『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

インターネットとツイッターのある社会の中をどう生きるか(草稿その2)

わたしのドストエフスキー米川正夫訳執筆物の電子化の結果、アクセス数

『白夜』、合計で2から3回
カラマーゾフの兄弟』第9章から第11章、合計で50から100回
『悪霊』、合計で10回から15回
『白痴』、合計で20回から30回

アクセスランキング
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上の記事によると、2022年での『罪と罰』が合計で14958+13276回、『カラマーゾフの兄弟』第1章から第5章が合計で9179+7772回、『地下生活者の手記』が5088+2428回。

校正が多少十分であることを考えても、どうみても差がありすぎる。
たぶんわたしのブログへのアクセス数は1000回越えないだろうと予想していたが、ここまで予想がはずれるというのは意外だった。まあ、著作権切れの電子化テキストは一種の非課税財産だから、合計で大変とくしている。損しているのは、アクセスして読んだりコピーしたりしない人たちだ。
これはくやしまぎれでいっているのではなく、ある種の驚きとともに書いているのである。
青空文庫の受容の歴史は、もっとつきつめて明らかにすべきだと考えている。ほんとうにインターネットは、自分の文化の事をしっているといえるのか? わたしはまえに、「ツイッターツイッターの事をしらない、それは重大な事だ」と書いた。だれからも批判されなかった。


特にコロナ感染拡大以後、はっきりしてきたのは、無償電子テキスト部門で、「やりすぎるバカ(よくもわるくも)」がすくなすぎるということ、すくなくとも、すくないかどうかインターネット文化全体がその判断を放り出したことである。これは文化として極めて愚かな行動である。わたしはわたし個人をこえて激怒している。無償電子テキストが少ないことに激怒しているのではない。その存在の意味がやりすぎなほど明らかにされないでいることに激怒しているのだ。つきつめていえば、無償電子テキストの問題が政治化・政治問題化していないことに激怒しているのだ!