『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「アンナ・カレーニナ」5-06~5-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]

 結婚の儀式が終り、番僧は会堂のまんなかにあたる聖書台の前に、バラ色の小さい絹のきれを敷いたとき、コーラスは技巧をこらした複雑な賛美歌をうたいはじめた。それは、バスとテノールが、互に交錯する仕組みになっていた。司祭は新郎新婦に向って、いま敷かれたバラ色の織物を指さした。先にこの敷物に足を入れたものが、家庭の中で牛耳を取るという話は、二人ともいくど聞いたかしれないのに、レーヴィンもキチイもこの敷物に進みながら、そのことを思い出さなかった。あるものの観察によれば、男のほうが先だったといい、またあるものにいわせれば、二人いっしょだったという声高な話し声も議論も、両人ながら耳に入らなかった。
 二人は結婚を望んでいるか、ほかに約束した人はないかという、きまりきった質問があり、両人が自分ながら奇妙に思われるような答えをした後、新しい勤行がはじまった。キチイは祈祷の意味を理解しようと思って、その言葉に耳を傾けたが、やっぱりわけがわからなかった。勝ち誇ったような感じと、明るく澄んだ喜びは、式が進むにしたがって、いやがうえにも彼女の心を昂揚させ、ほかのことに注意する可能性を奪ったのである。
 祈祷の言葉はこうであった。『この両人を益するために、貞操と母胎の実行を授けたまえ、男女の子らを見て、心たのしませたまえ』それから、こういう言葉もあった。神は女をアダムの肋《あばら》から創りたもうたものであるから、『かるが故に、人は父と母を見すてて女と合し、二人一体となるなり』であって、『これ大いなる神秘なり』といい、神は両人にイサクとレベッカのごとく、ヨシフ、モーゼ、セプホーラのごとく、多産と祝福を授けたもうものであるから、彼ら両人も子孫を見るように、と祈った。『それはみんなけっこうなことだわ』キチイはこういう文句を聞きながら、心の中に考えた。『それよりほかには、ありようがないわ』すると、喜びの微笑が、彼女の明るい顔に輝いて、それを見ている人々に、われ知らず感染していった。
「すっかりかぶらせておあげなさい!」司祭が二人に冠をかぶせたとき、こう注意する声々が聞えた。で、若いシチェルバーツキイは、三つボタンの手袋をはめたふるえる手で、キチイの頭上たかく冠を捧げた。
「かぶらせてちょうだい!」と彼女はほほえみながら、こうささやいた。
 レーヴィンは彼女の方をふり返ったが、その顔にあふれている喜びの輝きに、はっとなった。この感情は、しぜんと彼にもうつった。彼はキチイと同じ明るい愉《たの》しい気持になった。
 彼らは使徒の書《ふみ》を聞いたり、一般の見物が首を長くして待っていた、最後の詩編を誦《ず》する補祭の、雷霆《らいてい》のごとき声を聞いたりするのが、愉しかった。浅い皿で水を割った生ぬるい葡萄酒を飲むのも、愉しかった。司祭が袈裟をはねのけ、二人の両手を自分の手にとって、『イサク喜びたまえ』と言葉をひきながら、咆哮《ほうこう》するバスの響きの中で、聖書台のまわりを一周した時、二人はさらに愉しい気持になった。冠を新郎、新婦の頭上に捧げているシチェルバーツキイとチリコフは、花嫁の長い裳《もすそ》に足をからまれながら、やはりにこにこして、何か喜びながら、時には歩調を遅らしたり、司祭が足を止めるたびに、新郎新婦につまずいたりした。キチイの心内に燃えはじめた喜びの火は、堂内にいあわすすべての人に感染したらしかった。レーヴィンの目には、司祭や補祭までが、自分と同じように、微笑を洩らしたがっているように思われた。
 二人の頭から冠をとって、司祭は最後の祈祷を唱え、新郎、新婦に祝福を与えた。レーヴィンはキチイを見やったが、彼は今までかつて、彼女のこんな様子を見たことがなかった。彼女は、その顔にあふれている新しい喜びの輝きで、特別うつくしかったのである。レーヴィンは話しかけたかったけれども、式がすんだかどうかわからなかった。司祭が、二人をこの当惑から救い出した。彼はその善良らしい口でにっこり笑い、小さな声で「妻を接吻なされ、あなたは良人に接吻なされ」といって、二人の手から蝋燭をとった。
 レーヴィンはそっと用心ぶかく、微笑を浮べている彼女の唇に接吻し、手をさし出した。そして、ふしぎな近さを感じながら、教会を出ていった。彼は、これが本当だとは信じられなかった。どうしても信ずることができなかった。ただ二人の驚いたような、おずおずした目と目が出会ったとき、やっと信ずることができた。自分たちがすでに一体であることを感じたからである。
 晩餐会がすむと、新郎新婦はその晩すぐ、田舎へむけて出発した。

[#5字下げ]七[#「七」は中見出し]

 ヴロンスキイとアンナはもう三ヵ月も、いっしょにヨーロッパを旅行していた。二人はヴェニス、ローマ、ナポリを巡遊して、とある小さなイタリーの町へ着いたばかりである。ここにしばらく足をとめようと思っていた。
 ポマードをしこたまつけた濃い髪を、頸筋の辺からきれいに分けて、燕尾服の胸から真白な精麻《バチスト》のシャツを大きくのぞかせ、円く突き出た腹の上に時計の小飾りをいっぱいぶら下げた好男子のボーイ頭は、両手をポケットにつっこんだまま、小馬鹿にしたように目を細めて、そこに立っている紳士に、きびしい調子でなにやら返事していた。車寄せの反対側から、階段を昇ってくる足音を聞きつけて、ボーイ頭はそのほうをふりかえった。このホテルでも上等の部屋を占領しているロシヤの伯爵を見ると、うやうやしく両手をポケットからぬき出し、ちょっと前こごみになって、「小使がやってきて、邸宅《パラッツォ》を借りる話はまとまった」と報告した。総支配人が、契約に署名してもいいというのである。
「ははあ! それはありがたい」とヴロンスキイはいった。「ところで、奥さまはいらっしゃるかどうだね?」
「ちょっと散歩にお出かけになりましたが、ただ今お帰りでございます」とボーイ頭は答えた。
 ヴロンスキイは縁《ふち》の広いソフトを頭から脱いで、汗ばんだ額からかけて、耳の半分どころまで垂らしている、禿を隠すためにバックにした髪を、ハンカチで拭いた。まだその辺に立って、自分の方をうかがっている紳士をちらと見て、彼はそのまま通りすぎようとした。
「あのかたはロシヤの人で、あなたさまのことをたずねておいでなので」とボーイ頭はいった。
 どこへ行っても、知人をのがれることはできない、といういまいましさと、なんでもいいから生活の単調をまぎらす方法を見つけたい、という希望の入りまじった気持で、ヴロンスキイは、いったん出て行こうとして立ちどまった紳士を、もう一度ふりかえった。と、瞬間、両方の目がさっと明るくなった。
「ゴレニーシチェフ!」
「ヴロンスキイ!」
 はたして、これはヴロンスキイの貴族幼年学校時代の友だち、ゴレニーシチェフであった。ゴレニーシチェフは、幼年学校では自由主義者の党に属し、学校を出るときには、文官の資格を取って、どこにも勤めなかった。二人の友だちは、卒業後すっかり別れ別れになり、爾来たったいちど会ったばかりだった。
 その再会のとき、ヴロンスキイの知ったところによると、ゴレニーシチェフはなにか高尚な、自由主義的活動の道を選んで、そのためにヴロンスキイの仕事と、その身分を軽蔑しようとしていた。そのためにヴロンスキイのほうでも、ゴレニーシチェフに会ったときは、冷やかに傲然たる反※[#「てへん+発」、ページ数-行数]をとることにした。彼は他人にたいして、そういう態度を示すことが巧みで、その意味は、『僕の生活ぶりが君の気に入ろうと、入るまいと、こっちにとっては、まるっきり同じことなんだ。だから、もし君のほうで僕とつきあいたければ、僕を尊敬しなくちゃならんのだ』ということになるのであった。ところで、ゴレニーシチェフのほうは、ヴロンスキイのこうした調子にたいして、軽蔑を含んだ無関心を示した。したがって、この再会はいっそうふたりをひき離したはずなのである。が、いま彼らはお互の顔を見分けると、喜びに顔を輝かせて、叫び声すら立てたほどである。ヴロンスキイは、これほどゴレニーシチェフとの邂逅《かいこう》がうれしかろうとは、われながら夢にも予期していなかった。しかし、おそらく彼は自分がどんなに退屈しているかを、自分で知らなかったのであろう。彼はこの前の再会の不快な印象を忘れて、開けっぱなしのうれしそうな顔をして、かつての友に手をさしのべた。ゴレニーシチェフの顔も、それと同じような喜びの色が、以前の不安げな表情にとってかわった。
「君に会えてじつにうれしい!」友情の微笑で、白いしっかりした歯並みを見せながら、ヴロンスキイはこういった。
「僕もヴロンスキイと聞いたものの、どのヴロンスキイかわからなかったんだよ。じつに、じつにうれしい!」
「さあ、入ろう。ときに、君は何をしてるんだい?」
「僕はもう足かけ二年、ここで暮してるんだよ。仕事をしているのさ」
「ははあ!」とヴロンスキイは興味ありげにいった。「とにかく入ろうよ」
 ロシヤ人の習慣にしたがって、下男に隠したいと思うことをロシヤ語で話すかわりに、フランス語でしゃべりだした。
「君はカレーニナと知己があるかい? 僕らは二人で旅行してるんだよ。これからあの人のところへ行くんだ」注意ぶかくゴレニーシチェフの顔に見入りながら、彼はフランス語でいった。
「へえ! そりゃ知らなかった(そのくせ、彼は知っていたのである)」とゴレニーシチェフは無関心に答えた。「君はだいぶまえに着いたのかい?」と彼はつけ足した。
「僕かい? 今日で四日目だよ」もう一度しげしげと友の顔を見入りながら、ヴロンスキイはこう答えた。
『うん、この男はちゃんとした人間だ、物事を正しく見ている』ゴレニーシチェフの顔の表情と、彼が話題を変えた意味を悟って、ヴロンスキイはひとりごちた[#「ひとりごちた」は底本では「ひとりごちだ」]。『これならアンナに紹介してもいい、本当の見方のできる男だから』
 ヴロンスキイは、外国でアンナとすごしたこの三ヵ月間、新しい人に出会うたびに、この新しい人物が、自分とアンナの関係をどんなふうに見るだろう、という問いをいつも心に発したが、たいていの場合、男のほうにこの本当の理解を見いだしたものである。しかし、この理解はそもそもどういうことであるかと、彼が人に問われたら、いや、この『本当に』理解している人々が、だれかにそれをきかれたら、彼もその人々も、はたと当惑したに相違ない。
 実際のところ、ヴロンスキイの意見によると、『本当に』理解している人々も、そんなことなどまるでわからないで、この人生を四方八方からとり囲んでいるいっさいの複雑な、理解することのできない問題に関して、しつけのいい人たちのとるどっちつかずの態度をとって、あてこすりや不快な質問を避けながら、作法を守るにすぎなかった。彼らはその状態の意義や、真意を完全に理解して、それを認めるのみか、賛成さえしているような顔をしながら、じつはただそれをはっきりさせるのをぶしつけな、よけいのことと思っているだけなのである。
 ヴロンスキイは、ゴレニーシチェフがそうした人間の一人であることを、すぐに悟ってしまったので、彼に会ったのが二重にうれしかった。はたしてゴレニーシチェフはカレーニナの部屋へ通された時、彼女に対して、ヴロンスキイの望みうる限りの態度をとった。明らかに、彼はいささかの努力も払わず、ばつの悪いことになりそうな話は、いっさい避けているらしかった。
 彼は以前アンナを知らなかったので、その美貌に一驚を喫したが、それにもまして、彼女が自分の位置を処理していくその単純さに感心した。ヴロンスキイが、ゴレニーシチェフを案内して入った時、彼女は顔を赤らめたが、その開けっぱなしの美しい顔を染めた子供らしい紅《くれない》は、なみなみならず彼の気に入った。が、なによりかくべつ気に入ったのは、彼女が他人の前で誤解のないように、わざと意識して、すぐさまヴロンスキイをアレクセイと呼び、そして今度借り入れた家、ここのいいかたに従えば邸宅《パラッツォ》へ、いっしょに引き移るつもりだ、といったことである。自分の位置にたいするこうした率直な、さっぱりした態度が、ゴレニーシチェフの気に入ったのである。アンナの善良で快決な、しかもエネルギッシュな挙動《ものごし》を見ていると、カレーニンとヴロンスキイを知っているゴレニーシチェフには、すっかりこの女を理解してしまったような気がした。彼は、アンナにどうしてもわからないことが、わかったような気がした。ほかでもない、良人を不幸にし、良人を棄てわが子を棄て、名声を失ってしまった彼女が、どうしてエネルギッシュで快活な、幸福な気持でいられるか、という問題である。
「それは案内記にもあるよ」とゴレニーシチェフは、ヴロンスキイの借りようとしている邸宅のことを、そういった。「そこにはすばらしいチントレットがあるんだよ。晩年の作品でね」
「ねえ、お天気もいいことだから、もう一度あすこへ行ってみようじゃありませんか」とヴロンスキイはアンナに話しかけた。
「まあ、うれしい、わたしすぐいって、帽子をかぶってきますから。外は、お暑いんですって?」戸口に立ちどまって、質問の目つきでヴロンスキイを見ながら、彼女はこういった。と、またもや濃い紅がその顔にさっと散った。
 ヴロンスキイはその目つきで悟った。彼女は、ヴロンスキイがゴレニーシチェフと、どういう関係を定めようとしているかわからないで、自分の態度が男の望みに違いはせぬかと、心配しているのであった。
 彼は優しい目つきで、じっと彼女を眺めた。
「いや、それほどじゃありません」と彼はいった。で彼女も、自分がなにもかも悟ったような気がし、男も自分に満足しているように思われた。彼女はにっこり笑って、すばやい足どりで戸の外へ出た。
 二人の友は、互に顔を見合わせたが、その顔には困惑の色が現われた。それはちょうど、ゴレニーシチェフは明らかにアンナに見とれていたので、何か彼女のことをいおうと思ったが、なんといっていいのか考えつけないふうだし、ヴロンスキイのほうではそれを恐れもし、かつ望んでもいるという様子であった。
「すると、なんだね」とヴロンスキイは何か話をはじめるために、こう口を切った。「じゃ、君はここにおちついてるわけなんだね? で、相変らずここで例の仕事をしてるのかい?」ゴレニーシチェフが何か書いているという話を思い出して、彼は言葉をつづけた。
「ああ、僕は『二つの起源』の第二部を書いてるんだよ」この質問を聞いて、うれしそうにさっと顔を赤くしながら、ゴレニーシチェフは答えた。「いや、正確にいえば、まだ書いているのじゃなくて、準備しているところだ。材料を集めているんだ。それは前のよりずっと浩瀚《こうかん》なもので、ほとんどあらゆる問題を包含するんだよ。わがロシヤでは、われわれがビザンチンの後継者だってことを、理解しようとしないんだからね」と彼はとうとうと熱心に説明をはじめた。
 はじめのうちはヴロンスキイも、著者か何か周知のもののようにいいだした『二つの起源』の、第一部さえ知らずにいたので、ちょっとばつが悪かった。しかし、そのあとでゴレニーシチェフが、自分の思想を述べにかかって、ヴロンスキイもそのあとを追うことができるようになった時、彼は『二つの起源』を知らないままに、ある興味をいだきながら、耳を傾けることができるようになった。ゴレニーシチェフの話が上手だったからである。しかし、ゴレニーシチェフが自分の研究題目を話すときの、いらいらと興奮した態度が、ヴロンスキイを驚かせもすれば、がっかりもさせた。話が先へ進むにしたがって、彼はますます目を燃え立たせ、ますますせきこんで、仮想の敵に論駁し、その顔の表情はますます不安げに、腹だたしくなってきた。幼年学校では、いつも首席の生徒であり、やせて、生きいきした、善良で、潔白な少年であったゴレニーシチェフを思い出すと、ヴロンスキイはどうしても、その癇癪の原因を察しることができず、感服しかねるのであった。特に気に入らなかったのは、良家の子弟であるゴレニーシチェフが、えたいの知れぬへぼ文士と同一レベルに立って、そのためにいらいらさせられ、腹をたてていることであった。いったいそんな値うちがあるのだろうか? それがヴロンスキイの気に入らなかったけれども、それにもかかわらず、彼はゴレニーシチェフがふしあわせなような気がして、かわいそうになってきた。彼がアンナの出てきたのにも気がつかないで、熱中してせかせかと、自分の思想の開陳をつづけている時、そのよく動くかなり美しい顔には不幸、というより、ほとんど狂気の陰が見てとられた。
 アンナが帽子をかぶり、マンチリヤを羽織って部屋に現われ、美しい手をすばやく動かして、パラソルをおもちゃにしながら、彼のそばに立ったとき、ヴロンスキイははっとしたような気持で、ひたと自分のほうにそそがれた、訴えるようなゴレニーシチェフの目から、のがれることができた。そして、新しい愛情を感じながら、自分の美しい、生命と喜びに満ちた生活の伴侶《はんりょ》をながめた。ゴレニーシチェフもかろうじてわれに返ったが、はじめのうちは元気がなくて、暗い顔をしていた。けれど、だれにたいしても愛想のいいアンナが(そのとき彼女はそういう気分になっていた)、持ちまえの単純で快活な態度で、まもなくその場の空気を朗かにした。いろいろと話題を試みた後、彼女は絵画のほうへ話をむけた。このほうにかけては、彼はなかなかよく話したので、彼女はその言葉に耳を傾けていた。三人は今度借りた家までたどりつき、その中を検分した。
「わたし、一つとてもうれしいことがあるんですの」もう帰りかけてから、アンナはゴレニーシチェフにそういった。「それは、アレクセイのために、いいアトリエができることですの。あんたぜひこの部屋をおとりなさいね」と彼女はロシヤ語で、『あんた』言葉を使いながら、ヴロンスキイに話しかけた。それは、ゴレニーシチェフが、二人の世間離れた生活で親しい人となり、なにもこの男の前で隠しだてする必要のないことを悟ったからである。
「へえ、君絵を描くのかい?」とゴレニ一シチェフは、急にヴロンスキイのほうへふりむきながらいった。
「ああ、僕はもう前からやってるんだが、今度すこし描きはじめたんだよ」とヴロンスキイは顔を赤くしながら答えた。
「この人はたいした才能があるんですのよ」とアンナは、うれしそうなほほえみを浮べながらいった。「そりゃわたしなんか批評家じゃありませんけど、その道の批評家がそう申しますから」

[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]

 アンナが解放されて、ぐんぐんと健康を回復していったこの最初の時期には、われとわが身が赦し難いほど幸福で、生の喜びにみちているように感じた。良人の不幸を思い出しても、それは彼女の幸福を毒さなかった。その思い出は、一方からいうと、考えるのさえあまりに恐ろしかったし、一方からいえば、良人の不幸は、後悔すべくあまりに大きな幸福を、彼女に与えたのである。あの病気のあとで起ったいっさいのこと、良人との和解、決裂、ヴロンスキイの負傷の報、彼の出現、離婚の準備、良人の家を見すてたこと、わが子との告別、これらいっさいに関する追憶は、熱病やみの悪夢のように思われ、ヴロンスキイと二人きりで外国の旅に立ったとき、ようやくその夢からさめた思いである。自分が良人になした悪を回想すると、嫌悪に似た感情を経験した。それは溺れかかった人間が、自分にしがみついた人をつき放したときに、経験しそうな気持であった。その人は溺れ死んでしまった。もちろん、それは悪いことに相違ないけれども、しかしそれはたった一つの救いであるから、そういう恐ろしい詳細は、思い出さないにしくはない。
 自分のしたいことについて、気休めになるような一つの理屈が、決裂の当時、まず第一に彼女の頭に浮んだ。ところで、いまいっさいの過去を追憶していると、彼女の思い出すのは、ただその理屈ばかりであった。
『わたしはのっぴきならぬことで、あの人を不幸にしてしまった』と彼女は考えるのであった。『でも、わたしはその不幸を利用したくない。わたしもやっぱり苦しんでいるのだし、これから後も苦しむだろう。わたしは、自分の何よりも大切に思っていたものを失った――わたしは名声と、一人息子を失ったんだもの、わたしは悪いことをしたのだから、幸福なんか望みはしない、離婚も望まない。そして、恥をさらすことと、わが子に別れることで苦しむのだ』
 しかし、どんなに心から苦しもうと思っても、彼女は事実くるしんでいなかった。恥さらしなどはいささかもなかった。二人とも、十分に持ち合わせている要領のよさで、外国へ来た後は、ロシヤの貴婦人を避けるようにしていたので、自分たちをいかがわしい立場におかなかった。いたるところで彼らが迎えるのは、彼らの相互関係を、彼ら自身よりずっとよく理解している、というようなふりをする人ばかりであった。愛している一人息子との別離も、はじめのうちは彼女を苦しめなかった。ヴロンスキイの子である幼い娘が実にかわいくて、この子ばかりが彼女の手に残って以来、アンナの心を強くひきつけてしまったので、アンナもセリョージャのことは、たまにしか思い出さなかった。
 健康の回復によって、さらにつのってきた生活の要求はあまりにも強く、生活条件はあまりにも新しく愉快だったので、アンナはわれながら赦し難いほど幸福に感じた。ヴロンスキイの人となりを知るにしたがって、彼女の愛はいよいよ深くなった。アンナは彼を、彼自身のために愛するとともに、自分に対する愛のために愛したのである。ヴロンスキイを完全に独占するということは、彼女にとって常に喜ばしかった。彼が身近くいるということは、彼女に快かった。彼の性格を深く知れば知るほど、そのさまざまな面が、言葉につくせぬほどかわいかった。文官服を着けたために一変した彼の風采は、アンナにとって、恋せる若い娘のように魅力があった。彼がいったり、考えたり、したりするいっさいのことに、彼女は何か特別潔白な、高尚なものを見いだした。こうして、男を随喜渇仰する気持は、よく彼女自身をぎょっとさせた。彼女は男の中に美しからぬものをさがしたが、どうしても見いだすことができなかった。彼女は、自分がつまらない女だという自覚を、ヴロンスキイに見せる勇気がなかった。もし男がそんなことを知ったら、自分に対する愛が早く冷めてしまいそうな気がした。今の彼女にとっては、そんな理由などが少しもないにもかかわらず、男の愛を失うほど恐ろしいことはなかった。しかし彼女は、自分に対する男の態度に、感謝せずにはいられなかったし、それをどんなにありがたく思っているかを、男に示さずにもいられなかった。ヴロンスキイは、アンナの考えによると、国家的な仕事に対して一定の天職を有し、当然それによって顕著な役割を勤めるべきはずであったが、それにもかかわらず、彼女のために名誉を犠牲にして、しかもついぞいちど、いささかも残念そうな様子を見せないのである。彼は以前にもまして、彼女に愛情のこもったうやうやしい態度をとり、どうかして彼女が現在の位置のために、ばつの悪い思いをしないようにという心づかいは、片時も彼の頭を離れないのであった。あれほど男らしい男である彼が、彼女に対する場合には、かつて一度も反対しなかったのみならず、自分の意志というものをもたないで、ただ彼女の望みを察しようと、それのみに没頭しているらしかった。で彼女も、それをありがたく思わずにいられなかったが、彼のこうした注意があまり緊張していすぎるのと、彼がアンナをとりかこむこの心づかいの雰囲気が、ときとしては彼女に重荷と感じられることもあった。
 いっぽうヴロンスキイは、あれほど長い間のぞんでいたものを、完全に実現しながら、十分に幸福ではなかった。まもなく、希望の実現は、かねて期待していた幸福に比べると、大きな山の砂粒一つしかもたらしてくれなかった、と感じるようになった。この実現は、幸福というものを希望の実現と心得ている人々が、常に犯すあやまちを示したわけである。アンナといっしょになって、文官服を着て以来、しばらくの間は、今まで知らなかった自由一般の魅力、恋の自由の魅力を残りなく味わって、満足を感じていたけれども、長くはつづかなかった。まもなく彼は、自分の心の中に希望の希望――ふさぎの虫が、頭をもちあげてくるのを感じた。自分の意志とは関係なしに、彼は刹那《せつな》、刹那に消える気まぐれにとりついては、それを希望か目的のように思いはじめた。一日のうち十六時間は、何かでつぶさなければならなかった。というのは、ペテルブルグでは時間つぶしになってくれた、一定の社会生活の条件をもたぬ外国で、完全な自由のうちに暮していたからである。前の外国旅行のときに、ヴロンスキイをまぎらしてくれた、独身生活の楽しみなどというものは、考えることさえできなかった。なぜなら、そういう種類のたのしみを、ちょっと口にしただけで、アンナは知人と遅い夜食にむかっているときでさえ、思いがけなく、そういう席にふさわしくない悄気《しょげ》かたをするからであった。彼らの位置がはっきりしていないために、土地の社交界やロシヤ人の交際仲間とさえ、きまった関係を結ぶことができなかった。名所見物にいたっては、もうなにもかも見てしまったことはいうまでもないとして、彼はロシヤ人として、また聡明な人間として、イギリス人が巧みに賦与《ふよ》するような説明を絶した意義を、こういう仕事に見いだすことができないのであった。
 飢えた獣が、行きあたりばったりのものに食いついて、そこに食いものを発見しようと望みをかける、ちょうどそれと同じように、ヴロンスキイは全く無意識に、時には政治、時には新刊の書物、時には絵に飛びかかっていった。
 彼は若い時分から絵の才能があったし、それに、金を何に使っていいかわからなかったので、版画の蒐集《しゅうしゅう》を始めたところ、絵を描くことに気持がおちつき、それを仕事にしだした。こうして、満足を要求してやまぬ空白になった希望のストックを、この中に打ちこみはじめたのである。
 彼は絵を理解し、正確に、趣味をもって、芸術を模倣する能力があったので、画家に必要なかんじんの素質があると思って、どういう性質の絵を選ぼうか、宗教画か、歴史画か、風俗画か、それとも写実画か、としばらく迷ったあげく、いよいよ描きはじめた。彼はあらゆる種類の絵画を理解し、そのいずれにも感激することができた。しかし、絵画にどんな種類があるかということは、まるっきり知らないでも、また自分の描くものがどういう一定の種類に属するか、そんなことを心配しないでも、自分の心にあるものに、直接インスピレーションを受けることができる、それを彼は想像してみることもできなかったのである。彼はそれを知らなかったので、直接人生そのものでなく、すでに絵画によって具現された間接的な人生によって、インスピレーションを受けた。そこで、彼はきわめて迅速かつ容易に感激し、同様に迅速かつ容易に得た結果というのは、彼の描いたものが、彼の似せようと思った種類の画に、はなはだよく似てきたことである。
 彼はどの種類の画よりも、優雅で効果的なフランスふうが気に入ったので、イタリーふうの服装をしたアンナの肖像を、そういった調子で描きはじめた。しかし、その肖像は彼自身にも、それを見たすべての人にも、きわめて成功した作品のように思われたのである。

[#5字下げ]九[#「九」は中見出し]

 古い荒れた邸宅《パラッツォ》――漆喰《しっくい》の装飾のある高い天井、壁画のある壁、モザイクの床、黄色い花|緞子《どんす》の重いカーテンのかかった高い窓、花瓶ののっている飾り棚や、マントルピース、木彫の飾りのある扉、一面に絵をかけた陰気な広間――そういったふうなこの邸宅《パラッツォ》は、二人がそこへ引き移って以来、この外見によってヴロンスキイの心中に、自分はロシヤの地主とか、退職|主馬寮官《しゅめのりょうかん》とかいうよりも、教養ある芸術の愛好者であり、保護者であって、しかもその上、社交界も、係累《けいるい》も、名声も、愛する女性のために棄てた、つつましい芸術家であるという、快い錯覚を呼びさましたのであった。
 ヴロンスキイの選んだ役割は、邸宅《パラッツォ》へ移るとともに、ぴったりとうまくいった。ゴレニーシチェフの紹介で、二三の興味ある人物と近づきになった彼は、はじめしばらくのあいだおちつきが得られた。彼はイタリー人の絵画教授の指導のもとに、自然を写生した習作を描き、中世イタリー生活の研究に従事した。中世イタリーの生活は、最近すっかりヴロンスキーの気に入ってしまい、彼は帽子でも、引廻しでも、中世風の着方をしたが、それが彼によく似合うのであった。
「僕らはここに生活していながら、なんにも知らないでいるんだよ」あるとき、朝やって来たゴレニーシチェフに、ヴロンスキイはこういった。「君はミハイロフの画を見たかね? つい今朝とどいたばかりの新聞を渡して、一つの記事をさし示しながらつづけた。それは、同じこの町に住んでいるロシヤの画家に関するものであった。彼は最近ある一枚の画を完成したが、それはだいぶまえから評判になっていて、できあがらない前から、売約済みになっていたのである。その記事には、こうした卓越した画家が奨励金も、補助金も与えられないでいるといって、政府やアカデミイにたいする非難が述べられていた。
「見たよ」とゴレニーシチェフは答えた。「もちろん、天分がないわけではないが、まったく邪道に陥っているね。キリストや宗教画に対する態度は、相変らずイヴァノフ的、シュトラウス的、ルナン的なんだからね」
「その画は何を描いたものですの?」とアンナがたずねた。
「ピラトの前のキリストですよ。そのキリストが、新派の写実主義を縦横に駆使して、ユダヤ人にされてしまっているんです」
 絵の内容に関する質問で、自分の最も得意とする話題の一つに、水を向けられたゴレニーシチェフは、とうとうと弁じはじめた。
「どうして彼らは、ああいう粗野なあやまりに陥りうるのか、僕はとんと合点がいかんよ。キリストはすでに老大家達の芸術によって、一定の肉体化がなされているのだから、したがって、神でなしに革命家とか、賢人とかを描こうと思うなら、かってに歴史のなかから、ソクラテスでも、フランクリンでも、シャルロット・コルデでも、とってきたらいいんだ、ただし、キリストだけはいかん。彼はほかならぬ、芸術のためにとるべからざる人物をとってきて、しかも……」
「ところで、そのミハイロフがひどく困っているというのは、本当かね?」とヴロンスキイはたずねた。自分はロシヤの芸術保護者《メツエナート》として、画の善悪にかかわらず、その画家を助けなければならぬ、と考えたのである。
「さあ、どうだかねえ。彼はりっぱな肖像画家なんだ。君、あの男の描いたヴァシーリチコヴァの肖像を見たかい? しかし、どうやら今後もう、肖像画を描かないつもりらしいんだ。そのために、もしかしたら、本当に困っているかもしれない。僕がいうのは、その……」
「ひとつその男に、アンナ・アルカージエヴナの肖像を描いてもらうわけに、いかないかしらん?」とヴロンスキイがいいだした。
「なんのためにわたしの肖像なんか?」とアンナはいった。「あんたに描いてもらったあとですもの、ほかの肖像なんか一つも要りませんわ。それよか、アーニャのかよござんすわ(彼女は自分の女の子をそう呼んでいた)。ほら、あすこにいますわ」彼女は窓から顔をのぞけて、赤ん坊を庭へつれ出した美しいイタリー人の乳母を見ると、すぐ目に立たぬようにヴロンスキイをふり返って、こうつけ足した。ヴロンスキイは、この美しい乳母の首を自分の画のために写生したが、それがアンナの生活における唯一の秘められたる悲しみであった。ヴロンスキイは、このイタリー女を写生すると、その美貌と中世的な趣きに、つくづくと見とれたものである。アンナは、この乳母に嫉妬を感じはしないかと恐れているのを、自分で自分に白状する勇気がなかった。そのために、この女をも、その小さな男の手をも、特別にかわいがって、甘やかすのであった。
 ヴロンスキイも同じく窓を見やり、アンナの目を見たが、すぐにゴレニーシチェフの方へふりむいて、こういった。
「ときに、君はそのミハイロフを知ってるの?」
「会ったことはある、しかし、あれは変りもんで、まるっきり教養のない男なんだよ。つまりね、このごろよく出くわす新しい野蛮人の一人なのさ。つまり、不信と、否定と、唯物主義の観念の中で 〔d'emble'e〕(一気|呵成《かせい》に)教育された自由思想家のお仲間なんだ、以前は」アンナとヴロンスキイが、何かいいたそうにしているのに気がつかず、もしくは気をつけようとせず、ゴレニーシチェフはこういった。「以前の自由思想家は、宗教や、法律や、道徳の観念の中に教育されたあと、みずから闘争の困苦によって、自由思想に到達したものだが、今日では生れながらの自由思想家という、新しいタイプが現われてきた。彼らは、道徳や宗教の掟があったということも、オーソリティがあったということも、夢にも聞いたことがないままに生長して、いきなりいっさいの否定という観念の中で人となった連中、つまり野蛮人なんだ。あの男がつまりそれなのさ。確かモスクワ給仕長のせがれで、なんの教育も受けなかったらしい。先生、アカデミヤに入学して、世間で名を成すにいたると、まんざらばかなやつでもないから、自分に教養をつけようという気になった。で、教養の源と信じたものにとりついたわけだが、それが雑誌なのさ。ねえ、どうだろう、昔は教養を身につけたいと考えた人間、まあ、かりにそれがフランス人なら、すべての古典作家や、神学者や、悲劇詩人や、歴史家や、哲学者や、まあ、ひと口にいえば自分の前にあるいっさいの知的労作を、残らず研究しはじめたに相違ない。ところが、現代のロシヤのことだから、先生、いきなり否定文学にぶっつかったわけさ。そして、あっという間に、否定主義の学問を身につけてしまったら、もうそれで出来上がりだ。のみならず、これが二十年前なら、彼もこの文学の中にオーソリティや長い世紀にわたる見解と闘った徴候を認めて、その闘いからして何か別なものかあったことを、悟ったに違いないのだが、今どきは古い見解なんか論ずる価値もないとするような学問に、いきなり首をつっこんじまってさ、頭からなんにもありゃしない、〔e'volution〕(進化)、自然|淘汰《とうた》、生存競争――これが全部だとくる、僕は自分の論文で……」
「ねえ、いかがでしょう?」もう前からヴロンスキイと目くばせして、ヴロンスキイにはその画家の教養など興味がなく、ただ彼を援助するために肖像を注文したい、という気持でいっぱいなのを見てとって、アンナはこういいだした。「ねえ、いかがでしょう?」と彼女は、むきになって論じたてるゴレニーシチェフをさえぎった。「その人のところへ行ってみようじゃありませんか!」
 ゴレニーシチェフもわれに返って、喜んで同意した。が、画家は遠い区に住んでいるので、馬車を雇うことに決めた。
 一時間ののち、アンナとゴレニーシチェフは並んで馬車に坐り、ヴロンスキイは前の席に腰をかけて、離れた区にある新しい、見てくれのよくない家へ乗りつけた。出てきた庭番の女房から、画家は今ついそこにある住居のほうへ行っていると聞いて、一行はその女房に名刺を持たせ、作品を見せてもらいたいと申し入れた。

[#5字下げ]一〇[#「一〇」は中見出し]

 画家のミハイロフは、ヴロンスキイ伯爵とゴレニーシチェフの名刺が届けられたとき、いつものごとく仕事にむかっていた。朝はアトリエのほうで、大きな作品を描くことにしていたのである。住居のほうへ帰ると、借金の催促にきた主婦《かみ》さんをうまくあしらわなかったといって、細君に向っ腹をたてはじめた。
「もうこれで二十ぺんもそういったじゃないか、立ち入った言いわけなんかするんじゃないって。それでなくってさえばかなおまえが、イタリー語で言いわけなんか始めると、三層倍もばかになってしまうんだ」長い言い合いのあとで、彼はそういった。
「それなら、あなたもだらしなくしないでくださいよ、わたしのせいじゃありませんからね。わたしだってお金さえあれば……」
「おれにかまわないでくれ、お願いだから!」とミハイロフは声に涙を響かせながら叫ぶと、耳に蓋をして、仕切りのむこうになっている仕事部屋へ入り、戸に錠をかけてしまった。『わからずやの女め!』と彼はひとりごちて、テーブルにむかい、紙ばさみを開いて、すぐ特別な熱心さで、描きかけのデッサンにとりかかった。
 彼にあっては、生活状態が悪いときほど、特に妻と口論したときほど、熱心にしかもうまく仕事のできることはなかった。『ええっ! どこへなと失《う》せやがれ!』と彼は仕事をつづけながら考えた。彼は、憤怒の発作に襲われた男のデッサンを描いているのだった。このデッサンは、前にも描いたことがあるけれど、彼は満足がいかなかった。『いや、あれのほうがよかった……あれはどこにあるかな?』彼は妻のところへいって、渋い顔をしながら、妻の方を見ないようにして、上の女の子に、前にやった紙はどこにあるか、とたずねた。描き棄てのデッサンは、見つかるには見つかったが、さんざんに汚されて、蝋がいっぱいたれていた。それでも、彼はそのデッサンをもっていって、自分のテーブルの上におき、ちょっと離れたところから、目を細くしてながめはじめた。突然、彼はにっこり笑って、うれしそうに両手をふり上げた。
「そうだ、そうだ!」といって、いきなり鉛筆をとり、手早く描きはじめた。蝋のしみが、人物に新しいポーズを与えたのである。
 彼はこの新しいポーズを描き出した。と、ふいに、いつも葉巻を買うことにしている店屋の主人の、頤《かご》の突き出た、エネルギッシュな顔が、心にうかんだので、その顔、その頤を、デッサンの人物に描き添えた。彼はうれしさのあまり、声を立てて笑い出した。今まで死んだこしらえものであった人物は、急に生命をおびてきて、もはや変更の余地のないものとなった。この人物は生命を呼吸し、まごうかたなく明瞭に決定されていた。この人物の要求に応じて、デッサンを変更することができた。足のひろげかたも別にし、左手の位置を変え、髪もうしろへなびかせることができる。いや、そうしなければならないのだ。しかし、これらの修正を施しながらも、人物そのものには変更を加えず、ただ隠すものをとり去ったばかりである。それはちょうど、全体を見ることを妨げていたおおいを、画面からとりのけていくようなぐあいであった。新しい線を一つ加えるたびに、エネルギッシュな力に満ちた人物ぜんたいが、いよいよ明瞭に現われていった。それは蝋のしみのために、突如として彼の心眼にあらわれたものである。彼が入念に人物の仕上げをしているとき、名刺が届けられた。
「今すぐ、今すぐ!」
 彼は妻のところへいった。
「さあ、もうたくさんだよ、サーシャ、怒るのをやめなさい?」おずおずと優しくほほえみながら、彼は妻にいった、「おまえも悪かったが、おれも悪かった。なにもかもおれがうまく始末をつけるから」こうして妻と仲直りすると、ビロードのついたオリーブ色の外套を着、帽子をかぶって、彼はアトリエへ行った。成功したデッサンのことなどは、もう忘れていた。今かれを喜ばせ、興奮させているのは、馬車で乗りつけた身分の高いロシヤ人の訪問であった。
 いま画架にのっている作品については、彼は心の中に一つの考えをもっていた。ほかでもない、こうした作品は今までかつてなかった、という信念である。もちろん、自分の画がラファエルのすべての作品より優れている、などとは考えていなかったけれども、彼がこの画で伝えようと思ったものは、今までだれも伝えたことがないのである、それは彼も確かに知っていた、この画を描きはじめたときからすでに知っていた。とはいうものの、だれにせよ他人の意見は、彼にとって大きな重要性をもっていて、心底から彼を興奮さすのであった。自分がこの画の中に見ているもののごく小さな一部分でも、他人から認められたということを証明するような評言は、たとえきわめて些末なものであっても、深く彼の心を躍らせるのであった。そういう批評をする人は、いつも自分より以上に深い判断力をもっているように考えた。で、自分さえその作品の中に見ていないような何ものかを、常にそういう人々から期待していた。またしばしば他人の評言の中に、そういうものを発見するような気がした。
 彼は早足に自分のアトリエに近づいた。と、かなり興奮していたにもかかわらず、車寄せの陰に立って、何か熱心にしゃべっているゴレニーシチェフに耳を傾けながらも、明らかに近づいてくる画家を見定めようとしているらしい、アンナの姿のやわらかい照明が、思わず彼をはっとさせた。彼は自分でもそれと気づかずに、一行に近づきながら、この印象をつかんで、のみこんでしまった。それは、あの葉巻を売っている商人の頤と同じことで、どこか頭の中へ隠しておいて、必要な時にそこから引き出すのであった。ゴレニーシチェフの話で、前からこの画家に幻滅を感じていた一行は、その外貌を見て、さらに幻滅を深めた。ミハイロフは中背で、ずんぐりして、ちょこちょこ歩きの癖があり、頭に茶色の帽子をかぶって、オリーブ色の外套を身にまとい、もうとっくから広いズボンが流行になっているのに、細いズボンをはいていたし、ことにその幅広な顔つきの平凡なところと、おどおどしているくせに、自分の品格を守ろうとする気持のいっしょになった表情が、不快な印象を与えるのであった。
「どうぞお入りください」しいて平気らしい様子を見せようとしながら、彼はこういった。そして、玄関へ入ると、ポケットから鍵をとり出して、戸をひらいた。