『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや16

[証言記録 兵士たちの戦争]
フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~ 放送日 2008年2月28日

2008年6月


1922年
京都市に生まれる
1942年
現役兵として歩兵第20連隊に入隊
 
フィリピン・ネグロス島などを経てレイテ島へ
1944年
10月 米軍レイテ島上陸
1945年
捕虜収容所で終戦を迎える



[1]
チャプター1
フィリピン・ネグロス島
再生中
08:36
レイテ行く前でもフィリピン行ってびっくりしたことはね、ニワトリが空飛ぶこと。ニワトリがね、空を100メーターぐらい飛ぶのね。それからね、「ホタルの木」っちゅうのがあってね、暗闇に木が余計ある所、ひとつの木だけにホタルが、ガーーーーッてまとまってね、こんな楕(だ)円形にね、光ってる、そんな木がある、その2つと。バナナの種類が多いと。もう炊いたり煮たりせんと食べられんバナナとかね、熟しても皮が真っ青なバナナとかね、それだけが、ものすごうフィリピン行ったときの印象に残っています。ニワトリが空飛ぶとかね。今の話、ホタルが1つの木に止まるとか、そういうことが印象に残ってんだ。で、まずフィリピンに行ったときにね、マニラに着いたでしょ。海の色のきれいなのにはびっくりしました、これはものすごい印象に残っとる。マニラ湾へ船で入ったわな、日本から。ほしたら、海の色がすごい、なんとも言えん明るいね、色。これは日本で見られん色です、それが印象に残っています。それだけ、マニラに行って。そのときはもう、それからあと貨車に乗ってね、客車じゃないんですよ、荷物載せるあれに乗せられてリソナっちゅう所に着いて、そこで訓練された。だから、景色見てるとかそんな暇は一つもありません。ただ、マニラに着いたときは自然に海が見えるわな。それできれいやと思うただけ、それだけ、印象に残ってんのは。

Q:そのヤシの木のホタルの話って。

え?

Q:あのヤシの木のホタルって、レイテ島でも見られたんですか。

ヤシの木か?

Q:ホタルがいっぱいいる。

ううん、レイテ島ではそんなん見てる間がなかった。ネグロス島におったときにそういう、最初ネグロス島に行ったからね、そのホタルがバーーーーッと。ほいで、なんであんなたくさん木があるのにね、その木だけにホタルがおるのかと不思議だった。それからもう一つ、ニワトリがね、向こうはニッパハウスやからね、こういう。そのニッパの屋根の棟に皆泊まって寝とるわけや。だから、俺ら「食糧を現地調達せい」っちゅうやろ。だから、兵隊がずーっと並んでそこへハシゴかけて登って、端から一匹ずつこう取るわけや。隣のニワトリ寝とる。ほして手渡しして、そして食糧調達したわけや、そんなん覚えてるよ。それと、景色見るとかね、そんな余裕は一つもない。

向こうはね、ゲリラが多かったでね、良民証っちゅうのをね、“Good Civilian(善良な民間人)”というかね、ここへ貼るんやな、それを発行するわけや。そしてその日本の軍隊はね、例えば、今見せた、ネグロス島におったときでもね、一個小隊やったら大体二、三百人おりますね。それが10名ずつぐらいなね、距離2、3キロの所に分屯するんですね。それを名称を電話を通じてね、東海道線、「横浜」「静岡」「浜松」とお互いに、「浜松、異常ありません」「静岡、異常ありません」と定期的に連絡しとるわけや。一個小隊がもうずーっと距離で言うたら相当な距離を小隊持っているわけや。そこにいるのは、日本の兵隊は7、8名か多うて10名。あとは“Contemporary”(臨時雇いの補助兵)いうてね、フィリピンの兵隊が一緒におるわけや。そこへ良民証を発行してもらわんならん。ここ付けとると便利やから、ニワトリを持ってきてね、あるいはバナナ持ってきてね、「よろしくお願いします」と、ほんなんあんた、モノもろうたらやね、いちいち調べへんわな。ゲリラがそうして持ってきてても、良民証を発行してるわけだ。でその、アメリカが来る前にね、ものすごう状況が悪うなったことがあんのやね。これはネグロスにおったときやけどね。良民証を持ってくるその警備隊やね、10名の警備隊、良民証を発行するためにニワトリ持ってきて、中へ入って「ボーン」て撃つちゅうわけや、ゲリラが。そんな最悪状態があった、最後は。

ネグロス島におったときに、バコロド(ネグロス島北部)におったけどね。フィリピン人が、「ゲリラが今日潜入します」というね、通知くるわけや、金もらおうと思うて。ほたら、朝もう明け方からその一望をグーッと日本軍が取り囲むわけやな。で、そこへ来とるフィリピン人全部座らして首実検(当人であるかの確認)をや。フィリピン人に言わすわけや、「これゲリラどれや」と。ならまぁ言うわな。それを掴んできてどうするかっていうとね、ドゥマゲテ(ネグロス島オリエンタル州)っちゅうときにおったときにね、そのおった兵舎の地下があってね、そこへ放り込んであるわけよ。毛布も何にもなし。まぁ暑いさかいね、毛布要らへんけどね、そのまま放り込んだんだ。で、その食糧をどうするかというと、俺らが食べ残しな。俺らが食べ残すっても、どんなの食べるいうたら、朝、お粥にトウモロコシが半分入ってんねん、それが一杯や。まずいからほかすわな。ほかしたやつはバケツに入れてあるわけ、それをやるとフィリピンのそのゲリラの人は手で食べてる、そんなんやで。ほしてある時期に、俺が歩哨に立っとったときに、「初年兵集まれ」って、「これから銃剣術の練習する」、銃剣術のこうして「ヤーヤー」と違うの。そのゲリラをヤシの木にくくって実際に突かすんで、鉄砲に付けて剣を、「突け」っちゅう。ただし「エーイ言うたらあかん」、なんでか言うたら近所に民家があるから「黙って突け」と、生きた人間やで。な。俺が話し聞いてるとね、30ぺんぐらい突いても声出しとったって。いっぺんぐらい突っついて死なへんし、そんなことして。で、俺が立ち会うたんは、その地下におる捕虜をね、「お前らはよその島へ連れていって逃がしたるから」言うて、出たヤツをこう船に乗せてね、それこそ、ここから向こうの端ぐらいのあのな、折戸の屋根ぐらいの船に乗っけてね、トントントントンと行ってね、沖の方へ行くとね、気配で分かってくるね、フィリピン人も。「なんとなくおかしいぞ」と言うて、海に皆飛び込みよったら、それ「ダダダダタダダダ」と、これが日本の軍隊です。 

ゲリラをね、白状さすのにね、手と足を、手を後ろにくくってね、足もくくってね、足から天井へぶら下げてね、逆さになるわな。ドラム缶で水を入れてそこへズボーンとつけるわけや、ほってある時間、例えば何秒かしたら、ぱっと上げて、白状せいちゅうわけや。黙っとったらね、立たしてボーンと突くやろ、足はくくられている手はくくられている、ポーン、こんなことやったわけよね、日本軍は。そらね、敵にそんなんすなあたりまえや。俺らでもね、どういうことされたかね、「対抗ビンタ」ちゅうこと知ってる?知らんやろ、な。上官が俺らをどつきよる(殴る)わけや。しょっちゅうどつかれた、俺は。その伏見に入ってたときいうのは、1日にね、もう30回、40回どつかれた。ほすとね、どついたら手が痛うなるやろ、上の人も。だから2列に並ばして、「お互いにド突き合いせい」っちゅうやつ、対抗ビンタ。こんなのさしてんのよ、日本の軍隊は。まだ日本に、京都におるときですよ。ほなね、何もせんやつどつけへんよ。腹立ったらどつけど。ほしたら、「そんなどつき方あかん」って「見本示したる」ってガーーンとどつきよるから、そういうふうにどつかんとあかん、その対抗ビンタ。そんなん、日本の自分の兵隊にやね、部下にもそんなことすんのやからね、敵やったら余計するわな、これが日本の軍隊です。

出来事の背景


[2]
チャプター2
水牛をひいて造った飛行場
06:42
Q:フィリピンの家からそのニワトリを取ってきたっていうのは、それはレイテ島でもそういうことがあったんですか。

レイテ島では私は大隊本部におったから、もうすぐに大隊本部、暗号教育から大隊本部に行ったからね、そういうことは何もない。やっぱしあの、そういうフィリピンのようけい雇うてるからね、それなんかが糧まつ持ってきたわな、どうしてしてたか知らんけども。ただ、ネグロス島(フィリピン中部ビサヤ諸島)におったりしたときはそういうことをやったけども、レイテ島へ行ったら大隊本部へ転属を命ぜられて、大隊本部におったからそういうことは何もない、ただ机の上でいろいろとね、その、絵書いたり、戦車の絵を書いたりしてただけで。だからそういうその陣地構築とかね、そういうことはいっぺんもしてないからね、その点は運はよかったです、しんどい目、しいへんから。ただね、その、アメリカが来るからってね、一つの軍隊がね、分散してね、ヤシの木の間へ、あるいはヤシとかアパカとかバナナなんのやね、そこへニッパハウス(ニッパ椰子(やし)の葉で屋根をふいた家)建てて、5、6名ずつですね、分散してね、まぁ言うたら、分散して1発(で)やられんから、そういうのは覚えてるけどね。それをやった途端に大隊本部へ転属命令で、あとはどうなったか知らん。だからその点、運がよかったです、ええとこにずっとおったけ。

Q:そのニッパハウスに分散してたって、それは日本兵はどうなったんですか。

え?日本の兵隊が分散して入ってるや、そこへ。それ後どうなったか知らん、僕は大隊本部へ行ってしもたから。恐らく砲撃でやられてから。恐らく全部やられてる。 日本はね、日本の戦争方針はね、一発必中っちゅうわけや。一発でそこへボーンと当てちゃう。向こうは絨毯(じゅうたん)砲撃、絨毯爆撃、ドリブレイト。兵隊がおろうがおろうが、敵がおろうがおるまいが、海岸から順番に「ダダダダダダダダダ」っと爆撃していくわけや。海岸からその陣地がありそうな所まで1000メーターあっても、その間を全部爆撃・砲撃するわけ。だから、その間のヤシの木やら全部なくなって広っぱになってるわけ。で、日本の軍隊が一生懸命、「戦車壕(ごう)」言うてね、壕を掘るわけや。幅7、8メーター深さが5メーターぐらい。なんでか言うとね、戦車が来たら、そこへゾボーンと落ちたら動けへんわけや。戦車、頭が落ちたのがその壕。そんなんが全部その砲撃・爆撃で全部、平地。で、日本はね、モノがないから、ヤシの木一本倒すやろ、引っ張るのに水牛で引っ張らしたわけや。そんなして陣地作ったんが、(米軍は)「あっ」ちゅう間に広っぱになって、そんだけモノがある、向こうは、アメリカ軍は。そうなった。で、俺はその水際におったやろ。だからその大隊長と一緒にずーっと巡察してて、もうすでに海岸に船が着いてわな。向こうの兵隊が赤いシャツ来てウロウロしとるのに、日本軍は砲撃もでけへん。そこ砲撃したら、そこ一発で全部やられる。ただ、アメリカがなんぼ、いつ来るか待ってるだけの話。

レイテ島って飛行場があったじゃないですか。

Q:あった。

ドラグ(レイテ島東岸)に飛行場があった、俺らが造った。ドラグっちゅう町、俺らドラグにおってそこに飛行場を造った。だけど、日本の飛行機は一機も来ません。ただ飛行場ちゅうてもね、この関西空港やらあんなん考えたらあかんで。ダーっと平地にしてそこに飛行機が着くようにするだけの話で、そういう灌木(かんぼく)とかいろいろあったら、それを平地にして切ってね、広っぱにするだけの話。だから滑走路もへったくれも関係あらへんのや。だから、それを通称「飛行場」言うてただけの話、そんなん。だけど日本の飛行機は一機も来ません、一生懸命作っても。来るまでに皆落とされてるわけや。もうドラグ、俺らのおったドラグっちゅう町のすぐそばに飛行場造ったです。俺はやってへんで。俺は大隊本部へ行ってるからやってへんけど、兵隊が一生懸命やった。

Q:どうやって作ったんですか?飛行場。

そらあんた、もうあんたスコップとかあれで、もう手作りや。機械一つもあらへんのやから。だから今言うたように、ヤシの木があったら、それを一生懸命切るわな。切ってその根っこを引っ張るのにやね、起こすのに水牛でね、綱つけて水牛の尻たたいてそれでグァァーーーンと。だからその水牛もフィリピンからタダで調達してるから、非常に人気が悪いわな、そんな状態やった。すべて現地補給や。道具も何も無うて陣地作れっちゅうわけや。スコップぐらいあるで、それで作りよったから、俺は何もしてへん。だけど、ただ飛行場でもしよる、それを通称、飛行場。そんなん。

Q:その飛行場建設には現地の人も結構参加したんですか?

知らん、俺はやってへんから知らん。俺はそのときはもうすでに大隊本部に転属しとったから、どういう格好で飛行場作ったか知らん。ただ、水牛でヤシの木引っ張っとったんは見てた。水牛一頭か二頭でね、ヤシの木切って引っ張ると、根っこがゴボーンと出るわけやな。根っこ取らなあかんでな。そんなんそんなん、日本の軍隊いうのは。ただね、レイテ島ドラグの町には交通壕の壕がね、クモの巣のように作ってあった。普通、壕ってはこう作るやろ。違うんだ。それがグルーッ、つまりこっちから敵が来たらこっちへ行けとかな。そう、クモの巣。そいで乃木陣地とかな、楠木陣地とかな、そういう名前がつけておった。乃木大将な、楠木正成な、そんな名前がつけてあった。それは交通壕ちゅうてね、壕がもう縦横無尽に作ってあった。これは全部手作りでやったんや。俺は幸い、それぐらいの話や。中隊から大隊本部へ転属行ってからそんな陣地構築は一切関係してへんから、その詳細はどうして作ったか知りません。

出来事の背景


[3]
チャプター3
現地調達
01:46
フィリピンのレイテの軍隊は全て、現地補給せよという命令があっただけでね。いちいち、いちいち、食料をどうせい、こうせい、っていう命令はないです。ただ兵隊が勝手に、水牛を捕ってきたり、安い軍票を払ってね、物を取ってきたりするだけの話であって。私はそういう食糧の調達には行った事ございませんから、具体的には知りませんけども、現実に水牛を一頭とってきてね、大事な水牛をとってきて、殺して食べた。水牛の肉は食べた事あります。それをどうしてとってきたかは知りません。だけど、おそらく黙ってとってきたと思います。

そんな事、当時はね、そんな事どうとかね、こうとか、自分の命がかかっている事ですからね、アメリカ軍がここへ上陸するのは分かっているんやからね、そんなこれをどう思うとか、こう思うとか、こういう感じは全然ないです。ただ、「現地調達せよ」という事は、後方から何にも支援の物資は届かない。例えば、来ても全部撃沈されますからね。30隻来た船がレイテに着くのは、フィリピンに着くのは2隻ぐらいですからね。そんな状態だったですからね。だから、それはもう、そんなときにどう思ったかとかね、その命令をどうしたとか、そんな批判する余裕は何にもないです。ただ、黙って、「はい」「はい」「はい」言う。下っ端の兵隊ですからね。

出来事の背景


[4]
チャプター4
米軍上陸前のビラ
02:05
上陸してくる、アメリカが来るときには、前にはちょうどやっぱり連絡があってね、アメリカの飛行機が来てね、ビラ巻くわけや。ビラにね、どう書いてあるったら、英語で書いてんのよ、俺、多少英語よかったんだ、“The independence of Filipino will be realized within three months”「3か月後にはフィリピンには独立するよ」と。”I shall return Douglas MacArthur” と。「アイ・シャル・リターン(私は戻ってくる)」そのビラが、パラパラパラパラパラーっと。そんなビラを見ても日本軍、飛行機が来たら何もできへんわな。日本の飛行機何もないんだで。高射砲も何もない、レイテ島は。アメリカの飛行機がそのままや、そんな状態ですよ。ビラまけ、「アイ・シャル・リターン」。

Q:そのビラ見たとき、どう思いましたか?

うん、もう何とも思わへん。もう負けると思ってたもん、俺。モノなんかないんやから、そうでしょ。鉄砲だってあれ現地補給やろ。ゲリラ討伐するやろ、その弾の補給は日本から来いひんや。糧まつはね、今言うたように、水牛取ったりバナナ取ったりヤシの木とったりするわな。ヤシの実食べたりするわな、ええわな、それで。あの、ナス、ナスビの木がね、向こうは大きいなんのや。あんたの背より高こうなんねん、こんな長いナスビが。そんなんとか、パパイヤをな。パパイアの熟してへんやつを取ってね、まだ青いやつをスーッといっぺん塩もみして、キュウリみたいにして食べとったわ、だからええわな。鉄砲の弾とかね、大砲の弾は日本から来いひんから撃ったら撃っただけなくなるのや。どうにもならへん。補給できへん。こんな戦争やった。

出来事の背景


[5]
チャプター5
艦砲射撃
05:07
19日の日にね、「敵が上陸する」いうて陣地着いたわけや。そのときにね、「一装用」ちゅうてね、いちばんええ服着てね、陣地着いたわけや。ザーーーっとスコールがあってズブ濡れになった。そしたら、「その艦隊は台湾沖でやられたアメリカの幽霊艦隊や」ちゅうんでね、引き上げたわけや、19日。ほったら20日の朝また来たから、また、今度はそのズブ濡れの服着られんやろ、演習のボロボロの服で出て行ったんや。それでね、俺の話にもなんのやけどね、その19日の陣地に着いたとこにおってそのままやってたら、俺死んでるかも分からんわな。

ほんまに、弾が横向けに飛んでくるし。あんたら弾が横向けに飛んでくる知らんやろ、夕立が横に降ってるみたいなんや。曳(えい)光弾言うてね、5発のうち1発撃っとんよ、色の出る弾があるんやな、「シャシャシャシャー」って来るとね、もう雨が横に降ってる、弾が横に来るのが見えるわけよ。目で見えるねん、弾が飛んでくるのが、「シュシュシュ、シュシュシュ」って、朱色のやつがこうなるやろ、首上げられへん。飛んでくるのが見えてるから。ほしたら、前の灌木がパラパラパラパラパラー。で、砲撃がパッと終わったらそのたこつぼから、1人入っておる壕があるねん、たこつぼっちゅう、そこから首上げて、「みんないるかなぁ」見てるわけや、そんな戦争ですわ。で、言うてたようにね、爆弾ではね、砲撃で「バーン」と来るわけやな。爆弾落としてもね、下まで来るのと違うの、そこで上でもう20メーターか50メーター上でバーン爆発しよるけ。ほしたら、そこから小っさい弾がパラパラパラパラって雨あられと落ってくるわけや。だから壕に入っとろうが上から直撃されるわけや。そんな戦争ですよ。それに向かって弾1発も撃てへん。弾撃ったらそこに兵隊がおるっちゅうことは、向こうは兵隊がおろうとおらまいと撃ってくるわけだ。まして撃ったら、そこにおるっちゅうのが分かる、向こうは探知機すごかったですからね。1発でやられるから、もうほとんど撃てん。そら、気が狂うた兵隊がおってね、もうフラフラフラーっと前へ出て行ってね、やられたりするんですよ。もうきちがいになった兵隊よけいおりますよ。グラマンが来るでしょ、ガーッと。急降下爆撃、まだアメリカ軍が上陸する前ですよ、急降下爆撃ちゅうたら、まぁ映画だと皆さん、1機ずつこう来るわな。違うんや。編隊のままで、グワーーーっとこういう格好な、トンビが飛んでるみたいなやつ、グワーッと降りて、「ズバババババババーン」って行くわけや、急降下爆撃。だからそのね、兵隊の中ではね、飛行機の音聞くだけで、「グラマンやーー」ってこないなったヤツがおる、きちがいみたいに。なんでかって言うと、周囲のヤツが皆やられてるから、そんな気が狂うた兵隊もおるよ。飛行機の音聞いただけで、「グラマンやー」とこうきたやつおったよ。まだアメリカ軍が上陸する前ですよ。そんな戦争です。ほんと、あんなもん戦争やあらへんわ。

ただみんな、じいっとこうしているだけですよ。砲撃が終わったら、ボコッと首出すだけの話です。これだけの事ですよ。それの繰り返し。

Q:その、砲撃が終わってみて、顔を上げてみたら、どんな凄惨な状況になっていたんですか。

もう、あんた、どんな凄惨な状況ってね、そんな余裕無いんですよ。隣の壕におるかな、おるかな、おるな、おるな、そんなもんですよ。ただ、今の話ね、向こうの砲撃は急に来るんですね。だから、私は逃げ遅れて壕の外におって助かって、壕に飛び込んで直撃受けて死んだやつもおりますね。だから、そんなんですよ。だから、そんな、そのときの感情はどうやったかなんて、そんな事分かりません。そんなん言え言われたって無理ですよ。そんなね、生きるか死ぬかの境にね、そんなまともな感情っていうのは出てこないんですよ。極限上っちゅうのはね、人間、ほとんどね、今の現在の人は極限上に置かれる事めったにないです。極限上に置かれた人間がどういう心理っていったら、何にも考えません。自分の事だけです。そんなもんね、理屈でも何でもないです。ほんとに。何にも感じません。だから、その、首上げてね、「ああ、隣にも生きておったな」「隣にも生きておったな」と思うだけの話。その後どうしようとかね、そんな事何にも考えません。「あ、砲撃が終わったな。ああ、やれやれや」と、こう思うだけの話ですよ。「また、始まるな」と思うんだけの話ですよ。

出来事の背景


[6]
チャプター6
米軍の圧倒的な装備
05:13
水陸両用の戦車がね、日本が敵前上陸するときは船で上陸してね、兵隊が上がってくるんです。(米軍は)水陸両用の戦車がぐうっと上がって行く。水の中。そしてね、船にね、ごっつい兵隊が乗っとるのや。その船が陸へ上がってきて車輪が付いとる。今の大阪のね、水上タクシーとか言うてる、それやね。車輪でゴーッと、兵隊が乗って上がって。そんなんが、向こうの戦争ですよ。それを撃つ事できへん。撃ったらやられてしまう訳や。第一撃つ弾があらへん。そんな戦争です。だいたい、何していたかって、壕にへばりついてただけ。そうすると、向こうもね、日本軍がいるという事は、そこまで来てて、ファーファー言うてても来いへん訳や。日本はこれやりよるっていうの知っていて。

Q:これって、どういう事ですか。

銃剣術。銃剣で突撃するでしょ、日本軍は。それを知っているから、やら、来いへん訳や。

向こうは夜になったら、パンパン、パンパン、パンパン、曳(えい)光弾上げますからね。壕に入っているでしょ。で、向こうはね、言ってたように、艦砲射撃が来ますね。で、艦砲射撃が終わるとアメリカが上陸してきますね。上陸したらそこに迫撃用の陣地を作って撃つんです。艦砲射撃はもっと後方撃っとるんです。そして、迫撃がどんどん来ますね。こんなんですわ。そして、その、そこまで来てても、こっち寄って来いへん。絶対来ません。来なかった。だから、絶対来んという安心感あったから、じっとしていればいい。だから、何しているかっていったら、ただ敵にじわ、じわ、じわと後方に下がっているだけの話であって。一遍にグーッと下がらないんですよ。ジワ、ジワ、ジワと。だから、隣の兵隊がどこの誰やら、なんにも分かりません。ようけい、死んでますわ。ようけい死んで、「水くれ、水くれ、水くれ」言うとるやつを覚えてますわ。壕の底の中にね、横になっておったんですよ。その、やられたやつがね、「水くれ、水くれ」、水どころか、自分も飲む水あらへん。

アメリカ軍が来たらそこから退却せぇへんわけや。ジリジリジリジリ、ジリジリジリ下がってるだけでアメリカ軍に何も抵抗してへんわけや。一部ね、機関銃とか野砲は撃ったよ、戦車に。1発撃ったらそこ1発全滅や。戦車が来るやろ、バーーっと。そこをバーン撃ちよった、野砲が、な。水平射撃いうて、これ威力あるわけや。戦車擱座(かくざ)する(動けなくする)わな。だけど、向こうは装甲が1メーターとあるからね、擱座するだけで燃えへんわな。ほしたら途端にやね、向こう探知機がすごいからね、その野砲目掛けてバババババッとして全滅や。そんなん、そんな状態の戦争です。だから、普通の鉄砲持った兵隊は弾撃ってる間がない、1発も撃ってない。

それがね、もう私はレイテのドラグに置き去りですけどね、後方へアメリカが来ますね。将来ここへアメリカ軍が通って弾薬の補給し、糧まつの補給する、ここら辺に通るかも分からんっちゅう所へ置いて、戦車が置いていきよる訳、糧まつ。でね、当時は、日本はね、木箱しかなかった訳や。日本の軍隊は。向こうは当時から段ボールの箱でね、段ボールの箱が3つ、4つ積んであるんや。なんや、開けても缶詰。もう一間いったら弾。向こうはね、弾薬で帯みたいなのね、巻いて、そこへ弾が入っている。弾が入ったまま積んであるの。見つからへんだら、それを私らが見つけてんやで。だから、弾なんて見つけても、こっちの弾に入らへんから、あきまへんけどね。糧まつはそうしてもろうてんやで。それだけ、物が違ごうとるねん。物量が。見つからへんだら、そのままですよ。おそらくフィリピンが食べておるでしょ。見つけて。そこをもしアメリカ軍が通ったら、補給するためにですね、通るであろうという道に先に戦車が行って、弾薬とか糧まつを戦車が置いていきよる訳。これがアメリカのやり方ですよ。それは、見て、私はびっくりしましたですよ。「へぇ、こんな通りになんで置いた」、よう考えたら、ここ、将来来るであろうっちゅう事や。だから、それを私らもろうてね、ちょっと息付いたですよ。缶詰3つ、4つ、この靴下にね、このこういうソックスに入れて、腰にぶら下げて歩いてた。で、当時からパウダーがあった訳や。レモンでもね。水に溶かしたらレモン水になるねん。そのレーションの缶詰の中に開けて入っとるねん。ちゃんと缶切りもみんな付いとるでね。Rationって書いてあるん。それがアメリカやったですよ。

出来事の背景


[7]
チャプター7
戦車への「特攻」
02:04
Q:その戦車に対する攻撃って、何人ぐらいでやるんですか。

何人って、5、6名ですがな。5、6名や。集団で行ったらやられますがな。目立つから。目立たんように行くんやから、少数の人数で行く訳でしょ。だから、私は1回行っただけでね、途中で帰ってきたからね、2人で、助かっただけでね。行って、ようけ死んでおるやつはいる。それを、普通の戦車地雷っていうのがあるんですよ、爆雷って。こんなん、無いんですよ、日本には。ガソリン瓶ね、今ほら、こんなビール瓶ありますでしょ。そこへガソリン入れてね。ま、ガソリンはまだちょっとあったでね。で、マッチで火付けてね。で、飛び込むんです。それが特攻隊。戦車に。

Q:その戦車に対する攻撃って、要するに、武器がないから兵士の命を弾にして飛び込むっていう・・・。

そう、そう、そう。あのガソリン瓶ね。これはね、言うてたように、満州ノモンハン事件っていうのがあってね、ソ連の戦車にそのガソリン瓶で効果を上げた訳ですよ。そのときはまだ日本軍に余裕があったからね、ガソリンでもようけい詰めてね、有効にできたんですよ。ソ連もそんな事知らんからね、安心しとったらやられた訳ですね。だから、それと同じ事をやった。ところが、そんな事は全部アメリカ、研究済みでしょうが。ガソリンで、しかもね、当時の戦車って、前の装甲、1mですよ、アメリカのM4は。いちばん薄い所で30cmすよ。よっぽどうまい事やって、キャタピラが破損するぐらい。中の兵隊には一切関係ない。それで行かされた訳。そういう事分かってても行かすんやから、日本はね。

出来事の背景


[8]
チャプター8
援軍に伝えられない惨状
04:19
Q:圧倒的な攻撃を受けて、当時その、かわいがってくれた大隊長と一緒におられたんですよね。大隊長はどうなったんですか?

大隊長は自決したんです。ここにおってね。横におってね。もう敗戦分かっているからね、私らにね、「おい、西川、お前ら10名ほどで連隊本部へ、3大隊は」私ら3大隊ですからね。「ドラグで玉砕したって報告に行け」って言うて、「バン」

山の中、私が連隊本部へ「ドラグで3大隊は玉砕したっていう事を連絡に行け」と言うて(言われて)、行きましたね。死体が累々と真っ黒けに、こないポンポコンに腫れ上がってありました。もぬけの殻。だからその、日本の兵隊がおる所行かんな、どうせ行くとアメリカが砲弾がダンダン、ダンダン、ダンダンと撃っている所を目指して行っている。砲弾を撃っている所は、大砲の撃っている所は、そこには日本軍がおると分かっているから、そこ向けて行った。そのときに、反対から来たオルモック(レイテ島西海岸)の兵隊にね、会うたですよ。私らはね、丸腰でね、鉄砲ひとつ持っているだけでね、ここへサトウキビぶっつり差している。その兵隊らはね、満州から来た召集兵やからね、今から言うたら、まぁ、言うても、私らは20歳で兵隊行ったけどね、まぁ、25、6、7、8の人ですね。完全にもう、背のう下げて、ふうふう言うてね。

ほんでね、その将校にね、あんたらね、もう、こっちはもう階級関係ないですからね、その中で私はどんな戦争したと思う。そんなきつく言わんやったら、エライさんがね、「どうぞ、レイテのその惨状は言わんといてくれ」って言うた、その兵隊に。でね、そうすると、私らは10名ほどやった。向こう、ずうっと、2、300名ぐらいですね。それがね、大きな川があった訳や。ものすごい急流なんですよ。そこを渡らならんね。で、どうしたか言うとね、向こうのエライさんがそこへ兵隊をずっとやってね、手を繋がせてね、持つ訳ですよ。そうすると他の兵隊が、その垣根みたいになった兵隊の肩をつかみながら向こうへ渡っていく訳です。私らはもう、丸腰、ほとんどやからね、勝手に、そんなんせんでもいいけど。そしたらどうなったか、その手が離れてね、ダーッと流されて、そこで4、50名死んでます。満州から来た兵隊さん。で、その将校がどう言うたかいうと、「あんたらのレイテのドラグの惨状は、どうかこの、私らの部下に話さんといてくれ」って、こう言うた。で、私はもう、負けているからね、エライさんもへったくれもあらん訳や。普通にしゃべれる訳や。恐いものなしやから。だから、「頼むから言わんといてくれ」って。で、そこで川に流されて死んだやつが、ようけいおりますよ。そんなんですよ。で、もう、「こんなやつと一緒におったら、俺らも死ぬ」って言うて、別れた。別行動とった訳。こんなやつと兵隊におって、一緒におったらね、俺らも死んでしまうからって、もう、あんたらはあっち行きなさい、我々は勝手に行くわ。別にして。

つまりね、レイテからドラグからずうっと後方へ下がって、サンタアナっていう所に、連隊本部があって、そっからずうっと山の中に入りますね。相手方は、相手はオルモックから来て、ずうっと来て、山の中で遭うた訳ですよ。向こうから来たやつが。それだけの事でね、どこへ行くか、何にも知りません。その兵隊らもほとんど死んでるでしょ。

Q:でも、なんか、援軍が来たっていうので、少しホッとはしなかったんですか。

いや、いや、もう、援軍が来たという感じないです。来ても無駄やと思うてますから。アメリカが上陸したときのね、向こうの物量の凄さにね、びっくりしてますから。

出来事の背景


[9]
チャプター9
糧まつの取り合い
02:14
ただね、日本は手上げて出たらいかんで、「生きて虜囚の辱めを受くるな(生きて虜囚の辱を受けず)」。だからもう絶対出ぇへんから。もうその、言うてたやろ、そこの向かい側までいわゆるアメリカ兵が来て、「ヘイヘイヘイヘイ」しゃべってる英語の声が聞こえとる、声が聞えとる、だけどもそこからこっちへ絶対来いひん、アメリカ軍は。日本は銃剣でやるっちゅうの知っとるから。だからこっちもそれ知って、めったに来いひんから攻撃こうやると、それが戦争や。それでジワジワジワジワ、ジワジワジワジワ下がって行って山ん中へしよる。で、山の中で何したかいうと、アメリカ、アメリカに弾も何もあらへんやろ、糧まつの取り合いし、日本人同士が糧秣(りょうまつ)の取り合いしとった。だから、それも、1日かかって糧まつを探しに行くのがええか、ジッとしておるか、俺はジッとして何も食べんとジッとしてた。ほいでそのときにここやられたわけよ、最初。そんな戦争です。

Q:日本人同士が糧まつの取り合いって、どういうことですか。

あのね、糧まつ探しに行くやろ、山の中におって。で、一生懸命探してね、向こうのイモなんかね、もう野性みたいにあんねん。もうね、あんた、スイカ畑いうてもね、日本はシャーっと耕してあるやろ。違うんや。雑草がいっぱい生えるとこにスイカのあれがあって、スイカがひとつ生えてある。それを探してやっと取ってくるやろ。やっと取ってきたやつを置いとくやろ、いろいろ。よその兵隊が取りにきたらドーン。知らん兵隊には渡さへん、自分らだけに取ってあるわけや。糧まつの取り合いして日本人同士が撃ち合いする。アメリカ軍に鉄砲撃たんと日本人に撃ってる。俺はもう食べることあきらめてるからね、そういう被害にあわなんだけどね。

出来事の背景証言者プロフィール



[10]
チャプター10
生死を分けたジャングル
04:12
ただね、ガンとやられたときはね、どこやられたか分からんですよ。きついケガ、触ったらね。だーっと血が出てるから壕に飛び込んで、足動かしたら動くでね、歩けるから、思ってた砲撃終わって、その壕から上がれへん。そんだけきつかった。

Q:やっぱりジャングルの中って、そういうやせ衰えた日本兵とかがいっぱいいたんですか?

ようけ死んでるやつおりますよ。木にもたれてね。もたれたままね、死んでるやつね。いちばんきついのはね、もたれて顔半分ないわけ。ここから残ってんですよ。ここから半分飛んでんねん。つまり大砲の弾爆発して、跳弾っていうやつがいて、すぽーんと切ったらスイカ切るみたい。体じっとしてね、顔半分ないやつとかね。飢え死にしてるやつとかね。私はその点ね、物食べてへんのにね、飢え死にせなんだだけね、良かったな思ってるですよ。そないしてね、木にもたれて鉄砲かついて死んでるやつ、ようけおったですよ。ようけおったですよ。死んでるのは。死骸(死がい)なんて見てもね、何とも思わないです。しかばね累々いう言葉あるんですよ。このことや。もう水際陣地ずーっと死んでるでね。そんな状態ですよ。だからその死んでるやつも、どこの誰やさっぱり分からん。

「これはあかん」と、「もう自決しよう」言うてね、ふたりで鉄砲構えて、ね、「1、2の3」と、1、2、3って言うてたでしょ? 「の」入れた方が生き残る訳や。鉄砲やからね、自分ででけへん訳。口にくわえてね、お互いに引き金引こうかって。で、「1、2の」言うから、「ちょっと待って、『の』入れようか、『の』入れんとくか、1、2、3にしようか、1、2の3にしようか」言うたときに、戦車がグワーっと来たから、俺たちは命が助かった。あのときにもし戦車の来なんだら、そこで1、2の決めて死んでる訳。これは運命ですわ。それだけですわ、一ぺん自決しようと思うたんは、私が。あとはもう、自決って思うてへん。

Q:なぜ、自決しようとは思わなくなったんですか。

なぜって、もう、そんな理屈は言われてもね、そんなんね、正常なね、世の中におるのと違うんですよ。生きるか死ぬかの境やからね、「なんとか腹一杯水が飲みたいな」、こればっかり思ってたんですよ。あの、モノを食べたいと思うた事はないんですよ。「お腹一杯水飲みたいな、飲みたいな」、それだけしか、私、思いませんでしたね。だから、言うてたでしょ。泥水、やられてからでもね、泥水は喉へ通りません。だから、木の葉っぱをペロペロなめてたんですね。灌木がありますね、木の葉っぱが濡れてますね、露が。ペロ、ペロンと。それが現実です。そんな事ね、実際問題、言えませんですよ。木の葉っぱねぶってね、四つんばいで這うっとった。こんな大木が倒れてた上、またがらへんの、両足やられてたから。どうしたか言ったら、手で土掘って、もうそれから半日がかりで土掘って、その中をグーッと通って行った。そんな事やっていたんですよ。ひとりぼっちで。だけどね、死ぬにもね、鉄砲の弾はないわね、手りゅう弾はどうして死ぬんですか。動けんのに、首くくる訳にもいかんでしょ。首くくるには立ち上がってね、木にぶらさがらなあかんでしょ。靴はあらへんは、ボロボロやわ、ま、出血多量で死ぬぐらいですよ。そして、出血多量やけど、死なへんなんだ、俺は。ま、運が良かったんですね。

出来事の背景


[11]
チャプター11
米軍の捕虜となった
06:20
こう、座りますね。で、ここ、こうワッて見るとね、ここのね、傷口がもう、出血してしもうてね、こっからここまで今、このぐらいの穴が開いてね、お宅のズボンの色、このぐらいのズボンの色の緑色やったね。どろーんとして。そこにウジ虫がわいてポコン、ポコンなんて、こうしてとってた。それを覚えてますね。で、水が飲みたいな、腹一杯水が飲みたいな、そればっかり。そして、ずうっと森を行ったときに、たまたまね、私の運の良い事には水の音が聞こえた訳や。川。で、川のへりへ行くとね、何が危険かって言ったら、フィリピンに見つかったら殺されるんですわ。フィリピン人は日本にね、ものすごい感情悪かったからね。だけども、「殺されてもええから」言うて、その水の音のする山道がこう、分かれてた。けものみちですね。こっからこのへんの道ですよね。で、その水の音行ったら、雨がしょぼしょぼ降ってきて、こんな足跡がいっぱいあった。こんな所、日本の軍隊がおるはずがない。そしたらそこに、タバコの吸い殻が一杯落ちてた。雨がしょぼしょぼしょぼと降っているのに、吸い殻濡れてへん訳。っていう事は、今までここにおってタバコ吸うて出て行きよったんがな。で、そのタバコ拾ってもマッチがなかったら、あかんですね。で、探したら、こんな徳用マッチね、昔の、日本の、あれにIndependence(独立)って書いてあるねん。で、それ、拾うて、その、15本ほど拾うて、10mほど山の中入って、草を一杯かぶって、タバコ、パワパワパワ吸って、寝てしもうた。

そしたら、明くる朝方、ハワハワハワハワ、いうのが聞こえる訳や。あれ、アメリカの軍隊やなぁ、黙ってたら、ガサッ、ガサッ、ガサッと足音が聞こえてくる訳。あ、来よった、もうこれはあかんな思うたらね、生きてるか死んでるか試すために、鉄砲でバーンと突きよった、そのナニをね。で、私がパッと目を開いたらね、そっからが違うのでびっくりした。50、5、60名のアメリカ兵がね、私がパッと目を開けたらね、(私は)靴は履いてへんね、靴下ね、こんな状態やったんですよ。こういう半分脱げたきり。何でかというと、この辺皆ね、ただれてね、くっついて取れへんわけや。ズボンはね、ボタンはひとつもない、この辺、穴だらけで血みどろでしょ。それを見てね、どうしたかと言ったら、担架をパーンと組んでね、私を抱えて、その上へ、トンと乗せてくれてね、いいですか、そんな兵隊を、こんな状態の兵隊。私の手ね、これで回ったんですよ、ここ。そんだけ痩せていたんですよ。この手とこの手で回るほど痩せていたんですよ。それ覚えてます、こんなやって。こことここ、つく訳。それを乗せてね、自分の腰についている水筒を私の枕にしてくれてね。そんなボロボロの兵隊に。で、タバコに火を付けてくれてね、「タバコ吸え」って。吸うてますね。飴(あめ)くれたんですよ。向こうね、チャオ言うんですよ。“Let’s go chew”メシ食いに行くと。“Ok,slow,slow,chew,ok”(ゆっくり食べろ)って飴くれてね。私はもうね、そのときに感じた事があるんですよ。『まな板の上に乗った鯉』っていう言葉があるでしょ?もうそれで、やれやれと思うてね。これで自分の意志は働かん訳です。殺されるか、生かされるか、向こうの意志一つでしょ。私の、今、水が飲みたいなとかね、どっち行こうかとかね、どうしようかとかね、そんな心配は一切なくなってね、気持ちがスーッと落ち着いたの覚えてます。そしたら、その兵隊が、担架に乗せてね、4人で担いでね、4人で担いでくれるんですよ、2人違いますよ。
そしてその、ずうっとこんなジャングルの坂道を降りて行って、こんな大木が倒れていたらね、前の兵隊が私の担架をスポンと乗せて、で、向こう側へ渡って、2人が、そして引っぱると、後ろの兵隊がそこへ担架乗せて、また立って、私を落とさんように担いで向こうの迫撃砲陣地まで。天幕まで来ちゃったです、連れて行かれて。そしたら覚えてますけどね、こういうね、真っ白のね、眼鏡かけた軍医が出てきてね、すぐに注射を2本打ってくれた。びっくりしましたね。もう、殺されると思ってるわな。注射を2本打ってくれて。で、その後どうしたか言うと、向こうはね、キャタピラ付きのね、担架を運ぶね、戦傷病者を運ぶ戦車みたいなヤツがあるんですね。山の中でもガーっと。それは大砲も何も付いてないんですよ。担架を乗せるだけ。担架を3つぐらい乗せて、そこを私をポンと乗せてね、向こうの兵隊が1人ね、鉄砲担いでずうっと山を下りてきたね。たぶんあれはね、どこの町いったら、キリンっていう町に着いたんやと思うんですね。

そしたらね、フィリピン人がね、「ハポン スンダロ パタイ」って寄ってくるんです。「ハポン」「スンダロ」は日本の兵隊。ハポンって言ったら「日本人」です。「スンダロ」って言ったら「兵隊」、フィリピン語で。「パタイ」、「殺せ」。そしたら、そのアメリカの兵隊がね、銃でね、私意識はっきりしてますからね、あっち行けって追い払ってくれてね。それでキリンの陣地に連れて行かれた。そしたら、そこでまたすぐに注射してくれた。で、そのときに驚いたのはね、グレン・ミラーのね、音楽がかかってんのよ。ワシ、音楽好きやったでね、洋画好きやでね、オン・イン・ザ・ムードっていうやつ。タタラ、タラタ、タタラ、タラタっていうやつがね、かかっているのよ、そこの兵舎に。戦争をしている最中にね、ジャズ聞いているってびっくりしましたね。そこで、注射やってもろうて、そしてずうっと送られて収容所に行った。

出来事の背景証言者プロフィール



[12]
チャプター12
捕虜収容所で
04:28
青い軍服があるわけやな、グリーンの、戦闘服、アウトポケットのな。そのまっさらをくれるわけ、俺らの捕虜にやで。ほしてどこが違うと、膝ポンにも「P」、背中に「PW」と書いてある「prisoner of war」そしてテントに入れられてるわけやな。隣のテントに「P」と書いてアメリカ兵おんねん、「prison」。アメリカの囚人が隣のテントに。日本軍がこっち「PW」でアメリカの兵隊が「P」でおるねん、同じ待遇。日本の捕虜もアメリカの囚人も同じ待遇、これにはびっくりしました。むこうは(アメリカでは)捕虜は、「名誉ある捕虜」やからね。ほしてね、その飲み水。車でずーっと来て、ほいでその収容所の所へね、こんなズックのな、ピュッと開けたら水が出るようにそこへ入れといて、俺らはそれ飲むわけや。おまけにね、コーヒーが作ってある、ブラック、ブラックコーヒー。捕虜ですよ。だから私はそのアメリカは、アメリカ人と日本人の差別は全然しなかった。まっさらの軍服くれてるでね、それは感心しましたよ。

で、収容所に入りましたでしょ、まだ初期やったからね、天幕張っただけや。でね、寝台でもね、ズックの安物の寝台やけどね、びっくりするのはね、ひとりずつ蚊帳が着いてるねん。で、そこに寝てますでしょ。で、私ね、やられているから苦しむんですね。そしたらね、アメリカの兵隊がひとりね、椅子に座って番しているやつがね、自分の読んでいる本をビリッと破ってね、裸電球やったんです、まだね、そこへかけてね、私の方を暗うしてくれるんですよ。寝られるように。捕虜ですよ。アメリカのMPがね、ビリッと来て、私、暗うした、これもびっくりしますですね。日本の軍隊はね、病院へ入ってますでしょ、日本の。「衛生兵殿、喉が渇くいてきた、水下さい」って言ったらね、「口開いて待っておれ」って、「そのうちにスコールが入るから」って、こうなんや。日本の病院がそうなの。

アメリカはね、捕虜をものすごう大事にしてくれる。コーヒーはくれるわね、朝ごはんに、言うてたやろ、クリスマスには七面鳥が出たさけ。コンビーフって日本なかったがな、コンビーフ出る。で、玉子はスクランブルエッグ、玉子は普通の入ってへんです、ちゃんと粉にしたやつを作ってきてね、それをサーッとやる、スクランブルに。こんな厚いやついっぱい来る。捕虜にね。

Q:捕虜収容所で、いわゆる尋問みたいなものっていうのは、受けたんですか?

尋問ってね、ただね、「あなたがここで生きてる事を」、二世の兵隊がね、「赤十字を通じて家に知らせます。」「ちょっと待ってください。そんなん知られたら家のもんやられる。」だから私は偽名を使ったわけですよ。「西川政雄」じゃなくて「イザワテルシ」と。捕虜番号10322、「One O Three Two Two、テルシ・イザワ」。で、言ってたよね。赤十字社を通じて日本に生きてる事を知らされたら、家族は、「あの人の息子さん捕虜だ」と。言うたらこれものすごい恥辱なの。村八分にされるわけですね。だから偽名使うた。

私はその、捕虜になった事ひとつも恥と思うてません。日本の軍隊に見捨てられてね、山の中、這いずり回ってたんやで。ただ、言えるのはね、諦めたらいかんっていう事、それを身をって体験しました。生きるか死ぬかの境でもね、自分で諦めたらあかん。最大の努力すりゃね、道は開けると。これはもう、実際、今でも思うてます。苦しいときね、ありますでしょ?そのときでもね、諦めたらあかん。がんばっていたら必ず道は自ずから開く。これは私の信条です。だからもう、その極限上からね、得た、私の体験です。そういう事です。

出来事の背景証言者プロフィール



[13]
チャプター13
収容所で迎えた終戦
04:48
収容所の所長がね、「日本は降伏したから、どうかあんたらおとなしいしてくれ」って言ってきよったです。収容所回ってきたです。で、もうばーっとね、照明灯上あげてね、ダンダンダンダン祝砲あげとったです。「日本降伏したから、どうかあんたら暴れんように、静かにしてくれ」ってね。収容所の所長が回ってきたですよ。だから私は、「やれやれ」思ったです。それではよう負けんかいな。はよう負けんかいな。降伏せんかいな思ってたですから。戦争裏側から見てるんですからね。

Q:戦争を裏側から見てるって、どういう事ですか?

アメリカ側から見てるわけでしょ。捕虜収容所が、まだそのときは、日本の、マニラ陥落してないですからね。そんなん向こうの物量の差を目の前に見てるんですよ。捕虜はね、戦争中に七面鳥を食べさせてもらえるんですよ、クリスマスに。

Q:日本の土を踏んだとき、どんな気持でしたか?

それはね、懐かしかったです。1月のね、15日に佐世保に着いたんです。フィリピン出るときは、半袖でしょ。それが半袖のままで甲板に上がってね、日本の山々見てたですよ。グリーンの色が違うわけ。フィリピンと日本の山と。だからね、1月の15日にね、寒さもへったくれもあらへん。佐世保に着く前、甲板の上でですね。高砂丸という船で帰って来たんですけどね、船の上に乗ってね、甲板乗ってね、山見てたの覚えてますよ。そうして収容所行って、久留米の病院に入れられたんです。だからさっき言うたように、マニラに着いたときに、海の色がきれいやなあと思ったんが印象に残ってんのと、佐世保に着いたときに、寒いのに、ああやっぱり山の色が違うなあと思ったんが、ビーンと印象に残ってます。その他の事は、何にも覚えてません。

Q:戦後西川さんのところに、レイテで子どもを亡くした遺族から・・。

来はりました。ようけ来はりました。

Q:それはどういう事ですか?どうなったんですか?

復員部というのがあってね、そこで「うちの息子がレイテにおる」って言わはるでしょ。「京都の祇園にね、レイテから生き残って帰ったやつがおるからね、そこに行きなさい」って、振りよるんです。邪魔くさいから。それがね、1日に多いときは5組ぐらい。2か月ぐらい来はりました。少ないときに。そしてね、私の前でね、泣かはんの。「あんたが帰ってうちの息子はなんで帰ってへんのや。どうなった。」「ほんとに分かりません」やで。そんなつらい思いをね、やっとですよ。それは日本の政府はね、振りかえよる。自分らが説明できへんからね、生き残った者から。そんなもん敗戦の状態知らへんから。隣におった兵隊がどこの誰か分からんのやで。そんな状態で生き残ってんのにね、「うちの息子はどうや」。「うちの部隊がこうやどうや」って聞きはるでしょ。答えられへん。「分かりません。申し訳ないけど分かりません」。頭ばっかり下げてる。そしたらわしの前で泣かはんのや。「あなたが帰ってなんでうちのが帰ってへんの」。それが政府のやり方やったです。終戦後。全部うち来はる。2か月ぐらいわし困ったですよ。来はるで。来はったらやっぱしね、せっかく遠いとこから来られん受けんならんわさな。そんな状態やったですよ。

これも私はつらかったですね。2か月ほど。まあこれはほんで思ったです。わしが生き残って帰ってきたさかい、これはしょうがない。代償かなあと思ったです。それが。こんな状態です。そんなもんどう思ったかて、ただつらいなあ。答えられへんつらいなあ思っただけ。申し訳ないなあ。実際分からへんやから。

Q:自分だけ無事に帰ってきた事が後ろめたかったり。

そんな事、私思ってません。自分だけ生き残って帰って後ろめたいとか、そんな事絶対思ってない。私は一生懸命やって生き残った。運が良かったと思ってるだけです。みんなが死んでるのに、何で俺生き残った。そんな事、後ろめたい事これっぽっちも思った事ないです。そしてその節々山の中でアメリカ軍に見つかって捕まった事も、これっぽっちも恥と思ってません。

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[14]
チャプター14
「捨て石だった」
03:26
ぽーっとほっといてなんにも言わんと、ひとりぼっちで追いとかれたら捨て石や。レイテ行きなさいと。レイテの部隊は、私らそれは後で分かったんですよ。捨て石。偉いさんは思ってたと思いますよ。捨て石という事は、食料も何もかも現地で補給せえという事なんです。後方からは、なんにも援助いたしませんよ。これが捨て石なんです。そうでしょ。だから考えてくださいよ。糧まつはいいけどね、弾薬はどうするんですか。鉄砲の弾。戦争に行ってんですよ。鉄砲の弾どうするんですか。なくなったらどうするんですか。食料はね、アメリカの食料取っても食べられますがね、鉄砲の弾は、アメリカの弾は日本の弾に通じません。鉄砲に。だからそういう戦争させたわけです。偉いさんは。大本営の偉いさんは。偉いさんはどうでもいいんです。レイテにそうして置いといたら、そこにアメリカ兵を釘付けにしておけると。それだけの考えなんですよ。そうすると日本の本土の空襲やらも遅れるだろうと。それだけの考えと思いますよ、私は。

Q:レイテ島に慰霊とかには、一度も行かれてないですよね。

行ってないです。わし足が悪うてね、行けないです。誘われたですけどね、とってもじゃないが一緒に行くとね、一緒に行った人に迷惑がかかる。なぜかというとわしは足が不自由でしょ。

いっぺん行きたいな思うけども、この足じゃとっても行けへんで、行ってない。そしてまたね、やっぱり行きたくないです。ようけ死んでるとこへね、行きたくないです。だから誘われても、ただね、レイテ会というのは京都にあってね、そこでどっかで料理屋で集まるときは、行ったですけどもね。だけど行ってもね、おんなじ状態のやつおらんですからね。ただレイテにおったというだけのつながりですからね。その人がどこでどうした。いわへん。そしてね、おもしろいんですね。仲間同士寄るでしょ。そういう戦争の話は一切やりません。レイテ会で、レイテ同窓会でどっか集まるときね、そのときの戦争の話一切やりません。やっぱりつらい思いやからね。

仲間同士寄ったときは、そういうレイテの戦争の話は、一切いたしません。これはもう言わんとこなあと、そういう打ち合わせなくして、自然に誰も話しません。帰ってからのいろいろな話、お前何してるだけでね。これおいしいな。まずいな。今度どこへ寄ろうかなとかいう話だけであって、レイテにおった話は。

だから、あの人はどこでどうして行きぬいて残ったんか。聞きもしませんし、自分からも言いません。私にも問われません。これが現実です。そんなもんですよ。つらい思い話もね。そして自分がどうして生き残ったか言わんです。誰も言わない。ただそのときに会食行って、今度いつ何日にいっぺん寄りましょうかとかね、半年にいっぺんやりましょうとか、今度どこ行きましょうとか、そういう話はしますが。レイテ会で集まったときは、私が行った限りは、一切そんな話ないです。

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