『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第14章から第17章まで(一回目の校正おわり)

20240317
■45-■00、15分、入力、198-209
20240318
■18-■31、13分、入力、210-219
■34-■54、20分、入力、220-238
■05-■12、7分、入力、239-246、
20240323
一回目の校正、一章約20分、または2Pに3分かかる、つまり約75分

14 楽しいキャンプ
 あくる朝、目をさましたトムは、自分が、どこにいるのかわからなかった。おきあがり、目をこすって、あたりを見まわした。そして、やっとわけがわかった。ひえびえと灰色をおびた夜明けだった。もの音ひとつしなく深い静けさにつつまれた森の中は、いかにも気持ちよい休息と平和とが息づいているように感ぜられた。一まいの木の葉も動かない。大自然のもの思いをやぶろうとする音ひとつきこえない。木の葉や、草の葉には露の玉がならんでいる。たき火のあとには、白い灰がうすくかぶり、そのあいだから、青白いけむりがひとすじ、まっすぐ空へのぼっていた。ジョーも、ハックも、まだねむりからさめていない。
 やがて、森のずっと奥のほうで、けたたましい鳥の声がひびいた。それにこたえて、また鳥の声が一つ。まもなくきつつきの、こつこつと木をたたく音がきこえはじめた。夜明けのひえびえとした灰色が、だんだん乳色にかわってきた。しだいにもの音がまし、生命が活動しはじめた。いよいよ、ねむけをふりはらい、しごとにかかろうとする、おどろくべき自然のすがたが、もの思いにふける少年の目のまえに、ひろがっていった。みどり色の尺とり虫が、朝露にぬれた葉の上をはってきた。からだの三分の二ほどもちあげては、あたりをかぎまわるようなようすをし、それから、また進んでいく、――くりかえし、くりかえし――寸法をはかっているのだな、と、トムは考えた。尺とり虫が、自分からすすんでトムのほうへやってきたとき、トムは、石のようにじっとすわって、虫が近づいたり、どこか、ほかへまがりそうになったりするたびに、うれしがったり、がっかりしたりした。そのうち虫は、ぐっとせなかをまるめ、つぎにどうするかと、息づまる瞬間、ようやく決心して、トムの足にとりつき、ずるずるとのぼりはじめたとき、トムは、よろこびでいっぱいだった――これは、新しい服が手にはいるというしらせだったからだ――金ぴかの海賊の制服が手にはいることまちがいなしだった。
 こんどは、ありの行列がどこからともなくあらわれて、しきりにしごとをはじめた。一ぴきは、自分より五倍も大きいくもの死がいと勇ましくとりくんで、まっすぐに立っている木のみきを、ひっぱりあげていった。褐色のぽちぽちのあるかぶと虫のめすは、目もくらむような高い草の葉の上に、はいのぼっていった。トムは、そのそばにかがんで、「かぶと虫、虫、かぶと虫、おまえのおうちは、まる焼けだ。とんでけ、とんでけ、とんでいけ。子どもらばかりで待っているぞ」といった。虫は、もそもそと羽をひろげ、それはたいへんと、とんでいった――トムはおどろかなかった。というのは、この虫は、大火事ときくと、すぐさまほんきにするのだということは、まえからよく知っていたし、一どならず、この手で、この虫のばか正直なことをたしかめていたからだ。つぎに、こがね虫がやってきた。こがね虫は、えっさえっさと、自分のこうらをひっぱっていく。トムが、さわってみると、足をからだの中にひっこめて、死んだまねをしてみせた。
 もう、そのころになると、小鳥たちは大さわぎをしはじめていた。北のほうでは、ものまね鳥とよばれているねこ鳥が、トムの頭の上の枝にとまって、このあたりに巣をいとなむ鳥のなき声をまねて、もう、うれしくてたまらないというように、さえずりはじめた。けたたましいなき声をはなつかけすが、ひとかたまりの青いほのおとなってまいくだり、手のとどきそうな枝にとまると、しきりに首をかしげ、この見なれない子どもたちをむさぼるような好奇心で見つめた。灰色のりすと、大きなきつねりすとが、ちょろちょろと走りよってきて、ときどきおすわりをして、少年たちのほうを、じろじろ見たり、話しかけたりした。きっと、野生の生きものたちは、これまで、人間というものを見たことがなかったので、おそろしいものか、そうでないのか、よくわからなかったのだろう。やがて、あらゆる自然界は、すっかりめざめ、動きはじめた。日の光は、ちょうど長いやりのように、遠い葉や近い葉のかさなりをさしつらぬいていた。その中に、なんびきかのちょうが、ひらひらと、まいながら、やってきた。
 トムは、なかまの海賊たちをゆりおこした。みんなは、いっせいにさけびながら、かけだした。そして、二分とたたないうちに、まっぱだかになって、白い砂がすきとおって見えるきれいな浅瀬で、追いかけたり、にげまわったり、ころんだり、ころばしたりなどをはじめた。三人は、荘厳な大川をへだててねむっている、小さな村に帰ろうなどとは思ってもみなかった。気まぐれな流れのせいか、それとも、夜のうちに水かさがちょっとましたためか、あのいかだは、影も形もなく流されてしまっていた。けれども、それは、三人にはかえってうれしかったのだ。これで、いよいよ、自分たちと文明とをつないでいた橋が、焼けおちてしまったような気がしたのだった。
 キャンプにもどってきたときは、三人とも、げんきいっぱいで、心ははずみ、そのうえ、腹がすききっていた。彼らは、すぐに、火をおこした。ハックは、つめたいすんだ水のわきでているいずみを、すぐ近くにみつけた。少年たちは、ならの葉やさわぐるみの葉を、コップのかわりにして、その水を飲んだ。こんな無人の森の魅力で味をつけた水は、朝のコーヒーの代用として、申しぶんなかった。朝食のベーコンをうすく切っているジョーに、トムとハックは、ちょっと待っていてくれとたのんで、さかなのつれそうな入り江まででかけて、糸をたれた。すぐに、びくっと、手ごたえがあった。ジョーが、まだかまだかと気をもむまでもなく、いくひきかの、みごとなすずきと、すずきに似たサン・パーチを二ひき、それに小さいなまずを一ぴき、さげてもどってきた。――家族じゅうの食料としても、たっぷりたりるほどのえものだった。さかなを、ベーコンといっしょにいためてみたが、それはすばらしい味だった。こんなにうまいさかなを、これまでたべたことがないような気がした。淡水魚はとりたてを料理すればするほど、風味がいいことを、三人は、知らなかったのだ。そして、戸外でねむり、戸外で運動をし、水あびをすることが、どんなに味をそえるものか、ほんとうのすき腹というものが、どんなにものをうまくするものか、すこしも考えなかったのである。
 食事をすますと、木かげにねそべり、ハックはたばこをふかした。それから、ひと休みすると、そろって森の中の探検に出発した。みんな、陽気に進軍した。くさりかけた大木をこえ、やぶのしげみをわけ、かんむりから大地まで、つたかずらの紋章をたらしている森の王さまたちのあいだをぬって進んでいった。ときどき、花の宝石をちりばめた草が、じゅうたんのようにひろがっている、気持ちのよい場所へでたりした。
 三人は、おもしろいものをいくらでもみつけることができたが、びっくりするようなものには、でくわさなかった。この島は、長さ約三マイル、幅約四分の一マイルで、川岸にもっとも近いところは、二百ヤードたらずのせまい流れでへだたっていることがわかった。彼らは、ほとんど、一時間おきにおよいだので、テントにもどってきたときは、もう三時に近かった。ひどく腹がへっていて、さかなつりもしていられなかったので、つめたいハムで、ぜいたくな昼食をすまし、それから木かげにねそべり、話しはじめた。けれども、話はすぐにはずまなくなり、やがて、まったくとぎれてしまった。森の中にただよう静けさ、おごそかさ、さびしさが、少年たちの心に、ききめをあらわしはじめたのである。みんなは、もの思いにしずんだ。なんともいいようのない、せつない思いが、むくむくとわいてきた。まだ、はっきりしたかたちはとっていないが――ホームシックの芽ばえだった。〈凶状持ち〉のワインさえも、ねなれた、よその家の入り口や、あき家になっていたぶた小屋を思いうかべるようになった。だが、三人とも、気の弱さがはずかしいので、思いきって自分の気持ちを話そうとはしなかった。
 さっきから、みんなは、遠くのほうからみょうな音がひびいてくるのに、ぼんやり気がついていた。ちょうど、時計のこちこち時をきざむ音をきいているような、きいていないような、あの気持ちだった。ところが、いま、このふしぎな音は、しだいにはっきりしてきて、どうしても耳についてはなれないようになってきた。少年たちは、びくっとして、顔を見あわせ、めいめい、耳をすました。長いあいだ、あたりが、しいんと、しずまりかえっていると思ううちに、遠くから、どおん、どおんと底力のある、陰気な音がひびいてきた。
「あれ、なんだろう?」と、ジョーが息をころしてさけんだ。
「なんだろう」と、トムも小声でいった。
「かみなりじゃないな」と、ハックルベリーが、おそろしそうな声をだした。
「かみなりってやつは――」
「しっ!」と、トムがいった。
「しずかに――だまって。」
 じいっと待った。ずいぶん待ったような気がした。と、また、どおんと、さっきと同じような、陰にこもった低い音が、おごそかな静けさをゆり動かした。
「いってみよう!」
 ぱっと、とびあがった三人は、村に面した岸をめがけてとんでいった。彼らは、岸のしげみをわけて、川づらをのぞいてみた。村から一マイルほど川下を、渡しに使う小蒸気船が、流れにのってくだっていた。その広いデッキには、人がむらがっているように見えた。蒸気船のまわりには、たくさんの小さいボートが、こぎまわったり、うかんだりしていたが、そのボートにのっている人たちがなにをしているのか、少年たちには、かいもくけんとうがつかなかった。とつぜん、蒸気船の横っ腹から白いけむりが、ぽっとふきだした。そして、みるみるうちにひろがって、高くのぼり、ふんわりうかんだ雲になるころ、また、あの、どおんという、にぶい音が、三人のところへきこえてきた。
「わかった!」と、トムはさけんだ。
「だれかが、おぼれたんだ!」
「そうだ!」と、ハックもいった。
「去年《きょねん》の夏、ビル=ターナーがどざえもんになったときもそうだった。川の上で大砲をぶっぱなすと、どざえもんがうきあかってくるんだ。そうなんだ。それからパンの中に水銀をすこし入れてうかすんだ。そうすれば、死んだもんか、どこにいようが、ちゃんと、そこまであがってきて、とまるってことだ。」
「うん、おれもきいたことがあらあ」と、ジョーがいった。
「だけど、どうして、パンにそんなことができるんだろうなあ。」
「うん、パンにそんなはたらきがあるわけじゃないんだ」と、トムはいった。
「パンを流すまえに、そのパンにおまじないをするのがきくんだと思うな。」
「だって、なんにもパンにいいやしないぜ」と、ハックはいった。
「おれ、なんども見たけど、いいやしなかったぜ。」
「へええ、おかしいな」と、トムがいった。
「じゃ、きっと、腹ん中でいうのさ。きっと、そうだよ。そんなこと、だれだって、知ってらあ。」
 トムのいうことにも一理あるので、みんなも賛成した。でなければ、おまじないもなにもされない、ばかなパンが、そんなだいじなおつかいにだされたって、うまくしごとをやってくるなどというはずはないではないか。
「あすこへいってみたいなあ」と、ジョーがいった。
「おれだって、さ」と、ハックはいった。
「だれが、どざえもんになったのか、おせえてくれればいいんだがなあ。」
 少年たちは、じっと耳をすまして、みつめていたが、そのうち、ある考えが、トムの心にひらめいた。
「おい、だれがどざえもんになったのか、わかったよ――おれたちなんだ!」
 彼らは、いっしゅん、英雄になったような気がした。すばらしい大勝利だった。自分たちは、きえてなくなったのだ。自分たちは、哀悼をささげられているんだ。自分たちのことで、みんなが心をいためているんだ。涙を流しているんだ。この、いなくなったわれわれに、不親切だったことを思いだして、人びとは、せめさいなまれ、後悔してもおっつかないなげきにひたっているのだろう。なによりもうれしいのは、おれたちいなくなった者が、村じゅうの語りぐさになり、このすばらしい評判で、村じゅうの子どもたちにうらやまれているということだ。これは、すばらしいことだった。つまり、海賊というものは、やりがいのあるしごとなのである。
 夕やみがせまってきた。蒸気船は、いつものしごとにもどり、ボートは、どこかへ見えなくなってしまった。海賊たちも、キャンプヘもどった。彼らは、自分たちに新しくくわわった偉大さと、大さわぎの主人公になったことで、うちょうてんになった。そして、さかなをとって、夕食をととのえてたべた。それから、村の者たちが、自分たちのことをどんなふうに考えたり、いったりしているかということを話しあった。自分たちのことで、村じゅうがなげいているようすは――少年たちの考えでは――うれしいながめだったのである。けれども、夜の影が、だんだんせまってきたとき、話はとだえがちになり、彼らは、いままでとはちがったことを考えながら、じっと、火をみつめはしめた。興奮がさめてしまったいま、トムとジョーは、うちにいる人びとのことを、考えないわけにはいかなかった。その人たちは、このいたずらを、自分たちほどよろこんではいないのだ。なんだか心配になってきた。心はさわぎ、楽しくなくなってきた。しらぬまに、ため息がもれた。やがてジョーが、きみたちは、文明に帰る――といっても、いますぐというわけではないけれど――文明社会に帰ることをどう思うかと、おずおずと、まわりくどく〈さぐり〉を入れはじめた。
 トムはわらって、ジョーをやりこめた! まだ、ハックはそのときまで、へまな口だしをしていなかったので、トムにみかたした。心のぐらっきかけたジョーは、さっそ〈いいわけ〉をした。そして、自分の服についたおくびょうなホームシックの虫などは、すぐに、きれいにふるいおとしてしまったのだった。むほんは、ひとまず、うまくおさまった。
 夜がふけてくるにつれて、ハックはいねむりをはじめ、やがて、いびきをかきだした。ジョーもすぐにつづいた。トムは、しばらくのあいだ、ひじまくらをし、ねそべりながら、じっと、ふたりのほうをみつめていた。そのうち、そっと、からだをおこし、たき火の投げるちらちらした光をたよりに、草むらの中をさがしはじめた。そして、筒をたてわりにした形の白いいちじくの皮を何まいかひろいあげた。そして、しらべていたが、さいごに、使いよさそうなのを二まいえらびだした。それから、火のそばにかがむと、赤いチョークで、その二まいに、苦心してなにか字を書きつけた。一まいは、まるめて自分の上着のポケットに入れ、もう一まいは、ジョーのぼうしの中に入れて、その持ち主から、すこしはなれたところにおいた。そのぼうしの中には、小学生たちにとっては、このうえもないねうちがあるといってもいいほどの宝物を入れた――その中には、チョークのかけらが一つ、ゴムボールが一つ、つり針が三本、〈ほんものの水晶〉といわれているビー玉が一つあった。それから、用心ぶかく、しのび足で、木の間をぬって進み、もう、足音もきかれる心配がないと思うところまでくると、砂州をめざして、いっさんにかけだした。

15 わが家を偵察する
 二、三分ののちには、トムは砂州《さす》の浅瀬《あさせ》を、対岸《たいがん》のイリノイ州にむかって渡っていた。水が腹まできたころには、もう水路の半分はこえていた。それからさきは流れが強くて、歩いていけないとわかると、のこりの百ヤードは、自信がありそうに、およぎはじめた。彼は、上流にむかっておよいだのだが、思ったよりも速く、ぐいぐい下流のほうへおし流された。しかし、とうとう岸にたどりつき、低いところがみつかるまで流れに身をまかせていって、それから、岸へはいあがった。上着のポケットをおさえてみると、いちじくの皮はぶじだった。それから、服から水をぽたぽたたらしながら、岸にそって森の中をのぼっていった。トムが村の対岸にあたる広場についたのは、十時ちょっとまえだった。見ると、あの蒸気船が、高いがけの木かげに横たわっていた。またたく星の下、すべてがしずまりかえっていた。トムは、がけをするするとはいおり、目を皿のようにして、あたりに気をくばりながら、するりと水にはいり、三かき四かきおよぐと、ボートにはいあがった。このボートは、蒸気船の〈船載ボート〉の役をはたしているのである。ボートにはいこむと、彼は、こしかけ梁の下へもぐりこんで、息をはずませながら、じっと待った。
 やがて、ひびのはいった鐘ががらんがらんとなり、「ともづなとけ」の命令がきこえてきた。一、二分ののち、ボートは本船のおしりにむかって頭をあげ、船は動きはじめた。トムは、この成功をよろこんだ。これは、夜の渡しの最終ということを知っていたからだ。長い十二分か十五分の渡航がおわると、外輪の回転はとまった。トムは、ボートからはいだして川へとびこむと、くらやみの中を岸にむかっておよいで、船から五十ヤードばかり川下で岸についた。ここなら、船つき場でうろついている人にみつかる心配はなかった。
 トムは、人通りの少ない小道をとぶように走って、まもなく、おばさんのうちのうらべいのところにでた。なんなく、へいをのりこえ、家のそでに近づいて、あかりがもれている居間をそっとのぞいた。見ると、ポリーおばさん、シッド、メァリー、それに、ジョー=ハーパーのおかあさんが集まって、話をしていた。みんなは、寝台のそばにいたのだが、その寝台は、彼らと戸口とのあいだにあった。トムは、戸口にしのびよって、しずかにかけ金をはずし、そろそろ、おしてみた。戸は、すこしあいた。注意ぶかく、戸をおしつづけたが、ぎいっとなるたびに、ぶるっとふるえた。そのうち、ひざをついてはいこめるほどあいたと思われたので、用心ぶかく頭を入れ、はいりこみはじめた。
「どうして、ろうそくの火がこんなにゆれるんだろうね?」と、ポリーおばさんがいった。トムは、いそいではいこんだ。
「まあ、また、ドアがあいてるんだよ、きっと。おや、ほんとにあいてるよ。おそろしい、へんなことばかりあること。シッド、しめておいでよ。」
 トムは、そのすきに、やっと寝台の下にはいこむことができた。横になって、しばらく〈息をととのえ〉ると、おばさんの足にさわれそうな近くまではっていった。
「ところで」と、ポリーおばさんはいった。
「あの子は、世間でいってるような、不良ではありませんよ――ただ、いたずらっ子だったんですよ。ただもう、そそっかしやの、むてっぽうだったんでねえ。子馬とおんなじで、分別もなにもなかったんですからねえ。あの子にかぎって、悪気なんかありゃしませんでした。あんな、心のすなおな子は、ほんとに見たことありませんでしたよ――」
 そして、おばさんはなきだしてしまった。
「うちのジョーも、まったく、そのとおりでございますわ――そりゃもう、わるさはしますし、さんざん、いたずらはしましたけれど、しんせつで、気だてのやさしいことといったら――ああ、あの、クリームをなめたといって、むちでたたいたことを考えると、わたしとしたことが、すっぱくなったんで、自分ですてちまったくせに、それを思いださないなんて、まあ、なんということでしょう。ああ、二どとまた、あのくさされた、かわいそうな子に、もう、もう、もう、けっして、この世であえないのだと思うと!」
 ハーパー夫人は、胸もつぶれそうに、すすりあげた。
「トムも、あの世で、いままでよりもしあわせになってるといいけどね」と、シッドがいった。
「生きているうちに、もうすこし――」
「シッド!」
 トムには見えなかったが、おばさんの目がぎろりと光ったことが、よくわかった。
「わたしのトムの悪口をいうのは、やめておくれ、あの子は、もう死んでしまったんだよ! いまではもう、神さまがお守りくださってるんだよ――なにも、おまえが、なんのかのいうことはありません! ああ、ハーパーの奥さん、わたしには、どうしたら、あの子があきらめられるでしょうか! どうしたら、あの子をあきらめられることでしょう! あの子は、この年寄りに苦労のかけどおしでしだけれど、ほんとに、あの子はわたしにとっては、なぐさめだったんですものね。」
「主、与え、主、とりさりたもう――主のみ名は、ほむべきかな! でも、ほんとにつらいことですわ――ああ、つらいですわねえ! つい、このまえの土曜日にも、ジョーが、わざとわたしの鼻さきで、かんしゃく玉をはれつさせましたんで、はりたおして、四つんばいにさせたんですよ。でも、こんなに早く、こういうことになるとは、まったく思ってもいなかったんですものねえ――ああ、もし、もう一ど、ああいうことがおこってくれるんでしたら、あたし、きっと、だきしめて、ほめて、ほめてやりますのに。」
「ええ、ええ、そうですとも。そのお気持ち、よくわかりますわ。ねえ、ハーパーの奥さん、あなたのお気持ち、ちゃんとわかりますわ。つい、きのうも、トムがねこをつかまえましてね、あなた、鎮痛剤をむりに飲ませるじゃございませんか。ねこはもう、うちじゅうあばれまわりましてね、どうなることかと思ったんでございますよ。ああ、神さま、おゆるしくださいませ、わたしはあの子の頭を、指ぬきでこづきまわしたんでございますよ。ああ、かわいそうにねえ。でも、いまごろは、苦しみからのがれて楽になっておりましょうよ。それからね、あの子は、さいごに、わたしをうらむようなことばをのこしていったんですよ――」
 その思い出は、おばさんにとっては、あまりにもつらい悲しいことだったのだろう、彼女は、そこでなきくずれてしまった。これをきくと、本人のトムも、鼻をすすりあげた――だが、トムがかわいそうに思ったのは、自分自身のことだった。メァリーもなきだして、ときどき自分に、やさしいことばをもらしているのがきこえてきた。トムは、いままで考えていたより、自分を尊いものに思いはじめた。それにしても、おばさんの悲しみには、ずいぶん心をうたれたので、寝台の下からとびだして、さんざんよろこばしてやろうかとさえ思ったのだが――しかも、そういうしばいがかった、はなやかさは、トムの性質にぴったりだったのだけれども――じっとがまんして、しずかに横になっていることにした。
 トムが、じっと耳をすましてききとった、きれぎれの話をつなぎあわせてみると、だいたい、つぎのようなことがわかった。はじめ、三人の子どもたちは、水泳中におぼれたのだろうと思われていたのだが、やがて、いかだのなくなっていることが発見された。それから、ある少年たちは、いなくなった少年たちが、そのまえに、そのうち、村の人が「なにかのうわさをきくだろう」と予言したという話をした。そこで、知恵者たちが、〈あれこれ〉つなぎあわせた結果、少年たちは、いかだでのりだしたのだ、だから、きっといかだをすてて、川下の村へあらわれるだろうと、結論をくだした。昼ごろ、そのいかだがみつかったが、それは、村から五、六マイルばかりの下の、しかもミズーリ州の岸にただよいついていた――そこで、のぞみはなくなった。きっと、おぼれ死んだにちがいない。さもなければ、腹がへって、おそくも夜までには、うちにたどりつくはずだ、ということになった。死体の捜索がうまくいかなかったのは、子どもたちが、川のまん中の深いところでおぼれたからにちがいないと、考えられた。あの少年たちは、みんな、およぎ達者なのだから、ほかのところだったら、岸におよぎつけないはずはないのである。いまは水曜日の夜だ。日曜日までに、死体がみつがらなければ、すべての希望はすてなければならない。そして、とむらいは、日曜の朝、教会でとりおこなわれることになっていた。トムは、ぶるぶるふるえた。
 ハーパー夫人は、しゃくりあげながら、わかれをつげて席を立った。それから、子にさきだたれたふたりの婦人は、たがいのせつなさにたえかねて、だきあい、なぐさめあい、涙をこぼしてわかれた。 ポリーおばさんは、いつもよりずっとやさしく、シッドとメァリーにおやすみをいった。シッドは、鼻をすすりあげ、メァリーは、わあわあなきながらでていった。
 ポリーおばさんは、ひざまずくと、トムのために、ひじょうに感動的な、まことに人の心をうつお祈りをささげた。祈りのことばと、年老いたそのふるえ声には、いうにいわれぬ愛情がこもっていたので、トムは、お祈りがまだおわらないうちから、なけてなけて、しかたがなかった。
 トムは、おばさんが寝床にはいってからも、長いあいだ、じいっとしていなければならなかった。おばさんは、悲しさに心がみだれて、しじゅう短いさけび声をあげたり、おちつきわるく、もぞもぞしたり、ねがえりをうったりして、なかなかねつかれないようすだったからだ。しかし、とうとう、そのうちにしずかになって、ときどきもらす、うなり声と寝息とだけになった。そこで、トムは、はいたして、そろそろ寝台のそばに立ちあがった。そして、ろうそくの火に手をかざして、おばさんの寝顔をみつめた。それから、あのいちじくの皮をとりだすと、ろうそくのわきにおいた。けれども、きゅうになにか思いついて、しきりに考えまよっているようすだった。やがて、なにかうまい解決法がうかんだとみえて、トムの顔は、ぱっとかがやいた。彼は、いそいで、いちじくの皮をポケットにしまいこんだ。それから、かがみこんで、色あせたくちびるにキスをすると、しずかにしのびでて、戸口のかけ金をもとどおりにおろした。
 トムは、道をぬって、渡し場へとってかえした。彼は、あたりに人がいないのを見きわめると、大胆にも、そこにある蒸気船にのりこんだ。トムは、この船には、いつも夜になると番人のほかにはだれもいなくなり、その番人もへやにもぐりこんで、木像《もくぞう》のようにねむりこけてしまうことを知っていたからである。トムは、船尾につないであるボートのつなをほどくと、そっとのりこみ、すぐ注意ぶかく川上へむかってこぎだした。村から一マイルばかりまっすぐこぎのぼり、それから、むこう岸に進路をとって、けんめいにこいだ。トムは、こんなしごとにはなれていたので、ぴたりとむこう岸の船つき場ヘボートをつけた。彼は、このボートをぶんどってやろうかという考えをおこした。これでも、船にはちがいないのだから、海賊の正当な戦利品だとはいえるだろう。しかし、彼は、かならずこの船は、くまなく捜索され、その結果、かくれががつきとめられてしまうことを知っていた。そこで、彼は岸にあがって、森の中へはいっていった。
 トムは、こしをおろし、ねむらないように、目をあけて、長いあいだ休んでから、本拠にむかって用心ぶかく出発《しゅっぱつ》した。空は、もう白みはじめていた。あの島の砂州の対岸についたときには、あたりはもう、すっかり明るくなっていた。ここでもう一ど、太陽があがり、雄大な川の水面がきらきらかがやくころまで休み、それから、流れにとびこんだ。まもなく、キャンプのすぐそばまできて、ぬれねずみのまま立っていると、ジョーの話し声がきこえてきた。
「いや、トムは、うそつきじゃないよ。ハック、帰ってくるよ。にげだしたりなんかしないよ。そんなことすりゃ、海賊のつらよごしたってことも、知ってるもん。トムは、気ぐらいが高いから、そんなことはしっこないさ。きっと、なにかはじめてるんだよ。だけど、いったい、なにをやってるんだろうなあ。」
「わかった。けれど、ここにあるもんは、みんな、おれたちのもんなんだろ、そうだろ?」
「おれたちのものみてえなもんだけど、まだ早いよ。ハック、もし、朝めしまでに帰ってこなかったら、くれるって、あの手紙に書いてあるんだ。」
「ところが、帰ってきましたよ!」と、トムはさけんで、しばいけたっぷり、ずかずかと、キャンプの中にはいってきた。
 ベーコンとさかなのぜいたくな朝食が、まもなくととのった。みんなで、それをたいらげにかかると、トムは、くわしく(しかも、おまけをつけて)ゆうべの冒険を話してきかせた。話がおわったときは、三人はとくいに胸をはちきらせた一組の英雄となっていた。トムだけは、木かげに横になって、昼までぐっすりねむり、ほかの海賊たちは、さかなつりと探検にでかけていった。

16 たばことあらし
 昼食をすますと、みんなで、砂州へかめのたまごをさがしにでかけた。あちこちの砂地へ、やたらに棒をつきさして歩き、やわらかいところにぶつかると、そこへひざをついて、両手で砂をかきわける。と、ときには、一つの穴から五十も六十も、たまごがとれた。くるみの実よりもすこし小さく、白くて、まんまるいたまごだった。その日の夕食は、このすばらしいたまご焼きで舌つづみをうった。金曜日の朝も、もう一ど、のこりをたべた。
 朝食がすむと、また砂州まででかけて、ときの声をあげたり、はねまわったり、ぐるぐる追いかけっこをしたりして、一まい一まい服をぬいでいき、とうとうまるはだかになって、遠く浅瀬のさきのほうまで、はげしい流れにさからいながら、とびはねていった。ときどき流れに足をすくわれたが、それがまた、おもしろくてたまらなかった。あるときは、三人輪になってしゃがみこみ、手で水をすくって、あいての顔にぶっかける遊びをした。めいめい、しぶきがかからないように、顔をわきへむけながら、じりじりっと近づいていく。あげくのはてに、とっくみあいになって、いちばん強い者が、あいての顔を水の中へつっこむ。それから三人いっしょに、白い手や足をからみあわせながら、しずんでいき、しばらくすると、ぺっぺっとつばきをはき、わらいながら、息をはずませて、いちどきに、どっとうかびあがってくる。
 さすがに、くたくたにつかれきると、砂地へかけあがって、加わいた熱い砂の上に腹ばいになったり、あおむけになったりして、からだじゅうに砂をかける。やがてまた、川へとびこんで、さっきと同じ遊びをくりかえす。そのうちに、三人は、はだかの膚《はだ》が〈肉じゅばん〉に似ていることに気がついた。そこで、砂に大きな輪をかくと、その中でサーカスをはじめた――このサーカスには、道化役が三人あった。というのは、だれもこのいい役を、ひとにゆずろうとしなかったからである。
 つぎには、ビー玉をだして遊んだ。〈はじきっくら〉や〈輪あて〉や〈国とり〉を、あきるまでやった。それからジョーとハックは、またおよぎにいったが、トムは、あまり気がすすまないので、いかなかった。さっき、かけながら、ズボンをけとばしてぬいだとき、知らぬまに、足首にしばりつけておいた、がらがらへびのしっぽも、いっしょにけとばして、なくしてしまったのに気がついたからだ。あのおまじないもつけないで、あんなにおよいで、どうしてこむらがえりがおきなかったのか、なんとも、ふしぎなことだった。だから、それをみつけだすまで、およぐ気がしなかったのである。やっとみつけたころには、なかまは、くたくたになって、ひと休みするために、あがってきた。こんどは、三人、だんだんはなればなれな気持ちになって、みんな〈しょげこみ〉、雄大な川のむこうの日あたりに、ねむそうに横たわっている村のあたりを、じっと、なつかしそうにながめはじめた。トムは、ふと気がつくと、足の親指で、〈ベッキー〉と、砂の上に書いていた。彼は、その字をかきけした。自分の気の弱さに腹がたった。そのくせ、彼は、すぐにまたその字を書いた。どうしても書かずにいられなかったのだ。もう一ど、彼は、それをけした。そこで、なかまをかり集めて、いっしょになって、この誘惑にうちかとうとした。 ところが、ジョーは、もう、どうすることもできないほど、げんきをなくしていた。彼は、ひどいホームシックにかかって、その苦しさに、たえられなくなっていたのだ。いまにも、涙がこぼれおちそうだった。ハックも、しずみこんでいた。トムも、じつは、みんなと同じように気がめいっていたのだが、じっと、がまんして、それを、そぶりにもあらわすまいとした。まだ、うちおける気はなかったけれども、トムには、一つのひみつがあった。けれど、もしも、こんなふうな気のめいった状態が、いつまでもつづくようだったら、話さなくてはならないことになるだろうと、トムは思った。彼は、いかにもげんきそうなふりをしていった。
「おい、この島には、きっとむかしは海賊がいたにちがいないぜ。もう一ど探検してみようじゃないか。どこかに、宝物をかくしておいたろうと思うんだ。金貨や銀貨が、いっぱいはいっているくさった箱にぶつかったら、どんな気がするだろう?――なあ、おい。」
 けれども、みんな、わずかに顔をかがやかせたばかりで、それもすぐきえ、へんじをする者もなかった。トムは、なおも、一つ、二つ、みんなのよろこびそうな話をしてみたが、それも失敗だった。がっかりさせられるようなしごとだった。ジョーは、すわりこんだまま、陰気な顔をして、棒で砂をほっている。そのうち、彼はこんなことをいいだした。
「ねえ、きみたち、もう、こんなの、やめようよ。ぼく、うちへ帰りたくなっちゃった。とても、さびしくってたまらないんだ。」
「そんなこというなよ、ジョー。おまえだって、じきに、げんきになるよ」と、トムはいった。
「ここでやる、つりのことを考えてみろよ。」
「つりなんか、ぼくしたくないよ。うちへ帰りたいんだ。」
「だけど、ねえ、ジョー、ここみたいな、およぎ場所、ほかにはないぜ。」
「およぎなんて、つまんないよ。だって、およいじゃいけないっていう人がいないと、およいだって、おもしろくないんだ。おれ、うちへ帰りたくなったよ。」
「ちえっ! 赤んぼ! おかあさんの顔が見たくなったんだろう?」
「そうさ、おれ、おかあさんにあいたくなったんだ――おまえだって、おかあさんがありゃあ、あいたくたるさ。おれが赤んぼなら、おまえだって赤んぼさ。」
 ジョーは、すこし、鼻声になった。
「よし、おれたちは、なきべその赤んぼを、おかあさんのとこへ帰らしてやろう、なあ、ハック、いいだろ? かわいそうに――おかあさんにあいたいんだって? あえるようにしてやる。でも、おまえは、ここにいるだろ、どうだい、ハック? なあ、おれたちは、ここにいようよ、いいだろ?」
 ハックは、「う、うん」と、いった――が、あまり気のりのしたへんじではなかった。
「おれ、これから死ぬまで、おまえなんかと口をきかないよ」と、ジョーは立ちあがりながら、いった。
「じゃあ、帰るぞ!」
 ジョーは、むずかしい顔をして、むこうへ歩いていくと、服をきだした。
「かってにしろ!」とトムはいった。
「おまえなんかと、だれが、口をききたいもんか。さっさと、うちへ帰って、わらい者になるがいいや。へええだ、おまえは、りっぱな海賊だよ。ハックとおれは、赤んぼじゃないぞ。おれたちはのこるんだ、なあ、ハック、いいだろう? 帰りたいやつは帰してやろうよ。あんなのいなくたって、おれたちは、けっこう、やっていけるよ。」
 けれども、トムは不安だった。ジョーが、おこったような顔で、服をきているのを見ていると、心がさわいだ。それに、ジョーがしたくしているのを、ハックがたいへんうらやましそうにながめて、きみのわるいほどだまっているのが、おもしろくなかった。やがて、わかれのあいさつもしないで、ジョーは、イリノイ州の岸にむかって歩きだした。トムの心はしずみはじめた。ハックのほうをちらりと見た。ハックは、トムの目をうけとめかねて、うつむいていった。
「おれも、いきたくなっちゃったよ、トム。なんだか、さびしくなっちゃった。これからは、もっと、さびしくなるぜ。帰ろうじゃないか、トム。」
「いやだ! おまえ、帰りたかったら、帰るがいいや。おれは、ここにいるよ。」
「トム、おれ、帰りてえよ。」
「いいから、帰れよ―-だれも、とめてやしないぜ。」
 ハックは、あちこちにちらばっている服を、ひろいあつめにかかった。
「トム、おまえも、くりゃいいのに。よく考えてみろよ。おれたち、岸へついたら、待ってるからな。」
「ふん、さんざ、長いこと待つこったろうよ。それだけの話さ。」
 ハックは、悲しそうにでかけていった。トムは、心の中では、自分のほこりをすてて、いっしょにいきたいと思う気持ちに強くいためつけられながら、じっと立ちつくして、そのうしろすがたを見送った。ジョーが立ちどまってくれればいいがと、トムは思ったが、ふたりとも、ゆっくり、どしどし、あとをも見ずに歩いていった。きゅうに、あたりがさびしく、しずかになったことに気がついた。名誉心とのさいごの一合戦をこころみたあとで、トムはばたばたと、なかまのあとを追ってかけだしながら、さけんだ。
「待ってくれえ! 待ってくれよ! 話があるんだよう!」
 彼らは立ちどまって、ふりむいた。トムは、追いつくと、その場でひみつをうちあけた。はじめのうち、ふたりはぶすっとした顔できいていたが、トムがなにを考えているかがはっきりのみこめると、賞賛のときの声をあげ、「それはすげえや!」といった。そして、はじめから、うちあけてくれれば、帰りかけたりしなかったのに、といった。トムはそこで、一応もっともらしい弁解をこころみたが、ほんとうは、そのひみつをあかしたところで、それほど長いあいだひきとめてはおかれまいとおそれて、さいごの手段にしてとっておいたというわけである。
 少年たちは、にぎやかにもどってきて、また、熱心にいろいろな遊びをやりはじめたが、そのあいだも、トムのすばらしい計画や思いつきの才能についてしゃべりあい、ほめそやした。たまごと、さかなの、ごちそうがすんだところで、トムは、たばこをおぼえたいといいだした。ジョーも、その考えに賛成して、自分もおぼえたい、といった。そこで、ハックはパイプを二本作り、たばこをつめてやった。このふたりの新入りは、これまで、ぶどうの葉でつくった葉巻きしか、すったことはなかったのだ。ぶどうの葉巻きというやつは、舌を〈さす〉だけで、どう考えても、一人まえの人間のすうものとは思われなかった。
 さて、彼らはひじをついてねそべり、用心しながら、おっかなびっくりで、すってみた。たばこは、うまいものではなかったし、ふたりは、胸がむかついたが、トムは負けおしみをいった。
「なんだ、わけないや! こんなことだったら、ずっとまえにやるんだったな。」
「おれだってさ」と、ジョーもいった。
「なんでもないじゃないか。」
「うん、おれ、みんながたばこすってるのを見て、いくどもやってみたいと思ったんだけど、自分でやれるようになるなんて、考えたことなかったよ」と、トムがいった。
「おれもそうだぜ、ねえ、ハック? おれ、いつもそういってたなあ、おぼえてるだろ――おぼえてないかい? ハック。おれがいったかどうか、ハックにきいてみな。」
「うん――なんども、なんどもいってたよ。」
「へええ、そうか、おれだって、そうだぜ」と、トムはいった。
「そうさ、何百ぺんもいったさ。一どはほら、屠殺場のそばを通ったときさ。おぼえてないかい、ハック? ボブ=タンナーもいっしょだったし、ジョニー=ミラーも、ジェフ=サッチャーも、いたぜ。おれが、あのときいったこと思いださないかい? ハック。」
「うん。そうだったな。おれが、白いビー玉をなくした、そのつぎの日だったかな。いや、そうじゃない、あれをなくすまえの日だった。」
「ほれみろ!――おれがいったこと、ほんとだろ。ハックは、ちゃんとおぼえてらあ。」
「なんだか、一日じゅう、すってられそうな気がするぜ」と、ジョーはいった。
「おれ、ちっとも気持ちわるくなんかならないよ。」
「おれだってさ」と、トムはいった。
「おれだって、一日じゅう、すってられるぜ。だけど、ジェフ=サッチャーなら、きっと、できっこないよ、ね。」
「シェフ=サッチャーだって! へん、あいつなんか、ふた口もすえば、ひっくりかえっちまわあ。いっぺん、やらせてみたいね、どんなことになるか、なあ!」
「ほんとだ、やらしてみたいね。それから、ジョニー=ミラーはどうだ――ジョニー=ミラーが、たばこにまごつかされているところ、いっぺん見たいもんだなあ。」
「まったくさ!」と、ジョーはいった。
「ジョニー=ミラーなんかに、たばこがすえてたまるもんか。ちょびっとかいだだけで、のびちゃうぜ。」
「そうだとも、ジョー。なあ、おい、みんなに、おれたちがここにこうしてるとこ、見せてやりたいね。」
「うん、ほんとにそうだな。」
「なあ、おい――あいつらに、このこと、話すなよ。そいで、いつか、みんながいるとこで、おれが、おまえのとこへいって、いうのさ。『ジョー、おまえ、パイプ持ってるか? 一服やりたいんだけど』とね。そうすると、おまえがな、さも、なんでもないみたいに、いうんだ。『うん、古いパイプなら持ってらあ。もう一つあるがね、だけど、おれのたばこ、あんまりよかあないぜ』とね。そしたら、おれがね、『ああ、いいとも、ただ強きゃあいいよ』っていうんだ。そこで、おまえが、パイプを二本だすのさ。おれたち、すまあして火をつけるんだ。へっ、あいつらの顔が見てやりたいなあ!」
「すごい! そいつぁおもしろいぞ、トム! いま、やってみたいなあ!」
「おれもさ! そいで、あいつらに、海賊をしながら、おぼえたんだって話してやれば、あいつらも、いっしょにやればよかったって思うにきまってるぜ。」
「そうさ! きっと、そうだよ。」
 そんなふうに話がはずんだが、ふたりは、だんだんげんきがなくなり、話がちぐはぐになってきた。だまりこんで、ふたりは、むやみに、つばきをぺっぺっとはきはじめた。口の中は、ひっきりなしに水をふきだすいずみになって、たえず舌を動かして、この大水をかいだそうとつとめるのだが、なかなかくみきれなかった。いっしょうけんめいがんばるのだが、あふれる水はとめきれず、小川となって、のどの奥へ流れこんだ。そのたびに、きゅうにはきけがくる。ふたりとも、顔色は青ざめ、いかにも苦しそうだ。ジョーのパイプは、力のぬけた指から、すべりおちた。トムのパイプも、つづいておちた。口の中には、おそろしいいきおいで、いずみが水をふきだし、舌のポンプは、死力をつくして、それをかいだしていた。ジョーが、よわよわしくいった。
「おれ、ナイフをなくしちまった。さがしてくるよ。」
 トムも、くちびるをふるわせながら、とぎれとぎれにいった。
「うん、おれもてつだってやろう。おまえ、あっちをさがせよ。おれ、いずみのほうをさがしてみるから。――ううん、おまえ、こなくってもいいよ、ハック――おれたちだけで、みつけられるから。」
 そこで、ハックは、またこしをおろしたが、一時間も待っていた。そのうちに、なんだか、さびしくなってきたので、彼は、なかまをさがしにいってみた。ふたりは森の中で、ずっとはなればなれになって、まっさおな顔をして、ぐっすりねむっていた。けれど、ハックには、ふたりは、さっきはなにか苦しいことがあったにしろ、いまでは、もう、それがなくなっているのだということが、なんとなくわかった。
 夕食のときは、あまり話がはずまなかった。ふたりは、きまりがわるそうな顔つきをしていた。ハックが食後のたばこの用意をし、ふたりの分もつめようとしたら、ふたりは、「ほしくない。なんだかすこし気持ちがわるいから――お昼にたべたものにあてられたらしい」といった。
 ま夜中ごろ、目をさましたジョーは、なかまをよびおこした。あたりの空気がなんだか頭をおさえつけるようで、いまにも、なにかことがおこりそうに感じられた。子どもたちは、ひとところにかたまりあった。そして、息がつまるほどむし暑かったが、なんとなく火がこいしくなったので、たき火をもしつけた。そして、じっとすわって、いっしんに、やがてくるものを待ちうけた。おごそかな静けさがつづいた。たき火の明るさのとどかないところでは、あらゆるものがまっ黒いやみにつつまれていた。まもなく、ふるえるような光がひらめいて、いっしゅん、木の葉をぼんやりてらしだしたかと思うと、すぐきえた。やがて、また光った。まえのよりすこし強い。そして、また光った。森の枝がざわざわとなり、低いうなり声のようなもの音がした。と、ほおのあたりを、さっと息がかすめたように思えて、少年たちはふるえあがった。夜の精が通りすぎていったように思ったからだ。ちょっと、間かあった。と思うまもなく、こんどは、きみのわるい光が、いきなり、夜を昼にかえ、足もとにはえているどんな小さい草の葉も、一まい一まい、はっきりてらし、はっきりとうかびあがらせた。そして、同時に、おびえきった、三つの青白い顔もうかびあがらせた。底力のあるかみなりのとどろきがきこえはじめ、天をかけめぐり、やがて、すねたようなごろごろいう音になって、遠くのほうへきえていった。つめたい風が、さっとふいてきて、木の葉という木の葉をゆすり、たき火のまわりに、雪のように灰をまいあがらせた。ふたたび、おそろしい光が、さっと森をてらすと同時に、少年たちの頭上の木々のこずえをひきさいたかと思われるような、ものすごい音がおこった。すぐに、あたりはまっくらやみになり、三人は、おそろしさのあまり、かたくだきあった。ばらばらと、大つぶの雨が木の葉をたたきはじめた。
「いそげ! テントにはいるんだ!」と、トムはさけんだ。
 さっと、とびあがった三人は、くらやみの中で、木の根につまずき、つるにからまれながら、てんでに、ぱっと、かってな方角へかけだした。おそろしい風が、森の中で、ほえたけり、ふきまくり、あらゆるものに歌をうたわせた。目もくらむ光、また、光、耳をつんざく雷鳴、また、雷鳴がつづいた。やがて、どしゃぶりになり、雨は疾風にふきまくられて、白い布のように地面をはった。少年たちは、たがいによびかわしたが、その声は、たけりくるう風と、ごうごうと鳴る雷鳴に、かきけされた。だが、ようやくのことで、彼らは、ひとりひとり、テントにかけこんだ。三人とも、こごえ、おびえ、びしょぬれになっていた。だが、みじめなときに、なかまがあるということは、ありがたいことのようである。けれども、彼らは話をすることはできなかった。ほかのもの音はともかく、古い帆布のテントが、すごいいきおいで、ぱたぱたと、あおられていたからである。あらしは、ますます、たけりくるい、帆布は、ついに、ひきちぎられて、風にふきとばされた。少年たちは、手をとりあって、なんどもつまずき、きずだらけになって、川岸の近くに立っている、ならの大木の下まで、たどりついた。いま、たたかいは絶頂に達していた。たえまなく天をこがす光の下、すべてのものは、あざやかに、影もないほどに、はっきりと、てらしだされた――風にしなう本、白くあわだって、もりあがる川、とびちるしぶき。とぶ雲のわれめと、横なぐりの雨をすかして見える、川むこうの高いがけのぼんやりとしたりんかく。大木は、つぎつぎに、このたたかいにやぶれ、地ひびきをたてて、若木の上へたおれていく。すこしもいきおいのおとろえぬ雷鳴は、鼓膜がやぶれそうな、爆発的な音にかわり、するどく、ことばにあらわせないほどのすさまじさだった。無類の一大勢力を結集したあらしは、あたかも、一時に、島を八つざきにし、もやしつくし、木の頂上まで水びたしにし、ふきちらし、ありとあらゆる生物をたやすかとさえ思われた。この家なき子らにとって、これはおそろしい夜であった。
 しかし、とうとう、たたかいはおわった。あらしの軍勢はしだいにいかりの声をおさめ、はてはつぶやきの尾をひきながら、ひきあげた。平和が、ふたたび、あたりを支配した。少年たちは、首をちぢめて、キャンプヘもどってきた。しかし、彼らは、こんなめにあっても、まだ、ありがたいと思わなければならないのだということを知った。というのは、寝床をおおっていた、いちじくの大木が、落雷のために、ひきさかれていたのである。この悲劇がおこったとき、さいわいにも、三人は、木の下にいなかったのだ。
 キャンプの中のものは、なにもかも水びたしだった。この年ごろの子どもたちは、みな同じだけれど、彼らも雨のときの用意はしていなかったので、火もだめにしてしまった。これは、こまったことだった。骨まで雨がしみとおって、寒さがぞくぞくとおそってきた。この災難について、さかんにしゃべっているうちに、彼らは、さっき、大きな丸太のそばでもやしたたき火が(丸太は、そのへんから、上のほうへまがって、地面からはなれていた)ずっと丸太の奥のほうまでもえこんでいて、そこのてのひらほどの場所に、火の気が、雨にぬれずにのこっていることを発見した。たおれ木の下から、木の皮やくずのようなものを集めてきて、彼らは、やっと、火をおこした。それで、大きな枯れ枝などをつみあげてたきつけると、火はさかんにもえはじめた。三人とも、やっと、げんきをとりもどした。そして、ぬれたハムをかわかして、夜食をとった。それがすむと、たき火をかこんで、このま夜中の冒険を、おおげさに話したり、じまんしたりして、朝まで語りあかした。ねようにも、かわいた場所が、どこにもなかったからだった。
 朝日がさしはじめるころ、みんなは、ねむくなってきた。そこで砂地まででかけていって、ごろりと横になってねむった。じりじりと太陽に焼かれ、だるいような気持ちで、朝食のしたくにとりかかった。やがて食事がすむと、からだのふしぶしがいたいような、ぎごちない感じがした。そして、また、ちょっと、ホームシックがおこってきた。それに気がついたので、トムは、できるだけ、海賊たちの気持ちをひきたてようとした。だが、ビー玉にも、サーカスにも、水泳やそのほかのことにも、気のりがしなかった。トムは、あのだいじなひみつを思いださせて、やっと、ほんのすこし、みんなにげんきをださせることができた。どうやら、そのげんきがつづいているうちに、トムは、新しい計画の中へ、ふたりをさそいこんだ。それは、しばらく、海賊をやめて、インディアンになろうじゃないか、というのだった。なかまは、この考えにとびついてきた。まもなく、三人は、まるはだかになり、頭のさきから足のさきまで、黒土でしまもようをかいたので、まるで、しま馬のようになっていた――もちろん、三人とも、酋長《しゅちょう》だった――彼らは、イギリス居留地攻撃のために、森の奥深くわけ入った。
 やがて、めいめい、かたきどうしの三つの部落にわかれ、待ちぶせしていたやぶかげから、ときの声をあげておどりだし、あたるをさいわい、切りころし、頭の皮をはぐこと、無慮数千《むりょすうせん》というありさま。まことに、血なまぐさい一日だった。しかし、おかけで、みんな大いにまんぞくした。
 彼らは、夕食どき近くに、腹をへらし、心は楽しく、キャンプに集まった。が、こまったことがおこった――というのは、かたきどうしのインディアンが、なかよく、いっしょに食事するまえには、ぜひとも、たばこをすいあって、なかなおりをしなければならないおきてが、あったからである。ほかに、なかなおりの儀式があることはきいていなかった。ふたりのインディアンは、こんなことなら、海賊のほうがよかったと考えたほどだった。けれども、もう、しかたがなかった。そこで、できるだけげんきらしくみせかけて、型どおり、パイプをとり、順ぐりにまわしのみをした。
 ところが、たいしたことではないか。ありがたいことに、野蛮人になったせいか、実力がついたとみえて、このくらいのたばこをのんだところで、なにも、なくしたナイフをさがしにいくにおよばないことがわかったのである。とてもたまらなくなるほどは、胸がむかつかなくなったのである。彼らは、練習をおこたって、ここまできた有望な将来をだめにしたくないと思った。いや、それどころか、ふたりは、食後、ごく注意してやってみて、おおいに成功をおさめた。だから、その晩、ふたりは、ひどくまんぞくしていた。ふたりにとっては、インディアンの六つの種族の首を切り、その皮をはいだことよりも、この新しい技術をおぼえたことのほうが、もっと、とくいで、もっと、うれしかった。この子どもたちには、かってにたばこをすわせ、おしゃべりをさせ、だぼらをふかせておくことにしよう。わたしたちは、いまのところ、これ以上、この子どもたちには、用がないからである。

17 自分の葬式
 だが、この同じしずかな土曜日の午後、村には、すこしの陽気さも見られなかった。ハーパー家の人たちや、ポリーおばさんの家族は、なきの涙の喪に服すところだった。なるほど、村はいつも、しずかだったけれど、きょうは、なにか異常な静けさが、村じゅうをつつんでいるように感じられた。村の人たちは、日ごろのしごとも手につかず、おしゃべりもせず、ため息ばかりついていた。せっかくの土曜日のお休みさえ、子どもたちはもてあましているようにみえた。遊びごとにもさっぱり身がはいらず、いつか、だんだんにやめてしまうのだった。
 昼すぎに、べッキー=サッチャーが、ひとけのない校庭にあらわれたが、考えこみながらぶらついていると、気がしずんでいくばかりだった。なぐさめになるものは、なにひとつなかった。ベッキーは、ひとりごとをいった。
「ああ、あの、炉《ろ》の馬《うま》のとってがあったらいいんだけどなあ! あたし、トムの思い出になるものは、ひとつも持っていないんだもの。」
 そこで、彼女は、すすりなきの声をおしころした。
 やがて、彼女は立ちどまって、また、ひとりごとをつぶやいた。
「ここだったわ。ああ、もう一ど、あんなことがあるとしたら、あんなふうにはいわないのに――ええ、けっしていいやしないわ。だけど、死んでしまったんだもん。これからさき、もう、けっして二どと、あえっこないんだわ。」
 こう考えると、彼女はすっかりまいってしまって、ふらふらと立ちさった。ほおは涙にぬれていた。そのあとに一団の少年、少女たち  みんなトムやジョーの遊び友だちだ――が、やってきて、かきねごしに校庭をながめながら、尊敬の調子をこめて、トムがこんなことをやったとか、ジョーがあんなことをやったとか、さいごに見たときは、トムはどんなふうだったとか、ジョーがあんなことやこんなことをいっていたとか、(そういう、ちょっとしたことが、いまから考えてみれば、おそろしいほど思いあたることばかりだった)そんなことを語りあった。口々に、あのときは、トムやジョーが、たしかに、ここに立っていたなどと指さして、こんなことをつけくわえたりした。
「おれがここに、こんなふうに立ってさ――いま、ここにこうやってるようにだよ――ちょうど、きみがいるところに、トムがいてさ――そのくらい近くにいたんだよ――それで、そのときだよ、トムがさ、こんなふうに、にこっとわらったんだ。――そうしたら、おれは、きゅうに、ぞうっとしちゃって――なんだか、とてもおっかないような気持ちがしたんだ。――もちろん、そのときは、それがなんだかわからなかったんだ。だけど、いまとなりゃ、わかるよ!」
 それから、死んだ少年たちとさいごにあったのはだれかということについて、議論がはじまった。このきみのわるい名誉をになおうとして、おおぜいの子どもたちが証拠を提出したが、これが、また、多かれ少なかれ、ほかの証人たちによってくつがえされた。そんなふうに、やりあっているうちに、とうとう、だれが、ほんとうにさいごにあの死者たちにあい、さいごにことばをかわしたかが、はっきりきまった。この幸運をになった子どもたちは、とたんに一種、神聖な、おもおもしさというようなものを身につけ、ほかの子どもたちは、うらやましそうに、口をあけて、それをながめた。べつにいばってみせるほどの名誉をもたない、かわいそうな子は、すこしばかりじまんげに、こんな思い出話をした。
「おれは、トム=ソーヤーに、いつか一ど、なぐられたことがあるんだ。」
 だが、そんなことは、じまんにならなかった。たいていの子どもたちが、おんなじことがいえたのだから、それではちっとも、めずらしくはないわけだった。子どもたちは、なおも、うやうやしい声で、いまはなき英雄たちの思い出話をしながら、ゆっくりと、そこを立ちさっていった。
 あくる日の朝、日曜学校の時間がおわると、教会の鐘が、いつもとはちがって、ゆるやかに、葬式の鐘をならしはじめた。それは、ひじょうにしずかな安息日で、この悲しげな鐘の音は、あたりをつつむ、もの思いにしずんでいるような静けさに、ふさわしく思われた。村の人たちが集まりはじめたが、彼らはしばらく教会の入り口にたたずんで、あの悲しいできごとについて、ひそひそ声で話しあった。が、会堂のうちにはいってからは、ささやき声さえもれず、さだめの席につくために歩みを運ぶ婦人たちのきぬずれの音だけが、わずかに、その深い沈黙をやぶるばかりだった。この小さい教会が、いままで、こんなにぎっしりいっぱいになったことは、だれの記憶の中にもなかった。人びとが、じっと息をのんで待ちうけていると、ついに、ポリーおばさんが、シッドとメァリーをしたがえて、すがたをあらわした。そのすぐあとに、ハーパー家の人たちがつづいた。みんな黒ずくめの喪服をまとっていた。全会衆が、年とった牧師さんもいっしょに、うやうやしく立ちあがると、この喪に服した身うちの人たちが最前列の席につくまで、立っていた。そのあと、瞑想するあいだ、また沈黙がつづき、ときおり、それをやぶって、ひそかなすすりなきの声がきこえた。やがて、牧師さんは、大きく両手をひろげて、お祈りをはじめた。心をゆすぶるような賛美歌の合唱があり、つづいて、〈われはよみがえりなり、いのちなり〉という聖句についての、お説教があった。
 お説教の中で、牧師さんは、死んだ少年たちの優美な性質、人の心をひきつける動作、また、まれにみるほど将来有望であったことなどを、ことばたくみに話してきかせたので、これをきく人たちは、みんな、心の中で、もっともなことだと思い、いつもあの子たちのそういう性質に目をふさぎつづけ、欠点や過失にばかり目をつけていた自分たちを、はずかしく思った。牧師さんは、さらにつづけて、死んだ少年たちのやさしい、けだかい性質をしめす、感激にみちた、さまざまの逸話をならべたてたので、これをきく者は、いまとなってみれば、それらのかずかずのできごとが、いかにりっぱで、いかに美しいものだったかを、すぐにみとめることができた。そして、じっさいにそういう事件にぶつかったときには、まったく、むちでひっぱたいてやりたくなるほどのあくたれどもだと考えたことを、悲しく思いだした。胸をうつ話が進むにつれて、人びとの感動は、いよいよ高まり、ついに、全会衆がなきくずれた。彼らは、涙にくれている遺族の人たちと声をあわせて、すすりあげた。牧師さんでさえも、自分の感情に負けてしまって、説教壇の上で、声をあげてないた。
 このとき、回廊のあたりで、かすかなもの音がした。が、だれもそれに気がつかなかった。そのすぐあと、会堂の戸がぎいとなった。牧師さんは、なきぬれた目をハンケチからあげると、とたんに立ちすくんだ! ひとり、ふたり、またひとりと、牧師さんのみつめているほうをふりかえった。と、人びとは、いっせいに立ちあがって、三人の死んだ少年が、通路を前進してくるのを、まじまじと見守った。
 先頭はトム、つぎはジョー、さいごにお飾りのさがったぼろ服のハックが、はずかしそうに、こそこそとついてくる! 彼らは、いつも使っていない回廊に身をひそめて、自分たちの葬式のお説教を立ちぎきしていたのだ。
 ポリーおばさんも、メァリーも、ハーパー家の人たちも、帰ってきた子どもたちをだきしめて、息ができないほど、キスをあびせかけ、神に感謝することばをさけびっづけた。そのあいだ、あわれなハックは、多くの人たちから、ありかたくなさそうな目で見られ、どうしたらいいのか、どこに身をかくしたらいいのかわからず、はずかしそうに、もじもじしながら立っていた。ハックはためらっていたが、やがてにげだそうとした。そこをトムがつかまえていった。
「ポリーおばさん、わるいじゃないか。だれか、ハックが帰ってきたのをよろこんでやらなくちゃ。」
「いいえ、みんなよろこんでいますよ。わたしだってよろこんでいるんだよ。ああ、かわいそうに、この子には、おっかさんがなかったんだっけね!」
 そして、ポリーおばさんは、やさしいことばをおしげもなく投げかけるのだったが、ハックはこれをきくと、いよいよ、いたたまれない気持ちになった。
 とつぜん、牧師さんが、あらんかぎりの声をはりあげてさけんだ。
「あめつちこぞりて、かしこみたたえよ――みなさん、うたいましょう。心をこめて。」
 そして、みんなはうたった。なじみの深い賛美歌第《さんびかだい》百|番《ばん》は意気揚々と、とどろきわたり、この歌声が会堂の天じょうをゆるがしているあいだ、海賊トム=ソーヤーは、うらやましそうに彼を見守っている子どもたちをながめて、心ひそかに、いまこそ、わが生涯におけるもっともほこらしいときだ、と思った。
 みごとに、ぺてんにかけられた会衆は、ぞろぞろ教会をでていきながら、あんな感激のこもった第百番がきけるなら、もう一どだまされてみてもけっこうだ、と思った。
 この日、ポリーおばさんのお天気のかわるままに、トムがちょうだいした、げんこつや、キスの数は、これまでの一年のあいだにうけた数よりずっと多かった。いったい、そのげんこつとキスのうち、どっちのほうが、神さまへの感謝と、トムヘの愛情をあらわしているのか、トムには、ちょっと、わからなかった。
〈上巻おわり〉


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《訳注》かっこ内の数字は本文ページ*〈喜びの山〉三六) イギリスの(ンヤン(匸(        しゅうきょうしょうせっ てんろれきてぃ 一八~八八年)の宗教小説『天路歴程』にて てくる山の名。*吃 水(匸) 船が荷物を最大隕につんだと き、水の下にしずむ部分の深さ。*口 琴爪六) 口にくわえ、弦をはじいて鳴ら す楽器。*十本の柱に……(。‐1一’七) ボーリングのこと。*モンレブラン气七) フランスとイタリアの国 境にあるアルプス山脈でいちばん高い山。*足ふみ車をまわす(三ヒ)ふみ板をふんで車を まわすことで、単調な仕事のため、刑罰とし ておこなわれる。*パンダレッド[四] スカートの下にはくかざ            とぅじ じよセい りゅうこう りのついた長ズボンで、当時の女性に流行し ていた。*シナイ山(願)旧約聖書にあるエジプト東 部の山で、イスラエル建国に力をつくしたユ ダヤ民族の英雄モーゼ(紀元前一五~コニ世
 紀ごろ)が、ここで神からさずけられた十の 戒めを十戒という。木山上の垂訓(顏) 新約聖書にある、ガラリヤ 湖畔の山上でキリストがおこなった、正義と 愛についての教訓。エバーロー・ナイフ〉(五六) バーローという人 が忤りはじめた、一枚の大型ナイフ。*甘 草(合) あまい味のする草の根で、子ど もがお菓子がわりにかじる。*トレーバイブル(六一) フランスの画家ドレニ ハ万了八三年)がさし絵をかいた、豪華版の聖 書。*十二使徒(七) キリストがその教えをつたえ るために特にえらんだヘテロヤコブなど十 二人の弟子。*ダビデゴリアテ(七言 ダビデ旧約聖書 にでてくるイスラエルの国王、ゴリアテはダ ビデに殺された巨人で、ともにキリストより 千年以上もまえの人物であり、トムの答えは まったくの見当ちがい。*さいごの審判(七ヒ) キリスト教で、この世の
 終わりに、人類が、神によってさばかれると されているとき。*至福千年期((つ) キリスト教で、この世の終 わりにキリストが再来し、キリスト教徒とと もに千年間、世界を支配するとされている黄 金期。*雷 管((一) 火薬に点火するための道具で、 錮、アルミニウムなどの管に発火薬をつめた もの。*へぎ板の網代あみ(仁一) 杉やひのきなどの うすくはいだ板を、ななめやたて横にあんだ もの。*破 風言冥) やねの山型の部分についてい るかざり板。*びゃくろう(Ξ九) すずとなまりの合金。( ンダ。*炉の馬(三亡 炉でまきをもすとき、まきを よせかけるための金属製の道具。*シャーウッドの森∩已) 中世イギリスの伝 説的な英雄ロビン目フットが、坊さんタック 水車場のせがれマ。クら百人あまりのなかま
 とともに、義賊として、ノ。チンガムの郡長 らとたたかうためにすんでいたといわれる森。*〈死に時計二三六) かべやしょうじなどにと まり、足でひっかいて音をたてるこん虫。ちゃ たて虫ともいわれる。*ろくしょう(一五三) 銅のさびで有毒。しんちゅ うにはでない。*からだにコールタールをぬり……(一七一) 当 時アメリカでおこなわれたリンチの一種。*骨相学(一七四) からだの骨組みのようすから。     せいしっ うんめい はんたん  かくもん その人の性質や運命を判断する学問。*ギリアドの香油(一七五) アフリカにある植物 からとる、かおりのよい油。*温浴……(一七五) 温浴は、ぬるめのお湯には いること。座浴は、すわったままでこしから 下だけお湯につかること。濯水浴は、お湯を そそぎかけること。*発泡膏(一七五) ねり薬の一種で、皮膚にぬり つけ、水ぶくれを生じさせて病毒をとりのぞ*凶状持ち(一(七) 凶悪犯罪をおかしたこと
のある者。前科者よりつよい意味でつかわれる。            〈訳注・おわり〉

もくじ
The Adventures of Tom Sawyer     by Mark Twain First published in America        1876.
マーク=トウェイン
  はじめに………………………………………………
01 わんぱくトム………………………………………………………………………9
02 すばらしいへいぬり…………………………………………………………………
03 愛《あい》の殉教者《じゅんきょうしゃ》………………………………………………………………………泅
04 日曜学校で………………………………………………………………………53
05 かみつき………………74
06 ベッキーにあう…………
07 だに遊びと仲たがい…………………………………………………………………m
08 海賊の夢………………………………………………………………………124
09 夜ふけの墓地…………5
10 犬の遠ぼえ…………
11 うなされるトム………………………………………………………………………163
12 しろうと療法とねこ ………………………………………………………………173
13 海賊団の出帆
14 楽しいキャンプ
15 わが家を偵察する
16 たばことあらし
17 自分の葬式
  訳注……………………………………………………………………………247
装 丁・辻村 益朗      さくらい まこと カット・桜井 誠