『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「秋田県における朝鮮人強制連行」(2005年、野添憲治、社会評論社)

※『一九四六年厚生省「朝鮮人労務者に関する調査」(秋田県)』は「1946年厚生省調査」と略す。
※ここでは朝鮮人の強制連行の実態のみについて、概略を一覧表で示す。具体的な記述は本書を読んでもらいたい。

※被強制連行者が目撃者にくらべて人数が少ないことに注意。

○目次○

Ⅰ 朝鮮人強制連行と秋田県 011
Ⅱ 強制労働した現場 037
 秋田県朝鮮人強制連行事業所 039
 十和田湖隧道導水工事(鹿角市大湯) 042
 不老倉鉱山(鹿角市大湯) 046
 小坂鉱山(鹿角郡小坂町) 048
 相内鉱山(鹿角郡小坂町) 054
 尾去沢鉱山鹿角市) 057
 大沢鉱山(大館市) 064
 阿仁鉱山(北秋田市) 070
 花岡鉱山(大館市花岡町) 073
 八森鉱山(山本郡八森町) 080
 宮田又鉱山(大仙市) 086
 川口鉱山(大仙市) 091
 明沢溜池工事(横手市) 097
 東北採炭(横手市) 100
 吉乃鉱山(横手市) 103
 院内鉱山(湯沢市) 112
Ⅲ 朝鮮人連行者の証言 115
 申鉉杰(小坂鉱山) 116
 朴米子(尾去沢鉱山) 127
 金竜水(小坂鉱山) 134
 李又鳳(花岡鉱山) 140
 金唱東(大沢鉱山) 159
 林鐘新(阿仁鉱山) 173
 曹四鉱(堀内組先達出張所) 176
 李用鎮(夏瀬ダム) 184
 朴浩鳳(川口鉱山) 203
Ⅳ 日本人が見た朝鮮人連行者 213
 守田勝・十和田湖ダム計画工事(鹿角市) 214
 明石文吾・不老倉鉱山と大柴鉱山(鹿角市) 217
 越前喜代治・尾去沢鉱山鹿角市) 219
 吉沢悦郎・尾去沢鉱山鹿角市) 230
 成田宗蔵・尾去沢鉱山鹿角市) 232
 山本栄・大沢鉱山(大館市) 233
 佐藤信吉・大沢鉱山(大館市) 236
 伊藤豊治・小又川発電所北秋田市) 240
 橋本孫蔵・奥羽無煙炭鉱明利又鉱山(北秋田市) 243
 清水清・奥羽無煙炭鉱明利又鉱山(北秋田市) 247
 佐藤与市郎・二ツ井営林署第二貯木工事(山本郡二ツ井町) 249
 野呂仁八・発森鉱山(山本郡八森町) 253
 藤原喜之助・玉川の護岸工事(仙北市) 255
 船山官平・神代ダム(仙北市) 259
 高橋良次郎・吉乃鉱山(横手町) 262
 佐々木一郎・吉乃鉱山(横手町) 265
 諸越錬治・院内鉱山(湯沢町) 267

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○概要○


労働現場 資料・証言 内容 ページ
十和田湖隧道導水工事 「1946年厚生省調査」 なし P032~P034
〃 守田勝(戦後、関連会社に勤務) 朝鮮人を使った管理者側の人間を2人知っている(調査団側の接触の結果については本書を参照) P045、P215
〃 近所の住民(?) 朝鮮人労働者が約200~300人 P045
不老倉鉱山 「1946年厚生省調査」 [帝国工業開発]朝鮮人200人(「官斡旋」100人、「徴用」100人)、うち逃亡者55人、死者0人 [鹿島組]朝鮮人214人(官斡旋)、逃亡24人、死者4人 P046~047
〃 明石文吾(関係企業の労働者) 朝鮮人労働者約300人、管理者側の武装、粗末な衣服、過酷な労働現場 P048、P218
小坂鉱山 「1946年厚生省調査」 [同和鉱業]朝鮮人労働者482人(「官斡旋」と「徴用」)、逃亡者147人、死者1人、[多田組]朝鮮人労働者380人(「自由」) P033、P034
〃 金竜水(「自由」で来た朝鮮人労働者) 朝鮮人労働者約380人、逃亡者あり、死者31人(当時の伝聞?)、朝鮮人の墓を知っている P051、052、P134~139
〃 申鉉杰(被強制連行者) 監禁あり、粗末な衣服、粗末な食事、リンチあり、1945年07月に逃亡 P051~P052、P116~P126
〃 川田徳芳(炭鉱の寮長) 慶尚北道から朝鮮人800人を連行した、リンチはなかった P050、P052
相沢鉱山 金竜水(「自由」で近くの小坂鉱山に来た朝鮮人労働者) 朝鮮人労働者270人 P056
尾去沢鉱山 「1946年厚生省調査」 朝鮮人687人(「官斡旋」と「徴用」)、逃亡者54人、死者9人 P032、P059、P062
〃 金海龍(被強制連行者) 1944年05月に強制連行、連行時の拒否権なし、粗末な住居、粗末な衣服、粗末な食事、危険な労働現場、リンチ、毒セリを食べて死んだ朝鮮人がいた P060~063
〃 朴米子(近所の住民)(父親が朝鮮人飯場にいた) 病死者あり、毒セリを食べて死んだ朝鮮人がいた P131~132
〃 児玉政治(炭鉱の労務係) 朝鮮人労働者約3800人~4000人 P059
〃 吉田悦郎(炭鉱の社員) 朝鮮人労働者約500人 P228
〃 越前喜代治(関係企業の日本人労働者) 1943年に朝鮮人労働者約200人を目撃、毒セリを食べて死んだ朝鮮人がいた P058~059、P223~224
〃 成田宗蔵(会社の労働者) 朝鮮人労働者約200人を連行した、食糧不足 P059~060、P231~232
円通寺(近くの寺) ここに朝鮮人の遺骨7人~9人分がある可能性あり。過去帳を見せたがらないようだ P063
大沢鉱山 「1946年厚生省調査」 朝鮮人労働者78人(「官斡旋」と「徴用」)、逃亡者24人 P033、P067
〃 金唱東(近所の住民) 1943年の冬に朝鮮人労働者約150人~200人が来た、朝鮮人逃亡者を助けた P067~069 、P164~P169
〃 山本栄(近所の住民) 朝鮮人労働者を目撃、リンチ(当時の伝聞)、敗戦直後の管理者側への報復(当時の伝聞) P234~236
佐藤信吉(鉱山の日本人労働者) 1943年ごろに朝鮮人労働者約100人を目撃、自由行動の制限、粗末な食事 P238~239
阿仁鉱山 鄭在善(どういう人なのか不明) 敗戦直後の「朝鮮人暴徒」 P072~073
〃 林鐘新(「自由」で来た朝鮮人労働者) 粗末な食事、労働現場での暴力、敗戦直後に管理者側が逃亡 P072 、P174~175
〃 大井伊佐男(鉱山の労務係) 朝鮮人連行に立ち合った、朝鮮人労働者約300人、病死者あり、逃亡者あり、事故死者なし P071~072
花岡鉱山 「1946年厚生省調査」 [藤田組]朝鮮人労働者1978人(「官斡旋」と「徴用」)、[同和鉱業]朝鮮人労働者130人?、[鹿島組]朝鮮人労働者0人? P031~032
〃 内部資料 朝鮮人労働者延べ4500人 P074~075
〃 「歴史の空白」(朝日新聞秋田県版1975年08月08日~08月12日) ※本書に全文収録してほしかった P077
〃 金鐘烈(被強制連行者) (この人が証言したことが明確なもののみ)粗末な食事、粗末な衣服、粗末な住居、 P077~079
〃 黄彦性(管理者側?) 粗末な医療手当(橘寮のこと) P077、P079、P151
〃 李又鳳(逃亡後に「自由」で該当現場へ) 1945年05月、花岡鉱山へ。粗末な医療手当(橘寮のこと)、強制貯金、敗戦直後に管理者側が逃亡、敗戦直後の「朝鮮人暴徒」、粗末な送還策(実質的な「放り出し」)、敗戦時には朝鮮人労働者約1800人(「徴用」1200人、「自由」600人) P079、P151
八森鉱山(発盛鉱山) 「1946年厚生省調査」 朝鮮人労働者201人(「官斡旋」と「徴用」)、逃亡者41人 P032、P082~084
〃 地元側の説明 朝鮮人労働者150人、「『平穏』に帰国した」 P082
〃 野呂仁八(同じ現場の日本人労働者) 労働現場での暴力、逃亡者あり、敗戦直後に管理者側が逃亡、敗戦直後の「朝鮮人暴徒(少人数)」 P084、P253~255
〃 『消えた発盛』 (直接の管理者の証言)逃亡者あり、死者あり(原因不明)、粗末な食事 P085
宮田又鉱山 「韓国人(半島人)」労務者名簿 朝鮮人労働者84人 P090
〃 『協和町の鉱山』(当事者や近所の住民たちに取材して書かれた?) 逃亡防止策あり、労働争議あり(配給の横流しをめぐって、詳細は本書にて) P088~090
川口鉱山 朴浩鳳(逃亡後に「自由」で該当現場へ) 1943年04月に川口鉱山へ。比較的自由。負傷者あり。死者なし。 P094、P208~209
〃 富木豊太(同じ現場の日本人労働者) 1943年08月~11月、朝鮮人労働者を目撃 P095~096
〃 皆川峯夫(同じ現場の日本人労働者) 朝鮮人労働者を目撃 P096~097
明沢溜池工事 「1946年厚生省調査」 朝鮮人労働者100人(「自由」) P034、P098~099
田中二郎、田中スエ(該当現場の飯場の炊飯担当者) 該当の朝鮮人労働者100人は吉野(吉乃?)炭鉱から来た。逃亡した朝鮮人を助けた(吉乃鉱山から逃亡した人) P098~100
東北採炭 「1946年厚生省調査」 朝鮮人労働者38人(「自由」)、「死亡者、逃亡者なし」 P034、101
〃 「戦時中に東北採炭で働いたという人」 事故死者あり P101~102
吉乃鉱山 「1946年厚生省調査」 朝鮮人労働者166人(「官斡旋」と「徴用」) P032、P108
高橋健一(近所の住民) 連行時の物理的拘束、逃亡した朝鮮人を助けた、敗戦直後の「朝鮮人暴徒」 P107、110
〃 珍田幸一(該当鉱山の社員) 1943年に朝鮮人労働者約120人が来た。差別的待遇なし。虐待なし。 P108~110
〃 土谷敬一(近所の住民) 差別的待遇なし、虐待なし P108~109
〃 高橋長一郎(管理者側) 事故死者あり。逃亡防止策あり。 P109
〃 横山秀一(近所の住民?) 自殺者あり(五十嵐洋一郎という人の目撃談を聞いたもの?) P111
〃 佐々木一郎(近所の住民?) 粗末な墓。粗末な死傷者への対応。 P111~112、P266
〃 高橋良次郎(同じ現場の日本人労働者) 現場での暴力 P264
〃 ※各証言について ※証言に大きな違いがある ※
院内鉱山 諸越錬治(同じ現場の日本人労働者) 1941年に朝鮮人労働者約100人。差別待遇なし。(1942年~1947年のことはわからない) P113~114、P268~270
夏瀬ダム 李用鎮(被強制連行者) 連行時の監視。粗末な住居、粗末な食事、粗末な衣服、粗末な事故死者への対応、問題のある賃金管理、危険な労働現場、事故死者あり、リンチ、1944年03月に逃亡したが失敗、その後移動させられた神奈川県逗子市で逃亡に成功 P189~200
堀内組先達 「1946年厚生省調査」 朝鮮人労働者307人(「官斡旋」と「徴用」) P032
〃 曹四鉱 連行時の拒否権なし、粗末な食事、粗末な衣服、問題のある賃金管理、粗末な医療手当(場合によって違った?)、過重な労働、逃亡防止策あり、逃亡者あり、事故死者あり。一九四五年10月朝鮮半島に帰る。 P177~183
奥羽無煙炭鉱明利又鉱山 橋本孫蔵(現場近くで働いていた日本人労働者) 朝鮮人労働者を目撃した P245~246
小又川発電所 伊藤豊治(現場近くで働いていた労働者) 朝鮮人労働者を目撃した P240~243
清水清(現場近くで働いていた日本人学生労働者) 朝鮮人労働者約100人? 朝鮮人労働者を目撃した P247~249
二ツ井営林署第二貯木工事 佐藤与三郎(同じ現場の日本人労働者) 朝鮮人労働者を目撃した P251~253
玉川の護岸工事 藤原喜之助(同じ現場の日本人労働者) 朝鮮人労働者を目撃した P258
神代ダム 舟山官平(近所の住民) 朝鮮人労働者を目撃した。粗末な食事?事故死者あり? P259~261

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○引用○
・強制連行の実態調査のなかであった印象深いできことを紹介する。

P045

その時に現場で直接朝鮮人の監督をしたという二人を見つけた。八〇歳をこしているが元気だというので、何度も電話をした。隧道工事のことは元気にしゃべっているが、「朝鮮人」と言うとガチャンと電話が切れたり、「知らん」といわれた。家にも訪ねたが、入れて貰えなかった。何かに脅えているような感じだったが、話を聞くことは出来なかった。


P082

 一九七八年八月二三日に第九回朝鮮人強制労働現場調査会を発盛鉱山でおこなったが、六〇〇人のことが地元の新聞に短くでた時も、「そんなに来ていない。誇張している」と、八森町の人たち数人からはげしい抗議の電話がきた。調査会の時に案内してくれたのもその一人で、「朝鮮人労働者は一九四二年三〇人、一九四三年四〇人、一九四四年四〇人というように三次にわたって一五〇人程度受け入れられ、家族同伴もあったということだ。そして敗戦後、一九四五年から一九四六年にかけての冬、現場の仲間にあいさつをし、『平穏』に帰国した」と説明を受けた。
 このあとも、わたし個人で四回ほど八森町に行った。「発盛鉱山の朝鮮人」と言うだけで相手の目が光り、口が閉ざされた。


P092~094

 一九九九年の夏すぎに、太田町で製材所をやっている朝鮮人がいるという話を聞き、金代龍に連れて行って貰った。(中略)
 紹介していただき、貰った名刺には朴浩鳳とあった。それを見て、筆者は「はッ」と思った。社名の木戸製材所というのは、姓の「朴」から取ったことがわかったからだ。屈折した朝鮮人の思いを、ふとかいま見た気がした。
 朴浩鳳にこれまでの話を知らせて欲しいと頼むと、
「僕のは、普通の人間の話だよ」
 「その普通の人間の話を聞かせて下さい」
 「そうか――」
と言ったまま、しばらく目をつむっていたが、急に大声で「わあー」と泣いた。筆者はびっくりしたが、激しい泣き方を見ているよりなかった。わたしはこれまで、一〇〇人近い朝鮮人や中国人の強制連行者から話を聞いているが、どの人も一度か二度、必ずといっていいほど激しく泣く。
 朴浩鳳も三分くらいすると、
 「急に故郷のことを思い出したのでね」
 と涙をぬぐい、語り始めた。


P103

 東北採炭や北上線などで働いた挑戦員のことを記憶している人は、地元でも数人だけだという。この人たちがいなくなると、朝鮮人が働いたという事実も消えていくことだろう。


P107

 (中略)この時の調査でわたしが質問した地元の老人は、
「そんなことをしゃべったりすると、どっかへ連れて行かれるのではないか……」
 と、青ざめた表情をして口をつぐんだ。
 もう一つの例としては、「増田町教育委員会が昭和四十七年に発行した『増田町郷土史』は全く触れていない。現在、増田町は来年の発行に向けて町名を編さん中で、吉乃鉱山についても記述するが、強制連行については“生存している関係者もおり、触れにくい”(町史編さん担当)として言及しない予定だ」(「河北新報・秋田版」一九九六年七月二二日)という。


P109

(中略)後で聞いた話では、わたしたち真相調査団が吉乃鉱山へ調査に行くと知らされた時、吉乃鉱山の関係者が集まり、対応を相談したという。何を相談したのだろうか。

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○索引○
022 『秋田県警察史』(下巻) 本件居住外国人のうち朝鮮人は、昭和六年十二月末で一三九人おり、
028 『秋田県統計年鑑』
030 『一九四六年厚生省「朝鮮人労務者に関する調査」(秋田県)』
044 『七十年の回顧』
050 (野添憲治「異国で逝った証言者」『秋田魁新報』一九九七年八月二一日・夕刊)
057 『秋田県警察史』(下巻)
073 独立運動で投獄された経験もある闘士で
079 第五寮(橘寮とも言った)
085 『消えた発盛――鉱山城下町その栄枯盛衰』
088 (進藤孝一『協和町の鉱山』秋田文化出版)
099 慰霊祭
100 (西成辰雄)
105 (斎藤実則「吉乃鉱山誌」『秋田県地域開発研究会紀要・第五報』)
111 (「対談・際限のない営みのなかで」清水弟花岡事件ノート』秋田書房)
120 中国人や米軍の捕虜たちが
128 関東大震災 殺されそうになった時に
130 鉱澤ダムの堰堤が決壊
136 珪肺
137 「ことしの八月になれば、日本は戦争に負ける。
139 墓地の場所もはっきりわからなくなってしまった。
140 補導員
143 皇国臣民の誓い
144 伏見鉱山では「鮮人」と言った。
148 兵隊は機関銃を撃った
149 「米殻通帳」
156 あまりにも無責任すぎることではないのか。
157 朴烈
158 弾圧一本槍
162 集団リンチ
163 爆発しないで残ったダイナマイトがたまにあるようで
165 K先生
166 K先生
167 K先生
186 「農民読本」
187 日本兵
190 通訳はジャパンタイムズの記者で
207 軍艦に乗せられているのだという。
209 朝鮮人の大学生
218 東朝鮮鉱業
225 B29


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※強制連行を調べる時に調べるべき事項

連行時→労働条件サギ、連行時の拒否権なし、連行時の拘束、連行時の監視、連行時の物理的暴力
労働時→粗末な食事(食事不足をふくむ)、粗末な住居、粗末な衣服(靴をふくむ)、粗末な医療手当、問題のある賃金管理、自由行動の制限、強制貯金、粗末な死傷者への対応、逃亡防止策あり、民族属性への抑圧(「皇民化政策」をふくむ)[労働条件・生活]
危険な労働現場、過重な労働、労働現場での差別、、管理者側の武装、労働現場での暴力、リンチ、[労働条件・現場]
労働争議あり、負傷者あり、事故死者あり、暴行死者あり、自殺者あり、逃亡者あり、[結果]
労働後→賃金不払い、敗戦直後に管理者側が逃亡、敗戦直後の「朝鮮人暴徒」、粗末な送還策(実質的な「放り出し」)、粗末な墓、朝鮮人死亡者の墓を知っている、
その他→朝鮮人労働者を目撃した、朝鮮人逃亡者を助けた[そのほかは末尾に簡潔に記述]

※本記事は「s3731127306の資料室」2015年02月04日作成記事を転載したものです。