マルクスはできただろう。エンゲルスはたぶんできない。サルトルはできた。ボーヴァールもできた。アレントはできない、というかどうでもよかっただろう。アドルノはわからない。
ファノンとジュネは、どうなんだろう、わからない。
ダリとシャガールとジャコメテッティはできた。正直にほめなかっただろうけど。デュシャンはわからない。
マスコミの記者はどいつもこいつも対象の過去によりかかってたださわぐだけだ。仮にいたとして、その人だけが非常に周りにまどわされないひとだ、というだけのことだ。
もしかしたら、申采浩先生は(このときもうすでに獄死させられているが)、ピカソ氏はなにかまたするかもと予想できたかもしれない。金九先生は、ないものねだりになるのはしょうちでいうが、できないだろう。これは段階的発展論に対するある種の批判になっている。
わすれていた、サマセット・モームはできただろう。