『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「本当はしょぼい道具、ツイッターをどうして使い続けなきゃいけないんだ」といわれたらどう言うべきかーー

「本当はしょぼい道具、ツイッターをどうして使い続けなきゃいけないんだ」といわれたらどう言うべきか。わたしだったら、「まあ、しょぼいのは経験的にも理論的にも、ほぼ、わかることであって、あとは実害が出ないように運用してもらうのが最善だ」と言う。どうせ、使用者たちも本気で怒ったりなどしない。

togetter.com

わたしは、不当解雇かどうか、という「純粋な法律問題」以上に、ツイッター社(そう、会社である。)の問題をあつかいたくない。

ポアンカレという数学者が、難問を解くアイデアをえた瞬間が、馬車に乗るふみ板に足をかけた時、だった、というのは有名な話である。
わたしはいつも思うのだが、ツイッターなどのSNSがその「ふみ板」以上に独創性を育てるものだとは考えにくい。第一、「SNSは独創性を育てるのかどうか。もしかしたら独創性をつぶす「有害環境」ではないか、いやそんなことはないといえるのではないか」という話を、わたしは見たことがない。さすがに、わたしが知らないだけだとは思いたいのだが……。

独創的でない、ということはつまり、ショボい、といってもいい、ということだとわたしは考えている。
わたしは、新しい技術には温かい情と冷たい頭脳をもってむきあいたいと思う。だが、いまの状態のSNSという「技術」は、巨大化しているうえに実害を避ける基本的な方針が存在しないように見える。いや、それだけでなく、実害があってもそれをうわまわる利点があるんだ、というプライドが、運営者にも使用者にも、あるかどうかきわめて怪しい。
そういうプライドというのは、理屈の学習や宣伝の結果というより、該当の技術の使用に並行して生まれ育つものだと思う。たとえば、危険物をむきだしであつかうのは危険な行為だ、というようなSNSという技術には、そういう感覚がないように見える。せいぜい、「できるならば炎上を避けたい」ぐらいの感覚しかない、そういうように見える。



付記
高木仁三郎という人は実にスケールの大きい人で、最後の著作では本人も気がつかないうちに、IT技術の世界の重大な欠陥も予想していた。かもしれない。」というアイデアを、私は一人も見たことがない。一人も、である。このことに気がついて、「プライドないのかよ、くだらないつまらない。」と思って、私はIT技術の世界に重大な不信感をもった。
もし、この記事が炎上しても、その責任は私一人にある。