「日本人」という概念は、だれもが頭の中にもっているが、完全な定義は不可能な、奇妙な概念である。
まず一ついえるのは、それが(想像上の)血統主義とイコールには決してならない、ということである。ここから、非常に奇妙な結論が出てくる。たとえば、血統上確実な日本人の男性と血統上確実な日本人の女性から生まれた人物が、人生のある時点で、「血統上確実な日本人」で完全になくなってしまうかもしれないことは十分ありうる、ということである。
これは理論的な話であり、たしか経験的にはほとんど見られないが、まったくないわけではない。
「皇軍慰安所の女たち」(1993年、川田文子、筑摩書房)には四人の被害当事者女性が登場するのだが、第二章目にある女性が登場する。インターネット上では、この女性についての情報がほとんどないようなのだが、簡単にいうと、日本人なのか沖縄人なのか朝鮮人なのか、本人もその時その時でちがうことを言っており、また、川田氏らをふくめて周りの朝鮮人や沖縄人の支援者も、この人物の民族所属を確定させることができなかった、というとても奇妙な人物なのである。話すと長くなるので詳細はぜひとも本書を読んでほしいが、戦争犯罪というカテゴリをはなれて考えると、事実は小説より奇なりというしかない事例なのである。少なくとも、残留日本兵の事例で似たようなものを私は知らない。
さて、ここで「黒子のバスケ脅迫事件」(2012年~2013年)の加害者・渡邊博史氏について書きたい。「渡辺博史」という表記もあるようだが、出版した書籍の表記にしたがって、「渡邊博史」とする。
私が知るかぎり、反歴史修正主義の間ではあまり話題にならなかったが、この事件は、「日本人」というワクぐみがゆらいでいることを示している事件だと考えていいと思われる。少なくとも、十分検討に値する。渡邊博史氏(本人に失礼にならないように、氏づけをする)の手記「生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相」(2014年、創出版)と、篠田博之氏の公開記事を読めば、渡邊氏は非常に自他にたいする判断力が高く興味深い人物であることがわかる。
この手記および記事によると、彼は自分の立場を一度ならず「在日日本人」と呼んでいることが判明している。念のために書くが、渡邊氏は手記にいくつか独自の造語をつかっており、「在日日本人」はその一つではある。差別反対運動の理論を熟読したというわけでもないようだ。もしそうだったら、どこかではっきり書いているはずである。しかし、渡邊氏は「差別」というものの核心部分についての洞察をえており、それを文章化する力量がある。
「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース
認識を新たに自分の人生を改めて振り返ってみて、自分の事件とは何だったのかを改めて考え直しました。そして得た結論は、
「『浮遊霊』だった自分が『生霊』と化して、この世に仇をなした」
です。これが事件を自分なりに端的に表現した言葉です。さらに動機は、
「『黒子のバスケ』の作者氏によって、自分の存在を維持するための設定を壊されたから」
まず「社会的存在」と「生ける屍」について説明を致します。
日本人のほとんど全ての普通の人たちは、自分が存在することを疑ったことはないと思います。また自分がこの世に存在することが許されるのかどうかを本気で悩んだこともないと思います。
人間がなぜ自分の存在を認識できるのかというと、他者が存在するからです。自分の存在を疑わないのは他者とのつながりの中で自分が規定されているからです。家庭では父として、夫として、息子として、兄として、弟として。親族の集まりでは祖父として、孫として、叔父として、甥として、従兄弟として。学校では生徒として、同級生として、部活の部員として。勤務先では上司として、同僚として、部下として。地域ではその地域の住民として。その規定のパターンは無限です。
もし普通に生きていた男性がいきなり両親から「お前は私たちの本当の子供ではない。そしてお前は日本人ではない」と告白され、次に兄から「お前は血のつながった弟ではない」と告白され、次の妻から「あなたの妻は本当は死んでいる。私は途中から妻になりすましていた別人」と告白され、次に息子から「僕はパパの本当の子供じゃない。血のつながったパパは別にいる」と告白され、次の会社の上司から電話で「お前はクビ。今日限りで○○株式会社の社員ではない」と通告され、次に出身大学の学長から電話で「お前の卒業を取り消して除籍とする。お前は○○大学のOBではない」と通告され、次に住んでいる街の自治体の首長から電話で「今すぐ○○市から出て行け。お前を○○市の市民とは認めない」と通告されたらどうなるでしょうか?おそらく自分の全てが崩壊するかのような大パニックに陥ると思います。人間に自分の存在を常に確信させているのは他者とのつながりです。社会と接続でき、自分の存在を疑うことなく確信できている人間が「社会的存在」です。日本人のほとんど全ての普通の人たちは「社会的存在」です。
人間はどうやって「社会的存在」になるのでしょうか?端的に申し上げますと、物心がついた時に「安心」しているかどうかで全てが決まります。(略)
ちなみに、彼は同性愛者であり韓国人アイドルのEXO(私は知らなかったが、かなり有名らしい。写真を見るかぎり、なかなか見ない美形青年である)のファンである。最終陳述でこのことをはっきり発言している。日本の裁判所で韓国語を叫んだのは、大日本帝国創始以来、おそらく10人もいないだろう。
被告は胸に「EXO」と書かれた黒いTシャツを着用しており、意見陳述の最後に「ベッキョン!サランヘヨ!」と叫んだのだが、傍聴席にいた誰も意味を理解できないようだった。
「ベッキョン!サランヘヨ!」は「백현!사랑해요!」、直訳すれば「ペッキョン!愛してる!」になる。私も昔まちがえていたことがあるが、「サランヘヨ」は「さよなら」ではない(「안녕」などになる)。おそらく、韓国ドラマでおぼえたのだろう。
まだまだ書ききれないことが多いのだが、とりあえずここで終わることにする。
今年の明治維新150周年祭のもりさがり(特に大河ドラマ「西郷どん」)、もりさがりつづけるオリンピック事業、「日本スゴイ」をとりあげる番組で「1970年大阪万博」、特に「太陽の塔」をほとんど無視している事実、朴裕河事件で文学研究と歴史研究が正反対の結論を出したこと、高木仁三郎氏の(特に最晩年の)著作の無視、内閣府と明治製菓の共同研究のデータねつ造、ほかにもあげきれないぐらいたくさんあるが、これらをすべて考えると、二つの驚くべ結論がみちびきだせる。
「「(想像上の血統において真正な)日本人」はいるが、「日本民族」はすでにほろんだ。「民族文化」がなくなってしまったから」
「日本民族は復活するかもしれないが、今後50年、2070年までみて、それは限りなく難しいことがわかる。日本文化とよばれるもののうごきを予想すれば、だれがみても大凶だとわかるから」
私個人としては、岡本太郎氏にならって、せめて「日本”列島”民族」としての復活をしてほしい。だが、かなり難しいだろう。
参考
永山則夫 封印された鑑定記録 堀川惠子 - 本と奇妙な煙
石川の人生の分岐点となった、ある非行少女
怒りっぽく、爆発的な興奮があり、ガラスを叩き割ったり、ドアを蹴破る。性格は未熟で自己中心的、平気で嘘をつき、やけになりやすいという特徴もあり、職員からも「この子は矯正教育の対象にはならないから早く精神病院に送ったほうがいい」という諦めの声があがるほど見放されていた。
石川は土居ゼミで学んだことを実践することにした。ただひたすらにA子の話を「聴く」ことから始めたのである。
面接は毎回一時間と決まっていた。A子は最初、他人の悪口を言っては泣きわめき、面接の部屋は怒号に包まれるばかりだった。ところが、石川がひたすら聴く作業に徹してから二ヶ月くらいすると、A子の興奮は次第に影をひそめた。そのうち、彼女は石川との面接時間を楽しみにするようになり、自分自身のこと、両親のことを少しずつ打ち明け始めた。時には甘えるような態度もとるようになり、周囲の職員を驚かせた。
そして石川が、少女の人格が発進していく可能性を楽観し始めた頃、二度目の試練が起きる。(略)
[石川が仕事で面接に遅刻]
するとA子は、「今日はもう石川に診てもらえない」という不安にかられ、興奮して暴れだした。職員から知らせを受けて慌てて駆けつけると、A子は「今まで男に裏切られてきたから、先生にも裏切られたのかと思った」とすぐに落ち着きを取り戻した。ところが、面接が終わろうとすると再び興奮し、怒りを拡大させ、初めて石川への憤懣を爆発させた。A子の心には、石川に対する独占欲で他の少女患者に対する嫉妬が渦巻き、怒りと同時にドロドロとした甘えが絡みあっているように見えた。
石川が懸命に対応すればするほどに激しく興奮し、ついには、自分がかけていた眼鏡を放り投げた。その眼鏡は彼女にとって特別なものだった。視力の悪い彼女に石川が貸し与えたもので、石川の分身であるかのようにとても大事にしていた。彼女は自らの手でそれを壊してしまったのである。A子はますます絶望的な混乱を示し、三時間以上にわたって泣きわめき、ついには向精神薬を大量に注射して鎮静させる事態になった。
石川は他の教官らから厳しく突き上げられた。「先生が甘やかしすぎるからだ、もっと厳しい治療方針にすべきだ」と批判にさらされた。(略)
[院長のとりなしで、治療は続行]
石川は、A子は面接時間では話し足りないのだと判断し、日記を活用することにした。大学ノートを二冊用意し、A子が書いてきた一冊を石川が読んでコメントし、次回に交換するという方法である。
するとA子は、大学ノート一冊を一週間で使い切ってしまうほどの分量で書き始め、コミュニケーションは一気に深まった。自分の思いを文字にすることで興奮することも暴れたりすることも減っていった。「行動化」が「言語化」に変わったのである。
(略)
そして、A子への治療を通して確信したという。非行というものの多くは、親の仕打ちに、これ以上、我慢できなくなった子どもが止むに止まれず行動で示すことなのだと。
第3回 すべてのものと対等であるTARO。 - 岡本太郎のくらし- ほぼ日刊イトイ新聞
私(担当:ほぼ日の菅野)は、2003年に
岡本太郎さんのコンテンツの連載を担当しました。
そこからずっと勝手ながら、
太郎さんを身近に思ってきました。
今回、「生活のたのしみ展」で
扱わせていただくことになった「椅子」について
改めて考えたとき、
岡本太郎さんは、なんに対しても
徹底して対等だったのではないかと気づきました。平野
そうそう、そうですよ。──
親子の関係も早いうちからそうだったし、
偉い人たちに対する態度も、
子どもの絵に対する態度もそうだし、
ペットもわけへだてなく、カラスだったし‥‥。平野
偉人、権力者、幼児、年寄り、カラス‥‥、
みんないっしょです(笑)。──岡本敏子(前館長)さんもよく言っていた
太郎さんが使う「いやしい」という言葉はつまり、
「対等ではない」という意味だったのではないかと
いま私は解釈しています。
どんな人でもものでも、同等で対等。
それが基本姿勢で、貫いていたのではないかと、
やっと昨日気づいて、自分で驚きました。平野
何が偉いとか、上とか下とかないし、
自分は人間で相手は動物だからとかいうのもないし、
子どもだから適当にあしらおうという気もない。