東海村臨界事故への道 払われなかった安全コスト 七沢潔
2005年8月25日 第1刷発行
目次
はじめに
第一章 事故原因の究明は不十分だった 001
1 住宅地の核惨事 004
2 公正さを欠いた政府事故調査委員会 007
3 刑事裁判の成果と限界 010
第二章 目的に合わない施設――JCO転換試験棟改造の「不実」 一九八三年―八六年―― 017
1 事故は存在しないはずの工程で起こった 021
2 動燃と住友(JCO)
3 高速実験炉「常陽」 026
4 日米再処理交渉と「溶液製造」 028
開発した混合転換法 030
5 転換試験棟改造の奇怪 032
6 一次審査――見過ごされた「溶液製造」 035
7 二次審査――腰砕けとなった「差し戻し」 036
8 許認可後に知らされた危険な条件 041
高かった溶液濃度 041
混合均一化工程 044
重労働だった「クロスブレンド」 047
9 なぜ「溶液製造」が過小評価されたのか 051
★JCOはなぜ「溶液製造」をきちんと申請しなかったか? 056
★JCOはなぜ「溶液製造」の専用装置を作らなかったか? 058
★動燃はなぜ「溶液製造」発注計画を正確に伝えなかったのか? 059
10 無力だった国(科技庁)の安全審査 066
安全審査官は動燃からの出向者だった 066
クロスブレンドは適法か、違法か――分かれる見解 081
第三章 動燃の発注の「変」とJCOの逸脱――プルトニウム利用計画の迷走 一九九二年―九六年―― 087
1 JCOのリベンジ――事故調の敵を刑事裁判で討つ 090
2 「もんじゅ」の皺寄せ 092
3 突然、粉末から溶液に 093
4 「あかつき丸」事件――国際公約の波紋 097
5 輸送ウルトラC、製造ウルトラC 102
聖クリスマスの担当者会議 102
「製造ウルトラC」の謎 108
6 「バケツ」の登場 111
製造課長の実演 111
「バケツ」溶解の評価 114
7 JCOの逸脱と動燃の立場 116
「決して忙しくなかったはず」という主張 116
動燃は「バケツ」を知っていたか? 118
検査ウルトラC――工程修正の機会を失った動燃 122
8 「常陽七次」さらなるスピードアップ 124
また「もんじゅ」の皺寄せ 124
「一度できたことは恐ろしいことですよ」 127
動燃のトラブル、変更につぐ変更 129
またまた「もんじゅ」の皺寄せ 131
9 事故の階段をさらに上がった――貯塔による混合均一化 132
現場の「工夫」が工程を変形された 133
「社内承認」された許認可違反の仮設配管 135
10 軌道修正のラストチャンス 138
九五年九月 JCO安全専門委員会 139
若いO氏の使命感 140
会議は三十分で終わった 142
「裏マニュアル」 144
何も見ぬけなかった科学技術庁の巡視 145
第四章 崩壊したJCOの安全管理体制――電力自由化の中で 一九九五年―九九年―― 149
1 リストラの提案 152
2 安全管理システムの消滅 155
「うわのそら」の経営者 155
教育の不在 157
安全組織の改編 158
3 スペシャルクルー 161
4 横川豊氏の供述 162
5 経験者がいなくなった 165
6 解体され再起を期す動燃 167
「もんじゅ」運転再開への思惑 169
再処理工場再稼働を見越した溶液発注 170
7 横川豊氏と面会する 171
8 「常陽九次」始まる 176
9 魔の選択、貯塔に代わり沈殿槽で均一化 181
貯塔をやめ沈殿槽を選んだ動機をめぐって 184
横川副長の臨界知識 187
竹村主任、沈殿槽にGOサイン 188
竹村主任のはまった落とし穴 192
何も知らなかった上司 194
10 一瞬の破局 199
最後の釣り 200
九月三十日 202
別れ 206
第五章 東海村臨界事故から学ぶもの 209
1 特殊ではなく普遍的な事故 211
2 核燃料サイクル開発計画の中の事故 214
3 問われる安全のコスト 217
経済性追求で脆弱な足元 217
4 「安全崩壊」からの救済策 223
市民の立場に立つ、独立した規制機関を 223
規制官が足りない 225
人間が動かす施設として安全を見る 226
危険性を見すえる 229
情報が伝えられ、共有される社会こそ「安全」に近い 233
みな応分の責任があることを認めよう 239
おわりに 245
参考文献 255
付録図 5
臨界事故までの関連年表 1
臨界事故までの関連年表(1957年から1999年まで、JCO、動燃(サイクル機)、社会の三項目)
付録図1 JCO東海事業所の敷地と転換試験棟
(事故調報告書Ⅱ-16)
付録図2 転換試験棟内の装置の配置(日本原子力学会、JCO事故調査委員会報告書より)
付録図3 転換試験棟生産工程の推移(日本原子力学会、JCO事故調査委員会報告書「JCO臨界事故その全貌の解明」所収の図をもとに編集.)
①常陽4次・硝酸ウラニル生産工程(1986年10月―88年2月)
②常陽6次2回目・硝酸ウラニル溶液生産工程(1993年1月―6月)
③常陽7次・二酸化ウラン粉末生産工程(1995年―1996年)
常陽8次・二酸化ウラン粉末生産工程(1996年―1998年)
④常陽7次・硝酸ウラニル溶液生産工程(1995年10月―1996年2月)
常陽8次・硝酸ウラニル溶液生産工程(1996年8月―11月)
⑤常陽9次(今次)・硝酸ウラニル溶液生産工程
(1999年9月)
付録図4 混合均一化を中心に再溶解工程以降の変遷(岩波ブックレット「臨界事故 隠された深層」より一部変更の上作成)
付録図5-1 動燃/サイクル機構混合転換施設の運転実績[細馬等の論文の図4から一部削除、変更
(サイクル機構技報No.24 2004.9より)]
付録図5-2 プルトニウム転換技術開発施設における混合転換Pu量(サイクル機構提供の図表より作成)