『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

日本のロケット開発上の失敗より、日本のインターネット上の失敗のほうが重大ではないのか?

袴田さん再審、検察が特別抗告を断念 再審開始が確定、無罪の公算大:朝日新聞デジタル

とりあえず、本当によかった、といっておこう。

それにしても、と思う。
2020年01月からのコロナ感染拡大での3年間、「インターネット文化」は本当に検証されたのだろうか? 情報公開の文化ですら、正面から検証されたとは思えない。冤罪問題と情報公開はきわめて相性がいいはずだが、どこまで追及されたか。
性的にだらしないことを見逃すとしても偏狭きわまる「表現の自由」論、ああいうもののせいで、インターネット文化がどれだけ心ある人たちから軽蔑されたかわからない。いろいろ言いたいことはあるが、あの「表現の自由」は、問題を、いや、「問題と」考える自由では絶対にない。ああいうのは、正しく言えば、「問題を軽んじる自由」でしかない。大学にいるふやけたやつどもはともかく、まっとうな人間ならば、「問題」が一番大事だというはずである。そう、「問題」は「答え」より大事なのである。これが人間の根源的自由を保障するものである。
インターネット文化が情けないみっともない堕落をした理由の一つは、これである。ライバルもいない、ものの調べ方もわからない、空威張りばかりする、それも問題だが、わたしにいわせれば、なにより大事なことは、「問題」がない。
網野善彦氏や阿部謹也氏はたしかに大きな器のひとだった。このことがわかっていたからだ。だから、それほど金がなくても優れた仕事ができた。

「インターネット文化」はもっと正面から検証されるべきだ。なんなら、もっともっと批判されていい。そしてそれは、学校文化批判だけでは絶対におわらず、消費文化批判になるはずである。
またとりとめのない話になっていしまった。


地下鉄サリン事件から28年目。