『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

わたしの、本気の反万博論 その24 現在の反体制運動の反万博は、せいぜい40%しかできていない。大型公共事業批判としては97%ぐらいできているのだが。……

……群馬の追悼碑撤去問題で大激震がおきているときに、これを書くことは気が引けるが、ここで退いてはいけないと判断する。

驚きあきれると思うが、わたしは本当はこうだと判断している。そして、少なからず失望している。
この数字の理由は、これまでの反万博についての記事は、ほとんどのばあい、反「大型公共事業」であって、反「万博」、反「博覧会」ではないからだ。
そもそも、反万博の会自体が存在しない。現在あるのは、夢洲懇親会と反カジノの会だけだ。反オリンピックの会はあるのに……。これは一種の堕落である。ここはこだわりたい。

そして、反「大型公共事業」と反「万博」を区別していない論者には、いろいろ共通点がある。
たとえば、海外渡航の自由化とディズニーランドとハリウッドとソーシャルネットサービスのいいね機能、この4つに対する認識がかなり甘い。

あとでくわしく書く。これは私が判断するかぎり、きわめて重要なことだからだ。

それにしても、「いいね機能は独創性を抑圧する可能性が高い(抑圧する、と言い切ってしまえないのがややこしくしている)」という批判がなんでこんなに少ないのだろうか。A・ワイルズとG・ペレルマンという、誰でも知っている強力な反証があるのに。いや、そんなことをしなくても、人類の発明発見の歴史をざっとふりかえれば、どこのだれでもすぐ気がつくはずなのだ。

「群馬の追悼碑撤去で大激震が――」の一文追を最初に追加、反万博で頭がいっぱいだった、反万博と反歴史修正主義を徹底的に融合させないといけない。変に聞こえても、わたしの考えでは積極的な価値がある。
限界まで中身をつめこまないといけない。当然だ。
そういう例は、『神聖喜劇』の「大前田の大演説」や『子供を殺してくださいという親たち』の「最後の取引」の「それはあなたのやりかたが100%○○○としてのそれだったからです」「なにくれとなく与えたうえに病気まですべて○○○しまった」「まるで○○○に尽くすみたいに……」「違いますか?」「それは……」の一連の場面など。