『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや21

[証言記録 兵士たちの戦争]
フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~ 放送日 2008年2月28日


2008年6月

1918年
新潟県北蒲原郡菅谷村(現・新発田市)生まれ
 
宝岩寺住職となる
1944年
6月、歩兵第16連隊入隊後、独立歩兵第13連隊に配属
 
11月、フィリピン・レイテ島へ
1945年
レイテ島タクロバン収容所で終戦を迎える
 
戦後は住職に復帰、村役場や市役所に勤務
関連する地図



[1]
チャプター1
入隊のため祝言を繰り上げた
再生中
04:14
まぁ戦争に行けば、ほとんど生きては帰ってこれないなという気持がございましたですね。ですから、私にはほかの人の感情とはまた別に1つの思いがありました。というのは、昭和19年の5月の15日に結婚式をする予定であったんですけれども、その5月の15日に入隊というその召集令状が来たわけです。

ですから、12日に結婚式は本堂で挙げたわけですけれども、まぁ何べんも申し上げるように、ま、生きて帰ってくるという約束もできないままに結婚式を挙げるというのはこれはよくないと。行った途端に未亡人を1人つくることになるという気持ちで、まぁ事情をお話して今の家内によくお話をして、もう形だけの結婚式ということに了解を得てですね、「仮に丈夫で元気で帰ってきたら改めて結婚式をやろう」ということを約束して出かけていったわけです。ですから家内は、嫁には来たけれどもお嫁さんじゃないんだというような気持でおったんですけども。なかなかそれがその、私どもの考えていることと、その、世間様が考えていることとは違うんですね。自分の夫が戦死するということはこれは名誉のことだと、何も悪いことでもなんでもない。国家のために一生を捧げるというまぁいわば護国の神になる人だ、その奥様になる人が、なんでその、その、どう、しゅん巡してるんだと、そこには入籍できないという何か横たわったものがあるのかというようなことを、私の留守中に私の両親は責められ続けたんですね。でも、私の両親はそんなことは何も考えていなかったけれども、結局、戦争中のことでですね、憲兵が来たり警察が来たりということになって、私はもうフィリピンに行っちまったあとですけども、知らない間に家内は入籍しておりました。

だからおかしいもんだなと思って。まぁ戦争から帰ってきてから、そのいろんなことをお笑い話で出来る状態だったんですけれども。戦争に行くときはそういう状況がありましたから。まぁ1人1人が命というものは1つしかない、その命を持って戦争に出掛けていくんですから、もう泣いてる人もあれば悲しんでいる人もあればですね、「勝ってくるぞと勇ましく」なんていう歌の文句にはとてもなれないもんだなと思っておりましたですね。

出来事の背景証言者プロフィール


[2]
チャプター2
輸送船「帝亜丸」
07:38
「帝亜丸」という1万1500トンの素晴らしい客船、フランスの客船だったらしいですけど。それの中はまぁ皆さんがご承知のように、ただの客船じゃない輸送船になってるわけですから、もうお蚕さまの棚のようにですね、兵隊をあぐらをかいた寸法の上にまた段があって、その上にまた乗るというそういう状態の所へ詰め込まれたわけですね。
 
それで、何日目かにバシー海峡というそのフィリピンと台湾の間のすごい狭い海峡の所を通過するわけですけれども、その通過するのにですね、もう世界の中でも第1番か第2番というぐらいに怖い海峡だったんですね。で、どうして怖いかというと、潮の満ち干きというものがこういうふうになるんです。もうそこは絶えず台風のようなすごい怒濤(どとう)逆巻く状態になっている所らしいんですね、そこへ到着したのが8月の18日だったんです。その8月18日という日に、夜半11時30分ごろに警戒警報というのが「ブーブーブーブー、ブーブーブーブー」という警戒のブザーが鳴ったんですね。「これは警戒せよということは、この近くに魚雷を持っている船が待機しておるんだぞ」という知らせですから、いつやられるか分からない。けれど、私のほうは乗せられているんですから、どうにもこうにも動きがとれるわけじゃないんですね。
 
やがて「ブーーン」という音と共に敵の飛行機が飛んできたんですよね。この真夜中に何も見えないところに日本の飛行機なんか飛べるわけねぇと、これはアメリカの飛行機だなと思って見ておったら、その、飛んでいくのにやっぱり火がついてるんですよ、電気が。だからずーっと飛んでいったそのあとを見ているというとですね、パッパッ、パッパッと信号をやってるんですね。その信号は何であるか分からんけれども、そのひとがドッスンと、われわれの乗っている帝亜丸の横っ腹に魚雷が飛び込んできたんですよ。
「いや、これは大変だ」と思ったらこんなになっちゃった。それで、そばに手すりあるからそこにつかまって、で、みんな将棋倒しに倒れるわけですね。で、新発田(阿部さんと同郷の兵士たち)だけでも、みんなそれつかまってたけど。そうしたら誰か叫んだんですよね、「この船は大きな船だ。魚雷の1発ぐらいで、沈んでなるものか、大丈夫だ」という声と同時に、こうなっておった船が真っ直ぐに復元したんですよ。
「いゃこれはたいしたもんだ」と思ってね、やれやれと思っておったら、なんと「パチャッ、パチャパチャ」という音がする。なんだろうと思ったら自分の足の所に海水が来てるじゃないですか、甲板の上に。ただ、箱の中はですね、空気が入ってるから沈まないんですよね。「あ、これはダメだと、もうすぐ飛び込まなきゃダメだ」というので、私は、「新発田ー、飛び込めー」って私は自分の分隊に号令をかけて飛び込ましたんです。
すると、「まだ退船命令は出ていないぞー」って誰かが怒鳴ってる、「今、俺が退船命令を出したんじゃないかー、一刻も早く飛び込めー」、みんなバチャバチャバチャバチャと飛び込んだ。

もう夜中にあんた真っ暗な海の中へ逃げ出す。そこをまた日本の海防艦がですね、敵の魚雷船を魚雷艇を見つけるために走るんですよ、大きなこの本堂からこっちこのくらいの船がですね。それの船にあんた、蹴散らされて頭やられたりして死んだ人間だって相当いるわけですよね。ですから、私は、戦争というものはなんという悲惨なものかなということは、それで初めて経験したわけですけどね、もうみんな軍歌歌ったり万歳を唱えたというけど、そんなことはもう何もならんことだから「やめろ、やめろ。もう体を温存せ、体の力を温存せ。新発田頑張れー」つって、もういちいち文句言ってその新発田班の連中をかばったわけですね。

とにかく助けにくる船を待つというその待つ間に力をやっては困るから、みんな自重して食べるものはかつお節1本に制限をしろとか、乾パンは絶対に食べるなとかね。というのは、乾パンは海水にもう、うるおされている、というと塩っぱくて食べらんないんですよ。けども腹が減ってるからどうしても食べる。食べると塩分過剰でもうゲーゲーゲーゲーやってたんですよね。そうするとせっかく保っていた体力をその、へんどによってみんな失われてしまう。だからそういうことをするなと。それから、かつお節を1本ずつみんなぶら下げているんですけど、そのかつお節は、ちょうど一昼夜潤されたような程度だというと、柔らかくなって手でむしっても食べられるようになるんです。で、塩分もちょうどいいぐらいか。ただ、その時間を過ごすというと、もうしょっぱくてもうボロボロになっちゃって食べられないんですね。

出来事の背景

[3]
チャプター3
くもの糸
10:50
それで夕方になったら、海防艦が1隻助けにきた。その海防艦というのは駆逐艦なんですけども、戦争中に出来た駆逐艦のような機能を持っていない小さな船なんですね。でもそれでも、その船1隻で200名ぐらい助けることがあって、甲板の上にこう乗せるんですね。けれど、海の中にいる人間は何千人といるわけですから、どうあってもその船1隻でどうなるわけでもない。ただ、そのときにですね、船の上からロープを投げる、ロープはちょうどこの太さですねこんなぐらいの。そのロープが塩水を吸ってもう竿同様になっているんですね。そうするとそこにみんなつかむんです、つかまるんです。すると、船の上の水兵さんは1人でそれを持っているんだ。「離せ、離せ、1人になったら上げてやるから全部離せ」って。誰も言うこと聞かない。それでこうやって掴まってるんです。10人もつかまってる。そうすると、その背中をこうしてここまで乗っかってきてね、それでその上へつかまる、浅ましいというかね。そうすると水兵がそれを見てね、「離せ離せ。この野郎離せ」って言う、ケンカだ。でも離さねぇの。そうすると、ロープを今度こう持っていたのを逆さに持つんだ。で、ちょうどその海の中へ突っ込むような形で。そうすると、みんな堪らないで手を離しちゃう、命にかかわるから。 で、たった1人になっているというとそれをまぁすくい上げる、そんな作業をやって、初めから順番で1人ずつやってればスムーズに行くものをね、みんなで言うことを聞かないで勝手なことばっかりやってるから、それはもう大変な騒ぎですよね。そのとき私は、なんという浅ましいと思ったけども、戦争というものは味方というものが協力し合って敵に向かうものかと思っていたら、とんでもない、味方同士があんた、殺し合いの戦争だ。そこで生きなけりゃ生きていけない。なんという浅ましいことだと。ここにいたんじゃ、自分はもう体は意気地はねぇし、力はねぇし、地位もないし、これはもうこんな所に人と争っておったってダメだと思って、その船からもうなるべく離れよう離れようと思ってね、逆向、逆方向へ泳い出したんですよ。そしたら、船ってやつはこうなっているんですね。で、前のほうの甲板にばっかりみんな集中的に集まってる。後ろのほうには誰もいねぇんだ。船室があるだけ、船室があるわけ。で、そこへ行ったら、なんですよね、3人ばかしおって新しい梯子(はしご)が上のほうから3本ほどつり下げられてるんです。「なんだろうな」と思って見ていたら、そこは乗組員の下士官や将校は船室の中の便所を使うけれども、兵隊や軍属や外の便所を使うわけですね、で、スルスルスルスルッと下まで下りてきて、尻をまくってポタンポタンと用を足して、で、紙で尻を拭いて、それでもう上のほうに上がっていって仕舞ってしまう。それをこうやって見てたら、1人の水兵がですね、「何見てやがんだ、この野郎っ」「いや感心して見てましたよ」って言ったら、「こっちへ来い」。「こっちへ来いつったって、この天井ぐらい離れているのにクソを垂れてるのに、私はここにいるわけですね。「こっちへ来い」ったって届くわけねぇんだろうと。その人はね、いちばん下まで降りて、手で支えて私のことを引っ張り上げてくれたんです。それで、「おーいおーい、手を貸せ」つって、もう1人下まで降りてきてそれで手を貸して、私のことを救い上げてくれたんですね。本当にこれは地獄に仏というのはこういことかなと思って、もう、思わず私は涙がこぼれたけども、「ありがとうございます、ありがとうございます」って何べん言うたらですね、「いいからいいから、共に死ぬ身じゃないか」と言いながらですね、上の甲板へ引っ張り上げたと同時に、この両方の頬っぺたをもう力任せに30回ぐらいたたかれちゃった、こう。そんなふうに、「今こうして気合を入れねぇと貴様死んじゃうから、気合を入れてんだから悪く思うなよ、へたり込むな、立ったままだぞ、海のほうへ顔を向けろ」。それで海のほうへ顔を向けているとですね、こんなアルミニウムのコップに砂糖、砂糖湯を一杯持ってきてくれた、「これをガブガブ飲むな、少ーしずつ飲んで、それを飲んだらこれを食べろ」と、紅ショウガのこんな小さなヤツ、「それをガリガリ少ーしずつ食べろ」と。「やがてお腹かキリキリ痛むようになるから、その時腹を押さえて吐き出せ」「分かりました」って私。まぁその時のその時期を待ってると、やがて腹が痛くなってきた。だから前のほうへかがんで、いやぁほんと、もうやっぱり助けた人間というものは気になるものとみえて、仕事をしながら私の様子を見てるんですね、それで飛んできてですね、「ほら吐け、ほら吐け」って言って今度背中をたたいてですね、腹をギューッと持ち上げてくれた。とにかく洗面器に2杯ぐらいの量をあったと思う、ビューーッといっぺんに吐き出しちゃった。よくこんなに腹の中へ、飲んだ覚えもないのにね、海水がどうして入ったんだと思う。そう言やあ、夕べから声を大きく怒鳴ったりなんかしてるから、口を開いてるからみんな入っていっちゃうんですよね。それで、そのときに見たら、ここにその帳標があって「三浦一水(一等水兵)」と書いてあるんです。歳のころは17・8ですね、「あー、こんな若い子がなぁ」と思いながら見てると、「お前には家庭があるだろ、俺もうちにはお父さんお母さんがいるんだよな。まぁそんなことはどうでもいいことだ」って言いながらその男はそこから去っていきましたけどもね。三浦一水という人は生涯ただいっぺん、これが仏教の言葉でいうと、「倶会一処(くえいっしょ)」と言うんですよ。「共に会う」という「倶会一処」。一所にあるという。天にも地にも前にも後にもたった一回きりの邂逅(かいこう)であったけれども、そういうすごい物語のもとになる人と、私は合い会うことができて命を助けてもらったんだなぁと、三浦一水という人の恩は私が死ぬまで忘れないつもりでいるんですよね。

Q:その海防艦で阿部さんは助けられるわけですけれども、ほかの人たちはどうなったんですか。

結局、船中200名いっぱいだというとね、「次の船が来るから待ってろよー」とい命令を下して、ガラガラガラガラガラガラとみんな錨を上げてそこから遠ざかっていったんです、「助けてくれー」「待ってくれー」というそれはもう怨訴(えんそ)の声よね、海上にこだまするようでした。

その1250人が新発田の初年兵、われわれと一緒に宇品から入ってきた連中なんですね。で、そこでは死んでしまったのが1000人、250人が助かった。いやまぁ、そのときに何人助かったかなんていうことは全然分かりませんでしたけど。あとでマニラに着いてからそういうことを聞いたんですね。マニラにわれわれは、本当はシンガポールへ行くつもりだったんですけども、シンガポールに行くまでのバシー海峡で壊滅状態になってしまったんで、それでマニラヘ助けられた。で、マニラで助けられてそこにまぁふた月ぐらい。

出来事の背景証言者プロフィール


[4]
チャプター4
輸送船が座礁
05:17
とにかく昼間は島影に隠れておって夜走るんですね。ところが、ちょうど月光・月の光に照らされて浅瀬の所と深い所の間の所がチラッ、チラッ、チラッ、チラッとこう光がこっちのほうに向かってくるような錯覚があったらしい。そしたら「あ、魚雷だ」と。そいでその魚雷を交わすために大急ぎで左のほうへ船を向けたんですね。そうしたら、なんのことはない浅瀬だったんですよ、そこ。それで、ガーリガリガリガリガリと乗っていっちゃって、夜中の最中にね。そうしたらあんた、船の底がこうなってるのに、ぶつかったままさせてるから、みんなこう穴があいちゃったんです、船底に。で、船底に全部あいたわけではないんだけども、半分ぐらい乗り上げちゃった。そしたら不安定なものだから、船がこうなるんです。波が来る間にガターン、ガターン、ガターン、ガターンとなる。それでその間に水がどんどんどんどん入ってきてるわけですね。けど、浅瀬だからそれ以上は沈まないんですね。困ったもんだなと思ったけども、結局いちばん困ったのは、私が何べんも人様に申し上げるけれども、船底いわゆる船倉に詰め込まれた軍馬ですよね。馬はこうやっているとここ(首)まで水が来てる。それをたたいて、「ドードードードードードードードー」って馬の首を、それをたたいて、その馬係の兵隊、それがあんた、そこから離れられないんだ。われわれはどうってことはないから甲板へ行ったり船倉へ行ったり、「大丈夫か、大丈夫か」なんつってまぁ慰めの言葉を言ったりなんかしていたけども、まぁ「貴様らはこれから戦争に行くんだから1時間も早くここから離れて転進せ。われわれはもうこの船と馬と一緒に運命を共にするんだ」と言いながらですね、「馬を棄ててお前だけでも出てきたらいいじゃない、そのほうが戦争のために役立つんじゃないか」と言うてもなかなかあんた、言うことは聞いてくれなかったですね。

それでいるうちに海防艦が、何べんも海防艦の話するけれども、200メートルほど向こうの所を通るんです。だから、こちらのほうはガタガタ、夕べからガタガタしてる。それからその手旗信号で「助けてくれ」ということを言うと、向こうからは「先着200名、泳いでこい、そこは浅瀬だから行けねぇ。」「そらーっ」っていうんで、みんなそこからあんた船から飛び下りて泳いだわけ。私は、230人くらいだったんだろうと思うんですけどね、もう、いっぺん助けられているからどこ行きゃどうだということが分かるから、船尾のほうへ泳いでいったんですよ。たらその3間梯子(はしご)はなかったですね、外してあったのかどうだかそれは分からないけれども。けれども、そのときにウロウロしておったら、上からロープを1本垂らすわけです、「これにつかまって上がれよ」という、それから上へ上がった。そしたらもう、これ以上上げたらもう作戦ができなくなる。20人オーバーしてる、「もういちばん最後のヤツはもういっぺん船で返しちまえ」なんという上官の話もあったけども、「そんなこと言わないで連れていってくださいよ」と言って、それで結局マニラにもういっぺん帰っていった。

出来事の背景証言者プロフィール


[5]
チャプター5
レイテ島・オルモックへ
03:13
それで3番目に、2週間ぐらいたってからですかね、送られたのは木造船ですよ。船っていったって、今までのはみんな鉄で出来た船だけども、今度の船はね、木造船でね。

「いよいよこれから夜、海防艦1隻もいない所に着くんだから大丈夫か」って言う、「大丈夫だ」。それから行ったらなんとオルモック湾という湾はですね、煌々(こうこう)たるあんた、探海灯(米軍艦艇の探照灯)で照らされているんですよ、「いやぁ、これはとても行けたもんじゃないな」と思ってたんですけれども、そのエンジン係の連中は外は見えないです、真っ暗けの船室の中にいるんだから。「ちょっと様子を見ろ」つったって言うこと聞きゃしねぇ。どんどんどんどん明るい湾内の中を通ってね、それでもうヤシの木がたくさん生えてるもうその波打ち際の所まで行ったですね。
彼らももう帰っていく気はないから、これが最後だと思うからもう砂浜の所へザーッと乗り上げちゃった。それでも普通のうちの2階以上高いんですからね、そこからあんた、あの縄はしごを下ろして、後ろ向きに伝ってこう降りていくわけです。それが後ろからこういう探照灯でどんどん照らして、バンバンバンバンやられるんだから、もう生きてる空がないんですよね。

「うーっ」つったきりで。「いやこれはもう辛抱してる暇もありゃしねぇ」と思って、もう急いでそのハシケから飛び降りてね、それでヤシの林の中へもうもぐり込んじゃったんですよ。で、「新発田(の兵隊)こっちだぞこっちだぞ」と言うて、新発田の案内をしながら私は進むんだけども、ついてきたのは10人以下だったでしょうね。どこへどういうふうになったのかは全然分かりませんけども。そうしたらその、ジャングルの奥の中で、「どこから来たんだ」って声がするんだ、「はあ、泉兵団(26師団)です」と。「おお、泉が到着したのか」

出来事の背景証言者プロフィール


[6]
チャプター6
投下された食糧
03:10
Q:その上陸のときはアメリカ軍の攻撃はなかったんですか。

あったんですよ。

Q:それはどんな様子だったんですか。

ですから、探照灯、こういうのをつけて全部そういう、ダダダダダダダという機関銃、機関砲ってやつですよね。

Q:それはどこから撃ってくるんですか。

一方のジャングルの中から。片一方のほうへわれわれ逃げる。そこをはるか向こうのジャングルのほうから撃ってくるんですよね。まぁそれでまぁ、逃げるより方法がねぇんだからしようがねぇけども。それで、そこでは「垣」兵団(16師団)の連中に助けられたというか、その、しばらくそこに一緒にいたんですけど。

「この周辺には貴様らが上がってくるんで、その上がってくるに先立って食糧が少し投下されているんだと。だから、その食糧をまず見つけることだ。お前らに私らの食糧を食べさすわけにいかねぇから、お前らは新しく来たんだからこのジャングルの中へ探しに歩け」と。「どんなもんですか」つったら、ちょうど氷枕と同じような、真っ黒けな氷枕と同じようなそういうつくろいのものが落ちてるわけだ。で、2つ3つなるほどあるのかな拾ってきた。で、「これ何ですか」って言ったら、「これはご馳走なんだよ」、って開けるのはですね、密閉されているからナイフかなんかでピッと開けるんですね。中から出てくるのが食べものですね。で、何が出てきたかというと、餅の粉ですねそれを水を入れてこうかき回していると、ついた餅と同じような粘りが出て、それにきな粉のようなものをかけてね、それで食べると。あともう1つの袋の中には、アズキの混ぜたごはんがパラパラになってるのが入って、それを水を入れてこうかき混ぜてですね、大体10分か15分たつというと炊いたごはんと同じようなね、赤飯のような、こんな贅沢なものをよくまぁ作ったものだなと思って。

出来事の背景証言者プロフィール


[7]
チャプター7
艦砲射撃に追われてジャングルを逃げまわった
02:10
この部屋ならば、4つぐらい来るんですよ。等間隔に。ここへ来たあとここへ、ああ、こっちだなと思うとここへ。だから、その都度逃げるわけです。だからそれが次へ次へとこう、波状的にやって、ここへ行ったなと思えば皆もうこっちへ来て、もう大丈夫だ、今日は安心だ、なんて言って。でもいつ始るか分からないんですからね。それでもう、艦砲射撃のときにはドーンと1つ落ちると、この部屋いっぱいぐらいの土が、もう、もろに上がっちゃうんですよ。だからそばにいなくたってそれで頭からかぶっちゃうんですね。だから逃げ方が悪いと、逃げた方へ艦砲射撃が来ちゃう。

そうしたら下からもう、何ですね、土の上を四つんばいになってはうような格好で、まあ、匍匐(ほふく)前進というのか、もう日本の兵隊はだめだ、今、アメリカの軍隊が上陸して我々は今逃げて来たところだと。何か食べるものはないかと。冗談じゃない、食べるものなんか何もありゃしない、というようなことをその翌日?になってからね、その下を守ってた、オルモックを守っておった兵隊が、皆、敗走して来たんです。
で、我々もそこにいたんじゃかなわないと思うから、もう、・・と一緒でジャングル入ろうって言って、で、入っちゃったんですね。まあ、めちゃくちゃな戦争でしたね。

出来事の背景

[8]
チャプター8
空腹と食糧の確保に苦しんだ
03:49
食べるものはないから、昼間は山へ行ってはあの、なんですね、自然薯(じねんじょ)、この辺でいうサトイモですね、サトイモのこの葉っぱがこうなってるやつ、それを見っけると、行って掘るんですよ。で、その、こんな子がくっついているんですね、その子はとってもおいしいんですよ、ポリポリして甘くて。ところが、その親を食べようとするね、もう喉の中をもうかきむしりたくなるようなイゴさっていうのがあってね、それ知らないで食べたヤツは、も七転八倒してるわけだ。

まあ、結局、米軍が持ってるものを横取りするのというのが、いちばん楽な方法なんですよね。それで、向こうも無用の摩擦をしないということで、夜になると、テントが3つあるというと、一番後ろのほうのテントにみんな引っ越しをして、そこでジャズをかけてるんです。ジャンジャカ、ジャンジャカ、ジャンジャカ、ジャンジャカ。やってる人間もあるし、アコーディオンやってる人間もあるしね。大体レコードだろうと思うけど、そういうものを使って音楽をかけて、踊ったり、飲んだり食ったりしてるわけだ。我々がそこへ飛び込んでいくというと、殺しあいになるから、そこへ来ないうちに、いちばん野戦から離れたところのテントの中に、わずかの食糧を用意しとくんです。今申し上げた野戦の缶詰であったらね。それから向こうで、現地で徴集するトウモロコシなんか、バナナとかね。そういうものを大体10人かそれぐらいの人間が食べるくらいのものを置いて、それを持っていけという事をいわんばかりにして、自分らはとんでもないとこへ行って、楽しんでるわけだ。
だから我々は、そこへ切り込みに行くときに、銃なんてものはなんにもないんですけどね、結局抜刀という、ゴボウ剣1つしかないけど、そんなもの持ってったって、なんの役にも立たんけれども、とにかくそれを持っていくとですね、ちゃんと用意して、そこいけば盗みに行くわけですよね。ただ行って帰ってくるというわけにもいかないから、「突撃」とか、「わー」とか5、6人の人間が声をいうわけです。そうすると向こうの音楽がぴたっと止まっちゃう。その音楽が止まると、それは挨拶だから、もらって引き上げてくる。真っ暗闇の中、さあ逃げろと。まあそういう事毎晩はやれないけどもね、3日に1回ぐらいは、そういうことやっとった。

出来事の背景証言者プロフィール


[9]
チャプター9
死んだ真似をした
07:29
ゲリラというのはその、フィリピンの民間人ですよ。で、初めのうちは日本人に協力しておったけれども、カネもくれなきゃ物もくれない、ただ同様の強盗だからね、物がありゃタダ取っていく。それじゃあんた、しまいにはもう日本軍に愛想尽かしてアメリカ軍の雇われ人のようになっちゃった。だから「日本人がいたら教えろ」ということを訓練されているわけです。それでわれわれのことを、そのワニガシ兵長がぶつかって落ちたその崖の上から見たら、兵隊が10人ぐらい下で生活してると、それを教えたわけです。

もう叶わないまでも逃げるんですよ。動けば後ろから撃たれる、これは動かないほうがいいと思うから私はね、「動くな、動くな、死んだ真似してろ」。で、そこに横になったままで死んだ真似しているだ。そしたら30分もしたらみんな降りてきて、「ほいほいほいほい」言いながらね、それで死んでるヤツを後ろ蹴っ飛ばしてみたりね、裏返しにしてみたりして、「これは死んでるな、ダメだ」って。私もね、死んではいねぇんだけども足を蹴飛ばされた。それから急に立ち上がるとぶっ倒れちまうから、ダンとやられるから、病人のようなうめき声を出しながら、「あーん」つうから、「あ、こいつがまだ生きとるぞ」って。それで両方の手をロープでこう巻かれるんですね。それで今度ロープで2メーターぐらい、3メーターぐらい、そこにね、兵隊がくっついて両方だから猛獣扱いだ、「なんでそんなことしてるんだ」つったらね、「ユー ジュードー 柔道やるだろう」つってね。アメリカ人は柔道が嫌いなんだんな、連中。それで、「ノーノー ジュードー ノーノー」「ジュードー ノウ」「ノー、ノー」「そうか」つって、それで外してくれた。それで体を縛ってね、それで手もこうやって縛って。それで私のことをここの所へ手を入れて、で、引っ張っていきます。

で、その晩ハワイの二世というのに初めて会って、その二世が「あんたどこから来た」って言うから、「あれっ、日本語話せる兵隊がいるんだな」と思ってお月様の光でこうやって顔見たら、日本人の顔だ。「どういうわけだ」ちゅうと、「俺?俺はハワイの二世」「ああ、ハワイの二世が軍人さんになってんだ」と「そう大勢いるよ、こうしないと家族がみんな殺される、収容所へ入れられる」「うーんそういうこともあったのか」と。

オルモックで捕まってタクロバンへ1回どこかの停留所のような、留置場のようなところで1晩を過ごして、それで2日目にタクロバンへ着いたんですけども、そのタクロバンへ着いたときに、フィリピンの民衆が20人ぐらい腕組みをしたり何かして、で、そこへ我々ジープが、私とヨコザワと2人着いた。そしたらつかつかっと我々の前へ来てですね、物も言わずげんこつで2つ3つぶん殴られた。そしたらフセさんという人が、やめろっていうふうに。もうそれ1発で何もしなかったですけどね。「ジャパニーズ、パッタイ」って。パッタイっていうのは死ねっていうことらしいですね。ああ、やっぱり自分の国がこうやって戦場になってしまえば、憎らしく思うのは当り前だなと思ったですけどね。

Q:それで終戦、日本の終戦は、阿部さんはどんな形で知ったんですか?

玉音放送は、あるというようなことを聞いたんですけども、それを聞く手立てがないんですよね。どういうふうになってるのかなと思ったら、その収容所に勤めておったいわゆるアメリカの兵隊がですね、それまでは、ここに弾をこめたままいて、必ず銃を持ってんですよね。それで剣も1本ぶら下げてんだけど、その玉音放送を聞いたとたんに、ゴホーゴホー(Go home Go home)って言いながら、我々の収容所から飛び出していってですね、砂浜の海辺のところへ銃をみんな捨てちゃったんです。もう戦争は終わったんだと。我々はうちへ帰る。お前たちも日本へ帰れ。それで手を、アメリカ人同士が手を取り合ってね、ダンスをやってるのか踊りをやってるのかそれは分からんけど、こうやってはしゃいでね、1時間も踊り続けとったですね。

Q:日本が戦争に負けたって知ったとき、どういうふうに思いましたか?

だからこれで帰れると。日本へ帰れるんだと。帰ったら、わたしは自分のお寺の仕事を一生懸命やってね、親を失った子どもがいたらそういうものを。兄弟を失った幼いものがあったら、そういうもののためになんとか働きをして、生きたいもんだなあと思っていたんですけどね。

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