『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや03 山西省 略あり

1917年大阪市に生まれる
1939年歩兵第9連隊に入隊し12月、中国安徽省の60連隊へ
1941年予備士官学校をへて独混第4旅団13大隊へ
1944年独立歩兵第14旅団へ
1945年中国山西省終戦。残留して閻錫山軍へ参加
1948年共産軍に捕まり、戦犯となり撫順で勾留
1959年復員。戦後は養鶏・精肉販売

[1] 山西省での任務 10:06
Q:最初に、山西省の警備に就いてからは、どういう任務をしてましたか?

結局、中隊として加藤第4中隊長は、その付近に警備行軍だとか、いろいろ八路軍の、政治ですね。それとあと、民兵かな。よく調べて、そいでこの捕まえて大隊本部に送ると、それが任務でした。

Q:基本的には自分たちが駐屯している場所を拠点にしながら、いろんな所に討伐しに行ったりとか。

そうだね。それから連隊の付近の中に、各中隊ありますわね。そういうとこぐるぐる回って、民兵や、それから向こうの政治的な人たちをよく調べて、大隊本部に報告と、そのような仕事をやっておりました。

Q:実際に八路軍の根拠地を討伐に出る際は、住岡さんはどういう指示を出して行くんですか?

八路軍の根拠を、せん滅しますね。いや、やっぱり、だからせん滅・・。

Q:せん滅?

せん滅作戦か。そのような、少尉のときから、前言うた通りやっとるしね。中隊長のときは、それこそやったと、僕、思います。

Q:兵隊に対しては、「どこどこの村に、今日は行くぞ」、という感じ?

出発する前ね、する前には。

Q:言わないんですか?

秘密ね。出発するときどこへ行くと。

Q:行く先だけ言って、行くわけですか。で、行った先に着くと、どういう感じになるんですかね。

やっぱり、下士官や少尉の場合は、下士官、兵隊がそういうのを実行します。

Q:大抵は、でもいない、八路軍がいない場合の方が多いですかね?

逃げますね。退却だね。

向こうの民衆が協力してね、日本軍来たら、「向こう行け」と指示。早いです、行動が。ダダーっと。日本軍の行動ね、我々が出発すればちゃんともう分かってるんだ、向こうの民衆はね。

やはり、夜間ね。夜間て、もう払暁ですね。それをグーッとまあ、一個中隊行って。だから僕の場合は最初にこう、村の大きい道がありますね。牛通る道ね。それが(中隊の)一部が、ずーっと向こう側に反対側に行って、逃げる場所を止めて。それから僕、その後に、だいたい見当つけた民家に行って、それから民兵や、それから政治犯ね、それをまあ捕まえていましたわ。僕の場合は。いちばん効果あったと思います。その代り、敵が警戒することもありますが、それは少なかったね。で、捕まえたこともあったので、僕は、当時はいいと思っていました。

Q:要するに、まだ油断している時間帯を狙って襲撃をかけると。普通の人もいたんでしょうけど、民兵をどうやって見分ける?

やっぱり民兵の服装ね。服装、やっぱり、盗賊のように足の下をくくってね。それからやっぱり小銃を撃つように、やっぱり全然、普通の百姓と全然違いますね。すぐ分かります。

Q:民兵八路軍というのも違う?

全然。民兵はこの村の、この部落を守るだけですね。で八路軍は、やはりずっと(広い)行動範囲ですわ。部落ありますな、ある一個部落を、仕分けずに、向こうの計画でやっていますけにね。でまあ民兵八路軍の服装も、やっぱりなんか正規の八路軍は、どう言うかな、泥臭くない。だから、そうかなーと思うくらいにね、分かります。分かります。


[2] 燼滅(じんめつ)作戦 03:58
燼滅(じんめつ・八路軍の解放区を根絶する作戦)はしますが、とにかく中国人の人捕まえた人がね、兵器を持ってる者は、おそらくやってますね。してないのは僕の場合はやってません。

かわいそうや、普通の人はね。しかし敵性ある人は、やはり僕、やってます。

Q:その敵性を見分けるのは・・・住岡さんの判断で、敵性を見分けるんですね。

はい。

敵性ある人はね、一応、まあ、拷問ね、拷問。拷問、嫌ですな。水(飲ませて)ね。あんなのは・・・やりましたな。

Q:しかし当時は情報がないと(住岡さん:そうそう)、居場所も分からない。(住岡さん:そうそう)住岡さんの場合は、率先してやってた訳じゃない?

いわゆる、敵性ない人は、別にもうそんな。

普通のときにはしませんが、やはり作戦ね、作戦のときは、そういうこと。それは、しない限りな、敵がどこか分からんしね。分からんだから。どこに敵、どの方向にいるのか分からん。だから情報収集のため、そのような拷問したんやね。だけど情報は必要ですわ。とにかく必要。情報以外、部隊は行動できません。

Q:一応日本側も、宣撫(せんぶ)工作という形で、中国側の民衆を味方につけようとしてたんですよね?

あったな。しかし効果はない。いや、ある程度は・・日本軍の近い場所では効果ありますが、向こうが敵地域では、僕は効果なかったと思います。

[3] 刺突訓練 09:03
とにかく民兵と分かったら捕まえてね、それから、当時、初年兵が中隊にいたときは、やはりこう刺突(しとつ)、刺突か、そういうのは「肝試し」としてやりました。

覚えてる。自分でやったこと、記憶あります。まだ残ってます。太原で。なんや競馬か、馬の競争でな、その場所で、重機関銃の教育に来た連中をね、ひとりひとり・・で僕、一人、女性かな、女性の人に、自分で模範かな、そういうのして、やったことあります。

Q:女性だったんですか?そのときは。

はい。

Q:それは普通の住民だったということですか?

八路軍の服装、断髪。

Q:女性の兵士だったんですか?

兵士も、上ですな。

Q:え?

上。

Q:あ、上の方の人?

ええ。

Q:それはなぜ住岡さんが模範を見せた?

やはり僕、若いしね。そいで兵隊はおるし、それから下士官も、教育受けているのが僕よりもおそらく刺突がね、こいつは上手じゃないと。だから僕やったんです。

Q:住岡さんがいちばんうまい、と。

上手だよ、僕。うまいさ。下士官でも、僕よりも年齢的に浅いしね。

Q:初年兵たちはどうだったんですか?できたんですか?

それはやってます。だいたい、全部胸にね、肋骨に当たったときは、うまくいかない、倒れるくらいでね。でまた後の人がやると。そういう状態でした。

Q:初年兵は怖がることはなかった?

ない。やっぱりもう固まって、そんな嫌だなんて、そんなに、しない人いない。全部やる。

Q:ああ、全員やる?

ええ。

やっぱりあの、日本から来られた初年兵ですね。やはりどう言うかな、やっぱり、「肝試しをやること自体、強い兵隊さんになる」と。そういう下で新しい兵隊さんに(やらせた)、と僕思います。自分自体、あの僕は、あの15師団の第2大隊の重機関銃の第2機関銃の初年兵になったときにね。で中隊長が・・僕、その時指揮班で、中隊の伝令の仕事ありますね、それをまぁ僕が受け持って。でその時、中隊長が、その宿舎のおじいちゃんですよ、まぁ70ぐらいかな。それであの中隊長の命令が、僕に対し、やれと。でそういう風にして肝試しですね、やりました。そのとき僕、嫌やったで。普通の中国人ですが、やっぱり東洋人、日本人みな同じ姿ですよね。

Q:何故そういう訓練をやったのかが、良く分からないのですが?

いや肝試しや。日本から来た新しい(兵士は)、人を殺すできへんしね。同時に肝試しを通じて、だんだん日本の兵隊が、下士官がね、だから強くなるのかな。

Q:強くなるというのはどういうこと?

だから、その中に日本の軍国主義や・・僕はやはり、日本人は、魂、なんや大和魂もあるし、相手は劣等の中国人だと僕も思っていました。

Q:恐怖心をなくすためにやるんですか?

そうです。

Q:実際効果はあったのか?

それはあったと思いますわ。

Q:度胸がつくということですか?

そうですね。

Q:当時は練習の一環として・・。

訓練ね。教育の一環ですね。いかにも大きな作用をしていますね、兵隊さんは。新しい兵隊さんは。


(略)