあ、おれも、からきしわからないんだけどね、スティル-ハウス川のむかいがわの丘にはえている、枯れ木のあたりをやってみたら、どんなもんだろう?」
「よかろう。」
 そこで、ふたりは、ゆがんだつるはしとシャベルとを持ちだして、三マイルばかりの行軍をはじめた。目的地へついたときは、からだじゅうじっとりあせをかき、息ぎれがしたので、近くのにれの木かげにねころんで、たばこをふかした。
「こいつあ、すてきだ」と、トムがいった。
「おれもさ。」
「おい、ハック、ここで、もし、宝物がみつかったら、おまえ、わけまえでなにをする?」
「そうだな、毎日パイを食って、ソーダ水を飲むだろうな、それから、サーカスがくるたびに、見にいくだろうな。ねえ、おれ、とってもおもしろく暮らしてみせるよ。」
「うん、それから、いくらか貯金しないのかい?」
「貯金? なんのためにさ?」
「きまってるじゃないか、だんだん、なんとか、ひとりだちのできるようにさ。」
「ええ、ばかばかしい。そのうちに、この村へおやじが帰ってくるだろう、もしも、おれが早いとこ使っちまわなきゃ、おやじのやつに、ふんだくられるにきまってらあ。それも、あっというまに、きれいさっぱり、なくされるにきまってるんだ。おまえは、なんに使うんだい? トム。」
「おれは、まず、たいこを買うよ、それから本物の刀と、赤いネクタイとブルドッグの子を買って、結婚するんだ。」
「結婚!」
「そうさ。」
「トム、おまえ――おい、おまえ、気がちがったんじゃねえかい?」
「まあ、待ってろよ――そのうち、わかるさ。」
「ふうん、結婚するなんて、愚のこっちょうだぞ。おれのおやじとおふくろを見てみろよ。けんかだ! まったく、年がら年じゅう、けんかやってたんだぜ。おらあ、よくおぼえてらあ。」
「そんなこと、平気だよ。おれが結婚したいお嬢さんは、けんかなんぞしやしないさ。」
「トム、女なんて、みんなおんなじだ、おらあ、そう思う。どいつだって、ひっかくにきまってるんだ。そいつあ、すこし考えなおしたほうがいいぜ。そうしろよ、そのほうがいいぜ。そのあまっちょの名は、なんてんだ?」
「あまっちょじゃないよ、お嬢さんだ。」
「おんなじことさ。あまっちょでもいいし、お嬢さんだっていいけど――どっちも似たもんさ。まあ、そりゃあいいとして、名まえは、なんてんだい? トム。」
「いつかいうよ――でも、いまはいやだ。」
「うん――よかろう。ただ、あれだな。おまえが結婚しちまうと、おら、いままでよりゃ、さびしくなるなあ。」
「そんなことないさ。おれのうちへきて、いっしょに住めばいいじゃないか。でも、このことは、まあ、このくらいにして、さあ、ほりにかかろうじゃないか。」
 ふたりは、しごとにかかり、半時間ほど、あせを流した。なにも、でてこない。また半時間、はたらいた。が、なんの効果もない。ハックがいいだした。
「どろぼうって、いつも、こんなに深くうずめとくのかね?」
「ときには、そんなこともあるさ――いつもしやないよ。たいがいは、こんなにほらないんだがね。どうも、場所をまちがえたらしいな。」
 そこで、ふたりは、場所をかえて、新しくほりはじめた。つかれて、手の動きがにぶくなってきたが、それでも、しごとは進んだ。しばらくだまって、はたらきっづけた。そのうち、ハックはシャベルによりかかって、そででひたいのあせの玉をはらって、いった。
「ここをすましたら、このつぎは、どこをほるつもりだい?」
「そうだな、あの、カーディフの丘のダグラスの後家さんちのうらがわの大木のあるところを、やってみたら、どうだろう。」
「そいつは、いいかもしれねえな。だけど、トム。なんかでてきたら、後家さんにとりあげられちまやしないかい? あそこは、後家さんちの地所だからな。」
「とりあげる! そりゃ、とりあげたくもなろうさ。だけど、こういう、かくれた宝物をみつけた者があると、それは、その人のものになるにきまってるんだぜ。地所なんて、だれのものだって、かまやしないんだ。」
 これで、ハックは納得した。しごとは、またつづいた。しばらくすると、ハックがいった。
「やんなっちゃうなあ、また、まちがったところをほってるんだぜ。どうだい?」
「おかしいなあ、まったく。おれにゃわからないよ、だけど、魔法使いが、じゃますることもあるからなあ。ひょっとすると、そのせいかもしれないぜ。」
「ちえっ! 魔法使いは、昼間、魔法が使えないんだぜ。」
「ああ、そうだな。おれ、そこまで考えてみなかったよ。おお、そうか、わかった。なんて、おれたちは、ばかだったんだろう! 夜中の十二時に、枝の影がおちるところをさがしだして、そこをほりゃいいんだ!」
「ちえっ、ばかばかしい。おれたちは、はねおり損のくたびれもうけっていうやつをやっていたんだ。このままほったらかしといて、夜になったら、帰ってこようや。ずいぶん遠い、おっかない道だけどさ。おまえ、でてこられるかい?」
「うん、こられるとも、きっとくる。それに、今夜やらかさなきゃだめだぜ。もし、だれかがこの穴を見たら、なんのために、ここをほったか、すぐわかっちまう。そして、あとをつづけてやらかすだろうからな。」
「よし、わかった。おらあ、今夜でかけていって、また『ごろごろ、にゃあおう』をやるからな。」
「ようし。道具は、やぶの中にかくしておくとしよう。」
 ふたりの少年は、その夜、約束の時間ごろ、また、ここへやってきて、ものかげにこしをおろして、待っていた。そこは、さびしいところだったし、時間も、おあつらえむきの〈うしみつどき〉で、きみがわるかった。ゆうれいは、木の葉のさらさらなる音にまぎれてささやき、おばけは、くらいかげにかくれていた。はるか遠くから、犬の遠ぼえがかすかにきこえてきたかと思うと、近くでは、陰気なふくろうの声がそれにこたえた。少年たちは、このぶきみな夜のけはいにけおされて、すっかりだまりこくってしまった。やがて、十二時ごろだとけんとうをつけて、影のおちたところにしるしをつけて、ほりはじめた。希望がふくらみはしめた。興味がしだいにましてくると、手も、それと調子をあわせて、さかんに動いた。穴は深くなり、いよいよ深くなった。つるはしの先が、かたりと、なにかにあたるたびに、はっとして心はおどったが、また、がっかりさせられた。石か、木のはしだったからだ。とうとう、トムがいいだした。
「だめだよ、ハック。おれたちは、また、まちがえたらしいよ。」
「だって、まちがうはずはないじゃないか。影のおちたところに、きっちり、目じるしをつけたんだからな。」
「それもそうだ。だがね、もっと、ほかのことを考えなかったよ。」
「なんだい、そりゃ?」
「うん、おれたちは、時間をあてずっぽにしたろう。おそすぎたかもしれないし、早すぎたかもしれないじゃないか。」
 ハックは、シャベルを投げだしていった。
「そうだ。こまったことになりやがったな。この穴は、やめなくちゃならねえ。おれたちにゃ、ほんとの時刻なんてわかりっこないし、それに、こいつあ、おっかなすぎるよ。ここの、こんな時刻ときたら、魔法使いだの、ゆうれいだのが、そのへんをうようよしてやがるんだもんなあ。おれなんて、しょっちゅう、まうしろに、なにかいるような気がしてしかたがねえよ。とてもおっかなくて、うしろなんぞ、むけやしないや。そのときをねらって、まえのほうで、べつのやつが待ちかまえてやがるかもしれないからさ。ここへきてからずっと、おれは、からだじゅうぞくぞくしてるんだ。」
「そうだよ、おれだって、まったくそのとおりだ、ハック。どろぼうは、宝物を木の下にうずめるときは、たいてい、死人をそばにうめて、番をさせるんだっていうもんな。」
「うわあ!」
「うん、そうなんだとさ。おれは、なんどもきいたぜ。」
「トム、おらあ、そんな死人のいるところなんかで、うろうろしてんの、やだよ。そんなのとかかりあったら、ろくでもないことに、まきこまれるにきまってらあ。」
「おれだって、死びとなんかいじくるの、すきじゃないよ。もし、ここにいるやつがしゃれこうべをぬっとつきだして、なにか、ものをいったとしたら、どうだい!」
「よせやい、トム! おっかねえよ。」
「まったくだよ、ハック。おれだって、きみがわるくって、たまらないよ。」
「おい、トム、ここはあきらめて、どこか、ほかをほってみようじゃないか。」
「それがよかろう。」
「どこにする?」
 トムは、しばらく考えてから、いった。
「ばけものやしき。そいつだ!」
「なにいってやんでえ、おらあ、ばけものやしきなんかきれえだよ、トム。そうだ、ばけものは、死びとなんかよりも、もっとすげえもん。死んだやつだって、口をきくかもしんねえ。だけど、死びとはおばけのように、ちょっと気がつかねえまに、死に装束をきて、ふらふらっと歩きまわったり、きゅうに肩ごしにのぞきこんで、うらめしやって、歯ぎしりなんかしないぜ。そんなの、おれにゃ、とってもがまんできないや、トム――だれだって、がまんできるもんか。」
「そうだよ、ハック、だけど、おばけがでて、うろつきまわるのは、夜中だけだぜ。昼間なら、いくらほったって、おれたちのじゃまをしやしないよ。」
「うん、そりゃそうだ。だけど、昼間だって、夜だって、だれも、あのばけものやしきによりつかねえのは、おまえもよく知ってるじゃないか。」
「うん、そりゃね。人ごろしのあったとこへは、いきたくないからさ――でも、夜でなけりゃ、あのばけものやしきのまわりでは、なんにも見えやしないんだぜ――夜だって、おまえ、窓から青い火がちょろちょろさ、それだけの話さ――ほんとうのゆうれいじゃないんだ。」
「へっ、ちょろちょろ、火が見えるんじゃ、そのすぐうしろに、ゆうれいがいるにきまっているじゃねえか。だって、ゆうれいだけが、あのちょろちょろ火をもやすんだからな。」
「うん、そりゃわかってるさ。でも昼間はでてこないよ。だから、ちっともこわがることなんて、あるもんかい?」
「うん、まあ、そうだ。そんなにいうんなら、あのばけものやしきをやっつけることにしよう――だけど、あんまりあてにもならねえな。」
 もう、そのころ、ふたりは丘をくだりはじめながら、しゃべりあっていた。月の光のさす目の下の谷聞のまんなかに、そのばけものやしきがぽつんと見えた。かきねは、とっくのむかしにあとかたもなく、入り口の階段にまで雑草がおおいかぶさり、えんとつはめちゃめちゃにくずれおち、窓わくははずれ、やねのすみのほうには、大きな穴が、ぽっかり口をあけていた。少年たちは、窓のところを青い火が通りすぎやしないかと、なかば待ちうけるような気持ちで、しばらくみつめていた。それから、その時刻と、場所にふさわしい小声で話しながら、ばけものやしきと自分たちのあいだの距離を、ぐっとあけるように、大きく右へまわると、カーディフの丘のうしろがわをかざっている森をぬけて、家路についた。