『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

楽してほめられたいというのは、さもしい根性だ。

わたしは人をひきつけないタイプの人間らしい。それはべつにどうでもいいが、しかしまあ、多少意地汚くてもいいから「カラマーゾフの兄弟日本語訳」の無償化に無反応なのは、まっとうとはいえないよ。どういう神経しているのか、さっぱりわからない。版の問題じゃないらしいし。

血まみれの月は、たくさんだ。いのちをダシにしたコミュニケーションなどたくさんだ。

(途中で中断したメモ)最近の創作活動というのは、当事者(たち)がまっとうな思考をしているかどうか? は問わなくていいらしい――「「イベントで3回連続誰も来なかった」描きたいものとやる気さえあれば一人でも続けることは可能/カレー沢薫の創作相談」について

「イベントで3回連続誰も来なかった」描きたいものとやる気さえあれば一人でも続けることは可能/カレー沢薫の創作相談最近、まっとうであるかどうか、ということについて考えている。いや、わたしはずっと前から、まっとうかそうでないかについて考えている…

[映画『月』のかなり重大な批判評論を追記]まっとうな人生は、まっとうでない人生に、かならずまさる。そこに、殺人の必要性はない。

[映画『月』のかなり重大な批判をした評論を追記します] 【FUCK①】生活支援員が観た映画「月」評~前編~|東京ニトロ 【FUCK②③】生活支援員が観た映画「月」評~後編~|東京ニトロ 映画『月』が好評のようである。障がい者運動にかかわっているひとたち…

書く予定の原稿

梶村秀樹先生の著作とドストエフスキー(米川正夫訳)の著作、電子化どちらをどうさきにすすめるべきか、公開投票。大阪万博の正当性を徹底的に否定するための公開投票。 万博自体の正当性が無い理由。100文字以内で。100文字以内というのが重要。 2…

そうか、これまでなんで気がつかなかったのだろう。ツイッターがどこか信用できない気配があるのは、「ツイッターばかりみてちゃダメだ!」ときっぱりいってくれる頑固な人がいないからだ。やはり、「ゆるい人間関係だけ」ではだめだ。まっとうなライバルがいないと。

2025年大阪万博について。たしかに、公害問題などをみれば、高度成長期にすりよった人間は擁護できないのは当然だ。しかし、バブル期やバブル崩壊後の不況に私利私欲をむさぼった人間も当然擁護できない。そして、「金があっても決意の貧しい人間はダメだ」と言わない連中も、決して擁護できない。これは当然の理屈である。

わたしはあまり高度成長期を擁護しないが、じゃあバブル期は同じか、もっとまっとうではないではないか。……(メモ)

吉村洋文・現大阪知事は1975年うまれ(※1)、1998年10月、司法試験に合格し、有名なところでは武富士側の代理人でいわゆる恫喝訴訟も担当した。その後の政治活動はわたしはまだ調査中だが、大阪万博についていえば、三流詐欺師といってもいいのではないか(…

本気を出して裏切られることはたしかにある。ただし、本気を出さないでずっと生きていけるほど、生きるという事は甘くないはずだ。とくに頭を本気で使うことについては。筒井康隆みたいな最後には妥協する甘い考えの人間が生きていけるのは、最後には甘やかしてくれる愛読者という名のとりまきがいるから、というだけだ。

伏見事件の被告Aの憎悪。正直、わたしにくらべて、あの憎悪は、うすっぺらくて、大したものではない。はっきりいえる。これは本当に、たとえばひねくれた自慢などでなく、そう思っている。岡本太郎ごえを決意していることもあるが、……(追記あり)

……被告Aの憎悪の、なにかが足りない。これは麻原彰晃(松本智津夫)や村井秀夫、あとは現代日本のレイシズム運動家のほぼ全員がそうである。 たぶん、現代日本で、憎悪というか負のエネルギーの持ち主として、まともにとりあつかって価値がありそうなレイシ…

梶村秀樹著作集の電子化とドストエフスキー(米正夫訳)著作集の電子化、どっちを優先すべきか、インターネット上で投票で決めてもらおう。投票期限は2023年11月2日から2024年4月23日まで。

大阪万博、というより万博全般のはなしだが、万博の「敵」は海外渡航自由化、ディズニーランド、そしてインターネットである。そして、一番将来を考えていないダメな分野がインターネットである。ほぼ、まちがいない。理由はつきつめていえばひどく簡単、プライドが一番低いから。

インターネット文化、決意なし覇気なし魂なし反逆精神なし。「客分意識」などで楽してしょぼい権力を使うことを学んでしまっている。「えらい学者」一人に、本気で反対したことが何回あるだろうか。「丸山真男をひっぱたきたい」はちがう。あれこそ本気で反対していない、いいっぱなしの悪い例だった。