『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「MATSUMOTO」(LF・ボレ、フィリップ・ニクルー作)への21点の批判コメント

「MATSUMOTO」(LF・ボレ、フィリップ・ニクルー作)という、オウム真理教を題材にしたマンガがある。インターネット上で調べたかぎり、本作は好評のようだが、必要性のまったくわからない現実の事件との違いが多く、私は非常に悪い評価しかできなかった。
以下、問題点を指摘する。


麻原彰晃ビートルズの曲をパクった事実は確認されていない。少なくとも、日本語インターネット上にそのような情報は存在しない。パクったのが確実なのは有名アニメやオカルト雑誌から(富田隆による証言)。(P023~025)。P197で、1996年発表の以下の著作に「ビートルズからのパクリ」の証言が書いてあるとあるが、誤情報ではないだろうかと私は思う。
https://www.amazon.fr/Cult-End-World-Incredible-1996-04-25/dp/B01K9339S2/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1546604315&sr=8-2&keywords=kaplan+cult
https://www.amazon.com/Cult-End-World-Terrifying-Doomsday/dp/0517705435/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1546604869&sr=8-2&keywords=aum+cult
〇オーストラリアでウラン採掘をしていたのは事実だが、毒ガス散布実験をした事実は確認されていない。作中描写ほどの規模であれば、隠ぺいしきれたとは考えにくい(P037~044)。
〇意外なことだが、そもそも松本サリン事件前に教団敷地内でサリン散布実験をした形跡はない(P047)。
〇松本地方裁判所判事をふくめて、1994年07月の時点でオウム真理教が毒ガス製造をしていたことはバレていなかった。生物兵器がらみの亀戸異臭事件は1993年06~07月(P051)。
オウム真理教内部ではふつうホーリーネームで呼びあっていた(P054)。
オウム真理教の建築物はほぼすべて、平凡な外観である(画像検索すればすぐわかる)。中には、ビルの一区画をかりただけのものもあった。オウム真理教はもともとヨガサークルの「道場」として出発した、という理由から外観には力をむけなかったのかもしれない。権威の象徴たる外観をもつ「城」と「オウム真理教」を結びつける演出の意味は、私には理解できなかった(P060~062)。
サリンは呼吸だけでなく、眼をふくむ皮膚からも吸収される。いくら解毒剤を打っておいたとしても、無事ですむはずがない。「大方消えた」からといってマスクを外していいはずがない。もちろん、散布自体に失敗などしていない散布方法も、最初からトラック外側にとりつけた噴霧器から散布する方式であり、作中描写と大きく異なる(P100~102)。また、サリンガス自体は無色。
◎いうまでもないかもしれないが、オウム真理教にとって松本サリン事件が「失敗」だった、という認識はだれももっていなかった(そもそも「目的」がはっきりしていなかった、という部分もあるが)。松本サリン事件における犯行の一連の流れは、少なくとも一部の実行犯からみれば、ひどく緊張感に欠けるものだった。実行犯のうち、富田隆端本悟は、犯行の目的もサリンの毒性もほとんど知らないまま犯行を命じられた、と証言しており、判決でも認定されている。また、この二人の記憶によれば、村井秀夫は犯行を通してあまり発言せず、指揮をしたのは新實智光のほうである。新實の現実感をあまりに欠いた発言は、作中ではほぼまったく採用されていない(松本サリン事件をあつかった部分すべて)。

〇指紋を消す手術をしていたのは事実だが、麻酔薬をつかっていたのが事実。麻酔薬なしにできるはずがない(P117)。
〇村井秀夫は、信徒の中でも特に麻原への帰依が強かった人物として知られている。麻原の女性関係を批判する発言をしているとは考えにくいし、裁判資料でも見当たらない。ちなみに、麻原は恐妻家だったらしく、自身の愛人のことはボディガードなど一部しか知られないようにしていた(P130)。
麻原彰晃は1989年~1995年の間、写真でよく見るあの髪型を変えたことはない。戦国武将との関係性を暗示したいのかもしれないが、私には無意味としか言いようがない。ただし、富士山や阿蘇山などの”パワースポット”に近い場所を教団拠点に選んだという事実はある(P130~131)
地下鉄サリン事件の実行犯5人と運転手役5人に対し、薬物や物理的拘束をふくむ「洗脳」手法が行われた事実は確認されていない。また、裁判でそのような犯行前の物理的拘束をうけたかどうかは争われてすらいない(P156~160)。ちなみに、林郁夫以外の実行犯4人は、盗聴や武器製造は行っていたが、少なくとも直接的な薬物投与や傷害や殺人は行っていない。さらに余談だが、この4人は村井秀夫の部下という立場だが、サリンプラント建設への参加の度合いはバラバラ。少なくとも、深くは参加していない。
オウム真理教幹部は少数の例外はあるものの、ほとんどが40歳以下。いわゆる「リムジン謀議」での参加者(麻原のぞく)の年齢は26歳から37歳、村井秀夫が最年長(37歳)である。(P161)
オウム真理教は一般的な出家信徒には「毒ガス攻撃をうけている」という被害妄想を主張していた。だから「リムジン謀議」などでも「自作自演事件」の謀議がされている(作品を通じて)。
〇いわゆる「松本サリン事件に関する一考察」は愉快犯の執筆と思われる表現がみられたため、真剣に受け止められなかった。そのことが描かれていない。事件から20年以上たった今も名乗り出がない以上、信徒の執筆とはほとんど考えにくいだろう(P169)。また、各県警や警視庁はオウム真理教の毒ガス製造を捜査していた。地下鉄サリン事件を防止できなかった大きな理由の一つは、「警察各機関の情報の共有がなされていなかった」だということは警察側も認めている。
〇村井秀夫は地下鉄サリン事件の実行犯でない。また、もっと重要なこととして、村井が実行犯5人に指示するときの異常な言動が作中ではほぼまったく採用されていない(P176~179)。
オウム真理教の一般信徒・幹部をふくめて、1994~1995年の時点においても、村井秀夫をプラスに評価する人はほとんどいなかった。大きな理由として、村井の発明品は失敗だらけだった(ほぼすべての信者が失敗を認識していた)からである。村井は即席爆弾すらまともに作ることができなかったのである。つまり村井単独の能力では教団武装化が実行できたかどうかすらあやしいというのが正確である。しかし、作中ではほとんど反映されていない。つまり、村井を典型的信者とみなすのは無理がある(作品を通じて)。
◎「省庁制発足式」の同日午後に松本事件が行われたことがかかれていない。ちなみに、地下鉄サリン事件は「昇格式」の2日後(作品を通じて)。

〇村井以外の主導のものをふくめても、教団敷地内での爆弾実験の事実は確認されていない。武器製造と使用の事実がきちんと確認されていることをふまえると、信じがたいことであるが、たしかに裁判資料や証言には出てこない。
麻原彰晃は、教団運営時からずっと故郷の熊本県南部(八代市)とのつながりを絶っていた。幹部も熊本出身者は確認できず、また八代市在住時のことは幹部にもほとんど語っていない。
〇村井や土谷正実らは、サリン事件後のデータ収集を行った形跡がない。マッドサイエンティストならやっていたと考えるほうが自然であろうに、である。やったらやりっぱなし、ということだろうか。
オウム真理教施設内には、空気清浄機(コスモクリーナー)や隠し部屋はあったが、地下シェルターはなかった。ハルマゲドン妄想をもっていた教団としては不思議なことである。

調べればまだまだ批判店をあげられるだろうが、とりあえず21点あげておく。
本作前書きに「この作品は事実に着想を得た創作であり、人物、場所、事件等は架空のものです。」とあるが、読者に対してはっきり書いておくべき重大な要素がいくつも欠けている。欠けている重大な要素の一つは、オウム真理教という集団の、現実感のなさ」である。「ゆるさ」「ちぐはぐさ」と言いかえてもいい。このことは、オウム真理教の重大事件の犯行の経緯を注意してみればすぐわかる。地下鉄サリン事件まで、よく家宅捜索されかったものだと、私は裁判資料を調べていて何度も思ったものである。
たとえば、坂本弁護士一家殺害では、毎日新聞本社に爆弾をしかける下調べをしたかとおもえば、それをすぐあきらめて弁護士拉致に変更している。弁護士に爆弾を送りつける、などの案を考えつかないのである(実行されたらそれはそれで凶悪犯罪だが)。
松本サリン事件では実行役・製造役の信者たちの帰還時に、なんら儀式めいたものをせず、昇格すらなかった。実行犯(富田隆端本悟)によれば、あとになって教団内の壁新聞をみて、「ああこれか!」と気がついたのだというから、読者ののほうが驚いてしまう。
地下鉄サリン事件では、なぜか「いやだったら断ってもいいんだよ」などとよけいなことを言ったり、わざわざサリン入りの袋を11個用意して、実行役たちに必要のない反感を買っている(そしてこれが裁判で麻原・故村井を大いに不利にする)。職業犯罪者が知ったら、「なんでそんな無駄なことを」と、大いにあきれるだろう。
もし、証言をそっくりそのまま採用した筋書きをマンガ化したら、まず突っ返される、オウムの犯行の経緯はそんなちぐはぐなものだというのがまぎれもない実態なのである。
私自身は、この「ゆるさ」がほかのテロリズム集団との重要な違いだと考えているのだが、そのことを創作に採用しなかった理由は、作品のどこを読んでもまったくわからなかった。必要性のまったくわからない改変を、改変と明示せずにいくつもいくつもつみあげる理由はなんなのだろうか。切通理作氏の解説を読んでも、創作上の理由は本当にまったくわからなかった。「第一次的には真実を伝える為のストーリーなのですから」という原作者の発言には、「だったらもっと正確に書けばいいだけではないか、何の問題があるのか」と強い反発しか感じなかった。切通氏もなぜそこを突かないのか。まさか新聞のななめ読みの記憶にもとづいて対談をしているのでは、と余計なかんぐりをしてしまう。そんなはずはない、と思うのだが。
原著は2015年フランスで発表されたが、発表3年後のいまもフランスのアマゾンサイトで1つもレビューがついていない。無理もない、そうおもわざるをえないほど、低品質の作品である。

https://www.amazon.fr/Matsumoto-LF-Boll%C3%A9e/dp/2723499588/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1546604159&sr=8-1&keywords=matsumoto

最後に。本作の参考文献欄において、日本語文献を一切採用していないのは大いに問題である。題材の重大性をかんがえると、日本語の一次文献の翻訳作業は絶対に必要であった。それを明記しておく。