『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「朝鮮人強制連行の記録」(1965年、朴慶植、未來社)

※以下、2005年02月25日第53刷を使用。
※目次はscopedog氏の以下記事を利用させていただいた。感謝します。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140511/13998094401965年発行の「朝鮮人強制連行の記録」における慰安婦関連の記述」

※目次は底本P006~008に忠実なものと、より詳細なものの両方を作成した。

○目次○

底本版

まえがき 001
序 帝国主義と民族の問題  009
一 祖国を奪われ日本へ(1910-38年)   019
(1)故郷を追われて日本に渡航   020
(2)在日朝鮮人生活状態   033
(3)在日朝鮮人に対する迫害   038
二 強制連行(1939-45年) 043
(1)強制連行政策   048
(2)強制連行状況と労務管理   068
(3)強制的な訓練状況 074
(4)逃亡の続出と弾圧政策   085
(5)死傷状況と遺骨問題 090
(6)無責任な日本政府   098
(7)むすび 105
三 体験者は語る 107
四 いまだに残されている爪あと   125
(1)ひどい虐待自殺者まで出た日立鉱山常磐炭鉱   126
(2)飢えと酷寒の中で虐殺    136
(3)ビル建設と軍需産業に酷使   146
(4)地下工場建設に多数動員され生死も不明    156
(5)軍人・軍属として多数動員され犠牲にされて放りださる   166
(6)最も虐待され、最も死亡率の高かった北海道炭鉱   177
(7)最も多くの朝鮮人が連行され、遺骨の散在する九州炭鉱   189
(8)現在も屍体埋まる花岡鉱山および岩手虐殺事件   199
(9)信濃川発電所虐殺事件と多数の屍体が海底に埋まる宇部炭鉱   209
五 資料 217
(1)信濃川水力発電所虐殺事件   218
(2)関東大震災時の虐殺見聞記   229
(3)岩手県大船渡線工事虐殺事件   240
(4)朝鮮人徴用労働者労務管理   250
(5)朝鮮にたいする日本帝国主義の罪悪行為について   264
(6)文献目録 293
六 むすび 333
あとがき 341

 

詳細版

[底本冒頭の写真のキャプション][残酷な写真があるので閲覧注意!]
岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者(1932)/関東大震災の時に虐殺された朝鮮人の屍体/上:九州八幡市における朝鮮人の土工たち 下:岸和田紡績における朝鮮人女工たち//上:北海道炭礦汽船株式会社に連行された朝鮮人労働者(歌志内) 下:福岡県豊州炭礦に連行された朝鮮人労働者(1945)/上:北海道炭礦汽船株式会社に連行された朝鮮人 下:福岡県貝島炭礦に連行された朝鮮人/上:軍人・軍属に連行された朝鮮人犠牲者名簿の一部 下:厚生省内になる朝鮮人軍人・軍属の死亡者遺骨/上:釜石市正福寺にある朝鮮人遺骨(釜石礦山) 下:日立礦山で死亡した朝鮮人労働者の遺骨(本山教会所)/5.30間島事件,朝鮮人虐殺の惨状(1930)
まえがき 001
目次
序 帝国主義と民族の問題  009
一 祖国を奪われ日本へ(1910-38年)   019
(1)故郷を追われて日本に渡航   020
   土地を奪われ(020)/生活難から日本へ(025)/軍需産業に狩り出さる(029)
(2)在日朝鮮人生活状態   033
   不快不潔で過激な労働に(033)/民族的差別賃金(036)/バラック集団(037)
(3)在日朝鮮人に対する迫害   038
二 強制連行(1939-45年) 043
(1)強制連行政策   048
(2)強制連行状況と労務管理   068
(3)強制的な訓練状況 074
(4)逃亡の続出と弾圧政策   085
(5)死傷状況と遺骨問題 090
(6)無責任な日本政府   098
(7)むすび 105
三 体験者は語る 107
だまされて北海道のタコ部屋へ――金善永 氏――   108
人狩り日立鉱山に連行さる――尹宗洙 氏――   110
手錠をはめられ九州豊州炭鉱へ――金大植 氏――   112
行先も知らされず飛行場建設工事へ――姜性一 氏――   115
「官斡旋」で日本鋼管へ――金仁植 氏――   117
軍属として南方設営隊へ――羅聖運 氏――   119
軍属として片脚切断の重傷――玉致守 氏――   121
四 いまだに残されている爪あと   125
(1)ひどい虐待自殺者まで出た日立鉱山常磐炭鉱   126
   はじめに(126)/日立鉱山、常盤炭鉱を訪れて(128)/
(2)飢えと酷寒の中で虐殺福島宮城)    136
   署内で同胞を虐殺―沼倉発電所―(136)/雪中を裸足で強制労働―宮下発電所―(138)/昭和電工建設に連行―喜多方集団部落―(141)/「人柱」にされた同胞―多賀城海軍工廠工事―(142)/「枕木一本に朝鮮人一人」―仙山鉄道工事―(144)
(3)ビル建設と軍需産業に酷使(東京神奈川)   146
   関東大震災で数千名も虐殺(146)/もっとも悲惨だった同胞の生活(149)/追われてできた枝川町部落(150)/小河内ダムでも同胞のぎせい(152)/「日本鉄鋼はいのちのコウカン(交換)」(153)/横須賀軍港にも動員(154)
(4)地下工場建設に多数動員され生死も不明(栃木群馬)   156
   「悲しみと怒りと悔みを明日のために」(156)/感電までさせ虐待した足尾銅山(157)/連日犠牲者を出した薮塚の地下工場建設(160)/夜を日についで強行した岩本発電所工事(162)/数十の地下工場穴掘りに狩りだされた同胞(163)/実態調査を活発に進めよう(165)
(5)軍人・軍属として多数動員され犠牲にされて放りださる   166
   「忘れされた皇軍」(166)/同胞を多数戦線に動員(167)/何の補償もない同胞の傷痍軍人軍属(169)/犠牲者のあまりにも当然な要求(171)/まだ南方諸島に放置されている同胞の遺骨(173)/罪のない同胞が「戦犯」として殺される(174)
(6)最も虐待され、最も死亡率の高かった北海道炭鉱   177
   怨みの地、北海道(177)/だまされて美唄のタコ部屋へ(177)/顔が紫色にはれ上るまで殴打(180)/毎月五―六名の同胞が死亡(181)/生き地獄の夕張鉱(182)/日本人以上にヤキが入れられた雄別鉱(185)/亡霊におびえる雨竜発電所(186)/同胞の白骨埋まる鉄道と道路(187)
(7)最も多くの朝鮮人が連行され、遺骨の散在する九州炭鉱   189
   見捨てられた遺骨(189)/赤坂炭鉱虐殺事件(191)/圧制の山、高松炭鉱(192)/人さらいのように強制連行(195)
(8)現在も屍体埋まる花岡鉱山および岩手虐殺事件   199
 四百余名の中国人虐殺した花岡事件(199)/現在もなお同胞の遺体が埋まる花岡鉱山(199)/空腹で毒せりをたべ死亡―尾去沢鉱山(201)/アメリカの艦砲射撃で二五名も死亡―釜石製鉄(203)/岩手県気仙郡矢作虐殺事件(205)/
(9)信濃川発電所虐殺事件と多数の屍体が海底に埋まる宇部炭鉱   209
   多い未調査地域(209)/犠牲者の遺骨を風雨にさらしたままの平岡発電所工事場(209)/機密防止のため数百人の同胞を虐殺したという松代大本営工事(211)/信濃川水力発電所工事場虐殺事件(212)/同胞の犠牲者が多かった黒部ダム(213)/海底に同胞の遺骨埋ったままの宇部炭鉱
五 資料 217
(1)信濃川水力発電所虐殺事件   218
(2)関東大震災時の虐殺見聞記   229
(3)岩手県大船渡線工事虐殺事件   240
(4)朝鮮人徴用労働者労務管理   250
(5)朝鮮にたいする日本帝国主義の罪悪行為について   264
(6)文献目録 293
六 むすび 333
あとがき 341





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○概要○
第二章(2)~(5)にて紹介された資料とその内容を以下に一覧表にした。具体的な記述については本書を参照してほしい。

 

資料名 資料の性格 内容 場所
炭鉱における半島人労働者」(1943年労働科学研究所 当時の調査報告 連行時の拒否権なし、「五〇%以上が~仕事について知らずにやって来るという。」 全般 069
「戦前から昭和二四年までの常盤地方並びに全国的な単行労働運動」(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会 管理者側の証言 連行時の拒否権なし、逃亡者あり、過重な労働、粗末な医療手当 常盤炭鉱福島県 069~070、078
朝鮮新話」(1950年、鎌田沢一郎) 担当官僚の証言 連行時の物理的暴力 全般 070
「失なわれた青春」(1956年三一新書「脱出」より) [被強制連行者の証言] 連行時の拒否権なし、逃亡防止策あり、粗末な食事、粗末な住居、過重な労働、危険な現場、問題のある賃金管理 浅野炭鉱北海道 070、081~082、082~083、084~085、093
「所長会議資料」一~四(1941年、日本鉱業株式会社 該当企業の内部資料 民族属性への抑圧、差別的待遇(「朝鮮人」という属性をもって警戒していたことがわかる) 各地の炭鉱 071~073
朝鮮人労務者の管理に就て」(1942年、鹿島労務部) 該当企業の内部資料 民族属性への抑圧 073
日立鉱山に於ける半島労務者と語る」 該当企業の内部資料 民族属性への抑圧 日立鉱山茨城県 073~074
「特殊労務者の労務管理」(1943年、前田一) 管理者側の証言(P087を参照) 民族属性への抑圧、自由行動の制限、問題のある賃金管理、逃亡者あり 全般? 076、087
「半島労務者勤労状況に関する調査報告」(1943年労働科学研究所 当時の調査資料 民族属性への抑圧、粗末な住居、差別待遇(賃金)、逃亡者あり 全般 077、081、084、086
「私の経験――あのころのこと」第一集(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会 管理者側の証言 労働現場での暴力、リンチ、事故死者あり 077~078、092
炭鉱に生きる」(1960年三菱美唄炭鉱労組編) 同じ現場の日本人労働者 差別待遇、現場での暴力、逃亡防止策あり、過重な労働、事故死者あり、粗末な死傷者への対応 美唄炭鉱北海道 078~079、083、092
「戦前から昭和二四年までの北海道地方並びに全国的な単行労働運動」(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会 同じ現場の日本人労働者 差別待遇(暴力について)、現場での暴力、過重な労働 雄別炭鉱北海道)など 079、084
『朝教組ニュース』第八号(1954年11月24日) 同じ現場の日本人労働者 1944年、朝鮮人労働者約200人を目撃。逃亡防止策あり、粗末な食事、粗末な帰還政策、問題のある賃金管理 日本マグネシウム富山工場(富山県 079~080
被強制連行者の証言 粗末な食事、リンチ、逃亡者あり 飯塚明治炭鉱長崎炭鉱福岡県長崎県?) 079~080
「戦前から昭和二四年までの九州方並びに全国的な単行労働運動」(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会 管理者側の証言? 粗末な食事、粗末な住居、問題のある賃金管理、   「日本の労働者をおさえつけて~」 九州(詳細不明) 081、083
「帰国を待つ人々」(1956年、『新日本文学1959年06月号) 被強制連行者の証言 問題のある賃金管理、粗末な帰還政策、逃亡者あり 085、100
華人労務者就労顛末報告書」(1946年日立鉱山 (該当炭鉱の内部資料) 逃亡者あり 日立鉱山茨城県 086
「最近の軍需産業に於ける労務構成に就て」(1944年、日本銀行調査局) 当時の調査報告 逃亡者あり、粗末な食事、労働争議があったらしい 全般? 092
「半島労務者の作業能力に関する科学的見解、炭砿における半島労務者」(1943年労働科学研究所 当時の調査報告 差別待遇(事故死について)、事故死者あり、危険な労働現場 全般 092
「苦難と貧窮のどんぞこにあえぐ在日朝鮮人生活実態」(1959年、金炳植、雑誌?『朝鮮問題研究』三巻三号) 被強制連行者などからの聞き取り? 過重な労働、逃亡防止策、自由行動の制限、現場での暴力、「いんちきの『死亡診断書』」 嘉飯山地区の炭坑(福岡県 094
朝鮮人殉難者資料」(1959年太平洋戦争朝鮮人殉難者慰霊準備委員会 被強制連行者などからの聞き取り? 粗末な食事、粗末な衣服、粗末な医療手当、粗末な死傷者への対応、暴行死者あり 多賀城海軍工廠工事(宮城県 094~095

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第三章

 

氏名 内容 場所
金善永(P108~P110) 三菱美唄炭鉱北海道 労働条件サギ、危険な現場、自由行動の制限、粗末な食事、事故死者有り、粗末な死傷者への対応、リンチ事故で暴動をおこしたあとに警察署につれていかれ拷問をうけた、1944年秋に逃亡、 108~110
尹宗洙 日立鉱山茨城県 連行時の拒否権なし、連行時の監視、問題のある賃金管理、自由行動の制限、問題のある賃金管理、民族属性への抑圧、リンチ、労働争議あり、事故死者あり、逃亡者あり、栄養失調による死者あり 110~112
金大植 豊州炭鉱福岡県 連行時の物理的暴力、連行時の拒否権なし、連行時の監視、逃亡防止策あり、自由行動の制限、過重な労働、逃亡者あり、リンチ、暴動未遂事件あり、帰国時には「何らの手当ももらえなかった」 112~115
姜性一 飛行場工事(鹿児島県出水市 連行時の拒否権なし、連行時の監視、自由行動の制限、粗末な住居、リンチ、逃亡者あり、1943年12月に逃亡 115~117
金仁植 日本鋼管川崎工場(神奈川県 現場での暴力、問題のある賃金管理、粗末な食事、差別待遇(チン着)、過重な労働、事故死者あり、逃亡者あり、1945年05月に逃亡 117~119
羅聖運 南洋諸島 道路工事(パラオ島)→フェアス島(契約期間の強制延長により帰れない)→(飛行場工事)ヤップ島、    問題のある賃金管理、契約期間の強制延長、粗末な死傷者への対応、粗末な帰還政策 119~121
玉致守 あかつき部隊」(16798部隊)軍属 粗末な死傷者への対応、傷痍軍人としての補償は一切なし、   ※大島渚監督の「忘れられた皇軍」に登場しているのがこの人たち 121~124

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第四章(1)

 

労働現場 資料・証言 内容
日立鉱山茨城県 梅沢三千雄、田中正男(管理者側) 朝鮮人労働者300人を管理した。「何か弁解じみたことを強調しながら~かんじんなことについては一切話をそらしてしまった」、朝鮮人労働者の遺骨一体をあずかっている 129~130
常盤地域の炭鉱福島県茨城県の県境の一帯) 「李氏」(高萩の住民)(※現・茨城県高萩市と思われる) 逃亡者あり、粗末な食事、粗末な衣服、朝鮮人逃亡者を助けた 130
「張氏」(高萩の住民)(※現・茨城県高萩市と思われる) 逃亡者あり、死亡者あり、朝鮮人逃亡者を助けた 130
「日本婦人」(高萩の住民)(※現・茨城県高萩市と思われる) 朝鮮人労働者には空襲警報があっても避難誘導がなされなかった 131
「李氏」(湯本の住民)(※現・福島県いわき市常盤地区、今の湯本駅周辺と思われる) 暴行死者あり 131
「常盤炭労委員長 暴行死者あり、民族属性への抑圧 131
石炭鉱業会の資料」 逃亡34.2%、死亡0.8%、病気および満期帰郷21.2% 132
勝行院、惣善寺(現・いわき市に今もある寺院) 朝鮮人労働者70人の死亡者名簿、その中に自殺者の記述あり 133
朝鮮人聯盟で調査した殉難者名簿」 朝鮮人労働者271人の死亡者名簿、事故死者あり、「変死」は暴行死と推定される 133
日立鉱山茨城県 「尹氏」(P110~112の「尹宗洙」氏と思われる) 労働契約詐欺、民族属性への抑圧、逃亡防止策あり、過重労働、問題のある賃金管理、強制貯金 133~134
本山教会所 朝鮮人労働者56人の死亡者名簿、朝鮮人労働者30人分の遺骨 134~135

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第四章(2)

 

労働現場 資料・証言 内容
沼倉発電所工事(福島県猪苗代町 「朴氏」(猪苗代町の住民)、「李氏」(当時の調査員) 逃亡者あり、暴行死者あり(警察署内)、粗末な食事、粗末な衣服、逃亡防止策あり、朝鮮人逃亡者を助けた(「朴氏」) 137
西円寺、西勝寺(現・猪苗代町 朝鮮人労働者10体分の遺骨 138
朝鮮人殉難者慰霊碑」(猪苗代町 朝鮮人労働者33人分の死亡者名簿(ただし不正確) 137~138
常磐炭鉱 「全氏」(総聯県本部)(住民?) 朝鮮人逃亡者を助けた、拷問(警察署内) 138~139
宮下発電所工事(現福島県三島町宮下地区) 「徐氏」(若松市の住民?) 粗末な食事、粗末な衣服、現場での暴力、粗末な死傷者への対応、朝鮮人逃亡者を助けた 139~140
慰霊碑」(現・三島町宮下地区) 死亡者名簿。朝鮮人37人、中国人12人、日本人12人 140
昭和電工喜多方市 「今おばあさん」(住民) 喜多方集団部落」、詳細が書かれていない 141~142
多賀城海軍工廠工事(宮城県多賀城市 「朴氏」(同じ現場の朝鮮人労働者 逃亡防止策あり、粗末な住居(タコ部屋)   「死亡者が多く」「二―三人の同胞が人柱としてコンクリートの中にぶちこまれ」(この話は「近くの日本人」の証言だという) 142~144
慈雲寺、東園寺、願成寺(現・多賀城市および塩竈市 朝鮮人労働者約100人の死亡者名簿、朝鮮人労働者約40人分の遺骨 144
[関連事項]仙山道工事 「申氏」(同じ現場の朝鮮人労働者 1935年頃完成した鉄道、「ここでも同胞の犠牲者が多く出た」 144

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第四章(3)

労働現場 資料・証言 内容
石川島造船所(東京都 「朴氏」(「会社に籍だけおいていたため多少当時の事情を知っていた」) 粗末な食事、粗末な死傷者への対応、  血空襲で多くの朝鮮人労働者が死亡、その遺骨は放置されている 151~152
日本鋼管神奈川県川崎市 金仁植(被強制連行者)(→117~119に登場) 逃亡者あり、訓練中の虐待、警察署内での拷問、1945年05月に逃亡 153~154
「京浜の高炉から」(1955年日本共産党川鉄細胞編) 逃亡者あり、「同胞(訓練工)の約半数がは逃亡」 154
日本鋼管株式会社四十年史」(1952年)(社史) 1943年末時点で朝鮮人労働者1635人(おそらく「募集」「官斡旋」「徴用」のいずれか) 154
三菱造船など? 東林寺、随流院(現・横浜市にある寺院) 朝鮮人労働者数百人分の遺骨(ページ不足のためか詳細は省略されている) 155
横須賀市の道路工事、トンネル工事など 「全氏」「金氏」(三春町の住民)(同じ現場の朝鮮人労働者 (ページ不足のためか詳細は省略されている) 155
[関連事項]東京都1920年1945年ごろの朝鮮人生活実態 各種資料(省略が多いようだ) 朝鮮人労働者の過酷な生活実態、関東大震災時の朝鮮人虐殺枝川町(江東区)部落の歴史 146~151
[関連事項]神奈川県1920年1945年ごろの朝鮮人生活実態 各種資料(省略が多いようだ) 朝鮮人労働者の過酷な生活実態 153、155

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第四章(4)



労働現場 資料・証言 内容
足尾銅山 足尾銅山労働運動史」(1958年足尾銅山労組)(日本人労働者の証言) 朝鮮人労働者939人(おそらく「募集」「官斡旋」「徴用」のいずれか)、粗末な食事、現場での暴力、リンチ 157~160
鉱山に生きる」(大川英三)(管理者側の記録) 朝鮮人労働者1030人(おそらく「募集」「官斡旋」「徴用」のいずれか) 158
「県警察特高の記録」(群馬県警察の記録) 朝鮮人労働者965人(おそらく「募集」「官斡旋」「徴用」のいずれか) 158
生田、柳田両氏」(足尾銅山労組の元委員長)(同じ現場の日本人労働者 逃亡者あり 158
赤倉山竜蔵寺(現・栃木県日光市にある寺)、「本山近くの観音堂 朝鮮人労働者30人の死亡者名簿 159
「役場の火葬埋葬許可受付名簿」 朝鮮人労働者40人分の名簿 159
「林照寺の住職」(近所の住民) 粗末な食事 160
中島飛行機会社地下工場工事(栃木県強戸村、現・栃木県太田市 近所の住民 事故死者あり 161
長岡寺(現・栃木県太田市 朝鮮人労働者3人の死亡者名簿、朝鮮人労働者約1人分の遺骨 161
岩本発電所工事(群馬県利根郡 「徐氏」「兪氏」(同じ現場の朝鮮人労働者 過重な労働、粗末な食事、事故死者 162~163
中島飛行機会社地下工場工事(群馬県利根郡月夜野町、現・群馬県利根郡みなかみ町 如意寺(現・群馬県利根郡みなかみ町にある寺) 朝鮮人労働者5人の死亡者名簿 164

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第四章(5)

 

労働現場 資料・証言 内容
朝鮮人戦傷軍人軍属 「玉致守氏」(→121~124に登場) 「金在昌氏」「趙昌範氏」 粗末な死傷者への対応、  傷痍軍人としての補償は一切なし 169~173
朝鮮人軍人軍属の遺骨 「遺骨奉安名簿」(政府側資料?) 朝鮮人軍人軍属のうち1644人の氏名が一応明らか、約700人の氏名が不明 174
朝鮮人戦犯捕虜監視要員) 「元シンガポール俘虜収容所々員陸軍大尉福田恒夫」「洪起聖」「元ジャワ俘虜収容所アンボン派遣隊塩沢主計」(同じ現場の当事者らの証言) 朝鮮人戦犯の理不尽 174~176
南洋諸島各島の朝鮮人軍人軍属の死者 「忘れ去られた歴史は呼びかける」(1953年、高成浩、『朝鮮評論』第七巻)(政府側資料をもとに作成?) 朝鮮人軍人軍属24000人以上が死亡 169、176

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第四章(6)

 

労働現場 資料・証言 内容
美唄地区 炭鉱に生きる」(1960年三菱美唄炭鉱労組編)(同じ現場の日本人労働者の証言) 連行時の拒否権なし、連行時の物理的暴力、逃亡者あり、逃亡防止策あり、リンチ 178
「金善永氏」(被強制連行者)(108~110に登場) 労働契約サギ、事故死者あり、逃亡者あり、リンチ 178~179
「崔千守氏」(被強制連行者) 逃亡者あり、リンチ 179
死亡者調査書(美唄市役所) 朝鮮人労働者536人の死亡者名簿 179~180、  ほとんどが事故死
砂川地区 「上砂川市」(自治体史) 朝鮮人労働者は3109人(1945年時点)   契約更新は本人意思だと書いている 180~181
「私の経験――あのころのこと」第一集(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会)(管理者側の証言)(→078) リンチ 181
歌志内地区 金世鳳(被強制連行者) 逃亡者あり、粗末な食事、自由行動の制限 181
明王寺、妙法寺(現・北海道旭川市にある寺) 朝鮮人労働者241人の死亡者名簿 182
夕張地区 「七十年史」(1953年北海道炭砿汽船株式会社)(社史) 朝鮮人労働者53748人(合計) 182~183
「趙時鎬氏「宋基星氏」「郭氏」(同じ現場の朝鮮人労働者)、「三名の日本人主婦」(近所の住民)、「炭鉱残虐物語」(1964年03月15日毎日新聞)(当事者の証言をもとに作成?) 逃亡防止策あり、粗末な食事、リンチ、暴行死者あり? 敗戦直後の「朝鮮人暴徒」(管理者側のみに対して行われたという)、 「タコ部屋と対してちがいはなかった」  「慰安婦 183~184
殉職者名簿」(該当企業の資料) 朝鮮人労働者(最低)16人の死亡者名簿 184
雄別地区 「戦前から昭和二四年までの北海道地方並びに全国的な単行労働運動」(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会 現場での暴力、労働争議あり 185
「雄別炭鉱労働組合創立十周年史」(1956年、雄別炭鉱労働組合)(同じ現場の日本人労働者の証言) 粗末な医療手当 185
輪西製鉄所」(室蘭市 「崔鐘守氏」(被強制連行者) 自由行動の制限、問題のある賃金管理、粗末な食事、過重な労働、逃亡者あり、リンチ 186
[関連事項?]豊真鉄道工事(樺太 朝鮮人『李漢信』のこと」(1959年10月15日、アカハタ、岩淵謙一)(同じ現場にいた人達の証言をもとに作成?) 逃亡者あり、リンチ、自殺者あり 187~188

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第四章(7)

 

労働現場 資料・証言 内容
飯塚地区 観音寺(現・福岡県飯塚市にある寺) 朝鮮人労働者16人分の遺骨 189~190
「張老人」(近所の住民) 暴行死者あり 191
豊州炭鉱 金大植(被強制連行者)(→112~115に登場) 連行時の物理的暴力、逃亡者あり、リンチ 192
飯塚地区および田川地区 この地区の18カ所の寺 朝鮮人労働者約300人の死亡者名簿、朝鮮人労働者120人分の遺骨 192
山田炭鉱 「まっくろ」(1961年、岩崎和江)(同じ現場の日本人労働者の証言) 現場での暴力、差別待遇(暴力について)、粗末な食事 192~193
日吉炭坑 「鄭氏」(被強制連行者) 栄養失調死者あり、事故死者あり、暴行死者あり 193
飯塚地区 「兄弟よ安らかに眠れ―朝鮮人殉難の真相」(1963年、福岡県在日朝鮮人殉難者慰霊実行委員会編)(同じ現場の朝鮮人労働者の証言) 暴行死者あり 193
山田市 西照寺(現・福岡県嘉麻市上山田にある寺) 朝鮮人労働者69人分の遺骨 193
三井漆生炭鉱 「廉燦淳氏」(被強制連行者) 逃亡者あり、リンチ 193~194
高松炭鉱 「日炭高松十年史」(1959年、日炭高松労働組合)(同じ現場の日本人労働者の証言) 逃亡者あり、リンチ、逃亡防止策あり 194
「戦前から昭和二四年までの九州方並びに全国的な単行労働運動」(1958年日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会)(管理者側の証言?) 粗末な食事、粗末な住居、問題のある賃金管理、差別待遇 194~195
「金氏」(被強制連行者) 逃亡防止策あり、粗末な食事、問題のある賃金管理 195
福岡県北部 福岡県北部5か所の寺 朝鮮人労働者84人の死亡者名簿、朝鮮人労働者38人分の遺骨 195
志免炭鉱 「兄弟よ安らかに眠れ―朝鮮人殉難の真相」(1963年、福岡県在日朝鮮人殉難者慰霊実行委員会編)(同じ現場の日本人労働者の証言?) 逃亡者あり、リンチ、暴行死者あり 196
三井三池炭鉱 「兄弟よ安らかに眠れ―朝鮮人殉難の真相」(1963年、福岡県在日朝鮮人殉難者慰霊実行委員会編)(管理者側の証言) 連行時の物理的暴力 196~197

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第四章(8)

 

労働現場 資料・証言 内容
花岡炭鉱 「七ツ館弔魂碑」 朝鮮人労働者11人日本人労働者11人の死亡者名簿 200
信正寺(現・秋田県大館市花岡町にある寺) 朝鮮人労働者15人の死亡者名簿 201
「役所にある死亡者名簿」 朝鮮人労働者19人の死亡者名簿 201
小坂鉱山 「金竜水氏」(同じ現場の朝鮮人労働者 差別待遇(賃金)、粗末な食事、逃亡者あり、栄養失調死者あり 202
曹洞院 朝鮮人労働者6人分の遺骨 202
尾去沢鉱山 「金錫泰氏」(同じ現場の朝鮮人労働者 朝鮮人労働者約700人、粗末な食事、粗末な住居、   「毒草をつんで食べて死んだ事件」 203
釜石鉱山釜石製鉄所 「日本製鉄株式会社史」(1959年、日本製鉄株式会社)(社史) 朝鮮人労働者369人 203
釜石製鉄所七十年史」(?年)(社史) 朝鮮人労働者369人 203
「全氏」(同じ現場の朝鮮人労働者 事故死者あり 204
正福寺(現・岩手県釜石市にある寺)、 朝鮮人労働者25人の死亡者名簿、朝鮮人労働者4人分の遺骨 204
「朴氏」(被強制連行者) 逃亡者あり、事故死者あり 204~205
石応寺(現・岩手県釜石市にある寺) 朝鮮人労働者110人の死亡者名簿、朝鮮人労働者約34人分の遺骨 205
[関連事項]岩手県気仙郡矢作虐殺事件 「民衆新聞」(1946年07月01日号、朝鮮民衆新聞社)、「岩事件真相報告書」(1932年09月)(当事者の証言をもとに作成) 1932年05月04日夜、朝鮮人労働運動家3名が暴力団の襲撃を受けた。2名が死亡、1名が重傷。会社側が主犯で警察・消防と共同の上の事件だった。 206~207

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第四章(9)






労働現場 資料・証言 内容
平岡発電所長野県平岡村) 「埋火葬認許証口頭受付簿」(役場の資料) 事故死者あり、朝鮮人労働者57人の死亡者名簿 210
黒部第一~第三ダム 卞氏」(同じ現場にいた人) 現場での暴力 213
丹那トンネル静岡県 慰霊碑 朝鮮人労働者18人の死亡者名簿 214
「当時ここで労働した同胞の話」 事故死者あり 214
山口県 「鄭晋和氏が調査」(おそらく寺の過去帳や遺骨などを調べたのだろう) 朝鮮人労働者約260人の死亡者名簿、朝鮮人労働者100人分(以上)の遺骨 215
[関連事項]信濃川水力発電所工事場虐殺事件 東亜日報1922年08月の記事 1922年新潟県中魚沼郡で発覚した朝鮮人労働者暴行虐待および虐殺事件。死体が川を流れてきたことで発覚した 212~213、218~228

○引用○
引用者注:強制連行の実態は本書を読んでもらうとして、強制連行の調査研究をなぜするか、そして調査研究の過程での紹介すべきと思われる事柄を引用した。

P126~128 朝鮮人強制連行をなぜ調査研究するか

 はじめに
 著者はこの異国の地、日本に住みついてからもう三十数年にもなる。わたしの両親や弟妹は、八・一五解放後まもなく故郷の南朝鮮に帰り、わたし一人だけ残ってしまった。わたしの両親は一九二九年、故郷での百姓生活が苦しくなって日本に渡り、九州大分県の片田舎で小作農をしてやっと暮らしをたてていた。八・一五解放までの一六年間、この異国の土地で、植民地の人間としてどんなに苦労したか、少年時代のわたしにもよくわかった。いつも「朝鮮人」と馬鹿にされ、誰も手をつけない山合いの谷間にある荒れはてた山田を五、六反借りていっしょうけんめい働いた両親の姿や、粟や大根を入れたおかゆなどでやっと生活していたことをいまもはっきりと思いだすことができる。両親は、もちろん新しい着ものなど買ったこともかく、わたしたち兄弟も母の手伝いでもらった日本人の着古しの服をよく着でいたものだ。
 一九六三年八月、福岡に行ったついでに昔住んでいた村に立ち寄ってみた。中津から豊後高田、さらに山奥に入ったところにある田原村(いまは大田村)に行く道すがら、わたしの心は両親の苦労した過去の暗い時代を思い浮べ、道路や、一木一草にいたるまでも父母の血と汗が泌みこんでいると思うと胸が痛かった。母は一四年前になくなってしまった(それを知ったのはそれから五、六年後である)。病身の母が、重い古物買いのリヤカーを引き、わたしがその後押しをしながら通った道々、周囲の山々! わたしはどんなにか母の死に目にあいたかったろうか。一九六二年の暮れに間近いある日、故郷から弟の便りがあった。一昨年の九月に父がなくなったという悲しい便りであった。わたしは、その瞬問まで生きていると思っていたのに……。わたしの眼の前は真暗になった。とうとう両親の死に目にも逢えないで永遠に生き別れてしまったわけである。
 わたしは何日も沈んだ心を抱きながら、日本に住んでいる朝鮮人のことを考えた。わたしのような境遇の大びとがどんなに多いことであろうかと。いやわたし以上の悲劇を背負った大びとが多いにちがいない。
 一昨年、福岡県筑豊炭錻にいったとき、多くの寺に戦時中徴用で引っぱってこられた朝鮮労働者の遺骨が埃をかぶったまま物置のようなところに放りこまれてあるのを見た。また炭鉱事故で埋まったまま現在までも掘り出せない屍体があちこちにあることを聞いて憤りを感じた。これらのなくなった人たちは、この異国の空でひどい日本人労務監督の鞭にたたかれながら、怨みをのんで死んでいったにちがいない。これらのなくなった人たちの親兄弟、あるいは子供たちは、このような残酷なことを知っているのであろうか。いや死んだことも、またどんなに怨みをのんで死んでいったかも知らない人が多いにちがいない。現に祖国朝鮮の南からも北からも、人さがしの依頼が、解放後二〇年にもなるというのにひっきりなしに送られてきているのだ。尋ね人が死んでいればもう二度と逢えるということは諦めねばならない。しかしこのような不幸な事実をもたらしたのは誰であり――それは日本帝国主義であり、解放後親兄弟に逢うことさえ妨害しているアメリカ帝国主義である――かれらがわれわれ同胞にどんな仕打ちをしたかということは決して忘れてはならない。そしてこのことをただわれわれだけでなく、われわれの子孫はもちろんのこと、世界中の大びとに知らせなければならない。二度とこのような残虐な仕打ちを受けないためにも――。
 わたしは両親の死に目にもあえず、また墓参りさえできずにいる心の痛さを、自己をはぐくんでくれた故郷から無慈悲にも追われ、あるいはこの日本に強制連行されてあらゆる迫害と虐待をうけた同胞の苦しみ、この異国の地で怨み深く死んでいった数々の事実を明らかにすることの中で、侵略者に反対する意識を高めることに転化し、われわれのたたかいのかてとしていきたい。
 この紙上を通し、読者とともに日本の各地を訪れ、埋もれた、いな支配者によってもみ消されているわれわれの父母の歴史の一断面――これを明らかにしてこそ、正しい人民の歴史を明らかにすることができる――を解きほぐしていきたい。もちろんこのようなことは、とうていわたし一人の力のおよぶところではないが、この物語が、今後読者諸君のより深い調査・研究の手引きにでもなれば幸いである。



P144 著者の朴氏から読者への呼びかけ、それに答えた調査

福島県から宮城県にわたるこのたびのわたしたちの訓査は、わずか三日間という短時日に過ぎなかったので、詳細な調査は不可能であった。しかしこれをきっかけに、地元の読者諸君が少し時間をかけてやれば、これの何倍もの事実がわかってくることであろう。
(中略)

 追記 日朝協会仙台支部は昨年八月、東北大班が中心となって多賀城海軍工廠工事、細倉鉱山仙山線工事などにおける朝鮮人の強制労働および犠牲者について調査を行い、大きな成果をあげている。(中略)




P157 調査の困難さ

(中略)わたしのもっとも知りたかったのは現地の人びとがこの事実をどのように考え、どのように解決していったかということであった。幸い現在は、これらの地域で「日朝協会」がつくられて、この事件についての反省と今後の問題がとりくまれている。群馬埼玉ではパンフまでつくられ朝日親善運動が展開されている。しかしまだ虐殺事件と何らかの関係ある人びとは黙して語らない。直接に何の関係のない人までもあたりをはばかって、見たことも聞いたことをも語ってくれない。そのため本庄、藤岡をのぞく他の地域では、どこに同胞の屍体や骨が埋められたかさえもわからないままになっているのである。船橋市新船橋駅前の旭ガラスエ場のある凹地では、たしかな場所も確認せず掘ろうとしたところ、以後の段階になって骨を埋めた場所を知らせてくれた老人が出てきてやっと掘りあてたのであるが、わたしはこのような事実から、いかに帝国主義者のまいた侵略思想、民族差別、蔑視、排外思想が恐しいものであり、根深いものであるかを深く考えざるを得なかった。



P167 大島渚監督が「忘れられた皇軍」で一番伝えたかったこと

 大島監督は「……いま街頭で白衣募金をやっている傷疲軍人は、ことごとく朝鮮人であることを発見してきた時のわたしたちの衝撃は筆舌に尽しがたい大きいものがあった。……そしてわたしは、この人達の無残な傷口や悲惨な生活をすべての日本人に見てもらいたいと思って、それを映徨にとらえたのであるが、それらにもましてわたしが何としても映愧にとらえたい、そしてその映像によってすべての日本人の胸に突き刺したいと思ったは、この人達の体の傷口や生活よりももっと無残でもっと悲惨なこの人達の心の傷口であった。その表現が、デモ行進の果ての酒宴における内輪喧嘩と、眼のない眼からこぼれる涙になったのは、テレビを観て下さった人達は判っていただけると思う」(「日本読書新聞」一九六三年一二月九日号)と語っている。




P184 なぜ調査に協力したか

 私はこの地域での死亡者を調べるために夕張市役所を訪れた。戸籍係にあい、死亡者名簿を要請したが、すでに廃棄処分に附し、何の書類もないという。わたしは何とかしてさがしてもらうことを強く要望したところ、係長は実は自分の弟も南方に兵隊にいったまま何の消息もなく切実な問題であることを認め、何らかの手掛かりをさがしてみようと約束して引上げた。後日の書信によると、その名簿は東京出入国管理局にあるという。(中略)



P201 調査の過程で直面した無関心

(中略)信正寺を訪れ、過去帳をみせてもらった。(中略)何だかわたしには留守番の老住職が同胞にたいして関心が深くないように思えてさびしかった。ここは中国人大量虐殺事件がクローズアップされているため、朝鮮人問題については案外関心が薄いのではないかと思った。



P207~208

(中略)わたしは読者諸君に心から叫びたい。無惨に殺された同胞とその遺族のために、またわれわれの民主的民族的諸権利を守るために、さらにまた朝鮮と日本の友好と連帯のためにこのような事実を発掘されんことを切に望んでやまない。



P340~341

本書の内容は、「一、祖国を奪われ日本へ」及び資料編を除いては下記に示すように既に発表したものであり、本書をまとめるに当って若干の補充ならびに文章の訂正を加えたことを諒承していただきたい。
序 帝国主義と民族の問題      中国現代史研究会一九六四年五月例会の講演速記
二 強制連行      『歴史学研究』一九六五年二月号掲載「太平洋戦争時における朝鮮人強制連行」
三 体験者は語る      「朝鮮時報」一九六四年二月一日―四月十一日(七回)連載
四 いまだに遺されている爪あと      「新しい世代」一九六四円一月号―十二月号(九回)連載




索引
004 私はその条約締結に反対する立場から本書をまとめた
010 私は日本語で話したり、書いたりということについて常に不自然さを痛感している。
011 『世界』の論考
045 法政大学田中直
046 旗田巍
099 いっせい解雇する場合治安をみだすおそれがあるとして
100 三重県桑名市東方特別作業隊十中隊防空壕内で
114 インテリの隊
122 宮古島
123 大島渚監督 「忘れられた皇軍
129 突然の火災で焼失
133 どうしたわけかいっぺんに疲れが出て
149 「日稼哀話」
160 絶糧農民にたいする救援米
166 「忘れられた皇軍
169 「慰安婦
171 自殺したり
173 同胞の骨かもしれない
175 せいぜいのところ殴打

 

※本記事は「s3731127306の資料室」2015年01月12日作成記事を転載したものです。