『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

わたしの、本気の反万博論 その23(作業中) メモ 1966年5月5日朝日新聞の企画、横尾忠則自伝

1966年5月5日 朝日新聞を読むと、大阪万博、応募、紙面一枚全部使っている。
横尾忠則自伝1995年出版、P207-209、せんい館のこと。意外と簡単に書かれている。
東レの会長、谷口、
「あなたのおっしゃる芸術論は私には難しくてよくわかりませんが、あなたのこの仕事に対する情熱は十分伝わりました。どうぞあなたがおやりになりたいようにして下さるのが協会としても望むところです」

1966年5月5日、朝日新聞
審査員座談会
丹下健三手塚治虫岡本太郎戸塚文子(評論家)、加藤秀俊、早川良雄(グラフィックデザイナー)
「万博の提案」特集
10104点
司会、中尾、朝日新聞社会部長
近藤常務取締役、長生大阪本社学芸部長
岡本―元気仕掛けのごみを食べる動物と言うアイデアなんかは遊びの精神と実用性を生かしたものとして大変よかった。その動物をどんなかっこうにするか考えただけでも夢がある
手塚―物を展示するだけではだめだ。すべてを動かしてみることもいいんじゃないか
マンガー手塚治虫
1975 お祭り広場のとりこわし費用15億、3年ごとに数億円かけた大修理のほか年間維持管理費4千万円。
1975-1994、太陽の塔は紙面で1件もヒットしない。ゲルニカはときどきとりあげたられている。