『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

現代日本で「若者」が軽んじられるという事実がある、その理由の中で一番大きなものは、「若者の多くが「つまらなくない意地」をもっていないから」に違いない。

教育の罠、世代の罠――いわゆる「バックラッシュ」に関する言説の世代論からの考察(書籍『バックラッシュ!』双風舎、2006年/同人誌『青少年言説Commentaries Lite』) - 後藤和智事務所OffLine サークルブログ

たとえば、以下の部分。

我が国の論壇において、若年層をめぐる言論は、まさに特異的状況にある。普段は左派的な言動をしている人であっても、いざ「今時の若者」のこととなるとすぐに保守化し、若い世代が情けなくなった、だとか、あるいは、こんな若い世代が大人になったときの日本が心配だ、などといった言質を垂れ流す。そう、若者論とは、まさに「いいたい放題」の世界なのである。若者論は、まさに「今時の若者」を嘆いている「善良な」人たちの青少年イメージに即したステレオタイプを描き出せば、たちどころに広まる。

意味がないと思われるならば、今回は無視または批判してください。

現代日本で「若者」が軽んじられるという事実がある、わたしも何回か見たことがある。その理由の中で一番大きなものは、「若者の多くが「つまらなくない意地」をもっていないから」に違いない。後藤氏も、おそらくこのことに気がついているはずだ。「つまらない意地」だけもっている人に本気で協力したい人は、まあ少ないだろう。
話を少し変える。わたしは、だいたい2018年ごろからの、安丸良夫氏の「通俗道徳論」の肯定論にいろいろ疑いをもっている。厳しい言い方だが、一種の堕落ではないだろうか。そう言う理由の一つは、肯定論者がことごとく「安丸良夫氏の「つまらなくない意地」をとっつかまえよう」という意思を見せないことである。そういう意思は、金で買えない貴重なものである。安丸良夫氏を遅れて肯定する人々と、軽んじられる「若者」との間には、「存在感のある人物、その意地をとっつかまえようという意思」を示さないという点で、根本的なところで共通している。



さらに追記
「通俗道徳論」で、「すてばち」またはそれに近い言動をとるひとびとをとらえることができるだろうか? また、もっと広く考えて、「ひとびとの愚かさ」というものは、そんなに難しくなくとらえられるものなのだろうか? 特に、オウム事件以後に。安丸良夫氏と、それから中井久夫氏は、そこがわかっていたから、禁欲的な行動をとったのだとわたしは判断している。