たとえば「ひろしまタイムライン」のときにそれがはっきりした。イーロン・マスクの強引な管理体制変更の批判のときも、「いいね機能はずせるようにしたらホントは人間の健全な生活のためによいのでは」という批判は、多少はあるが、ほとんどあとまわしだった。あのときにいわないでいつ言うんだ、と思うが。
そして、これも大事な事だが、あとまわしにする人が「結局いいね機能大好きなんだ」とはどうしても言えないということである。例外もあるが、本当に、どう見てもそういえない。わたしなど、インターネット文化に期待するのを腹の底では放棄しているのだろうな、いや、最初から放棄しているのかもな、としか思えない。
「いいね機能が長い目で見て子どもの独創性を抑圧する」というのは、多少の歴史の知識があればすぐ立証できることだ。