『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや ルソン島、第17連隊04 略あり

スマートフォン上で、文字を拡大(拡大する前の6倍)して読む必要があったので、このブログに転載したうえで文字を拡大する作業をしました。
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1919年秋田県秋田県大仙市太田町にて生まれる。
 長信田尋常高等小学校卒業
1941年歩兵第17連隊入隊。
 第3中隊に配属
1945年フィリピン・ルソン島にて終戦を迎える。終戦当時、軍曹。
1946年復員。復員後は農業を営む。

[1] 海外に行きたかった 05:18

最初はよ、どこへ行くんだか分らながったんだ。移動することは事実だどもな、だがら喜んで行ったな。「戦場さ行ぐに良いど」ってな。海外志願したぐらいだがらよ、そういった所さ行きたがったものな。それさよ、七男なんてよ、一番後がら生まれた男の子だからよ、家さこねば出来ね(戻ってこなくちゃならない)なんた感覚、なんも無がったものな。だがら、どこへ行っても良いって気持ちだがら海外さ希望したわけだものな。

Q:満州から出発して、マニラに行くんですが、どこから乗ったんでした
釜山から・・・
Q:釜山から船に乗ってルソン島へ行く時ってのは、航海の途中は安全だったんですか。

全然、安全で無かった。一回よ、潜水艦来たどってよ、飛び込みしなければならなかったな。船から、飛び降りるわげよ。すると助かるべ?潜水艦にボンとやられれば自爆だべったな。わたし、その時、ちょうどマラリアにかかってな、どこだ、下関経由してって、九州のどごだがの港さ着いでよ、それからマラリアにかかってよ、飛び込みの命令来たったけれども、わたし飛びこまねがったもの。なしてがってばよ、マラリアさかかって動けなかったべ、死んでもいいってことでよ飛びこまねがった。

Q:どんなお気持ちでしたか。船の中にいる時は。

やっぱり、大部隊が乗ってるもんだから、そんなにも怖いことはねがったども、マラリアさかがって動けねべ?どうせ死んでもいいど思ってな、死ぬごったば(死ぬならば)船の中で死のうど思ってよ、それで飛び込まねがった。

Q:でも17連隊は比較的無事にフィリピンに着いたんですか?

そうそう。フィリピンの北サンフェルナンドってどごさよ、上陸したもんだっけ。その時分はよ、フィリピンの汽車さ乗ればよ、山さ(さし)かかればよ、押してけねば(やらねば)ダメだった、汽車降りて。ヤシのコプラたいてらったおの、あのヤシの水飲んだあとの殻よ。あれたいてらったんだ、だがら馬力ねえべ?だがら多くの兵隊が乗ればよ、汽車走れねぐなるものな。「皆降りて押しなさい」と命令が来るおんだっけ。そういう風にして、汽車で3日ばかりかかったかな?さっきの地図のリパーってとこまで行ったおんだもの。北サンフェルナンドから3日ばかりかかったんでねすかな?汽車歩けねもんだから、止まってる時もあるもんだからな。

Q:その北サンフェルナンドから南の方へ行って・・・

そうそう、マニラ通ってな。


[2] 陣地作りの毎日 02:38

移動するときはよ、まず、大体班長以上の人が「斥候」に出されでな、そして今度行くところの偵察して来るわげよな。やっぱり同じ所によ1週間と居られなかった。3日ばりだどって出かけて行ってな。リパっつうどごさ行ってよ、毎日タコツボ掘りな。それをアメリカが、タコツボひとつひとつ爆撃するもんだがらよ。移動さねねぐ(せざるをえなく)なるべ?せば、なるべくアメリカのいないところさいないところさ出かけて行ったものな。

Q:そうやってしょっちゅう移動するのはどうしてなんですか。

やっぱり、その陣地、皆やられでしまうもんだがらよ。タコツボさ入ってでもタコツボを皆爆撃されてダメになっちまうべ。

Q:先ほどフィリピン人は最初は日本人に親しげだったという話をしたけど、具体的に、家も貸してくれたりしたんですか。

貸してくれだ、貸してくれだ、最初はな。こんだ状況が悪くなったばよ、今度、そういう人達はよ、敵対になってしまうんだがらな。行った時分ならよ、「日本の兵隊が来てけでよがっただど」ってよ、たいした喜ばれだった。だんだん戦況が悪くなったばよ、ダメなっちゃったけもの。「バガヤロー」なんて言うようになったっけ。日本語で「バガヤロー」っつうけもの。

Q:普通の住民の方が。

うん。


[3] ゲリラ討伐命令 05:58

おらの連隊長はよ、住民でも子どもでも「みな殺してしまえ」とばり言ってら人だった。「住民どってなみな殺してしまえど」って、俺なば、そこまで殺せねがったどもよ、うちの方の連隊長はよ、無論、最後の絞首刑で殺されだどもよ。その人はよ、とにかくゲリラだろうがアメリカ軍だろうが、とにかく見たらみんな殺してしまえと言う人だった。

Q:そういう隊長の命令がきたんですか。ああ、連隊長命令がどういう風にして聞いたんですか。

いや、各中隊のどごさ連隊長が回って来るごどあるのな、そのとき言うんだ。連隊長なば、壕(ごう)の一番奥にいるわげよな、だがら連隊長そのものはやられねわげよ、だどもへ、辺りにいる人だちはやられるもんだがらよ、それを聞いているべった、せば「殺してしまえ」どってな。藤重という連隊長だったどもよ、その人はよ、やっぱり気合いのかかる連隊長だった。

Q:そのときはもう既に清水川さんは小隊長だったんですか?
小隊長だった。
Q:小隊長は、誰から命令をもらうんですか?

命令もらうやつか?中隊長がらもらうのよ。小隊長は中隊長からもらうわげよ。中隊長は連隊長からもらうわげよ。

Q:その実際に住民も関係なく殺せと命令を受けて、清水川さんはどうしたんですか?

聞いただげだった、回って来てな、連隊長がよ「全部敵なんだがらよ、なんでも皆殺してしまえ」とばり言う人だった。

ゲリラ捕めで来てよ、そしてバナナの(木)さ繋いでな、そして軍刀で切るおの。…バナナの木、一番いいんだ。柔らこいがらよ、バナナと一緒に切るんだ、切りやすいわげよ。俺だよ、自動車のスプリングで作った軍刀下げてらったがらよ。重いべ?そして切れねべ?だがらバナナさ、繋いでやればよ、一番いいんだ。…野蛮だったな。いま思えばよ、「まんず、恐ろしいごとばりやったもんだなあ」ど思うな。

Q:ゲリラをどうやって連れて来るんですか?

やっぱりあれだわげよ、ちゃんと手錠かげたりしてな、後ろさ手背負わせてよ、ここ手ぬぐいどがで結んでな。そうしなければば逃げられるおの。

Q:ゲリラか一般の住民かってのは区別がついたんですか。

うん、だいたいな。憶測だがらな…銃持ってるもの。ゲリラはほとんど銃持ってるもの。

Q:軍服も着てるんですか?

軍服は着てねおん。フィリピンは暖かいんだがらよ、ほとんど半袖みでったな、半袖ど半ズボンだな。

Q:そのゲリラの方は抵抗しなかったですか?

んだべった、皆手繋がれでるんだがら。

Q:ま、戦場でね、そこまでせざるを得ないやらないとやられるっていうくらいこう、追い込まれていたと思いますけど、とはいえ、本当の心の中ではちょっとこう、葛藤(かっとう)があったり申し訳なさも感じてましたか?

全然無がったな。やる気でやったったもんだがらよ。全然無がった、そういうごどはな。今の人達がら見ればよ、実に残酷なごどだわげよな。んだって、戦場ってやっぱそんたもんだ、なんともしょうがねえもんだ。「やらねばやられるっ」つうごどだがらな。