『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「書写人バートルビー」(P20まで)(ハーマン・メルヴィル 訳柴田元幸)

https://info.ouj.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/eBook/bartleby_h.pdf

書写人バートルビー ウォール街の物語
ハーマン・メルヴィル  訳柴田元幸


 私はもうだいぶ歳の行った男である。過去三十年携わってきた職業ゆえ、なかなかに興味深く、いささか風変わりとも思えるであろう人物の一団にずいぶんと接してきた。私の知る限り、この人物たちについてはいまだ何も書かれていない――すなわち、法律文書を書き写す、書写人たちについて。仕事を通して、また個人的にも、実に大勢を知ってきたから、その気になれば、気の好い紳士方を微笑ませ、感傷癖のある方々を涙させるようなさまざまな話を語ることができる。だがいまは、主は、もろもろの書写人の物語はひとまず措いて、バートルビーの生について若干語ろうと思う。バートルビーは私が出会ったり話に聞いたなかで誰よりも奇妙な書写人であった。ほかの書写人たちについてなら、その全生涯を語りもしようが、ことバートルビーに関してはそれはおよそ無理な相談である。この男の十分にして完全な伝記を著すための素材は存在しないと私は信じる。これは文学にとって取返しのつかぬ損失である。バートルビーは、元々の源まで溯らぬことには何ひとつ確かめようのない人物だったのであり、彼の場合その源はおそろしく貧しかったのである。この目で驚愕とともに見たもの、それがバートルビーについて私が知るすべてである(唯一の例外たる、ある漠とした風聞については、結末で触れるであろうが)。
 私の眼前に初めて現われた日のバートルビーを紹介する前に、私自身、使用人たち、仕事の内容、事務所、全体の環境などに関して若干述べておくのが妥当であろう。これから描こうとしている主人公を正しく理解していただくには、ある程度、そうした描写が不可欠だからである。
 まず第一に、私は若いころからずっと、もっとも容易な生き方こそ最良の生き方だと深く確信してきた人間である。したがって、世間では私の職業に携わる人間はやたらと血の気が多く激しやすく、時に怒りを爆発させたりもする輩として通っているが、私はそんなように心の平安を乱されたことは一度もない。法律家としてはおよそ野心を持たず、陪審に向かって堂々弁舌をふるったりもせず、いかなる形で世間の喝采を浴びたりせずに、涼しい静寂に包まれた心地よいねぐらにこもって、金持ちの所有する債券や抵当証書や権利証書に囲まれて心地よいビジネスに携わっているのである。私を知る者はみな、私のことをこの上なく無難な男とみなしている。故ジョン・ジェイコブ・アスターも、めったに私的な熱狂に駆られる人物ではなかったが、慎重さこそ私の最大の長所だ、第二の長所は几帳面さだ、と迷わず断言してくれた。これは自慢したくて言っているのではない。あくまで私か、故ジョン・ジェイコブ・アスターに仕事を依頼されていたという事実を記しておくためにすぎない。むろん私としても、その名をくり返し口にするのが悦びであることを認めるにやぶさがではない。丸みを帯びた、球状の音をその名は有にあたかも金塊のような響きを備えている。さらに、進んで認めておくが、故ジョン・ジェイコブ・アスターに悪く思われてはいないことも私は十分認識していた。
 このささやかな物語がはじまる時点の少し前、私の仕事は大きく拡張したところであった。ニューヨーク州では今日もはや存在しない、衡平法裁判所主事なる由緒ある職を私は授与されたのである。決して激務ではないにもかかわらず、有難いごとに報酬は相当に豊かであった。私はめったに平静心を失わない。世で為される過ちや非道を前にして、危険な憤慨に浸ったりすることはもっと稀である。だがこの件に限っては、向こう見ずのそしりもあえて甘んじ、こう宣言することを許していただかねばならない。すなわち、新憲法によって衡平法裁判所主事の職が突如かつ強引に廃止されたことは、時期尚早の決定であったと。私としては生涯にわたって利を被るつもりでいたのが、わずか数年恩恵を受けたのみにとどまったのである。だがこれは余談。
 私の事務所はウォール街番地の二階にあった。一方の端は、建物を上から下まで貫いた、大きな採光穴の白い内壁に面していた。この眺めは、どちらかといえば生彩を欠いた、風景画家たちの言う「活気」に乏しいものと思えたかもしれぬ。だがそうだとしても、事務所のもう一方の端に目を移せば、少なくとも対照のようなものは得られた。そちらの方角の窓からは、堂々たる高さの、年月と恒久的な日蔭のせいですっかり黒ずんだ煉瓦壁が、何ものにも遮られず見渡せたのである。そこにひそむ美しさを引き出すには小型望遠鏡も無用であったが、近眼の見物人たちの便を図って、壁はわが事務所の窓ガラスまで三メートル以内のところにまで押し出されていた。周囲の建物がどれも非常に高層であり、私の事務所は二階にあるため、この壁とわが事務所の壁とのあいだの空間は巨大な四角い貯水槽に少なからず似ていた。
 バートルビー到来の直前の時期、私は二人の人物を書写人として、また将来有望な若者を一人使い走りとして雇用していた。第一にターキー、第二にニッパーズ、第三にジンジャー・ナット。どれも人名録などではあまりお目にかからぬ名に思えるかもしれないが、実はいずれも渾名であり、三人の使用人がたがいにつけ合った、それぞれの外見なり人柄なりをよく伝えていると評された名である。ターキーは背の低い、肥満体の、私とほぼ同年輩の、つまり六十に遠くない英国人。午前中のターキーの顔は、血のめく当のよさそうな健康な色合いを帯びていると言ってよかったが、彼にとっての正餐の時たる正午を過ぎると、その顔はクリスマスの石炭を一杯に入れた暖炉のように燃えさかった。そしてそのまま、六時かそこらまでは徐々に翳りを見せつつもなお燃えつづけたが、その後については私ももはやこの顔の所有者を目にしなかったため何とも言えない。太陽とともに子午線に達するこの顔は、太陽とともに沈み、翌日もまた太陽とともに、太陽に劣らぬ規則正しさと華々しさとともに昇り、頂点に達し、ふたたび下降していくように思えた。長い人生において私もいろいろ奇異な偶然の一致を見てきたが、中でもこの、ターキーがその赤く輝く面相からこれ以上はないというほどの光を発するまさにそのとき、彼の仕事能力がその日の終わりに至るまで深刻な混乱を被りはじめる危機的瞬間もまた同時にはじまるという事実は、そのもっとも奇異な部類に属す例ではないかと思う。すっかり怠けてしまうわけではないし、仕事を嫌がるというのでも全然ない。むしろ、あまりに血の気が多すぎることこそが問題なのである。不可解な、火でも点いたような、混沌とした、向こう見ずな無謀さがその行動を彩った。ペンをインク壺に浸す動作も乱暴になった。夕一キ一が書類につけた染みは、すべて正午以降についたものばかりであった。実際、午後に乱暴さが目立ち遺憾ながら染みも多いのみならず、日によってはその上相当に騒々しくなることもあった。かような時は、燭炭《しょくたん》を無煙炭の上に注いだかのように、その顔もいっそう壮大に燃えさかった。椅子を動かして不快な騒音を立てる。インクを乾かす砂入れの砂をこぼす。ペンを直そうとして、気が急くあまりバラバラに折ってしまい、カッとなって床にばらまく。立ち上がって机の上にかがみ込み、書類を叩きまくる。そうした品位を欠く挙動に彼のような年配の人物が走るのを見るのは、ひどく切ないものがあったにもかかわらず、多くの面で彼は私にとって非常に貴重な人物であった。正午以前ほつれに、誰よりも迅速かつ安定した仕事よりであり、容易には真似しがたい見事さで大量の作業をやってのけた。それゆえ私としても、彼の奇癖を大目に見るにやぶさかではなかったが、それでも時おり苦言を呈しました。ただし、口調はあくまで物柔らかというのもこの男、午前中は比類なく礼儀正しい、きわめて慇懃、恭しい態度を決して崩さぬ人物なのに、午後は下手に刺激したりすると、言葉遣いもいささか無分別、否、無礼と言っていいほどに変貌するのである。朝の有能さは私としても大いに尊重するし、それを手放す気は毛頭なかったが、同時に、十二時以降の火の点いたような有様には心穏やかでなかった。平和を愛する人間として、下手に説教して気まずく言い返されるのも嫌なので、ある土曜の午後(土曜はふだんより悪化するのが常であった)、どこまでも親身な口調で、もうそろそろ歳なのだから仕事時間を短くしてはどうかと持ちかけてみた。十二時過ぎは事務所へ来るには及ばぬ、家に帰って夕食までゆっくり休むのが最善ではないか、そう言ってみたのである。ところが相手は、午後も来ると言って聞かない。その面相を耐えがたいほど熱くして、堂々たる演説調で、長い定規で部屋の向こう側を指し示しながら、午前中の手前の仕事がそれほど有用であるのなら午後の仕事も不可欠なのでは?と弁じた。
 「恐れながら、旦那様」とターキーはそのとき言った。「手前、旦那様の腹心を以て任じております。午前中の手前は縦隊を整列させ、配置するにすぎませぬ。しかし午後には、隊の先頭に陣取り、勇猛果敢に敵に襲いかかるのです。このように!」――そして定規を乱暴に突き出すのであった。
「だが染みが、ターキー」と私はおずおずと言った。
「仰有る通りです。しかし恐れながら旦那様、この髪をご覧下さい! 手前ももう歳なのです。暖かい午後の染みの一つや二つくらい、この白髪を思えば、厳しく責め立てるべきものではありますまい。老年とは、たとえページに染みをもたらそうとも、敬意を受けてしかるべきもの。恐れながら旦那様、私たちは二人とももう歳なのです」
 かように仲間意識に訴えられては、こちらとしても強くは出られない。いずれにせよ、ターキーは去る気がないことは明らかであった。彼を留まらせることを私は決意したが、午後にはなるべく重要でない文書を扱わせようと心に銘じもした。
 わがリスト第二の人物たるニッパーズは、頬ひげを生やした、黄ばんだ顔色の、全体としていささか海賊のごとき雰囲気の漂う、歳のころ二十五前後の青年であった。私はつれづれニッパーズのことを、二つの悪しき力の犠牲者と見ていた――野心と、消化不良の。一書写人の責務に甘んじることを潔しとせず、法律文書を一から作成するなど、専門の者にのみ許される職務に不法に携わったりするあたりにその野心は見てとれた。消化不良の方は、時おり気を荒立て突っ慳貧《つっけんどん》な態度になり、歯をむいて苛立ちをあらわにし、書写において犯した過ちをめぐって歯をぎしぎしと、はたからも聞こえるほど軋ませるところに表われているように思えた。興奮気味に仕事に携わるさなか、口にするというよりは歯のあいだから漏らす、必要のない呪詛、なかんずく仕事机の高さをめぐる絶えざる不満にもそれは露呈していた。大変器用で、大工仕事にも長けているというのに、机だけはどうしても満足の行くものにすることができないのだ。脚の下に木切れをはさんでみたり、種々の塊を入れてみたり、ボール紙を押し込んでみたり、挙げ句の果てには畳んだ吸い取り紙を入れて微妙な調整を企てもした。だがいかなる創意も功を奏しなかった。背中を楽にしようと、机の上蓋を顎の方に向けて急角度に持ち上げ、オランダの家屋の険しい屋根を机に使っている男のごとき姿勢で書いてみると、両腕の血の循環が止まってしまうと愚痴る。そこで今度は、机をズボンの上縁の高さまで下げて、その上からかがみ込むようにして書くと、背中が痛んで仕方ない。要するに、実のところニッパーズは、自分が何を欲しているのかわからなかったのである。あるいは、何か欲していることがあるとすれば、それは書写机を綺麗さっぱり取っ払ってしまうことにほかならなかった。その病める野心の示す徴候のひとつとして、みすぼらしい上着を着た、うさん臭い人物たちの訪問を嬉々として受けるという事実があった。それらの訪問者を、ニッパーズは己の顧客と称していた。実際、彼が相当の策略家であるのみならず、治安判事裁判所でも時おり若干のビジネスを行なっており、刑事截判所において少しは名の通った存在であることは私も承知していた。しかしながら、彼を訪れて私の事務所に来る者のうち一人は、ニッパーズ自身は顧客であると言ってはばからなかったものの、実はただの借金取りであり、権利証書と称していた紙も請求書にすぎなかったと私は信ずるものである。けれど欠点は多々あれ、そしていろいろ煩わしい思いを味わわされても、相棒のターキー同様、ニッパーズも私にとって大変有用な人物であった。字は綺麗だし、書くのも速い。その気になれば紳士らしいふるまいも立派にやってのける。これに加えて、服装もつねに紳士然としていたから、わが事務所の信用を高め石上でも一役買っていた。これがターキーとなると、とにかくこっちの名誉を汚されぬようにするだけで一苦労である。着ている服はしばしば油まみれ、安食堂の匂いをぷんぷんさせている。夏になるとひどくだらしないだぶだぶのズボンをはいてくる。上着となるともう最悪で、帽子は触るのもおぞましい代物。まあ帽子は私にはどうでもよい。根っからの英国人としての礼儀正しさゆえ、室内に入ってきたとたんかならず脱ぐのだから。だが上着はそうは行かぬ。上着に関してはこっちも相当に理を説いたのだが、いっこうに効き目はなかった。実のところ、かくも乏しい収入では、輝かしい顔色と輝かしい上着を同時に保つのは至難の技だというのが真相だったのであろう。あるときニッパーズも述べたとおり、ターキーの金はあらかた「赤インク」に注ぎ込まれたのである。ある冬の日、私はターキーに、私自身の、なかなか上等な上着を贈った。詰め物を入れた灰色の上着で、大変に温かく、滕から首までぴっちりボタンで留めることができる。これならターキーも少しは有難がってくれて、午後の無謀ぶり、騒々しさを改めてくれるだろうと私は踏んだ。だがそうは行かなかった。ああいうふかふかの、毛布のような上着を着てぴっちりボタンを留めたことは、彼に有害な影響を及ぼしたと私は本気で信じている。多すぎるオート麦は馬に悪い、というのと同じ理屈である。実際、聞き分けのない落着かぬ馬に対してオート麦が及ぼすといわれる変化と同種の変化を、上着はターキーに及ぼした。それは彼を無礼にした。ターキーは繁栄によって損なわれる人物であった。
 ターキーの悪癖に関しては私も自分なりの説を持っていたが、ニッパーズに関しては、ほかの面でいかなる欠陥があるにせよ、とにかくいちおう節度ある、酒に溺れたりもしない肯年だと確信していた。ところが彼の場合、母なる自然が酒を与えてくれたのか、生まれながらにして、かくも激しやすい、ブランデーのごとき気性を根っから染み込まされていたがゆえ、その後の飲酒はいっさい不要だったのである。わが事務所を静寂が覆うさなか、ニッパーズは時おり苛立たしげに椅子から立ち上がり、机の上にかがみ込んで、両腕を大きく広げ、机全体をがばと掴み、動かし、ぐいと引く。まるで机がつむじ曲がりの、意志を有する存在であって、彼をとことん邪魔し、苛つかせてやろうとしているかのように、ニッパーズは厳《いか》めしい顔でずるずると机を引きずる。そんな姿を想うとき、ニッパーズにとって水で割ったブランデーなどまったくの余計であることを私は痛感するのである。
 消化不良という原因ゆえ、ニッパーズの苛つきと、そこから生じる興奮とが主として午前中に目につき、午後の彼が比較的穏やかだったのは私にとって幸いであった。ターキーの発作は十二時にならないと生じなかったから、私が二人の奇癖に同時に対処する破目になることは一度もなかったのである。二人の激情は、衛兵の交替のごとくたがいに引き継ぎあった。ニッパーズが当番のときは、ターキーは非番。逆もまた真。贅沢を言えばきりがないが、ひとまず悪くない組み合わせであった。
 わがリスト第三の人物ジンジャー・ナットは、十二かそこらの少年であった。父親は生前、荷馬車の御者をしており、息子は御者台の代わりに裁判長席に座らせたいと野心を抱いていた。そこで息子を、法律見習い、使い走り、掃除人として週給一ドルで働かせるべく私の許に送ってよこしたのである。ジンジャー・ナットは自分用の机も与えられていたが、これはあまり使わなかった。見てみると、引き出口にはさまざまな種類のナッツの殼がぎっしり詰まっていた。実際、この頭のよく回る少年にとって、法学という気高い学問全体が一個のバケツの殼の内に収められていたのである。ジンジャー・ナットに課されたなかでもかなり重要な、本人もこの上なく積極的に実行した職務に、ターキーとニッパーズにクッキーと林檎を調達するという任があった。法律文書を書写するというのは、世に知られるとおり無味乾燥にして空虚な作業であるからして、わが二人の書写人も、税関と郵便局の近くにずらりと並ぶ屋台で売っているるスピッツェンバーグ林檎で口を潤すのが常であった。また二人は、しじゅうジンジャー・ナットに命じて、まさにその渾名の出所ともなった、あの奇妙な、小さくて平べったくて丸い、ひどく辛味の効いたクッキーを買いに行かせたものであった。仕事もさしてない寒い朝など、ターキーはこれらのクッキーをウエハースか何かのように何十個と貪り――まあたしかに七、八個でーセントの値ではあるのだが――彼のペンがこすれる音と、口のなかでパリパリと噛む音が混ざりあうのだった。ターキーが午後の激情ゆえに犯した数々のへま、混沌たる無謀ぶりのなかでも特筆すべきは、あるときジンジャーナッツ・クッキーを両唇にはさんで、濡らし、抵当証書に証印としてぺったり貼りつけたことであろう。このときはさすがの私も、危うく彼を解雇するところであった。だが彼は、東洋風に深々と頭を下げ、「恐れながら旦那様、手前が文具を自前で用意して差し上げたことは、我ながら気前のよいことだと申し上げればなりません」と言ってのけたのである。これには私の怒りも霧散せざるをえなかった。
 さて、わが法律事務所の元来の業務は、不動産譲渡取扱、土地財産所有権取扱、その他諸々の晦渋な文書の作成などであったが、すでに述べたように主事職を得たことでその規模も相当に拡大することになった。書写の仕事も一気に増えた。すでに雇用している書写人をせき立てるだけでは足りず、更なる人手が必要となった。募集の広告に応えて、ある朝、一人のじっと動かぬ青年が事務所の入口に立っていた。折しも時は夏、ドアは開いていたのである。いまもその姿が目に浮かぶ――生気なく小綺麗で、痛々しいほどきちんとした、癒しようもなくよるべない人! それがバートルビーであった。
 経験や資格について二言三言訊ねたのち、私は彼を雇うことにした。わが書写人の一団のなかに、かくも並タ外れて落着いた様子の人物を加えることができて、私は気をよくした。ターキーの激しやすい性格、ニッパーズの気の荒さに、良き影響を及ぼしてくれるのではと思ったのである。
 すでに述べておくべきであったが、事務所はすりガラスをはめた折り戸によって二つの空間に分割されており、一方は書写人たちが、一方は私が使っていた。気分に応じて私はこれらのドアを開け放したり閉めたりていた。そしてバートルビーの定位置として、折り戸近くの一角の、ただし私の側に彼を据えることに決めた。こうすれば、何かささいな用事が生じた際、この物静かな男にたやすく声をかけられる。部屋のその部分にしつらえられた小さな横窓にぴったりくっつけて、彼の机を置いた。元来この窓からは、薄汚い裏庭や煉瓦が横並びに見渡せたのであるが、その後さらに建物が建ったせいで、いまでは光こそまだ少し入るものの、もう何も見えなくなっていた。窓ガラスから一メートルと離れていないところに壁があって、光は二つのきわめて高い建物のあいた、ずっと上の方から、さながら丸天井に開けたごく小さな穴から降ってくるかのように注いでいた。さらに便を高めようと、私は緑色の折り畳み式つい立てを用意し、バートルビーの姿はこっちから見えなくする一方、こっちの声は依然彼に届くようにした。このようにして、プライバシーと仕事上のつながりとを両立させたのである。
 はじめのうち、バートルビーは驚くべき量の書写を行なった。書き写すべきものに長いこと飢えていたかのように、私の与える書類を貪り喰らわんばかりの勢いであった。消化のために手を休めたりもしない。日夜休みなく運行を続け、陽光の下で書写し、蝋燭の光を頼りに書写した。これでもっと陽気に仕事に励んでくれていたなら、その熱心さに私としても大満足だったであろう。だが彼は無言のまま、生気なく、機械的に書きつづけた。
 言うまでもなく、書き写した文書の正確さを一語一語点検することは、書写人の仕事の欠かせぬ一環である。一般に、書写人が複数いる場合は、一方が写しを読み上げ一方が原文を手に持ち、協力して点検するのがならわしである。これはひどく退屈で、くたびれる、盛り上がりを欠く仕事である。血の気の多い気性の持ち主にはおよそ耐えがたい作業であることは容易に想像がつく。たとえばあの血気盛んな詩人バイロンが、バートルビーと一緒に座って、ちまちました筆跡で書かれた五百ページに及ぶ法律文書を、嫌がりもせず吟味したとはとうてい思えない。
 時おり、仕事が忙しいときなど、短い文書であれば、ターキーかニッパーズを呼び入れて自分でこの作業を手伝うのが私の習慣であった。つい立てのうしろの便利な位置にバートルビーを据えたのも、ひとつにはこういうちょっとした場合に使えるようにするためであった。たしか彼を雇って三日目だったと思うが、いまだ彼自身の書写を点検する必要が生じる前のこと、ある小さな手元の用事を急いで済ませようと、私はいきなりバートルビーを呼んだ。何しろ急いでいたし、当然相手は言われたとおりにするものと決めていたから、座ったま主、机の上に置いた原文の上にかがみ込んで、つい立ての奥から出てきたバートルビーがただちにそれを受けとって作業をはじめられるようにと、写しを持った右手をせかせかと横に突き出した。
 まさにそういう姿勢で、私は彼に声をかけ、早口で要求を伝えた――短い文書を私と一緒に点検せよ、と。私の驚きを、否、驚愕を想像してほしい。何とバートルビーは、つい立ての奥から動きもせず、不思議と穏やかな、きっぱりした口調で「そうしない方が好ましいのですが」と答えたのである。
 私は、しばし言葉を失ったまま、唖然として停止している頭を叱咤していた。すぐに浮かんだのは、こっちが聞き間違えたのだ、でなければバートルビーが私の意向を勘違いしたのだという思いであった。そこで、この上なくはっきりした言い方で私は要求をくり返した。だが等しくはっきりした言い方で、さっきの「そうしない方が好ましいのですが」という答えが返ってきた。
「そうない方が好ましい」と私は鸚鵡返しに言いながらカッとなって立ち上がり、大股で部屋の向こう側に歩いていった。「どういう意味だ? 気でも狂ったのか? さあ、この書類を点検するのを手伝うんだ。受けとりたまえ」私は紙を彼の方に突き出した。
「そうしない方が好ましいのです」と彼は言った。
 私はじっと彼を見た。ほっそり痩せた顔、灰色の瞳は曇った落着きをたとえている。気が高ぶっている様子はみじんもない。あれでほんの少しでも、不安、怒り、苛立ち、不遜などがその物腰から感じられたなら、要するに少しでも人並に人間らしさが漂っていたなら、私は間違いなく彼を叩き出していたことだろう。だが実際には、そうしようという気は、事務所に飾ったキケロの青白い焼き石膏の像を追い出す気にならぬのと同様、まるで起こらなかったのである。私はしばし立ったまま、己の仕事を黙々と続けているバートルビーに見入っていたが、やがて自分の机に戻った。何たる奇妙なことか。どうしたらいいのか? だが仕事は急を要する。ひとまずこの問題は忘れて、あとでまたゆっくり考えることにした。隣の部屋からニッパーズを呼んで、大急ぎで書類を点検した。
 この数日後、バートルビーは四通の長い文書を完成させた。私が衡平法裁判所の主事職を得る以前に行なわれた、一週間にわたる証言の同一の写し四通である。これを点検する必要が生じた。重要な訴訟であり、厳密に正確を期さればならない。準備を一通り済ませてから、ターキー、ニッパーズ、ジンジャー・ナットを隣の部屋から呼び入れた。四人の使用人に一通ずつ写しを持たせ、私が原文を読み上げるという心積もりだったのである。かくしてターキー、ニッパーズ、ジンジャー・ナッツがそれぞれ文書を手に一列に並んで席についたところで、このいささか奇妙な一団に加わらせようとバートルビーを呼んだ。
バートルビー! 早くしたまえ、待っているんだぞ」
 椅子の脚がゆっくりと、床を擦るともなく擦る音が聞こえ、じきにバートルビーが、自らの庵の入口に現われた。
「何可のご用で?」と彼は穏やかに言った。
「写しだ、写しと私はせっかちに言った。「みんなで点検するんだ。さあ」――私は四つ目の写しを彼の方に差し出した。
「そうない方が好ましいのです」と彼は言って、つい立ての奥へと静かに消えた。
 しばらくのあいた私は塩の柱と化し、並んで座った使用人たちの先頭に立っていた。我に返ると、つい立ての方に進んでいって、かくも尋常ならざる行動の説明を求めた。
「なぜ拒むのだ?」
「そうしない方が好ましいのです」 ほかの誰が相手だったとしても、私はたちまち恐ろしい激情に駆られ、それ以上言葉などに頼らず、そいつの首ねっこをつかまえて叩き出したことだろう。だがバートルビーにはどこか、不思議と私の怒りを解いてしまうばかりか、何とも妙なことに、私の心を打ち、私をうろたえさせるところがあった。私は彼に向かって理を説きはしめた。
「いまこうしてみんなで点検しようとしているのは、君自身が作った写しなのだよ。こうすれば君の手間も省ける。一回やれば四通全部点検できるのだからね。まったく普通の習慣だ。書写人はみな、自分の写しを点検するのを手伝わればならぬ。そうだろう? 君、何とか言わんのかね? 答えたまえ」
「そうしない方が好ましいのです」と彼はフルートのような声音で答えた。私が話しているあいだ、彼は私が口にする一言一言をじっくり吟味しているように見えた。意味もきちんと理解している。反駁しようのない結論を、否定することはできぬはずだ。が、それと同時に、何か別の、何ものにも優る理由があって、その理由ゆえ彼はそう答えたのである。
「では、私の要求に従わぬ気なのだな――習慣と常識にのっとって為された要求に?
 私の理解が正しいことを、彼は簡潔に伝えた。その通り、彼の決断は覆しようのないものであった。
 前代未聞の、およそ理に叶わぬやり方で威嚇されたとき、人はしばしば、己のもっとも明白なる信念すらも揺らいでしまう。言ってみれば、信じがたいことではあれ、正義も道理もすべて向こう側にあるのではという気が何とはなしにしてくるのだ。そこで、誰か第三者が居合わせたなら、ひるむ自分の気持ちを支えてもらおうと、そうした人物の助けを人は仰ぐのである。 
「ターキー」と私は言った。「君はどう思うかね? 私の言っていることは間違っているだろうか?」
「恐れながら、旦那様」とターキーは、彼の最高に物柔らかな口調で言った。「間違ってはいらっしゃらないと思います」 「ニッパーズ」と私は言った。「君はどう思う?」
「こいつを蹴飛ばして追い出してやるのがいいと思いますね」
 (賢明なる読者はここで、いまが午前中であるためターキーの返答は礼儀正しく落着いた口調に包まれ、ニッパーズは喧嘩腰で答えていることを看取なさるであろう。あるいは、すでに用いた表現をくり返すなら、ニッパーズの不機嫌は当番、ターキーのは非番だったのである」
「ジンジャー・ナット」私は、もっとも小さな賛意すらも動員しようとして言った。「君はどう思うね?」
「あいつ、キじるしだと思いますね」とジンジャー・ナットはニヤッと笑って言った。
「君も聞いただろう、みんなが言ったことを?」と私は、つい立ての方に向き直りながら言った。「さあ、出てきて務めを果たしたまえ」
 しかし彼は何の答えも返してこなかった。私はしばし、ひどく困惑して考え込んだ。だがここでもまた、仕事は急を要した。私はふたたび、この難題についてはいずれまたゆっくり考えることにした。若干手間はかかったが、我々はバートルビー抜きで点検を行なった。もっとも、ターキーは一ページか二ページごとにこのようなやり方は常識外れではなかろうかという意見を恭しく漏らしたし、ニッパーズは消化不良の苛々ゆえに椅子の上でもぞもぞ体を動かし時おり食いしばった歯のすきまからつい立ての陰の強情な阿呆への呪詛を吐き出して、他人の仕事をただでやるなんて絶対これが最初で最後だと息まいた。
 一方バートルビーは、己の庵に留まり、己の仕事以外はいっさい知らぬ顔であった。
 何日かが過ぎた。その間バートルビーは何か別の長い仕事に携わっていた。先日あんな奇行に走ったものだから、彼の行動を私もじっくり観察していた。彼がまったく食事に出ないことを私は見てとった。そもそも、全然どこにも出かけないのだ。私の知る限り、これまでのところ一度として事務所の外に出ていなかった。さながら、部屋の隅に陣取った終日勤務の歩哨である。ただし、午前十一時ごろ、ジンジャー・ナッツがバートルビーのつい立てのすきまの方へ、私の位置からは見えないしぐさによってこっそり呼ばれたかのように寄っていくのが目にとまった。そしてジンジャー・ナットは一セント銅貨をじゃらじゃら言わせながら事務所から出ていき、ジンジャーナッツ・クッキーを一握り抱えて帰ってきて、庵に配達し、駄賃としてクッキーを二つ受け取った。つまりこの男は、ジンジャーナッツを糧に生きているのだ。まともな食事はいっさい摂らない。では菜食主義者にちがいない――いやそれも違う、野菜すらいっさい摂らない、ジンジャーナッツしか食べないのだから。やがて私の心は、ひたすらジンジャーナッツのみで生きることが人間の体質に及ぼしうる影響をめぐるとりとめのない夢想に入り込んでいった。ジンジャーナナッツがそう呼ばれるのは、生姜がその一構成要素でありその味を決定している要素であるからにほかならない。さて、生姜とは何か? ピリッと辛い食物である。バートルビーはピリッと辛いか? 全然そうではない。ということは、生姜はバートルビーに対し何ら影響を及ぼしていない。おそらく本人としても、影響がない方が好ましいであろう。
 消極的抵抗ほど真面目な人間にとって腹立たしいものはない。もしそのように抵抗を受けた人間が不人情な性格ではなく、抵抗する側がその消極性においてあくまで無害であるなら、受ける側か特に不機賺でもない限り、自分の判断によって解釈しえぬものは、寛容の精神をもって、己の想像力に従って解釈しようと努めるであろう。私もまさに、そのようにしてバートルビーのやり方を眺めてみた。気の毒に! と私は考えた。べつに悪意はない男なのだ。非礼を意図していないことは明らかだ。あの容貌を見れば、ああした奇癖が本人の意志によらぬものであることははっきりわかる。彼は私にとって有用な人物である。彼と一緒にやって行くことに私としても異存はない。もし締め出してしまったら、きっと私ほど寛容でない雇用主に出会って、乱暴な扱いを受け、追い出されて食うにも事欠いてしまうかもしれぬ。そうなのだ。これは私にとって、甘美な自己礼賛を安価に手に入れる好機である。バートルビーの味方となって、あの奇妙な強情を許してやることで、ほとんど何の費用もかけずに、己の魂のなかに、やがてわが良心にとって快い馳走となるにちがいないものを蓄えることができるのだ。だがそんな私も、つねにそうした気分を保てたわけではなかった。バートルビーの消極性は時として私を苛立たせた。そんなときは、新たな対立関係を作り出して彼と対崎すべきではないか、私自身の怒りに見合った怒りの火花を彼から引き出すべきではないのか、なぜかそんな気持ちに駆り立てられた。とはいえそんなことをしても、こよしをウィンザー石鹸にぶつけて火を起こそうとするようなものであったろう。だがある日の午後、私は悪しき衝動の虜となって、以下のごときささやかな悶着を起こしたのだった。
バートルビー、その書類を写し終わったら、私が一緒に点検することにしよう」
「そうしない方が好ましいのですが」
「どうしてだ? 君まさか、そんな強情な気まぐれをいつまでも続けるつもりじゃあるまいな?」 返答なし。
 私はそばにある折り戸をがぱっと開け、ターキーとニッパーズの方を向いて口走った――
「また言ってるんだ、自分の書類を点検する気がないと。どう思うかね、ターキー?」
 念を押しておくが、これは午後のことであった。ターキーは真鍮製のボイラーのようにあかあかと熱を発し、禿げた頭から湯気を立て、両手は染みのついともろもろの書類のただなかで揺れていた。
「どう思うかですと?」とターキーは吠えた。
「つい立ての向こうへ行って、両目とも青タンを作ってやろうと思いますね!」
 そう言いながらターキーは立ち上がり、両腕をさっとボクサーのような姿勢に持っていった。発言を実行に移そうと飛んでいきかけたので、昼食後にターキーの闘争心を呼びさましてしまったことに動転しつつ、私は何とか押しとどめた。
「座りたまえ、ターキー」と私は言った。「まずはニッパーズの意見を聞こうじゃないか。どう思うかね、ニッパーズ? バートルビーをただちに解雇することは妥当ではないだろうか?」
 「失礼ながら、それは先生がお決めになることです。たしかに彼のふるまいはきわめて異様であり、ターキーと私に関して言えば不当ですらあると思います。ですがそれも一時の気まぐれかもしれません」
「ふうむ」と私は叫んだ。「では君、奇妙にも気が変わったのだな。ずいぶん親切になったじゃないか」
「ビールのせいですよ」とターキーがわめいた。「親切なのはビールのおかげです。今日ニッパーズと一緒に昼食を取ったんです。私がどんなに親切かもご覧の通り。では、青タン作ってきましょうか?」
「つまりバートルビーのことだれ。いやターキー、今日はやめておこう」と私は答えた。「さあ、そのげんこつを引っ込めてくれたまえ」
 私はドアを閉めて、ふたたびバートルビーの方に近づいていった。いまや私は、更なるそそのかしを胸に感じていた。もう一度反抗を受けたくてうずうずしていた。バートルビーが絶対に事務所から出ないことを私は思い出した。
バートルビー」と私は言った。「ジンジャー・ナットは出かけている。ちょっと郵便局に行って(局まではほんの三分である)、私宛てに何か届いていないか見てさてくれないか?」
「そうしない方が好ましいです」
「する気がないのか?」
「しない方が好ましいのです」
私はよろよろと机に戻り、すっかり考え込んでしまった。闇雲な執念深さが戻ってきた。これ以上はかに、この痩せた文なしの人物に――私が雇ってやった男に――屈辱的にはねつけられるための手立てはあるだろうか? ほかにも何か、完璧に道理に叶った、しかし彼がきっと拒むであろう要求はあるだろうか?
バートルビー!」
 答えなし。
バートルビー」さっきより大声。
 答えなし。
バートルビー」と私はどなった。
 幽霊そのもののごとく、呼び出しの呪文の掟どおり三度目に呼ばれたところで彼は庵の入口に現われた。
「隣の部屋へ行って、ニッパーズにここへ来るよう言ってくれ」
「そうしない方が好ましいのです」と彼は恭しく、ゆっくりと言って、穏やかに姿を消した。
「結構、バートルビー」と私は、静かに、落着きと厳格さを兼ね備えた、何か恐ろしい報復がいまにも取り返しようなく実行されんとしていることをほのめかす冷静沈着な口調で言った。事実その瞬間には、私もなかば本気でそんな気になっていたのである。だがまあここは、食事の時間も近づいていることだし、当惑と心労を抱え込んではいるか、ひとまず帽子をかぶって家に帰るのがよかろうと決めた。
 認めざるをえまい、こうしたやり取りの結果を。程なくして、これがわが事務所の動かざる事実となったのである――バートルビーという名の青白い若き書写人が事務所に机を与えられ、相場どおり一フォリオ(百語)四セントで文書の書写

[P20]