『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや 医師衛生兵関連その10 略あり 第119連隊ビルマ従軍

1917年
福井県三国町に生まれる
1943年
第53師団衛生隊入隊、第119連隊とともにビルマ戦線へ
1945年
終戦
1947年
復員後は、大学の事務職に就く


[1]
チャプター1
傷ついた兵士たち
再生中
04:08
本当は、ひとりひとりを診てあげてですね、そして治療をしていく、というのがわたしらの役目だったんですけども、まあ、前線追及というのがわたしらの任務だったもんですからね、主として。従いまして、そこで苦しんでいる人がいるにもかかわらずですね、何もお手当てもできずにね、それを見過ごして前線追及を続けた、ということは、あの人たちに気の毒であったな、というような気持をしますね。何もしませんでしたからね、追及するときには。

追及するというときはもう、連隊と離れないようにですね、それでついて行かなきゃいかんもんでがすから。従ってもう、衛生業務というのは応急手当て的なもの、例えば、ちょっと負傷したから、ちょっと応急手当てをするという、そういうんなら出来ますけどね。あとはもう、何も。特に、いわゆる自分の隊とは違った皆さんの後退してくる兵隊をですね、いちいち診るというわけにいきませんから。まあ、それはあの、見ていて診ることはしない。診るというのは診断のことですがね、そういうことはしませんですね。

まあ、あの、衛生兵というのはですね、まあ、隊付きとそれから病院にいてですね、病院に勤めるというのといろいろあるわけですが。まあ、わたしらの衛生隊というのはですね、第一線部隊に直属してやる、いわゆる衛生隊ですからね。従って、彼らと共に行動しますので、衛生兵だけで、衛生だけの仕事をしていくというわけにはいかんですね。

結局、線路を越えるともう、向こうが敵というような状態で、どんどんどんどん上へ上がっていきましたので。まあ、みずからの体をしっかり保ってですね、そうして、もちろん急に体が悪くなる、というような兵士に対する応急手当はしますけども。そういう事態が起きん場合はですね、まぁ、とにかく一生懸命連隊についていくというね、そういう気持でいっぱいでござんしたな。

出来事の背景


[2]
チャプター2
最前線の救護活動
05:40
要するに、そのミートキーナ辺りまで行きますとね、その鉄道線路の脇、到着するというよりも、そこより以上は行けないという所まで行くわけですもんね。それを阻止するのは敵でござんすんでね。まあ、そこで、あるいはもう夜に入る。まあ、あの、昼はあんまり行動しませんでしたがね。でも、朝、早く前線追及の場合はその敵に悟られないようにしてですね、草むらの中を、まぁ言うと、敵に見られないようにして前進したわけですから。そしてその、中途するとしましてもね、もちろん家屋のある所ならば、そこをちょっと利用することがあったかもしれませんけども。そういう所がないときにはもう、ジャングルの中でですね、たむろしていたというようなことです。

包帯所と申しますけどね、包帯所はもちろん設けました。それはビルマの、みんなビルマの人は退避してしまっていますから、その家を無断で借りましてね。そこで包帯所を設けて、そしていわゆる担架で運ばれてくるね、重症者。もう、担架のここに血をいっぱいためて来る兵士。そういう兵士のですね、応急手当てをするんですが、もう担架のこの辺に血がいっぱいたまっておられるような方はですね、そこでもうほとんどね、気力だけで生きておるというような状態でしたね。従いまして、カガン(患者)もそれを覚悟しておりましてね。

死ぬということをね、覚悟しとるわけですね。もう、これじゃ助からん。ただもうね、われわれにね、「手当ては要らん。うまい水を一杯、欲しい」とかね、そういうようなことを願って。そうして、それをこちらが急きょね、谷底の水をすくって、そして彼の所に持っていく。それを彼はうまそうにゴクゴクと飲んでね、そして絶命する。そんなことを例えば、「もうわしは5月31日の生まれだ」というようなことを叫んでね、逝く兵士もおりましたね。

もう、いろいろですがね。腹部をやられたらもうダメですしね。それから腕をやられているのね。まあ、あんだけ血を流しておったらね、もうどこかその、いわゆる担架のくぐみに血がいっぱい入ってる負傷兵に手当てをしても、それだけ血を流しておったらもう助かりませんわ。

まあ、腕がブラブラになってね、そして、担架で運ばれてきた人だけども、担架の窪みには血をこぼさずに、そして、キチッと止血してある兵隊もいましたからね。そういう者に対しては軍医は即座に。それが夜であれば、ロウソクの火で。そうして糸は絹糸っちゅう、いわゆる絹糸はないもんですからね、木綿の糸で縫うて、そうして腕を落とす。

「いいか、腕を落とすぞー」と、落とす。

そういう人はね、まれな人で。せっかくね、負傷者の手当てをしましても、今のここで言うとなんですが、軍医さんと申しましてもね、お医者さんはいろいろですからね。

出来事の背景


[3]
チャプター3
負傷兵のウジを落とす
03:37
衛生兵はですね、それはまあ、いろいろと体内にたまった負傷兵のウジを取るということでヨーチンを垂らすとか。あるいはあの、傷口にうんだものを、それを少し清拭(せいしき)、きれいにしてですね、そうしてまた新しい包帯で巻くとか、そういうことはいたしますけどね。

ウジが、こうよじれて出るなんちゅうのはもう、ねえんじゃねえの、足まで。で、ヨーチンをやるとよじれて、こうヒモになって落ちてくるんだ。切れんのですから、切れんの。


Q:何が?

 ウジが。ウジが切れないの。

ヒモになって落ちてくるんだ。ここの大腿部をやられたの、こんだけ、ここがウジがいっぱい。


Q:それの手当て、されるわけですか?

 手当てって、あのヨーチンを垂れて、ウジを下へ落としてまた包帯をする。それが手当てですよ。何もできません。それはします。それはしますよ、きれいに。

ほんで、患者のもう手当てをして明くる日見ると、ここが卵でいっぱいです。白い卵で。始末できませんて、もう。それに新しい包帯を使うというわけにいきません、ねぇ。


Q:薬だとか包帯だとかそういうのは十分ありましたか?

 十分はあるはずがないですよ。

その病院には、毎日いわゆる20名以下の人間が死んでいく。穴を掘れんので裏の穴にほうるわけですよ。それがもういうと、いざ後退するときには、いっぱいになって、そこに草木で覆いをかぶせて、下がったっちゅうんですから。

死体の後片付けは、いわゆるそこを撤退するとき。そのときは必ずならしましてね。ほんで、今の爆弾の穴へ入れたのも、野戦病院ですからそこは、野戦病院の皆さんが埋めてね。まあ、埋められんときは、今の草木を上へ被せて下がったっちゅうんですから。それはもう、どうにもなりまへんわな。何百という死体が入ってるんですからね。そういうなんで、いわゆる、遺骨も何も取れずに、そのまま逝ったという人は、もう無数におられるんでないかと思います。

出来事の背景


[4]
チャプター4
野戦病院
04:14
野戦病院があるんですよ。そこへね、わたしはあの、あれから50キロ、もっとかな、何十キロ下がったかな、あれに書いてありますけど、もうとにかく1人で下がったことがあるんです。それはあの、盲腸になりましてね。そのときにタガギクンという鯖江(市・福井県)の衛生隊長がおられまししてね、その人がね、僕の腹痛の原因を調べて「これは盲腸だからね、手術すれば治るけど、ここでは出来ない」と。

で、従ってどうしたかって言うと、谷川の水で冷し続けてやりまして、それで小康を得たんですが。それからまぁね、「これはこのまんまじゃお前、また再発したらもう今度はダメだから、とにかく後方へ下がって手術を受け」と。で、わたしは単独で「ご命令どおりに下がらしていただきます」と。そして皆に別れを惜しんで下がるんです。それでその、マンダレーの首都まで行って野戦病院へ入るんですけれども、もう野戦病院というかね、まぁ病院というような感じはしなかったですね。何日かね、まあ、廊下というのか、全部、血便だらけですよ。いわゆるその、もちろん負傷者の血もありますけどね。多くはその、赤痢患者のね、垂れ流す血。それで廊下が真っ赤になっておった。まあ、しかし、その病院ってね、どんどんどんどんもう、病人が来て交代していく。負傷したのが治療してやる。掃除も何もできないんですかね、まあ、すごいもんですわ。ようこんな所に患者を寝かしておくなというようなことでございました。

まあ、わたしは幸いにして冷やしたもんですからね。それを保って、そして手術受けるんですけどね。ずうっと、その100キロも歩いていきますとね、結局自然に治癒していくんですね。そして今度ね、治癒したあとに「治癒後突起」という突起物がね、この何日かな、肉の盛り上がりで隠されてしまうんですかね。医者は腹を切ったんですけどね、「合点がいかん、合点がいかん」って。何が合点いかんて、その治癒後突起がない。いわゆる失せてしまったんですな。

それからね、盲腸にはならなかったんですのでね、帰ってから3年ですかね、盲腸になったのは。そりゃ、この腹痛が来たときね、「これはダメだ」ちって、自転車を駆ってね、病院まで行きました。「盲腸です」と。で、すぐ手術をした。それで助かったんですがね。それが前線やったらあの世ですよ。

出来事の背景


[5]
チャプター5
自決する重傷の将兵
04:30
戦争ちゅうのは、その立場、立場でね。


Q:どうにもならんときには、もう邪魔なものは? あるいは日本兵の負傷兵はどうするんですか?

 手りゅう弾を与えるだけですよ。「どうぞ死んでくれ」と。彼も覚悟しているんですから、これで、ね。
(略)