『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

人間の幸せとか、一生を賭けるに値することというのは、そとづらをとりつくろうことなんかじゃないんだ!

岡本太郎が、いる』より

でも素晴らしい。
 こういう風に岡本太郎ペースで三日ばかり歩きまわっているうちに、芮さんの表情がいつかほどけて来た。優しく、明るさがほの見えるようになって、時にはおかしそうに笑う。沈鬱だったから、ちょっと天を寄せつけないようなところがあったが、こうなってみると本当はあたたかい、親しみ深い人なのだ。
 ある夕方、彼ら新聞記者や知識人のたまり場になっている飲み屋につれて行ってくれた。階下は汚いが普通のお客の飲んでいる店。二階、といっても低くて立つと頭をぶつけてしまう屋根裏の、面白い巣だった。そこでマッカリを飲みながら、彼らの本音の思いや悩み、矛盾、現代韓国の抱えている問題を熱っぽく語りあった。
 彼らは言う。「日本人が卑屈に眼をそらし、こちらを見ないようにしながら、とってつけたように韓国を賞めたりすると、猛烈に腹が立つ。しかし、けなされるともっと腹が立つ」
「ほんとだよなあ」
 と岡本太郎さんは明朗に笑ってしまう。屈折した彼らのその思いは十分解るが、そこにありありと見えている日本人の姿は卑しい。滑稽としか言いようがない。「まったくです。そうでしょうね」などと、この人は深刻にならない。
 日本人が韓国人に対して毅然として、人間としてぶつけるものはぶつければいいのだ。それをしないで、ビクビクして、面倒なことは触れずにごまかして、友好だとか、親善だとか言おうとする。あの姿のいやらしさ。歴史の解釈とか理屈はいろいろある。それはそれとして、人間像として美しくない。それを彼自身、いつも痛切に憤っている。
 実感をもって、共感するから笑ってしまう。それはちゃんと相手に伝わる。笑うなんてけしからぬ、馬鹿にしているなんていう人は一人もいなかった。みんな朗らかに、向うもカタルシスを受けとるのだ。
「岡本さんのように、平気でぽんぽん悪口も言う、問題をつきつける、こういう日本人にははじめて会った」
 と言われた。
 彼がこういう人間であり、この国の文化、ここに生きている人たちが心底好きなのだということは、芮さんのようなインテリだけでなく、全然知らない普通の人たちにも、すっと解ってしまう。それが不思議だ。
 彼らとは別れて済州島に行き釜山から汽車で慶州に行ったときのことだ。同行した人から 「このあたりは、とりわけ日本人に対して険悪な感情を持っている。何かあるといけませんから、汽車の中では絶対に日本語を話さないで下さい」
 と言われた。汽車は満員だった。通路に立って、ゆられながら車窓にひろがる景色に見惚れた。一面の田圃、広告や立看板が一つもない。それが清らかで、自然の営みという感じがする。その時代はまだセマウル運動がはじまったばかりで、村は昔のままの藁屋根の家が身を寄せあって点在している(藁屋根は非衛生だというので、この運動が浸透すると、壊されてしまい農村風景は一変した)。その風情が自由で、自然で、いかにも人間くさい。

「ほら、見ろ見ろ。いいねえ。あの形。一つ一つみんな違うだろう。ちょっと傾いてるところが何ともいえない」
 岡本太郎は眼を輝かし、身をのり出して大喜び。日本語を話さないようにと言われたことなんか、もうすっかり忘れている。私も嬉しくなってしまって、
「ほら、あっちも。いいですねえ」
 二人で飛びあがらんばかり、感激していた。しばらくすると、窓際の席に坐っていた工員風の男の人が、むっとした顔でこちらを見て、立ち上るや、
「ここへ坐りなさい」
 日本語なのだ。この辺の人は日本語がわかるのだろう。さっきから私たちが無邪気に、手放しで喜んでいるのをじっと聞いていたらしい。坐りなさい、と言っても、そんな――日本人には悪感情を持っているというのに。
「いいえ。結構ですから」
 恐縮して、遠慮するのに、
「坐りなさい!」
 命令調だ。
 仕方なくその席に坐ろうとした。すると反対側の窓際に坐っていた人がやおら立ち上り、
「こっちの方が景色がいい。ここに坐りなさい」
 席を譲る人同士、喧嘩になりそうな勢い。韓国の人は激しい。やっとより強硬な人の方に坐らせて貰った。その隣りの人が私のために譲って下さり、いつものように太郎の発言をメモすることも出来たし、有難かった。
 席を譲ってくれた人は怒ったような顔で、向うの出口に近いところに行って立ち、新聞をひろげていた。……日本人なんかに席を譲るなんて、いまいましい。だがあいつらが、あんまり嬉しそうに喜んでいたから、そう言ってやらずにはいられなかったんだ。畜生! そう言っているのが聞えてくるような顔つきだった。
 汽車を下りてから、事の成り行きをハラハラして見ていた連れの人が、
「びっくりしました。この線で、日本人に席を譲るなんて、前代未聞ですよ。恐らくあの人は、今日のことを一生忘れないでしょう」