『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

主体的独創性と言うものの奇妙さ、の一つについて。

まちがっていたら教えてほしい。

人間の主体的独創性、というものを世界ではじめて厳密に記述することに成功した(といえる)一人が、カントだろう。しかし、たとえばカントの三批判書をいくら読んでも、どうしてカント自身が、当時のヨーロッパの中心と断言していいか迷うようなある大学の一教師が、また思想上の過激派と決定的なつきあいがあったわけでもない一教師が、この三批判書を書くことができたのか、まったくわからない。本当にまったく、わからないのである。そして、カントはこのことについて核心部分を一切沈黙しているはずだ。ヘーゲルは「わたしの哲学上の著作は世界史の必然!」と言い切る。このヘーゲルの断言をなにか怪しげだと思うなというほうがむりだろう。だからヘーゲルは当時もそのあともそして現在もさんざん批判されたのである。しかし、カントが自分の哲学上の著作を歴史の必然とか自身の天才の結果として(大して)自己宣伝しなかったからと言って、それを「謙虚だなあ」などとすませるのは、なにか根本的にズレているのではないか。すくなくとも、カントはそのことの怖さをわかっていたと推測できる。「わたしは、すごいことを書くことができてしまった。神への信仰がなければ、とてもできなかった」とカントは何度も思いにふけっただろうとわたしは推測する。注意しておくが、カントは敬虔なキリスト教徒だったから「神への信仰」と書いただけで、無信仰者は、「何かへの存在の確証」と置き換えてほしい。「神聖な」はわざと入れなかったことに注意してほしい。

ここで、岡本太郎に登場してもらおう。岡本太郎という人は主体的独創性の擬人化みたいな人間であるが、その結果の一つ、『太陽の塔』について、こんなことをいっている。1970年大阪万博開催時、ある記者から、どうやって『太陽の塔』ができたのか、と聞かれたときに、長い沈黙の後、こう答えたというのである。

「それは……当人に聞いてみないと解らないねえ」(『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』、岡本敏子、P022)

どういう意味だか、わかるだろうか?
「当人」と言うのは、太陽の塔、そのもののことである。
念のために書いておくが、岡本太郎は真剣そのものである。

つまり、主体的独創性というのは、奇妙なことだが、たとえばわたしの肉体を合計したもののどこかにあるわけでは、まったくない。では、どこに「ある」のか。わたしの答えは、こうだ。「ただ、その人の、まわりをふくめた全体のなかに、可能性として、ある」。自分で書いていて奇妙に思えるが、本当にそうなのだから、こう書くしかない。
このことの厳しさが分からない、分からないように見える人が多すぎる。