Ⅰ 伊江島・真謝とわたし 001
1 伊江島・真謝の歴史 002
真謝原ぬ芋や
真謝の始まり
真謝の人たち
真謝の反骨精神
2 わたしの生い立ちと真謝 006
激しい男女差別
下駄に拾って入学
キリスト教に入ったきっかけ
キューバへ移民
ペルー
一燈園を訪ねる
理想の場所
変人扱い
激戦地伊江島
一人むすこも戦死
ようやく真謝に帰って
Ⅱ 真謝の農民と陳情規定 019
1 土地問題の発端 020
後藤二世
四軒の立退き
米軍の通告
米軍との会談
琉球政府に陳情
真謝区民の訴え
対策協議
赤インクの書きこみ
村ぐるみの問題に
弾丸もこわくない
対照的な服装
陳情心得
2 米軍との会談 035
陳情の日が来た
農民の凝視
天に通じたのか
3 陳情規定 040
鬼畜と人間
軍の土地係シーハン
なにか裏が
”妨害”の真相
不安と希望と
ラビットと卵
”挨拶しよう”
”耳より上に手を上げない”
これからの方針
みんなでつくった陳情規定
無抵抗の抵抗
Ⅲ 迫りくる破局 055
1 ”ちび(尻)と口とは結ばぬ話” 056
全部が代表
鎌を捨てる
軍とのやりとり
政府一行の来島
不穏の空気
カックス判事とのやりとり
おもしろい話でも
猿顔に笑み
2 読めてきた軍の肚 066
迫ってきた立退き
さし迫った情勢
米軍のずるさ
火の玉の真謝
まだ手さぐり
Y通訳を訪問
風呂屋で眠り
シャープ少佐を訪問
”豆腐に釘”
3 農民がおかれた立場 073
どこに訴えたらいいか
陳情書をつくる苦労
孤独感
小禄村の経験
軍の最後通告
Ⅳ 襲ってきた米軍 085
1 一九五五年三月十一日 086
三〇〇人の武装米兵
縛られた並里老人
屈辱の日
ブルドーザーの爪
テント幕舎
生命の危機
耕作を強行
燃える山林原野
悪魔はいる!
2 琉球政府に坐り込む 097
ヘリで帰された村長
坐り込み開始
頭を下げる警官
気狂いには会わない
ジョンソン民生官
悪魔の声
無力な任命政府
3 ”助きやいたぼり衆人万人” 104
幕舎の中の琉歌
母国の皆さまへ
米兵との問答
押しかけた家族
4 当時のナマの記録 118
常会決議
せまる餓死
Ⅴ 乞食行進 125
1 乞食させるのは誰か 126
明日から乞食する
堂々とした乞食
白布に書いた訴え
涙を流す婦人
2 金網撤去 133
自発性が八分
たたかいと実益と
3 今村賢男君の逮捕・投獄 135
お婆さんの嘆息
法廷を試しに来たのか
4 激励のかずかず 138
沖縄教職員会
沖縄の太陽
”悪魔アメリカや”
Ⅵ 米軍と農民の根気くらべ 143
1 軍会談にあたっての心構え 144
たたかいの概観
真謝の建設
根気くらべ
土地協の結成
”犬は汚いものを食べる”
軍会談の心構え
2 つづく逮捕・投獄 154
危うく命びろい
陳情書
米兵に盗まれた夫
移動式立札
3 生活が楽になった土地契約拒否の農民 158
狼は狼
いかなる契約にも反対
心の強い人、弱い人
4 二青年の爆死 162
若妻は訴える
悲しみをこらえて
高笑いする米兵
5 軍の新たな決意 170
一九六〇年を迎えて
六〇年のおもな事件
平安山君即死
Ⅶ 訪れてきた転機 175
1 伊江島土地を守る会 176
転機のきざし
米軍の返事
われわれの返事
米軍へ”最後通告”
根気くらべ
土地を守る会の結成
赤字にならない
2 伊江島の学習活動 183
頼りになるのは自分たち
守る会の学習
一燈園にも送る
中央労働学院に入学
3 ベトナム戦争と伊江島 190
ベトナム北爆前夜の伊江島
世界には大きな耳
スクラップを売りにくる米兵
泣いて別れる米兵
ベトナムと心は一つ
4 伊江島からミサイルを追い出す 197
たたかいの転機
何かあるねえ
しょんぼりしたファージョン大佐
ミサイルすれすれに坐り込む
5 団結道場の建設 201
全沖縄土地を守る会
爆音のテープ
受身からの脱皮
団結道場建設の目的
起工式と武装兵
コーヒーを出せ
ハト派なら兄弟
本土からの支援
道場完成あとがき 217
阿波根さんと私(牧瀬恒二) 223
P29―P30
赤インクの書きこみ
当時わたしが綴った記録をいま読みなおしてみますと、事実を書いた行間に赤インクで書きたしてあります。すぐ書いたのか、あとで書きたしたのかは記憶しておりませんが、いずれにしても書いておかなければいけないこと、ぬけていてはいけないことであります。
たとえば同じ十月八日午後四時渡久地《とぐち》発の村有船伊江丸で、琉球政府内政局長宮里勝氏、行政課長|野波《のは》棟次郎氏、同主事仲本朝意氏、庶務課長|嘉数《かかず》三郎氏、その他沖縄タイムズ、琉球新報など報道関係の方々が来島し、○コ旅館で大城村長や両区民と懇談していますが、内政局長のあいさつを記録した行間に赤インクでつぎのように書きこんであります。
「少しも誠意同情のない形式的挨拶であった。」
つぎの野波課長あいさつの要旨は、全部赤インクで書いてあります。
「皆様のお気持ちはよくお察しできます。御同情にたえません。お慰めのことばもありません。こうした不幸の因をただせば、その罪は戦争にあると思います。政府も十分できるだけのことはして上げたいと思いますが、皆さまも今おかされている政府の立場をよく理解して下さい。さきほどもらい泣きとお叱りを受けましたが、本心であります。失礼いたしました。皆さんのお願いを正直に主席に申し上げます。お大事になさいませ。」
もらい泣き云々とは、政府に不満を感じた真謝区の石川■■さんが、「課長はもらい泣きをされることはいらない、正直に主席と軍に訴えて立退きの中止を計って下さい」と怒鳴ったのに対して、野波課長は「それは本心であります」と半ば本心、半ばいいのがれをいったのでした。
P50―P51
”耳より上に手を上げない”
そのあと午後一時すぎ、両部落の二十数名の有志が西崎区の大城■■氏宅に集まり、いままでの体験をもとにしてみんなが守らなければならない「陳情規定」をつくり、また明日からの陳情方針について話し合いました。
陳情規定
一、反米的にならないこと。
一、怒ったり悪口をいわないこと。
一、必要なこと以外はみだりに米軍にしゃべらないこと。正しい行動をとること。ウソ偽りは絶対語らないこと。
一、会談のときは必ず坐ること。
一、集合し米軍に応対するときは、モッコ、鎌、棒切れその他を手に持たないこと。
一、耳より上に手を上げないこと。(米軍はわれわれが手をあげると暴力をふるったといって写真をとる。)
一、大きな声を出さず、静かに話す。
一、人道、道徳、宗教の精神と態度で接衝し、布令・布告など誤った法規にとらわれず、道理を通して訴えること。
一、軍を恐れてはならない。
一、人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること。
一、このお願いを通すための規定を最後まで守るかも。
右誓約いたします。
一九五四年十一月二十三日
真謝、西崎全地主一同(署名捺印すること)