『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや06


1917年
秋田県由利本荘市にて生まれる。
1941年
24歳で徴集。秋田の第8師団歩兵第17連隊要員として中国・黒河省に派遣。
1944年
第1師団歩兵49連隊に転じ、レイテ島に派遣。当時、27歳、兵長
1945年
セブ島終戦を迎える。

[1]
死を覚悟したレイテ行き 02:17

[2]
上陸直後猛攻撃を受ける 07:12
[3]
44日間の戦闘でコメを一粒も食べなかった 05:44
[4]
生き物はなんでも食べた 08:11
[5]
陣地を固守せよ 05:30


[1] チャプター1 死を覚悟したレイテ行き 再生中02:17
どこにもみな敗れているんだから。もう、今で言う、何て言うんですか、まぁ、いちばん・・・山本長官が戦死した場所、あすこまでのを見ているんだから、あ すこまで日本の兵隊が行っておって、それから順次押されてレイテ島に逃げてきたんだから、日本の兵隊は。レイテ島までみな来たわけでね、日本が押されてき て、レイテ島に。それに行ったんだから、つまり山本長官があれだけの距離を制圧したものの、あそこまでレイテ島まで、フィリピンの・・・状態にわたしども 本拠にいたんだから、なおさらその死ぬということを、死というものを意識してしまっているわけ。「今度はあと、無事に帰ることはできないんだ」というふう に全員意識してしまっている、そういう状態なんです。

要するにはよ、兵隊だって、兵隊だって神様ではねえから、生きた人間だからにして よ、みんな同じですよ。もう、死というものが覚悟されているもの。頭の中に閃いているんですよ。あとは死なねばできねえ、国に帰ることはできないというこ とはよ、あそこのレイテ島に向かったときにすぐにもうみんな同じような状態になってしまっている。これがその兵隊、軍人というもののやむをえない宿命で あったんですな、あれは。


[2] チャプター2 上陸直後猛攻撃を受ける 07:12
とにかく11月の2日の晩、行動開始したんですよ。そして1晩中行軍をして、レイテ島を北に向かって前進したんです。そして3日の夜が明けた。夜が明けた から一晩歩いたから、一晩行軍したから、小休止をやったわけ。つまりそこに一服ついだわけ。連隊がざーっと叉銃という、銃をこういうふうに叉銃というもの を敷いて、そこでみんな休憩をしたんです。

休憩をしたところ、すぐそのころからお日様が出てきたんです。ちょうどそのころ、合図したよう に、アメリカの飛行機ロッキード、双発双胴飛行機が3機現れた。3機ばーっと。「あっ」と、すぐ兵隊は銃を持って3機にはいた。ところが飛行機の銃撃なん ていうものは話になりませんよ。一斉に機銃をダダダダダダダッと。そこでもう開戦になる。戦争が始まって。

敵の飛行機が来て、銃撃を始めたんです。銃撃をわが国も始めたんです。それで、だから兵隊は全部ばーんと下向けになって、みな伏せの状態だね。それでわたしもこういう状態で伏せておったんです。

と ころが、ここ、最近まであったんですけども、これを撃たれているんです、だっと。それでこうなっておった。これがもうちょっと、もう10センチこっちに来 たら、脳天をやられた。だから生きて帰ったということも、ちょっとしたところの差で弾がまぁ、思うには、まともに当たらなかったということです。ここに、 最近まで傷あったんです。

Q:他にでも戦友の方とかは、運悪くその攻撃を受けて亡くなった方とかいたんですか。

「敵機現 る」という伝令が入ったんです。ところが、ものの数秒もたたないうちに敵機が現れたんです。現れて、最初に落とした爆弾が第2中隊長の脳天に当たった、中 隊長の。中隊長がどこにいたか分からない。そして、その後の爆撃も・・・よ(銃撃もあるでしょ)。兵隊もあそこで戦死した人はいくらもおりますよ。あのぐ らいの空襲を受けながら、まともに砲弾が当たって戦死したというのは、恐らく20、30人ぐらいあったんでしょう。ただ、まともに吹っ飛んだのは、2中隊 の隊長、これはもう姿も何もなかった。吹っ飛んでしまって。

Q:初めてですよね、そういう米軍の飛行機の攻撃を見たのは初めてですよね。

初めての戦闘。第1回目の戦闘でそういう戦争を受けた人だ。

Q:それ、見たときどう思いました。初めて米軍の飛行機を見てどう思いました。

何と申しましょうかな、アメリカの飛行機のその優秀な射撃の姿、攻撃の姿、爆撃のしかたというのは日本の飛行機のやり方と違うなということはみな感じるでしょうな。

わずか20分、15分から20分ぐらいの間であったの、その(向こうの)爆撃は。・・・(戦死した人)は幾らもいなかったんでしょう、あすこには。

Q:でも、日本の味方の飛行機は助けてくれなかったんですか。味方の飛行機はそのとき助けてくれなかったんですか。

くれなかったね。ちょっとこう、ちょっと止めてもらいたい、冗談言うから。

み な一斉によ、「あらっ、日本の飛行機も来るんだろう」と瞬間的には思ったんでしょう。思ったんだけど、日本の飛行機は一機も現れない。レイテ島のあの1か 月間の44日という、わずか40日間の戦闘で日本の飛行機というのは一回も現れない。あれだけのアメリカの飛行機が集団を組んでやってきているんですよ。 日本の兵を爆撃、砲撃、銃撃も加えるんだけど、日本の飛行機は一機もこなかった。これで戦争が勝てるかなとはみんな思ったんですよ、我々は。そんな状態な のに。

それが地上戦では、これは鉄砲撃てば、1発撃てば1発なくなる、10発撃てば10発なくなる。兵隊の持っている弾なんて50発か 60発しかないんだから、1発撃てば1発なくなる、2発撃てば2発なくなるんだ。食料もなし。もう3日の日、襲撃を受けて、4日と5日とぐらい1週間と持 たないうちに食料が全然なくなってしまった。ほんだからその間、戦争が終わるまで、日本兵は食料から離れてしまった。


[3] チャプター3 44日間の戦闘でコメを一粒も食べなかった 05:44
全然補給はなかったの。57連隊、シマノ連隊の1人の兵隊が歌を書く、歌詞だな、歌詞を作るのを仕事だった。その人が歌を作ったんですよ。44日、44日 のあの戦闘で、コメ一粒も食わなかった」という、そういうやつの歌を作って、今、現在、おれ持ってるんでね。「44日の戦闘でコメ一粒も食わなかった」と いう、歌の文句があるんです。それだから、要すればその間、何を食って生きたかと。何を食って生き長らえたかというと、要すれば、向こうの住民の作ったさ つまいもであるとか、あるいはなナスビあろうと、トウガラシであろう、そんなのは一滴も出てこないは。それだから日本の兵隊は塩分が全部・・・されて、肉 断ちより・・・(生きた地獄の)あるごとくだと思います。

Q:塩分が足りない兵隊さんってどういう状態になるんですか。

想 像してください。見たもんだって、人の顔なのに見るのもよくねえすよ。人間の顔色してねえですよ。みんな・・・あってもよ、ふっふっふって。今、身落とす ような、そんな状態です、みな兵隊は。恐らくはおれ一人だけじゃなくて、偉い人はじめ、下士官兵に至るまで、ごはんなど食べた人はいないでしょう、恐ら く。補給が来ないじゃない。ということは、レイテ島は決戦場と言われたのを知ってますか。

Q:はい。

レイテは決戦場です。10万の兵力失ってよ、生きて帰った人は800名ですよ。800人が、帰ってきて、そういう状態の戦争であった。おれは今、生きてここに帰ってきて、90歳まで生きているんだけども、自分の身を不思議に思うぐらいだ。あんな状態ですよ。

上 陸と同時に食料の補給がなかった。携帯口糧というものがあるんですよ。コメ6合、乾パン3袋、これが兵隊の食料であった。その携帯もって、船から持って下 りるときに持ったコメ6合と乾パン3袋以外には食料が全然補給がなかった。アメリカの捕虜になって初めてコメの飯をごちそうになった。

だから11月の3日の日、上陸して、戦争が終わるまで20年の8月の23日まで、その間が全然食料の補給がなかった。アメリカの捕虜になって初めて何かをご馳走になった、こういう状態なんです。

Q:ものが食べられないのに戦えるんですか。

戦 えないんですよ。戦えないから、逃げて回る。そうすれば(おそらくは)、これは一介の兵隊がこんなことを言っていいか悪いかわからないけれども、恐らく 10万のレイテ島で戦死された方が10万人おると、10万おると。恐らく5分の1、5分の1ぐらいは弾で戦死されたか知れない。あとはみんな渇してた。食 料がなくて、倒れて死んだんだ、戦死されたの。恐らく10万の1000、2000、いや、こういうことを偉い人に言ったらよ、これはとんでもないことにな ると思うの。恐らく弾で死んだ兵隊より食料がなくて飢えて死んだ兵隊が多いと思います。


[4] チャプター4 生き物はなんでも食べた 08:11
生きているものは何でも食べたと、こういうことでしょう。例えば、夜、寝て、倒れて寝ておる。カサラカサラと何かの音がする。というと、人間のまなじりが 変わっちゃうね。はっと思って手をやると、イナダコンのヒナを捕まえたり、あるいはカエルのヒナを捕まえたりするわけ。そういう生きているものは何でも食 べたです。煮たり、焼いたりして食べたらまだもういい。生のまま食べるんですよ。そうして食べれて、食べた人は生きて帰ってきた。「そんなイモリや、ヤド カリなんか食えるか」というような状態で食わない人は死んだ。何でも、何でもあるものを捕まえて食べたという人が、つまり健康な体がそうだから、何とかか んとか生きてきたと。草の根であろうが、木の実であろうが、あるものであれば何でも食べたと、こういう人が生きて帰った。
 だから、これ、生きて帰った人もあと時間の問題。あと何ぼそれが続いたかと、こういうようなのが。

Q: じゃあ、食料がね、ないと分かって、初めて口にしたものって何だったんですか、その支給されたものじゃなくて。

  食料をもない。腹へって。昔からよく言う話があったでしょう。腹がすいては戦争にならんと。腹がすいては戦争になりませんよ、これは。つまりその歩きなが らでもよ、夜、歩きながらでもよ、あるいは寝ておって何かの音がしても、それに手をやって食える人、生のままですよ、かぼちゃであろうが、・・・いもであ ろうが、人がよろよろよろよろとこう歩いているときに、ぱっぱっぱと行って掘っているんですよ。いもを掘って食った人、あるいはそんなナスをもいで、生の まま食えた人は生きてきたと。「そんなもの食われるか」と、こういうような人は結局無事には帰ってこなかった。こういうことなんです。
 いちばん おいしかったのはよ、やっぱりさつまいも、こう当たり前の野菜、さつまいも、ナスビ、あるいはナスビの茎、さつまいものつる、それから何だ、野菜ものは、 つまり野草であれば、食われたもの。ミズ、フキ、ああいうものもみんな食べたんです。食べて歩けるようにしたのが生きてきた。「そんなもの食われるか、こ のばか野郎」と思って歩いていた人は結局、無事に帰れない。
 それで、また死んだ人を見ればよ、まぁ、戦死した人だけを見ればよ、ほとんどが皮までやせ細った人が鉄砲ももう持っていることができない。体弱々しくなって、何もなくても倒れるんだよ、こういう状態なんだ。それがそのレイテ島の戦争の末期がそういう状態なんだ。
  それで、それから川に行くと、どこにも小川があるからな。その川に行くと、何かいるんですよ。イモリ、知っているでしょう、イモリ、イモリであろうが、ヤ ドカリであろうが、それから何だい、食べ物にいいものはいちばんかみつかないようなもの。これは煮て食うような余裕はないんですよ。生のまま、生のまま食 べたね。食べれた人、食べれることができた人、これが今、帰ってきている人のすべてにあると。
山にいるんですよ、向こうの山に、ヤドカリが。夜寝 てるというと、カサカサカサって音がするんですよ。「早くおれのそばに来てくれればいい」と思って、見ているんですよ。来たのをびっと。捕まえるのにいい んですよ、あれ、のろいから。それを捕っているんですよ。こういうふうにまわっている、ヤドカリの形であれば、それを反対にこう捕まえて、こうねじると、 くるっとむけるんですよ。くるっとむけたのを全部がよ、全部片っ端からかじる。爪も何もみんな。

Q:どんな味がするんですか。どんな味がするんですか。

そいだば、味なんかわからんでしょう。カエルの味もよ、イモリの味もみんな同じですよ、あれ。口の中、ばかになっているんだ、あれが。ヤドカリがいちばんおいしいですよ。
お れ一回、だいぶこう何ていうか、深いようなところがあったものな。そこさこうやってはってな、何かいないかなと思って、一発持っていた自分が最後にいよい よだめだと思ったときに、「この一発で死のう」と思った手りゅう弾、手投げ爆弾、その手りゅう弾を一発持っておる。それをあれの長い、川のちょっとしたふ ちがあったから、深いところに投げたわけ。ところが水の中だからブーンて。バーンと言わんで、ブーン、これで終わりなんですよ。
 ところが浮いて きたのがウナギが上がってきたんだ。それにひとりで2つ分。そのウナギのうまさというものは、今の考え、・・・あまりおいしくて。その川のそばに行って、 ちょっとしたふち、手りゅう弾ボンと投げて、ダーンと音がすれば、これ、日本兵ってすぐわかるから、川の中でプーンって。浮き出てきたのがウナギやった。 このくらいのウナギが上がってきた。それ1つずつ捕って煮てよ、皮をむいて食べた。おいしいこと、今でも忘れられないぐらいおいしかったですよ。


[5] チャプター5 陣地を固守せよ 05:30
11月の26日にとてもこれだけの兵力では20人や30人の兵力では戦争も戦いもできねえんだから、大隊長は兵隊のさ、残った兵隊を皆殺しにしたくなくて、その陣地を引き上げして、ひと晩かかって。もう息できないほどだ、今。言っていいのと・・・それ・・・よ。
・・・あんなのはや、おれのはドラマがあるのも、それだけ聞いてもいいんだ。

陣 地を引き上げたもんだ。そして、翌朝、連隊長のとこまで行ってね、連隊本部まで引き上げてきた。そしてヨコタ大隊長が「部隊長殿」ヨコタ大隊はといい始め たわけ。ところが「貴様、命令を何と心得る。戦場離脱の罪だ」ということは、戦場離脱の罪になるということは、戦場から離れて、陣地を離れた、逃げたとい う罪に問う、ということは、戦場離脱の罪というのは、軍法ではいちばん重い罪なんだ。必ず銃殺にさせられるという。

ところが連隊長は「戦場離脱の罪に問う。部隊長自ら銃殺してやる」って拳銃に手をかけて、拳銃をこうやって向けたらしい。そこにいるやろう、大隊長は。「戦場離脱の罪で」って、こうやってやったきゃあ。

と ころが脇にいたクラジマっていう中尉が、「いや、部隊長どの、銃殺だけは止めてくれ。直ちに引き返して敵の前で勇ましく戦死してもらって、どうか銃殺だけ は止めてくれ」って願ったのは、クラジマっていう中尉。あすこにも写真がある。それに「止めてくれろ」って、「銃殺だけは止めてくれ」って、銃殺だけはと いうことで。「はい」、そして当番と2人で、当番というのはその偉い人の小使いだ。小使いを連れて「お前方は別令あるまで現陣地に待機せよ」と。ことばわ かるか。わからねえだろう。「お前方は」、兵隊たちはということだ、「兵隊たちは別令あるまで」、別の命令があるまで、「ここにおれ」と、そう言い残し て、そのヨコタという大隊長と当番の2人、そこから回れ右して引き返したの。

おれらはやぶに隠れていたの。その間を利用して部隊長、 ひょーってぶっちゃかれた。パロンポンというどこさ向かって、それで大隊長はそこから「はい」って引き返して、だらだらだらだらと涙こぼして。大隊長はわ しらを守って、戦場さ。ところがものの20分、30分と・・・かった。バンバンって拳銃の音が2発聞こえた。それはヨコタ大隊長が撃ったのか、自分に撃っ たのか、撃たれたのか、それは誰も見た人はいねえ。いねえども、そのバンバンという銃の、拳銃の音はみんな聞いて、覚えているのがおりますね。