『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。

太陽の塔は、今、みずから手放すべきではないか?

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令和の絶対国防圏 - シロクマの屑籠


令和の、という修飾語はどうでもいいし、いろいろと違和感をかんじる点があるが、それは今回の記事ではとりあげない。
手心くわえず、はっきりとわかるように書くことにする。

現在、日本文化が直面している問題の一つは、高度成長期とどう向き合うか、ということである。
そのなかで、私が以前から考えていることの一つが、『太陽の塔』のことである。もちろん、大阪府吹田市万博記念公園にいまもある、あの『太陽の塔』のことである。
私が知るかぎり、どのような政治的立場(いわゆる無党派層もふくめて)の人たちも、この作品をどうあつかうか、考えることができないようである。
「あの塔は、高度成長期を記念するシンボルでしかないのであって、高度成長期が不良債権なのだから、あれも不良債権でしかない。だから、手放してしまえ」という意味の発言を聞いたとき、私はうれしかった。私も基本的に賛成だからである。ただし、まったく逆の意味で。
私は、『太陽の塔』は、日本の歴史、いや、世界の歴史のなかでも、画期的事件だと考えている。なぜなら、これと似たようなものは、どこにもないのだから。
だから、今、手放すべきなのである。
たとえば、敷地もふくめて、どこかの国の大使館にするというのはどうだろうか? と考えている。

なぜ、今、手放すべきなのか。
いま、日本社会に、『太陽の塔』の建設とおなじぐらいかそれ以上の事業が必要だ、ということに反対する人はいないだろう。なにかを建設することは大変だが、手放すならば、費用は15億円もかからない(※1)。いくらで売れるか、ということも大事なことだが、本質的な問題ではない。
一番大事なことは、文化を考えるうえで、あれこれの文化財(※2)が誰のものかということと、法律上誰のものか、ということはまったく本質的な問題ではないということ。
これを世界で初めての大規模に証明することである。
これはだれがみても立派な事業である。
建設者の一人である岡本太郎氏の権利関係の問題は、それほど難しくないはずである。あとは、大阪府と日本政府がどう考えるか、これだけが問題である。


念のためにいっておくが、私は本気である。私もそこまで金を持っているわけではないが、そういう活動があるならば、借金をして50万円だしてもいい。



※1 太陽の塔の建設費用が、計算方法にもよるが、当時の金でだいたい30億円、現在の金で150億円。
※2 「伝統」と言いかえてもいい。
地球の裏側に『太陽の塔』をムジョウケンする計画 補論その1 『日本の伝統』より - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)