『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや ルソン島、第17連隊02 略あり

スマートフォン上で、文字を拡大(拡大する前の6倍)して読む必要があったので、このブログに転載したうえで文字を拡大する作業をしました。
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1923年秋田県秋田市にて生まれる。
 添川尋常高等小学校卒業。
1944年歩兵第17連隊入隊。
1945年フィリピン・ルソン島にて終戦を迎える。
1946年復員。復員後は農業を営む。

[1] 初年兵でルソン島へ 04:02
[2] 反日感情の高まり 01:51
[3] ゲリラ討伐命令が下る 04:59
[4] 命令は絶対だった 02:06
[5] 圧倒的な米軍の火力 04:39
[6] 銃弾が幾度も身体をかすめた 03:00
[7] 斬り込み攻撃 失敗 06:24
[8] バナハオ山へ 05:01
[9] 生きるための戦い 06:05
[10] 首実検 04:08
[11] ふるさと秋田へ 01:49
[12] 戦争を体験し、いま、思うこと 04:49


[1] 初年兵でルソン島へ 04:02
わたしがた初年兵で、それこそ、満州さ行って、1か月間の間だからな。その間に、だから、さっぱり、軍隊そのものの気分にもならないうちに、ポンポンポンポンと移動、移動でして歩いたもんだからよ。そして、我々みたいに軍隊さ入ったばかりの人、何も分からないだすものな。分からないもの。だから、何となく「今度どこそこさ行くんだ、今度南方さ行くんだ」ってことで、上官の命令によって連れて歩かれたもんだから。
Q:ルソン島に行くとは、知らされていなかったですか?
うーんと、「ルソン島さ行く」ていうことは、どこさ、わたしがたの耳さ入ったのはよ、台湾さ行って、そこで分かったな。
Q:ルソン島へ着いた時は、ホッとした気持ちが強かったですか?
なんていうかな、戦うっていう気分なんて全然なかったすもんな。まず、行く先がまるっきり、なんていうか、わたしがた、戦争の味も、あんまり戦争の話も聞かないで行ってるもんだからよ、それこそさ、「常夏の国さ行って」という気持ちでよ、安心感でいたっすな。そしてサンフェルナンドさ上がって、あんまり記憶にないけれども、その頃は、見るもの聞くもの幸せいっぱいで、「常夏の国いい」という気持ちで、そしたら、今度、アメリカ上がって(上陸)きたっすべ。そしたら今度、地域の住民がよ、今まで「日本の兵隊さんが、日本人はいい人だ」
っていうことで喜ばれて、幸せであった、本当に、親切な住民であったものな。そしてアメリカ人上がったっけ、今度まるっきり反対になったものな。それでやっぱり苦労したな。
Q:まるっきり反対になったとは、どういうことですか?
なんていうかな、そのう、今まで日本人はよ、大した親切にしてくれたのがよ、まるっきり反対に、今度はアメリカさついてよ、日本に反抗しったすもんな。結局ゲリラっていうから、そういう行動取ったっすもんな。まるっきり、向こうのあれは、日本に対してスパイ的なことばかりやってな。 
[2] 反日感情の高まり 01:51
食い物、百姓のうちさ、百姓は食い物があるわけだ。どんどんどんどん自由に持ってくるし、馬は持ってくるし、牛は持ってくるしよ、そしてよ、食べられたもんだからよ。だから、それは、当然、住民にすればよ、わたしがたにしたって、それは当たり前だと思うな。全部フィリピン人のそうなったっけ今度、「フィリピン人の家庭内にあるもの全部自分のものだ、持ってくれば自分のものになる」っていうような、日本の兵隊さんもそういうような気持ちになったもんだものな。だから、やっぱり住民はよ、日本人に対してよ、反抗したもんな。
Q:持ってくるとは、盗むということですか?
んだ、盗むっていうか、ただ持ってくる、盗むんだな、ただ持ってくるからな。馬は連れてきて殺して馬の肉は食うしよ、牛は連れてきて牛の肉は食うしよ、自由勝手な。そして店屋、やっぱりなんの店屋でも、店あればよ、命からがら自分の方に持っていく、いい範囲は持って山さ逃げるっすべ、あの、今度日本の兵隊行って、なにかかにか、何でもかんでも、自分の必要なものは持ってくるしな。やっぱり戦争というものは、そういうふうになるもんだな。
[3] ゲリラ討伐命令が下る 04:59
それはなんていうかな、住民の中の、どういうふうな住民を連れてきてよ、それは、そのそっちのほうの、例えば集結させる兵隊と、中隊と、それから虐殺する中隊とそれは分かれて、命令でよ、分かれてあったもんだすもんな。だからまず、一般の兵隊は何も言うこともできないし、その指示に従って行動とるだけで。
Q:それを、どのようにして殺害するのですか?
ある時は、首絞めて殺した時もあったんだな。それからよ、銃剣で刺して殺すとかよ。その数よけい(多い)なもんだからよ、いろいろ殺す、銃殺とかよ、銃殺ってやつは、ほれ、音出すっすべ。へば(そうすれば)次の運ばれてくる人が恐怖になるってな、だから、そういうことも考えてやったもんだな。
Q:銃殺で音が出るとダメ?
殺されてるってことが分かるっすべ、次の人がよ、運ばれてくる人が、だと思う。その中隊によっていろいろあったべどもな、わたしがたは、ちょっと(関係した)だけで、あとは当番、偉い人の腰元の当番やってたから。
Q:首を絞めるとは、具体的に、素手でやるんですか?
それは、いろいろ。その人のいろいろあったべどもな。縄で絞めたりな、そういうふうにヒモでよ、締めたりして殺したあれもあったな。
Q:目隠しか何かをしてですか?
いやいや全然すった(そんな)ことしない。
Q:住民は抵抗しなかったですか?
抵抗しないもんだな。抵抗すれば、すぐ銃で撃たれるっすべ。銃で撃たれるっていうことは、抵抗すれば銃で撃たれるっていう、なんていうかな、その音が出るっすべ。
Q:銃剣で刺すとは?
その人によって、あれだけれども、
心臓さまっすぐ刺す人もいれば、肩からこう刺したりする人もあればよ、いろいろその刺し方がいろいろあったな。
Q:肩からというと・・・?
そうそう、この三角のこれから、こう入れてやればスポッと入っていくもんだすもんな。そういうふうに殺した人もいるすもんな。
Q:荻原さんは?
わたしがた、わたしが殺したのは、んだな、首絞めて、ヒモで首締めて殺した人もいるな。けれども、あんまり、
そういうこういうこと、もちろん入っているけれども、しゃべりたくねえな。