『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや ルソン島、第17連隊06 略あり

スマートフォン上で、文字を拡大(拡大する前の6倍)して読む必要があったので、このブログに転載したうえで文字を拡大する作業をしました。
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1920年秋田県大館市にて生まれる。
1937年鷹ノ巣高等農林学校卒業。
1941年歩兵第17連隊入隊。
1945年フィリピン・ルソン島にて終戦を迎える。
1946年復員。復員後は農業を営み、田代町議、田代町長なども勤める。

[1] ルソン島へ 08:34

7月であったな。動員かかったんず、それから遅れたんだよ、2か月ばり(ばかり)。ストップかけられたんだ。どこさも動かしねえじ(から)、ストップかけて、さらに命令が来て、それから行き先わからねよ。それで、分かったやつが、朝鮮さ来てたんだ。朝鮮の釜山鎮というところが在るんだ。釜山の手前に釜山鎮というところに来て、夏服、渡されたんだよ。「おかし(い)な」ってみんなでしゃべってたっけあとに、1か月位あってか「フィリピンに行くらしい」と。だから、水泳の訓練をさせられた。船で。したっけ、何のための水泳訓練だって、船から降ろされた時、そこから脱出するためには、なんぼう(いくらか)泳げねば困るって、1か月間訓練せられたよ。そういう、ようやく向こうさ着いたばって。これもまた、運だ。それさ(船に)軍旗積んだのよ。軍旗。軍旗は飛行機で送る予定で。軍司令部からは、「飛行機で送るから、あんたがたは、あんたがたで、行けば良い」と。言う事だったけども、連隊長は「これはダメだ」と。「軍旗は俺の手から離すわけにはいかない」と。そして、強引に軍旗を一緒に連れて行く事になったわけだ。そうすると軍司令部も、そうなればやっぱり、黙っておかれないって、飛行2機で護衛させて、フィリピンのマニラさ上陸した。で、1回も攻撃も来ねえしな。この前には、かなりやられてるんだ。船さ乗ってって、ほれ、潜水艦でやるやつ。アメリカの。そういう風な状態が続いたもんだ。

Q:17連隊は何で潜水艦にやられなかったですか。

だから、それは、飛行機で護衛したから。何故、飛行機が護衛したかって、軍旗が乗ってたから飛行機で護衛したの。だから、おら(ほ)の連隊長は、強引にやったもんだの、「良い」と「俺は軍旗を手放すわけにはいかないから」って。そうすれば、やっぱりダメだなということで、軍司令部では飛行機2機で護衛してくれたから、13隻の船団が全部無事に上陸した。その後「何隻もやられてるんだ。半分より、100万の兵力を送って50万が海でやられた」と。こういう話であった。ひどい話しだべ?半分だよ半分。

Q:船に乗っている時の気持ちは怖いものでしたか。

怖いっていうか。怖いってば怖いな。みんな甲板さ上がって、潜水艦って思ってれば良い。魚雷もわかってるべ?魚雷の監視を上さ登ってそして、叫(か)ぶの。「右だ右の方だ」って叫(か)ぶ、へば、それを追って、機関士は、こっち行ったり、して。一回「あぶねー」って、これだけ離れて魚雷が抜けて行った時もあった。バンとぶつかってたら大変だったな。だけど、あれ見れば、おっかねぇったな。

Q:フィリピンに上陸した時の気持ちはどうでしたか。

いやぁ。上陸する前に、敵の潜水艦が、さっき、しゃべったように、2機が護衛したべ。2機が護衛したところで、今度よ、潜水艦を発見したわけ、飛行機から見えるものな、したっけ、真っ赤な火柱が、グァーっと立ち上がったんだ、その時だば、皆、バンザイした。日本の飛行機が2機、代わる代わるに、こうやって、敵の潜水艦をつぶしたもの。火柱が吹いたもんだったも、皆でバンザイしたずよ。そんなように上陸した。その前は、前後は、皆やられてるんだ。あれも、おら方の連隊長がやっぱり、軍旗を持って行かねば、やっぱりどうなったかは、わからねえな。

Q:着いた時はホッとしましたか。
ホッとしたな。そんとき、ホッとしたけれども、これから先が今度、あっちは、常夏の国だべ。暑(あぢ)くて暑(あぢ)くて、今度、歩いて、ちょうど80キロか、秋田まで100キロだっけか、こっから(大舘から)。だな、80キロまで歩かねばねんだ。それが、容易でねがったな。だからもう、朝に早く歩いて、今度、暑くなればは、歩かねね(歩けないでしょ)。そして、ようやく、向こうさ到着した。

Q:どこに?

バタンガス。マニラからバダンガスまで、80キロ、100キロあるな。それを何日かかったっけ?1週間以上かかったべ。

軍旗隊という風なものは、結局、「軍旗守る」というのもそうだけども、それと共に、「連隊長な、連隊長を共に守ろう」と、それの、いわゆる守備さ、守備。だから第一線さ出ねわけ。せば(だから)後方まで下がってるわけ。それもほら、人数もだんだん少ねぐ(なく)なってきたどもな。だがら、軍旗隊さ入れば、戦争さねって(しないでも)良いって、昔からしゃべられたもだもんだがな。

Q:どんなお気持ちで軍旗を守っていらっしゃったですか。

いやぁ、やっぱり日本の、軍旗は日本の代表的なシンボルだべ、シンボル。そういう感覚でとらえていたもんだ。あだがた(あなたたち)は、ちょっと、理解へねべ(理解できないでしょ)?理解へねべって。今の感覚でいけば(や)。軍旗っていったいなんだもんだかって、そういう感じさねが(しないか)?


[2] 軍票の乱発 05:01

ゲリラはいた、いた、いた、いた。みなゲリラなったった。みんな。ということは。最初は日本さ(日本軍へ)付いてあったのよ。アメリカ人は日本の、そのときは日本はまだ、物も豊富であった(べ)し、面倒見も良かったのよ。ところが、だんだんだんだん、食料が無くなり、そうすれば当然、軍票でもって、軍票って分かるか?軍票でもって買わねばね(ならな)くなったわけ。あのフィリピン人から。米でも何でも、それが今度、フィリピン人から言わせれば、あの軍票はお金だって言うけれど、実際は、こういう風に戦争が逆になってきたたえ(ため)に、あれは、実際はダメだって、今度、フィリピン人も、やっぱり気付いてよ、「これだばいらね(いらない)」と、「軍票だばいらねえ」ったって、「物と物の交換ならいい」っと。いう風に変わってきてあった。そういう点はある。確かに。最初はごまかしだもの。軍票ず(て)やつ。勝ってれば、あの軍票活きてくるべ?だけども、負けらべなったところで、これはダメだってことは、フィリピン人は分かるべな。だから、こっちから軍票出してやっても、「それだばいらね」って。「物と物との交換なら良い」と。こういう風になってきたっけ。だんだんと、アメリカさ協力するようになってきた。それが、それこそアメリカでは、おだてるべしコイン(銭)も、ける(くれる)かもしれねし、それでこら、いつの間にかは、味方が敵になってしまった。弱い国ってみんなそうだ。良い時は良いかもしれねけど、やっぱり当時の勢力に支配されて。日本だって、あのまま勝ってればよ、たいした尊敬された国であったとして、何も物無くなれば、相手だってあれだもな、それさ、頼りにしてだば居られえねぐ(なく)なるやな、やっぱりな。そいで、ガラッと変わった。そして今度、女の人もスパイになった。情報、情報をどんどんどんどんアメリカさ(が)ほら、「ここの兵隊が居たとか、居ねとか」みんな。それで、最初は、男だけであったけど、最後は「女も、皆、同じだ」というので「女でも殺せ」とそういう命令まで下ったよ。

Q:どんな命令でした。

だって、あの、命令って「殺してしまえ」って。「殺してしまえ」っていうに、敵だって。「敵だから殺してしまえ」って、殺してもいいっていう意味だった。それもわが(か)んねくね、分かる。今までは、たいしていがった(非常によかった)やつが、ガラッと態度変わってしまったべ?アメリカさ、なびいてしまったなさ。だから、そいだば、敵だからって。

Q:藤田さんは、誰からどんな命令をうけたんですか。

我々、おらだけでは、命令ってのは、ほとんど受けた事はねわな。「あっちさいけ」とか、「こっちさいけ」とか、場所変えて「あっちさ行け」とかはあるけど、特別な命令という風な事は、ねえな。特別な命令は。

Q:ゲリラを殺せっていうのは誰からの命令ですか。

我々は、ゲリラ殺せなんて、そこまでは、一般の中隊にはそれをやるけれども、あの、軍旗隊とかそういう本部のやる人は、直接に携わらね。敵を殺す、殺したりなんかしたりすることには、携わらねはずだ。一般の兵隊の問題で、処理してしまうのだ。


[3] 米軍の襲来 04:49

これは、我々が戦争の本当の、トコトンやる前に「これだば(これでは)、とても、アメリカさも、歯が立たね」と、分かったやつが。ブルドーザー。分かる?あのブルドーザーってやつを、われわれ、見た事もないし、聞いた事も無い、ブルドーザーってやつ。だから、「山崩し」って名前付けたの。みんなして「山崩し来た」って、「山崩し来た」って言ったもんな。こっちからシャベル持って、そして、穴、土あげて、そして、戦車が来れば、通れねえように、ずっと掘ったもんだべし。ところが、いざ来てみれば、ブルドーザーで崩していくもんだもの。ものの5分もたたねうちに、みな平にしてしまうってばな。「あっと、これだば戦争にならね」と。そう我々は感じたものだ。あのブルドーザー一つで。ブルドーザーって名前知らないもんだから、「山崩し」って言ったもんだ。

Q:ブルドーザーで、道を平らにして通れるようにして、そのあとから戦車が来るんですか。

だから、それを崩してしまうのよ。な。日本人がせっかくシャベル持って土あげて、こういうふうにして、やるは。あの、ブルドーザーが来れないようにしておくのは。ところが、これだば、すぐ、あっちからもこっちからも、土持ってきて埋めてしまう。5分か10分のうちに。だからそれ見たっけ(ら)「これだば(は)、戦いものにはなるもんでないな」と。俺はみんなそう思った。飛行機でもそうだもの。どうしてそんな大きいもの。何、飛行機だっけあれ、1万メートル飛ぶやつ。それが、日本の高射砲8,000メートルしか飛ばね(ない)、弾が飛ばねんだやな。なんぼ撃ったって、おっこんねおんなげおん。(墜ちるわけがない)1万メートル走ってるもんだもの。それを見てもや、「こいだばとても(こんな状態でも)戦わねばならねえな」と思った。撃ってるよ。撃つったて、なも、届かねもの。それさ。だから、とても、あまりにも、兵器の差があるもんでよ。

Q:アメリカは攻撃はどう攻めてくるんですか。

アメリカは、攻め方っていう事はよ、とにかく機械な。兵器、兵器。兵器が日本の兵器よりよ、一段も二段も優れてるもんだおん。飛行機なんて本当にだべ?1万メートルも飛ぶしよ。あの戦闘機なんて早いもの。グラマンなんて、日本の戦闘機より速いもの。だから、それ見てるもんだっために。低空もするし、あの飛行機にやられるやつは、おっかねがったなぁ。低空してくるやつみれば。あれ一番おっかねがった。

Q:地上からの攻撃は?

地上から、こっちから、鉄砲撃ったり、機関銃撃ったりして、ほんな(そんな)もんだべし、あとは、野砲はあるったって、歯立たね(ない)な。そして、物が余計あるし、優れてるし、日本のアレだば(は)、とてもな、どうもならねがったな。それを分からなねで、戦争したもんだべがら、精神力で、精神力で戦ったもんだべ。


(略)