『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「アンナ・カレーニナ」3-26~3-30(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]二六[#「二六」は中見出し]

 スヴィヤージュスキイは、自分の郡の貴族団長をしていた。彼はレーヴィンより五つ年上で、ずっと前に結婚していた。彼の家には細君の妹で、レーヴィンの好ましく思っている若い娘がいた。そして、スヴィヤージュスキイ夫婦がこの娘を、レーヴィンにめあわせたがっているのを、彼自身も知っていた。彼は、ふつう花婿候補者と呼ばれているすべての若い人の例にもれず、そんなことを他人に話す決心はつかないまでも、まちがいなくそれを知っていた。しかし、彼は結婚したいと思っているにもかかわらず、またあらゆる点から見て魅力のあるこの娘は、きっとりっぱな妻となるに相違ないと思っているにもかかわらず、彼がこの娘と結婚するということは、きわめて可能性が少ない。たとえ彼が、キチイ・シチェルバーツカヤに恋していないにもせよ、それは天へ飛んで行くのと同じくらい、ありえないことである。そのことも彼は自分で承知していた。この意識があるために、スヴィヤージュスキイ家訪問から期待している満足感が毒されるのであった。
 スヴィヤージュスキイから狩猟の招待を受けとると、レーヴィンはすぐこのことを考えた。が、それにもかかわらず、スヴィヤージュスキイが自分に対して、そういうもくろみを持っていると考えるのは、なんの根拠もない臆測にすぎないと決めてしまって、とにかく出かけることにしたのである。のみならず、心の深い底のほうでは、自分で自分を試してみよう、この娘について自分を計ってみたい、という気持もあったのである。いっぽう、スヴィヤージュスキイの家庭生活は、このうえもなく気持がよく、当のスヴィヤージュスキイも、地方自治体の活動家としては、レーヴィンの知っているかぎり、最もすぐれたタイプであって、レーヴィンにとってはいつも非常に興味があった。
 スヴィヤージュスキイは、常にレーヴィンの目から見て、驚異的な人物の一人であった。ものの考え方は、かつて独創的であったことがないけれども、きわめて順序だっており、それ自身の流れによって進んでいるが、生活は非常にはっきり決っていて、方向がちゃんと固定しており、その思想とは全く無関係に、しかもほとんど常に正反対の方向をとって、自分勝手に進行している。スヴィヤージュスキイはいたって自由主義的な人であった。彼は貴族階級を軽蔑して、貴族の大部分は臆病なために、口にいわないだけで、内心は農奴主義者なのだと思っていた。ロシヤをトルコ同様の滅びたる国と見なし、ロシヤの政府にいたっては、その施政をまじめに批評することさえいさぎよしとしないほど、なっていないものと信じているくせに、勤務にもついており、模範的な郡貴族団長で、旅行に出る時は、いつも徽章《きしょう》のついた、赤い縁《ふち》の帽子をかぶっていた。彼は人間らしい生活を送ることができるのは、ただ外国ばかりだと信じて、機会あるごとに外国へ行って、しばらく生活することにしていた。しかも同時に、ロシヤでは非常にこみいった、ほとんど完璧というべき農場を経営し、ロシヤの出来事は何によらず、非常な興味をもって注視を怠らず、したがって、なんでも知っていた。彼はロシヤの百姓をその発達からいって、猿から人間への過渡的段階にあるものとしていたが、しかもそれでいて、郡自治会の選挙の時などには、一人一人の百姓と握手して、その意見などにも熱心に耳を傾けるのであった。彼は悪魔も死も信じなかったが、僧侶階級の生活改善、教会区数の削減などという問題には一生懸命で、しかも教会が自分の村に残るように、とくべつ運動したものである。
 婦人問題では、極端な婦人の自由支持派に属し、特に婦人の労働権を力説した。妻との間柄は、子供をもたぬ彼らの睦《むつ》まじい夫婦生活に、だれでもつくづく見とれるほどであった。彼は、妻が良人と共通の問題以外には何一つせず、またしようと思ってもできないように、ただできるだけ気持よく楽しく時をすごせるように、彼女の生活を設計してやった。
 もしレーヴィンが、最もよき側面から他人を説明する傾向をもっていなかったら、スヴィヤージュスキイの性格は彼にとって、なんの困難も、なんの問題も有しえなかったであろう。腹の中で、『馬鹿』とか、『やくざもの』とかいったら、それでなにもかも片づいてしまったはずである。しかし、彼は『馬鹿』ということができなかった。なぜなら、スヴィヤージュスキイは疑いもなく、非常に聡明な男であったばかりか、非常に高い教養を有していながら、その教養を並はずれて単純にとり扱っている人だったからである。およそ彼の知らないことはなかった。しかし、彼は必要に迫られたときでなければ、その知識を示さなかった。レーヴィンは彼のことを『やくざもの』だとは、なおさらいえなかった。なぜなら、スヴィヤージュスキイは疑いもなく潔白で、善良な、賢い人間で、いつも楽しく元気に仕事をし、その仕事は周囲のすべての人々から高く評価されており、意識的に悪いことなどかつて一度もしなかったし、またすることもできなかったからである。
 レーヴィンは理解しようとつとめたけれど、理解することができなかった。そして、いつも生ける謎《なぞ》を見る思いで、彼と彼の生活を眺めるのであった。
 彼とレーヴィンは親しい仲だったので、レーヴィンはあえてスヴィヤージュスキイと膝詰談判をして、その人生観の根底まで究《きわ》めようとした。が、それはいつも徒労に終った。常に万人に開放されているスヴィヤージュスキイの、知性の客間より奥へ入りこもうとするたびに、スヴィヤージュスキイがちょっとどぎまぎするのに、レーヴィンは気がついた。見えるか見えないかのおびえが、そのまなざしに現われたが、それはレーヴィンに自分の本性を悟られはしないかと、恐れるかのようであった。彼は人のいい快活な態度で突っぱった。
 今度は自分の農場に幻滅を感じたあとなので、レーヴィンはスヴィヤージェスキイの家にいるのが、特に愉快であった。お互どうしにも、またすべての人にも満足しあっている鳩のような夫婦や、気持よく設備のととのったその巣の光景が、ただもう楽しい印象を与えたのは、いうまでもないとして、いま自分の生活にはなはだしい不満を感じている彼は、スヴィヤージュスキイの生活に、明朗ではっきりした楽しい調子を与えている、彼の内部の秘密をつきとめたかったのである。なおそのほかに、スヴィヤージュスキイのところへ行ったら、近隣の地主たちに会えることがわかっていた。彼はいま特に収穫とか、人夫の雇い入れとかいったような、農事上の話がしたくもあり、聞きたくもあった。それが普通、なにかひどく卑しい話のように考えられているのは、レーヴィンも知っていたけれど、これのみが今のレーヴィンにとっては、きわめて重大なものに思われたのである。
『それは、農奴制時代には重大でなかったかもしれないし、イギリスでも重大ではなかったかもしれない。どちらの場合でも、条件そのものがはっきりしているから。しかし、なにもかもごったかえしになって、やっと整理にかかったばかりの今のロシヤでは、こういう問題がどうおさまるかは、唯一の重大な問題だ』とレーヴィンは考えた。
 猟は、レーヴィンの期待したより悪かった。沼が乾あがって、田鷸《たしぎ》はまるでいなかったのである。彼は一日うろつきまわって、たった三羽もって帰ったばかりだが、そのかわり、いつも猟のあとの決まりどおり、すばらしい食欲と、すばらしい上きげんと、いつも激しい肉体運動をした時につきものである、興奮した精神状態をもって帰った。猟をしていても、自分では何も考えていないつもりなのに、ひょいひょい思いがけなくあの老人の一家族が、またしても心に浮んでくるのであった。この印象をあたかも、特別の注意を要求するばかりでなく、何かそれに関連したものの解決を迫るかのようであった。
 その晩お茶のとき、何かの後見の用事でやってきた二人の地主といっしょに腰かけながら、レーヴィンは期待したような、興味のある話をはじめることができた。
 レーヴィンは、主婦のいる茶のテーブルに近く坐って、自分の前にいるその妹と姉を相手に、世間話をしなければならなかった。主婦は、丸い顔に白っぽい頭をした背の高くない女で、えくぼと微笑に満面を輝かせていた。レーヴィンはこのひとを通じて、その良人の蔵している謎《なぞ》、彼にとって重大な謎の鍵をつかもうとしたが、彼は思考の自由を十分にもっていなかった。それは、苦しいほどばつが悪かったからである。苦しいほどばつが悪かったというのは、自分の真向かいに妹が坐っていて、しかも彼のために特に着ているかと思われる、白い胸のところに一種特別な四角い刳《く》りのある服を着ていたからである。この四角い胸の刳りが、胸元の白いにもかかわらず(あるいは、特別白いためかもしれないが)、レーヴィンから思考の自由を奪ったのである。おそらく考え違いだったろうけれども、この胸の刳りが自分を目当てに、わざわざ作られたもののように想像して、彼はそれを見る権利がないと考え、なるべく見ないようにつとめたものである。しかし、すでにこの刳りが作られているということだけでも、自分に罪があるように感じた。レーヴィンは、自分がだれかをだましているような気がして、何かを説明しなければならぬと思ったが、そんなことを説明するのは、だんじて不可能だったので、彼はのべつ赤面し、おちつかず、ばつが悪かった。このばつの悪さは、かわいらしい妹にも伝染した。しかし、主婦はそれに気がつかないらしく、わざわざ妹を会話へひきこむのであった。
「あなたは」と彼女は、いいかけた話をつづけた。「たくはロシヤのものにはいっさい興味が持てない、とおっしゃいますけれど、それは反対ですわ。あの人は外国でも愉快そうにしていますが、ここにいるほど楽しそうにしたことは、一度もございませんわ。たくはここにいると、自分の居場所に帰ったような気がするのでございます。たくはとてもたくさん仕事がありますし、それに、なんにでも興味をもつ才能がありますので。ああ、あなた、わたくしどもの学校へおいでになりまして?」
「見ました……あの常春藤《きづた》の巻きついた小さな家でしょう?」
「ええ、あれはナスチャの仕事になっておりますの」と彼女は妹をさしながらいった。
「あなた、自分でお教えになるんですか?」とレーヴィンはきいた。彼は、胸の刳《く》りから目をそらすように努めたが、その方角はどこを見ても、その胸の刳りが目に入りそうな気がした。
「ええ、自分で教えていました。今でも教えております。でも、一人とてもいい女の教師がおりますの。こんど体操も入れることにいたしました」
「いえ、ありがとう、もうお茶はたくさんです」とレーヴィンはいった。そして、そんなことは不作法だと心に感じながら、これ以上話をつづける力がなくて、顔を赤らめながら席を立った。「たいへんおもしろそうな話が聞えてきますので」とつけ加えて、主人が二人の地主といっしょに坐っている、テーブルの反対の端へいった。
 スヴィヤージュスキイは、はすかいにテーブルに向って、肘《ひじ》つきした手で茶碗をくるくるまわし、もう一方の手では自分の頤鬚《あごひげ》を一つにつかんで、鼻のそばへ持っていき、匂いでも嗅ぐようにして、またぱっと放していた。彼はぎらぎら光る黒い目で、むきになってしゃべるゴマ塩髭の地主を、ひたと見つめながら、どうやらその話をおもしろがっている様子であった。その地主は、百姓たちの苦情をいっていた。スヴィヤージュスキイは一撃のもとに、地主の言葉の意味を完膚《かんぷ》なきまで破砕《はさい》するような答えを心得ていながら、自分の立場として、それをいうことができないので、多少興味を感じながら、地主のこっけい味を含んだ話を聞いていた。それはレーヴィンの目にも明白であった。
 ゴマ塩の口髭をした地主は、明らかにしんからの農奴主義者で、村の故老で、熱心な農場の経営者らしかった。地主にはあまり類のないらしい、旧式な、摺《す》れたフロックにも、賢そうな目をしかめた様子にも、調子のよいロシヤ風の話ぶりにも、長年の経験で身につけたらしい命令的な調子にも、薬指に古いエンゲージ・リングを一つはめた、美しい、日に焼けた、大きな手を、思い切り強く動かす身ぶりにも、レーヴィンはそういった徴候を認めたのである。

[#5字下げ]二七[#「二七」は中見出し]

「もしこれまでに仕上げたことを……いろいろ苦労して注《つ》ぎこんだものを、棄ててしまうのを、惜しいという気さえなかったら、私もええままよとばかり手をふって、なにもかも売り飛ばし、ニコライ・イヴァーノヴィッチのように、外国へでも行ったことでしょうよ……エレーナでも聞きにね」と地主は、利口そうな年寄りらしい顔を、気持のいい微笑で輝かしながら、そういった。
「ところが、そのとおり棄てておしまいにならない」とニコライ・イヴァーノヴィッチ・スヴィヤージュスキイがいった。「つまるところ、算盤《そろばん》がとれるからでしょう」
「算盤といっても、ただ自分の家に暮して、買ったのでも借りたのでもない、自分のとこで出来たものでやっていくという、それだけのことでさあ。それにもう一つ、そのうちに百姓どもが、分別がついてくれるだろうと、それを心頼みにしておるわけなんで。ところが、今はなにぶん、あの呑《の》んだくれの、ふしだらな生活ですからなあ………なにもかも分け取りにしてしまって、馬一匹、牛一匹おらんという始末で、飢え死にせんばかりのありさまですよ。あんなのを仕事に雇ってごろうじ、すきがあれば人に迷惑をかけて、こっちが治安判事の前へひっぱり出されるようなことになるのが、落ちでさあ」
「そのかわり、あなたも治安判事に訴えることができますよ」とスヴィヤージュスキイはいった。
「私が訴えるんですって? 金輪際そんなことはしませんよ! 世間の噂がうるさくって、訴訟なんか起したのを、後悔するようになりまさあね! 現に、私の工場でも、手付金だけ取って、逃げてしまったじゃありませんか。ところで、治安判事がどういったと思います? やつらを無罪にしたじゃありませんか。まあ、村の裁判所と村長とで、やっと保《も》っておるようなもんで。村長は昔風に、鞭《むち》でぴしぴしぷんなぐりますでな。もしこれでもなかったら、なにもかもおっぽり出して、世界のはてまで逃げて行かにゃなりませんわい!」
 明らかに地主は、スヴィヤージュスキイをからかっているらしかったが、スヴィヤージュスキイは腹をたてないばかりか、かえってそれをおもしろがっていた。
「しかし、私たちはそういう処置をとらないでも、農場をやっていっておりますがね」と彼は微笑しながらいった。「私にしても、レーヴィン君にしても、この人にしても」
 彼はもう一人の地主を指さした。
「さよう、ミハイル・ペトローヴィッチのとこも、うまくいっておりますよ。しかし、どんなやりかただか、ひとつきいてごろうじ。あれがいったい合理的な経営のしかたですかね?」明らかに『合理的』という言葉をひけらかしながら、地主はこういった。
「私の経営のしかたは簡単なもんですよ」とミハイル・ペトローヴィッチはいった。「これも神さまのおかげですがね。私のやりかたといったら、ただ秋の年貢《ねんぐ》を払う金がありさえすればいいので。百姓どもがやってきて、旦那さま、どうぞお願《ねげ》えでござります! とこういわれると、なにぶんにも百姓だって自分の隣人ですからね、かわいそうですよ。そこで、まず三分の一だけ渡してやって、ただこういっておくのです。なあ、みなのもの、よく覚えておいてくれ、わしはおまえたちを助けてやったのだから、こっちが困ったときには――燕麦の播き付けとか、乾草の取り入れとか、麦刈りとかいうときには、わしを助けてくれよ、とこういいましてな、そこで、まあ、一戸分いくらと決めるんです。もっとも、やつらの中にも、不正直なものもおりますがね、全くのところ」
 レーヴィンは久しい前から、この族長時代式のやりかたを知っているので、スヴィヤージュスキイと目を見合わせたが、ゴマ塩髭の地主に話しかけて、ミハイル・ペトローヴィッチをさえぎった。
「で、あなたはどうお思いです?」と彼はたずねた。「いったいこれからは、どういうふうに農場を経営したらいいのでしょう?」
「なに、ミハイル・ペトローヴィッチと同じやりかたをするんですよ。収穫《とりいれ》を山分けにするか、それとも百姓に土地を貸すかですな。しかし、そうすると、国家ぜんたいの富というものも、ふいになってしまいますて。現に私のとこでも、農奴時代に経営のうまくいった時分、九倍の収穫のあった地所も、山分けということになったら、三倍の収穫《みいり》しかありませんからな。農奴解放がロシヤを滅ぼしてしまったので!」
 スヴィヤージュスキイは、微笑を含んだ目でレーヴィンを眺め、ようやくそれと気づかれるほどの、冷笑的な合図さえしてみせた。しかしレーヴィンは、地主の言葉をおかしいと思わなかった。彼には、スヴィヤージュスキイの説よりも、この地主の言葉のほうが腑《ふ》に落ちるのであった。なぜロシヤが農奴解放によって滅ぼされたかという説明に、地主がさらに話をすすめた時、その言葉の多くは、きわめて正鵠《せいこく》をうがっており、レーヴィンにとって新しい、否定すべからざるもののようにさえ思われた。明らかに、地主は自分自身の思想を語っているのであった。――これはじつに、今どき珍しいことである――しかもそれは、閑人《ひまじん》を感心させようという動機からひねりだした思想でなく、生活の条件から生れ出た思想であり、田園の孤独裡にじっと抱きしめて、あらゆる面から検討した思想であった。
「よろしいですか、問題はすべて進歩なるものが、ただ権力によって実現される、という点に存するのですよ」自分だって教養というものに無縁な人間でないことを示そうとするらしく、彼はこういいだした。「まあ、ピョートル大帝、エカチェリーナ二世、アレクサンドル一世の改革を例にとってもそうだし、またヨーロッパの歴史を例にとっても同じことだから、まして農業の進歩はなおさらですよ。早い話が、あの馬鈴薯――あれだってロシヤヘは強制的に移植されたもんですよ。また鋤《すき》にしたって、いつもあれで耕しておったものじゃありません。あれもおそらく、藩侯時代に入ってきたものでしょうが、きっと強制的に入れられたものに相違ありませんて。ところが、現代になって、農奴制のもとにわれわれ地主たちが乾燥装置だとか、廻転簸《かいてんひ》だとか、肥料運般器とかいった改良器具を使って、自分の農場を経営したわけだが――それはみんな、われわれの権力ではじめたことなんですよ。百姓たちもはじめの間は反対したけれど、やがてその後、われわれのまねをするようになったので。ところが、今は農奴制が廃止されたために、われわれは権力を奪われてしまったものだから、高い水準に引き上げられておったわれわれの農村経営も、思い切って野蛮な、原始状態に落ちていかにゃならんことになりましたよ。私はこういうふうに考えております」
「しかし、それはどういうわけでしょう? もし合理的なものだとすれば、小作制度でもやっていけるはずじゃありませんか」とスヴィヤージュスキイがいった。
「権力というものがないじゃありませんか。いったい私はだれの力を借りてやっていくのです、ひとつ伺いたいもんで」 
『これだ――労働力だ、農村経営のおもな要素だ』とレーヴィンは考えた。
「労働者の力をかりるんですよ」
「その労働者は、ちゃんと働くことも、いい農具で働くことも、いやなんですからな。ロシヤの労働者が知っておるのは、たった一つですよ――豚のように飲みくらって、酔っぱらって、われわれのあてがうものを、なんでもこわしてしまう、それだけのことでさあ。馬には水を飲ませ過ぎる、上等の馬具をちぎってしまう、車の輪金をはずして飲んでしまう、打穀機の中へ車の心棒をつっこんで、わざわざこわそうとかかる。やつらは自分流儀でないものは、みんな見るのも胸糞が悪いんでさあ。つまり、そのために農業の水準がさがったわけなんで。土地は投げやりにされて、にがよもぎを生えさすか、百姓たちに分けてしまうかで、もと十万石とれたところも、一万石しかできんという始末。国ぜんたいの富が減っていくわけですて。しかし、それをやるにしても、よっく考えてやったら……」
 それから、彼は同じ解放をするにしても、そういう不便を除きうるような計画を述べはじめた。
 しかし、その話はレーヴィンに興味がなかった。けれども、地主が話を終った時、レーヴィンはまた自分の想定に立ち戻り、スヴィヤージュスキイのほうへふりむいて、この人にもまじめな意見を吐かせるようにつとめながら、こんなふうにいった。
「農業の水準が低下しているということ、それから現在の対労働者の関係では、利益のあがるように合理的経営をやっていくことは不可能だということ――それは全く公正な意見です」と彼は言った。
「私はそう思いませんね」とこんどはまじめな調子で、スヴィヤージュスキイは反駁《はんばく》した。「私の見るところでは、ただわれわれの経営がへたなのであって、むしろ農奴制時代にわれわれのやっていた経営は、非常に水準が高いどころか、すこぶる低いものだったのです。われわれは機械も持っていないし、いい耕作用の家畜もないし、本当の管理法もできていないし、だいいち、われわれは計算することさえ満足にできないんですからね。まあ、どこの主人にでもきいてごらんなさい――何が有利で、何が不利かってことが、いえやしませんから」
「イタリー式の簿記でさあ」と地主は皮肉な調子でいった。「こいつはどんなに計算してみても、かたっぱしからぶちこわされるばかりで、利潤《りじゅん》なんかありゃしませんて」
「どうしてぶちこわされるんです? やくざな打穀機や、ロシヤできの踏み車は、ぶちこわされるでしょうが、私の使ってる蒸気運転のやつは、こわれませんよ。ロシヤ馬――ほら、なんといったか? あの尻尾をつかまえてひっぱらなくちゃ動かないような、いわゆるひっぱり種の馬なら、台なしにされてしまうでしょうが、もしペルシャ種か、改良|輓馬《ばんば》を入れてごらんなさい、こいつは台なしにされやしませんから。すべてが万事こうなんです。われわれは農業の水準を、ぐっと引き上げなくちゃなりませんよ」
「しかし、ニコライ・イヴァーノヴィッチ、それも金があればの話でさあ! あんたなんかけっこうなもんですが、私ときたら、長男は大学に通わせにゃならん、下のやつらは中学校で勉強させておる、というありさまだから、ペルシャ種なんか買うわけにゃいきませんて」
「それには、銀行というものがありますよ」
「なけなしの身代《しんだい》を競売ではたいてしまえ、とおっしゃるんですかね? ありがたいが、それはご辞退でさあ!」
「農業の水準をもっと引き上げなくちゃならん、また引き上げることができるという説には、ぼく不賛成です」とレーヴィンはいった。「僕は現にそれに努めているし、また資金もあるんですが、結局どうすることもできません。銀行がだれのためになるのやら、僕にはわかりませんね。少なくとも、僕は農場関係の何に投資しても、みんな欠損なんですからね。家畜も欠損、機械も欠損」
「そりゃほんとですよ」とゴマ塩髭の地主は、満足そうに笑い声さえ立てながら、こう相槌を打った。
「それも僕一人きりじゃありません」とレーヴィンは言葉をつづけた。「僕は、合理的経営をやっているすべての地主を、例にあげることができます。だれもかれも、少数の例外を除いて、損をしながらやっているのです。ひとつ伺いますが、あなたの農場は利潤がありますか?」とレーヴィンはたずねたが、すぐさまスヴィヤージュスキイのまなざしに、瞬間、おびえたような表情を見てとった。それは、彼がスヴィヤージュスキイの心の客間より奥を覗こうとした時いつも見られる表情であった。
 のみならず、この質問はレーヴィンとして、あまり良心的とはいえなかった。ついたったいま、主婦が茶を注ぎながら話したところによると、彼らの家では、この夏モスクワから、簿記の名人のドイツ人を招聘《しょうへい》したとのことである。このドイツ人に五百ルーブリで、農場の会計を調べあげさせたところ、三千ルーブリとなにがしかの欠損になることが発見された。彼女は、ちょうどいくらになったか、覚えていなかったけれども、ドイツ人はたしか、四分の一コペイカのはしたまで弾《はじ》き出したらしい。
 地主は、スヴィヤージュスキイの農場の利潤云々という言葉を聞いて、にやりと笑った。見うけたところ。隣人であり貴族団長であるこの家の主人に、どんな利潤がありうるかを、ちゃんと知っているらしい。
「そりゃ利潤なんかないかもしれませんよ」とスヴィヤージュスキイは答えた。「それは要するに、私が拙《つたな》い経営者であるか、それとも、地代を上げる意味で投資しているか、どちらかを証明するわけですよ」
「あっ、地代ですか!」とレーヴィンはぎょっとしたように叫んだ。「投入された労働のために、土地のよくなっているヨーロッパには、地代なんてものもあるかもしれませんが、ロシヤじゃ投入された労力のために、かえってどの土地も悪くなっていく、つまり、耕して土地を荒らすのです――したがって、地代なんてないわけですよ」
「どうして地代がないんです? それは法則じゃありませんか」
「じゃ、われわれは法則外なんでしょうよ。地代なんてことはわれわれにとって、なんの説明にもなりゃしない。かえって問題を紛糾《ふんきゅう》させるばかりです。いや、それより聞かして下さい、地代の理論がどうして……」
「みなさん、ヨーグルトはいかがです? マーシャ、ここヘヨーグルトか、木イチゴでもよこしてくれないか」と彼は妻に声をかけた。「今年は木イチゴがふしぎなほど長くもちますね」
 スヴィヤージュスキイは、このうえもない上きげんで立ちあがり、むこうへいった。察するところ、レーヴィンには始ったばかりのように思われたところで、会話が終ったものと見なしたらしい。
 話相手がなくなったので、レーヴィンは地主と話をつづけ、すべて農業上のやっかいな問題は、わが労働者の性質や、習慣を知ろうとしないから起ってくるのだ、ということを論証しようとした。が、相手の地主は、孤独の中で自己独特の考え方をする人の常として、他人の思想には鈍感で、自分の考えばかり固執《こしつ》するのであった。で、ロシヤの百姓は豚だから、豚のような生活が好きなのだ、ところで、彼らを豚のような生活からひき出すためには、権力が必要なのだけれども、その権力がない、鞭が必要なのだけれども、われわれはすっかり自由主義者になってしまったので、千年の歴史を有する鞭を、急に弁護士だとか、禁錮だとかいうものに代えて、やくざな悪臭《わるぐさ》い百姓を上等のスープで養ったり、一人あたりに必要な空気は何立方フィートだ、などと計算している――彼はそう固執してやまなかった。
「どうしてあなたは」肝心の問題に立ち戻ろうとつとめながら、レーヴィンはいった。「労働の結果を生産的にするような、そういう労働力に対する関係を見いだすことが、不可能だとお考えになるのです?」
「ロシヤの百姓を相手じゃ、そんなことはとうていできっこありませんて! 権力がないんだから」と地主は答えた。
「いったいどうして新しい条件が発見できるんです?」ヨーグルトを食べて、タバコに火をつけ、議論している二人のそばへよりながら、スヴィヤージュスキイはこういった。「労働力に対するいっさいの可能な関係は、研究しつくされ、決定してしまってるんですよ。野蛮時代の遺物である、原始的な連帯責任の村組合は、自然に崩壊しているし、農奴制は廃止されたし[#「されたし」はママ]するから、残るのはただ自由労働ばかりで、その形式もできあがり、決定しているから、それをとるよりしかたがありませんよ。雇い人夫、日傭取《ひようと》り、農場主――この範囲から出ることは不可能です」
「しかし、ヨーロッパはその形式に不満なんですよ」
「たしかに不満です、そして新しい形式をさがしているから、おそらくそれを発見するでしょう」
「僕がいうのも、ただそのことだけなんですよ」とレーヴィンは答えた。「してみると、われわれだって、別箇にそれをさがしてはならんという法はないでしょう?」
「ほかでもない、それは新たに鉄道敷設の方位を考え出そうとするのと、同じ理屈だからですよ。それはもうできあがっている、考えつかれている」
「しかし、それがわれわれにあわなかったら、ばかげたものだったら?」とレーヴィンは反問した。
 と、またしても彼はスヴィヤージュスキイの目に、おびえたような表情を認めた。
「ああ、それなんだ。われわれは朝飯前にやってみせる、われわれはヨーロッパの求めているものを、ちゃんと発見した! というやつさ。そんなことは、私も百まで承知していますよ。しかし、失礼ながら、あなたは労働者調整の問題でヨーロッパのしたことを、はたして全部知っておられますか?」
「いや、よくは知りませんね」
「この問題はいまヨーロッパでも、識者の頭を悩ましているんですからね。シュルツ・デーリチの流派……それから、最も自由主義的なラッサル派の、労働問題に関する莫大な文献………ミルハウゼンの制度――これはすでにれっきとした事実なんですよ、あなたもご承知でしょうが」
「僕も観念だけはもっていますが、ごく漠然としたものです」
「いや、それはそうおっしゃるだけで、あなたは私に劣らず万事ごぞんじなんでしょう。私はもちろん、社会学の教授じゃありませんが、しかしこれに興味を感じたものですから。全くのところ、もしあなたも興味がおありでしたら、ひとつ研究してごらんなさい」
「でも、あなたはどういう結論に達しられました?」
「失礼……」
 地主たちが立ちあがったのである。スヴィヤージュスキイは客を見送りにいって、自分の心の客間より奥をのぞこうとするレーヴィンのいやな癖を、またしてもおし止めてしまった。

[#5字下げ]二八[#「二八」は中見出し]

 この晩レーヴィンは、婦人たちと一座しているのが、たまらなく退屈であった。彼がいま経験している自分の農場に対する不満は、彼一箇の例外的な現象でなく、ロシヤの農業がおかれている一般的な条件である。しかし、きょう途中で見受けた老人一家のような、対労働者の関係を設定することは、単なる空想ではなくて、必ず解決しなければならぬ問題である。そう思うと、彼は今までにないほど、烈しい興奮を感じた。この問題は解決することができるし、またその試みをしなければならぬような気がした。
 二人の婦人にあいさつをすませ、明日はみんなといっしょに、官林の中にあるおもしろい穴を見物に馬で行くため、もう一日滞在すると約束して、レーヴィンは眠りにつく前に、スヴィヤージュスキイのすすめた労働問題の本を借りに、主人の書斎へよってみた。スヴィヤージュスキイの書斎は大きな部屋で、まわりには本のいっぱいつまった棚が据えられ、二つのテーブルがおいてあった――一つはどっしりした仕事机で、部屋のまんなかに据えてあり、もう一つの円テーブルには、まんなかに置いてあるランプを中心に、諸外国の新刊の雑誌や新聞が、放射状に並べてあった。仕事机のそばには書類入れがあって、たくさんの引出しには、種目わけを書いた金紙のレッテルが貼《は》っててあった。
 スヴィヤージュスキイは本をとりだして、舟底椅子に腰をおろした。
「何を見てるんです?」円テーブルのそばに立って、雑誌をあちこちと見ているレーヴィンに、彼はこう声をかけた。「あっ、それはなかなかおもしろい論文ですよ」レーヴィンの手にとっている雑誌を見て、スヴィヤージュスキイはいった。「それで見ると」彼は愉快そうに元気づいた調子でつけたした。「ポーランド分割のおもな責任は、全然フリードリッヒじゃなくって、それで見ると……」
 それから、彼は持ち前の明晰な論調で、この新しい、きわめて重大な、しかも興味ある発見を説明した。レーヴィンは今なによりも、農業問題に関する考察で頭がいっぱいだったにもかかわらず、主人の話に耳を傾けながら、『いったいこの男の中には何が隠れているのだろう? どうして、いったいどうしてこの男には、ポーランドの分割などがおもしろいのだろう?』と自問してみた。スヴィヤージュスキイが話を終ったとき、レーヴィンは思わず、「それでいったいどうしたというんです?」ときいてみた。が、なんにもありはしなかった。ただ『真相はこうだった』ということがおもしろいだけなのである。しかも、スヴィヤージュスキイは、どうしてそれがおもしろいのか、説明もしなければ、説明する必要も認めなかった。
「そう、しかし僕はあの怒りっぽい地主に、ひどく興味を感じましたよ」レーヴィンは一つ吐息《といき》をついていった。「あれは聡明な人で、あの話の中には、ずいぶん真実が含まれていましたよ」
「いやはや、とんでもない! あれは病膏肓《やまいこうこう》に入った隠れたる農奴主義者ですよ、あの連中みんなと同じようね!」とスヴィヤージュスキイはいった。
「でも、その連中をあなたは指導してるんでしょう。貴族団長として……」
「さよう、ただし私は反対の方向へ指導しているんですよ」とスヴィヤージュスキイは笑いながらいった。
「僕が一つ大いに興味を感じたのは、ほかでもありません」とレーヴィンはいいだした。「われわれの事業、つまり合理的農場経営の事業はうまくいかない、ただうまくいくのは、あのおとなしい地主みたいな高利貸的農場か、それともきわめて単純なものかだ、といったあの地主の意見は本当ですよ……これはいったいだれが悪いのでしょう?」
「もちろん、われわれ自身ですよ。それに、合理的農業がうまくいかないというのは、嘘です。ヴァシリチコフのとこなんかうまくいっていますからね」
「そりゃ工場は……」
「が、それにしても、何にあなたはそうあきれておられるのか、私には合点がいきませんな。民衆は物質的にも精神的にも、じつに低い発達の段階にあるので、どうやら自分に必要なものに、ことごとく反対しなけりゃいられないらしいんですな。ヨーロッパで合理的農業がうまくいくのは、民衆に教養があるからです。したがって、わが国でも民衆を教育する必要がある――それだけの話ですよ。」
「しかし、どうして民衆を教育するんです?」
「民衆を教育するには、三つのものが必要です、ほかでもない、学校、学校、学校」
「しかし、あなたは自分で、民衆は物質的に低い発達の段階に立っている、といわれたじゃありませんか。それなのに、どうして学校が役に立つんです?」
「ねえ、あなたのいうことは、ある人が病人に忠告したあの小話を思い出させますね。『君は下剤をかけてみたらいいでしょう』『やってみましたが、前よりもっと悪いんです』『蛭《ひる》をつけてごらんなさい』『やってみましたが、もっと悪いのです』『ふん、じゃもう神さまにばかりお祈りなさい』『やってみましたが、もっと悪いのです』われわれもお互にそのとおりじゃありませんか。私が経済学というと、あなたはもっと悪いとおっしゃる。私が社会主義というと、もっと悪いとおっしゃる。教育というと――もっと悪い」
「しかし、いったい学校がどう役に立つのです?」
「彼らに別な要求を感じさせるからですよ」
「そいつが僕にはどうしてもわからないんです」と、レーヴィンは熱くなって抗弁した。「学校がどんなふうにして、民衆の物質状態をよくする助けになります? あなたにいわせれば、学校、つまり教育は、彼らに新しい要求を感じさせるそうですが、それはかえってよくないです。なぜって、彼らはそれを満足させる力がないからです。寄算《よせざん》や引算や、教理問答なんてものが、どうして民衆の物質状態を改善するのに役立つか、僕にはさっぱり合点がいきませんよ。僕は一昨日、乳呑児をかかえた女房に出会ったので、どこへ行くのかときいたら、その女房の返事はこうです。『まじない婆さんのとこさ行ってきました、子供が虫でわめきたてるで、なおしてもらいに行きましただよ』そこで僕は、『どうしてまじない婆さんは虫をなおすんだね?』ときくと、『この子を鶏小屋のとまり木の上に乗せて、なにやらおまじないを唱えますだ』」
「そら、ごらんなさい、あなた自身もいってるじゃありませんか! 女房が子供の虫をなおすのに、鶏のとまり木などに乗せないようにするために、つまりそのために教育が必要なんじゃありませんか……」とスヴィヤージュスキイは愉快そうに、微笑しながらいった。
「いや、違います!」とレーヴィンはいまいましげに答えた。「その療法は僕にとって、民衆を学校で治療しようというのと同じことなんです。民衆は貧乏で無教育です――それは、あの百姓女房が子供の泣いているのを見て、これは虫だと考えたのと同様、われわれにもたしかにわかっています。しかし、この不幸を――貧乏と無教育を、どうして学校が救ってくれるのか、ってことはわかりませんね、ちょうど、なぜ子供の虫を、とまり木の鶏がなおしてくれるか、それがわからないのと同じようにね。どうして民衆は貧乏なのか、その原因をつきとめて、それを救済しなくちゃならないのです」
「いや、その点では、あなたは少なくともスペンサアと一致していますね。あなたはひどくお嫌いなようだが。スペンサアもあなた同様に、教育は生活上のじゅうぶんな安寧と便宜の結果、彼のいわゆる頻繁な洗滌《せんでき》の結果から生ずべきもので、読書や計算ができるということではない、とこんなふうにいっていますからね……」
「いや、それはそれは、僕は自分の説がスペンサアと一致したと聞いて、大いに愉快であるか、あるいはその反対に、大いに不愉快であるか、どっちかですね。もっとも、僕はこのことをずっと前から知っていたんですが。学校なんか助けにはなりません。助けになるのは、農民がもっと金持になって、もっと暇ができるような経済組織です――そのときは学校もできますよ」
「しかし、ヨーロッパじゅうどこへ行ったって、現在では学校は義務となっていますよ」
「いったいどうなんです、あなたはこの問題でスペンサアと同意見なんですか?」
 スヴィヤージュスキイの目には、ぎょっとしたような表情がひらめいた。彼はほほえみながらいった。
「しかし、その虫というのは傑作ですね! あなた本当に自分で聞いたのですか?」
 レーヴィンは結局のところ、この男の生活と思想のつながりを見いだすことは、しょせん不可能だと見てとった。見うけたところ、彼は自分の議論がどういうところへたどりつこうと、全然おなじことらしかった。彼に必要なのは、ただ議論のプロセスだけであった。その議論のプロセスに、出口のない袋小路へ連れこまれると、彼は不快になってくる。それがいやさに、なにか気持のいい、愉快な方向へ話題を転じて、なるべくそれを避けるようにしていた。
 この日の印象は、途中で会った年寄った百姓の印象をはじめとして、どれもこれもレーヴィンをはげしく興奮さした。ことに年寄った百姓の印象は、きょう一日のすべての印象と、思想の基礎となったかの感があった。思想をただ社交用にのみ蓄えて、生活の基礎には、レーヴィンなどのうかがい知れない、何か別のものをもっているらしい、しかもそれと同時に数限りない群衆とともに、自分にはなんの縁もない思想を手段として、世論を指導している、あの愛すべきスヴィヤージュスキイ。実生活の悩みから生まれてきたらしい意見の面では正しいが、一つの大きな階級――ロシヤで最も優れた階級に対する悪意の点では正しいといわれない、あの辛辣《しんらつ》な地主。それに、彼自身の仕事に対する不満と、いっさいの修正を発見できそうなばくぜんたる望み――それらすべては内部の不安と、近き解決の期待の情に溶けあうのであった。
 あてがわれた部屋へひきこもり、身動きするたびに思いがけなく、手や足を弾《はじ》き上げるバネ入りの敷蒲団の上に、身を横たえながら、レーヴィンは長いこと眠られなかった。スヴィヤージュスキイとの話は、いろいろと気のきいたことが語られたにもかかわらず、一つとしてレーヴィンの興味をひかなかった。が、あの地主の論証は考究を要請した。レーヴィンはわれともなしに、彼のいったことを一つ一つ思い浮べ、彼に答えた自分の言葉を、心の中で訂正するのであった。
『そうだ、おれはこういわなくちゃならなかったのだ。わが国の農業がうまくいかないのは、百姓が改良を嫌っているからで、そうした改良は、権力によって導入しなければならぬ、とこうあなたはおっしゃる。しかし、もし農業が、そういう改良なしにはまるで失敗だったなら、あなたの説は正しいことになるのですが、しかし途中で会ったあの老人のとこみたいに、労働者が自分の習慣に従って働いているところでは、うまくいってるんですからね。あなたにしろわれわれにしろ、自分の経営に不満であるということは、責任者がわれわれ自身であって、労働者でない証拠です。われわれはもうだいぶまえから、労働力の性質にはおかまいなしに、自己流にヨーロッパ風に押していっていますが、ひとつためしに、労働力を理想的な労働の力でなく、固有の本能をもったロシヤの百姓として認めて、それに照応しながら、経営を設計していこうじゃありませんか。まあかりに(とおれはあの地主にいうべきだったのだ)あなたの農場が、老人のところと同じように経営されていると想像してごらんなさい。あなたは、労働の成功に百姓の興味を呼びさます方法を発見し、彼らの認める中庸《ちゅうよう》を得た改良法を発見された、と仮定してごらんなさい。あなたは土地を荒すことなしに、以前の二倍、三倍の収穫が得られるでしょう。それを二つに割って、半分を労働力に与えてごらんなさい。その残りは前より多いし、労働力の受け取る分も多くなります。これをするには、経営の水準を引き下げて、労働者が農場の成功に興味をいだくようにしなくちゃなりません。これをどんなふうにするかは、それはすでにデテールの問題でありますが、それが可能だということは、疑う余地もありません』
 この想念はレーヴィンをはげしく興奮させた。彼はこの案を実現する細目を熟考しながら、その夜なかばを寝ずにすごした。彼は翌日も滞在するはずであったが、今はもう早朝、家へ帰ることに決めてしまった。なおそのほか、例の胸に四角い刳《く》りを明けた主婦の妹が、何か悪いことをしたあとの羞恥《しゅうち》と慚愧《ざんき》に似た気持を、彼の心に呼びさますのであった。何よりおもなことは、即刻、猶予なく出発しなければならぬということである。まだ秋蒔きのはじまらない前に自分の新しい計画を百姓たちに提案し、新しい基礎のもとに播《ま》きつけをしたかった。彼は古い農村経営法を、がらりと変えてしまおうと決心したのである。

[#5字下げ]二九[#「二九」は中見出し]

 レーヴィンの計画実行には、多くの困難をともなった。しかし、彼は力の及ぶ限り奮闘して望みどおりとはいかないまでも、結果が労力に値するということを、みずから欺くことなしに信じるだけの程度にはこぎつけた。おもなる困難の一つは、仕事がすでに進行していたために、それをぜんぶ停止して、新しくはじめからやりなおすわけにいかず、運転している機械を改造しなければならない点にあった。
 彼がその晩うちへ帰るとすぐ、支配人に自分の計画を話したとき、支配人はさも大満悦のていで、今までやってきたことが無意味であり、不利であったことを証明するような部分に賛意を表した。支配人は、私は前からそういっていたのですが、あなたが耳に入れようとなさらなかったのです、といった。ところで、百姓たちといっしょに仲間の一人として、すべての農場の企業に参与するというレーヴィンの提案にたいしては、支配人はただ深い落胆の色を示したばかりで、何一つはっきりした意見を吐《は》かず、すぐさま明日は残っている裸麦の禾堆《にお》を運んで二度|鋤《す》きに人を出さねばならぬといいだした。で、レーヴィンは今それどころでないのだな、と悟った。
 百姓たちとその話をして、新しい条件で土地をみんなに分ける提言をした時、彼はここでも例のおもな困難にぶっつかった。彼らはその日その日の仕事に追われていて、その計画の有利不利を、とっくり考える暇がなかったのである。
 家畜番のイヴァンという頭の単純な百姓は、どうやらレーヴィンの申し出――家族とともに家畜場の利益分配にあずかるという提議を、じゅうぶんにのみこんで、その計画にしんから賛成したらしく思われた。しかし、レーヴィンが将来の利益を、噛んで含めるように話しはじめると、イヴァンの顔には不安そうな色が浮び、すっかりしまいまで聞いている暇がないのが残念だ、といったような表情が現われた。彼は何かしらのっぴきならぬ用事を見つけ出して、叉竿《またざお》で小屋の中から残った乾草を掻き出したり、畑に水をかけたり、こやしの掃除をしたりなどするのであった。
 もう一つの困難は、百姓たちのどうしようもない猜疑《さいぎ》であった。できるだけ百姓を搾取《さくしゅ》することよりほかに、地主が何かほかに目的を持っていようなどとは、なんとしても信じられないのである。地主の本当の目的は(当人がなんといったところで)自分たちに話さないところに存するのだと、彼らはかたく信じきっていた。また彼ら自身も、自分たちの意見を述べながら、ずいぶんいろんなことをいったけれども、自分たちの本当の目的がどこにあるかも、決して口に出さなかった。のみならず(レーヴィンはあの癇性《かんしょう》な地主のことを、もっともだと思った)よしんばどんな協定をするにしても、その第一の不可欠条件として、新式の耕作法や、新しい農具の使用を強制してもらわないということを、必ずもちだすのであった。彼は犂《プラオ》のほうが鋤《すき》よりもいいことや、速耕器のほうか仕事に能率を上げることは認めながら、そのどちらも使うことができないという、百千の理由を見つけ出した。しかし、彼としては、農業の水準を下げなければならぬと覚悟しながらも、みすみす有利とわかっている改良を断念するのが残念であった。こうした困難があったにもかかわらず、とにかく彼は素志を貫徹して、秋になるころには、仕事がはじまった、少なくとも、彼にはそう思われた。
 はじめレーヴィンは、農場ぜんたいを新しい合資組合の条件で、現在のまま百姓、雇い男、支配人に引き渡す考えであった。しかし、まもなくそれは不可能であると確信したので、農場はいくつかに区分することに決心した。いくつかに分けられた家畜小屋、果樹園、菜園、草場、畑は、それぞれ別の項目になった。レーヴィンの目から見ると、だれよりも一番よく事柄をのみこんだように感じられた、例の単純な頭をした家畜番のイヴァンは、主として自分の家族で組合をつくり、その頭株になって、家畜場の利益に参加することになった。八年間うっちゃられていた遠方の畑は、頭のいい大工フョードル・レズノフの働きによって、六世帯の百姓が新しい組合組織のもとに、引き受けることになった。またシュラーエフという百姓は、菜園ぜんぶを同じ条件でひきうけた。そのほかはすべてもとのままであったが、以上三つの項目は、新しい経営法の基礎となるもので、完全にレーヴィンの活動要求をみたしたのである。
 もっとも、家畜小屋のほうは今にいたるまで、前と比べていっこうによくならなかった。イヴァンは牛小屋を暖かくすること、バタを作ることに極力反対した。牛は寒いところへおいたほうが飼秣《かいば》が少なくてすむし、酸乳《スメタナ》のほうが手っ取り早く作れる、と力説するのであった。しかし、昔と同じように給料を要求して、やっと出してもらった金が給料ではなく、利益分配の前渡しだといわれても、そんなことに興味を感じようとしなかった。
 フョードル・レズノフの組合が、時日が少ないというのを口実に、契約どおり犂で播種前の二度鋤きをしなかったのも事実である。この組合の百姓たちは、新しい基礎の上に仕事をはじめると契約したにもかかわらず、この土地を共同のものでなく、地主と百姓とのあいだに等分したものと称し、この組合の百姓たちばかりか、当のレズノフまでが、一度ならずレーヴィンに向って「あの土地の代をとっていたでえたら、旦那さまのほうもご安心だし、わしらも片がついてよろしゅうごぜえますに」といったものである。のみならす、この組合の百姓たちは、契約どおりこの土地に家畜小屋と穀倉を建てるのを、何かと口実を設けて延引し、冬までひっぱってしまったのである。
 またシュラーエフが、自分の引き受けた菜園を細かく区分して、百姓たちにわけようとしたのも事実である。彼はどうやら、その土地を任された条件を全く反対に、あるいはわざと反対に解釈したらしい。
 またレーヴィンは百姓たちと話をして、この企業の有利なことを、諄々《じゅんじゅん》と説明してやりながらも、百姓たちがまた例の歌がはじまったというふうに、声の響きを聞いているだけで、内心『旦那がなんといったところで、こちとらはその手に乗るものか』とかたくなに考えているのを、感じざるをえなかった。それも事実である。とくに彼がそれを感じたのは、百姓の中でも一番かしこいレズノフと話したときである。レズノフの目の中には、なにか一種のひらめきが動いていたが、それはレーヴィンにたいする嘲笑と、もしだれかだまされるものがあるとしても、決してこのレズノフさまではないぞ、という確信を語るものであった。
 しかし、こうしたさまざまな事実があったにもかかわらず、レーヴィンは事業が進行しているものと認め、厳密に計算をして、どこまでも自説を主張していったら、将来こういう経営法の有利なことが証明できるだろう、そのときはもう事業が自然に運転していく、と考えた。
 こういったふうの仕事は、彼の手に残された農場や、書斎内の著述という仕事とともに、夏中レーヴィンを忙殺したので、ほとんど猟に出かける暇もないくらいであった。八月の終りに、オブロンスキイの家族がモスクワへ引き上げたことを、鞍を返しにきた使の男から知った。彼はドリイの手紙に返事も出さず、思い出しても、恥ずかしさに顔を赤くせずにいられないような、無作法をあえてした以上、自分で自分の船を焼いてしまったも同様で、もう二度とあの家へは行かれない、と感じた。スヴィヤージュスキイ一家に対しても、あいさつもしないで帰ってしまった彼は、それと同じことをしたわけである。あの家へも二度と行くことはあるまい。が、今となっては、そんなことなどどうでもよかった。新組織による経営の仕事は、かつて今まで例のないほど、彼の心を占めてしまったのである。彼は、スヴィヤージュスキイから借りてきた本を残らず読破したうえ、自分の手もとにない事項を書き抜き、それをまた読み返した。また自分の仕事に関係のある経済学や社会主義の本も、かたっぱしから読んだ。しかし、彼が期待したように、自分の企てた事業に関係のあるようなことは、何一つ発見することができなかった。経済学の本では、たとえば、ミルなど第一に研究した。レーヴィンは、自分に関心のある問題の解決が、今にも出てきはしないかと、非常な熱意をもって読んだのであるが、ただヨーロッパの農業状態から抽き出した法則を発見したばかりで、ロシヤに適用することのできないこれらの法則が、なぜ一般共通のものでなければならぬかが、どうしてもわからないのであった。それと同じことを、社会主義の本にも見いだした。それは、彼が大学時代に熱中した、実際に適用できない、美しい空想にすぎないか、さもなければ、ヨ-ロッパが目下おかれている状態の修正にとどまって、ロシヤの農業とはなんの共通点もないのであった。経済学にいわせれば、ヨーロッパの富の発達した、そして発達しつつある法則は、一般に共通不変なものである。が、社会主義の教えによると、この法則による発達は破滅に導くという。そのどちらも、数千万の手と土地をもっているロシヤの百姓と地主のすべてが、どうしたら一般の福祉のために、最も生産的になりうるかというレーヴィンの問いにたいして、答えはおろか、わずかの暗示さえ与えないのであった。
 もういったんこの仕事に手をつけた彼は、自分の研究題目に関する、ありとあらゆる文献を読破したのみならず、これまでさまざまな問題に関してしばしば生じたようなことが、この問題についてはもはや二度とふたたび起らないように、なお現地について親しく研究するために、この秋は外国へ行こうと計画した。よく彼が話し相手の思想を理解して、自分の意見を述べようとすると、ふいに相手は、「しかし、カウフマンは、ジョンスは、ジュブアは、ミッチェリは? 君は彼らを読んでいませんね。ひとつ読んでごらんなさい、彼らはこの問題を解明していますから」というのだ。
 彼は今はっきり見てとった。カウフマンも、ミッチェリも、何一つ自分にいうべきことをもっていないのである。彼は自分が何を欲しているかを知っていた。ロシヤはみごとな土地と、みごとな労働者をもっていて、ある場合には、あの途中で見た老人のところのように、労働者も土地も豊かに生産しているが、大多数の場合は、ヨーロッパ風に資本を投入すると、生産率が少ない。それはただ労働者が自分たちに固有の方法で働こうとし、かつ働いていることに起因するので、この反作用は偶然のものでなく、国民性に根元を有する不断の現象である。それが彼にはわかっていた。広漠たる処女地に植民し、耕作する使命をもったロシヤの国民は、すべての土地が占拠されるまでは、それに必要な方法を意識的に固就するのであって、この方法は普通に考えられているほど悪いものではない、と彼はそう考えた。彼はそのことを理論的には自分の著述で、実践的には自分の農場で、説明しようと思ったのである。

[#5字下げ]三〇[#「三〇」は中見出し]

 九月の終りごろ、組合に与えられた土地に家畜小屋や倉を建てるため、木材が運びこまれた。それからバタも売られ、利潤も配当された。実践の場である農場では、仕事はうまく進んでいった。少なくとも、レーヴィンにはそう思われた。しかし、これを理論的にぜんぶ闡明《せんめい》して、自分の著述を完成するためには、ただ外国へ行って、この方面で何がなされているかを現地で調べ、そこで行われていることがすべて不要のことであるという、否応《いやおう》のない証拠を握ってきさえすればそれでよいのであった。この著述は、レーヴィンの空想によると、経済学に一転機を惹起《じゃっき》するばかりでなく、この科学を完全に無に帰してしまい、新しい科学――民衆と土地の関係を明らかにする科学の、基礎をおくはずなのである。レーヴィンは金を手に入れて、外国旅行の途につくために、ただ小麦を買い手のところへ納めるのを待つばかりであった。ところが、雨が降りはじめて、畑に残った麦や馬鈴薯の取り入れができなくなり、すべての畑仕事はもちろん、麦の運搬さえ中止しなければならなくなった。道路という道路は、足も踏みこめぬようなぬかるみだし、水車場は二つまで出水に流されたが、天候は次第に悪くなるばかりであった。
 九月の三十日には、朝から太陽が顔を出したので、天気になるものとあてこんで、レーヴィンは思い切って出発の準備にかかった。彼は麦を量《はか》るように命じ、支配人を商人のところへやって、金を受けとらせることにし、自分は出発前の最後の処置をするために、農場見まわりに出かけた。
 とにかく、用事をすましてしまったレーヴィンは、革外套を小川のように流れる水が、頸筋や長靴の胴に入って、全身ずぶ濡れだったにもかかわらず、このうえもない元気な興奮した気持で、夕方わが家へむかった。悪天候は夕方からますますひどくなってしまった。全身ずぶ濡れになって、耳をぴくぴくふるわせている馬を、霰《あられ》が痛いほど叩きつけるので、馬は体をはすにして進んだ。しかし、レーヴィンは頭巾《づきん》をかぶっていたから、なんともなかった。彼はさも楽しげに、轍《わだち》の跡をつたって流れる濁った水や、裸になった枝の一本一本にかかっている雫《しずく》や、橋板の上に白く消え残っている霰の斑紋や、裸になった樹のまわりにうず高い層をなして落ち重なっている、まだ水分のある、肉の厚い楡《にれ》の葉などを、あちこちとながめまわしていた。周囲の自然が陰鬱であるにもかかわらず、彼は特に興奮している自分を感じた。遠い村の百姓と試みた会話は、彼らが自分たちの新しい関係に、だんだん慣れてきたことを証明したのである。彼は着物を乾かしに宿屋へよったところ、その老主人は、明らかにレーヴィンの計画に賛意を表して、自分のほうから家畜を買う組合に入りたいと申し出た。
『自分の目的にむかって、たゆまず邁進《まいしん》することだ。そうすれば初志が貫徹できる』とレーヴィンは考えた。『働くにも、苦労するにも、張り合いがあるというものだ。これはおれ一人の仕事じゃなく、一般の福祉の問題だからな。農業ぜんたい、いや、それより、全国民の生活状態が一変されねばならぬ。貧乏の代りに、万人の富と満足、敵視の代りに、協和と利害の一致が現出されるのだ。一口にいえば、無血革命だ。しかし、それは最も偉大な革命で、はじめはこの郡だけの小さな範囲にすぎないが、やがて県にひろがり、ロシヤぜんたいとなり、世界中の革命となるのだ。なぜなら、正しい思想は、豊かな実りをもたずにはいられないからだ。そうとも、これは努力する価値のある目的だ。このおれが、コスチャ・レーヴィンが、黒のネクタイを締めて舞踏会へ出かけ、シチェルバーツカヤに拒絶を食った、あのわれながら惨めで、意気地のない男と同一人であったところで、そんなことはなんの証明にもなりゃしない。おれは確信する、フランクリンだって、自分のことを全部思い起したら、やはり同じように、わが身をつまらないものに感じ、同様に自分を信用しなかったに相違ない。そんなことはなんの意味もありゃしない。フランクリンにもきっと、自分のアガーフィヤ・ミハイロヴナがあって、自分の秘密を打ち明けていたにちがいない』
 こんなことを考えながら、レーヴィンはもう暗くなってから、わが家へ帰りついた。
 商人のところへ行った支配人も、やはり帰ってきて、麦代の一部をもらってきた。宿屋の主人との契約も成立した。支配人が途中で聞いたところによると、穀物はいたるところ、野良におきっぱなしになっていて、まだ取り入れのすまない我家《うち》の禾堆《にお》百六十などは、よそと比べると問題にならない、とのことであった。
 食事をすましてから、レーヴィンはいつものように、本を持って肘椅子に腰をおろし、それを読みながら、本の内容と関連して、目前にひかえた旅行のことを考えつづけていた。今日はことさら明瞭に、自分の仕事の全意義が頭に描き出されて、その思想の本質を現わす長い文章が、おのずと心に組み立てられていった。
『これは書きとめなくちゃならん』と彼は考えた。『これは一つの簡単な序説にしなくちゃならん、前にはそんなものは不必要だと思っていたけれど』
 彼は仕事机へいこうと思って、立ちあがった。すると、彼の足もとにねていたラスカが、伸びをしながら、同じように起きあがった。どこへいくのかと、たずねでもするように、主人の顔をふり仰いだ。しかし、書きとめている暇はなかった。小頭たちが命令を聞きにやってきたのである。でレーヴィンは、彼らの待っている控室へ出ていった。
 命令、すなわち明日の仕事の割当と、彼のところへ用があってきた百姓たちの面接をすまして、レーヴィンは書斎へひっかえし、仕事にむかった。ラスカはテーブルの下で横になった。アガーフィヤが靴下の編物を持って、いつもの場所に坐った。
 ちょっとしばらく書いているうちに、ふとレーヴィンはキチイのこと、彼女に拒絶されたこと、最後に会ったときのことが、いかにもなまなましく思い出された。彼は立ちあがって、部屋の中をこつこつ歩きはじめた。
「なに、そうくよくよしなさることはありませんよ」とアガーフィヤがいった。「ほんに、なんだって家にばっかり、へばりついていらっしゃるんでございます? 温泉にでもいらっしゃるとよろしいのに、いいあんばいにおしたくもできているのですから」
「僕はいわれなくっても、明後日は出発するんだよ、アガーフィヤ。ただ仕事を片づけなくちゃ」
「まあ、そんなお仕事がなんでございます! 百姓どもに、あれだけよくしておやりになったのに、まだ足りないとでもお思いでございますか! それでなくってさえ、こちらの旦那は皇帝さまから、ごほうびをおもらいになるだろうって、みんな申しているくらいでございますよ、どうもふしぎでございますね、どうしてあなたは百姓のことを、そう心配なさるんでしょう?」
「僕は百姓のことを心配してるんじゃない、自分のためにしてるんだよ」
 アガーフィヤは、レーヴィンの農場に関する計画を、一から十まで知っていた。レーヴィンはしばしば自分の考えを、細かいところまで、残らず彼女に話して聞かせ、彼女の説明を受け入れないで議論することも、珍しくなかった。けれども、今はアガーフィヤも主人のいったことを、まるで別様に解釈したのである。
「自分の魂のことは、そりゃ申すまでもなく、まず第一番に考えなければなりません」と彼女はため息とともにいった。「現にパルフェン・デニースイチも、明きめくらではございましたが、だれしもうらやむような死にかたをしました」と彼女は近ごろ死んだ召使のことをいった。「聖餮式もしましたし、塗油《とゆ》式もしましたし」
「僕はそんなことをいってるんじゃないよ」と彼はいった。「僕は自分の利益のためにするといってるんだよ。百姓がよく働けば、僕のほうもそれだけ得になるんだから」
「旦那さまがどんなになさったところで、あの連中がなまけものでしたら、なにもかもむだ骨折りでございますよ。もし正直な気持があったら働くでしょうし、それがなければ、なんにもなりゃいたしません」
「だっておまえは、イヴァンが牛馬の世話をよくするようになったと、そういったじゃないか」
「わたくしが申すのは、いつも同じことでございますよ」明らかにふとした拍子ではなく、厳正な思索の順序を経たあとらしく、アガーフィヤはこう答えた。「奥さまをおもらいにならなくちゃなりません、そうなんでございますよ!」
 自分がたったいま考えていたことを、アガーフィヤにいいだされたので、彼は悄気《しょげ》もし、侮辱も感じた。レーヴィンは顔をしかめて、アガーフィヤには返事もせず、この仕事の意義について考えたことを、全部こころの中で復習しながら、ふたたびテーブルに向った。ただときおり、しじまの中で響くアガーフィヤの編み針の音に耳を傾けながら、思い出したくないことを思い出して、またもや顔をしかめるのであった。
 九時ごろ、ふと鈴の音と、ぬかるみの中を馬車の車台の揺れる響きが聞えた。
「ほら、お客さまがおみえになりました、これでお退屈はなさらないでしょう」とアガーフィヤは立ちあがって、戸口の方へむかいながらいった。が、レーヴィンはそれを追い越した。もう仕事がはかどらなかったので、だれにもせよ客の来訪がうれしかったのである。