『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

『自負と偏見』(ジェイン・オースティン:作 中野好夫:訳)

自負と偏見

 独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。
 はじめて近所へ引越してきたばかりで、かんじんの男の気持や考えは、まるっきりわからなくとも、この真理だけは、近所近辺どこの家でも、ちゃんときまった事実のようになっていて、いずれは当然、家《うち》のどの娘かのものになるものと、決めてかかっているのである。
「ねえ、あなた、お聞きになって?」と、ある日ミセス・ベネットか切り出した。「とうとうネザフイールド・パークのお邸に、借り手がついたそうですってね」
 さあ、聞かないがね、とミスターベネットは答える。
「いいえ、そうなんですのよ。だって、今もロングさんの奥様がいらして、すっかりそんなふうなお話でしたもの」
 ミスターベネットは答えない。
「あなたったら、借り手が誰だか、お聞きになりたくなんですの?」奥様のほうは、じりじりしてきて、声が高くなる。
「お前のほうこそ話したいんだろう? むろん聞く分には少しも異存はないがね」
 待ってました、というところだ。
「ねえ、あなた、その借り手というのがね、ロングさんの奥様の話なんだけど、まだ若くて、えらいお金持だっていうんですのよ。なんでも北イングランドの方ですって。月曜日に、四頭立の馬車《シェイズ》で下見に見えたんだそうですけど、たいへんなお気に入りようで、さっそくモリスさんとの話を決めちまって、ミクルマス(九月二十九日)までには引き移ってくるんだそうですって。それに召使たちは、もう来週中にも移ってくるような話なんですのよ」
「名前は?」
ビングリーさんとか」
「世帯持ちなんかね、それとも独りもの?」
「まあ! もちろん独りもんですわよ。独りもので、大金持で、なんでも年四、五千ポンドだかの収入はあるとか。素敵じゃありません? 家《うち》の娘たちのことを考えても」
「そりゃまた、どうしてだね? 家の娘とどんな関係がある?」
「まあ、じれったいったら。あなたって人は、どうしてそうなんでしょうねえ。よござんすか、わたしはね、もしかして家の娘のだれかと結婚するようなことにでもなればと、そのことを考えてるんじゃありませんか」
「そんなつもりで、引越してくるのかい?」
「つもりですって! バカバカしい、よくもそんなつもりがおっしゃられてますわねえ。でも、どうかした拍子で、家の娘と恋に落ちるということだって、結構考えられますわよ。だからね、あなた、引越して見えたら、さっそく挨拶に行っていただきたいの」
「そんな必要ないねえ。それよりか娘たちを連れて、お前が行きゃいいじゃないか。それとも娘たちだけでやるか。そのほうが、もっといいかもしれない。というのはね、娘たちよりは、お前のほうがきれいかもしれないからな。万一先方でさ、お前がいちばん気に入ったなんてことになると困る」
「おやおや、ご馳走さまですこと。そりゃわたしだって、ねえ、あなた、昔はこれでも十人並くらいの自信はありましたわよ。でも、いくらなんでも、もう今じゃねえ。女も、大きな娘の五人もあるようになっちゃ、もう顔のことなんぞ考えてる暇ありませんものねえ」
「そりゃもう考えるにもなにも、かんじんの顔のほうがいっちまってるからな」
「でもね、あなた、とにかくビングリーさんが見えたら、さっそく行ってみてくださらなくちゃ」
「そいつは、どうも約束しかねるね」
(略)

(略)
 わたしのリジー
おめでとう。わたしがウィカムを愛している、その半分でもあなた、ダーシーさんを愛していらっしゃるならね、お姉様もきっと幸福よ。お姉様が、そんなお金持におなりになって、ほんとうにうれしいわ。なんにもなさることがなくて。お暇なときは、わたしたちのことも、思い出していただきたいわ。主人は、なにか宮廷の職につきたいというんだけど、それどころか、わたしたち、誰かに助けていただかなければ、毎日の暮しのお金さえ、満足には入らないらしいのよ。年三、四百ポンドになれば、どんな口だっていいんだけどねえ。でも、おいやなら、ダーシーさんには、おっしゃらなくても、よくってよ――では(下略)

 エリザベスとしては、もちろん大いにいやなほうだったから、今後このような依頼や期待は、二度と言ってこないように、返事の文面を書いた。もっとも、彼女自身の小遣いの節約というか、そんなことで出せる程度の援助は、たびたび送金してやった。とにかく金使いは猛烈に荒いし、将来のことなどまったく考えていない、二人の男女が切りまわすのだから、彼等の収入では、その日の暮しにさえ困るのは、いつも明瞭だった。駐屯地が変るたびに、いつもきまってジェインかエリザベスか、どちらかが、借金払いに、少しばかりだが、助けてほしい、という哀願を受けるのが例だった。戦争がすんで除隊になり、なんとか家をもってからでも、依然として彼等の暮しは、極端に不安定だった。安い借家を求めては転々し、たえず赤字、赤字の浪費ぶりをつづけていた。夫の愛情は、まもなくうすれて、無関心になるし、妻のそれも、ただそれよりは少し長くつづいただけだった。だが、ただ幸いなことは、彼女の若さ、そして行状にもかかわらず、人妻の貞操をあやまって、世間の非難を受けることだけはしなかった。
 ダーシーも、さすがに彼を、ペムバリーヘ迎えるだけはできなかったが、エリザベスのためもあって、その後も職のほうなどは、引きつづき助けてやっていた。リディアは、夫がロンドンやバスに行っているあいだ、よく遊びに来たとりわけ、ピンダリー夫妻の家へ行ったときなどは、よく二人してじつに永逗留《ながとうりゅう》で、これにはさすが、人のよいビングリーも困り果て、なんとかそれとなく、帰ってくれと言ってやろうかなどという話さえ出たくらいだった。
 ミス・ビングリーは、ダーシーの結婚で、ひどく気を悪くしてしまった。といって、ペムバリーヘの権利だけは、のこしておくほうが、得策と見たせいか、そのうち、不機嫌はすっかりやめてしまった。ジョージアナには、いよいよやさしくするし、ダーシーへの親しみも、前とほとんど変らなくなった。そしてエリザベスには、以前の償いという意味もあってか、しきりに鄭重にふるまった。
 いまではペムバリーは、ジョージアナの住居になっていた。そしてエリザベスとの仲の好さは、まさにダーシーの期待通りだったし、お互いもまた、考えていたとおりに、愛し合うことができた。彼女は、義姉《あね》をとても高く買っていた。もっとも、はじめは、エリザベスがひどく元気で、ダーシーに物一つ言うにしても、まるでふざけてでもいるかのような話しぶりには、ほとんど怖れに近いおどろきをもって、聞いていたことも、よくあった。なにぶん彼女自身などには、愛情というよりは、むしろ畏敬の念をもって眺められたその兄が、まるで公然とからかいの種になっている! いわば彼女の心は、いままでとても思いもかけなかった、教育を受けたわけだった。そして彼女も、エリザベスの教育で、やっとわかりかけたことは、十以上も年のちがう兄の場合、妹としては、かならずしもゆるしてもらえない無遠慮も、妻にはけっこうゆるされることもあるのだ、ということだった。
 キャサリン夫人は、甥の結婚以来、完全にお冠りを曲げてしまっていた。婚約の知らせを受けると、そこは持ち前の直情径行、返事の手紙で、さんざん悪態をつき、ことにエリザベスのことは、クソミソに書いてしまったので、しばらくは、すっかり交渉もとだえていた。だが、結局は、エリザベスのすすめもあって、ダーシーも、叔母の非礼はそのまま忘れ、あらためて仲直りを申し出てみた。多少まだ叔母側からの抵抗はあったが、そのうちには、甥への愛情からか、それとも、やはり嫁の様子も見てみたいという好奇心からか、とにかく怒りもおさまって、ついにはわざわざペムバリーへ、二人を訪ねるまでになった。とんだ女主人が来たばかりか、その叔父、叔母までがロンドンから来て、せっかくの森も、すっかり汚されてしまったにもかかわらずだ。
 ガーディナー夫妻とは、終始きわめて親しかった。エリザベスも、ダーシーも、心からこの叔父夫婦を愛し、かつてエリザベスをダービシアに連れて行くことによって、いわば二人の結婚の媒介《なかだち》をしてくれたこの両人に対し、二人とも、終始あつい感謝の念を忘れていなかったからだ。
[おわり]

底本:『世界文学大系』第28巻(1960年、筑摩書房
引用記事作成:2019年08月12日