『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや 1 レイテ

[1] レイテ島上陸 03:22
甲府連隊はね、これは徴兵検査の頃の写真だ。先の方にあるのは徴兵検査。これは入隊する時の写真でね。これは甲府連隊の写真だ。ね。
Q これは満州で撮った?
これは甲府に2か月いた時、入った時の写真。これが俺だけんどね。これは皆、班長だ、下の。後は皆、少年兵だ。班の。
Q この中の、何人ぐらいかレイテに行ったんですか。
うーん、レイテは、レイテは1大隊と2大隊で、大体、2524名行っとる。
レイテへ行ってたのは、京都の16師団で、(通称)“泉”師団(“垣”師団)てね。それが、ほとんど全滅食ってるから、応援部隊として第一師団は、ただちにレイテへ行って、敵前上陸を12(11)月1日に、あそこにあるようにね、やった。 オルモックから敵前上陸をやって、そしてしたけど、そのときは、ロッキードがね、敵のロッキードが来て、かなりやられたりしたけんどね。上陸して、それが戦闘の始まりでね。
11月1日が敵前上陸したんだ、オルモックで。それからリモンの戦闘場へは50日間は壕を掘って、裏が高い山の上で、山の前には、海岸端へはアメリカ軍がテントを張って住んで。それで、艦砲の方で船の上から撃つのが15両の艦砲を撃つ、ね。そうしてれば、ここら辺にはクヌギやナラが多いけんども、向こうでは1年中青いからね、新緑樹って、落葉樹と新緑樹があって青いからね。見えんから、観測機が上で待って。
 カラスぐれえ大きければ下から撃たれるから、日本軍が撃つから、鳩ぐれえの小さく高いところを舞って旋回してて。そして、するから、今度は、密林地帯で木が生えてるから、飛行機じゃ見えんからね。それだから誘導作戦ってこういうことを言うだけんども、大きな材木が、こういう大きなものが倒れて枯れてるやつへ薪を拾って来て、その木の根っこでするのは、2人組で、2組か3組こう、行って、そいで、明るくなる前に行って、それで明るくなる頃になれば引き揚げて来るで、その木の根っこで火を燃して、薪の細かいものを燃せば、それから大きい木がくすぶって煙が立つ、その煙が上へ、密林地帯の上へ出て来るから、観測機が観測していて、そして、ここへ艦砲で船から撃つから艦砲(射撃)や。艦砲を撃ち込むんだ、ね。
 ところが、ここには日本軍がいない。引き揚げて・・・そして壕へ入っていれば、ここを狙って撃ったって人はいない。ただ、いぶって煙が立つだけが、こういうのを誘導作戦といってね、するの。
[2] 米軍の艦砲射撃や抗日ゲリラに苦しむ 02:40
こんなの艦砲から撃つ破片を木に引っ掛かれば、45度に炸裂して(弾が)持って来る、肩から入ってこう、しっぽに抜けたら、血がだっとこぼれて即死のようなのもいるしね。 足を、この、取られちゃって、それで、背のうの枠でからげて、きゃはんで巻いて、したって1日ぐらい・・・出血多量で死んじまうし。そして、中には栄養失調で幾日も食うものがなくて、栄養失調で死んだのも戦死って言われた。こういうのも戦死。そんなこと分からんからね。こういうのがレイテの作戦だから、まあ、生き地獄ってことだ。生きてる地獄のようなもんだ。
それで、アメリカ軍ばかりじゃなくて、そして、向こうのレイテのフィリピンのゲリラみてえなものが混じってやってる。それで本隊は、本隊の前を300メートル向こうを、先を、先兵というものが、1個軍隊出て行く。それが狙われる、まあ、だから、夜、攻撃出かけるだから、昼間のうちは余り動かんで。そして、同じところには幾日もいない。3日か4日いれば場所を変えなきゃ敵に分かるから。
 そういうようなやり方をしてるからね、移動は夜やるわけだ。大体ね。そういうようなことを繰り返しして、時には遭遇すれば両方で撃ちっくらやる。バリバリやるんだね。だから、弾の下をくぐらんなんてわけには行かん。ほんだけど、そん時に弾当たるか当たらんか・・・
 夜の弾は目標がないからね。分からんから、それは、向こうで撃ったって、やたら撃つばっかで、弾薬は向こうにあるから。で、日本軍は目標のない射撃は絶対させないから、日本軍はね。教育がそういう教育やから。だから、結局、目標が夜で分からんような場合においては、攻撃ではそういうことをしんで、夕方とか朝早くね、明るくなる前に敵陣へ突っ込むんだね。そういう仕事はやって来て・・・。
[3] 飢餓に苦しんだ50日 07:45
ずーっと食べないの。1週間だけは背のうへ入れて持ってったものを、靴下の新しいのを戦地へ行く時にはくれるんだ、1足ね。普段履いてるのは普段履いてるからだけんど、新しい靴下をくれるわけ。
 この中へ米を入れて行く、米を。背のうへね。まあ、今日、晩、一升ぐらいは背負って、乾パンを2袋ね。そして味噌、しょう油の粉末のヤツを持って行くけ、1週間ぐらいすれば、もう、食糧はないの。
 後は「現地徴収しろっ」ちゅうから、今度はここで言えば畑行ったり、よそのところを物色して見つけて来る。まあ、要するに、かっぱらうっていうか、盗って来るわけ、盗んで来るっていうようなもんだ。
 そうしなきゃ食うもんがねえ。ね。そして豚や何ぞ獲れば、皆で分け合って食うだけんどもね。各軍隊で・・・皆、分けて、自分だけ食うっちゅうんでなくて、獲ったからって言ったって、自分だけが食うでなくて、皆で分け合って食って。何もないんだ、醤油も味噌もないから。この前申し上げた通り、海水を汲んで来て、ね、1軒の家の中の周りは囲っておかなきゃ、灯りが見えると撃ち込まれるから。
 してて、この床の下の奴を皆、くろばしを取ってドラム缶へ2日燃して、このぐらい塩がね。そうしなきゃ口から血が出てね、壊血病って言って、そういうような。それをね、何晩もしなきゃ、このくれえのちょこへね、1か月の塩だからね。後は何もないから。
 それだから、さつまを掘って来たりして、あるいはバナナの芯とか、そういうものを取って来ても、味がつかんから。ね。ゆでて、飯ごうでゆでて食うだけだからね。だから、口から血が出る壊血病っていうのになるから、塩を焼かねならんから、塩を焼いて。ね。
 そして食ってた。だから、何を食ってたかって言えば、エサを探して、求めて来るのは、もろこしがほとんどだから。1年半位、もろこしばっかりじゃ食わんから。米なんていうものは向こうにはないからね。そういうものを食ってたの。
Q 現地の村に、食糧を取りに行くわけですよね。何人ぐらいで行ったんですか。
ええ、それはね、その分隊ごとにね、行くっちゅうわけだ。そうすると、隣の分隊はどんなものを食ってるか分からんだ、取って来るものによってね。大体とうもろこしが多いからね、とうもろこしって言ったって、乾燥したとうもろこしを小さい小屋の中へとうもろこしを入れて、それを土民の、石臼でだーっと挽いて、持って来て、そしてそれを土瓶っていう、向こうの人が使ってる土瓶の中へ入れて、米をとぐようにとげば、根っこにある皮は皆浮くから、長いで。それを煮るけんど、途中で1回水を足さなきゃ飯煮えんな、生だからね。固いとうもろこしをかいて挽いたもんだから。
 それが主食だからね、米っていうものは恐らくあっちにはない。そして野菜というものも全然ないの。だから、さつまのつるとか、ね、バナナの芯の、木の芯を食うとか、そういうことよ。
 そんだけど、さっき言ったように、エサが、味付けが出来ないから、そういうもんがないから、そんだから結局、塩をするとか南蛮をね、つけて食べると。それだけんど、豚を殺したから自分の分隊だけで食べるってわけには行かんから、他の分隊へも分けてくれるわけだね。 それを我々もらって来たって、飯ごうでゆでるだけ、味がないわけだよ。ただ、湯を通してゆでてる。こういうこと。それを現地の、質問によれば、幾人で行くんだ、2人でも3人でも行く。
皆、敵がどっから撃ってるか、分からんもの。それを取りに行くっちゅうことは、盗み行くっちゅうことだから。エサがねえだから食わねえ、食わなければ戦いは出来んからね、エサが。だから、この前、話したように、11日食わなければ、ご飯なんてやったって、あげちゃって食べられないんだから。これは何かって言えば、11日食わんのは戦闘がひど過ぎて、物資収集が出んから、寝ても起きても敵に当たる場合においては、敵は何か食べて来るかもしれんけん、こっちにはないからね。
 だから、11日食わなければ、川の水なんかばかり飲んでると体が続かんから、品物を見つけて来ると。言ったって、もろこしとか、米っちゅうもんがないからね。そういう生活をして来たの。
 だから、口に入るもんじゃ何でもいいんだ。どんなもんでも。それは栄養なんちゅうものはもう、ない。栄養取るなんちゅうのは、ほんなことは今の時代とは違って、そういうこと。何でもかんでも腹が一応ふさがればいいけん、栄養も何もないからね。そんだから、要するに、栄養失調にはなるわけだね、そういうようの生活をして行けるから、食うものがまずい、うまいなんちゅうものはぜい沢なんだ、本当は。
 今じゃあハンバーグだ何だなんて、ソーセージだなんて、そんなもの、そんな頃はねえだから。食うことが精一杯で。関東軍の方から、ね。35軍は山下奉文さんが35軍の方面軍、南方方面軍の司令官だ。山下中将(大将)がね。そういう人が関東軍は自活せよと、自分でエサを見つけて食えと。こういうことの指令が来てるから、海から、日本から、食料なんぞ全然来ないんだから。なんぼ日本の兵隊でも。ね。
 そういうような生活をして、生き抜いているだから。だから栄養失調になったりして、死んだりして行くけんども、一応こっちでは知らんから戦死っていうことになるわね。こういうのもある。そして、マラリアという病気が流行って、マラリア、わしも1週間ぐらいだ、比較的軽い方だったけんど、栄養失調で、じゃねえ、マラリアで死ぬ人もあるしね。
[4] 夜襲をかけ食糧や武器・弾薬を奪った 04:15
、わしらがレイテにいてリモンにいた時などは、50日いて雨が降らん日が4日か5日で、あとは、毎日豪雨が降るだ。毎日お天気でいても雨が降る。ね。そして12月11日が総攻撃で玉砕するっちゅうやつを・・・、それからこんな犬死にをしっこに日本軍は生きておく奉公しろという命令が出て、21日の総攻撃を中止になって。
 そして今度は皆、集結して、そして残った兵隊が・・・本部からはわしが行くとかって。わしは、ひとっきりリモンにいた頃は、護衛の分隊長をしていたけんども、今度は各中隊で生き残った兵隊を・・・ワケウチ中尉が生きてるしっちゅうような・・・編制して集めて、そして新たに戦闘部隊が残り少なくなったってやって来ている。ね。
 そんだから、どこでしたとかやったとかなんて、それはアメリカ軍でも何でも姿は見えんでも斬り込んだりするわけ。だから部隊によっては敵にあたるところの部隊はかなり傷害を受けてるわけだね。戦死も多いわけだ。
Q あの、市川さんは、斬り込みやったことあるんですか。
俺たちは本部にいる時やったこともある。そんだからこの前話をしたように、ね、行って、斬り込みやって、向こうは、こういう線が1メートル高さにずーっと線を張ってあるですよ。そいで、あっちこっちに歩哨が立って、この線へ引っ掛かれば直に向こうへ分かるようになってるから。
 谷間のこういう深いところは、下を通さんで、上をこういうふうに線を通しておくから、この下へ向こうとこっちにこういう白い紙を入れて、目印にして、そしてここを通って、そして敵を追い払ったりして、取れるものを取って、ここから引き揚げて行ったところを帰って、そして、帰った時置いて行ったのは、ここから来たっちゅうことが分からんように、カモフラージュを皆してると。
日本軍は小銃すらねえで、三八式歩兵銃で行って、夜襲するから皆寝てる奴はびっくりして出て行って、追い払っては食糧取ったり鉄砲を盗ったり、弾薬を、向こうのあるやつひったくって、なんぼでも、いくらでも長くいると、また向こうでは撃ち込まれるから引き揚げちまう。ね。
 そうするには、食糧であろうがタバコであろうが、何かに入るものは、敵の鉄砲でもあれも、だから終戦の時には、日本の武器を、武装解除をする時には、アメリカ軍の鉄砲やあれをしたら、向こうがびっくりしてらあ、ね。 アメリカ軍の鉄砲や弾薬をふけ、終戦になって兵器を出すつう時に、日本のもんばっかありよねえや、あったって鉄砲の1つで弾薬がねえだもの。鉄砲なんぞばっか持ってたって、具体の悪い鉄砲は皆整理して土ん中埋けちまうさ。
 そいで具合のいい鉄砲をしてて、弾薬を皆の残ってるのを集めて、幾人かが持ってるだけで、後はアメリカ軍の盗って来た兵器を使ってるから、終戦になる時に、武装解除をしてする時には、アメリカ軍のあれがよっぽど提出したから、向こう
[5] 9月になって知った終戦 02:29
日本には弾薬が、全然、行かないからね。前ごうへ60発入れて、後ごうへ60発、120発歩兵部隊が持って行った時の・・・後の弾薬の補給がつかんだから、ね。で、アメリカ軍は、連合軍は、戦争を始めて幾年もやらねえ、こっちはシナでもやってるし、弾薬が届かんっちゅうわけだよ。向こうじゃあなんぼ、いくらでもあるからね。だから、向こうの方が弾薬が豊富にあるから、要するに強いっちゅうわけだね。
 こっちにゃ撃つ弾がねえだ。そんだからこの前も話をしたように、戦争が終わって終戦の8月15日に長崎や広島へ爆弾が落ちて、原子爆弾でひど(く)なっていて、沖縄がやられたなんてことは、我々全然知らんだ。無線機も何にもなければ、まだやってる、こんだ、敵が来れば撃ちっこするだ。
 ところが、あんまり艦砲が撃たなくなったから戦争が終わった。そしてビラをまいて飛行機が低空して、ビラまき、ビラまき来れば撃つだから、こっちは。そんで向こうでは戦争が終わってるのが分かってるから、ビラをまいて、長崎とか広島や原爆が落ちたとか、日本は敗けたとかっちゅうようなビラをまいて行くけん、だまされちゃいかんぞというようなつもりで、そんなもの、信用しないわけ。
 そいで、無線機の連絡はないからね。だから、9月2日まで来たんだ、ここにある額も、9月2日に停戦するまでは、8月15日は停戦でないから。これをしなきゃ俺は額なんぞ作らんぞって言って、言ってるのがこの額なんだ。
 だから、あんたも持ってった資料があるから、全体行動概要っちゅうやつにある通り、ね、9月2日に停戦してるだから、それまでは、8月15日の停戦なんぞ、日本じゃやったかもしれんけんど、我々はや