『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや 10連隊 4から6まで


[1] 嵐の中の出発 02:32
[2] 決死の攻撃 「斬り込み(きりこみ)」 08:03
[3] 自活自戦せよ 01:52
[4] 一人きりの退却路 11:19
[5] 極限の途 03:17
[6] 戦争の傷跡 05:38


(略)
[4] 一人きりの退却路 11:19
足が悪かったりするもんですから、もう全然連れて出られんのです。師団だけはとっとっとっとっ出てしもうたん。
わたしちの小隊が残ったもんは、それでその分、もうこれで最後じゃけん、ついて出るんならいま出とかなだめで言うて、言うてくれたのに、それからも10日はたってが、それからほんなら行くこうか言うたときには兵隊さんはもうほとんどラッパとそれからなにがおるだけですわ。連絡員がおるだけですよ。あれ、ほかの人はどうしたんやろかねと。ほかの者はどうしたんやかなぁ言うて。それから3人で敵の穴のほうへ行って、川だけこうしてはもう大丈夫じゃけん、川だけこそうて、そのときにラッパがおらんようになって、それから連絡員の兵隊がおらんようになった。ひとりぼっちになってしもうた。でもみんな何しよるんや。塩をなめるのに、自分だけ塩のなにを持っとるもんですけん、自分だけなめてるけん。そやからもう誰もよりつかんようになってしもうた。わたしのほうには。みなずるずるずるずる、ラッパもおらんようになる、それからそれもおらんようになる。それで一人ぼっちで山の中歩きよったんですが。
置いていく。もうしょうがないね。あれ、連れていきゃあ、食べる物を何とかして食わせにゃいけんからね。そやけ、師団も知らん顔した。それからあとから出てきた者、食べる分だけは自分だけで確保してね。だからきちがいになったり、ばかになったりしたような兵隊を連れていかにゃいけんわね。そしたらそれはいつの間にかおらんようになってしまうの。
それで、なんば畑へ出たとたんに、「やれやれこれで一安心じゃ」思うたら、なんばを食べ過ぎて、胸が苦しゅうなって、「どうしたらええじゃろうかな」と思うたら、こげんごとなって、それで吐いたんですけど、もうナンバもそう食われんわなあと思った。そしたら、やっぱり友軍が監視しとるんですが、鉄砲撃つんですな。友軍が、友軍を撃つんですよ。
うん。それでこんなやせたもんな、撃たんでも、もうちょっと太ったような、がっちりした者狙って撃てばいいのに、こんなよろけたようなもんでなけにゃあ、また当たらんと思うとるんでしょうが。
食料がのうても、食料があっても、やっぱり狙いを定めて一発撃てば、それは人間の肉ならだいぶあるんでしょうけれども、わしらのようなやせっぽちは撃ってどないなるんにゃ。
もう死んでもしょうがないと思うた。それで、サンゲンヤで待てど暮らせど師団も、連隊もこんにせやから、「そんなら奥に出てみようか」言うことで出たら、それこそがいこつがずらーっと。「ああ、これ、もうだめだわな」と思って。それで川を渡って、そしたら大雨が降って、それであすこら辺の川をすぐ増水するんですわ。だから流れてしもうがな。そしたら兵隊さんがたった2人、たった2人になっとるなと。「あれっ、他のはどうしたんや」言うと、「他のは渡らずに他のずっと出ていった」、「あらら」って。
それで、じっと待っちょったんですけど、何もかにも全部持って逃げてしもうとるにけん、「これは取られたらあしたから食べることがでけんなあ」いうて言うたんですけど。輜重(しちょう)隊のひったくりがおって、知った人がおって、それに「なんぞすまんけど、何かくれんかな」言うて、「何かくれんかな言うても上げるものは何もねえで、その代わりこれ、なにやらやったら」言う。「そんならこれ、どうかな」ってアテプリン(マラリヤ薬)出したら、「ああ、これなら大丈夫」。それでごはんが一食になるわけですが。
うん、「食べる物がないから、あんたたちも同じようによその兵隊さんですけど、食べる物がねえから人のものを取ったり、あれしたりすると、結局内地へ帰ったときに大手を振って歩けんようになるから、必ず大手を振って歩けるようにせにゃいかんで」言うてやかましく言う、よその兵隊さんには言うたんですけど。
寝るときに、おやじもおふくろも、「どうぞ生きて帰れますように」言うて。
ああ、毎日見よったんですね。毎日見よったのに、梅干しがはまっとったんです。それでそいつをなめなめずーっと歩いて「佐野さん、えろう元気ですなあ。元気ですなあ」言うて、元気のはずです、梅干し食べるから。このこれぐらいの写真を両脇のポケットに持っていた。
あれは雪の降る、雨も降る、雪も降る、そういうときでもおやじやおふくろは一生懸命に武運長久を祈って言ってくれたのに、ましてこんなことじゃだめだなと思うけど、歩いておったんですけど。
Q:この写真が心の支えになっていたんですか。
はい。やっぱし、晩には、晩いうても日暮れが近くなると引っ張りだして、拝んでおった。
[5] 極限の途 03:17
それはもうこれがもう最後だと思うて、それで、拳銃で頭を撃ったら、こっちが抜ける。そういうなんで、バーンと撃ったら、それは空薬莢(からやっきょう)全部入っておった。空ですがの。カチャいうて、いうただけで、あとは全然何も。ドンともパンといわへん。
Q:そのときはどうして、もう自分で死のうって思ったんですか。
もう、これから先へはとても越えられんと思って、一人では。こういう坂道のこういうところを一人で行こういったってとても行けんから、それで、もうこれまでな、それは最後ですな。そのときに鉄砲の弾が出てくれれば死んだのですけれども、そのまま生きてしもうて、このころ、そういうことも考えんようになってしまいましたけど。
目の光るだけで、それで野獣のようになってくる。危険ですからね、よらんようにするんですけど。せないけんですけど。
ええ、普通の状態じゃないんです。それで、狙い撃ちして来るんですから。たまったもんじゃありませんが。そんなの見つけるのなかなかないんですけれど、向こうがボンボンと撃つから、ははぁこれはだいぶ遠いところから撃つんですからな。200メートルから300メートルぐらい。
Q:狙い撃って殺して、何をしようっていうんですか。
肉食うんですわ。肉を食うたり、もうほとんど肉食う。
[6] 戦争の傷跡 05:38
「佐野さん、生きてることはいいことですよ。死んだら何にもなりませんよ」言うて、3人息子が行ったのが3人とも死んだのに、悪いことをした。
短刀で死ぬつもりでおったんです。そうしたら、オカヤマさんが「死んだら(何もなりませんよ)」いうことで「そんなのは意味がねえなぁ」いうて。それと、朝、昼、晩、雨の日も風の日もおやじがわたしのために拝んでくれたか思うと、かわいそうで、「ああこれは、今死んだらダメだわな」と思うて、そのときに死ぬのをやめた。
そうしたら、孫が4人も殺された**のほうから出てきたおじいさんが、うちのは4人も、4人も死んだのを、うちにこう帰ってきてもそう言われたときに「太っとんじゃなあ」言うて、栄養失調で水ぶくれになるんですな。それを、「よう太っとるで、これだけ太っとりゃあ帰れるわな」言うて話をしよるのを聞いて、「あー、こらもうダメだわな」と思うた。そいじゃけど、朝、昼、晩、わたしのために拝んでくれた父や母のことを思うとかわいそうで、あとに残して、かわいそうで困るから思うて、それで死ぬのをやめたんですわ。
(略)