『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「死の家の記録」P193―240(1回目の校正完了)

で来たものを、一代や二代で切り捨てることはできない。いわば、母親の乳といっしょに吸い込んで、自分の血肉となったものを、それほど容易に拒否することができるものではない。そうしたお手軽な変革などはありえない。おのれの罪を自覚し、父祖伝来の罪悪を意識するだけではまだ不じゅうぶんである、おおいに不じゅうぶんである。必要なのは、その習慣を完全に脱することである。が、それはなかなかたやすくできるものではない。
 わたしは刑吏のことを話し出した。刑吏の素質は、ほとんどすべての現代人の内部にその胚種を隠している。しかし、人間の野獣性は平等に発達するものではない。が、もしそれが他の素質を凌駕して発達した人があるとしたら、その人間は恐ろしい醜悪なものとなることもちろんである。刑吏には二つの種類がある。ひとつはみずから好んでなったもの、他は義務のために心ならずもこれに従っているものである。自分から進んでなった刑吏は、もちろんあらゆる点において、余儀なくなったものより劣るとしなければならない。とはいえ、人々はむしろ後者をはなはだしく嫌悪している。恐怖感を覚えるまで、吐き気を催すまで、ゆえもない神秘的な畏怖を感ずるまでに嫌悪している。この種の刑吏に対して、ほとんど迷信的な恐怖をいだきながら、他の種のものに対しては無関心どころか、ほとんど賞讃の態度さえとっているこの現象は、そもそもどこから来たものだろうか? 世には極端なほど奇怪な例がある。わたしの知っていた人の中には、善良で正直な、世間から尊敬されているくらいの人物でありながら、一例を挙げていえば、受刑者が笞の下で悲鳴をあげたり、哀願したり、容赦を乞うたりしないと、それを冷静に看過することができないような連中がいる。受刑者はぜひとも悲鳴をあげ、容赦を乞わなければならない。そういうものと思い込まれているのだ。それが法にかなった必要なこととされているので、現にあるとき不幸な犠牲が悲鳴をあげようとしなかったら、わたしの知っている刑の執行者は、それがために個人的の侮辱さえ感じたものである。しかも、この男はその他の点では、まあまあ善人といえる人からなのである。彼ははじめ軽い刑ですまそうと思っていたが、『生みの親とも思う旦那さま、どうかお慈悲をかけて、あなたさまのことを一生神様に祈るように仕向けてくださいまし』云々といういつもの決まり文句が出ないために、火の王のようにいきり立って、この哀願と悲鳴を絞り出したいばかりに、五十だけ余計に笞を食らわせ、ついにその目的を達したのである。「どうもあれじゃ困ります、あれは不作法というものです」と彼は大まじめでわたしに答えた。ところで、職務としてやむをえずやっている本物の刑吏はどうかというと、これは周知のごとく、居住流刑を宣告された既決囚なのであるが、刑吏として監獄に残され、まず最初ほかの刑吏のもとへ見習いとして入り込み、ひととおり習い覚えると、今度は永久に監獄づきとなって、特別の部屋で独立の生活をし、自分自身の世帯までかまえるにいたるのだが、しかしほとんど年じゅう、警護のもとに置かれているのである。もちろん、生きた人間は機械ではない、刑吏は職務で打つものとはいい条、どうかすると、やはり前後を忘れることがある。彼らは多少の自己満足を感じながら笞をふるうけれど、そのかわり、自分の犠牲に対して個人的憎悪を感ずることはほとんどない。打ちかたの巧妙さ、自分の専門に関する知識、儕輩《せいはい》や公衆の前で自分の腕前を見せようという欲望などが、彼の自尊心を煽り立てる。彼が気をもむのは、ただ自分の芸術の問題だけである。そのうえ、彼は自分が世の中のあぶれ者であって、いたるところ迷信的な恐怖に迎え、かつ送られていることをよく承知している。だから、それが彼の気持ちに影響して、その憤激や野獣的傾向を強めないとは保証できない。子供たちでさえ、彼が『父や母を親と思わない』人間であることを知っているのだ。不思議にも、わたしはずいぶん大勢の刑吏に会ったが、彼らはすべて常識の発達した、ものわかりのいい、頭のできた、傲慢といっていいほどなみはずれて自尊心の強い連中である。この誇りは彼らに対する世間一般の軽蔑に反発して発達したものか、自分が受刑者に恐怖をいだかせるという意識や、優越感のために強められたのか、その辺はわたしにもわからない。おそらく、公衆を前にして処刑台の上に現われる情況の晴れがましさと、芝居がかった気分が、彼らの内部に多少の慢心を助良させることになったのであろう。今でも覚えているが、かつてわたしはしばらくの間ひき続いて、一人の刑更に幾度も出会って、親しく観察する機会があった。それは年ごろ四十前後、中背の筋骨たくましい、そのくせやせ型で、かなり気持ちのいい利口そうな顔つきをした、髪の毛のふさふさと渦を巻いている男であった。彼はいつもむやみとえらそうな様子をして、落ちつきすましていた。一見したところ紳士然とかまえ込んで、いつも分別くさい、愛想のいい調子で簡単に受け答えをしていたが、まるで何かわたしに威張ることでもあるような、高慢くさい愛想のよさであった。衛兵所の将校なども、よくわたしの前で彼に話しかけたが、正直なところ、多少敬意を表しているようなところさえあった。彼もそれを意識して、上官の前でことさら自分の慇懃さと、そっけなさと、おのれの品位をつくろう態度を誇張するのでありた。上官が愛想よく話しかければかけるほど、彼はますますその手には乗らぬぞという様子を見せ、洗練された儀礼の埒《らち》を踏み越えることは断じてなかった。にもかかわらず、彼はこの瞬間、自分のことを話し相手の上官よりも比較にならぬほどえらいものと思っていたに相違ない。わたしはそう確信する。それはちゃんと彼の顔に書いてあった。ときとすると、彼は非常に暑い夏の日などに、野犬狩りに長細い棒を持って、護衛兵つきで町へやられることがあった。この小さな田舎町には、犬がやたらにたくさんいた。飼い主などはまるでないのに、あきれるほど早く殖えていくのであった。暑中休暇のころには、この犬どもが危険になって来るので、その撲滅のため、上司の命令で刑吏が派遣されるのであった。けれど、この屈辱的な仕事でさえ、どうやらいささかも彼を卑下させなかったらしい。彼が疲れた護送兵を従えて、自分の姿だけで通りすがりの女子供をおびやかしながら、町の通りから通りへと濶歩して行く様子、また行き会うすべての人々を平然と、むしろ上から見下ろすように眺めている態度などは、まさに見ものであった。とはいえ、刑吏は気ままな生活ができた。彼らは金があるので、食べるものもなかなか贅《おご》っているし、酒も飲む。金は袖の下から入って来るのだ。裁判の結果、体刑を宣言された一般の罪人は、前もってわずかなりとも、なけなしの金をはたいてでも、刑史に鼻薬を嗅がせる。しかし、相手に金があると見ると、彼らは自分の想定した財産の多寡に応じて、こちらから金額をいって取り上げる。三十ルーブリくらい取ることもあるが、ときにはそれ以卜の場合もある。飛びきり金持ちの場合には、値段の押し問答が相当はげしいくらいでおる。やたらに笞を弱くすることは、刑吏として、もちろんできるものではない。そんなことをすれば、自分の背中で責任を果たさなければならない。そのかわり、ある程度の賄賂《まかない》をもらえば、あまりひどくぶたないと犠牲者に約束をする。たいていはだれでもその申し出に同意するが、もしいやだなどといえば、彼らはそれこそめちゃめちゃななぐりかたをする。それはほとんど完全に彼らの胸ひとつにあるのだ。場合によると、ごく貧乏な罪人にかなりな金額を吹っかけることもある。すると、親類縁者がお百度を踏んだり、値切ったり、お辞儀の百万遍をする。それでも、もし彼らの満足がいくようにしてやらなかったら。それこそ大変である。そういう場合、彼らが相手の心に吹き込む迷信的な恐怖が、おおいにものをいうのだ。なにしろ刑吏については、とほうもないうわさが伝えられているのだから! もっとも、囚人たちが自分でわたしにいって聞かせたことなのだが、刑吏はただのひと打ちで人を殺すことができるそうである。しかし、第一、そんなことがいつ実験されたか! とはいうものの、あるいはそれもありうることかもしれない。彼らはそのことをあまりにも肯定的な調子で話したのである。当の刑吏もわたしに保証して、自分にはそれができるといいきった。また同様に、刑吏は力任せに罪人の背を打ち据えて、しかもその後にきわめて小さな傷痕も残さず、罪人がいささかの痛みも感じないようにすることができる、と人々は話していた。もっとも、こうした手品や微妙な秘術については、もはやあまりに多くの物語が世に知れ渡っている。しかし刑吏が、賄賂をとって刑を軽くしてやる場合でも、やはり最初の一撃だけは、力いっぱいに大きく振り下ろされるのである。それは彼らの間でひとつのしきたりにさえなっている。それからさきの笞は、とくに鼻薬が嗅がされている場合には、だんだんと軽くしていくのだ。が、最初の一撃だけは、金をもらっていようといまいと、思う存分にやる。どうしてそんなことになっているのか、わたしもいっこう見当がつかない。あるいは、うんとひどい一撃を受けたのちでは、軽い笞はもうさほどつらくないと見込んで、ひと思いにあとの打撃に慣れさせようという犠牲に対する思いやりなのか、それとも犠牲者の前でおのれの威を示して恐怖を感じさせ、まず最初に度胆を抜いておいて、おれを甘く見たら間違いだぞ、と相手に思い知らせるためなのか、ひと口にいえば、自分がどんな人間であるかを見せつけてやるためか、いずれにしても、刑吏は刑に取りかかる前には、興奮に襲われ、自分の力を感じ、おれは権力者であると意識する。この瞬間の彼は俳優なのだ。公衆は彼に驚異と畏怖を感じるのだから、最初の一撃を与える前に、この場合の決まり文句である宿命的な『覚悟はよいか、やるぞ!』という叫びを犠牲にむかって投げかける時、多少の快感を覚えるのはもちろんである。人間の天性はどこまで曲げられるものか、想像もむずかしいぐらいである! 入院当時しばらくの間は、わたしもこうした囚人たちの物語に熱心に耳を傾けていた。わたしたちはだれにしても、じっと寝てばかりいるのが退屈でたまらなかった。来る日も来る日も、みんな似たり寄ったりなのだ! 午前中は、まだしも医者の回診や、それに引き続いての食事などで気を紛らされる。もちろん、食事はこうした単調さの中では、たいした楽しみである。献立は、患者の病気に応じて区別されているので。まちまちであった。何かの挽《ひ》き割りを入れたスープだけもらうものもあれば、粥だけのものもあり、ホイート・ミールだけのものもあった。このホイート・ミールは、とても希望者が多かった。囚人たちは、長い病床生活に甘やかされて、口が奢っているのであった。回復期に向かった患者や、ほとんど健康体になったものには、煮た牛肉がひと切れつけられた。それをわたしたちは「牡牛」と呼んでいたものである。いちばん上等なのは壊血病患者の献立で、牛肉に葱《ねぎ》、山葵《わさび》などをつけ合わせ、ときにはウォートカが一杯つく時もあった、パンも同じく病気によって、黒いのもあればなかば白いのもあり、うんと焼き上げたのもあった。こんなふうにして、献立を決めるお役所式の細かいやりかたは、ただ病人たちを笑わせるだけであった。もちろん、病気によっては、患者自身なにも食べない場合があった。が、そのかわり食欲旺盛な炳人たちは、なんでも食べたいものをたべた。なかには食事を交換する連中もあったので、ある病気に当てられた献立が、まるで別な病人に移るのであった。淡泊な食餌を当てがわれて寝たきりでいるものが、牛肉や壊血病患者の食事を買って食ったり、クワスを飲んだり、病院からビールを当てがわれているものからそれを買って飲んだりした。中には二人分食べるものもあった。これらの献立は、金で売買されるのみか、さらに転売されるのであった。牛肉のついている食餌は、かなり高い値をつけられて、五コペイカもした。もしわたしたちの病室で売り手がなければ、もうひとつの囚人病室へ番人を使いにやり、もしそこにもなかったら、わたしたちが『自由室』と呼んでいた兵隊の病室にまで行かしたものである。売り手はいつでも見つかった。そんな連中はパンだけですますことになるけれど、そのかわり、ふところを膨らますことができた。もちろん、貧乏はみんなおたがいさまだったが、それでも小金を溜めている連中は、市場へ人をやって、丸パンやその他のうまいものを買わせるのであった。病院の番人たちは、こうした依頼を欲得はなれて引き受けてくれた。
 食事がすむと、いちばん退屈な時間が来る。しょうことなしに寝るものもあれば、無駄口をたたくものもあり、口論するものもあれば、何か大きな声で話をするものもあった。もし新しい患者でも入って来なければ、退屈はまた一段であった。新入り患者の到来は、ほとんどつねにある印象をあたえたが、もしそれがだれも知らない人間なら、なおさらであった。人々はその男をじろじろ眺めまわして、いったいこれは何者なのか、どうして、どこから、どういう事件で入って来たのか、などということを知ろうと努める。このさい、とくに興味を持たれるのは転送囚であった。彼らはいつも何か変わったことを話したが、しかし自分のことは立ち入って話そうとしない。そうなると、当人が口を切らないかぎり、ほかのものもけっして根掘り葉掘りせず、ただどこから、だれと来たのか、道はどんな様子か、これからどこへ行くのか、といったような質問に限られる。なかには、その新しい話を聞いているうちに、その場でふと思いついたように、何かしら自分の体験したこと、たとえば、さまざまな転送のことだの、その時の顔ぶれだの、護送者のことだの、護送隊長のことだのを話し出す。笞刑を受けた連中もやはりそのころ、夕方に姿を現わした。彼らはいつもかなり強い印象を与えるのが常であったが、しかしそのことはもう前にも書いた。とはいえ、毎日そうした連中がつれて来られるわけではないから、それがない日には、わたしたちの病室の空気はなんとなくだらけて来る。さながら、おたがい同士の顔がいやになるほど鼻についたという感じで、口喧嘩さえ始まるのであった。そういうわけで、試験のために連れて来られる気ちがいさえも歓迎したほどである。笞刑を逃れるために贋気ちがいになるという手は、ときたま未決囚の間に使われていた。彼らのあるものは間もなく正体を見破られた、というよりも、彼自身のほうが行動計画を変えることに決心するので、二、三日ばかげた真似をすると、急になんのきっかけもなく正気に返って、おとなしくなり、陰気な顔つきで退院を願い出るのだ。囚人たちにしろ、医師たちにしろ、彼に向かって、ついきのうまでのいかさまを持ち出し、咎め立てしたり、恥をかかしたりなどしない。黙って退院の手続きをし、黙って見送るだけであった。すると、二、三日たってから、その男は笞刑を受けて、わたしたちの病室へやって来るのだ。とはいえ、こんなことは概してまれであった。ところが、ほんものの気ちがいが、検診のためにつれて来られると、それこそ病室ぜんたいの者にとって、まったく天罰が降ったようなものである。なかでも、わめいたり、踊ったり、歌ったりする、賑やかで元気な気ちがいは、はじめ囚人たちにほとんど歓呼せんばかりに迎えられる。『こいつあお慰みだ?』と、つれられて来たばかりの道化者を見て、彼らはこういうのであった。しかし、こうした不幸な人たちを見るのは、たまらないほどつらく苦しかった。わたしはいかなる時にも、狂人を冷静な目で見ることができなかった。
 しかし、はじめ哄笑をもって迎えられた狂人の絶え間ない道化ぶりや、落ちつきのない突飛なしぐさは、間もなくわたしたち一同にすっかり飽かれてしまい、二日もするうちに、どうにも我慢できなくなってしまった。そうした気ちがいの一人が、三週間もわたしたちの部屋に置かれたことがあったが、その時などは、まったく病室から逃げ出したいくらいであった。しかも、まるでわざと狙ったように、その時もう一人の気ちがいが連れて来られた。この男はわたしにかくべつ深い印象を与えた。それはもうわたしの徒刑生活の三年目に当たっていた。わたしが監獄に入ったはじめの年、というより、むしろ最初の数か月といったほうがよかろう、わたしは春のころ、一隊の囚人にまじって、二露里ばかり離れた煉瓦工場へ、暖炉職人といっしょに、土運び人足としてかよったことがある。来るべき夏の煉瓦焼のために、竃《かま》を修繕しなければならなかったのである。その朝、工場でM―ツキイとBが、そこに長く監督として住んでいる下士のオストロージュスキイを、わたしに引き合わせてくれた。それはかれこれ六十ばかりの、やせた背の高い老人で、すこぶる端正な、いな、むしろ荘重な風貌をしたポーランド人であった。もう久しい以前からシベリヤで勤務しており、出身からいえばただの平民で、一八三〇年に駐屯していた軍隊勤務の、一兵卒として来たに過ぎないが、M―ツキイとBは彼を愛し、尊敬していた。彼はしじゅうカトリックの聖書を読んでいた。わたしも彼と言葉を交わしてみたが。その話しぶりはじつに優しくて、分別があり、しかも、興味津々としていた。おまけに、その目つきがいかにも善良で、正直そうであった。それ以来、わたしは二年ばかりこの男に会わなかった。ただ何かの事件で予審に引っかかっている、といううわさだけを耳にしたが、とつぜんその老人が気ちがいとして、わたしたちの病室へつれられて来たのである。彼は金切り声をあげたり、高々と笑ったりしながら、入って来るなり、思いきり不作法なカマリンスカヤ踊りの身ぶりで、部屋じゅうを踊りまわった。囚人たちはうちょうてんになって喜んだが、わたしはえもいえぬもの悲しい気持ちになった……それから三日もすると、わたしたち一同は、もうこの男をどう始末したらよいかわからなかった。彼は口論したり、喧嘩したり、金切り声を出したり、夜中にまで歌をうたったりして、しかも胸くそが悪くなるような醜怪な動作をのべつやっているのだ。彼はだれ一人こわいものなしであった。ついに緊迫衣を着せられたが、そのためにわたしたちはますます迷惑するばかりであった。しかし、それを着せられなくても、彼はしじゅう喧嘩を吹っかけ、ほとんどだれにでもつかみかかった。この三週間のあいだに、ときおり病室じゅうの者がいっせいに抗議を唱えて、このとんでもない珍客をほかの囚人病室へ移してくれるようにと、医長に願い出たものである。すると、向こうのほうでも同様に、二日も経つとわたしたちのほうへ移すように嘆願する、という始末であった。ちょうどそのとき気ちがいが同時に二人、騒々しい乱暴者がかち合っていたので、二つの病室は代わり番こに気ちがいの取り替えっこをしていた。しかし、両方ともたがいに負けず劣らずの厄介者だった。最後に彼らがどこかへ連れて行かれた時、一同ははじめてほっと息をついた……
 それから、また一人奇妙な気ちがいを覚えている。ある夏の日、見たところひどく不恰好な、丈夫らしい未決囚が一人つれて来られた。年は四十五、六で、顔はあばたで見るかげもなく、小さな目は赤くただれて、全体にひどく気むずかしげな陰気くさい様子をしていた。彼はわたしの隣に場所を決められた。よく見ると、非常におとなしい男で、だれとも口をきかず、何やら思いめぐらすふうつきですわっていた。やがて日暮れごろになると、不意に彼はわたしのほうへ振り向いた。いきなりなんの前置きもなしに、さも大変な秘密でもうち明けるような顔つきをして、自分は二、三日のうちに、二千の笞を受けることになっているが、G大佐の令嬢が骨を折っていてくれるから、今では刑を受けなくてもすむだろう、といったようなことを話しはじめた。わたしはけげんな目で相手を眺めながら、こういう場合、いくら大佐のお嬢さんでも、なんとしようもないはずだがと答えた。わたしはまだてんで察しがつかないでいた。というのは、彼は気ちがいとしてでなく、普通の病人としてつれられて来たのだからである。いったいなんの病気なのか、とわたしは彼にきいてみた。すると、その答えに、なんの病気か知らない、自分は何かのためにここへ送られて来たけれども、からだはどこからどこまでも達者で、大佐のお嬢さんは自分に惚れているのだ。二週間前に、お嬢さんが営倉の前を馬車で通りかかったが、自分はその時ちょうど窓の鉄格子の間から外をのぞいていた。令嬢はひと目見るなりたちまち自分に惚れこんでしまった。それ以来さまざまな口実を設けて、もう三度も営倉へやって来た。一度は父親といっしょに、そのころ衛兵将校をしていた兄のところへ訪ねて来たのだし、二度めは母親とつれだって、施し物を持って来たのだが、自分のそばを通り過ぎながら、わたしはあなたを愛しているから、きっと救い出してあげます、とささやいたとのことである。彼がこの愚にもつかぬ話をどんなに詳細に物語ったか、それは不思議な気がするくらいであった。もちろん、この話は徹頭徹尾、彼の狂った哀れな頭のなかに生み出されたものである。彼は笞刑を免除されることを、神様のご託宣のように信じて疑わなかった。この令嬢が熱烈に愛しているということも、落ちつき払って自信たっぷりな調子で話すので、物語ぜんたいが、てんからばかげきっているにもかかわらず、こんな不景気な醜い顔をした五十男の口から、恋せる乙女のロマンチックな物語を聞くのが、不気味しごくに思われた。笞刑の恐怖がこの臆病な心に、どれだけの影響を与えたかを思うと、不思議な感じがするほどである。おそらく、彼はほんとうにだれかの姿を窓越しに見たので、刻々募っていく恐怖のために、下地のできていた狂気が、突如として一時に捌《は》け口を与えられ、具体的な形式を発見したのであろう。生涯に一度も令嬢のことなど考えもしなかったろうと思われるこの不幸な兵隊が、本能的にこうした一本の藁しべに取りすがって、たちまち一編の小説を考え出したのだ。わたしは黙ってその物語を聞き終わると、ほかの囚人たちにこの男のことを話した。しかし、ほかの連中が好奇の目を向け始めた時、彼はつつましく口をつぐんでしまった。翌日、医師が長い間いろいろと彼にたずねてみたところ、彼はそれに対して、自分は何も病気などしていないと答えたし、また診察の結果も、じじつ、そのとおりだったので、そこで退院ということになった。しかし、彼の患者票に、健康体《サナト》と書かれたことをわたしたちが知ったのは、医師たちがもはや病室を出た後だったから、いまさらことの真相を知らせてやるわけにいかなかった。それに、わたしたち自身もまだその時は、ことの真相がいよいよなんであるかを、じゅうぶんに察してはいなかったのだ。とにかく、いっさいのもとは、彼を病院によこした役人たちの過失に存するので、彼らはなぜこの男をよこしたのか説明しなかったのである。そこにはなにかしら手ぬかりがあった。が、もしかしたら、送ってよこしたほうでも、ただちょっと怪しいと思っただけで、完全に彼の発狂を確信していたわけでなく、漠然としたうわさによって、彼を検診によこしたまでかもしれない。それはともあれ、不幸な男は二日後に笞刑に引き出された。この出米事はあまりの思いがけなさに。彼をびっくり仰天させたらしい。彼は最後の瞬間まで、罰せられようなどとは信じていなかったので、列の間を引きまわされ始めた時、『助けてくれえ!』と叫び出したくらいである。病院へつれ込まれると、今度はわたしたちの病室にベッドがなかったため、別の部屋へ収容された。しかし、わたしが問い合わせて知りえたところによると、彼はまるで八日間、だれともひと言も口をきかず、なにか照れた様子で、ひどく悄気こんでいるとのことだった……その後、背中の傷が癒えた時、彼はどこかへやられてしまった。すくなくとも、わたしはもうそれきり彼のうわさを何ひとつ耳にしなかった。
 一般に治療や薬品のことはどうかというと、わたしの観察しえた範囲では、軽症患者はほとんど医者の命に従わず、薬をのもうとしなかった。が、重症患者や、その他一般に本物の病人は、心から治療を喜んで、規則ただしく与えられた水薬や散薬を服用していた。しかし、何よりも喜ばれるのは外科療法であった。吸角《すいだま》、水蛭、湿布、放血、これらがわが民衆のとくに喜んで信頼するものであって、わたしたちの仲間でも、こうした療法は進んで受け入れるのみか、むしろ満足さえ感じるのであった。これについて、わたしは一つの奇妙な現象に興味を感じた。杖や笞の身を切るような痛みを、あれほど辛抱づよく忍んで来たこれらの人々が、ちょっとした吸角か何かで痛みを訴えたり、顔をしかめたり、呻き声さえ立てたりするのである。彼らが寸しかり甘やかされてしまったせいか、それともただこれをみえ[#「みえ」に傍点]にしているのか――その辺はなんとも説明しかねる。もっとも、この病院の吸角は、特殊なものであった。瞬く間に皮膚を切る機械は、看護手がいつの昔になくしたのやら、だめにしたのやら、それともひとりでにだめになったのか知らないが、ともかく治療に必要な切り口は、ランセットでつくらなければならなかった。その切り口は、吸角ひとつについて、かれこれ十二ばかりつけなければならなかったが、機械でやれば痛くないのである。十二の刃がたちまち一瞬の間に皮膚を切るので、痛みが感じられないのだ。しかし、ランセットで切り口をつけるのはわけがちがう。ランセットは比較的切りかたがゆっくりしているから、痛みが感じられる。そこで、たとえば、十の吸角をつけるには百二十の切り口をつくらなければならないから、それがいっしょになると、相当こたえるのは、もちろんである。わたしもそれを実験してみたが、痛くもある。いまいましくもなって来るけれど、それかといって、我慢しきれず、唸り声を立てるほどのこともない。だから、頑丈な大男がときおり身悶えしながら、べそを掻き出すのを見ると、おかしくなるくらいであった。概してこれを譬えてみると、何か真剣な仕事をする埒には、しっかりして落ちついてさえいる人間が、家で何もすることがないと、欝《ふさ》ぎの虫を起こして気まぐれをいい、出されるものも食べないで、怒ったり悪態をついたりするのと同じである。何を見ても気に入らず、だれもかれも癇《かん》にさわり、だれもかれもが不作法な真似をして、彼を苦しめる。――ひと口にいえば、世間でよくいう、『楽をし過ぎて頭が変になる』というやつである。もっとも、これは下層の民衆のなかにも見受けられるが、わたしたちの監獄では、みんながいっしょに雑居しているので、あまりにもしばしば見かけられるのである。もう病院となると、仲間の者がそうした柔弱なやつをからかい始めるばかりでなく、なかには頭ごなしに罵倒するものさえある。するとその男は、罵倒されて黙り込む機会をじっさい待ちかまえていたように、ふっつり黙り込んでしまうのである。ことにウスチヤンツェフはそういった人間がきらいで、甘やかされた意気地なしを罵倒する機会をついぞ逃したことがない。概して、彼は人に絡んでいくおりを逃さなかった。それは彼の楽しみであり、要求であったが、もちろんその原因は病気のせいと、幾分はまた頭の鈍いせいでもあった。まずはじめはまじめくさって、じっと相手を見つめているが、やがて変に落ちついた自信たっぷりな声でお説教を始めるのだ。彼は何にでもおせっかいをした。まるで病室内の秩序と一同の風儀を監督するために、わたしたちに付き添えられてでもいるような具合であった。
「よく何にでも口を出すやつだな」と囚人たちは笑いながらいったものである。もっとも、みんなは彼を容赦して、口喧嘩などするのを避けるようにしていた。ただときどき笑うくらいが関の山であった。
「いやはや、よくまあしゃべったもんだなあ! 馬力三台にも運びきれやしねえ」
「なにをしゃべったというんでえ? ばかの前で帽子を取ってお辞儀をするやつはありゃしねえ、わかりきった話じゃねえか。いったいなんだってあいつはランセットぐらいでわめきやがるんだ? 身から出た錆だ、我慢しろってことよ」
「だが、それがてめえの知ったことかい?」
「いや、兄弟」と囚人の一人がさえぎった。「吸角なんてなんでもありゃしねえ、おれもやったことがあるよ。それより、いつまでも耳を引っぱられているほどいてえことはねえぜ」
 一同は笑い出した。
「じゃ、おめえ引っぱられたことがあるのけえ?」
「おや、そんなことはねえと思ってるのか? そりゃ引っぱられたとも」
「道理でおめえの耳はおっ立っていやがらあ」
 なるほど、このシャープキンという囚人の耳は、ばか長くて、両側にぴんと突っ立っていた。彼は宿なしの仲間で、まだ若いけれど、ものわかりのいい静かな男である。いつもユーモアを内に隠したまじめな口のききかたをするので、それが彼の話に多分の滑稽味を添えていた。
「へん、おめえが耳を引っぱられたかどうか、おれがそんなことを考える因縁はねえじゃないか。それに、どうしておれがそんなことを考えつくというんだ、この石あたまめ!」とまたもやウスチヤンツェフが憤然として、シャープキンに食ってかかった。そのくせ、シャープキンはべつだん彼に向かっていったのではなく、全体に、みんなを相手にしていたのである。が、シャープキンはそのほうを見むきもしなかった。
「じゃだれがてめえを引っぱったんだい?」とだれかがたずねた。
「だれだってきくのかい? だれだかわかりきってらあ、警察の署長よ、それはな、兄弟、おれが宿なしでごろつきまわっていた時分のことなんだ。おれたちはその時Kへやって来たが、仲間は二人だった。おれともう一人、ご同様に宿なしのエフィームという野郎で、苗字を持っていねえんだ。その途中、おれたちはトルミナ村のある百姓の家で、少々ばかりかせぎをやったのさ。そういう村があるんだよ、トルミナってね。さて、町へ入ってから、ここでも何か稼ぎはねえかと、様子を見たわけさ、あとで高飛びする了見でな。野っ原なら四方まるあきだが、町ん中はご承知のとおり、少々薄っ気味が悪いや。そこで、まず居酒屋へ入りこんで。あたりを見まわすと、肘のぬけた背広を着た、いかにも尾羽うち枯らしたような男が一人、おれたちのそばへやって来るじゃねえか。それから、なんだかんだといったあげく、『おまえさんどうだね、ひとつおたずねするが、書付け([#割り注]旅券―原注[#割り注終わり])は持っておいでかね』と来やがった。
『いんや、書付けなんか持っちゃいねえよ』
『なるほど、こっちもじつはその組なんだ。この土地にゃもう二人仲のいい友達があるが、これもやっぱり郭公《かっこう》将軍のところでつとめている(森に隠れている―原注)やつさ。そこでひとつご無心だが、おれたちは今ちっとばかり散財しちゃって、さしあたり金に不自由しているんだ。おれたちに二合びんをふるまってくれねえか』
『なあに、お安いご用だ』というわけで、まあ一杯やったものさ。その時やつらはうまい口をひとつ教えてくれたよ。やっぱり押し入りの口で、つまりおれたちの商売柄なんだ。その町のはずれに一軒の家があって、そこにさる金持ちの町人が住んでいる。たいしたしろものが山ほどあるってわけで、夜中にひとつ当たってみることに相談が決まった。ところが、その金持ちの町人の家で、おれたちは五人ながら揃って、その夜のうちにひっかかっちまったんだ。いきなり警察へ引っぱられて、やがていよいよ署長の前へ突き出された。おれがじきじき取り調べてやるというご託宣なんだ。パイプなんかくわえて出て来てさ、その後からお茶を運ばしていやがる。頬髯を生やした頑丈づくりの男なんだ。そこで、椅子に腰をおろしたが、その場にはおれたちのほかに三人引っぱられて来ていたっけ、ご同様の宿なしさ。そいつがおかしな野邱なんだよ、その宿なしがよ。どうだろう、何ひとつ覚えていねえんだからなあ。棍棒で頭をひっぱたかれても、何もかも忘れました、なんにも知りませんの一点張りだ。そのうちに、署長がいきなりおれのほうを向いて、『きさまは何者だ』ときくのだが、それがまるで樽の中で唸るような声なのさ。こっちはもう決まりきった話で、みんなと同じように、なんにも覚えちゃおりません、旦那、すっかり忘れちまいました、とやったものよ。
『よし、待っていろ、いまに口を割らしてやるから、どうも見覚えのあるつらだ』といって、目玉をひんむいておれをにらみつけるじゃねえか。ところがこっちゃそれまで、一度もお目にぶら下がったことなんかありゃしねえ。それから、つぎのやつに。『きさまは何者だ?』と来やがった。
『どろん決めこみ、でごぜえます、旦那』
『そりゃいったいきさまの名前なのか、どろん決めこみ、なんて?』
『たしかにそのとおりでごぜえます、旦那』
『ふむ、よし。きさまはどろん決めこみだな。では、きさまは?』
 これはつまり、三人めのやつにきいたんで。
『おれもあとから、でごぜえます、旦那』
『いや、きさまの姓名はなんというのかきいているんだ』
『だから、そういってるんで、おれもあとから、なんでごぜえますよ、旦那』
『いったいだれがそんな名前をつけたんだ、この業つく張り』
『親切な人さまが、つけてくれましたんで、旦那。この世にゃ、まんざら親切な人が、いねえわけでもごぜえませんからね、旦那もご承知のとおり』
『その親切な人たちというのはだれのことだ?』
『ちょっくら、度忘れしてしめえやした、旦那。もうお慈悲に勘弁していただきてえもんで』
『みんな忘れてしまったのか?』
『みんな忘れちめえやした、旦那』
『それにしても、きさまだってやっぱり親父やおふくろはあったろう?………せめて両親くらいは覚えているだろう?』
『多分あったんだろうと思えやすが、それでもやっぱし、ちょいと度忘れしましたもんで、旦那。ひょっとしたら、あったかもしれやせん、旦那』
『ぜんたいきさまは今までどこに住んでいたんだ?』
『森の中なんで、旦那』
『ずっと森の中にいたのか?』
『ずっと森ん中に』
『ふむ、しかし冬は?』
『冬なんて、見たこともごぜえません、旦那』
『ふむ、じゃきさまは、きさまの名はなんていう?』
『斧と申しやす、旦那』
「では、きさまは?」
『ぼんやりしねえで研ぎすませ、てんで、旦那』
『じゃ、きさまは?』
『ちょいちょい研げよ、と申しやす、旦那』
『みんな何ひとつ覚えがないというんだな?』
『何ひとつ覚えがごぜえません、旦那』
 署長のやつ、立って笑ってると、宿なし連もそれを見てにやにやしていやがる。でも、うっかりへまをやると、横っ面を食らわされることもあるのさ。なにしろ、食い肥った頑丈な手合いが揃ってるんだからなあ。『こいつらを監獄へ引っぱって行け』と署長はいう。『おれがあとで取り調べをするから。そこでと、きさまはここへ残っていろ』というのは、つまりおれのことなんだ。『こっちへ来て。腰をかけろ!』見ると、テーブルの卜に紙とペンが置いてある。こいつあいったいどうしようてつもりかな、とおれは考えた。『その椅子に腰をかけて、ペンをとって書くんだ!』と署長はいうなり、ひとの耳をつかんで、ぐいぐい引っぱるじゃねえか。おれあ、まるで悪魔が坊主でも見るように、きょとんとして、やつの顔を見ながら、『わっしにや書けません、旦那』というと、『書け!』とぬかしゃがる。
『どうかお慈悲にご勘弁を、旦那』『書け、なんとでも書けることを書いてみろ!』といいながら、のべつ耳を引っぱりやがるんだ。やたらに引っぱって、おまけにぐいとねじり上げるじゃねえか! いやはや、兄弟、まったくのところ、笞三百くらわされたほうがまだしもなくれえで、まるで目から火が出そうだったよ、――なにしろ書け、書けの一点張りなんだからな」
「いったいそいつはどうしたってえんだ、頭でも変になりゃがったのか?」
「いんや、頭なんか変になったんじゃねえよ。じつはそのちょいと前にTで役所の書記がひと狂言うったのさ、おかみの金をくすね込んで、そのままどろんを極め込んだのだが、そいつもやっぱり耳がおっ立っていたってわけよ。さあ、そこで、ほうぼうへ触れをまわしたところ、どうやら、おれの人相がやつに似てたもんだから、そこで奴さん、おれをためしてみようとしやがったんさ、おれに字が書けるか、そしてどんなふうに書くか見てやろうっていう腹でな」
「そいつあ味をやりおったな! で痛かったかい?」
「痛かったといってるじゃねえか」
 一同、声をそろえてどっと笑った。
「それで、おめえ書いたかい?」
「ふむ、なにも書くもんけえ? おれがペンでくしゃくしゃ紙の上をなすくりだしたもんだから、やつ匙を投げてしまやがった。そりゃいうまでもねえ、びんたの十ばかりも食らわしたが、それで放免してくれたよ、ただしもとの監獄へだがな」
「全体おめえは字が書けるのかい?」
「もとは書けたもんだが、人がペンで書くようになってから、とんと忘れてしまったよ……」
 こうした物語、というより無駄口のうちに、退屈な時間が過ぎて行くこともときどきあった。ああ、それはなんという退屈さであったか! 長い息苦しい日々、来る日も来る日も寸分ちがいのない日々、せめて何か本でも一冊あったら! が、それでもわたしはよく病院へ行った。はじめはことに頻繁に入院した。ときとしてはほんとうに病気のためでもあったが、ときにはただすこし横になりたさに、監獄をのがれ出したものである。監獄は苦しかった。ここよりもいっそう苦しかった、精神的に苦しかったのだ、憎悪、敵意、口小言、羨望、わたしたち貴族出のものに対する絶え間のないいいがかり、毒々しい威嚇するような顔。ところが、この病院では、すべてのものが比較的平等な立場にあって、ずっと友だちらしくつき合っていた。長い一日のうちでも最もわびしい時刻は、晩になってから夜が来るまで、蝋燭の光で過ごす間でありた。みんな早くから床についた。仄《ほの》かな有明けの灯は、はるかな戸口で明るい一点をなしているが、わたしたちのいる片隅は薄暗かった。空気は悪臭にみちて、息苦しくなって来る。なかには寝つかれないで起きあがり、何やら考えごとでもしているように夜帽子をかぶった頭を垂れたまま、一時間半くらい寝床の上にすわっている。すると、こちらもなんとかして時間を消すために、まる一時間もその様子を眺めながら、いったい何を考えているのかと、想像をめぐらしてみるのである。それかと思うと、空想に耽りはじめて、過ぎ越し方など追憶する。すると、想像裡に広大な光景がまざまざと描き出され、こういう時でなければしょせん思い出されもせず、またこうまでは感じられまいと思われるような、細かいことどもが浮かんで来る。また、ときには、さきざきのことを推測して見る、――監獄を出て行く時はどんなふうだろう? どこへ行くだろう? それはいつのことか? そのうちいつかは懐かしい生まれ故郷へ帰るだろうか? こんなことを考えて考えて、考え抜いていると、一縷の希望がこころのうちに動き始める……またときとすると、ただ無心に一、二、三と数え出す、こうして数を読んでいる間に、なんとかして寝つこうという算段である。わたしはときおり、三千まで数えて、それでも寝つかれなかったことがある。ああ、だれやら寝がえりを打っている。ウスチヤンツェフは、例の肺病やみらしい力のない咳をし始め、やがて弱々しい唸り声を立てる。そして、そのたびに「やれやれ、いってえなんの業《ごう》だろう!」と嗟嘆《さたん》する。あたりがしんと静まり返った中に、この病人らしい、ひびの入ったような、みじめな声を聞くと、異様な感じがする。ふとどこかの片隅でも、やはり寝られないと見えて、自分の寝床の中から話し合っている声が聞こえる。一人がなにかしら自分の身の上話をはじめた様子で、遠い昔のことや、放浪時代のことや、子供のこと、女房のこと、以前の世の中の有様などを話している。その遠く離れたひそひそ声を聞いただけで、当人の話していることはもういっさい、二度とその身に帰って来ないということと、そして話し手は、世間から見放されたあぶれ者であることが感じられる。もう一人のほうは聞き役である。ただ静かな、単調なささやきが、さながらどこかはるかな水のせせらぎのように聞こえるばかり……今でも覚えているが、ある長い冬の一夜、わたしは一つの物語を始めから終わりまで聞いたことがある。最初はその話が、何か熱にでもうなされた時の夢のように思われた、まるでわたしが瘧《おこり》にでもかかって、熱と悪夢にうなされながら見た幻覚かと疑われるばかり……

[#3字下げ]4 アクーリカの亭主[#「4 アクーリカの亭主」は中見出し]
[#7字下げ]――一つの物語――[#「――一つの物語――」は中見出し]

 夜はすでに更けて、十一時をまわっていた。わたしはとろとろ寝入りかけていたが、ふっと日がさめた。はるかかなたにある有明けのぼんやりしたかすかな光が、病室をおぼつかなげに照らしている……もうほとんどだれもかれも眠っていた。ウスチヤンツェフさえ眠りに入って、その苦しげな息づかいと、ひと息ごとに喉にからまる痰の音が、ひっそりした中でよく聞こえた。とつぜん、遠く離れた入り口の廊下で、交代衛兵の近づいて来る重々しい足音が響いた。銃尾でどんと床を突く音がする。病室の戸が開いて、上等兵が足音を忍ばせながら入って来て、患者の数を調べる。やがて間もなく戸が閉まって、衛兵たちは新しい歩哨を残して立ち去った。すると、ふたたびもとの静寂に返ってしまう。その時、はじめてわたしは、自分の場所からあまり遠くない左のほうに、二人の男がまだ眠らないで、ひそひそ話し合っているらしいのに気がついた。それは病室内によくあることで、ときには幾日も幾月もたがいに寝床をならべて寝ながら、ついぞひと言も口をきいたことがないくせに、ふと何かの拍子で深夜の気分にそそのかされて話をはじめ、一方が相手のものに自分の過去を洗いざらいぶちまけてしまうのである。
 察するところ、彼らはもう前から話し込んでいたものらしい。はじめのほうは聞き洩らしたし、今でもぜんぶ完全には聞きとれなかったけれど、すこしずつ慣れて来るにしたがって、すっかりいきさつがわかるようになった。わたしは、寝そびれてしまったので、なんとも仕方がない、聞かないわけにはいかなかったのだ!………一人が寝床の上になかば身を横たえて、頭をもち上げ、仲間のほうへ首をさし伸べたまま、一生懸命に話している。どうやら興奮して熱くなっているらしい。話したくてたまらない様子である。聞き手のほうは気むずかしげな、まるっきり無関心な様子で、寝台の上に両足を伸ばしてすわっていた。ときおり返事のためなのか。それとも話し手に対する同情のしるしなのか、なにやら唸るような声を立てたが、それは心からではなく、ほんのお体裁のためらしかった。そして、のべつ角《つの》のたばこ入れからたばこを出しては、鼻の中へ押し込んでいた。それは懲治監から来たチェレーヴィンという五十ばかりの兵隊で、学問自慢の気むずかし屋で、冷淡な理屈屋で、うぬぼれの強いばか者であった。話し手のシシュコフは、まだ三十にならない若者で、裁縫工場に慟いており、わたしたちと同じ普通監獄の囚人である。それまで、わたしはこの男にあまり注意を払っていなかった。またその後も、わたしの監獄生活の間じゅう、どうしたものかこの男に興味を持とうという気にはなれなかった。それは中身のない、無分別な男であった。ときによると、むっつり黙り込んで、気むずかしげな日々を送り、粗暴なふるまいをして、幾週間も幾週間も口をきかない。かと思うと、ときおり急に何かのいざこざに首を突っ込んで、金棒を引いたり、愚にもつかないことにやっきとなったり、監房から監房へと歩きまわったり、うわさ話を取り次いだり、人にいいがかりをつけたりなどして、夢中になることがある。そこで、ひとつぶんなぐられると、また黙りこくってしまう。彼は臆病らしい、みじめな若者であった。みんなは妙にばかにしたような態度で、この男をあしらっていた。背のあまり高くないやせた男で、目つきはなんとなく不安げな表情をしていたが、どうかすると、いかにも鈍そうなもの思いの色を見せることがある。何かの拍子で話をはじめると、最初《はな》は一生懸命になって熱心にしゃべり立て、両手まで振りまわすほどだが、急にぽつりと話を切ってしまうか、ほかのほうへはずれていって、話題のこまかいいきさつに気を取られてしまい、前の話を忘れてしまうのである。彼はよく悪態をついた。悪態をはじめると、かならず相手が自分に何か悪いことをしたようにいって責め立て、ほとんど泣かんばかりに掻き口説くのだ……バラライカを弾かせるとなかなかじょうずなもので、自分でも弾くのが好きだった。祭日などには踊りまでした。ことに人から勧められた時にはよく踊った……彼は何につけても、すぐ人のいいなり次第になった……それはひどく素直だからではなく、人の仲間に割り込んで行っておつき合いにご機嫌をとるのが好きだったからである。
 わたしは長いこと、何をこの男が話しているのか察しがつかなかった。そのうえはじめの間は、彼がのべつ本題を離れて、わき道へばかりはずれているように思われた。彼はおそらく、相手のチェレーヴィンにとって自分の話なんかほとんど用がないことに気がついていたのだろうが、わざと自分で自分を欺いて、聞き手が一心に耳を澄ましているものと、信じようとしているらしい。だから、もし彼がその反対の確信に到達したら、さぞかしつらいことだったに相違ない。
「……よく市場へ出かけて来ると」と彼は言葉を続けた。みんながぺこぺこ頭を下げて、感心してやがるのさ、ひと口にいやあ金持ちなんだ」
「商売をやっていたというんだな?」
「うん、そう、商売をやってたんだ。おれたものほうの町人仲間といったら、貧乏人ばかりでな、てんで裸虫なんだ。女房どもは川から水を汲んで来て、どえらい崖道を担ぎ上げて、そいつを野菜畑にかけてやるといったふうで、いやはやたいした苦労だが、秋になると菜汁《シチイ》の実も取りかねるという有様だ。まったく目も当てられやしねえ。ところがさ、やつはたいした土地を持っていて、その土地を作男に作らしていやがる。作男だって三人もかかえているんだからな。おまけに、養蜂場まで持ってて、蜜を売ったり、家畜の売り買いまでやっているんだから、土地じゃ大変な崇めかたなのさ。ずいぶん年寄りで、七十からの年になっていたから、骨がこわくなって、頭も真っ白だったが、なかなか大きな図体をしておったよ。そいつが、狐の毛皮外套を着て、市場へ出て来ると、みんながぺこぺこやるんだ。つまり、感心してしまうのさ。『ご機嫌よう、旦那。アンクジーム・トロフィームイチ!』というと、『やあ、おまえもご機嫌よう』といった調子で、だれ一人ないがしろにしねえのさ。『アンクジーム・トロフィームイチ、どうかいつまでもご息災で!』というと、『どうだな、おまえのほうの景気は?』ときくのさ。『わっしらの景気なんて、煤が白くでもなんなきや、よくなりっこねえでがすよ。ところで、旦那、おまえさんのほうは?』『わしらもやっぱし罪な暮らしをしてるのさ、折角のお天道《てんと》様を曇らすようなことをやってな』『まあ、息災でお暮らしなせえまし、アンクジーム・トロフィームイチ!』ってなわけで、つまり、だれ一人ないがしろにしねえのさ。ちょっとなんかいっても、ひと言ひと言一ルーブリの値打ちがあろうってものよ。ものしりで、読み書きができて、いつもいつも神様の本ばかし読んでいるんだ。婆さまを自分の前に据えて、『さあ、女房、よく聞いて合点するんだぞ!』といってお説教を始めたものだ。婆さんといっても、それはどの年寄りじゃねえ。なにしろ、子供ほしさに二度めにもらった嬶《かかあ》だからな。というのは、はじめの女房に子供がなかったのよ。さて、そこで、二度めの女房のマリヤ・スチェパーノヴナの腹から、息子が二人生まれたが、どちらもまだ小さいんだ。末っ子のヴァーシャというのなんか、六十の年にできたんだからな。一番上はアクーリカという娘で、その時十八だったよ」
「それがおめえの女房なんだな?」
「まあ、待ってくれ、まずはじめに、フィーリカ・モローソフがごてごていい出したんだ。『やい、アンクジーム』とフィーリカがいい出したものよ。『おれの分を返《けえ》してくれ、四百ルーブリ耳を揃えて渡してもらおう、おれあ何もおめえんとこの雇い男じゃねえからな! おれあおめえといっしょに商売なんかするなあいやだ、またおめえんとこのアターリカを嫁にもらうのもいやだ。おれあこのごろ遊ぶことを覚えたんだ。いまじゃ両親も死んじまったから、おれあ有り金をきれいに飲んじまって、それからさきは徴兵の身替わりになる、つまり兵隊に行っちまう。十年たったら元帥さまになって、この土地へ帰って来て見せるからな』そこで、アンクジームはやつに金を返し、きれいさっぱり勘定をつけてしまった。――というのは、やつの親父が爺さんと元手を出し合って、商売をやっていたからなんだ。『いやはや、おめえもしようのねえ人間になったもんだのう』と爺さんがいうと、『しようがあろうとあるめえと、大きなお世話だい、白髪じじいめ、てめえなんかといっしょにいたら、爪に火をともすような真似を覚えるのが落ちだあな。てめえと来たら、一コペイカ二コペイカのことをけちけちしやがって、どんなやくざなしろものでも、粥の足しにでもならねえかと思って、みみっちく集めていやがるでねえか。おれあそいつを見ると虫酸《むしず》が走るんだ。そうしてせっせと貯め込んでるがいい、しまいにゃ飛んでもねえものを背負い込むんだから。おれにゃ性根ってもんがあるんだから、おめえのアクーリカなんか、なんといったってもらやしねえ。そんなにしねえでも、おれあもうあの娘とはいっしょに寝たんだからな……』
『なんだと』とアンクジームはいい返した。『よくもこの正直者の親父に向かって、大事な一人娘に疵をつけるようなことをぬかしやがったな! いったいいつてめえはあれと寝たんだ、この蛇め、かます野郎め!』
 といって、からだじゅうぶるぶるとふるわせているじゃねえか。こいつあみんな、フィーリカの話して聞かしてくれたことなのよ。
『よし、それならおれはおめえんとこのアクーリカが、おれのとこばかりじゃねえ、どこへも嫁に行かれねえようにして見せるぞ。だれももらい手はありゃしねえ、ミキータ・グリゴーリッチでさえ、もうこうなったらもらやしねえ。だって、あれはもう疵物になったんだからな。おれああの娘と秋からねんごろにしてたんだ。だが、今じゃ蝦《えび》を百よこすからといったって真っ平ご免だ。まあ、ものは試しだ、今すぐ蝦を百、出してみろ、うんといやしねえから……』
 そこで野郎、おれたちの町で大散財を始めやがった。たいした野郎だよ! それこそ大地が唸り出して、その響きが町じゅうに伝わるような勢いなのよ。友だちをうんと集めて、およそ三月の間、極道を尽くしたもんだから、相当あった金もすっかりたたき上げちまったものさ。『おれあ有り金を残らず使いはたしたら、家を売り飛ばすんだ、何もかも売り飛ばすんだ。それからさきは、身替わり兵にでもなるか、それとも宿なしになってごろつくつもりだ!』と、よくこんなことをいったもんだ。朝から晩まで酔っぱらい通して、鈴のついた二頭立ての馬車を乗りまわしていたっけ。娘っ子たちにもてることといったら、それこそ大変なものだったよ。トルバもなかなか上手に弾いたよ」
「してみると、そいつは前からアクーリカと関係してたわけだな?」
「まあ、ちょっと待ってくれ。おれもちょうどその時分に親父に死なれてな、おふくろは生姜《しょうが》餅を焼いて、アンクジームの店に取ってもらい、それでまあ暮らしを立てていたものさ。哀れな暮らしだったよ。それでも、森の向こうがわに田地があって、麦なんか作っていたもんだが、親父が死んでからというもの、こいつもすっかり手離してしまった。というのは、おれもご同様ぐれたしたからなんだよ、兄弟、腕ずくでおふくろから金をふんだくったりして……」
「腕ずくなんて、そりゃいけねえ。大きな罪だよ」
「どうかするとな、兄弟、朝から夜おそくまで飲んだくれていたもんだ。おれたちの家は、まだどうにかこうにか建っていて、腐りかかっちゃいるけれど、とにかく自分の家にゃ相違ねえ。だが、中はがらんとしていて、兎狩でもできようって有様なんだ。よくすき腹をかかえて家にこもったきり、一週間もぼろを噛んでいたことがあったっけ。おふくろはしょっちゅうおれをつかまえて、くどくどと小言ばかり並べていたが、おれあ平気なもんさ!………おれはな、兄弟、その時分フィーリカ・モローソフのそばを離れずについていたもんだ。朝から晩までやつといっしょなのさ。『さあ、ギターを弾いて踊ってみせろ、おれはここに寝ていて、おめえに金を投げてやらあ。なにしろ、おれは世界一の金持ちだからな』とこんなことをぬかしゃがる。まったくどんなことでも、やつのしなかったことなんてありゃしねえ? ただ贓品だけは取らなかったよ。『おれあ泥棒じゃねえ、まっとうな人間だからな』といったものだ。『おい、これから出かけて行って、アクーリカの家の門にタールを塗ってやろうじゃねえか([#割り注]その家の娘が清浄でないことを諷刺する民間の風習[#割り注終わり])、おれあ、アクーリカをミキータ・グリゴーリッチのところへ嫁に行かせたくねえんだ。こいつが今のおれにとっちゃ飯より大事なこったからな』というじゃねえか。爺さんはもう以前から、このミキータ・グリゴーリッチのところへ娘をやりたがっていたんだ。ミキータというのは、やはり年寄りの独身者で、眼鏡なんかかけて歩きまわっていたっけ。商売をやっていたものさ。こいつがアクーリカのうわさを聞くと、急に尻込みをして、『アンクジーム・トロフィームイチ、これはわしの身にしてみると、ひどい不体裁なことになるでな、第一、この年になってから女房なんか持ちたくねえよ』といい出した。そこへもって来て、おれたちがアクーリカの門にタールを塗ったからたまらねえ。家のものはさんざんに娘を折檻しだした……マリヤ・スチェパーノヴナは、『この世に生かしておけねえ!』とわめくし、老人は老人で『これがもし昔のやかましい族長時代だったら、わしはこいつを焚火の上で一寸きざみに斬り殺してやるんだが、今は世の中が闇になってしまった、人間の心が腐っでるんだ』といったわけで、アクーリカが町じゅうに聞こえるほどの声で泣きわめくのを、近所隣りのものはよく聞かされたもんだ。なにしろ、朝から晩まで折檻のしどおしなんだからな。ところが、フィーリカは市場じゅうを大きな声で触れまわしやがるんだ。『アクーリカはいい娘だ、酒の相手にゃ持って来いだ。しゃれた恰好をして、白粉をつけてよ、だれが好きなのか聞きてえもんだ! おれあみんなの日につくようにしてやったから、いつまでも覚えていやがるだろう」そのころおれは一度、アクーリカが水桶を担いで、歩いているところに出くわしたものだから、『こんにちは、アクーリナ・クジーモヴナ! ご機嫌よう、どうやらしゃれた様子をしておいでだが、それはどこから覚えて来たんだね、いったいだれといい仲になってるのか、自状しなせえ!』とどなってやった。おれがこういうと、やつはじっとおれの顔を見たが、目ばかり大きくなって、からだは木っ葉みてえにやせ細っているでねえか。娘がおれの顔をちょっと見ると、おふくろのやつは、もうおれとふざけているんだと思って、門の下から、『何をそこでいちゃついてるんだよう、この恥知らずが!』とどなりつけて、その日もさっそく折檻なのだ。どうかすると、まる一時間もぶっとおしたもんだ。『たたき殺してくれる、もうこうなったら娘でもなんでもないんだから』というわけでな」
「つまり、いたずら娘だったんだな?」
「まあ、おっさん、黙って聞いてなよ。ところで、おれはその時分、フィーリカのやつとのべつ酒ばかり飲んでいたもんだから、おふくろがそばへやって来ても、大の字になって寝ているという始末なんだ。『なんだってごろごろ寝てばかりいるんだよ、この悪党め! ほんとにしようのねえごろつきだ』といって悪態をつくのさ。そして、いうことにゃ、『嫁でももらわねえか、そら、あのアターリカでももらわねえかよ。あの家じゃ今ならおまえにだって喜んでくれるよ。現金だけでも三百ルーブリは付けてよこすだろうよ』おれあおふくろにいってやった。『だって、あの女は疵物になっちまって、世間でだれ一人知らねえものはありゃしねえ』『ばかだよ、おまえ、婚礼してしまえば、何もかも消える道理じゃないか。それどころか、あの娘が一生おまえにすまんという気でいたら、結局おまえのとくじゃないか。わしらはその金で暮らしの立て直しができるわけだしね。わしはもうマリヤ・スチェパーノヴナに話してみたが、だいぶ乗り気になっているよ』ところがおれは、『そんなら、二十ルーブリ耳をそろえてテーブルの上へならべてくれ、そしたらもらってやるから』というわけで、おめえはほんとうにするともしねえとも勝手だが、婚礼の式を挙げるまで、のべつ幕なしに飲みとおしたもんさ。そこへ持って来ておまけにフィーリカ・モローゾフが、『やいアクーリカの亭主、おれあ手前のあばら骨を一本のこらずへし折ってくれるぞ。そして、てめえの女房なんか、おれがその気にさえなりや、毎晩でも寝取って見せるぞ」と脅し文句を並べやがる。おれあ『へらず口をききやがるな、この犬め!』とやったが、さあ、フィーリカのやつめ、さっそく町じゅうへおれの恥さらしになることを触れまわしやがったんだ。おれあ家へ飛んで帰ると、『さあ、今すぐもう五十ルーブリ耳をそろえてよこさなけりや、嫁なんかもらってゃらねえぞ!』」
「それで、その娘をおまえにくれたのけえ?」
「くれたのかって? どうしてくれねえわけがあるもんか。おれたちだって、人まじりのできねえような人間じゃねえんだからな。親父もとどのつまりは、火事で一文なしになっちまったが、もとはやつらより金持ちだったんだぜ。アンクジームはおれたちのことを、『宿なしの裸野郎』なんていやがるから、おれあそのしっぺ返しに、『おめえんとこの門はいい加減タールだらけじゃねえか』といってやった。すると爺さんは、『なんだっておめえは俺《ひと》に豪《えら》そうな口をききやがるんだ? うちの娘が疵物だっていう証拠を見せろ。人の口にいちいち戸が立てられるものか。さあ、とっとと出て行ってもらおう。いやならもらわねえがいい、だが、取り込んだ金は返してくれ』そこで、おれあその時フィーリカと手を切っちまった。ミートリイ・ブイコフをやつんとこへ使いにやって、これからきさまの悪口を世間へ触れまわしてやるぞといっておいて、それから婚礼の日までぶっとおしに飲み続けてやったよ。やっと式を挙げるという段になって、正気に返った始末さ。さて、式から帰って来て席につくと、叔父のミトロファン・スチェパーヌイチというのが、『世間体の悪い話だが、しっかり結んでしまった縁だから、どうも仕方がない』とぬかしやがるじゃねえか。アンクジームの爺さんも、やっぱり酔っぱらって泣き出したもんだ。じっとすわっていると、涙が鬚を伝って流れる始末だ。ところでな、兄弟、おれあそのとき何をしたと思う。もう式の前から用意しておいた鞭をポケットへ忍ばせて、今度こそそいつでアクーリカを慰んでやろうと、腹を決めたのさ。ずうずうしく俺をだまして嫁に来るとどんな目にあうか、思い知らせてやろうというつもりでな。それに世間のやつらにだって、おれがまんざら阿呆な顔をして婚礼したんでねえってことを、知らしてやりたくって……」
「そりゃもっともだ! つまり女房が今後おもい知るためなんだな……」
「いや、おっさん、おめえまあちょっくら黙っててくれ、おれたちのほうのしきたりじゃ、式がすむとすぐ花嫁花婿を奥の間へつれてって、ほかの連中はそのあいだ酒を飲んでるんだ。そこで、おれはアクーリカと奥の間でさし向かいになった。見ると、まるで血の気のない真っ白な顔をしてすわってるじゃねえか。つまり、びっくりしたのさ。髪もやっぱり亜麻みてえに真っ白なんだ。ただ目ばかり大きくってな。じっと黙りこくって、息をする音も聞こえやしねえ。まるで、唖みてえなふうなのさ。まったく妙ちきりんだったよ。ところで、兄弟、おめえどう思う。おれあ鞭まで用意して、寝床のそばに置きはしたものの、あいつは、おまえ、まるっきり生娘だったじゃねえか」
「なんだって?」
「まったくの話よ。それこそ堅気の家で育った堅気の娘だったんだ。それだのに、いったいどうしてああいう苦しみをじっと辛抱して来たんだろう! なんのためにフィーリカ・モローソフは、あいつの顔に、世間へ顔向けのできねえほど泥を塗りゃがったんだろう?」
「ふむ」
「おれあその時いきなり寝台から下りて、あいつの前に膝をついて、両手を合わしたもんだ。『おい、アクーリナ・クジーモヴナ、このばかなおれを勘弁してくれ、おれまでがみんなといっしょになって、おめえを淫乱女と思ってたんだからな。どうかこの悪党を勘弁してくれ?』っていうと、あいつは寝台にすわったまま、おれの顔を見ていたが、やがて両手をおれの肩に載せて、にっこり笑うじゃねえか。そのくせ涙をぼろぼろこぼしてるんだ。泣き笑いってやつさ……おれあその時みんなのいるところへ出て。『さあ、今度フィーリカ・モローソフに出会ったが最後、もうこの世に生かしちゃおかねえんだ!』とどなってやった。爺さん夫婦はもううれしさのあまり、だれにお祈りを上げたらいいかわからねえって始末だ。おふくろはあいつの足もとに倒れんばかりにして、おいおい泣き出したものだ。ところが、爺さんのいいぐさがこうなのさ。『もしこうと知っておったら、大事の一人娘にこんな娟を持たせるんじゃなかったものを』そのつぎの日曜日に、おれたちは二人揃って教会へ行った。おれは羊の毛皮の帽子をかぶって、薄ラシャの長上着を着こみ、綿びろうどの広ズボンをはいていたし、あいつは兎の毛皮の外套を着て、絹のきれで頭を縛っている。――つまり、お互いに似合いの一対というわけで、晴れがましく歩いて行ったわけさ! みんながおれたちに見惚れていたっけ。おれはこのとおり一人前の男だし、アクーリカにしても、他人さまに自慢するほどの器量でもねえが、さりとて卑下することもねえ、まあ、十人並みってとこさ!………」
「まあ、けっこうだな」
「いや、聞いてくれ。式のあくる日に、おれあ酔っぱらっちゃいたけれど、客の席から脱け出して、一目散に駆け出したものだ。『フィーリカ・モローソフのやくざ野郎をここへよこせ、あの悪党をここへ突き出してもらおう!』と市場じゅうをどなり歩いた! まあ、酔っぱらってもいたんだな。そのうちに、やがてヴラーソフの家のそばでとうとうふんづかまった。そして三人がかりで無理やり家へ連れ戻されたよ。とかくするうち、町じゅう大変な評判で、娘っ子どもが市場へ集まると、『どうだね、みんな話を聞いた? アクーリカが生娘だったとさ』などとうわさをするようになった。ところが、フィーリカのやつめ、すこし経ってから、他人の前でこんなことをぬかすじゃねえか。『嚊《かかあ》を売れよ、そしたらうんと酒が飲めるぜ。兵隊のヤーシカもその手をやりたいばっかりに女房を持ってさ、女房とは寝ないで、三年飲みつづけたもんだぜ』そこで、おれあいってやった、『てめえは悪党だ!』『そんなら、てめえは間抜け野郎だ。なにしろ、酔っぱらって正体のねえところを、式に連れて行かれたんだからな。それだもの、なんでてめえにほんとうのことがわかるもんか』と来やがった。おれあ家へ帰って、『おめえたちは俺の酔ってる間に婚礼させやがったな!』とどなったもんだ。そこへ、おふくろが絡んで来やがったから、『おっかあ、おめえの耳は銭で蓋をされてるんだ。アクーリカをここへ出せ!』といって、さあ、あいつをぶんなぐり始めた。なぐってなぐって、二時間ばかりというもの、こっちの足がひょろついて来るまでなぐりとおしたよ。あいつは三通殴というもの、床についたきり、起き出せなかったもんだ」
「そりゃほんとうだとも」とチェレーヴィンは気のない調子でいった。「女ってものはぶたずにおいたら、それこそ……だが、おめえは女房が情夫《いろ》といっしょにいるところを見つけたのけえ?」
「いや、そんなもん、見つけたわけじゃねえんだ」とシシュコフはしばらく黙っていたが、やがて何か骨の折れるような調子で答えた。「どうもあんまり癪にさわってたまらなくなったんだよ、みんながやたらに俺をからかいやがってさ。その音頭とりは例のフィーリカなのだ。『てめえの女房は、ただ人に見てもらうために置いてる人形みてえなものよ』などとぬかしやがってな。それから。おれを大勢の客といっしょに招んでおいて、こんなふざけたことをいやがるじゃねえ、か。『こいつの女房は心がやさしくって、上品で、しとやかで、行儀作法を心得ていて、だれにでもそつのねえ女だな、今こいつはてえしたもんだよ! だが、自分であの女の家の門へ、タールを塗ったことは、けろりと忘れてやがるんだからなあ!」おれが一杯機嫌ですわっていると。野郎め、いきなり俺の髪をつかんで引き倒したうえ、「さあ、アクーリカの亭主、踊れ、おれがこうして手前の髪をつかんでるから、てめえは踊りを踊って、おれのご機嫌を取り結べ!』『こん畜生!』とおれがどなると、やつはおれに向かって、『さあ、これから大勢仲間でてめえんちへ押しかけて、てめえの見てる前で、女房のアクーリカを気のすむまで鞭でぶんなぐってやるから』とぬかしやがる。それからというもの、――ほんとにするもしねえも、そっちの勝手だが、まるひと月のあいだ、家をあけるのが怖かったよ、ひょっと、やつがやって来て、恥をかかせやしねえかと、それが心配でな。そのためにおれはかえって女房をぶつようになったのさ……」
「そんなにぶったって、何になるもんけえ! 手は縛れるけれど、舌は縛れるもんじゃねえからな。やたらにぶったところで、役に立ちゃしねえよ。一応折檻して、よくいい聞かせたうえで、それからかわいがってやるもんさ。そこが女房だあな」
 シシュコフはしばらく黙っていた。
「どうも業腹でならねえもんだから」と彼はまた語り始めた。「それに、つい癖になっちまったのよ。どうかすると、朝から晩まで一日なぐりどおしのこともあったっけ。立ちかたがいけねえ、歩きかたが気にくわねえってわけでな。なぐらねえでいると、気がくさくさしてくるんだ。よくあいつは黙ってすわったまま、窓を眺めて泣いていたもんだ……のべつ泣いてばかりいるので、おれもなんだかかわいそうになって来るが、それでもやっぱりなぐらずにいられねえ。おふくろはしじゅう女房の肩を持って、ぶつぶつ小言をいったもんだ。『この人非人めが、おめえは懲役人根性だ!』そこでおれあどなりつけてやるんだ。『ぶち殺すぞ。だれにもせよ、これから俺《ひと》に生意気な口をきくと承知しねえから。おれをだまして女房を持たせやがったくせに』はじめのうちは、アンクジーム爺さんが自分でわざわざやって来て、仲へ立とうとしたもんだ。『おめえはなんていう人間か、言葉にも尽くせねえくれえだ。いまにお裁きをしてもらうから!』などといったもんだが、そのうちに手を引いちまった。マリヤ・スチェパーノヴナのほうは、すっかり諦めてしまったよ。ある時やって来て、涙ながらに頼んだっけ。『イヴァン・セミョーヌイチ、またうるさいとお思いかもしれないけれど、お願いがあってやって来たんだよ。ことはふさいかもしれないが、わたしのたってのお願いなのさ。どうかかなえておくんなさい』こういって頭を下げるじゃねえか。『どうかすこし優しい気になって、あの娘《こ》を許してやっておくれ! うちの娘はわる者たちに濡衣を着せられたんだよ。あれが生《き》娘だったのは、おまえさん自分で承知じゃないかね……』と手が土につくほどお辞儀をして、しくしく泣いてるのさ。でも、おれはから元気を張って、『今となっちゃ、おまえさんたちのいいぐさは聞きたくもねえ! これからおれあおまえさんたちに、自分のしたいことをするんだ。なにしろ、おれはいま自分で自分をどうする力もねえんだからな。ところで、フィーリカ・モローソフはおれの友だちで、一番の仲良しだから……』」
「じゃ、またいっしょに散財を始めたのけえ?」
「とんでもねえ! もうやつのそばへ寄りつくこともできねえんだ! すっかり酒に身を持ち崩してしまやがってな、何もかも身代ありったけはたき上げてしまうと、ある町人の家へ身替わり兵に雇われていった。長男のかわりに身を売ったわけさ。おれたちのほうじゃ身替わり兵というと、いよいよ隊へ連れられて行く日まで、家じゅうのものがそいつの前に平《へい》つくばっていなけりゃならねえ。つまり、そいつがみんなのご主人様みてえになっちまうんだ。金は入営の日に約束どおり耳をそろえてもらうんだが、それまでは主人の家に住み込んで、半年ぐれえ居すわってるのよ。やつらが家の人にしたい三昧《ざんまい》のことをするそのやりかたはお話のほかで、助けてくれ、といいたくなるほどなんだ! つまり、おれはきさまのむすこのかわりに兵隊に行くんだから、いわばきさまの恩人じゃねえか。してみると、きさまたちみんながおれを崇め奉るのは当たり前の話だ、さもなけりゃおれはご免蒙るぞ、といったようなわけさ。そこで、フィーリカもその町人の家で大乱痴気をやらかして、娘とはいっしょに寝る。毎日飯のあとじゃ主人のあご鬚を引っぱるというふうで、なんでもかんでもしたいほうだいのことをやったもんだ。毎日、風呂を立ててくれ、しかも湯気は酒の湯気でなくちゃならねえ、風呂場へ行くにも、女どもに担いで行ってもらわなくちゃ承知しねえ、といった調子でな。さんざん遊んで帰って来ると、往来に立ちはだかって、『門から入るのはいやだ、垣根をこわせ!』とくる、仕方がない、門のすぐそばの垣をわざわざこわしてやらなくちゃならねえ。すると、奴さんそこから入って行くという始末さ。ところが、いよいよそれもおしめえになって、入営のために迎いが来たもんだから、奴さんもやっと正気に返ったわけだ。往来はもう大変な人だかりで、フィーリカ・モローソフが隊へ連れて行かれるぞ! と騒ぎ合ってる。すると、野郎は四方八方へお辞儀をして、別れの挨拶だ。ちょうどその時、アクーリカが野菜畑から帰って来るところだったので、フィーリカは家の門のすぐそばで、そいつを兄つけたのだ。『待ってくれ!』と叫んで車から飛び下りると、いきなりあいつに向かって地べたに額がつくほどのお辞儀をするじゃねえか!『大事なアクーリカ、かわいいアクーリカ、おれあ二年のあいだおめえを思い続けて来たんだが、いまおれあこうして楽隊に送られて、兵隊に取られていくことになった。おめえは堅気な親父さんを持った堅気な娘さんだ。どうかおれを勘弁してくんな。だっておれあおめえに対して卑怯なことをした男だもんな。何もかもおれが悪いんだ!』こういって、もう一度地べたにつくほど頭を下げたものだ。アクーリカははじめ、あっけに取られた様子で突っ立っていたが、やがて腰を屈めて、お辞儀をして。『あんた。もわたしを勘弁してちょうだい、あんたはいい人よ、わたしあんたのことをちっとも怨みになんか思っちゃいない』とこういやがった。おれは嚊《かかあ》のあとから家へ入ると、『やい、この阿魔め、なにをきさまはあいつにぬかしやがった?』ところが、あいつはまあどうだ、俺《ひと》の顔をじっと見て、『わたしゃね、今あの人が世界の何よりも好きなんだよ!』とぬかしやがるじゃねえか」
「へえ、そいつあどうも!」
「おれあその日いちんち、あいつにひと口もものをいわなかったよ……やっと夕方になって、『アクーリカ、今度こそてめえを殺してくれるから』といっただけだ。その夜はどうも寝つかれなくってな、入り口の廊下へ出て、クワスを飲んだりなんかしているうちに、東が白みはじめたっけ。おれあ部屋ん中へ入って行って、『アクーリカ、家の地所へ行くから支度をしろ』といった。おれあもうその前から、行こう行こうと思っていたので、おふくろもおれたちが行くのを承知していたのさ。『ほんにそりゃいいことだ。ちょうどとりいれ時だというのに、雇い男がおとといから腹をこわして臥てるって話だからな』おれあ馬車に馬をつけながら、黙ってたよ。おれたちの町をひと足出るとすぐ松林で、そいつが十五露里から続いてるんだ。松林を出はずれると、うちの地所さ。林の中を三露里ばかり行った時、おれあ馬をとめて、『さあ、出ろ、アクーリカ、てめえの最後の時が来たんだぞ』とやった。あいつはびっくりして、俺の顔を見てるんだ。そして、おれの前に立ったまま黙り込んでいやがる。『もうてめえにゃあきあきしちまった。さあ、神様にお祈りでも上げろい!』というなり、髪の毛を引っつかんだ。おそろしく厚い長い髪だったが、そいつを手にぐるぐる巻きつけて、うしろから両方の膝であいつのからだを締めつけると、庖丁を取り出して、顔を仰向けにぐいと反らせ、いきなり喉をぐさりと斬ったもんだ……あいつはきやっと声を立てた。すると、血しぶきがさっと飛ぶじゃねえか。おれあ刃物をおっぽり出して、嚊のからだを前から両手にかかえ、地べたへ槇になって抱きしめたまま、ありったけの声を絞ってわめき立てたものだ。あいつもわめけば、おれもわめく。嚊はからだじゅうぴくぴくふるわせて、おれの手を振り放そうとしてもがく。そこで、血がおれのからだにかかるのだ、――血が顔といわず手といわず、めったやたらにはねかかるんだ。おれあ急に怖くなって、嚊をほうり出して、馬車もそこへ置いてきぼりにしたまま、雲を霞と逃げ出したよ。裏道づいに家へ駆けつけると、湯殿ん中へ逃げ込んだのさ。うちの湯殿は古ぼけたやつで、もう長く使わねえでいたんだが、その棚の下へ潜り込んで、そこに小さくなっていた。夜中までそこにじっとしていたよ」
「で、アクーリカは?」
「あいつはおれが逃げたあとで起きあがって、やっぱり家のほうへ歩き出したものと見えるよ。その場から百歩ばかり離れたところで目っかったんだ、もうあとになってからな」
「じゃ、殺してしまったわけじゃねえんだな」
「ああ……」とシシュコフはちょっとのま言葉を止めた。
「人間にゃ、その、血管ちゅうやつがあってな」とチェレーヴィンがいった。「そいつを、その血管をまずはじめに切ってしまわなかったら、いつまでももがいてるばっかりで、いくら血が出ても死に切れねえもんだよ」
「ところが、あいつはおっ死《ち》んだよ。夕方になって、死骸が目っかったのさ。訴えて出たものがあってな。それからおれをさがしにかかった。そうして、もう夜中近いころ、目っけ出されちゃった。湯殿の中でよ!………ここで暮らすのも、もうかれこれ四年越しだあ」と彼はしばらく黙っていたあとつけ足した。
「ふむ……そりゃいうまでもねえ、ぶたずにいたらろくなことがねえに決まってるが」とチェレーヴィンはまたもや角のたばこ入れを取り出しながら、冷静な、型に嵌まったような調子でいい出した。彼は長いこと、ゆっくり間を置きながら、たばこを嗅ぎ始めた。「それでもやっぱし」と彼は言葉を続けた。「おめえはやっぱし、ばかなことをしたもんよ。おれも一度、女房が間男といっしょにいるところを見つけたことがある。その時、おれあ嚊を納屋《なや》へ呼び込んでな、手綱を二重にしたやつを手に持って、『てめえは、だれに起請《きしょう》をしやがったんだ? だれに起請をしやがったんだ?』といいながら、その手綱でぶって、ぶって、ぶちのめしてやった。ものの一時半もぶちとおしたところ、嚊のやつは『おまえさんの足を洗って、その水を飲むから、勘弁しておくれ』っていやがるじゃねえか。オヴドーチヤって女だったよ」

[#3字下げ]5 夏の季節[#「5 夏の季節」は中見出し]

 しかし、とかくするうちにもう四月はじめとなって、復活祭週も近づいて来る。夏期の労役もぽつぽつ始まろうとしている。太陽は一日一日と暖かになり、明るくなっていく。空気は春の香を漂わせて、肉体組織を刺激する。輝かしい日々の訪れは、足枷をつけた人間の心をも波立たせ、なんとも知れぬ希望や、憧れや、憂愁の念を呼びさますのである。どうやら、わびしい冬や秋の日よりも、輝きわたる太陽の光のもとにいる時のほうが、人はよけいに自由を思って悵然《ちょうぜん》とするものらしい。それはすべての囚人たちの顔に認められた。彼らは明るい日々を喜んでいるらしくもあるが、同時に一種の焦燥と衝動的な気分が、彼らの内部につのっていくのであった。じじつ、春になると、監獄内の喧嘩が頻繁になっていくのに、わたしも気がついた。ざわざわした物音や、叫び声や、騒動が頻発し、事件があとからあとからと持ちがあった。が、それと同時に、どこかへ労役に出ていると、イルトゥイシュ河の向こう岸の青ずんで見える遠方《おちかた》を、どこともなくじっと眺め入っているだれかのもの思わしげな凝視を、ふと思いがけなく見かけることもあった。そこには、千五百露里にわたる自由なキルギーズの曠野が、無限のシーツをひろげているのであった。だれやら胸いっぱいに深い溜め息をつくのが聞こえる。それはさながら、このはるかな自由の空気を吸って、鎖につながれ圧し潰された魂を、休めようとでもするかのようであった。『ええ、くそっ!』とついに囚人はこういって、急に空想ともの思いをふるい落とそうとでもするように。じれったそうな気むずかしい様子で、シャベルをつかむか、煉瓦に手をかけるかする。この煉瓦はひとつの場所から、別の場所へ運ばなければならないのであった。が、一分も経つともうこうした束の間の感触も忘れて、それぞれの性格に応じて、笑うなり、ののしるなりし始めるのだ。さもなければ、まるで必要以上のなみはずれた熱心さで(もし請負仕事でも当てがわれていれば)その仕事に取りかかって働き出す、――まるで内部から込み上げて来て胸を締めつける何ものかを、労働の苦しさで征服しようとでもするかのように、一生懸命に働くのである。これらの人々はおおむね男盛り、働き盛りの連中ばかりだった……この季節には、足枷のなんと重く感じられることか! わたしは今こういったからとて、けっして詩的表現をもてあそんでいるのではない、わたしは自分の観察の正しさを確信している。
 暖気に包まれ、燦《さん》々たる太陽の光に照らされ、量り知れぬ力をもってよみがえっていく周囲の自然を、おのれの全存在によって知覚し感知しているような時には、閉め切られた牢獄や、看守や、他人の自由が、いっそうせつなくなって来るものであるが、そのうえにかてて加えて、この春の季節になると、初雲雀《はつひばり》の声とともに、シベリヤばかりかロシヤ全土にかけて、放浪の生活が始まる。神の子である人間は、牢獄をのがれて森の中に身をかくすのである。息苦しい穴のような世界、裁判、足枷、笞などのうしろで、彼らは思うさま翼《はね》を伸ばして、自分の気の向いたところ、すこしでも面白そうな自由らしいところへ、さまよい歩くのである。行き当たりばったりに、手に入るもの、神の授けたまうものを飲みかつ食って、夜はどこか森の中なり野原なりで、たいした気苦労もなく、牢獄の懊悩もなく、さながら林の小鳥のように、ただ星と夜の挨拶を交わすだけで、神の目に見まもられながら、穏やかに眠るのである。それはいうまでもなく、『郭公将軍に仕える』のは、ときとして苦しいこともある。ひもじい思いをすることもあれば、へとへとに疲れることもある! どうかすると、まる一昼夜パンの顔を見ないこともある。人の顔さえ見れば逃げ隠れて、場合によっては、掻っぱらい強盗も働かねばならず、たまには人殺しさえしなければならぬことがある。『流刑囚は子供衆、目に入るものがみなほしい』とシベリヤでは流刑囚のことをこんなにいっている。この諺《ことわざ》はそっくりそのまま、いや、多少のおまけまでつけて、浮浪漢にも当てはめることができる。浮浪漢はまれに強盗でないこともあるが、泥棒はほとんど常のことである。それももちろん、商売というよりは、むしろ必要に迫られてやるのだ。なかには、病い膏肓《こうこう》に入った浮浪漢もある。はなはだしきにいたっては、徒刑の年期をつとめ上げて、居住流刑になっているのに、それでも逃げ出して行くものさえある。はた目には、居住流刑となったら何不足もなく、生活はちゃんと保証されているはずなのにと思われるが、あにはからんや! たえずどこかへ心ひかれ、何かの叫び声に誘われるのだ。森から森への生活は、窮乏にみちた恐ろしいものではあるけれども、冒険に終始している自由な生活で、すでに一度これを味わった人間にとっては、何か魅惑的なところがあり、一種神秘的な美しさを蔵しているのだ。こういうわけで、もうちゃんと尻を落ちつけて、りっぱな一家の主《あるじ》になると約束した、おとなしい、きちょうめんな人間が、思いがけなく逃亡してしまうようなこともある。またなかには、結婚して幾人か子供さえもうけ、かれこれ五年も一つところに暮らしていたものが、とつぜん一朝にしてどこともなく姿をくらまし、女房子供をはじめとして、自分が籍を置いた村の人たちを、呆然たらしめることさえある。わたしたちの監獄でも、そういった逃亡癖の男がいて、わたしはあれがそうだといって教えられた。彼はべつにこれという犯罪などしたわけではない、すくなくとも、それに類したうわさはついぞ聞いたこともない。ただ逃げ出すのだ。一生涯、逃げてばかりいるのだ。彼はドナウ河を越した南露の国境にも行ったし、キルギーズの曠野にも、東部シベリヤにも、コーカサスにも、――いたるところに足跡を印したものである。こういう旅行熱を持った人間であるから、もし変わった状況に置かれていたら、あるいは何かロビンソン・クルウソーみたいなものができあがったかもしれない。もっとも、それらはみんなほかの者が話して聞かせたことで、当人は監獄内でもあまり人と口をきかず、よくせき必要な時に、ひと言ふた言洩らすだけであった。それはまことに小がらな百姓で、年はもう五十近く、法外におとなしいたちで、法外に落ちつき払った、白痴かと思われるほど落ちつき払った、むしろ鈍重なくらいな顔つきをしていた。夏は日向《ひなた》ぼっこをするのが好きで、いつも決まって、何か鼻歌をうなっているが、その声がごく低いので、五あし離れたら、もう聞き取れないのであった。顔の輪郭はこつんとした固い感じだった。彼は小食のほうで、たいていおもに普通の黒パンを用い、ついぞ一度も丸パンを買って食べることもなければ、ウォートカ一杯飲んだためしがない。第一、かつて一度でも金を持っていたかどうか覚束ないもので、金の勘定さえできそうもなかった。彼はいっさいに対してまったく無関心な態度をとっていた。ときおり、監獄の犬に自分の手からものを食べさせていたが、わたしたちの仲間では、だれも監獄の犬を養ってやるものなどなかったのである。それに、ロシヤ人は概して犬を飼うことは好まない。話によると、彼は女房持ちで、しかも二度も取り替えたとのことである。どこかに子供がいるという話も耳にした……どういうわけでこの男が監獄などに入ることになったのか、わたしにはいっこうわからない。仲間の連中は、いずれこの監獄からも脱け出すだろうと期待していたが、まだその時機がいたらないのか、それとも、そういう年でなくなったのか、彼は自分を取り巻くこうした奇怪な環境に対して、一種観照的な態度をとりながら、黙々として暮らしていた。が、それかといって、もう大丈夫と安心しきるわけにはいかなかった。はた目には、なんのために逃げ出すのか、逃げてなんのとくがあるのかと思われたけれど、しかしなんといっても、ぜんたいとして森の中の放浪生活は、監獄生活にくらべると天国であった。それはじつに無理からぬことで、はじめから比較にもなんにもなりはしない。苦しい身の上ではあるけれども、そのかわりなにもかも、自分の思いどおりである。だからこそロシヤの囚人はだれもかも、そのいる場所がどこであろうと、春が来るとともに、春の太陽のさし招くような光線を見るが早いか、妙に不安を覚えて来るのである。もっとも、けっしてみながみな逃亡を企てはしない。この仕事が困難で、しかも失敗した場合の厳罰を考えねばならぬから、思いきって決行するのは、百人に一人くらいのものであることは、はっきり断言できる。が、そのかわり、残りの九十九人は、なんとかして逃げ山したらさぞいいだろうなあ、逃げるとしたらどこがいいだろう、などと空想する。ただそんな望みをいだくだけ、成功を想像するだけで、せめてもの心やりにしているのだ。なかには、以前どこかへ逃亡したことを追憶して楽しんでいるものもある……
 いまわたしがいっているのは、既決囚だけの話である。しかし、最も多く逃亡を断行するのが未決囚であることは、いうまでもない。一定の刑期を宣告された囚人で逃亡するのは監獄生活のはじめの問に限られる。二年三年と懲役生活を送ると、囚人はその年数を大切に考え出すので、失敗した場合、身の破滅になるような冒険を決行するよりは、掟どおり刑期を果たして、居住流刑にしてもらったほうが利口だといった気持ちに、だんだんなっていくのである。じっさい、失敗はきわめてありがちであって、自分の運命の転換[#「自分の運命の転換」に傍点]に成功するものは、わずか十人に一人くらいのものである。既決囚の中でも逃亡を決行するものがいるが、それは人よりも長い刑期を宣告された連中である。十五年、二十年という期間は、ほとんど無限のように思われるので、そうした長期の刑を宣告されたものは、よしんば十年くらい懲役生活を過ごしたものでも、しじゅう運命の転換を空想しがちなのである。それから最後に、顔の烙印も多少は逃亡の冒険に対する障害となっている。ところで、運命を転換[#「運命を転換」に傍点]するというのは、ひとつの術語なのである。もし逃亡が失敗したら、囚人は訊問の際に、わたしは運命をかえようと思ったのですと答える。このいくらか書物じみた表現は、この場合、文字どおりに当てはまるのだ。逃亡囚はだれしも一様に、すっかり自由の身になろうという目算をいだいているわけではない、――それがほとんど不可能であることは、当人も承知している、――ただほかの監獄に入れられるか、居住流刑にしてもらうか、それとも、放浪巾に犯した新しい犯罪によって、もう一度裁判をし直してほしい、ひと口にいえば、どこでもかまわない、もうあきあきした元の古巣、――以前の監獄でさえなければけっこうだ、といった気持ちなのである。すべてこうした逃亡者は、夏の間に偶然うまい冬籠りの場所を見つけなかったら、――たとえば逃亡人をかくまって、それでなにかの儲けをしているような人間に出くわさなかったら、――また最後に、ときとしては人殺しをしてなりとも、だれかの旅券を手に入れて、どこにでも暮らせる身分になれなかったら、秋ごろになると、たとえまだ捕縛されていなくとも、たいていはおびただしい群れをなして町なり監獄なりへ姿を現わし、浮浪罪のかどで投獄してもらう。が、もちろん、また夏が来たら逃亡してやろうという望みを、捨てきってはいないのだ。
 春はわたしにも影響をおよぼさずにはいなかった。今でも覚えているが、わたしはときどき杙《くい》と杙との隙間から、貪るような目つきでのぞいては、要塞の土塁の上に、草が青んでいくさまや、はるかな空が次第次第に紺碧の色を深めてゆくのを、あきもせず、根気よくながめ入りながら、柵に頭を押しつけたまま、長いこと立ち尽くしていたものである。不安と憂悶は一日一日と募っていき、監獄はいやがうえにも呪わしいものになった。わたしが貴族出であるというところから、最初数年のあいだ、仲間の囚人たちから受けていた憎しみは、もはやわたしにとってたえがたいほどになり、わたしの生活ぜんたいを毒してしまった。この最初の数年間、わたしは病気でもなんでもないのに、よく病院へ臥に行ったが、それはただ監獄の中にいたくない、何ものをもってしても和らげることのできない一同の憎しみから逃避したい、というだけのことであった。『おまえさんたちは鉄の嘴《くちばし》で突っついて、おれたちをいじめやがったのだ!』と囚人たちはわたしたちに言いいいした。で、わたしは監獄へやって来る庶民階級の連中を、どんなに羨ましく思ったかしれない! 彼らは来るといきなり、一同と仲間同士になってしまうのであった。こういうわけで、春、自由の幻、自然界のすべてをみたしている喜び、などといったものが、わたしの心にももの悲しく、いらだたしく響いて来るのであった。大斎期の終わりごろ、たしか第六週だったと思うが、わたしも斎戒することになった。監獄じゅうの囚人は、もう最初の週から下士長によって、大斎期の週の数どおり七分班にけられ、順々に斎戒することになっていた。かようなわけで、各班の人数はおよそ三十人ずつぐらいであった。わたしは斎戒の週がおおいに気に入った。斎戒中は労役を免ぜられたからである。わたしたちは日に二度も三度も、監獄からほど遠からぬ教会へかよった。わたしは長いこと教会に行ったことがなかった。少年時代の昔から、両親のまで馴染《なじ》んで来た大斎期の勤行《ごんぎょう》、荘重な祈祷、額が地につくほどの礼拝、――こうしたすべてのことどもが、わたしの心の中に遠くはるかに過ぎ去った思い出を揺り動かし、まだ幼いころの印象を追想させるのであった。よく朝のうちに、ちゃんと装填した銃を担いだ兵隊に護られ、夜の間に凍った大地を踏みしめながら、神の殿《みや》へ行くときのなんともいえぬ楽しさを、わたしは今だに覚えている。警護の兵隊は、しかし、教会の中へは入らなかった。わたしたちは、教会の中でもいちばん末席に当たる扉口のところに、ごちゃごちゃとひと塊りになって立っていたので、ただときどき音吐朗々たる補祭の声が聞こえ、群集の間から司祭の黒い袈裟《けさ》と禿げた頭が、ちらほら見えるばかりであった。わたしは子供の時分のことを思い起こした。よく教会の中に立っていると、入り口のあたりで押し合いへし合いしている平民たちが、ときおりでこでこに盛りあがった肩章姿の軍人や、肥った貴族や、けばけばしいなりをしたおそろしく信心ぶかい貴婦人などの前に、うやうやしく道をあけてやるのを眺めていた。この貴婦人連はかならず上席へ通って行って、席順のことではいつも喧嘩をおっぱじめかねない勢いであった。とにかく、わたしはそのとき感じたことだが、この入り口にかたまっている人たちのお祈りの仕方は、わたしたちのほうでやるのと違っているような気がした。ここの人たちはつつましやかに、しかも熱心に、額が地につくばかり頭を低く垂れて、自分というものの卑しさを、しんから意識しながら祈っているような具合であった。
 ところが、今ゆくりなくも、わたし自身それと同じ場所に立つようになったのである。いや、それと同じ場所とさえいうことはできない。わたしたちは足枷を嵌められ、罪人の名を負わされているのだ。だれもかもがわたしたちを避け、だれもかれもわたしたちを恐れているかのようである。そして、わたしたちはいつも施し物を与えられるのだ。今でも覚えているが、わたしはそれがなんだか、楽しいようにすら感じられた。この奇怪な満足感の中には、一種特別な洗練された感覚が潜んでいるのであった。『そういうことなら、それでもかまわない!』とわたしは考えたものである。囚人たちは一生懸命にお祈りをした。だれもが教会へ行くたびに、なけなしの銅貨をはたいてお蝋燭を上げたり、寄進についたりした。『おれだってやっぱり人間なんだ、神様の前へ出りゃ、みんな同じこったからな……』と彼らは金を出しながら、おそらくこんなふうに考えるなり、感じるなりしたことであろう。朝祈祷のあいだにわたしたちは聖餐を受けた。司祭が両手に聖餐をささげて、『……されど、われらを盗人《とうじん》のごとく受けたまえ』と唱えた時には、ほとんどすべてのものが、この言葉を文字どおり自分のことと解《と》って、足枷をがちゃがちゃ鳴らしながら、床の上にひれ伏したものである。
 けれど、ついに復活祭が来た。わたしたちは、上《かみ》から卵ひとつずつと、味つきの小麦パンをひと切れずつ支給された。町からは、またもや施し物がしこたま届けられた。またもや十字架を持った僧侶の訪れ、またもや艮官の来訪、またもや脂っこい菜汁《シチイ》、またもや泥酔とぞめき歩き、――なにもかもクリスマスのときとそっくりそのままで、ただ違っているのは、今度は監獄の庭をうろつき歩いたり、日向ぼっこができるというだけのことであった。冬にくらべると、なんとなく晴ればれとして、ゆったりしていたが、妙に悩ましい気持ちだった、果てしのないほど長い夏の日は、祭日となると、格別やりきれない思いがした。平日なら、すくなくとも労役で日が短くなるのだが。
 夏期の労役は、まったくのところ、冬期よりもはるかに骨が折れた。仕事は概して土木工事が多かった。囚人たちは建て前したり、土を掘ったり、煉瓦を積んだりした。また、なかには、金銀細工師や指物師の仕事をしたり、官舎の修繕工事でペンキ屋の仕事をしたりなどした。そうかと思うと、煉瓦の製造に工場へ通うものもあった。わたしたちの間では、これがいちばん苦しい仕事とされていた。煉瓦工場は、要塞から三、四露単のところにあった。夏の間じゅう、毎朝六時に五十人ばかりの囚人の一隊が、煉瓦つくりに山かけるのであった。この仕事にはただの人夫、つまり手になんの職もなく、なんの組合にも属していないものが選び出された。彼らはパンを持って出かけた。なにぶん、道のりが遠いので、わざわざ食事のために帰って来て、八露里も余分な道中をするのが、ばかばかしいからである。で、晩、監獄へ帰ったときに、はじめて食卓に向かうのであった。仕事はまる一日の請負いになっていて、ちょうど囚人が一日の労役時間にやっと仕こなせるだけのものが当てがわれた。まず第一に粘土を掘って運び出し、自分で水を汲んで来て、練り穴でよく踏んで捏ね上げたうえ、最後になにかしらおびただしい数の煉瓦をつくらなければならない。たしか二百か二百五十くらいだったと思う。わたしがこの工場へかよったのは、前後二度であった。煉瓦工場の連中は夕方遅く、へとへとに疲れきって監獄へ帰って来た。そして、夏じゅうひっきりなしに、いちばんつらい仕事をしているのは自分たちだといって、ほかのものに当たり散らす。それが彼らにとってせめてもの心やりだったらしい。にもかかわらず、なかには多少喜んで、そこへ出かけるものがあった。第一、町の外になっていて、場所はイルトゥイシュ河の岸で、ひろびろとうち展《ひら》けたところである。なんといっても、要塞内の規則ずくめと違って、あたりを眺めるだけでも心が楽しむ! たばこも自由にのめるし、三十分くらいはのうのうと、気楽に臥《ね》そべることさえできる。わたしは以前どおり作業場へ行くこともあれば、雪花石膏焼きに出かけることもあり、ときにはまた、建築工事に煉瓦はこびとして使われることもあった。この煉瓦はこびでは、あるときイルトゥイシュの河岸から建築中の兵営まで、煉瓦か運ばされたことがあった。その間は七十サージェン([#割り注]約百五十メートル[#割り注終わり])ばかりあって、しかも要塞の土塁を越えて行かなければならなかった。この仕事がふた月ばかりぶっとおしに続いたのである。わたしは、煉瓦を運ぶ繩でのべつ肩を擦りむきながらも、どちらかといえば、この仕事が気に入ったくらいである。もっとも、気に入ったというのは、この仕事のおかげで、体力が目に見えて増していったからである。はじめわたしは、煉瓦をわずか八つずつしか担いで行くことができなかった。ところで、一つの煉瓦の重みは十二斤までであった。それが後には十二から、十五くらいの煉瓦を運ぶことができるようになったので、わたしはそれがうれしくてたまらなかった。監獄の中では、肉体の力が精神力に劣らぬくらい、この呪わしい生活のあらゆる物質的不便を忍ぶために必要なのであった。
 しかも、わたしは出獄後にも、まだまだ生きていきたかったのだ……
 とはいえ、わたしが煉瓦はこびを好んだのは、この労働のためにからだが鍛えられるというだけでなく、なおそのうえに、仕事の場所がイルトゥイシュの河辺だったからである。わたしがこの河辺のことをかくもしばしば口にするのは、ただこの河の岸からのみ神の世界が見渡せるからであった。清らかに澄みわたった遠方《おちかた》、その荒涼たる眺めによってわたしに異様な印象を与えた住む人もない自由の曠野。この河岸では、要塞に背を向けて立っていれば、それを目にしないですむのであった。わたしたちが労役に従っていたその他の場所は、みんな要塞の構内かその付近にあったのだ。わたしは入獄の最初の日からこの要塞を憎み、わけてもその中の二、三の建物を憎むようになった。わが要塞参謀の官舎などは、なにかしら呪わしいまでいまわしい場所に思われ、いつもそのそばを通りかかるたびに、憎悪の目をもって眺めたものである。ところが、河岸では忘我の境に入ることができた。よく囚人が牢獄の窓から自由の世界を眺めるように、わたしはこの果てしもない空漠とした曠野に見入ったものである。底いもない青空に輝く焼けつくような太陽も、対岸から流れて来るキルギーズ人のはるかな歌声も、そこにあるいっさいのものが、わたしにとってはいい知れず尊く懐かしかった。じっと長いこと見つめていると、やがてついに貧しいくすぶった乞食小屋らしいものが見分けられる。小屋のほとりに立ち昇る煙、そのあたりで二頭の羊を相子に、なにか忙しそうにやっているキルギーズ女などが見えて来る。それらはすべてみすぼらしく、野蛮めいてはいるけれども、そのかわり自由である。ふと青々した大気の中になにかの鳥を見つけ、いつまでもあかずその飛び行く跡を見送っている。鳥はさっと水面を掠めたかと思うと、たちまち空の紺青のなかに消えてしまう。と、またもやわずかにそれと見分けられる小さな点となって姿を現わし、ちらりと見え隠れする……早春のころ、岸の岩の裂け目に、ふと見つけ出した貧しいみじめな一輪の花でさえ、なにか病的にわたしの注意をひくのであった、この徒刑生活の第一年めに、わたしを取り囲んだ憂愁はとうていたえがたいもので、いらだたしくも傷《いた》ましい作用をおよぼした。この最初の一年間というもの、わたしはこの憂愁のために、身辺の多くのものを気づかずに過ごした、わたしはわれと目を閉じて、何ものをも見まいとしていたのだ。意地の悪い、憎悪にみちた仲間の囚人たちの間に、いい人間がいることに気がつかなかった。――彼らの表面を蔽っているいまわしい外皮にもかかわらず、考えたり感じたりすることのできる人たちもあったのだ。毒々しい罵詈の間に、ときとして愛想のいい親切な言葉が発しられるのに、わたしは心づかなかった。それはべつになんの底意もなく、おそらくわたし以上の苦しみを忍んで来ただろうと思われる魂から、自然に流れ出たものであるだけに、なおさら貴重なものといわねばならぬ。
 しかし、こんなことをくどくどと書き立てたところで、なんになろう? わたしはひどく疲れたときには、心底からうれしかった。帰ったらたぶん寝られるだろう! そう思ううれしさである。なぜなら、監獄の夏の寝苦しさといったら、ほとんど冬よりももっとひどいくらいであった。とはいえ、ときによると、夕方はすばらしくよかった。終日、監獄の庭を照りつけていた太陽も、ついに西に没して、涼気が訪れ、つづいてほとんど寒いくらいな(比較的の話だが)曠野の夜があたりを領する。囚人たちは監房に閉じこめられるまでの間、いくつもの群れをなして庭を歩きまわった。もっとも、たいていのものは炊事場に集まった。そこにはいつも、なにかしら監獄内でも重要な当面の問題が持ち出され、あれこれと討議されたり、ときによると、なにかの風説が批判されたりする。それは多くの場合、愚にもつかぬ話であるが、しかし世間から絶縁されているこれらの人々にとっては、なみなみならぬ注意を呼びさます種なのであった。たとえば、わが要塞参謀の少佐が馘《くび》になる、という報告が入った、といったような類である。囚人たちは子供みたいに信じやすい。そんな報告は出たらめであって、それをもたらしたのはおしゃべりで通っている『やくざな』男、――口から出すことがいちいちうそっぱちで、みんなもう前からほんとうにしないことに決めているクヴァーソフという囚人なのだ。それは自分たちもよく承知しているくせに、だれもかれも、その知らせに飛びついていって、ああだのこうだの理屈を並べては、それを気晴らしにする。そして、とどのつまりは、クヴァーソフなどのいうことを真《ま》に受けたといって、自分で自分に腹を立て、われながら恥ずかしい思いをするのが落ちであった。
「いったいだれがあいつを馘にしようってんだい!」と一人の男が叫ぶ。「やつの首は太《ふて》えから、きっと持ちこたえるに相違ねえ!」
「だってさ、あいつのうえにだって、上役があろうじゃねえか!」ともう一人がやり返す。それは海千山千という利《き》かん気の、目はしのきく男で、しかも世にも珍しい理屈屋であった。
「鴉がおたがい同士の目を突いたりしやあしねえよ!」とさらに別の男が独り言のように、気むずかしげな調子で口を入れる。一人ぽつんと片隅で菜汁《シチイ》の残りを片づけていた、もう頭の白い囚人である。
「上役の連中が、やつを馘にしたものかどうかって、おめえのところへ伺いを立てに来るもんかい!」と第四の男が、軽くバラライカの糸を撥《はじ》きながら、気のない声でつけ加える。
「どうしておれじゃいけねえんだ?」と第二の男が猛然と食ってかかる。「だって、こちとら貧乏人がいっしょになって願い出たら、どういうわけかってきかれるだろうじゃねえか、そのときにゃ、みんなで申し立てるんだぜ。ところが、ここの連中ときたらわいわい騒ぐばかりで、いざとなったら、すぐに尻ごみしやがるんだからな!」
「じゃ、おめえはなんと心得てるんだ?」とバラライカを持った男がいう。「そこが懲役じゃねえか」
「ついこの間だって」と議論好きの男は熱くなって、相手のいうことも聞かずに言葉を続ける。「麦粉が残ったもんだから、箱の底をがりがり引っかいて、やっと雀の涙ほどのものを集めて、そいつを売りにやったわけさ。ところが、そいつがばれちゃった。組合の職工が密訴しやがったんだ。で、没収されちまったよ。つまり、経済だってわけよ。いったいこれがまっとうな話だろうか?」
「それじゃ、おめえはだれに訴える気なんだい?」
「だれって? こんど来る検察官に、じきじき願い出るんだ」
「検祭官って、いったいぜんたい何ものだ?」
「そりゃほんとうだぜ、検察官がやって来るってのは」と、いやにくだけた若い男が口を入れる。それは書記あがりで、ちょっと学問のある、『ラヴァリエール侯爵夫人』かなにか、そういったふうのものを読んでいる男だった。彼は年じゅう浮き浮きしている剽軽者《ひょうきん》であったが、多少もの知りでもあり、世間で揉まれているところから、みんなに尊敬されていた。検察官が来るというので、一同が好奇心をそそられているのには目もくれず、彼はいきなり『飯たき』、つまり炊事番のところへ行って、肝臓をくれと注文をした。炊単番はよくこういった種類のものを売って、内職にしているのであった。たとえば、自分の金で肝臓の切れの大きなところを買って来て、それを焼いて小刻みに囚人たちに売るのであった。
「二コペイカか、それとも四コペイカかね?」と炊事番はたずねる。
「四コペイカだけ切ってもらおう。みんなを羨ましがらせてやるんだ!」と囚人は答える。「将軍だよ、兄弟衆、えらい将軍がやって来て、シベリヤじゅうを見てまわるんだ。ほんとうだよ。要塞司令官のところで話してたもん」
 この知らせは非常な興奮を呼び起こした。ものの十五分ばかりも、それはいったいだれだ、どういう将軍で、官等はどのくらいだとか、土地の将軍たちより上だろうか、などという質問の絶え間がなかった。概して囚人たちは、官等の話や、長官たちのうわさや、だれがいちばんえらいか、だれがだれに頭を下げさせることができるか、だれが自分のほうから頭を下げるか、などといったような取り沙汰が無性に好きで、ときにはたがいに将軍たちの肩を持ち合って、口論をするばかりか、どうかすると、つかみ合いさえしかねまじいことがあった。そんなにまでして、なんのとくがあるのかと思われるけれど、将軍に限らず、一般に長官たちに関する詳細な知識は、それを語る人の常識なり、判断力なりの尺度となり、入獄以前、社会で占めていた位置の標準となるのであった。一般に、地位の高い長官のうわさをすることは、監獄内でも最も上品な、重大な話題とされていた。
「だからよ、少佐の首を切りにやって来るのは、やっぱりほんとうじゃねえか」と小がらであから顔の、すぐ夢中になりやすい、ものわかりの悪いことおびただしいクヴァーソフが、こういい出した。少佐のうわさをまず第一に持って来たのは、この男であった。
「うまく袖の下を使うさ!」ともう菜汁を平げてしまった、白髪頭の、気むずかしげな顔をした囚人が、ぶっきら棒な調子でいい返した。
「そりゃ袖の下を使うに決まってらあ」ともう一人の男がいう。「なにしろやつは、しこたま金を貯めやがったんだからな! ここへ来る前にゃ、大隊副官をしていやがったんだよ。ついこの間も、僧正の娘を嫁にもらおうとしたほどだからな」
「ところが、もらいそこねやがった。まんまと断にわりを食ったやつさ。つまり、貧乏だってわけなのよ。あんなやつに嫁なんかもらえてたまるもんかい! さかさに振ったって、鼻血も出やしねえんだ。復活祭のときに、カルタできれいさっぱりすってしまやがったのよ。フェージカがそういってたっけ」
「そうよ、たいした無駄づかいはしねえでも、金ってやつにゃ限りがあるからな」
「ああ、兄弟、おれあこれでも女房を持ったことがあるんだぜ。だが、貧乏人は女房を持ってもつまんねえや。たとえにも、貧乏人は嫁を取っても夜が短い(働きに追われてゆっくり寝る暇がないという意味)っていうからな!」ここで話に割り込んで来たスクラートフがこういった。
「へん! 今てめえのことなんかいってやしねえよ」と書記あがりのいやにくだけた若者がやり返した。
「ところで、クヴァーソフ、おれあてめえにいうが、てめえはとんだ大ばかだぜ。いったいてめえはなんと思っているか知らねえが、そんなえれえ将軍が、少佐なんかに袖の下をつかまされるものか。第一、そんなたいした将軍が少佐風情の検察のために、ペテルブルグくんだりから、わざわざやって来ると思うのかい! だから、てめえはばかだっていうんだよ」
「じゃ、なにかい? 将軍だったら袖の下は取らねえってのかい!」とだれか群衆の中から、懐疑的な調子で口を入れた。「わかりきったことよ、取るもんか。取るとしたら、うんと大きく取らあな」
「そりゃ当たりめえよ、大きく取るとも、位《くれえ》相当にな」
「将軍ってもなあ、いつだって取るよ」とクヴァーソフはきっぱりといいきった。
「じゃ、おめえは将軍に金をやったことでもあるのけえ?」と不意に入って来たバルルーシンが、ばかにしたような調子でいった。「じゃ、てめえいつか将軍ってものを見たことがあるのけえ?」
「おう、あるとも!」
「うそつけ」
「てめえこそうそつくない」
「おい、みんな、こいつあ、将軍を見たことがあるそうだから、いますぐみんなの前でいわしてやろうじゃねえか、いったいなんてえ将軍を知ってるのか? さあ、いってみろ、おれあ将軍という将軍をみんな知ってるんだぞ」
「おれあジーベルト将軍を見たことがあるよ」となにやら思いきりの悪い調子で、クヴァーソフは答えた。
ジーベルト? そんな将軍は、てんからいやしねえ。ははあ、てめえが笞を食わされたとき、そのジーベルトとかは、てめえの背中を見たくらいのもんだろう。その時分やっこさん、まだやっと中佐か何かだったのに、てめえはおっかなさに、将軍みてえな気がしたんだろうよ」
「まあ、みんなおれのいうことを聞いてくんな」とスクラートフが叫んだ。「だって、おれあ女房持ちだからな。ほんとにそういう将軍がモスクワにいたよ、ジーベルトってのが。ドイツ人の出だが、それでもロシヤ人に相違ねえんだ。毎年、聖母昇天祭に、ロシヤの坊主んとこへ行って懺悔をしたもんだ。ところでな、兄弟、そいつがまるで家鴨《あひる》みてえに、のべつ水ばかり飲むんだ。毎日コップに四十杯ずつも、モスクワ河の水を飲むじゃねえか。人の話じゃ、なにかの病気を水でなおそうとしてたってことだ。おれあ現に、そいつの家令から聞いたんだよ」
「そんなに水を飲んだら、きっと腹の中に鮒《ふな》でも湧いただろうよ!」とバラライカを持った囚人が口を入れた。
「ちぇっ、いい加減にしねえか! 俺がまじめな話をしてるのに、あの連中は……その検察官というのは、いったいなんだね、兄弟?」と一人の気忙《きぜわ》しない囚人が、さも心配そうにたずねた。それは軽騎兵あがりのマルトゥイノフという老人だった。
「なあに、みんな出たらめばかりいってんだよ?」と懐疑派の一人がいう。「いってえどこから取って来て。どこへ嵌め込もうてんだろう。なにもかもうその皮さ!」
「いいや、出たらめじゃねえ」と今までどっしりとかまえこんで黙っていたクリコフが、独断的な調子でいい出した。それは図抜けて整った顔をした、態度にどこか人をばかにしたようなものものしいところのある、貫禄の備わった五十近い年輩の男だった。自分でもそれを意識して鼻にかけていた。彼は多少ジプシイの血の交じった男で、獣医を商売にしており、町では馬を療治して金を儲け、獄内では酒を売っていた。なかなか目はしの利く男で、ずいぶん世間も知っていた。ひと口ものをいうのでも、まるで一ルーブリずつくれてやるような話しぶりだった。
「そりゃほんとのこったよ、皆の衆」と彼は悠々と言葉を続けた。「おれあもう先週から聞いて知ってるが、なんでも、うんとえらい将軍がやって来て、シベリヤじゅうをしらべて歩くって話だ。そりゃ知れきったことで、その将軍だって袖の下をつかまされるに決まってるが、うちの八方にらみだけは、そうはいかねえ。あいつなんか、そばへ寄る元気もねえくらいだ。なにしろ、皆の衆、将軍だってひと口にいえやしねえ、ぴんからきりまであるからな。ただおまえたちにいっておくが、うちの少佐はいずれにしても、今のままで居すわりだろうよ。これだけは確かなもんさ。おれたちは口をきくことのできねえ身分だし、役人たちはまた役人たちで、仲間同士を訴えるような真似はしねえからな。検察官はちょっと監獄をのぞいてみて、そのまま帰って行くだろうよ。そして、万事異状なしと報告するのが落ちさ……」
「そりゃそうだが、兄弟、少佐のやつはびくびくものだぜ。なにぶん、朝っぱらから酔っぱらってるんだからな」
「ところが、晩になると、また飲み直しと来やがる。フェージカがそういってたよ」
「黒犬はいくら洗ったって、白くなりっこなしさ。やつの酒は今に始まったことでもあるめえ」
「そいつあいけねえ、将軍でさえどうすることもできねえなんて、そんなばかな話があるもんかい! だめだよ、やつのばかげた仕打ちを見のがしておくなあ、もうこれくれえでたくさんだ!」と囚人たちは興奮しながら、おたがい同士に話し合うのであった。
 検察官云々のうわさは、たちまち監獄じゅうにひろまった。みんな庭をうろつき歩いては、性急にこの知らせをそれからそれへと伝えた。なかには、わざと冷静を保って沈黙を守りながら、それで自分に重みをつけようとするふうであった。それかと思うと、平然とかまえているものもあった。監房の入り口階段には、バラライカを持った囚人たちが、そこにもここにも陣取っていた。あるものはおしゃべりを続けているし、またある者は、歌などうたっていたが、概してこの晩は、だれもかもなみはずれて興奮している様子だった。
 九時すぎになると、わたしたち一同は点呼を受けて、それぞれの監房へ追い込まれ、朝までぴんと、鍵をかけられてしまった。夜が短いうえに、朝は四時すぎに起こされるのであったが、みんな十一時より早くは、どうしても寝つかれなかった。いつもその時分までごそごそしたり、話しこんだりして、ときには冬と同じように、マイダンまで始まるのだ。夜になると、たえがたい暑さと息苫しさが襲って来る。戸をあげた窓からは、夜の冷気が流れ込みはするものの、囚人たちはまるで熱にでも浮かされているように、夜っぴて寝板の上で輾転反側するのであった。蚤《のみ》が幾百万となく跋扈《ばっこ》しているのだ。蚤は冬でも相当監獄の内にいたが、春さきになると、恐ろしい勢いで繁殖した。それは話には聞いていたけれども、実地に体験するまでは、ほんとうにできかねるくらいのものだった。夏にむかうにしたがって、ますます凶猛の度を加える。もっとも、蚤というやつにはなれることができるもので、現にわたしもそれを経験したが、それでもかなりこたえる。はては、横になっていても、熱病にでもかかったような気持ちで、眠っているのではなく、ただうなされているとしか思われないほど、したたかに悩まされるのである。あげくのはてに、ようやく明けがた間近くなって、蚤どもも死んだようにおとなしくなり、朝涼の中でほんとうに気持ちよくうとうとしかけると、――とつぜん、監獄の門のあたりで、情け容赦もない太鼓の音がけたたましく響き出して、東が白んで来る。半外套にくるまりながら、一つ一つ数でも読むような気持ちで、そのはっきりした高い響きをいまわしく聞いているうちに、あああすも、あさってもこうなのだ。自由な身になるまでは、幾年かの間ずっと続けてこうなのだ、という堪えがたい想念が、夢うつつのあいだに頭へ浮かんで来る。いったいその自由はいつ来るのだ、そして。どこにその自由はあるのだ? が、それにしても目をさまさなければならぬ。やがていつものばたばたごたごたが始まる……人々は着替えをして仕事に急いで行く。もっとも、午《ひる》ごろに一時間ばかり昼寝をすることはできたのだが。
 検察官のうわさはほんとうであった。その取り沙汰は一日一日と確実さを加え、ついにはペテルブルグからあるえらい将軍がやって来て、シベリヤぜんたいを検察するということ、その将軍はすでに到着して、今トポリスクにいるということなどを、だれもかもが確実に知るまでにいたった。毎日毎日、新しい風説が獄内に伝わった。町からもさまざまな報知がもたらされた。みんなびくびくもので、うわべを取り繕おうとしてやきもきしている、といったようなうわさも洩れて来た。うえのほうの役人たちは、歓迎の式や、舞踏会や、宴会の準備をしているとのことであった。囚人たちは幾組にも分かれて、要塞内の道路をならしたり、小高く盛りあがった土を崩したり、塀や柱を塗り替えたり、壁の繕い化粧をしたり、そんな仕事に追いやられた。ひと口にいえば、一朝にしてありたけのものを修理し、表面を取り繕おうというのであった。わたしたちの仲間は、その辺の事情をよく見抜いていたので、ますますやっきとなって、熱心にその取り沙汰をした。彼らの空想は、とてつもないところまでひろがっていった。将軍がわたしたちに当局の取り扱いを質問したら抗議を持ち出そう、という計画さえ立てたものである。そのくせ、おたがい同士の間では口論したり、悪態をつき合ったりしていた。要塞参謀は興奮して、いつもより頻繁に監獄を見まわりに来、やたらにどなりつけたり、人に食ってかかったり、むやみに営倉へぶち込んだりして、清潔と体裁をとくにやかましくいい出した。そのころ、ちょうど狙ったように、獄内でちょっとした事件が持ちあがった。もっとも、それは予期したように、いっこう少佐を興奮させなかったのみならず、かえって彼に満足を与えたくらいである。というのは、一人の囚人が喧嘩の最中に、相手の胸のほとんど心臓の真下に、錐《きり》を突き剌したのである。
 この凶行を演じた囚人はロモフと呼ばれ、手傷を負ったほうは、仲間うちでガヴリールカと呼び慣わされていた。これは骨の髄までの浮浪漢なのである。ほかにも綽名があったかどうか覚えていないが、わたしたちの間ではガヴリールカといわれていた。
 ロモフはK郡T村の裕福な百姓の家に生まれた。ロモフの家のものは、みんな一家族で暮らしていた。老父と三人の息子、それに同じくロモフ姓を名のる伯父、これだけの人数であった。彼らは百姓としては物持ちのほうであった。三十万からの財産を持っているという、県内でもっぱらの評判であった。彼らは耕作をしたり、皮をつくったり、商売をしたりしていたが、しかしおもな仕事は高利を貸すこと、浮浪人をかくまったり、贓品を処分したり、その他これに類する芸当なのである。郡内の百姓は、半分がた彼らに金を借りていて、思うままに頤使《いし》されていた。彼らは目はしの利く狡猾な人間として知れわたっていたが、しまいには増長して、ひどく高慢になってしまった。ことに、その地方ではきわめて位の高い一人の名士が、旅行の途中、彼らの家に足をとめて、老人と親しく知己になり、冴えた頭脳と円転滑脱な手腕を認めて、ひいきにするようになってから、それがいっそう嵩じて来た。彼らは急に、もう自分たちには法の裁きなどないも同然だと思い、さまざまな不正取引を、いよいよ平気でやってのけるようになった。世間でみんなが彼らの不平をいって、あんなやつらは大地の裂け目に陥ちてしまえばいい、などと腹り中で考えていた。しかし、彼らはますます高慢の鼻を反《そ》らすのであった。もう警察署長や判事などは、ものの数でもなかった。ところが、とどのつまり、彼らは足を踏みはずして、破滅の憂きめを見ることになった。が、それは悪事のためでもなければ、秘密な犯罪のせいでもなく、無実の罪のためだった。彼らは、村から十露里ばかり浦山池ところに、大きな農園、――シベリヤの言葉でいえば新墾地《ザイムカ》を持っているとき、秋のはじめごろ、もう古くから奴隷同様にされているキルギーズ人の雇い男が六人ばかり、その農園で暮らしていたが、一夜そのキルギーズ人たちが残らず斬り殺されたのである。裁判が始まった。それは長いこと続いた。だんだん調べていくうち、ほかにもよくないことがいろいろと暴露された。こうして、ロモフ一家のものは、自分の家の雇い男殺害のかどで告発された。それは、彼らが自分で話したことで、監獄じゅうのものはみんなそれを知っていた。雇い男に払う給金があまり溜まり過ぎたので、大金持ちのくせにけちで貪欲なところから、その給料を踏み倒すために、キルギーズ人たちを殺したのだ、とこういう嫌疑をかけられたのである。予審と公判の間に、彼らの財産はすっかり吹っ飛んでしまった。老人は死んでしまうし、息子たちは別々に流刑を宣告された。一人の息子と伯父が、わたしたちの監獄へ十二年の刑期でやって来た。ところが、どうだろう? 彼らはキルギーズ人の死については、まったく無実だったのである。おなじ監獄にいるガヴリールカが、その後、自首したのである。これは有名なしたたかもので、宿なしだったが、陽気な元気のいい若者で、この男が犯罪をぜんぶ自分の身に引き受けてしまったのだ。もっとも、彼がほんとうにそれを自白したかどうか、わたしも確かなところは聞かないけれども、獄内のものは一人残らず、キルギーズ人たちは彼の凶手にたおれたもの、と信じきっていた。ガヴリールカはすでに放浪時代から、ロモフ一家と関係があった。彼は脱走兵として、また宿なしとして、短い刑期で監獄へ来たのである。彼は仲間の宿なし三名と共謀して、キルギーズ人を殺した。うんとうまい儲けにありつくつもりで、農園に押し入ったのである。
 ロモフの家のものは、どういうわけか知らないが、わたしたちの仲間では好かれなかった。彼らの一人である甥のほうは、はきはきした利口者で、人づきあいのいいたちであったが、ガヴリールカを錐で突き剌した伯父のほうは、ばかな、わからずやの百姓だった。彼はそれまでにも大勢のものと喧嘩して、いい加減ぶんなぐられたものである。ガヴリールカのほうは陽気で、人当たりがいいため皆から好かれていた。ロモフは伯父甥二人ながら、ガヴリールカが犯人であって、白分たちは彼のおかげでこんなところへ来たのだ、ということを承知してはいたものの、彼と喧嘩口論などしなかった。もっとも、彼らがいっしょに落ち合うようなことは、かつてなかった。また彼のほうでも、てんで彼らに注意を払おうとしないのであった。ところが、とつぜん、一人の穢らわしい女のことで、伯父のロモフと彼の間に喧嘩が持ちあがった。ガヴリールカは、女が自分に気があるといって自慢を始めたので、相手のほうは焼きもちをやきだして、ある日の午ごろ、とつぜん彼を錐で突いたのである。
 ロモフは裁判で身代を耗《す》ってしまったが、それでも監獄では金持ちの暮らしをしていた。どうやら小金を持っていたらしい。サモワールなど備えて、お茶をのむというふうであった。わが要塞参謀はこれを知って、こんかぎり両人のロモフを憎んでいた。彼はだれの目にもつくほど、ことごとに彼らにいいがかりをつけ、なにかといえば、彼らを取っちめるのであった。ロモフのほうでは、これは少佐が賄賂《わいろ》をもらいたさにすることだろうと解釈していたが、賄賂を使おうとはしなかった。
 もちろん、もしロモフがもうすこし深く錐を突っこんでいたら、ガヴリールカを殺してしまったはずである。が、事件はまったくちょっとした擦り傷ですんでしまった。少佐に報告された。少佐が息を切らせながら、そのくせさも満足そうな様子で馬を飛ばせて来たのを、わたしはいまだに記憶している。彼はまるで親身の息子にでも向かうように、びっくりするほど優しく、ガヴリールカに話しかけたものである。
「どうだね、おまえ、病院まで歩いて行けるかどうかね?いや、やっぱり馬車に乗せてやったほうがいい。今すぐ馬市に馬をつけろ!」と彼はせかせかと下士にむかってどなった。
「いや、少佐殿、わたしはなんともありません。あいつは、ほんのちょっと突いただけなんで、少佐殿」
「おまえは知らないんだ、かわいそうに、おまえはなんにも知らないんだ、今にわかるよ……なにしろ急所だからな。傷はなんでも場所によるんだよ。心臓の真下を狙いやがって、悪党め! きさまは、きさまは」と彼はロモフのほうに向いて咆吼《ほうこう》を始めた。「うぬ、いまに思い知らせてくれるぞ!……営倉だ!」
 いかにも彼は思い知らせた。ロモフは裁判にかけられた。傷はごく軽い突き傷であることが確かめられたが、犯人の意図は明瞭だった。彼は刑期を増されたうえに、笞一千を宣告された。少佐は大満悦であった。
 ついに検察官が到着した。
 町へ着いてから二日めに、彼はわたしたちの監獄を訪れた。それはちょうど祭日に当たっていたいもう二、三日前から、何もかも、きれいに洗い上げられ、舐めたように磨き立てられていた。囚人たちはあらためて髪を剃られた。身につけているものは真っ白で、さっぱりしていた。夏はみんな規定にしたがって、白麻の上着とズボンをはいていたのである。めいめいの背中には、さしわたし二ヴェルショーク([#割り注]約九センチ[#割り注終わり])くらいの、黒い丸が縫いつけられてあった。囚人たちは、高官から挨拶の言葉がかかったとき、どんなふうに返事をしたものかということを、まる一時間も教えられた。その練習が行なわれた。少佐は気ちがいのようにせかせか動きまわっていた。将軍が姿を現わす一時間も前から、一同はまるで木像のように、それぞれの場所に立って、両手をズボンの縫い目にぴったり当てていた。ついに午後一時ごろ、将軍が到着した。それは威風堂々たる将軍で、西部シベリヤの役人という役人が、彼の来着とともに、さぞ胸を轟かしたろう、と思われるほどの押し出しであった。彼は峻厳荘重な態度で入って来た。そのうしろから、数名の将官と大佐からなる土地の上官たちが随行して、どやどやとなだれこんだ。そのなかに一人、燕尾服を着て短靴をはいた、背の高い美男の文官がいた。やはりペテルブルグかち来た人で、見るからにゆったりした。なんのわだかまりもない態度を持していた。将軍はたびたびこの人に話しかけたが、その様子がきわめて慇懃なのである。これはひとかたならず囚人たちの興味をそそった。文官でありながら、こんなえらい将軍から、これほどの尊敬を受けるとは! その後、わたしたちはその人の姓を知り、いかなる身分の人であるかを聞き知った。しかし、その当時はうわさとりどりで、大変な騒ぎだった。オレンジ色の襟章をつけ、目を血走らせ、にきびだらけの顏を紫いろにして、棒を呑んだような恰好をしているわが少佐は、見たところ、将軍にあまり快い印象を与えなかったらしい。高貴な来訪者に特殊な尊敬を示すために、彼は眼鏡をかけないでいた。彼は弓弦のように張り切って、すこし離れたところに立っていたが、閣下のご希望を満たすためいつでも飛び出して行けるように、なにかご用に立つ瞬間を逃さないようにと、全身の注意を傾けて、熱病やみのようにわくわくしながら待ち設けていた。が、彼はなんのご用にも立たずじまいだった。将軍は無言のまま獄内を一巡し、炊事場までのぞいて、そこではたしか菜汁の味まできいた様子である。人々はわたしを将軍に指さして見せた。これこれしかじかで、貴族出のものであります、といったようなわけだろう。
「ははあ!」と将軍は答えた。「で、いまどんなふうにやっとるかね?」
「ただ今のところ申し分ございません、閣下」と人々は答えた。
 将軍はうなずいた。それから、二分ばかりして監獄を出た。囚人たちはすっかり目がくらんで、度胆を抜かれてしまったのはもちろんながら、それでもなにか納得のいかないような気持ちだった。少佐に対して抗議を申し出るなどとは、むろん思いもよらぬ話であった。また少佐のほうでも、あらかじめその点はじゅうぶん確信があったのだ。

[#3字下げ]6 監獄の動物[#「6 監獄の動物」は中見出し]

 その後間もなく、監獄では栗毛馬《グネドコ》を買い入れることになったが、このほうが高官の来訪などより、ずっと愉快に囚人たちの心をひき、その気晴らしになった。わたしたちの監獄では、水を運んだり、汚穢《おわい》その他のものを運び出したりするために、馬が一匹飼われることになっていた。その世話には囚人が一人つけられていた。が、その囚人は馬を馭して行くのにも、むろん警護兵つきであった。馬の仕事は、朝も晩もなかなか担当にあった。グネドコは、もうずいぶん前からわたしたちの監獄で働いていた。おとなしい馬だったけれども、いいかげん老いぼれていた。聖ペテロ祭のある日、グネドコは晩の水槽を引っぱって来たと思うと、とつぜんぱったり倒れて、四、五分のうちに息を引き取ってしまった。みんなはこの馬を憐れんで、そのまわりに輪をつくって評定したり、いい争ったりした。わたしたちの中にいた騎兵あがりだの、ジプシイだの、獣医だのという連中が、このときとばかり、馬に関する特殊な知識をいろいろと並べ立て、おたがい同士、悪口のつき合いまでしたけれども、グネドコを生き返らせることはできなかった。グネドコが死骸になって横たわっていると、みんなは義務のように、その膨れあがった腹を指で突っついてみるのであった。神のみこころで起こったこの不幸な出来事は、少佐に報告された。すると、彼はさっそく新しい馬を買うことに決めた。聖ペテロ祭の当日、朝の祈祷式が終わって、わたしたちが一同うち揃っているところへ、売り物の馬がかわるがわる曵いて来られた。馬の買い入れが、囚人たち自身に任されたことはいうまでもない。わたしたちの仲間には、このほうの玄人が大勢いたし、それに、第一、以前ひとを欺すことを仕事にしていた二百五十人の人間に、一杯くわすことは容易なわざでなかった。やがて、キルギーズ人、馬喰《ばくろう》、ジプシイ、町人などが、入れ替わり立ち替わり現われた。囚大たちは、新しい馬が曳いて来られるのを、首を長くして待っていた。彼らは子供のように浮き浮きしていた。いま自分たちがまるで自由な世界の人間のように、自分の[#「自分の」に傍点]ふところから金を出して、自分のために[#「自分のために」に傍点]馬を買っているような形で、しかもそれを買うじゅうぶんな権利を持っているということが、彼らにとっては何よりもうれしいのであった。三頭の馬が曳き入れられては、引き出され、やっと四頭めで手打ちになった。入って来た馬喰たちは、いくらかびっくりした様子で、まるでおじ気でもついたようにあたりを見まわし、ときには、自分を案内して来た警護兵たちを振り返ってさえ見たものである。頭を剃られて、烙印を捺され、鎖に繋がれているこうした連中が、二百人のうえもかたまって、だれひとり閾《しきい》をまたいだことのない監獄を自分の巣のようにして、ゆったりと落ちついている光景は、一種の尊敬を呼び起こさずにはいなかったのである。囚人仲間は、新しく曳き込まれる馬を検分するたびに、さまざまな方法を考え出して、機知を競ったものである。およそ彼らがのぞいてみないところ、触ってみないところはなかった。しかも、監獄の安寧はこれひとつにかかっている、とでもいいたそうな、一種ものものしい、事務的な、心配そうな様子をしているのであった。チェルケス人などは、ひらりと馬の背に飛び乗ってさえみたほどである。目をぎらぎらと光らせて、白い歯をむき出し、鉤鼻の聳えた浅ぐろい顔をうなずかせながら、わけのわからぬ自分たちの言葉で早口にしゃべり合った。一人のロシヤ人は、まるで彼らの目の中へ飛び込もうとでもするような意気込みで、全身の注意を緊張させて、その争論に耳を傾けていた。言葉がわからないので、せめてその手つきからだけなりとも、彼らがこの問題をなんと決定したか、馬は及第したかどうかを、察しようとするのであった。こんなにも緊張した注意の仕方は、はたのものが見たら奇妙に思われるくらいだろう。ちょっと考えると、ただの囚人が、――仲間の囚人たちの前に出てさえ、ぐうの音も出せないような、おとなしい。いじけきった囚人が、なにもそんなにやきもき心配することがあるのか、と思われるくらいであった。まるでその囚人が、自分のために馬を買っているような具合で、じつのところ、どんな馬が買われようと、彼にとっては同じことだなどとは、夢にも考えられないのである。チェルケス人のほか、この道で最も権威があったのは、もとの馬喰とジプシイで、彼らに決定権が譲られた。これについては、一種の上品な決闘とでもいうべきものが持ちあがったほどである。ことに以前ジプシイであり、馬泥棒であり、馬喰であった囚人のクリコフと、近ごろ入獄したばかりで、早くもクリコフから町の得意をすっかり横どりしてしまった自分免許の獣医である狡猾なシベリヤの百姓と、この二人の間に起こった争いが見ものであった。ほかでもない、町では監獄にいる自分免許の獣医連を高く買って、町人や商人ばかりでなく、きわめて身分の高い役人までが、自分の家の馬が病気にかかると、町にほんものの獣医が幾人かいたのにかかわらず、わざわざ監獄へ頼みに来るという有様だった。クリコフは、ヨールキンというシベリヤの百姓が来るまでは、だれ一人競争者がなく、たくさんの得意を一人占めにして、もちろんたんまりと礼金をもらっていたのである。彼はジプシイ一流のひどい山師で、口で吹き立てるほどの腕はなかったのである。みいりのほうからいうと、彼はわれわれ仲間での貴族だった。世間を知っているのと、頭がいいのと、太っ腹で思いきりがいいのとで、彼は監獄の中でも久しい以前から、囚人たちの心に知らずしらず尊敬の念を呼びさましていた。仲間のものは彼の言葉を傾聴し、そのいうことに従うのであった。しかし、口数は少なくて、ひと口ものをいうのも、まるで一ルーブリずつ恵んでやるような調子で、それもごく重要な場合に限られていた。彼は折紙つきの伊達男だったが、しかもその中には、紛れもない正真正銘のエネルギイの欝勃としているのが感じられた。彼はもういい加減の年配だったけれど、なかなかの美男子で、とても利口者であった。わたしたち貴族に対する応対ぶりは、変にしゃれた慇懃なものだったが、同時になみはずれた品位がこもっていた。わたしが思うのには、もし彼に変装をさせて、伯爵のだれそれという触れ込みで、どこか都のクラブにも引っぱって行ったら、彼はそこでも機転を働かして、カルタの勝負をしたり、あまり口数はきかないが、重味のあるりっぱな話しぶりを見せたりして、おそらくまるひと晩じゅう、伯爵ではなくて浮浪人だということを、見破られなかったに相違ない。これはまじめにいっていることなので、それほど彼は頭がよくて目はしが利き、打てば響くような悟りの早さがあったのである。おまけに、彼はものごしが優美で、瀟洒としていた。きっとそれまでの生涯に、ありとあらゆることを見つくして来たに違いない。もっとも、彼の過去は未知の闇に包まれていた。わたしたちの監獄では、彼は特別監に収容されていた。ところが、ヨールキンの入獄とともに、――これは年ごろ五十前後、百姓ではあったが、狡猾このうえなしの百姓で、分離派教徒の仲間であった、――獣医としてのタリコフの名声は、俄然その光を失った。わずかふた月やそこいらのうちに、彼はクリコフから、町のお得意をほとんどぜんぶ横どりしてしまった。彼は、以前クリコフがとうに匙を投げてしまったような馬でさえ、いともやすやすと癒したのである。それどころか、町の叮門の獣医が見放した馬さえ癒してのけた。この百姓は、ほかの仲問といっしょに、贋金つくりの事件でやって来たのであった。この年になってこんな事件の連累になるとは、よくよく因果な話ではある! 彼自身、自嘲の笑みを洩らしながら、ほんものの金貨を三つも使って、やっと贋物が一枚つくれた、とわたしたちに話したものである。タリコフは、獣医としての彼の成功ぶりに、いくらか侮辱を感じた、のみならず、囚人仲間での名声さえも、下火になりかけたのである。彼は町はずれに情婦を置いて、ふらしてんの袖無し外套を着こみ、銀の指輪や耳輪をつけ、ふちを折り返した私物の長靴などはいていたものだが、急に金がなくなったために、余儀なく酒売りを始めなければならぬはめになった。そこでみんなは、こんど新しいグネドコを買い入れる段になって、この敞同士はきっとつかみ合いの喧嘩でもおっぱじめるに相違ない、と待ちもうけていたのである。二人ともそれぞれ自分の仲間を持っていた。その頭だった連中は早くも興奮して、もうぽつりぽつり悪口のつき合いを始めていた。御大のヨールキンは、そのずるそうな顔をしかめて、思いきり皮肉な冷笑を浮かべていた。しかし、結局あてはずれで終わった。クリコフは悪態をつこうなどとは考えてもいなかったのである。が、喧嘩口論などの手は使わないでも、じょうずにこの場を切り抜けた。彼はまず下手に出て、競争者の評言はうやうやしい態度で傾聴さえした。しかし、そのうちにひとつ相手の言葉尻を捕まえて、つつましい語調ではあったが執念ぶかく、それは考え違いだろうといった。そしてヨールキンがわれに返っていい直す隙もないうちに、考え違いというのはほかでもない、これこれしかじかであると証明してのけた。ひと口にいえば、ヨールキンは思いがけなく、たくみに小股をすくわれたわけで、結局、勝利は彼のがわに帰したものの、クリコフもそれで満足した。
「いや、兄弟、やっぱしなんだな、あいつはそうてっとり早くへこませるわけにゃいかねえ、自分を守るすべを知ってるからな。どうして、どうして?」と一方の連中がいった。
「ヨールキンのほうがものしりだよ!」とまた一方ではこういったが、その調子には、なんとなく譲歩の気味が含まれていた。双方とも急にひどく折れた口調で話し出した。
「ものしりというより、あいつのほうが手先がちょっと器用なんだよ。ところが、牛馬のこととなると、クリコフもなかなかひっ込んじゃいねえからな」
「ひっこ込んでいねえとも、たいしたもんさ!」
「ひっ込んでいねえとも……」
 ついに新しいグネドコが選び出され、買い取られた。それは若くて、美しく、丈夫で、しかも図抜けて愛らしい、楽しげな様子をしたすばらしい馬であった。その他あらゆる点についても、申し分のない馬であったこというまでもない。やがて値段の押し問答が始まった。いい値は三十ルーブリであったが、こちらは二十五ルーブリしか出さないといった。双方とも熱くなって、長いこと談判を続け、値切ったり負けたりした。が、とうとう自分ながらおかしくなってしまった。
「いったいなにかい、おめえたちは自分の財布から金でも出すのかい?」と、一方がいった。「なにを値切ることがあるんだね?」
「お上の金が惜しいとでもいうのか?」と、こういう者もあった。
「だって、おめえ、なんにしてもこの金は組合の金だからな……」
「組合の金? いやはや、どうも、おたがいさまに、こちとらみてえなばかは、種を蒔かねえでもしとりでにふえて来るものと見えらあ……」
 とうとう二十八ルーブリで折合いがついた。そこで、少佐に報告して、購入が決定した。すぐさまパンと塩が持ち山され、法式どおりに、新しいグネドコが監獄へ曳かれたことはもちろんである。その時、グネドコの首筋をぼんとたたいたり。鼻づらを撫でてやらなかった囚人は、おそらく一人もなかったろう。その日さっそくグネドコは車につけられて、水を運びにつれて行かれた。わたしたちはみんながかりで新しいグネドコが水槽を曵いて行くさまを、もの珍しげに見物したものである。水汲み車の馭者をしているロマンという男は、さもさも満足そうな様子で、新しい馬をと見こう見していた。それは無口な、しっかりした気性の、五十に近い百姓であった。概して、ロシヤの馭者は非常に気性のしっかりした、無口な人間が多い。まるで馬を始終あつかっていると、なんとなく人間が格別しっかりして、もったいらしくさえなって来るかのように思われた。ロマンはもの静かな男で、だれに対して叭愛想がよく、口数をきくのがきらいで、角のたばこ入れから嗅ぎたばこをつまみ山しては、鼻に入れていた。そして、いつとも知れぬころからしじゅう監獄のグネドコの世話をしているのであった。新しく買った馬は、もう三代めのグネドコであった。わたしたちの仲間はみんな一様に、監獄には栗毛という色が似合うので、これがどうやら家風に[#「家風に」に傍点]合うらしい、と思いこんでいた。ロマンもその意見に裏書きした。といったわけで、たとえば、ぶち馬などはどんなことがあったって、買いはしなかった。水汲み車の馭者の役は、なにか特別の権利ででもあるように、始終ロマンのものと決まっていて、仲間のものも彼とこの権利を争おうなどとは、だれ一人夢にも考えなかったほどである。前のグネドコがたおれた時にも、それをロマンのせいにしようなどという考えは、だれの頭にも、少佐の頭にすら浮かばなかった。これも神のみこころだ、ただそれだけの話で、ロマンがりっぱな馭者であることには変わりがない、こういった気持ちなのである。間もなく、グネドコは監獄じゅうの寵児となった。囚人たちは元来粗暴な人間どもではあったが、よくそのそばへ行って、撫でたりさすったりしてやった。よくロマンが河から帰って来て、下士の開いてくれた門を閉めていると、グネドコは監獄の中へ入って行って、水槽をつけたまま、彼のほうを横目で見ながら、たたずんでいる。『ひとりで行けや!』とロマンが叫ぶと、グネドコはさっそくひとりで歩き出して、炊事場まで行くと歩みを止め、炊事番や糞尿番が桶を持って、水を取りに来るのを待っている。「きさまは利口もんだな、グネドコ!」と人々は声をかけてやる。『ひとりで引つぱって来るなんて!………聞き分けのいいやつだな!』
「ほんとによ、畜生でもちゃんとわかるんだ!」
「えらいぞ、グネドコ!」
 グネドコはほんとうに人間の言葉がわかって、褒められたのに満足してでもいるように、首を振って鼻を鳴らす。すると、かならずだれかがすぐにその場で、バンと塩を持って来てやる。グネドコはそれを食べて、また頭を振り出すが、その様子はちょうど、『わかってるよ、おまえさんという人間は! ちゃんとわかってるよ! わしはかわいい馬だし、おまえさんはまたいい人間だ!』とでもいいたげである。
 わたしもやはり、好んでグネドコにパンを持って行ってやった。その美しい顔を眺めたり、もらった食べ物をすばしこくくわえこむ柔らかな暖い唇を掌に感じるのが、なんとなく快かったのである。
 概して、わたしたちあわれな囚人は、動物を愛することもできたので、もし許してもらえたら、彼らは喜んで監獄の中に、たくさんの家畜や家禽を飼ったに相違ない。またこういった仕事ほど、囚人たちの荒々しい野獣のような性格を柔らげ、向上さすものは、ほかにないだろうと思われる。しかしそんなことは許されなかった。規則からいっても、場所の関係からいっても、それはさし許されないことであった。
 とはいえ、わたしの入獄中には、偶然いくつかの動物が絶え間なしにいた。グネドコのほかに、わたしたちの手もとには幾匹かの犬と、数羽の鵞鳥と、山羊のヴァシカがいたし。一羽の鷲さえしばらくいたことがあった。
 しじゅう監獄に飼われている犬というのは、前にもちょっと述べておいたシャーリックである。賢い善良な犬で、わたしはこれといつも仲良くしていた。しかし、一般にわが民衆の間では、犬は不浄な動物とされ、目もくれる価値のないものというふうに考えられていたから、シャーリックもほとんどだれ一人かまい手がなかった。で、この犬は自分で勝手に暮らしていき、夜は庭で寝るし、食い物は炊事場の余りものという有様で、いっこうだれにも特別の興味を呼びさましはしなかったけれど、監獄じゅうのものを一人残らず知っていて、みんなを自分の主人と心得ていた。囚人たちが労役から帰って来ると、彼は衛兵所のあたりに響く『上等兵!』という叫び声を聞くが早いか、いきなり門のほうへ飛んで行き、一隊一隊のものを優しい目つきで迎え、しっぽを振り、せめて多少なりと愛撫を与えてもらえないかと期待しながら、入って来る一人一人の目を懐かしげにのぞき込む。けれども、長い年月の間、わたしを除いただれからも、てんで愛撫らしいものを受けたことがない。つまり、そのために、彼はわたしをだれよりも好いていたのである。その後、わたしたちの監獄に、もう一匹ベルカという犬が現われたが、どういう具合だったかは覚えていない。第三のクリチャープカという犬は、わたしがあるとき仕事場から、まだ仔犬だったのを拾って来て、自分で飼ったのである。ベルカは奇妙な犬だった。かつてどこかの百姓馬車に轢かれて、背中が内がわへ曲がっていたので、駆け出すところを遠くから見ると、からだのくっつき合った二匹の白い動物が走っているように思われた。おまけに、この犬は疥癬《かいせん》やみで、目には目やにがたまっており、しっぽはほとんど毛が抜けて、赤禿げになったのを、いつも股の問に挟み込んでいた。運命に虐げられた彼は、どうやら諦めることに腹を決めたらしい。まるで、それだけの気力がない、とでもいうように、ついぞ一度だれにも吠えかかったこともなければ、唸り声を立てたこともない。たいていはパンがもらいたさに、監房の裏手に住んでいた。たまたまわたしたちのだれかを見かけると、まだ幾足か間があるのに、早くも降参といったように、くるっと仰向きにひっくり返ってしまう。『どうかわたしをお勝手にしてください、わたしはご覧のとおり、手向かいなんかする気は毛頭ありませんから』とでもいいたげな恰好である。すると、どの囚人も、自分の前にひっくり返っている犬を、ちょいと靴の先で蹴る。さながら、それが自分の義務ででもあるかのように。『ちぇっ、こん畜生め!』と囚人たちはよくいったものである。しかし、ベルカはきゃんというのさえ憚って、ただあまり痛さが骨身にこたえたときだけ、妙に声を殺しながら、哀れっぽく唸るくらいのものである。彼はシャーリックにしろ、またほかのどんな犬にしろ、なにか用があって監獄のそとへ駆け出して行くのに出会うと、やはりくるりと仰向けにひっくり返った。どこかの大きな、耳をだらりと垂らした犬などが、吠えたり唸ったりしながら飛びかかって行くと、くるりと仰向けになって、じっとおとなしく横になっている。しかし、犬は同類の屈服と従順を好むものである。体猛な犬もたちまち穏やかになって、ややもの思わしげな様子をしながら、足を、上にして自分の前に転がっているおとなしい犬のそばに立ちどまり、いかにももの珍しそうに、ゆるゆると相手のからだのあらゆる部分を、嗅ぎまわし始める。いったいそのときベルカは、全身をわなわなふるわせながら、どんなことを、考えていただろう。『はて、どうかしら、この泥棒犬、おれを引っ裂くつもりだろうか?』おそらく、こんな考えが彼の頭に浮かんだことだろう。しかし、相手は注意ぶかくひととおり嗅ぎまわしたあげく、別になにも面白いことが見当たらないので、そのまま打っちゃってしまう。ベルカはいきなり跳ね起きて、ジューチカとかなんとかいう牝犬をつけまわしている犬の群れの後にくっつきながら、跛《びっこ》を引き引き、またぞろ駆け出して行く。このジューチカと格別ねんごろになることなど、しょせんかなわぬ望みだとは承知しながらも、やはり遠くのほうからなりと、ひょこひょこついて歩く、――それがこの犬の不幸な運命の中で、せめてもの慰めだったのである。察するところ、面子などということは、もうとくの昔に考えなくなったらしい。未来に対するいっさいの希望を失って彼は、ただパンのためのみに生きているのであって、自分でもこれをじゅうぶんに自党していた。わたしは一度、この犬をかわいがってやろうと試みたことがある。それは彼にとって、あまりにも珍しい思いがけないことだったので、急に四つ足を伸ばして、ぺったり地べたにすわりこみ、全身をぶるぶるふるわせながら、感動のあまり、甲高い声できゃんきゃん啼き出した。わたしはあまりのいじらしさに、よく愛撫の手を伸べてやった。そのかわり、ベルカのほうでもわたしを見ると、甲高い甘え声を出さずにはいられないのであった。遠くのほうからわたしの姿を見かけるが早いか、きゃんきゃんと病的な涙っぽい声で啼き始めるのだった。が、とどのつまり、彼は監獄のそとにある土塁の上で、ほかの犬どもに咬み殺されてしまった。
 それに引きかえ、クリチャープカはまるで性質がちがっていた。わたしはまだ目も見えない仔犬の時分に、仕事場から監獄へつれて来たのだが、なぜか自分でもよくわからない、わたしはこの犬を育てて、大きくしていくのが楽しかった。シャーリックは、すぐさまクリチャープカの保護を引き受けて、いっしょに寝るようになった。クリチャープカがすこし大きくなったとき、シャーリッタは自分の耳を噛ませたり、毛をくわえて引っぱらせたりして、普通一人前になった犬が、仔犬の相手になるようなふうに、遊び相手をつとめてやるのであった。不思議なことに、クリチャープカは足がほとんど伸びないで、胴体ばかりが縦横ともに伸びていった。毛はもじゃもじゃと長く、一種うすい鼠いろをしていた。耳は一方が垂れて、一方が立っていた。すべて仔犬というものは、飼い主の顔を見れば、うれしさのあまり、きゃんきやん啼いたり吠え立てたりしたあげく、顔まで舐めようとして飛びかかり、その場でいきなり、ありったけの感情をぶちまけようとするのが常である、『このうれしい気持ちさえ見てもらったらいいので、礼儀作法なんか、どうだっていいのだ!』といったような調子でいくものだが、クリチャープカもやはり感激でいっぱいになった、熱しやすいたちの犬であった。わたしがどこにいても、ただ『クリチャープカ!』と呼びさえすれば、彼はとつぜん、地の下からでも湧いて出たように、どこかの隅から飛び出して、みちみちもんどり打って転びながら、毬のはずむような勢いで、歓喜の叫びをあげてわたしのほうへ走って来る。わたしはこの小さな片輪者が、かわいくてたまらなかった。運命は彼の生活に、ただ満足と喜びのみを準備しているかのように思われた。が、あるときふと、婦人靴の製造と革なめしを仕事にしているネウストローエフという囚人が、格別この犬に目をつけるようになった。とつぜん、ある考えが彼の心を打ったものらしい。彼はクリチャープカをそばへ呼び寄せて、ちょっと毛をいじってみた後、優しく仰向けに地べたへ転がした。なんの疑いも持たないクリチャープカは、さもうれしそうにきゃんきゃん啼いていた。ところが、そのあくる朝には、もう彼の姿が見えなくなった。わたしは長いことさがしたけれど、まるで水の底にでも沈んでしまったような具合だった。ようやく二週間ばかり経ってから、いっさいの様子がわかった。クリチャープカの毛皮が、ひどくネウストローエフの気に入ったのである。彼はそれを剥いで加工したうえ、かねて法務官夫人から注文されていたビロードの半長靴の裏にしたのである。その靴ができあがったとき、彼はそれを見せたが、その毛皮のすばらしい出来ばえといったらなかった。かわいそうなクリチャープカ!
 わたしたちの監獄には、革なめしを仕事にしているものが大分あったので、よく毛並みのきれいな犬を連れて帰ったが、その犬はとたんに姿をかき消すのであった。たいていは盗んで来るのだが、なかには買って来たものさえあった。今でも覚えているが、あるとき、わたしは、炊事場の裏手で二人の囚人を見かけた。なにやら相談しては、こそこそやっているのだ。そのうちの一人は、見るからに上等種らしい、見事な、大がらな黒い犬の綱をとっていた。どこかのしようのない下男が、主人の家から引っぱり出して、監獄の靴屋に三十コペイカで売ったのである。二人の囚人は、今それを締め殺そうとしているところであった。それをするには、ごく都合がよかった。皮を剥いでしまうと、監獄の一番うしろの隅にある、大きな深い下水溜めに死骸をほうり込めばそれでいいのだ。夏の暑さの厳しいころには、この溜めが恐ろしい悪臭を発した。溝さらいをすることは、たまにしがなかった。かわいそうな犬は、どうやら目前にせまった運命を直感していたらしい。探るような不安げな目つきで、わたしたち三人をかわるがわる眺めまわし、ほんのときどき、足の間に挟んだふさふさとしたしっぽを、おそるおそる振るだけであった。それは、この信頼の意志表示で、わたしたちの心を柔らげようとでもするかのようであった。わたしは急いでその場を去ったが、彼らはもちろん、無事に仕事をしおおせたに相違ない。
 鵞鳥もやはり偶然、わたしたちのところで飼われ始めた。いったいだれがそんなものを持って来たのか、また持ち主はだれなのか、それは知らないけれども、しばらくの間、彼らは囚人たちにとって大きな慰めとなり、町の評判にさえなったくらいである。彼らは獄内でかえって、炊事場で養われていた。雛たちが大きくなると、みんな揃ってがあがあ啼きながら、囚人たちといっしょに、仕事場へ行くならわしとなった。太鼓が鳴って、囚人の一隊が出口のほうへ動き出すが早いか、わが鵞鳥たちは翼をひろげて、啼きながらわたしたちの後から駆け出すのだった。一羽ずつ順々にくぐりの高い閾を跳び越し、かならず右翼のほうへ行って列を作り、組割りがすむのを待っている。彼らはいつもいちばん大きい組につ