『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや 医師衛生兵関連その05 略あり 第213連隊ビルマ従軍

1918年神奈川県足柄下郡吉浜村(現・湯河原町)に生まれる
1936年東京医学専門学校(現・東京医科大学)入学。在学中より陸軍軍医依託生となる
1942年陸軍軍医学校入校
1943年11月、歩兵第213連隊に配属
1944年シンガポールを経てビルマ
1945年ビルマ(現ミャンマー)で終戦
1946年復員 日本鋼管病院に勤務後、開業医に

[1] 軍医を志す 08:43
[2] 軍医学校のアルバム 04:13
[3] 軍医としての出征 05:14
[4] 信頼される軍医の条件 05:53
[5] 衛生兵に教えられた 04:18
[6] インパール作戦 最前線の軍医 07:37
[7] 名ばかりの野戦病院 07:57
[8] 「白骨街道」と呼ばれた道 06:52
[9] 生命を救えない 10:33
[10] 軍医時代を振り返る 04:44



[1] 軍医を志す 08:43
軍医の、正規の軍医というものは大抵、依託生制度なの。みんな依託生になって、正規の軍医は全部依託生で、医学部に行ってるときに依託生に採用されて、それから正規の軍医になっていくわけ。それで、僕みたような・・うちは医者ではない。そして、ちょうど戦争中であるから、軍医になるのがいちばん手っ取り早い選択である。それで軍医になったわけです。だから、それで軍医になれば、依託生で軍医になるというと、いちばん安直で自分の具合に適応した選択であったと思ってますね。これで、うちが医者あたりだったら、軍医に、依託生からあれにならなかったと思うけどね。うちは医者じゃないでしょう。

これはね、まあちょっと考え方も幼稚だけども、私は子どもの時分に、私の祖母が地方のお医者さんに診てもらっていて、お医者さんの手当てが悪くて、悪くてというのはね、おばあちゃんで、ちいちゃくって年を取ってるのに麻薬を平気で1本した。そうすると、麻薬が強過ぎちゃって死んじゃった。そういう経験があって、家族はうんと嘆いた。そのときに、おれは医者になろうかなと思ったんです。ただそれだけ。

依託生になったけれども、これは依託生が高額手当であったかどうかは知らないけれども、親父には負担は、依託生手当で負担を軽減して、親父には喜ばれた。自分としては、そのときもらった金が高額だったんだか低額だったんだか、あんまり記憶ない。

Q:でも、実家の負担というのは軽減できたということなんですか?

と思います。うーん、軽減したでもあろうし、まあそうだけど、自分のお小遣いが結構豊かな生活はできたと思う。だから、親父の負担が軽減されたということも事実だろうと思うけれども、結構自分がのんびりとした生活はできたように思います。

Q:同級生の間では人気があったんですか? みんな軍医になろうという。

これはどこの大学でも同じだと思う。やはり、国家は国家で戦争をしているんだから、やっぱり軍医というものはぜひ必要なものであったということですよね。だから、それに対しては、やっぱり、先輩の軍医も、我々の学生の時分に何かの会合があれば先輩の軍医が来てっから、そうしてから結構たきつけていったね、軍医になることを。そういうふうな会合をたびたびやられたりなんかして。やはり、実際に軍医も少なかったんじゃないのかな。戦争中、軍隊のわりには。

Q:もう皆さんなるのが当たり前の雰囲気だったということですか?

当たり前と言っていいかどうか知らないけども、やっぱし、軍に軍医は必要だから、だから一応、軍医を志願することを勧める傾向にあったということは言えると思うね。だから、ピッタリ時の流れに乗ったかどうかは知らないけれども、そのときの時代の流れの中に軍医なるということは沿った処置だと思う。要するに、時代にかなった処置だと思う。軍医を選ぶということは、その時代ではね。

医学生のときから正規の軍医を志願した者で依託生になる、それが7~8名いたと思う。あの時分、どこでも依託生に籍を置いてる人、結構多かったからね、やっぱり時代だよね。どうせ軍隊にとられるならば、条件のいい立場がいいものね。そうでしょう。無理やり軍隊で引っ張られてから医者にさせられてこき使われるよりも、積極的に軍医に志願してしまって、堂々と現役でなろうと言ったほうがよっぽど条件いいもの。そういうことだと思います。


[2] 軍医学校のアルバム 04:13
Q:これは何でしょう?

これは軍医学校行ってるときの写真だねえ。それで軍医学校で各地へ行って演習を、教育をしたわけ。そのときの記録。はっきりしない、これね。これは演習をしているだけの話よ。前線で負傷兵が出たときには、その負傷兵をどういうふうに手当てするか。どういうふうに担架で運ぶか。そういうことを演習してる。これはどっか山形で行ってやったんでなかったんじゃないかな。これは千葉の海岸辺り行って、おそらくガスかなんかのときじゃねえかと思うんだ。これは石井四郎(第1軍軍医部長)。

Q:実際にこれ実戦さながらで役には立ったんですか?

やっぱりやってると違うでしょうね。1つはいっぺん練習して1つの形ができていますから、こういうことはやっぱり予行に色々やっとくということは大切だと思います。1つの形はできてると、実際にそれにぶつかるときにやりやすい。

Q:普通の医大では難しいということなんですよね?

医大という所は一般的な医学を教える所。軍に適応した医学ではないんで。軍というのは、特殊な環境に適応した医学は軍医学校で教えるわけ。だから戦場という特殊な環境はまた違うからね。だから戦場に適応したときに一般の医者の手当てをどういうふうにしたらいいだろうか。どういう考え方をした方がいいだろうかということを教えてくれる。軍医ということは大変だよね、さっきも言ったように、例えば外地へ行って1つの所に駐屯した。そこん所に竹やぶがあった。竹やぶを邪魔だって1本切っちゃう。切ってしまうと水が溜まる。ふしが残る。そのふしを全部裂いて、水が溜まらないようにしないと蚊が繁殖してしまう。そういう処置をしなきゃならないという。そういう気配りを教える所が、やっぱり軍医学校の「軍」ということでしょうね。


[3] 軍医としての出征 05:14
そうですねえ、やはり学校を出て、それから軍医学校にすぐ行って、これはもう戦争へ行く準備ですよね。軍医学校出るとともに命が下って、これがビルマ(現ミャンマー)。どっちかって言うと、落ち着いてる気持ちじゃないですね。もうなんとなくあわただしい、緊張した気持ちでいましたねえ。今考えると、「ひとつやってやろうか」っていうような気持ちでしょうか。ね。一働きこれからしようというような気持ちで出征しましたねえ。

私がビルマの自分の部隊に着いたときは、これはもうインドとの国境に近い山ん中でした。これはもう部隊、総拳げで歓迎してくれました。内地からいちばん新しい情報を持った軍医が来てくれたんだということでしょうね。もうみんな6年7年の、古くから戦地に勤務してる将兵ばかりでしたから、我々が軍医学校をして、初めて新しい軍医が来たということで、非常に歓迎してくれました。そして仲間の将校ばかりでなく兵隊までも、やはり内地の情報をつかみたいと話しかけてくれる。そういうために、それが1つの歓迎でしょうね。

例えば情報ばかりでなく、携えて行った日本のたばこ。これは1箱出すと、将兵みんなパーッとなくなっちゃう。そのくらいに。それでその一服を実に祖国を思い出しながら吸ってくれた。それはやっぱ感動的でしたね。

やはり長いこと戦地にいる将兵は、新しく内地から来たということになると、内地の情報を聞きたいという気持ち。これは大変なものだったように思いますね。だからどっちかって言うと、私自身が現在これから勤務しようという現地のことを、今までいた古い皆様方から聞き出すことよりも、むしろ内地の情報を私から聞こうという意欲の方が強かったように思います。だから、前任の軍医と一緒に夜になってやすみましても、ボソボソボソボソ、夜遅くまでローソク1本のところで話込むような状態でね。そして向こうも新しく来た軍医に、こういうことは知ってて欲しいというような必要事項があれば、それを少しずつ教えて下すったというようなことで過ぎましたね。あとは部隊の各所を顔見せに回ったわけです。「今度内地から来た軍医でございます」と言って、それぞれの部署にご挨拶をして回ると、そういうことですね。


[4] 信頼される軍医の条件 05:53
新しい軍医が来たんだけど、はたしてこの軍医、頼りになるんだろうか。そういう気持ちはやっぱりみんなあったんでないかね。それで私が、その赴任して間もなく私の部隊の宿営所が敵の爆撃を受けました。それでそのときに、オオツという下士官が、砲弾によって腕をすっ飛ばしちゃった。腕すっとんじゃった。それを私は・・30メートル程離れてたんです。すぐに行って、腕離れちゃってるんだからね、血がほとばしってる。それをすぐ血管をつかまえて、コッヘル(出血を止めるための医療器具)という血管を挟む機械で止めて、止血をして助けて。

やっぱりね、軍医で行ってみても、部隊の将兵にしてみれば、この軍医どのぐらい頼りになるかっていうのあるでしょうね。だけどたまたまそういうことがあって、それを手際よく処置して助けて、内地へ送って。それで終戦後もずーっと内地で厚生省の仕事かなんかしておりましたけど、そういう風なことを、手早く救ったっていうことは、初めて部隊へ行って1つ点数をあげた要件でしたね。

(略)